KENの日記
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2015年05月17日(日) 「大阪都構想」否決

大阪維新の会の橋下代表が提案する「大阪都構想」に関する大阪市民の住民投票が行われました。この「大阪都構想」に対しては「自民、民主、公明、共産」の与野党が共闘して反対運動を繰り広げました。橋下代表は「大阪都構想」が否決されたときには政界を引退するという背水の陣で臨みましたが、結果は約1万票の差で否決されました。NHKの開票速報では開票作業の終盤で「大阪都構想」賛成表が反対票を上回っている段階で「否決確定」を放送しました。NHKの勇み足かなと思いながら観ていましたが、結果的には残された票の中に「反対票」が多かったようで速報どおり否決されました。開票の方法・順序・報告などの方法に恣意性があるのかと疑ってしまうような開票作業とNHKの報道でした。

投票前には「大阪都構想」反対が優勢だと報道されていましたが大阪維新の会は選挙運動後半で大分頑張って接戦まで持ち込みました。NHKの投票所出口調査によると60歳以上では「大阪都構想」反対者が多かったと報道していますが、「大阪都構想」が現在の大阪市の高齢者福祉政策を後退させるのではないかという疑念が大きかったのだと思います。「府と市の二重行政の無駄を省く」という正論が「住民サービス低下」という市民の直接的利害関係に負けた格好です。また市・府の議会・役所の既成組織に勤める人達(管理者も組合員も、与党も野党も)自分達の職場を守ることで利害が一致しますから、基本的に「大阪都構想」には反対でしょう。維新の会は善戦したと思います。



2015年05月16日(土) ベルリンフィル後任指揮者決まらず

さいたまに帰ってインターネットで最近の情報を確認したのですが、まずベルリンフィルの後任常任指揮者の選挙が行なわれましたが、結局今回は決まらずに1年以内にもう一度選挙を行なうことになったとのことです。5月11日午前10時、ベルリン市郊外に124人の団員が出席して指揮者選出会議が開催されました。会議は日没まで続いたようですが意見がまとまらず、選出選挙は「1年以内に会合をやり直す」ことになったということです。

オーケストラ役員の「ペーター・リーゲルバウアー」氏は記者会見で、数回の投票を繰り返したにもかかわらず「残念ながら選出には至らなかった」と述べたそうです。選挙の過程でどのような「名前」が出て、「何票」獲得したのか分かりませんが「相対多数」で決めないところに今回の難しさがあったのだと思います。

現職ラトルの後任として名前が挙がっているのは、ベルリン出身のドレスデン国立歌劇場管弦楽団のクリスティアン・ティーレマン(56)、ラトビア出身で米ボストン交響楽団と英バーミンガム市交響楽団を掛け持つアンドリス・ネルソンス(37)、ベネズエラ出身で米ロサンゼルス・フィルハーモニックの指揮者、グスターボ・ドゥダメル(34)の3人がショートリストに残ったと観る向きが多いようです。

この3人から一人選ぶことは現時点で困難だということでしょう。私の観想を言うと、ティーレマンは「地元出身」ですが、その指揮ぶり・音楽は非常に硬い印象で、「風貌」も嘗ての「ドイツ」のムードが漂う「危険な匂い」のする人柄だと思います。一方「ネルソンス」は人柄円満・指揮ぶりも天真爛漫な感じで好感度は高いのですが、「音楽の深さ」に疑問符が付きますし、「円熟するとどうなるのか(単なる良い人で終わる)」という心配があります。「ドュダメル」はその才能は誰しも認めるのですが、その才能は「壊れやすいガラス」のような脆弱さを感じざるを得ません。「ドュダメル」もこれからどのように円熟していくのか見えない指揮者です。これから一年間でどのような指揮者がベルリンフィルを振り、その成果がそのようなものとなるのかが選出の鍵となることでしょう。



2015年05月15日(金) 遍路十七日目(第37番岩本寺)

○安和から第37番岩本寺まで(29Km)
○JR窪川駅からJR高知駅へ(JR特急南風24号(15:51))
○JR高知駅から高知龍馬空港へ(とさでん交通)
○高知龍馬から羽田空港へ(JAL498便)
○羽田空港から武蔵浦和へ(エアポートバス)

歩行距離:29Km、歩数:46,510歩 自宅に戻り。

第36番青龍寺から第37番岩本寺への遍路道58.5Kmの後半です。宿泊地の「安和」から岩本寺のある「窪川」まで歩きました。岩本寺が今回の遍路の「区切り」となります。岩本寺の太子堂で太子に区切りのご挨拶をしました。予定では高知市内に戻り、そこで一泊して明日(土曜日)に「さいたま」に戻ろうかと考えていたのですが、高知市内の桂浜も見たし、飛行機の最終便に空席があるのなら今日中に戻ってしまおうと考えました。

安和から次の街「土佐久礼」までの間は、本来旧遍路道と国道56号線が二つの選択肢があるのですが、旧遍路道が土砂崩れで通行止めなので「国道」を歩いていく方法しかありませんでした。国道には「焼坂トンネル」という800mの長さのトンネルがあり、トンネル内は暗く歩行者用の路肩が狭いので大変危険です。ここではトンネル手前で貸し出されている「反射タスキ」を着けて歩きました。

