
会社の池でカルガモの雛5羽誕生しました。今日の朝まだ出勤している社員が少ない静かな時間帯に、会社の家でカルガモの親子を発見しました。数日前池に作られた人工島で卵を抱いている親鴨がいるという情報がありましたが、まさかこれほど早く孵化するとは思いませんでした。
雛5匹は小さいながらも結構元気に親鴨に付いて回っています。これからカラス・野良猫が親鴨の隙を狙って襲ってくることになりますが、頑張って生き残って欲しいと思います。
| 2015年05月21日(木) |
急に「ポツダム宣言」が話題に |
20日の国会で党首討論が行われました。選挙で議席を増やした日本共産党の志位委員長が久し振りの党首討論登場となりました。民主党の岡田代表も急遽党首となった維新の党の松野代表も安倍首相に上手くかわされてしまった中で、志位委員長の目の目の付け所はさすがだと思いました。
志位委員長は「集団的自衛権行使」に関する討論において安倍首相に対して「ポツダム宣言」に関する認識を質問したのでした。阿倍首相は「ポツダム宣言の内容をつまびらかに承知していないので論評は差し控えたい」と対応したということです。志位委員長が「ポツダム宣言が過去の日本の戦争について「間違った戦争」という認識を示している」とし指摘し、右よりの発言の目立つ首相の認識を確認したということですが、やはり阿倍首相は賢明にも明言を避けたのだそうです。
夏に発表される予定の「終戦70周年の阿倍談話」の内容に関して多くの懸念が寄せられる中、志位委員長が「ポツダム宣言」を取り上げたことは非常に時機を得たものだと思います。ポツダム宣言はその後の朝鮮動乱・米ソ冷戦・中国の台頭等の世界の情勢変化に対応してかなり様変わりして具現化されたと思います。しかし70年前の日本国民の「意識」としては「ポツダム宣言受け入れ」による敗戦がその後の出発点であったことは確かです。
ポツダム宣言の最初の方に書いてありますが、イタリア・ドイツが降伏した後の連合軍には日本全土を焦土とすることも可能な戦力がありました。日本は戦力が枯渇し国内経済も疲弊してしてしまい、特攻作戦やら全国民による本土決戦などの作戦を準備してはいたのですが、無条件降伏がもう少し遅れていたらどんな不幸が待っていたかはかり知れません。日本は70年前に戦争の悲惨さを深く理解したのだと思っています。
ポツダム宣言を「つまびらかに」読んでいなかった阿倍首相にはぜひ「ポツダム宣言」をじっくり読んで欲しいと思います。そして70年前の出発点がどんなものであったのか考えてほしいと思いました。
| 2015年05月20日(水) |
スリランカ内戦終結6年目 |
5月19日は2009年同日にスリランカ内戦が終了してから6周年の記念日でした。スリランカでは過去5回前ラジャパクサ大統領政権下で"Victory Day"として「お祝い」されてきました。今年1月の大統領選挙でシリセーナ氏がラジャパクサ氏に勝利し、シリセーナ政権は5月19日を"Remembrance Day"と改め、民族・敵味方関係なく内戦で亡くなった犠牲者を追悼する記念日という位置づけに変更しました。
首都コロンボで大規模な追悼集会が行われた一方、北部の前LTTE支配地で最後の激戦地となったムライティヴ近郊ではタミール人の犠牲者追悼行事を行うことが初めて許されたということです。過去5年間は旧LTTE支配地域の北部・東部の宗教施設・政党事務所・報道機関の建物は5月19日に不測の事態が起きないよう厳重に監視され追悼行事も許されなかったということです。
