KENの日記
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2015年05月12日(火) 遍路十四日目(第29番国分寺から第32番禅師峰時まで)

○第28番大日寺から第29番国分寺9.2Km
○第29番国分寺から第30番善楽寺まで6.9Km
○第30番善楽寺から第31番竹林寺まで6.6Km
○第31番竹林寺から第32番禅師峰寺まで5.7Km
○第32番禅師峰寺から宿まで6.5Km

距離34.9Km、歩数:57,233歩、宿舎:国民宿舎桂浜荘

この日は遍路道は高知市内を北から縦断するように走っています。遍路道は途中土佐電の市内電車の文殊通駅を通過することになるので、一旦文殊通駅で遍路道を離れ電車に高知市内に出てホテルに荷物を置き、軽装となって再び文殊通駅から遍路を始めようと考えていたのですが、それは止めて出来るだけ先に進むことにしました。高知市内では「桂浜だけ」は見ておきたいと考えていたのですが、第32番禅師峰寺から少し頑張れば「桂浜」に近い宿に泊まることが出来るのでそこで宿を取ることしたのでした。その結果この日の歩行距離は約35Kmと今回の遍路で最長となりました。

一方で今日は台風6号が高知県に接近する日に当たってしまいました。天気予報では昼前から午後・夜にかけて暴風雨となると報じていました。台風季節がまだ早いとは言え、高知県に近づく台風は関東で経験する台風と違って「活きが良い」でしょうから気を付けなければなりません。雨が降り出す前にできるだけ距離を稼いでおきたかったので、朝食は抜きにして代わりに「オムスビ」を作ってもらって朝5時に宿を出発しました。暗いと道を間違える恐れがありますので、明るくなって遍路道の目印が分かるようになるのが5時だったのです。

朝5時は厚い雲が垂れ下がっていましたが雨・風はまだ無くて、第28番大日寺下の宿を出発してから次の「第29番国分寺」まで雨は降りませんでした。ところが国分寺で参拝している間に台風特有の急な土砂降りとなりました。国分寺の寺の庇下を借りてカッパの上下を身に付け、菅笠にビニールカバーを付け、リュックにカバーをしました。この後散発的に激しくなる台風の雨・風は午後5時過ぎまで続きました。一方台風の動きは天気予報よりは早く午後6時過ぎには台風一過で夕焼けと虹が綺麗に見える天気となりました。

今日の激しい雨・風に「弱点」を露呈したのが「カッパ」と「リュック」でした。カッパは遍路に取り組むに当たって新規購入も考えたのですが、大昔買った「ゴルフ用」の上下カッパがあったのでこれに防水スプレーで防水処理を施して持ってきたのでした。遍路一回目の使用ではまあまあ防水機能が働いていましたが、二回目に当たる今日の豪雨には対応できす、カッパを着けても下にどんどん雨が染み込む状態となってしまいました。体温の低下で風をひかないように気を付けました。このカッパは汚れも目立つし防水機能は全く無いので捨てることにしました。一方で竹林寺で「50円(ダイソウ製)」のカッパを売っていたので購入して上限カッパの上に着ました。これは新たに雨の侵入がない分身体を冷やさずに済んだので良かったと思います。

リュックの弱点も「防水機能」です。リュック用の防水カバーを買って持ってきているのですが、台風の激しい雨においてはリュックが背中と接する部分から雨水がリュックに侵入しリュックの中身が全部びしょぬれに成ってしまいました。宿についてから着ていた衣類とリュック内の衣類全部を洗濯しました。更に宿の部屋の中ではエアコンの乾燥機能を全開にして、靴・リュックなど洗濯できないものを乾かしました。台風の暴風雨の中を11時間以上歩いたのですから、どんな立派な装備でもずぶぬれにはなったと思います。

雨の影響で道にも迷いました。遍路地図該当ページのコピーを持ち歩いているのですが、それが雨に濡れてしまって使えない状態になってしまい目印も見失って何度か道に迷いました。高知県内の遍路道は徳島県の遍路道に比べて目印の数が少ないようですがこれが迷った原因のひとつです。また高知市内の五大山という山には札所第31番竹林寺と「牧野植物園」が同居しています。遍路の印もあれば植物名を記した名札もぶらさがっています。そして台風の暴風雨の中ですから、できるだけ後戻りしたくないという気持ちが優先したり、五台山で植物の名札があったので安心して進みすぎてしまったのだと思います。ガソリンスタンド、一般の民家の方に道を聞いて何とか遍路道に戻ることができましたし、五台山では牧野植物園で台風の最中に作業されていた方に道を聞いて編路道に戻ることが出来ました。結果的に距離的にはそれほどロスはしなかったのですが気分的に大分不安でした。