土佐久礼からは二つの旧遍路道(そえみみず遍路道、大坂遍路道)と国道56号線が走っていますが、大坂遍路道が通行不能となっているので「そえみみず遍路道」を通りました。「そえみみず遍路道」は途中で高知自動車道を交差しているのですが、遍路道を高速道路の下を潜らすために、一旦高速道路下まで階段で降り、反対側で急な階段を連続して登るように遍路道を補修していました。登りの階段は非常に長いので、疲れたお遍路を苛めるかのような感じを受けます。高速道路設計者は遍路のことは余り考えなかったのだと思いますが、新たな「遍路ころがし」出現です。

国道を歩いていると「道の駅」「観光物産センター」が近くに連続して設営されている場所が何箇所かあることに気付きました。施設はドライバーのトイレ・休憩場所だったり、土産物が買えたり、食事が食べられたりしますが、その内容は殆どダブっているようです。なんでこんな無駄なことをするのだろうと不思議に思いました。多分「道の駅」は国土交通省、観光物産センターは市町村か農協が関連しているのだと推測されます。

JR仁井田駅あたりでは遍路道地図帳には記載されていない旧遍路道の標識とともに、接待所「風自遊庵」の案内がありました。岩本寺までまだ1時間以上歩かなければならにのでお接待をお受けすることにしました。そこは東京に住んでいる遍路経験者のご夫婦が最近(4月末)始めた「接待所」でした。家の前には「多摩」ナンバーの乗用車が置かれていました。ここで冷たい麦茶とお菓子を頂きました。ご夫婦は東京との行ったり来たりの生活をされているそうです。その場所前後の区間にはトイレ・休憩所が少ないので歩き遍路には大助かりだと思いました。こんな感じで歩き遍路サポート施設が増えて行くと「歩き遍路」の難易度は抑えら、多くの人が歩き始めることができると思います。

窪川の街中に入って「岩本寺」に参拝して今回の区切りをつけました。窪川の町で驚いたことに岩本寺の少し手前に「弦楽器製作工房」ありました。高橋バイオリン工房というその工房内には数台のバイオリンと作りかけのバイオリン、様々な木材が置かれていました。ご主人はここでバイオリンも教えられているようでした。

その後JR窪川駅に引き返して「さいたまへ戻る」算段を開始しました。2時台の高知方面特急が出たばかりだったので、高知行きは3時51分の特急に定め、飛行機の空き状況を知るためにJALの予約センターに連絡を取りました。高知−羽田の最終便は19時05分発でまだ3席空いているとのことでした。後は高知駅から高知空港までの連絡さえ上手くいけば最終に搭乗できるます。高知空港に問い合わせたところ、高知駅に17時05分に着くJRの列車に乗れば、高知駅前を17:15分に出発する空港連絡バスに乗ることができ、高知龍馬空港には17時50分には着くので、最終便には間に合うことが分かりました。この手段が円滑につながり無事にさいたまに戻ることが出来ました。今日の移動手段は非常に下記の通り非常に多彩でした。

土佐安和→第37番岩本寺 29Km 徒歩で7時間
JR窪川駅→JR高知駅  72Km 特急で74分(2,640円  
JR高知→高知龍馬空港  16Km バスで33分(720円)
高知龍馬空港→羽田空港 824Km 飛行機で75分(17,890円)
羽田空港→武蔵浦和駅   53Km バスで50分(1,540円)



2015年05月14日(木) 遍路十六日目(第37番岩本寺途中の安和まで)

○宿から安和まで29Km

歩行距離:15Km 歩数:25,460歩 宿:安和の里

今日の行程は「第36番青龍寺」から「第37番岩本寺」に至る「58.5Km」の遍路道一日目です。明日岩本寺を遍路して今回の遍路の区切りとなります。岩本寺参拝を終えた後はJR窪川駅から特急列車を使って高知に戻り、高知に一泊して翌日(土曜日)の飛行機でさいたまに帰る予定にしています。足が元気で岩本寺を早く終えることが出来たなら、高知に宿泊せずにその日の最終便で買えるという選択肢も残されています。

「第36番青龍寺」は細長い横浪半島の先端にあり北側には9Kmに及ぶ深く細長い入り江があります。第37番岩本寺に向かう遍路道には3つの選択枝があります。南側の横波半島を歩くもの、もう一度北側に戻って北側の海岸道を歩くもの、そして9Kmの「浦の内湾」を船で進むものです。湾の入り口の「埋立」から湾内部の「横浪」まで「じゅんこう」と呼ばれる渡し船(須崎市営)が通っているのです。

昨日露天風呂と夕食で一緒になった北海道からのベテラン遍路が「海の中の遍路道」を強く勧めてくれました。ここは遍路道が海の中を通っているという特殊な場所なのだそうです。また「国民宿舎土佐」の方も「海の遍路道」が本来の道だと教えてくれました。というのは9Kmもある特殊な入江となっている「浦の内湾」には大きな潮の干満に伴う海流を利用して昔から渡し船が運行されていて「空海」もその渡し船を利用したという話があるようなのです。潮が引くときには湾の奥の横浪から埋立に向かう渡し船が、潮が満ちようとする場合には湾の入り口の埋立かあ湾の奥の横浪に向かう渡し船が運行されていたのだそうです。