内戦終了後も民族間の融和が進まず、働き手を戦争で失ったタミール人の人達への経済支援の仕組みが上手く機能しない時間が経過してきました。内戦終結を実現した前ラジャパクサ大統領は長年の国家の懸案を解決したとして「英雄」扱いされ、その延長で近親者を枢要なポストに就けた身内に利益を誘導する半ば独裁政治が行なわれてきたのでした。今年就任したシリセーナ大統領はラジャパクサ政権で方向を誤ってしまった様々な政策をひとつひとつ是正していこうとしています。「Victory Day」から「Remembrance Day」に変更したことは非常に思慮深い政治決断は素晴らしいものだと思いました。
| 2015年05月19日(火) |
ミャンマーからの難民 |
ミャンマー西部から脱出したらしい「ロヒンギャ」と言う人達が漂流難民となって東南アジア諸国に辿り着き問題となっています。「ロヒンギャ」というのはミャンマー西部(一部バングラディシュ東部)に居住していたイスラム教徒の人々で、仏教国ミャンマーにおいて市民権を剥奪されたり迫害されて祖国を脱出したのだそうです。
東南アジアと南アジアの境界地域は殆ど馴染みがありません。東南アジアの国は「ミャンマー(ビルマ)」で南アジアではバングラディシュとなります。パキスタンからインド・バングラディシュ・ビルマまで嘗ては広大なイギリスの領土でした。イギリスの統治政策は基本的に植民地内の対立を煽ることで宗主国への抵抗を和らげるというものでしたので、仏教国ビルマにおいてはイスラム勢力は嘗てミャンマーを治めるために便利に使われたのかもしれません。
更に第二次世界大戦期の日本の占領政策も混乱に拍車をかけたようです。日本は親日的なミャンマー人を糾合して現地政権樹立を目指しました。しかし日本の後ろ盾を得て動いた人達は日本の敗戦に際して逆に戦犯として扱われてしまったようです。こうした事情は日本軍と一緒にインパール作戦を戦った「スバッシュ・チャンドラ・ボース」に似ています。東南アジアから南アジアへの回廊はこの悪名高い「インバール作戦」によって知られるところとなっています。
ミャンマーといえば「アウンサン・スーチー女史」と「軍事政権」の対立の構図と、最近の民主化の動きの情報程度しか知りませんでした。ミャンマー東部のバングラディシュ寄りの地域がどのような状態になっているのか全く情報がありませんが、民主化を訴える「アウンサン・スーチー女史」には是非ともこうした「イスラム難民問題」にも正面から取り組んでもらいたいと思います。
4月29日から歩き始め5月15日で区切った今回の遍路第一弾の実績・感想を記載しておきます。
参拝した寺院:徳島県の「第1番霊山寺」から高知県の「第37番岩本寺」まで37寺院/88寺院。 歩いた距離:423Km/1,132Km(遍路地図データから作成) 宿泊場所:宿坊2箇所(安楽寺、大日寺)、公共宿3箇所(ウミガメ荘、桂浜荘、土佐荘)、その他11箇所。
17日間で88箇所の約1/3を回りました。少し時間が掛かり過ぎで「贅沢」なお遍路だったと思います。もう少し午後遅くことは出来たと考えています。歩数計の記録で最も多く歩いたのは台風通過の5月12日の「57233歩」でした。この日は台風の影響もあって道に迷った結果、歩数が増えてしまったのでした。
遍路前後の体重は変化がありませんでした。行く前の平均は62.5Kgに対して帰った当日も62.5Kgでした。筋肉で言うと「上半身の筋肉」が落ちて「腰から足に掛けての筋肉」が増しました。筋肉の総量が増えた感じですので相対的に「体脂肪」が減っていると思います。
足の「肉刺(まめ)」の数は、右足に4箇所+左足に2箇所。台風前には左足小指一箇所だけでしたが、台風雨で靴がびしょ濡れになって一機に肉刺が増えました。足の爪内出血は左足2ヶ所。歩いている時の実感として「左足」に無理をさせているという感覚がありました。
朝・夕の食事では相当量の御飯を食べましたが、排便の量・回数とも遍路以前と目立った変化はなく、その代わりに小便の回数が目だって増えました。水分摂取量は朝詰めた900ccの水が夕方には少し残る程度まで飲みました。朝夕摂取した淡水化物を徹底的にエネルギーに変えたのだと思います。