今日の遍路の道すがらどうしても寄りたかった場所が二つありました。それらに寄りながら午後4時30分前には宿に着いたのですからびしょ濡れになりながら大変頑張ったと思います。その一つは「仙台伊達騒動」の主役のひとり「伊達兵分」の墓です。伊達騒動で幕府から藩主後見人としての責任を問われた伊達兵部は仙台伊達藩から「土佐藩預かり」となって高知で亡くなったのでした。その墓が五台山中腹にありました。この墓を捜し求めたことも道に迷った原因の一つではありました。

もうひとつは「武市半平太」の生家・墓です。武市半平太は幕末土佐藩の土佐勤王党の親玉です。土佐藩からは坂本竜馬・中岡新太郎等の幕末の英雄が生まれていますが、武市半平太は坂本竜馬・中岡新太郎の兄貴分に当たる存在であり、幕末の騒擾を生き延びていれば「西郷・大久保」に並ぶ指導者になっていたとされる人物です。残念ながら藩主の山内容堂と折り合いが悪かったこともあり様々な騒擾の責任を背負って切腹させられました。

武市半平太の生家は山裾にある大きな農家でした。家の裏山には武市家の墓があり、半平太と妻「富」の墓が並んで立っていました。家の方が武市家とは別の方の所有となっていますが入口の門から中を覗くことが出来ました。昔の姿がそのまま残っていました。

今日の宿は「国民宿舎桂浜荘」です。龍馬像で有名な「桂浜」に近く隣には坂本龍馬記念館があります。残念ながら夕方到着し朝早く出発するので龍馬記念館は見学することはできませんでした。「桂浜荘」は遍路宿というよりは観光客用の宿で遍路客用に「遍路パック」という安い料金設定コースがあります。お風呂も料理も同じですが料金だけディスカウントされているようで非常に有難いです。この宿のサービス精神は特筆にあたいするでしょう。非常に細かいところまで配慮されているのです。一例を上げると空の電気ポットと茶器が備えられているのですが、水道からポットに水を汲むための特別な形をしたコップが備えられていました。各部屋に備えられたお尻粗い装置付き便器は非常に嬉しいものでした。晩御飯・朝御飯も非常に美味しかったです。

台風の暴風雨中長時間歩いたので足に「肉刺」が何カ所かできてしまいました。靴の中で水がジャブジャブ言うくらい水浸し状態だったのでふやけた足の裏の皮には酷な歩きでした。宿の部屋で教科書通り「肉刺」を潰して水を出し消毒した後に保護のためにテーピングしました。しかし「肉刺」の痛みはかなりな物なので明日が心配です。



2015年05月11日(月) 遍路十三日目(第28番大日寺まで)

○宿から第28番大日寺まで31Km

距離:31Km 歩数:47,645歩 宿:民宿喫茶きらく

今日は第27番神峰寺麓の「ドライブイン27」から高知市に向けて歩きます。昨日夕方に前方の「下山」まで進んでおいたので今日はその地点までバスで移動しました。7時丁度の朝一番のバスに乗ったのですが、車内の二人掛けの席では傍らにカバンと荷物を置いて席を一人で独占した高校生が爆睡していました。彼らは毎日このバスで通学しているに違いありません。偶々乗り合わせた遍路が彼らの邪魔はできません。一番後方の席で小さくなっていました。

今日の遍路道は「国道55号線」「土佐黒潮鉄道ごめん・なはり線」に沿った「歩道・サイクリングロード」をひたすら歩くことになりました。海岸端の道なので傾斜はありませんので退屈凌ぎに「歌の練習」をするには絶好の区間でした。この区間は左手に太平洋を見ながら進むだけで非常に退屈する区間です。「退屈=疲れる」という公式が成り立つようで、この日泊まった「きらく」のおかみさんは「第27番からやって来る遍路客の無断キャンセルが多い」と嘆いていました。私も電話で宿を予約したときにおばさんから「どこから歩き始めるのか?足に自信はあるか?」などの鋭い質問を受けました。そんなこともあって今日は頑張って午後4時過ぎには宿に着くようにしました。

今日の遍路道沿いでは二つの面白い場所がありました。ひとつは直立する「道路」です。高知県香南市夜須町に差し掛かる下り坂から見えた光景です。アスファルトで舗装された「道路」が90度近く切り立っているものでした。これは実際には「橋」で「高知県手結港臨港道路可動橋」というもだそうです。私の見たのは橋が持ち上がっているところでした。そして橋を眺めていると橋がだんだん下がり始めました。午後1時になって橋が降りる時間になったのでした。

香南市の街中には古い建物などを解説した立て札が沢山たっていました。それほど珍しかったり貴重だったりしないけれど、街が嘗ての伝統を大切にしているのだろうなと想像しながら歩きました。そんな雰囲気の中で「絵金蔵」に遭遇しました。遍路道に「絵金蔵→」という看板を見つけたのでした。「絵金蔵」という妙な名前に釣られて寄道してみると、そこには立派なミュージアムと劇場がありました。今は香南市ですが嘗ての赤岡の町には江戸から明治期に活躍した画家の「弘瀬金蔵(絵金)」という画家が住んでおり、襖に描かれた絵金の浮世絵が多く残っているのだそうです。更にその絵金の描いた「浮世絵」をバックにした「芝居」が行なわれ、そうした伝統文化保護に賛同した「市川海老蔵」公演も今年の秋に行なわれるのだそうです。非常に元気な「香南市赤岡」の町を発見しました。「絵金蔵」のことを教えてくれた家には「大きな身体の可愛い声をした猫」が飼われていました。名前は「じゃじゃまる」だそうで8歳になる三毛猫です。体重は5Kgで少し太り気味でした。この辺りでは有名な猫なのだそうです。

