17日間の四国遍路から帰って始めての血液検査結果がでました。最も注目していた「血糖指標」の「グリコアルブミン比率」は「18.9%」という高い値でした。毎日相当の距離を歩いて「運動」の結果で「血糖値」は下がっているのでないかと期待していたのですが結果は逆でした。実際には毎日これまで経験したことも無い程歩くことになったために、筋肉への「エネルギー供給としての血糖」を逆に高めに保つように身体が調整されたのかもしれません。
また早めの通御飯をたっぷり食べた後に、日頃よりづっと長いたっぷりの睡眠を取っていたので、前身の疲労回復のために睡眠時間中の「血糖量」が増したのかも知れません。一方で、帰ってから一週間程経過してから体重の減少傾向が現れ始めました。食事は普通通り食べていますが、体重は62Kg台から61Kg台に落ちました。足の筋肉は遍路から帰った後に急激に縮んでいる感がします。これが血液にどんな影響を及ぼすのか、もう少し観察していきたいと思います。
先週金曜日に会社の池で確認された「5羽のカルガモの雛」は今週月曜日に全部姿を消していました。社員の来ない静かな土曜・日曜日は、カラスと猫にとっては「カルガモ雛狩り」の絶好のチャンスなのでした。親ガモが卵を孵化させた池の浮島の同じ場所で恰も卵を抱くように身を沈めていました。「雛」全てを失ったことを理解できないでいるような可愛そうな姿でした。
ヤマダ電機が国内46店舗を閉鎖すると発表しました。今月初めにヤマダ電機は「ソフトバンク」との資本・業務提携しましたが、経営改善策第二段で不採算な店舗の閉鎖と言う改革案を採用しました。ヤマダ電機の昨年度の決算は、売り上げ1兆6700億円で▲12%、営業利益が199億円で▲42%、経常利益355億円▲29%、当期純利益93億円▲50%と減収・減益決算となっていました。
ヤマダ電機は池袋・新宿・新橋と都心への強引な出店が気にかかっていました。池袋はビック、新宿は淀橋の牙城ですがヤマダ電機が都心ターミナルマーケットに殴り込んだ形でした。結果は既存基幹店の力の前に敗れた形で経営上相当の負担となってしまったと思います。新橋の「キムラヤ」を買収した結果は分かりませんが、嘗て「キムラヤ」ファンであった私は少し苦々しい思いをしていました。都心店には外国人(中国人を中心にした)をターゲットにした総合免税店に業態を変えていくという手がありますが、免税店で売れる家電は限られるので採算が合うのかどうか微妙な所です。
四国遍路で徳島・高知を歩いた際に「ヤマダ電機」の大きな郊外店舗が目立っていました。両県でのヤマダとケーズの店舗展開を見てみると、徳島県ではヤマダ7店・ケーズ6店、高知県ではヤマダ9店・ケーズ4店とヤマダの積極性が店舗展開してきたことが分かります。今回46店舗の閉鎖は主に郊外型店舗の削減となるようですが、巨大店舗で家電を売り捌くという嘗てのビジネスモデルがそのまま顧客に受け入れられるのかどうか難しいところだと思います。ソフトバンクとどのように連携して行くのか気になるところです。
イラク西部の戦略的要衝「ラマディ」がISに占領されたことに関して、アメリカの国防長官カーター氏はボロクソにイラク軍をこき下ろしました。カーター氏曰く「兵力で勝っていたイラク政府軍にはISと戦おうという意欲が無かった」。更にイラク政府軍がISの侵攻に抗しきれずに退却した際に大量の武器・弾薬を放棄し、それがISの手に渡ってしまったことも頭に来ているようでした。
この批難に対してイラクのハイダル・アル首相は「間もなくイラク軍のラマディ奪還作戦が開始され数日でラマディを取り返す」という勇ましい声明を発表しました。しかしこれはイラク政府トップの根拠が心もとない強がりのように思えます。イラク政府軍の兵士にとっては、世界中から「不満分子・命知らず」を集めた「IS」は、数では政府軍に対して劣っていても、命をかけて闘おうという戦意を奪ってしまう恐怖心を煽るようです。