睡眠時間は普段より多く8時間以上は取ったと思いますが睡眠によって体力回復することが朝実感できました。肉刺の治り具合とか、体力回復具合、夕方の手足が「浮腫み」が朝には消えていること等、身体の治癒力・新陳代謝が活発化していることを実感しました。
大阪維新の会の橋下代表が提案する「大阪都構想」に関する大阪市民の住民投票が行われました。この「大阪都構想」に対しては「自民、民主、公明、共産」の与野党が共闘して反対運動を繰り広げました。橋下代表は「大阪都構想」が否決されたときには政界を引退するという背水の陣で臨みましたが、結果は約1万票の差で否決されました。NHKの開票速報では開票作業の終盤で「大阪都構想」賛成表が反対票を上回っている段階で「否決確定」を放送しました。NHKの勇み足かなと思いながら観ていましたが、結果的には残された票の中に「反対票」が多かったようで速報どおり否決されました。開票の方法・順序・報告などの方法に恣意性があるのかと疑ってしまうような開票作業とNHKの報道でした。
投票前には「大阪都構想」反対が優勢だと報道されていましたが大阪維新の会は選挙運動後半で大分頑張って接戦まで持ち込みました。NHKの投票所出口調査によると60歳以上では「大阪都構想」反対者が多かったと報道していますが、「大阪都構想」が現在の大阪市の高齢者福祉政策を後退させるのではないかという疑念が大きかったのだと思います。「府と市の二重行政の無駄を省く」という正論が「住民サービス低下」という市民の直接的利害関係に負けた格好です。また市・府の議会・役所の既成組織に勤める人達(管理者も組合員も、与党も野党も)自分達の職場を守ることで利害が一致しますから、基本的に「大阪都構想」には反対でしょう。維新の会は善戦したと思います。
| 2015年05月16日(土) |
ベルリンフィル後任指揮者決まらず |
さいたまに帰ってインターネットで最近の情報を確認したのですが、まずベルリンフィルの後任常任指揮者の選挙が行なわれましたが、結局今回は決まらずに1年以内にもう一度選挙を行なうことになったとのことです。5月11日午前10時、ベルリン市郊外に124人の団員が出席して指揮者選出会議が開催されました。会議は日没まで続いたようですが意見がまとまらず、選出選挙は「1年以内に会合をやり直す」ことになったということです。
オーケストラ役員の「ペーター・リーゲルバウアー」氏は記者会見で、数回の投票を繰り返したにもかかわらず「残念ながら選出には至らなかった」と述べたそうです。選挙の過程でどのような「名前」が出て、「何票」獲得したのか分かりませんが「相対多数」で決めないところに今回の難しさがあったのだと思います。
現職ラトルの後任として名前が挙がっているのは、ベルリン出身のドレスデン国立歌劇場管弦楽団のクリスティアン・ティーレマン(56)、ラトビア出身で米ボストン交響楽団と英バーミンガム市交響楽団を掛け持つアンドリス・ネルソンス(37)、ベネズエラ出身で米ロサンゼルス・フィルハーモニックの指揮者、グスターボ・ドゥダメル(34)の3人がショートリストに残ったと観る向きが多いようです。
この3人から一人選ぶことは現時点で困難だということでしょう。私の観想を言うと、ティーレマンは「地元出身」ですが、その指揮ぶり・音楽は非常に硬い印象で、「風貌」も嘗ての「ドイツ」のムードが漂う「危険な匂い」のする人柄だと思います。一方「ネルソンス」は人柄円満・指揮ぶりも天真爛漫な感じで好感度は高いのですが、「音楽の深さ」に疑問符が付きますし、「円熟するとどうなるのか(単なる良い人で終わる)」という心配があります。「ドュダメル」はその才能は誰しも認めるのですが、その才能は「壊れやすいガラス」のような脆弱さを感じざるを得ません。「ドュダメル」もこれからどのように円熟していくのか見えない指揮者です。これから一年間でどのような指揮者がベルリンフィルを振り、その成果がそのようなものとなるのかが選出の鍵となることでしょう。