今日は終日良い天気で気持ちよく歩くことができましたが、明日はは「台風6号」が接近するので天候が心配です。台風は今日の夜中から沖縄石垣島に接近して前線を活発化させるために、明日の高知県の天気予報は昼前から暴風雨です。



2015年05月10日(日) 遍路十二日目(第27番神峰寺)

○宿から第27番神峰寺まで25.9Km
○第27番神峰寺から下山まで6.5Km

歩行距離:32.4Km 歩数:53,196歩 宿:ドライブイン27

民宿「うらしま」には黒猫の「しま」が飼われています。まだ若い感じです。依然は「うら」という兄弟黒猫がいたそうですが交通事故でなくなってしまったそうです。民宿「うらしま」さんの前の通りはバスも通る結構交通量の通りでした。

今朝7時13分のバスで出発しようと考えていたのですが、「うらしま」を出発するときに、宿の奥さんが6時59分のバスでも間に合うと言うのでついその言葉に乗って急いでしまいました。バスには無事に乗れたのですが、座席に腰掛けるときに吸水ストローをどこかに引っかけてしまったらしく、水が漏れ出ていることに降りる間際に気づきました。飲み口が外れて床に落ちていしまっていたことには気がつき拾ったのですが、二つあるチューブ固定装置の一つがリュックから外れて無くなっていることにバスを降りてから気づきました。チューブ固定装置は一つでも十分固定可能なので利用には支障がでませんが、急いでしまったことによって注意力が散漫になっていたことがこの失敗の原因です。やはり自分のぺースを守らないと不都合な事が起こります。

今日遍路道の途中の公衆電話で11日、12日の宿を予約しました。事前に想定していた宿より少し先の宿を選びました。事前に想定したプランでは「自分の体力」に自信が無く、標準的な遍路の一日に歩く距離をベースにして、後半は体力不足でバテる可能性を想定し、高知県に入ってからは少し余裕を持った計画になっていました。しかし実際に歩いてみると、毎日の通勤で歩く訓練ができていたからだと思いますが、一日に歩ける歩数は少し多めにしても大丈夫なことが分かりました。体力不足に陥るのではなく多めの歩数に身体が順応できるようになっているようです。

今日の予定は結構厳しいもので、昨日進んでおいた「道の駅キラメッセ室戸」までバスで移動し、そこから21.9Km歩いて、今日の宿の「ドライブイン27」にリュックをおいて宿から4Km先の「第27番神峯寺」を参拝し、そこから次の札所に向かって出来るだけ進もうと計画しました。結果としては更に6.5Km程あるいて「下山」というバス停まで進み、そこから今夜の宿「ドライブイン27」にバスで戻ってきました。

「神峯寺」までの往復は、さすがに20Km以上歩いた後の山登りだったので厳しいものでした。途中横浜からきている「原田さん」にあいました。原田さんとは「徳増」・「うらしま」と宿が一緒でした。72才だという原田さんは、華奢な身体ながら山登りで鍛えた脚力と近代的遍路装備(くつ、リュック、水筒など)と常に早め早めに対応する用意周到さでどんどん健康的に進んでいます。私も原田さんを見習って、午後に時間と体力のある限り少しでも前に進んでおくという作戦を取ることにしたのでした。

「ドライブイン27」はレストラン、民宿、お遍路用品販売の店です。そこのお婆ちゃんの話では山の中腹まで農地があるのですが今では他人に貸しているそうです。この宿もお婆ちゃんと娘さん(忙しい時に手伝いに来る)がやっているようです。従って大勢の遍路客を扱うことはできません。宿泊施設はドライブインとは別で少し離れた住宅に隣接する古い民家を活用していて、そこまでは「娘さん(といっても孫がいますが)」が車で送ってくれます。宿の建物は古くて狭いものでした。宿泊可能な部屋は二間だけで、トイレ・風呂は建物の外に別作りになっています。トイレの外に電気が付いていましたが、各個室の電気が無いので夜中に大変苦労してしまいました。最近の遍路はこういう施設は好まないだろうなと思いました。

「ドライブイン27」の宿泊客は私一人のはずでしたが、夕方遅く若い学生風の遍路がふらっとやって来ました。食事の準備は出来ないようなので「娘さん」といっしょにスーパーに食事の買出しに出かけたようです。この宿が一杯だったときは「駅」にでも泊まれるような装備を背負っている若者でした。(彼とはこの後何回か会いました。追記)