ISがインターネットで広めている政府軍兵士が捕虜として捕まった時の残忍な処刑シーンや、占領地域を治める時の恐怖政治は、イラク政府に急遽「金で」雇われた兵士達にとっては非常に恐ろしい光景だろうと思います。ましてや自分達は安全な所からの空爆と、武器・弾薬の供与・兵士の訓練だけやって、命をかける本物の陸上侵攻作戦をイラク軍に押し付けるアメリカには反発があり、そうしたアメリカのIS政策に反論できないイラン政権への不満もあるでしょう。
最前線の兵士にしてみれば「IS」の攻勢に対しては武器を置いて退却し、自分達の「弱さ」を示すことこそアメリカ等の連合軍の陸軍投入への近道なのです。アメリカ国内世論においてもオバマ大統領の弱腰の「IS対策」への批判は強くなるばかりです。オバマ大統領はまだ我慢していますが、自分達のプライドを傷つけられた時のアメリカ国民は非常に熱くなり、後先のことはあまり考えずに武力攻撃に出ることは過去良くあったことです。長年アメリカの戦略の犠牲になってきた中東の人々は、アメリカ人の熱くなる「正義感」への訴え方を体得しているように思えます。
大相撲夏場所千秋楽は非常に面白い展開となっていました。昨日大関稀勢の里が横綱白鳳を破ったために、白鳳と関脇照ノ富士が11勝3敗で並んだのでした。今日千秋楽では白鳳・照ノ富士のどちらか一方が勝って優勝するのか、両方とも勝って優勝決定戦になるのか、あるいは両者敗れて「4敗」力士の間で優勝決定戦となるのかという幾つかのパターンが想定されていました。
実際には照ノ富士が勝ち、横綱決戦で白鳳が日馬富士に敗れたためにすんなりと照ノ富士の優勝が決まりました。照ノ富士は23歳。来場所は大関に昇進するのは確実となりました。日馬富士も照ノ富士を良く援護射撃したと思います。横綱決戦ではまともに正面から当たる相撲となり、白鳳有利かと思われましたが途中の奇襲戦法が光りました。照ノ富士の活躍にもっとも刺激を受けたのは同じモンゴル出身の逸ノ城だと思います。照ノ富士・逸ノ城のふたりの相撲は毎日強くなっていく感じを受けました。大相撲は若い力士の台頭で人気を回復しました。
今日は遍路後始めての「献血」にいってきました。2週間以上毎日早朝から夕方まで歩いた結果が血液の状況にどういう変化をもたらしているのか非常に興味があります。最も注目しているのは「血糖関係の数値」です。長時間歩くことによって足の幾つかの大きな筋肉は相当の運動をこなす事になり、筋肉は筋肉細胞の中で「糖」を燃やすことでエネルギーを得ているのですから、身体全体の「糖燃焼量」は格段に大きかったと思われます。血液中の糖量の調節は「インシュリン」が行ないますが、これまで経験したことのないような大量の「糖分」を扱うことになったことを契機に「インシュリン分泌」機能が刺激されて、血糖コントロールが改善するのではないかという期待を持っています。血液成分分析結果は来襲の水曜日頃通知されてきますので楽しみです。

会社の池でカルガモの雛5羽誕生しました。今日の朝まだ出勤している社員が少ない静かな時間帯に、会社の家でカルガモの親子を発見しました。数日前池に作られた人工島で卵を抱いている親鴨がいるという情報がありましたが、まさかこれほど早く孵化するとは思いませんでした。
雛5匹は小さいながらも結構元気に親鴨に付いて回っています。これからカラス・野良猫が親鴨の隙を狙って襲ってくることになりますが、頑張って生き残って欲しいと思います。
| 2015年05月21日(木) |
急に「ポツダム宣言」が話題に |