| 2015年05月15日(金) |
遍路十七日目(第37番岩本寺) |
○安和から第37番岩本寺まで(29Km) ○JR窪川駅からJR高知駅へ(JR特急南風24号(15:51)) ○JR高知駅から高知龍馬空港へ(とさでん交通) ○高知龍馬から羽田空港へ(JAL498便) ○羽田空港から武蔵浦和へ(エアポートバス)
歩行距離:29Km、歩数:46,510歩 自宅に戻り。
第36番青龍寺から第37番岩本寺への遍路道58.5Kmの後半です。宿泊地の「安和」から岩本寺のある「窪川」まで歩きました。岩本寺が今回の遍路の「区切り」となります。岩本寺の太子堂で太子に区切りのご挨拶をしました。予定では高知市内に戻り、そこで一泊して明日(土曜日)に「さいたま」に戻ろうかと考えていたのですが、高知市内の桂浜も見たし、飛行機の最終便に空席があるのなら今日中に戻ってしまおうと考えました。
安和から次の街「土佐久礼」までの間は、本来旧遍路道と国道56号線が二つの選択肢があるのですが、旧遍路道が土砂崩れで通行止めなので「国道」を歩いていく方法しかありませんでした。国道には「焼坂トンネル」という800mの長さのトンネルがあり、トンネル内は暗く歩行者用の路肩が狭いので大変危険です。ここではトンネル手前で貸し出されている「反射タスキ」を着けて歩きました。
土佐久礼からは二つの旧遍路道(そえみみず遍路道、大坂遍路道)と国道56号線が走っていますが、大坂遍路道が通行不能となっているので「そえみみず遍路道」を通りました。「そえみみず遍路道」は途中で高知自動車道を交差しているのですが、遍路道を高速道路の下を潜らすために、一旦高速道路下まで階段で降り、反対側で急な階段を連続して登るように遍路道を補修していました。登りの階段は非常に長いので、疲れたお遍路を苛めるかのような感じを受けます。高速道路設計者は遍路のことは余り考えなかったのだと思いますが、新たな「遍路ころがし」出現です。
国道を歩いていると「道の駅」「観光物産センター」が近くに連続して設営されている場所が何箇所かあることに気付きました。施設はドライバーのトイレ・休憩場所だったり、土産物が買えたり、食事が食べられたりしますが、その内容は殆どダブっているようです。なんでこんな無駄なことをするのだろうと不思議に思いました。多分「道の駅」は国土交通省、観光物産センターは市町村か農協が関連しているのだと推測されます。
JR仁井田駅あたりでは遍路道地図帳には記載されていない旧遍路道の標識とともに、接待所「風自遊庵」の案内がありました。岩本寺までまだ1時間以上歩かなければならにのでお接待をお受けすることにしました。そこは東京に住んでいる遍路経験者のご夫婦が最近(4月末)始めた「接待所」でした。家の前には「多摩」ナンバーの乗用車が置かれていました。ここで冷たい麦茶とお菓子を頂きました。ご夫婦は東京との行ったり来たりの生活をされているそうです。その場所前後の区間にはトイレ・休憩所が少ないので歩き遍路には大助かりだと思いました。こんな感じで歩き遍路サポート施設が増えて行くと「歩き遍路」の難易度は抑えら、多くの人が歩き始めることができると思います。
窪川の街中に入って「岩本寺」に参拝して今回の区切りをつけました。窪川の町で驚いたことに岩本寺の少し手前に「弦楽器製作工房」ありました。高橋バイオリン工房というその工房内には数台のバイオリンと作りかけのバイオリン、様々な木材が置かれていました。ご主人はここでバイオリンも教えられているようでした。