今日は歩きの途中で「奈半利駅」を通過しました。奈半利駅は「後免なはり線」というローカル線の終点駅です。後免からは高知までは「JR」が通じています。殆どのの列車は高知か高知の先まで行きます。「後免」からのJRは「窪川」まで延びていて、その先は「宿毛」まで「中村宿毛線」となっています。今回の遍路は「窪川」にある「第37番岩本寺」まで行く予定としました。「窪川」から「高知」までは特急列車で「約1時間」かかります。利用可能な特急列車は以下ようになります。

窪川(15:51)→高知(16:05)→岡山(19:41)
窪川(17:30)→高知(18:34)
窪川(18:24)→高知(19:26)
窪川(20:12)→高知(21:15)



2015年05月09日(土) 遍路十一日目(室戸岬を目指す3日目、第24番最御崎寺から第26番金剛頂寺まで)

○宿から第24番最御崎寺まで15.5Km
○第24番最御崎寺から第25番津照寺まで6.5Km
○第25番津照寺から第26番金剛頂寺まで3.8Km
○第26番金剛頂寺から道の駅キラメッセまで1.6Km

歩行距離:27.4Km 歩数:44,562歩 宿:民宿「うらしま」

室戸岬までの道程の3日目です。佐喜浜の民宿徳増から、ひたすら室戸岬を目指しました。東北地方太平洋岸、茨城県あたりでは太平洋の向かい側は「北アメリカ」だと分かります。従ってアジアとアメリカ西部を結ぶ海底ケーブルの最短距離の日本を経由するのです。しかし関東南部・本州西部四国の太平洋は海の向こうはどこなのか思いつきません。インドネシア・オーストラリアなのでしょうが、そこに向かって漕ぎだそうという気持ちには成りにくい国々です。船の航路は東西が一般的で南北は航路には向かないのでしょう。東西なら同じような気候帯をずっと進むことができますが、南北は気候が激変してしまいます。そんなことを考えながら歩きました。

室戸岬に近づくにつれて興味深い場所が現れるようになりました。空海が籠もって修行したとされている海岸近くの洞窟は「太平洋」を見渡せる「座禅(雨を凌げる)場所」としては絶好の場所だと思いました。その洞窟の少し手前には巨大な白い「空海の修行姿の象」が山の中腹に立っています。この像は遠くからでも非常に目立ちます。

今日5月9日は室戸市の港・坂道・海岸道路を利用して第一回室戸トライアスロン大会が行われいました。12時30分スタートなのですが、海岸に沿った道(国道55号線)はこのレースのために車両通行止めとなりました。私はスタート・ゴール地点付近に設営されていた屋台で昼飯を食べました。さすが土佐だけあって「鰹のたたき」用の藁や火を燃す大型の炉が用意されています。

鰹は食べずに金目鯛の炊き込みご飯を買って食べました。観光客向け値段になっていました。後で知ったのですが室戸市の中心部は「津照寺」のある辺りでした。お寺の位置だけに注目していると、思わぬ見落としがあります。室戸岬先端の「第24番最御崎寺」辺りから雨が強くなったので笠とリュックにカバーをかぶせ、上下のカッパをきました。カッパとリュックカバーは準備した甲斐がありました。この雨は夕方まで続きました。

津照寺近辺は室戸の町の中心部なので結構変わった店がありました。小鳥屋、毛糸屋さんなど都会でもどんどん減っている店が営業していると驚きます。魚を店先に沢山ならべている魚屋さんがあったので、買って帰ることはできないので写真を撮らせて頂きました。写真を撮っていると「食べて行きなよ」と「一人前」の差刺身盛り合わせを作ってくれたので頂いてしましました。鰹の刺身と近海マグロの刺身でしたが、本当に美味しくてびっくりしました。遍路姿の効果が絶大なものがあります。

今日は室戸のトライアスロンの日でしたが、もう一つ第26番金剛頂寺の「御祭礼」だということで、遍路に人気のある金剛頂寺の宿望が営業休止になっていました。「御祭礼」では仕方がないので金剛頂寺への登り口にある「うらしま」という民宿に宿をとりました。この宿は金剛頂寺への上り口にあるため、重いリュックを民宿に預けて26番金剛頂寺を参拝してきました。帰りは更に27番方向に山を下りて道の駅キラメッセまで進みました。帰りはバスを利用して「うらしま」まで帰ってきました。従って明日は金剛頂寺から降りた場所のキラメッセのバス停まではバスで向かうことになります。民宿うらしまの夕食には「鰹のたたき」がでました。これからしばらく「鰹のたたき」が続きそうです。



2015年05月08日(金) 遍路十日目(室戸岬を目指す2日目)

○海部町宿(生本旅館)から佐喜浜町宿(徳増)まで

距離:32.4Km 歩数:50,397歩 宿:徳増(佐喜浜町)