「じゅんこう」は「埋立」から「横浪」という町を結んではいますが、船が沿岸にすむ住民の対岸に渡る交通手段であるために8箇所程度途中駅が設けられています。10:05分発の「埋立」発の渡し船には4人の遍路客の他に乗船客はおらず、船はジグザグに進むの行きましたが、途中の停留所に客がいないことを確認して素通りして結局他の客は誰も乗らずに「横浪」に到着しました。この10時の渡し船の前には7時の船があってそれには沿線の通学児童・生徒が沢山乗るようですが10時の船には遍路客の他には利用客が殆どないようです。10時の渡し船へは国民宿舎土佐の方が車で送ってくれました。宿から5Km程度の距離なのですが歩くとなると大変な道のりなのです。台風の中の長距離歩きで両足に幾つか「肉刺」を作ってしまったので無理をするのは止めました。

久し振りの朝食をゆっくり食べて9時頃ロビーに降りて車の出発を待っている時に昨日は気づかなかったのですが「パソコン」がロビーの隅にあることに気づきました。駄目で元々と歩数計データアップロードを試してみると、なんとUSBソフトダウンロードに成功し歩数データをアップロードすることができました。14日分貯められるデータは一日部だけ消えていましたが13日分は登録することができました。昨日気づいていれば全てのデータをアップロードする事ができたのですが。昨日はエレベータの無い3階の部屋から洗濯機の空き具合のチェックと露天風呂への往復など何階かロビーの前を通っていたのですが気付かなかったのでした。

渡し船の船旅は1時間程度でした。非常に美しくのんびりした船からの景色は最高です。船は17人乗り程度の小さなものですが、スピードは歩くよりずっと早いので得した気分です。運賃は620円でした。横浪に11時に到着し近くの食品店で昼食様の「おにぎりとパン」を買ってから歩きはじめました。途中「須崎市内」を抜けて「阿和」という町で宿をとりました。今日の歩行距離は15Km程度と非常に短いものとなりました。「歩き」の他に車で「5Km」、船で「9Km」移動しました。

今日の宿の民宿「安和の里」では客は私一人でした。昨日結局洗濯しなかったので昨日の分も含めてしっかり洗濯しました。天気が良かったので洗濯物は良く乾きました。「安和の里」は海から直ぐのとことにあり、二階の洗濯物干場からは綺麗で静かな海を眺めることが出来ました。高知県もここまで来るとサーファーも居なくて海はとても静かです。この日は明日しっかり歩くために足の肉刺の処置をしてタップリ眠りました。



2015年05月13日(水) 遍路十五日目(第33番雪渓寺から第36番青龍寺まで)

○宿から第33番雪渓寺まで2.6Km
○第33番雪渓寺から第34番種間寺まで6.3Km
○第34番種間寺から第35番清瀧寺まで9.8Km
○第35清瀧寺から第36番青龍寺まで13.9Km
○第36番青龍寺から宿まで2Km

歩行距離34.6Km 歩数:51,594歩 宿:国民宿舎土佐

国民宿舎桂浜荘は桂浜を見下ろす丘の上にあります。朝食は6時30分からなので、その前に桂浜の「坂本龍馬」の像を見てきました。宿の人の説明では桂浜まで徒歩で10分程度とのことでしたが、宿のある丘の上から海抜0メートルまでは坂道なので桂浜は遠く感じました。今日の遍路行程は軽く30Kmを越えるものですし、昨日の台風暴風雨の中長時間歩いたので足に「肉刺」が何カ所かできているのでこれまでほどのスピードでは歩けないと考えていて、足への負担を少しでも減らそうと考えていたからです。

しかし、折角高知まできたのに「桂浜の竜馬像」を見ないで帰るのはもったいないので、足への負担は二の次にして見に行ったのでした。坂本竜馬の像は太平洋の朝日を望む丘の上にありました。像のレプリカは何度も見ていますし、家にも小さな長崎土産のミニチュア像がありますが本物は非常に大きいものです。高知における龍馬の存在の大きさを実感できる像です。桂浜には「龍馬」と並んで有名な「土佐犬」のショーがあるようでした。

今日は高知県の西方面の4カ所の札所を回りました。宿屋を7時に出発して「第33番雪蹊寺」「第34番種間寺」「第35番清瀧寺」「第36番青龍寺」とまわりました。宿から「雪渓寺」まで1.2Kmだと思っていた「2.6Km]もあることがわかり、一日の歩行距離は延びました。これに朝「龍馬像」を見に行っているのでトータルで3.5Kmほど追加に歩いた感じです。因みに今日の予定歩行距離は「34.6Km」ですから35Km以上は歩いたことになります。

今日の遍路道周辺の風景は高知市・土佐市の田園風景です。昨日の雨で各所で用水路の水嵩が増しているのですが、大きめの川とか1m幅位の用水路等で大きな「鯉」の産卵シーンが各所で見られました。30cm位の鯉が集まってバシャバシャ水音を立てていました。遍路道沿いの小さな川で30cm程の鯉が泳いでいることには驚きました。