その後JR窪川駅に引き返して「さいたまへ戻る」算段を開始しました。2時台の高知方面特急が出たばかりだったので、高知行きは3時51分の特急に定め、飛行機の空き状況を知るためにJALの予約センターに連絡を取りました。高知−羽田の最終便は19時05分発でまだ3席空いているとのことでした。後は高知駅から高知空港までの連絡さえ上手くいけば最終に搭乗できるます。高知空港に問い合わせたところ、高知駅に17時05分に着くJRの列車に乗れば、高知駅前を17:15分に出発する空港連絡バスに乗ることができ、高知龍馬空港には17時50分には着くので、最終便には間に合うことが分かりました。この手段が円滑につながり無事にさいたまに戻ることが出来ました。今日の移動手段は非常に下記の通り非常に多彩でした。
土佐安和→第37番岩本寺 29Km 徒歩で7時間 JR窪川駅→JR高知駅 72Km 特急で74分(2,640円 JR高知→高知龍馬空港 16Km バスで33分(720円) 高知龍馬空港→羽田空港 824Km 飛行機で75分(17,890円) 羽田空港→武蔵浦和駅 53Km バスで50分(1,540円)
| 2015年05月14日(木) |
遍路十六日目(第37番岩本寺途中の安和まで) |
○宿から安和まで29Km
歩行距離:15Km 歩数:25,460歩 宿:安和の里
今日の行程は「第36番青龍寺」から「第37番岩本寺」に至る「58.5Km」の遍路道一日目です。明日岩本寺を遍路して今回の遍路の区切りとなります。岩本寺参拝を終えた後はJR窪川駅から特急列車を使って高知に戻り、高知に一泊して翌日(土曜日)の飛行機でさいたまに帰る予定にしています。足が元気で岩本寺を早く終えることが出来たなら、高知に宿泊せずにその日の最終便で買えるという選択肢も残されています。
「第36番青龍寺」は細長い横浪半島の先端にあり北側には9Kmに及ぶ深く細長い入り江があります。第37番岩本寺に向かう遍路道には3つの選択枝があります。南側の横波半島を歩くもの、もう一度北側に戻って北側の海岸道を歩くもの、そして9Kmの「浦の内湾」を船で進むものです。湾の入り口の「埋立」から湾内部の「横浪」まで「じゅんこう」と呼ばれる渡し船(須崎市営)が通っているのです。
昨日露天風呂と夕食で一緒になった北海道からのベテラン遍路が「海の中の遍路道」を強く勧めてくれました。ここは遍路道が海の中を通っているという特殊な場所なのだそうです。また「国民宿舎土佐」の方も「海の遍路道」が本来の道だと教えてくれました。というのは9Kmもある特殊な入江となっている「浦の内湾」には大きな潮の干満に伴う海流を利用して昔から渡し船が運行されていて「空海」もその渡し船を利用したという話があるようなのです。潮が引くときには湾の奥の横浪から埋立に向かう渡し船が、潮が満ちようとする場合には湾の入り口の埋立かあ湾の奥の横浪に向かう渡し船が運行されていたのだそうです。
「じゅんこう」は「埋立」から「横浪」という町を結んではいますが、船が沿岸にすむ住民の対岸に渡る交通手段であるために8箇所程度途中駅が設けられています。10:05分発の「埋立」発の渡し船には4人の遍路客の他に乗船客はおらず、船はジグザグに進むの行きましたが、途中の停留所に客がいないことを確認して素通りして結局他の客は誰も乗らずに「横浪」に到着しました。この10時の渡し船の前には7時の船があってそれには沿線の通学児童・生徒が沢山乗るようですが10時の船には遍路客の他には利用客が殆どないようです。10時の渡し船へは国民宿舎土佐の方が車で送ってくれました。宿から5Km程度の距離なのですが歩くとなると大変な道のりなのです。台風の中の長距離歩きで両足に幾つか「肉刺」を作ってしまったので無理をするのは止めました。