室戸まで長旅の2日目です。徳島県海部町の生本旅館から高知県佐喜浜町の旅館「徳増」まで32.4Kmの長丁場となります。コースは国道55号線に沿っているので国道の路肩の歩行者用道路を歩く時間が長かったです。また峠にはトンネルが掘ってある場所が多いのでトンネル経験も何度かありました。国道と言ってもそれほどの通行量はないのですが、偶に通過する車はスピードを出しているのでかなり怖いです。トンネルの中は空気が悪そうなのですが、大声で歌うと非常に気持ちよい残響音を経験できます。このルートは前後に全く「歩き遍路」がいないし、海辺の国道には歩行者など居るはずもありませんから「歌い放題」なのです。

海部の町から6Km程進むと「宍喰」の町があります。ここには「道の駅宍喰温泉」があります。立派な「ホテルリビエラ宍喰」もありますが、その隣の物産館二階にも安く泊まれる3部屋の宿泊施設があるのだそうです。3部屋なので直ぐに予約で一杯になってしまいますが運が良ければ泊まれます。ホテルの豪華な風呂を使うことができるようです。因みに今日は空きがあるとのことでした。「宍喰」は尾崎3兄弟や昔の阪急の上田監督の出身地なのだそうです。物産館の一角に尾崎兄弟・上田監督を顕彰するコーナーがありました。

宍喰の物産館ではインターネットパソコンが無いか聞いてみた所、事務室のパソコンを貸してくれるというので歩数計データアップを試みてみました。しかしどうしてもUSBソフトダウンロードのページが出てきませんでした。インターネットエクスプローラでしか機能せず、また最新のエクスプローラーには対応していないソフトなので新しい端末ではだめかもしれません。

「宍喰」が徳島県最後の街で、宍喰を過ぎるといよいよ高知県に入ることになります。「宍喰」から8Km位先の場所に東洋太子明徳寺という寺院がありました。真言密教実践の寺だということで結構生々しい感じの寺院でした。ここに飼われている犬が堂々と休憩用の長椅子で眠っていました。名前は「弁慶」だそうです。

さらに10Km程進んだ地点に「佛海庵」という小さな庵があり、そこで昨日牟岐接待所で一緒になった「フィリップさん」と「ノさん」コンビに追いつきました。今日は天気が良いのでテント。寝袋などをここで干していたとのだそうです。彼等は相変わらず「善根宿」「テント泊」で回っていますが大分疲れた様子でした。フィリップさんは足の筋肉が痛いし、そろそろ洗濯もしたいとぼやいていました。「ノさん」にも疲れが見えていたので、「アミノバイタル」をお接待しました。これで元気になれば良いのですが。ここから室戸岬に向けて野宿する場所を探すのは大変になります。

室戸岬では明日5月9日土曜日に第一回のトライアスロンレースを行うとの有線放送アナウンスが流れました。国道55号線の車両交通は規制されるようです。歩き遍路は大丈夫だと思います。高知県にはいってから55号線の南側は広い太平洋の浜がずっと続いています。サーファーが既に来ていますが、今日は波が穏やかすぎてサーフィンには向いていません。しかし海水が非常に綺麗なので泳いだり、潜ったりすると気持ちよさそうでした。



2015年05月07日(木) 遍路九日目(室戸岬を目指す第1日目)

○室戸岬を目指す行程1日目 

距離:29.3Km 歩数47,042歩 宿:海部生本旅館

ウミガメ荘から第23番薬王寺までは1.7Kmあり片道30分位かかるのですが、昨日の内に参拝を済ませたので今日は素通りとなります。第24番最御崎寺までは75.4Kmという長丁場なので、第24番まで行くまでに途中で2泊する予定です。

今日の行程は薬王寺から27.6Km先にある海部と言う町の生本旅館までです。ウミガメ荘が第23番とは逆の方向だったり、途中に遍路地図には載っていない「旧遍路道」があったりして遠回りしたので今日も実際の歩行距離は30Kmを越えていたと思います。今日の区間では3人の遍路と相前後しながら進みました。一人は奈良から来ているという遍路馴れしている若い男性。彼とは以前に会っていました。そのときは外国人の女性遍路(既に一周しているベテラン)と一緒でしたが、今日は一人でした。彼女がどうしたのか聞いたところ足の豆の水膨れが酷いために今日は「日和佐」で一日休養しているとのことでした。彼は歩きのペースが早く休憩も少ないのでズンズン進んでいきました。

また、一緒に歩いているフランス人の男性(フィリップさん)と韓国人の女性(ノ・ウルさん)とも出会いました。フィリップさんは長期休暇を取って日本を回っているのだそうです。ノさんは学生で二回目の四国遍路だということでした。二人とも寝袋を担いで基本的に「善根宿」での宿泊で回っているという強者です。ノさんは小さなテントも背負っているのだそうです。二人ともかなり大きな荷物を背負っていました。