高知県南部のこのあたりで「猫」に首輪を掛けてリーシュで繋いでいる所を何か所かで見ました。紐で繋がれていることに慣れている猫は堂々と「家猫顔」でいますが、慣れていない猫は何とかして紐の束縛から逃れたがっているようでした。紐で繋いだ猫は運動させないと太るばかりですから犬と同じように散歩させるのでしょうか。野良猫と区別するためにしっかり束縛しておくという飼い方はそれなりに意義があると思いました。

「第35番清瀧寺」で休んでいた女性遍路から小振りの「キュウリ」を数本貰いました。彼女は沿道でキュウリを買って、食べるに便利なように塩でもんでもらったのだそうで10本近い小さなキュウリを持っていました。また昨日の雨で「IPAD」が濡れたが大丈夫だったとも言っていました。非常に大きなリュックを背負っている理由が分かりました。私もお接待に大きな夏蜜柑二つを頂きましたがそれを手にぶら提げて歩くのは結構大変でした。「青龍寺」へ行くまでの旧遍路道を登る前に自動車で遍路されているご夫婦から「森永ミルクキャラメル」のお接待を頂きました。小さいお接待は有難いです。

「第36番青龍寺」に行くには「宇佐大橋」という大きな橋を渡らければなりません。実は青龍寺は9Kmもある「浦の内湾」の南側の横浪半島(と言うらしい)の先端近くにあるのです。宇佐大橋が渡している狭い海峡はさらに9Kmも奥に広がっているのです。青龍寺のある横浪半島にはスポーツで大活躍の「高知明徳義塾」があるのです。遍路道沿いでも何か所かで看板を観ました。元横綱「朝青龍」は明徳義塾高校を中退して角界入りしました。朝「青龍」の四股名は「青龍寺」から採られています。ゴルフ界でも松山秀樹、横峰さくらを輩出しています。

今日の宿の「国民宿舎土佐」は眺望の良い露天風呂で有名なのだそうです。「第28番大日寺」下の宿「喫茶きらく」でいっしょになった九州からきているベテラン遍路の方から強烈に勧められました。しかし残念ながらサービス抜群の「国民宿舎桂浜荘」の後だったので、その設備とサービスでは見劣りしていました。3階の部屋を使わせてもらいましたが、洗濯コーナーは一階にあって、私が宿についた時には3台ある洗濯機は全て使われていました。洗濯器の空きを確認するために洗濯物を持って2回程一階を往復しましたが疲れるのでこの日の洗濯は諦めました。エレベータの無い中での3階までの往復はキツかったです。

「国民宿舎土佐」の夕食でご夫婦二人と「犬」で遍路されているという面白い遍路客にあいました。奥様は旦那様のリュックだとか「犬」の必要な装備が全て積んで車を運転して札所を回る「車遍路」をし、旦那様は荷物を車に置いて軽装備で歩き遍路をしているいのだそうです。「太り気味な犬」も歩き遍路に付き合っているのだそうですが、歩く距離は「8Km位」が限度なのだそうです。奥様は先回りして、遍路道のスーパーで待っていたり札所の駐車場で待っているのだそうです。そして宿泊地で合流するのです。最近は歩き遍路は減少傾向にあり「車遍路」「バス遍路」が主流になっていて各札所にはそうした変化に対応して駐車場が完備されています。夫婦のお遍路する場合にはどうしても体力差があって女性に合わせた歩行になることは仕方ないことですが「歩き+車」遍路は便利だと思いました。四国に近い地域の方なら一層便利でしょう。因みにこの夫婦は九州から遍路だとおっしゃていました。



2015年05月12日(火) 遍路十四日目(第29番国分寺から第32番禅師峰時まで)

○第28番大日寺から第29番国分寺9.2Km
○第29番国分寺から第30番善楽寺まで6.9Km
○第30番善楽寺から第31番竹林寺まで6.6Km
○第31番竹林寺から第32番禅師峰寺まで5.7Km
○第32番禅師峰寺から宿まで6.5Km

距離34.9Km、歩数:57,233歩、宿舎:国民宿舎桂浜荘

この日は遍路道は高知市内を北から縦断するように走っています。遍路道は途中土佐電の市内電車の文殊通駅を通過することになるので、一旦文殊通駅で遍路道を離れ電車に高知市内に出てホテルに荷物を置き、軽装となって再び文殊通駅から遍路を始めようと考えていたのですが、それは止めて出来るだけ先に進むことにしました。高知市内では「桂浜だけ」は見ておきたいと考えていたのですが、第32番禅師峰寺から少し頑張れば「桂浜」に近い宿に泊まることが出来るのでそこで宿を取ることしたのでした。その結果この日の歩行距離は約35Kmと今回の遍路で最長となりました。

一方で今日は台風6号が高知県に接近する日に当たってしまいました。天気予報では昼前から午後・夜にかけて暴風雨となると報じていました。台風季節がまだ早いとは言え、高知県に近づく台風は関東で経験する台風と違って「活きが良い」でしょうから気を付けなければなりません。雨が降り出す前にできるだけ距離を稼いでおきたかったので、朝食は抜きにして代わりに「オムスビ」を作ってもらって朝5時に宿を出発しました。暗いと道を間違える恐れがありますので、明るくなって遍路道の目印が分かるようになるのが5時だったのです。