20日の国会で党首討論が行われました。選挙で議席を増やした日本共産党の志位委員長が久し振りの党首討論登場となりました。民主党の岡田代表も急遽党首となった維新の党の松野代表も安倍首相に上手くかわされてしまった中で、志位委員長の目の目の付け所はさすがだと思いました。
志位委員長は「集団的自衛権行使」に関する討論において安倍首相に対して「ポツダム宣言」に関する認識を質問したのでした。阿倍首相は「ポツダム宣言の内容をつまびらかに承知していないので論評は差し控えたい」と対応したということです。志位委員長が「ポツダム宣言が過去の日本の戦争について「間違った戦争」という認識を示している」とし指摘し、右よりの発言の目立つ首相の認識を確認したということですが、やはり阿倍首相は賢明にも明言を避けたのだそうです。
夏に発表される予定の「終戦70周年の阿倍談話」の内容に関して多くの懸念が寄せられる中、志位委員長が「ポツダム宣言」を取り上げたことは非常に時機を得たものだと思います。ポツダム宣言はその後の朝鮮動乱・米ソ冷戦・中国の台頭等の世界の情勢変化に対応してかなり様変わりして具現化されたと思います。しかし70年前の日本国民の「意識」としては「ポツダム宣言受け入れ」による敗戦がその後の出発点であったことは確かです。
ポツダム宣言の最初の方に書いてありますが、イタリア・ドイツが降伏した後の連合軍には日本全土を焦土とすることも可能な戦力がありました。日本は戦力が枯渇し国内経済も疲弊してしてしまい、特攻作戦やら全国民による本土決戦などの作戦を準備してはいたのですが、無条件降伏がもう少し遅れていたらどんな不幸が待っていたかはかり知れません。日本は70年前に戦争の悲惨さを深く理解したのだと思っています。
ポツダム宣言を「つまびらかに」読んでいなかった阿倍首相にはぜひ「ポツダム宣言」をじっくり読んで欲しいと思います。そして70年前の出発点がどんなものであったのか考えてほしいと思いました。
| 2015年05月20日(水) |
スリランカ内戦終結6年目 |
5月19日は2009年同日にスリランカ内戦が終了してから6周年の記念日でした。スリランカでは過去5回前ラジャパクサ大統領政権下で"Victory Day"として「お祝い」されてきました。今年1月の大統領選挙でシリセーナ氏がラジャパクサ氏に勝利し、シリセーナ政権は5月19日を"Remembrance Day"と改め、民族・敵味方関係なく内戦で亡くなった犠牲者を追悼する記念日という位置づけに変更しました。
首都コロンボで大規模な追悼集会が行われた一方、北部の前LTTE支配地で最後の激戦地となったムライティヴ近郊ではタミール人の犠牲者追悼行事を行うことが初めて許されたということです。過去5年間は旧LTTE支配地域の北部・東部の宗教施設・政党事務所・報道機関の建物は5月19日に不測の事態が起きないよう厳重に監視され追悼行事も許されなかったということです。
内戦終了後も民族間の融和が進まず、働き手を戦争で失ったタミール人の人達への経済支援の仕組みが上手く機能しない時間が経過してきました。内戦終結を実現した前ラジャパクサ大統領は長年の国家の懸案を解決したとして「英雄」扱いされ、その延長で近親者を枢要なポストに就けた身内に利益を誘導する半ば独裁政治が行なわれてきたのでした。今年就任したシリセーナ大統領はラジャパクサ政権で方向を誤ってしまった様々な政策をひとつひとつ是正していこうとしています。「Victory Day」から「Remembrance Day」に変更したことは非常に思慮深い政治決断は素晴らしいものだと思いました。
| 2015年05月19日(火) |
ミャンマーからの難民 |