薬王寺から15Kmくらいの進むと牟岐の町があります。その牟岐警察署近くの接待所はネットでも非常に有名です。私が牟岐警察署あたりで「接待所」を探していると後ろから「フィリップさん」と「ノさん」が追いついてきました。3人一緒に少し進んで牟岐の接待所で休ませてもらいました。この日は二人のおばさんが居て非常に親切に接待してくれました。まずお茶・お菓子を出してくれた後にゆで卵を出してくれました。今日は歩き遍路の数が少ないようで手持ちぶさただったようで、我々3人が訪れると「待ってました」という勢いでした。この接待所は地域のボランティア30人位が順番に面倒をみているとのこと。この牟岐警察署を過ぎた辺りから遍路道は急に厳しくなりますので、この接待所で心構えをするのは良いことだと思いました。

遍路地図には「国道55号線」を唯一の遍路道と指定してるのですが、実際には「旧遍路道」が多く存在しています。たぶん昔の遍路道は切り立つ岬の山沿いにくねっていたのだと思いますが、「55号線」はトンネルを掘って「直線道」にしてしまっています。また「国道」は古い街中を通らずに街を迂回しますが、旧道は街の中心地区を貫いています。複数の遍路道がある場合にはできるだけ旧道を歩こう考えて遍路道を選択することにしました。その結果この牟岐警察署から「鯖太子」までは殆ど旧道を通ることとなりました。旧道は海岸の岩場などをも通っていて高低差があり、全く人が通っていない静かなものでした。

次のお接待場所は海部の町の手前のカラオケカフェのお接待でした。丁度出てきてくれたカラオケカフェのおばさんが私を見つけて「寄ってきなさいよ」と声を掛けてくれました。そのカラオケカフェでは客のおばさん4人とおじさん2人が歌っていましたが、おばさんグループは私と入れ替わりぐらいで帰っていきました。外に遍路休憩用の長イスがあり、そこでカフェのおばさんは冷たい水とチョコ二つをお接待してくれました。中ではおじさんふたりがギンギンに歌っています。

私が埼玉から来たというとカフェのおばさんは息子さんが大宮で暮らしていて高校生になる孫がいると話し始めました。70才になるというそのおばさんは非常に元気で、息子の世話にはならんと言っていました。中で歌っているおじさんは90才と78才だとのいうことですが演歌の歌声は相当な上級者だと分かります。おばさんが一曲歌って行きなよ言うので、誘いに乗って遍路道中で大声で歌っている「カタリ」を歌ってしまいました。

「海部」の町は小さいながら趣のある町だと思いました。昔の商店街には「ピアノ・楽器」屋さんがありました。この小さな町で楽器店がやっていけるのかどうか非常に疑問でしたが、宿の生本旅館の入り口の応接コーナにアップライトピアノが置いてありました。かつてお嬢さんが弾いたのだそうです。商店街にカラオケ店が多いことも少しびっくりです。音楽(歌)が盛んな町なのだと思いました。生本旅館の今晩の遍路客は3人。神奈川、千葉、さいたま(私)からきた遍路でした。神奈川からの青年は今回八十八箇所を通しで回るとこのこと。千葉からの女性は今日でいったん区切るのだそうです。今日で徳島県とはお別れになり明日は高知県に入ります。



2015年05月06日(水) 遍路八日目(第22番平等寺・第23番薬王寺)

○宿から第22番平等寺まで7.0Km
○第22番平等寺から第23番薬王寺まで22.4Km
○第23番平等寺から宿まで1.7Km

歩行距離:31.1Km 歩数:51,612歩 宿:国民の宿ウミガメ荘
 
今日は太龍寺下山途中の宿「坂本屋」から下山し、第22番平等寺を経由して徳島県最後の札所第23番薬王寺までいきます。宿は薬王寺手前の「ウミガメ荘」です。今日の歩く距離はこれまでの中で一番長くなります。「旅館坂本屋」から平等寺に行くまでに「大根峠」を通過するのですが、この峠に登る坂道は非常にキツかったです。歩き始めに急坂があると非常に体力を消耗することが分かりました。歩き始めは元気なのでつい歩きのテンポが上がってしまうようです。坂道を急ぐと平地を歩くより数倍筋肉を使うようで「心臓」への負担が極端に増します。歩き始めの坂道は歩数を費やして心臓に負担がかからないように歩かねければなりません。

平等寺からはひたすら徳島県南部の海岸を目指します。海岸に向かう道はいくつかの尾根を越えるので上り・下りの坂道となります。山の峠に差し掛かるととたんに風速が増すことが分かります。峠が風の通り道となっているのです。峠に差し掛かりこの峠を抜ける風を感じ始めた時にリュックを持ち上げて背中とリュックの間に隙間を作り風を通します。峠は背中を冷やす絶好の場所です。

今日は珍しい遍路人に会いました。まず平等寺の駐車場に珍しい後ろのに一人乗りカートを繋いだ自転車が駐車してありました。平等寺打ちを終えて歩いていると後ろからこの自転車が追い抜いていきました。休憩所で追いついたので話を聞いてみると、小学校低学年ぐらいの男の子とお父さんのペアだと分かりました。小学生らしき子が川崎から来たと教えてくれました。お父さんはフェリーで徳島に来て第一番から遍路していると教えてくれました。上り坂はお父さんがキツそうでしたが下りになるとかなりのスピードで走っていってしました。