朝5時は厚い雲が垂れ下がっていましたが雨・風はまだ無くて、第28番大日寺下の宿を出発してから次の「第29番国分寺」まで雨は降りませんでした。ところが国分寺で参拝している間に台風特有の急な土砂降りとなりました。国分寺の寺の庇下を借りてカッパの上下を身に付け、菅笠にビニールカバーを付け、リュックにカバーをしました。この後散発的に激しくなる台風の雨・風は午後5時過ぎまで続きました。一方台風の動きは天気予報よりは早く午後6時過ぎには台風一過で夕焼けと虹が綺麗に見える天気となりました。

今日の激しい雨・風に「弱点」を露呈したのが「カッパ」と「リュック」でした。カッパは遍路に取り組むに当たって新規購入も考えたのですが、大昔買った「ゴルフ用」の上下カッパがあったのでこれに防水スプレーで防水処理を施して持ってきたのでした。遍路一回目の使用ではまあまあ防水機能が働いていましたが、二回目に当たる今日の豪雨には対応できす、カッパを着けても下にどんどん雨が染み込む状態となってしまいました。体温の低下で風をひかないように気を付けました。このカッパは汚れも目立つし防水機能は全く無いので捨てることにしました。一方で竹林寺で「50円(ダイソウ製)」のカッパを売っていたので購入して上限カッパの上に着ました。これは新たに雨の侵入がない分身体を冷やさずに済んだので良かったと思います。

リュックの弱点も「防水機能」です。リュック用の防水カバーを買って持ってきているのですが、台風の激しい雨においてはリュックが背中と接する部分から雨水がリュックに侵入しリュックの中身が全部びしょぬれに成ってしまいました。宿についてから着ていた衣類とリュック内の衣類全部を洗濯しました。更に宿の部屋の中ではエアコンの乾燥機能を全開にして、靴・リュックなど洗濯できないものを乾かしました。台風の暴風雨の中を11時間以上歩いたのですから、どんな立派な装備でもずぶぬれにはなったと思います。

雨の影響で道にも迷いました。遍路地図該当ページのコピーを持ち歩いているのですが、それが雨に濡れてしまって使えない状態になってしまい目印も見失って何度か道に迷いました。高知県内の遍路道は徳島県の遍路道に比べて目印の数が少ないようですがこれが迷った原因のひとつです。また高知市内の五大山という山には札所第31番竹林寺と「牧野植物園」が同居しています。遍路の印もあれば植物名を記した名札もぶらさがっています。そして台風の暴風雨の中ですから、できるだけ後戻りしたくないという気持ちが優先したり、五台山で植物の名札があったので安心して進みすぎてしまったのだと思います。ガソリンスタンド、一般の民家の方に道を聞いて何とか遍路道に戻ることができましたし、五台山では牧野植物園で台風の最中に作業されていた方に道を聞いて編路道に戻ることが出来ました。結果的に距離的にはそれほどロスはしなかったのですが気分的に大分不安でした。

今日の遍路の道すがらどうしても寄りたかった場所が二つありました。それらに寄りながら午後4時30分前には宿に着いたのですからびしょ濡れになりながら大変頑張ったと思います。その一つは「仙台伊達騒動」の主役のひとり「伊達兵分」の墓です。伊達騒動で幕府から藩主後見人としての責任を問われた伊達兵部は仙台伊達藩から「土佐藩預かり」となって高知で亡くなったのでした。その墓が五台山中腹にありました。この墓を捜し求めたことも道に迷った原因の一つではありました。

もうひとつは「武市半平太」の生家・墓です。武市半平太は幕末土佐藩の土佐勤王党の親玉です。土佐藩からは坂本竜馬・中岡新太郎等の幕末の英雄が生まれていますが、武市半平太は坂本竜馬・中岡新太郎の兄貴分に当たる存在であり、幕末の騒擾を生き延びていれば「西郷・大久保」に並ぶ指導者になっていたとされる人物です。残念ながら藩主の山内容堂と折り合いが悪かったこともあり様々な騒擾の責任を背負って切腹させられました。

武市半平太の生家は山裾にある大きな農家でした。家の裏山には武市家の墓があり、半平太と妻「富」の墓が並んで立っていました。家の方が武市家とは別の方の所有となっていますが入口の門から中を覗くことが出来ました。昔の姿がそのまま残っていました。

今日の宿は「国民宿舎桂浜荘」です。龍馬像で有名な「桂浜」に近く隣には坂本龍馬記念館があります。残念ながら夕方到着し朝早く出発するので龍馬記念館は見学することはできませんでした。「桂浜荘」は遍路宿というよりは観光客用の宿で遍路客用に「遍路パック」という安い料金設定コースがあります。お風呂も料理も同じですが料金だけディスカウントされているようで非常に有難いです。この宿のサービス精神は特筆にあたいするでしょう。非常に細かいところまで配慮されているのです。一例を上げると空の電気ポットと茶器が備えられているのですが、水道からポットに水を汲むための特別な形をしたコップが備えられていました。各部屋に備えられたお尻粗い装置付き便器は非常に嬉しいものでした。晩御飯・朝御飯も非常に美味しかったです。

台風の暴風雨中長時間歩いたので足に「肉刺」が何カ所かできてしまいました。靴の中で水がジャブジャブ言うくらい水浸し状態だったのでふやけた足の裏の皮には酷な歩きでした。宿の部屋で教科書通り「肉刺」を潰して水を出し消毒した後に保護のためにテーピングしました。しかし「肉刺」の痛みはかなりな物なので明日が心配です。