ミャンマー西部から脱出したらしい「ロヒンギャ」と言う人達が漂流難民となって東南アジア諸国に辿り着き問題となっています。「ロヒンギャ」というのはミャンマー西部(一部バングラディシュ東部)に居住していたイスラム教徒の人々で、仏教国ミャンマーにおいて市民権を剥奪されたり迫害されて祖国を脱出したのだそうです。
東南アジアと南アジアの境界地域は殆ど馴染みがありません。東南アジアの国は「ミャンマー(ビルマ)」で南アジアではバングラディシュとなります。パキスタンからインド・バングラディシュ・ビルマまで嘗ては広大なイギリスの領土でした。イギリスの統治政策は基本的に植民地内の対立を煽ることで宗主国への抵抗を和らげるというものでしたので、仏教国ビルマにおいてはイスラム勢力は嘗てミャンマーを治めるために便利に使われたのかもしれません。
更に第二次世界大戦期の日本の占領政策も混乱に拍車をかけたようです。日本は親日的なミャンマー人を糾合して現地政権樹立を目指しました。しかし日本の後ろ盾を得て動いた人達は日本の敗戦に際して逆に戦犯として扱われてしまったようです。こうした事情は日本軍と一緒にインパール作戦を戦った「スバッシュ・チャンドラ・ボース」に似ています。東南アジアから南アジアへの回廊はこの悪名高い「インバール作戦」によって知られるところとなっています。
ミャンマーといえば「アウンサン・スーチー女史」と「軍事政権」の対立の構図と、最近の民主化の動きの情報程度しか知りませんでした。ミャンマー東部のバングラディシュ寄りの地域がどのような状態になっているのか全く情報がありませんが、民主化を訴える「アウンサン・スーチー女史」には是非ともこうした「イスラム難民問題」にも正面から取り組んでもらいたいと思います。
4月29日から歩き始め5月15日で区切った今回の遍路第一弾の実績・感想を記載しておきます。
参拝した寺院:徳島県の「第1番霊山寺」から高知県の「第37番岩本寺」まで37寺院/88寺院。 歩いた距離:423Km/1,132Km(遍路地図データから作成) 宿泊場所:宿坊2箇所(安楽寺、大日寺)、公共宿3箇所(ウミガメ荘、桂浜荘、土佐荘)、その他11箇所。
17日間で88箇所の約1/3を回りました。少し時間が掛かり過ぎで「贅沢」なお遍路だったと思います。もう少し午後遅くことは出来たと考えています。歩数計の記録で最も多く歩いたのは台風通過の5月12日の「57233歩」でした。この日は台風の影響もあって道に迷った結果、歩数が増えてしまったのでした。
遍路前後の体重は変化がありませんでした。行く前の平均は62.5Kgに対して帰った当日も62.5Kgでした。筋肉で言うと「上半身の筋肉」が落ちて「腰から足に掛けての筋肉」が増しました。筋肉の総量が増えた感じですので相対的に「体脂肪」が減っていると思います。
足の「肉刺(まめ)」の数は、右足に4箇所+左足に2箇所。台風前には左足小指一箇所だけでしたが、台風雨で靴がびしょ濡れになって一機に肉刺が増えました。足の爪内出血は左足2ヶ所。歩いている時の実感として「左足」に無理をさせているという感覚がありました。
朝・夕の食事では相当量の御飯を食べましたが、排便の量・回数とも遍路以前と目立った変化はなく、その代わりに小便の回数が目だって増えました。水分摂取量は朝詰めた900ccの水が夕方には少し残る程度まで飲みました。朝夕摂取した淡水化物を徹底的にエネルギーに変えたのだと思います。
睡眠時間は普段より多く8時間以上は取ったと思いますが睡眠によって体力回復することが朝実感できました。肉刺の治り具合とか、体力回復具合、夕方の手足が「浮腫み」が朝には消えていること等、身体の治癒力・新陳代謝が活発化していることを実感しました。
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