もう一組は田井ノ浜の遍路休息所で休んでいたカップル遍路です。彼等は田井ノ浜を見下ろせる二階建ての休憩所で休んでいました。私も田井ノ浜の写真を撮るためにその休憩所に登ったのですが、彼等はこの辺の名物だというお菓子を接待してくれました。彼等二人は7年前の夏にこの休憩所で野宿したのだそうです。7年目にまた来てみたのだそうです。まだ第26番最御先寺までしか打っていないということなのでした。基本的に野宿遍路をしているとのこと。7年前にはちょうど台風がきていてここの休憩所で宿泊して全身びしょ濡れになったのだそうです。その時の思いでが非常に強烈だっだったようです。

薬王寺のある日和佐町は非常に伝統のある町のようです。土佐に通ずる街道の宿場として昔から繁盛していたようです。札所「薬王寺」にも非常に立派で門前町ができています。その門前の一角に非常に親切な接待所がありました。「さくら庵」と名付けられたその場所は接待所というよりはコミュニティセンターみたいです。そこは古い商家を町が貸し出しているのですが、マレーシアに長期滞在していた老夫婦が日本に帰国して始めた接待所だそうです。井上さんというその夫妻は10年以上マレーシアのクアラルンプールに住んだ後に徳島に移住したきたとのことでした。徳島の日和佐には特別の関係はないようです。5月2日から始めたということなので今は広告宣伝に力を入れているようです。お遍路も含めて町の人気スポットに成長していって頂きたいと思いました。

国民の宿「ウミガメ荘」の面している浜辺は「ウミガメ」が産卵にやってくる場所として有名です。5月2日の今年最初のウミガメの上陸が観測されたのだそうです。まだ季節ではなく夜の監視体制は実施されていません。その一匹は大分気早やだったみたいです。産卵シーズンになるとこの「ウミガメ荘」に宿泊してウミガメ産卵シーンを見学する客が増えるのだそうです。「ウミガメ荘」の隣には「日和佐ウミガメ博物館があり、広い水槽には沢山のウミガメが泳いでいます。ここに飼われているウミガメはそれ程大きくはありません。



2015年05月05日(火) 遍路七日目(第20番鶴林寺・第21番太龍寺)

○宿から第20番鶴林寺4.9Km
○第20番鶴林寺から第21番太龍寺6.7Km
○第21番太龍寺から宿まで3.9Km

距離:15.5Km 歩数:26,662 宿:民宿坂口屋

今日の遍路道は焼山寺登山に続く山岳コースでした。まず宿舎の金子屋から「第20番鶴林寺」に登ります。宿を出発するときに私より少し早く準備の整った東京からのお遍路さんの「金高さん」の遍路姿をみました。彼女は自分で「形から入るタイプ」と言うだけあって遍路姿が決まっています。上下の白装束は当然で、地下足袋・手甲・脚絆を身に付け、当然菅傘をかぶり、杖・数珠を持ちながら歩きます。一方で私と同じ吸水装備を身につけ・アミノバイタルを飲み、毎日その日の記録をブログにアップするという近代設備にも通じているのです。

第20番鶴林寺には2時間弱で到着しましたが、坂道は半端ではありませんでした。地図情報では「金子屋」近辺の標高は30mで鶴林寺の標高は500mです。そして次の第21番太龍寺に行くためには一旦標高40mの那賀川まで降り、標高550mの山頂まで登らなければなりません。

登りは遍路道には階段が作られていますが、その階段を平常のスピードで一歩で登って行く直ぐに息が切れます。かといって階段の幅は狭いので二歩で歩くよういはできていません。仕方がないので「ゆっくり歩く」「スピードはそのままで階段を斜めに歩いて歩数をかける」という二つの方法で登りました。前後にはお遍路姿は全くないのですが、道が一本なので間違えることはありませんでした。金子屋さんで作ってもらったオムスビを昼食で鶴林寺で食べました。

今日の私の予定は比較的余裕のあるものでした。というのも「鶴林寺、太龍寺」の二つの寺院が非常に伝統の有る寺で見学場所が多いということなので少し見学時間を余分にみていたのです。実際寺院の建物は立派で見ごたえがありましたが、特に時間をかける程広大ではありませんでした。太龍寺へはロープウェイが通じているので一定時間毎に多くの参拝客が遣ってきます。その合間をぬって空いている時間に参拝しました。

鶴林寺に到着した時に入れ違いで次ぎの進もうとする「金高」さんに出会いましたが、金高さんが「手ぬぐい」を無くしてしまい残念がっていました。彼女はそのまま山を降りていきましたが、私が鶴林寺太子堂に登ってみると誰もいない階段の手摺りに「落とし物だ」と示すように手ぬぐいが掛けてありました。たぶんこれが金高さんお手ぬぐいだろうと考え、それを持ち帰ってどこかで会った時に返すことにしました。