2015年05月11日(月) 遍路十三日目(第28番大日寺まで)

○宿から第28番大日寺まで31Km

距離:31Km 歩数:47,645歩 宿:民宿喫茶きらく

今日は第27番神峰寺麓の「ドライブイン27」から高知市に向けて歩きます。昨日夕方に前方の「下山」まで進んでおいたので今日はその地点までバスで移動しました。7時丁度の朝一番のバスに乗ったのですが、車内の二人掛けの席では傍らにカバンと荷物を置いて席を一人で独占した高校生が爆睡していました。彼らは毎日このバスで通学しているに違いありません。偶々乗り合わせた遍路が彼らの邪魔はできません。一番後方の席で小さくなっていました。

今日の遍路道は「国道55号線」「土佐黒潮鉄道ごめん・なはり線」に沿った「歩道・サイクリングロード」をひたすら歩くことになりました。海岸端の道なので傾斜はありませんので退屈凌ぎに「歌の練習」をするには絶好の区間でした。この区間は左手に太平洋を見ながら進むだけで非常に退屈する区間です。「退屈=疲れる」という公式が成り立つようで、この日泊まった「きらく」のおかみさんは「第27番からやって来る遍路客の無断キャンセルが多い」と嘆いていました。私も電話で宿を予約したときにおばさんから「どこから歩き始めるのか?足に自信はあるか?」などの鋭い質問を受けました。そんなこともあって今日は頑張って午後4時過ぎには宿に着くようにしました。

今日の遍路道沿いでは二つの面白い場所がありました。ひとつは直立する「道路」です。高知県香南市夜須町に差し掛かる下り坂から見えた光景です。アスファルトで舗装された「道路」が90度近く切り立っているものでした。これは実際には「橋」で「高知県手結港臨港道路可動橋」というもだそうです。私の見たのは橋が持ち上がっているところでした。そして橋を眺めていると橋がだんだん下がり始めました。午後1時になって橋が降りる時間になったのでした。

香南市の街中には古い建物などを解説した立て札が沢山たっていました。それほど珍しかったり貴重だったりしないけれど、街が嘗ての伝統を大切にしているのだろうなと想像しながら歩きました。そんな雰囲気の中で「絵金蔵」に遭遇しました。遍路道に「絵金蔵→」という看板を見つけたのでした。「絵金蔵」という妙な名前に釣られて寄道してみると、そこには立派なミュージアムと劇場がありました。今は香南市ですが嘗ての赤岡の町には江戸から明治期に活躍した画家の「弘瀬金蔵(絵金)」という画家が住んでおり、襖に描かれた絵金の浮世絵が多く残っているのだそうです。更にその絵金の描いた「浮世絵」をバックにした「芝居」が行なわれ、そうした伝統文化保護に賛同した「市川海老蔵」公演も今年の秋に行なわれるのだそうです。非常に元気な「香南市赤岡」の町を発見しました。「絵金蔵」のことを教えてくれた家には「大きな身体の可愛い声をした猫」が飼われていました。名前は「じゃじゃまる」だそうで8歳になる三毛猫です。体重は5Kgで少し太り気味でした。この辺りでは有名な猫なのだそうです。

今日は終日良い天気で気持ちよく歩くことができましたが、明日はは「台風6号」が接近するので天候が心配です。台風は今日の夜中から沖縄石垣島に接近して前線を活発化させるために、明日の高知県の天気予報は昼前から暴風雨です。



2015年05月10日(日) 遍路十二日目(第27番神峰寺)

○宿から第27番神峰寺まで25.9Km
○第27番神峰寺から下山まで6.5Km

歩行距離:32.4Km 歩数:53,196歩 宿:ドライブイン27

民宿「うらしま」には黒猫の「しま」が飼われています。まだ若い感じです。依然は「うら」という兄弟黒猫がいたそうですが交通事故でなくなってしまったそうです。民宿「うらしま」さんの前の通りはバスも通る結構交通量の通りでした。

今朝7時13分のバスで出発しようと考えていたのですが、「うらしま」を出発するときに、宿の奥さんが6時59分のバスでも間に合うと言うのでついその言葉に乗って急いでしまいました。バスには無事に乗れたのですが、座席に腰掛けるときに吸水ストローをどこかに引っかけてしまったらしく、水が漏れ出ていることに降りる間際に気づきました。飲み口が外れて床に落ちていしまっていたことには気がつき拾ったのですが、二つあるチューブ固定装置の一つがリュックから外れて無くなっていることにバスを降りてから気づきました。チューブ固定装置は一つでも十分固定可能なので利用には支障がでませんが、急いでしまったことによって注意力が散漫になっていたことがこの失敗の原因です。やはり自分のぺースを守らないと不都合な事が起こります。

今日遍路道の途中の公衆電話で11日、12日の宿を予約しました。事前に想定していた宿より少し先の宿を選びました。事前に想定したプランでは「自分の体力」に自信が無く、標準的な遍路の一日に歩く距離をベースにして、後半は体力不足でバテる可能性を想定し、高知県に入ってからは少し余裕を持った計画になっていました。しかし実際に歩いてみると、毎日の通勤で歩く訓練ができていたからだと思いますが、一日に歩ける歩数は少し多めにしても大丈夫なことが分かりました。体力不足に陥るのではなく多めの歩数に身体が順応できるようになっているようです。