久し振りの朝食をゆっくり食べて9時頃ロビーに降りて車の出発を待っている時に昨日は気づかなかったのですが「パソコン」がロビーの隅にあることに気づきました。駄目で元々と歩数計データアップロードを試してみると、なんとUSBソフトダウンロードに成功し歩数データをアップロードすることができました。14日分貯められるデータは一日部だけ消えていましたが13日分は登録することができました。昨日気づいていれば全てのデータをアップロードする事ができたのですが。昨日はエレベータの無い3階の部屋から洗濯機の空き具合のチェックと露天風呂への往復など何階かロビーの前を通っていたのですが気付かなかったのでした。
渡し船の船旅は1時間程度でした。非常に美しくのんびりした船からの景色は最高です。船は17人乗り程度の小さなものですが、スピードは歩くよりずっと早いので得した気分です。運賃は620円でした。横浪に11時に到着し近くの食品店で昼食様の「おにぎりとパン」を買ってから歩きはじめました。途中「須崎市内」を抜けて「阿和」という町で宿をとりました。今日の歩行距離は15Km程度と非常に短いものとなりました。「歩き」の他に車で「5Km」、船で「9Km」移動しました。
今日の宿の民宿「安和の里」では客は私一人でした。昨日結局洗濯しなかったので昨日の分も含めてしっかり洗濯しました。天気が良かったので洗濯物は良く乾きました。「安和の里」は海から直ぐのとことにあり、二階の洗濯物干場からは綺麗で静かな海を眺めることが出来ました。高知県もここまで来るとサーファーも居なくて海はとても静かです。この日は明日しっかり歩くために足の肉刺の処置をしてタップリ眠りました。
| 2015年05月13日(水) |
遍路十五日目(第33番雪渓寺から第36番青龍寺まで) |
○宿から第33番雪渓寺まで2.6Km ○第33番雪渓寺から第34番種間寺まで6.3Km ○第34番種間寺から第35番清瀧寺まで9.8Km ○第35清瀧寺から第36番青龍寺まで13.9Km ○第36番青龍寺から宿まで2Km
歩行距離34.6Km 歩数:51,594歩 宿:国民宿舎土佐
国民宿舎桂浜荘は桂浜を見下ろす丘の上にあります。朝食は6時30分からなので、その前に桂浜の「坂本龍馬」の像を見てきました。宿の人の説明では桂浜まで徒歩で10分程度とのことでしたが、宿のある丘の上から海抜0メートルまでは坂道なので桂浜は遠く感じました。今日の遍路行程は軽く30Kmを越えるものですし、昨日の台風暴風雨の中長時間歩いたので足に「肉刺」が何カ所かできているのでこれまでほどのスピードでは歩けないと考えていて、足への負担を少しでも減らそうと考えていたからです。
しかし、折角高知まできたのに「桂浜の竜馬像」を見ないで帰るのはもったいないので、足への負担は二の次にして見に行ったのでした。坂本竜馬の像は太平洋の朝日を望む丘の上にありました。像のレプリカは何度も見ていますし、家にも小さな長崎土産のミニチュア像がありますが本物は非常に大きいものです。高知における龍馬の存在の大きさを実感できる像です。桂浜には「龍馬」と並んで有名な「土佐犬」のショーがあるようでした。
今日は高知県の西方面の4カ所の札所を回りました。宿屋を7時に出発して「第33番雪蹊寺」「第34番種間寺」「第35番清瀧寺」「第36番青龍寺」とまわりました。宿から「雪渓寺」まで1.2Kmだと思っていた「2.6Km]もあることがわかり、一日の歩行距離は延びました。これに朝「龍馬像」を見に行っているのでトータルで3.5Kmほど追加に歩いた感じです。因みに今日の予定歩行距離は「34.6Km」ですから35Km以上は歩いたことになります。