今日の予定は結構厳しいもので、昨日進んでおいた「道の駅キラメッセ室戸」までバスで移動し、そこから21.9Km歩いて、今日の宿の「ドライブイン27」にリュックをおいて宿から4Km先の「第27番神峯寺」を参拝し、そこから次の札所に向かって出来るだけ進もうと計画しました。結果としては更に6.5Km程あるいて「下山」というバス停まで進み、そこから今夜の宿「ドライブイン27」にバスで戻ってきました。

「神峯寺」までの往復は、さすがに20Km以上歩いた後の山登りだったので厳しいものでした。途中横浜からきている「原田さん」にあいました。原田さんとは「徳増」・「うらしま」と宿が一緒でした。72才だという原田さんは、華奢な身体ながら山登りで鍛えた脚力と近代的遍路装備(くつ、リュック、水筒など)と常に早め早めに対応する用意周到さでどんどん健康的に進んでいます。私も原田さんを見習って、午後に時間と体力のある限り少しでも前に進んでおくという作戦を取ることにしたのでした。

「ドライブイン27」はレストラン、民宿、お遍路用品販売の店です。そこのお婆ちゃんの話では山の中腹まで農地があるのですが今では他人に貸しているそうです。この宿もお婆ちゃんと娘さん(忙しい時に手伝いに来る)がやっているようです。従って大勢の遍路客を扱うことはできません。宿泊施設はドライブインとは別で少し離れた住宅に隣接する古い民家を活用していて、そこまでは「娘さん(といっても孫がいますが)」が車で送ってくれます。宿の建物は古くて狭いものでした。宿泊可能な部屋は二間だけで、トイレ・風呂は建物の外に別作りになっています。トイレの外に電気が付いていましたが、各個室の電気が無いので夜中に大変苦労してしまいました。最近の遍路はこういう施設は好まないだろうなと思いました。

「ドライブイン27」の宿泊客は私一人のはずでしたが、夕方遅く若い学生風の遍路がふらっとやって来ました。食事の準備は出来ないようなので「娘さん」といっしょにスーパーに食事の買出しに出かけたようです。この宿が一杯だったときは「駅」にでも泊まれるような装備を背負っている若者でした。(彼とはこの後何回か会いました。追記)

今日は歩きの途中で「奈半利駅」を通過しました。奈半利駅は「後免なはり線」というローカル線の終点駅です。後免からは高知までは「JR」が通じています。殆どのの列車は高知か高知の先まで行きます。「後免」からのJRは「窪川」まで延びていて、その先は「宿毛」まで「中村宿毛線」となっています。今回の遍路は「窪川」にある「第37番岩本寺」まで行く予定としました。「窪川」から「高知」までは特急列車で「約1時間」かかります。利用可能な特急列車は以下ようになります。

窪川(15:51)→高知(16:05)→岡山(19:41)
窪川(17:30)→高知(18:34)
窪川(18:24)→高知(19:26)
窪川(20:12)→高知(21:15)



2015年05月09日(土) 遍路十一日目(室戸岬を目指す3日目、第24番最御崎寺から第26番金剛頂寺まで)

○宿から第24番最御崎寺まで15.5Km
○第24番最御崎寺から第25番津照寺まで6.5Km
○第25番津照寺から第26番金剛頂寺まで3.8Km
○第26番金剛頂寺から道の駅キラメッセまで1.6Km

歩行距離:27.4Km 歩数:44,562歩 宿:民宿「うらしま」

室戸岬までの道程の3日目です。佐喜浜の民宿徳増から、ひたすら室戸岬を目指しました。東北地方太平洋岸、茨城県あたりでは太平洋の向かい側は「北アメリカ」だと分かります。従ってアジアとアメリカ西部を結ぶ海底ケーブルの最短距離の日本を経由するのです。しかし関東南部・本州西部四国の太平洋は海の向こうはどこなのか思いつきません。インドネシア・オーストラリアなのでしょうが、そこに向かって漕ぎだそうという気持ちには成りにくい国々です。船の航路は東西が一般的で南北は航路には向かないのでしょう。東西なら同じような気候帯をずっと進むことができますが、南北は気候が激変してしまいます。そんなことを考えながら歩きました。

室戸岬に近づくにつれて興味深い場所が現れるようになりました。空海が籠もって修行したとされている海岸近くの洞窟は「太平洋」を見渡せる「座禅(雨を凌げる)場所」としては絶好の場所だと思いました。その洞窟の少し手前には巨大な白い「空海の修行姿の象」が山の中腹に立っています。この像は遠くからでも非常に目立ちます。

今日5月9日は室戸市の港・坂道・海岸道路を利用して第一回室戸トライアスロン大会が行われいました。12時30分スタートなのですが、海岸に沿った道(国道55号線)はこのレースのために車両通行止めとなりました。私はスタート・ゴール地点付近に設営されていた屋台で昼飯を食べました。さすが土佐だけあって「鰹のたたき」用の藁や火を燃す大型の炉が用意されています。

鰹は食べずに金目鯛の炊き込みご飯を買って食べました。観光客向け値段になっていました。後で知ったのですが室戸市の中心部は「津照寺」のある辺りでした。お寺の位置だけに注目していると、思わぬ見落としがあります。室戸岬先端の「第24番最御崎寺」辺りから雨が強くなったので笠とリュックにカバーをかぶせ、上下のカッパをきました。カッパとリュックカバーは準備した甲斐がありました。この雨は夕方まで続きました。

津照寺近辺は室戸の町の中心部なので結構変わった店がありました。小鳥屋、毛糸屋さんなど都会でもどんどん減っている店が営業していると驚きます。魚を店先に沢山ならべている魚屋さんがあったので、買って帰ることはできないので写真を撮らせて頂きました。写真を撮っていると「食べて行きなよ」と「一人前」の差刺身盛り合わせを作ってくれたので頂いてしましました。鰹の刺身と近海マグロの刺身でしたが、本当に美味しくてびっくりしました。遍路姿の効果が絶大なものがあります。

今日は室戸のトライアスロンの日でしたが、もう一つ第26番金剛頂寺の「御祭礼」だということで、遍路に人気のある金剛頂寺の宿望が営業休止になっていました。「御祭礼」では仕方がないので金剛頂寺への登り口にある「うらしま」という民宿に宿をとりました。この宿は金剛頂寺への上り口にあるため、重いリュックを民宿に預けて26番金剛頂寺を参拝してきました。帰りは更に27番方向に山を下りて道の駅キラメッセまで進みました。帰りはバスを利用して「うらしま」まで帰ってきました。従って明日は金剛頂寺から降りた場所のキラメッセのバス停まではバスで向かうことになります。民宿うらしまの夕食には「鰹のたたき」がでました。これからしばらく「鰹のたたき」が続きそうです。



2015年05月08日(金) 遍路十日目(室戸岬を目指す2日目)

○海部町宿(生本旅館)から佐喜浜町宿(徳増)まで

距離:32.4Km 歩数:50,397歩 宿:徳増(佐喜浜町)

室戸まで長旅の2日目です。徳島県海部町の生本旅館から高知県佐喜浜町の旅館「徳増」まで32.4Kmの長丁場となります。コースは国道55号線に沿っているので国道の路肩の歩行者用道路を歩く時間が長かったです。また峠にはトンネルが掘ってある場所が多いのでトンネル経験も何度かありました。国道と言ってもそれほどの通行量はないのですが、偶に通過する車はスピードを出しているのでかなり怖いです。トンネルの中は空気が悪そうなのですが、大声で歌うと非常に気持ちよい残響音を経験できます。このルートは前後に全く「歩き遍路」がいないし、海辺の国道には歩行者など居るはずもありませんから「歌い放題」なのです。

海部の町から6Km程進むと「宍喰」の町があります。ここには「道の駅宍喰温泉」があります。立派な「ホテルリビエラ宍喰」もありますが、その隣の物産館二階にも安く泊まれる3部屋の宿泊施設があるのだそうです。3部屋なので直ぐに予約で一杯になってしまいますが運が良ければ泊まれます。ホテルの豪華な風呂を使うことができるようです。因みに今日は空きがあるとのことでした。「宍喰」は尾崎3兄弟や昔の阪急の上田監督の出身地なのだそうです。物産館の一角に尾崎兄弟・上田監督を顕彰するコーナーがありました。

宍喰の物産館ではインターネットパソコンが無いか聞いてみた所、事務室のパソコンを貸してくれるというので歩数計データアップを試みてみました。しかしどうしてもUSBソフトダウンロードのページが出てきませんでした。インターネットエクスプローラでしか機能せず、また最新のエクスプローラーには対応していないソフトなので新しい端末ではだめかもしれません。

「宍喰」が徳島県最後の街で、宍喰を過ぎるといよいよ高知県に入ることになります。「宍喰」から8Km位先の場所に東洋太子明徳寺という寺院がありました。真言密教実践の寺だということで結構生々しい感じの寺院でした。ここに飼われている犬が堂々と休憩用の長椅子で眠っていました。名前は「弁慶」だそうです。

さらに10Km程進んだ地点に「佛海庵」という小さな庵があり、そこで昨日牟岐接待所で一緒になった「フィリップさん」と「ノさん」コンビに追いつきました。今日は天気が良いのでテント。寝袋などをここで干していたとのだそうです。彼等は相変わらず「善根宿」「テント泊」で回っていますが大分疲れた様子でした。フィリップさんは足の筋肉が痛いし、そろそろ洗濯もしたいとぼやいていました。「ノさん」にも疲れが見えていたので、「アミノバイタル」をお接待しました。これで元気になれば良いのですが。ここから室戸岬に向けて野宿する場所を探すのは大変になります。

室戸岬では明日5月9日土曜日に第一回のトライアスロンレースを行うとの有線放送アナウンスが流れました。国道55号線の車両交通は規制されるようです。歩き遍路は大丈夫だと思います。高知県にはいってから55号線の南側は広い太平洋の浜がずっと続いています。サーファーが既に来ていますが、今日は波が穏やかすぎてサーフィンには向いていません。しかし海水が非常に綺麗なので泳いだり、潜ったりすると気持ちよさそうでした。




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