今日の遍路道周辺の風景は高知市・土佐市の田園風景です。昨日の雨で各所で用水路の水嵩が増しているのですが、大きめの川とか1m幅位の用水路等で大きな「鯉」の産卵シーンが各所で見られました。30cm位の鯉が集まってバシャバシャ水音を立てていました。遍路道沿いの小さな川で30cm程の鯉が泳いでいることには驚きました。
高知県南部のこのあたりで「猫」に首輪を掛けてリーシュで繋いでいる所を何か所かで見ました。紐で繋がれていることに慣れている猫は堂々と「家猫顔」でいますが、慣れていない猫は何とかして紐の束縛から逃れたがっているようでした。紐で繋いだ猫は運動させないと太るばかりですから犬と同じように散歩させるのでしょうか。野良猫と区別するためにしっかり束縛しておくという飼い方はそれなりに意義があると思いました。
「第35番清瀧寺」で休んでいた女性遍路から小振りの「キュウリ」を数本貰いました。彼女は沿道でキュウリを買って、食べるに便利なように塩でもんでもらったのだそうで10本近い小さなキュウリを持っていました。また昨日の雨で「IPAD」が濡れたが大丈夫だったとも言っていました。非常に大きなリュックを背負っている理由が分かりました。私もお接待に大きな夏蜜柑二つを頂きましたがそれを手にぶら提げて歩くのは結構大変でした。「青龍寺」へ行くまでの旧遍路道を登る前に自動車で遍路されているご夫婦から「森永ミルクキャラメル」のお接待を頂きました。小さいお接待は有難いです。
「第36番青龍寺」に行くには「宇佐大橋」という大きな橋を渡らければなりません。実は青龍寺は9Kmもある「浦の内湾」の南側の横浪半島(と言うらしい)の先端近くにあるのです。宇佐大橋が渡している狭い海峡はさらに9Kmも奥に広がっているのです。青龍寺のある横浪半島にはスポーツで大活躍の「高知明徳義塾」があるのです。遍路道沿いでも何か所かで看板を観ました。元横綱「朝青龍」は明徳義塾高校を中退して角界入りしました。朝「青龍」の四股名は「青龍寺」から採られています。ゴルフ界でも松山秀樹、横峰さくらを輩出しています。
今日の宿の「国民宿舎土佐」は眺望の良い露天風呂で有名なのだそうです。「第28番大日寺」下の宿「喫茶きらく」でいっしょになった九州からきているベテラン遍路の方から強烈に勧められました。しかし残念ながらサービス抜群の「国民宿舎桂浜荘」の後だったので、その設備とサービスでは見劣りしていました。3階の部屋を使わせてもらいましたが、洗濯コーナーは一階にあって、私が宿についた時には3台ある洗濯機は全て使われていました。洗濯器の空きを確認するために洗濯物を持って2回程一階を往復しましたが疲れるのでこの日の洗濯は諦めました。エレベータの無い中での3階までの往復はキツかったです。 「国民宿舎土佐」の夕食でご夫婦二人と「犬」で遍路されているという面白い遍路客にあいました。奥様は旦那様のリュックだとか「犬」の必要な装備が全て積んで車を運転して札所を回る「車遍路」をし、旦那様は荷物を車に置いて軽装備で歩き遍路をしているいのだそうです。「太り気味な犬」も歩き遍路に付き合っているのだそうですが、歩く距離は「8Km位」が限度なのだそうです。奥様は先回りして、遍路道のスーパーで待っていたり札所の駐車場で待っているのだそうです。そして宿泊地で合流するのです。最近は歩き遍路は減少傾向にあり「車遍路」「バス遍路」が主流になっていて各札所にはそうした変化に対応して駐車場が完備されています。夫婦のお遍路する場合にはどうしても体力差があって女性に合わせた歩行になることは仕方ないことですが「歩き+車」遍路は便利だと思いました。四国に近い地域の方なら一層便利でしょう。因みにこの夫婦は九州から遍路だとおっしゃていました。
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