鶴林寺からの下り道は傾斜がきつい場所もありますが、傾斜が緩やかになっている場所では足早に降りることができました。麓付近で金高さんの姿を下の発見したので呼び止めました。そして手拭いを示したところ、予想通りそれ金高さんの手拭いでした。紛失した物が出てくるとうれしいものだと思います。私の今年の運勢は「失せ物は女性が見つけてくれる」というものですが恩返しができました。

太龍寺でも大分ゆっくりしたのですが、今晩の宿舎の「坂口屋」さんには2寺30分頃到着しました。さすがにこの時間に宿に入る客はいません。多くの人は「坂口屋」からさらに7Km程度歩く第22番近辺にやどを取っているようでした。私は計画を立てる時に、一日どれくらい歩けるのか分からなかったので、比較的安全サイドで計画を組みました。今日で遍路七日めですが、どうも私の脚力・体力は平均より勝っているように思えるようになりました。従って計画を組み替えることも可能となっています。今回の旅の後半の方ではまだ宿泊場所を予約していないので、これから少しキツい計画に組み替えようかなと思っています。

今日の宿の「坂口屋」さんは遍路客にとても親切です。夕ご飯も非常に美味しかったです。毎日朝・夕のご飯をしっかり食べ、日中はたっぷり運動してぐっすり眠る日が続いています。遍路の効用があるとすれば非常に健康的な生活を送っているということです。ひょっとして遍路で太ってしまうかもしれません。



2015年05月04日(月) 遍路六日目(第18番恩山寺・第19番立江寺)

○宿から第18番恩山寺8.4Km
○第18番恩山寺から第19番立江寺4Km
○第19立江寺から宿まで13.1Km

歩行距離:22.6Km 歩数:40,294歩 宿:金子屋 

今日は朝から小雨です。カッパを着るほどではなく菅笠で凌げる程度の雨でした。今日は徳島市内を通過していく比較的平坦なコースなので今日崩れて明日に回復してくれた方がラッキーです。明日は第20番鶴林寺・第21番太龍寺の二つの山中にある寺を参拝する山岳コースとなるからです。札所寺を参拝することを遍路用語で「打つ」とおうのですがもうひとつ馴染めません。

遍路さん仲間の話題は、宿舎(民宿・宿坊)のことと遍路道の様子に尽きます。昨日から徳島ではゴールデンウィークに合わせたコスプレイベントが行なわれて、市内の主要ホテルは予約が取れない状況なのですが、殆どの「歩き遍路さん」は徳島市内でどんなイヴェントが行われているのか全く興味がないようです。それだけ遍路が大変なことだとは思いますが、少し寂しい感じもします。遍路はその土地の名物を知り、土地の料理を食べ、その土地の人々を理解することも楽しみのひとつだとは思います。「遍路」という行為が四国の土地・人々と遊離してしまってはその価値が減ってしまう感じがします。

今日の朝食はオリエントビジネスホテル2階レストランで頂いたのですが、このレストランの朝食がホテル設備の「シャビーさ」とは打って変わってかなりハイレベルであることに驚きました。私は和食を選んだので味わえなかったのですが、洋食コースには何とサイフォンで作る本格的なコーヒーが付いているのです。店の中央にコーヒー用のサイフォンが3つセットされていて手際よくコーヒーが準備されていました。納豆付きの和食も十分美味しかったですが。昔親戚の叔父さんが煎れてくれたサイフォンコ−ヒーの香りと味を思い出しました。

徳島市内の遍路道は国道55号線を通過する場所が多いです。広い国道の側道を小松島に向かいます。国道両サイドの歩道は整備されていて歩きやすいのですが車の騒音が煩く快適とは言い難かったです。その分大きな声で歌を歌っても何の支障もないのですが。しかし歌を歌うなら河原の道とか田圃のあぜ道などが気持ち良いです。
第18番恩山寺付近は嘗て源平合戦の折に源義経群が屋島の平氏を攻めるために摂津から船出して四国に上陸した場所なのだそうです。遍路道の幾つかの場所に義経に因んだ言い伝えのある場所がありました。

今日は5月4日なので端午の節句の準備で和菓子店は忙しそうでした。立江寺門前の和菓子屋さんで柏餅をひとつ購入して食べました。徳島の辺りでは「柏の葉」の代わりに「サンキライ(山帰来)」の葉を使うのだと店の方が教えてくれました。サンキライの葉は柏の葉よりも小さく中の餅を完全に覆うことはできません。

第19番立江寺の手前で寄った休憩場所に「お京塚」という場所がありました。なんでも情夫と共謀して旦那を殺して捕まった「お京さん」が罪を償って改心して亡くなった場所なのだそうです。ま新しい「お京さん」の位牌もおかれていました。「お京」さんがどんな女性だったのか色々想像しました。今年の占いによると今回の旅は「女難に気をつけなくてはならない」ことになっています。今のところお京を始め女性にいろいろ世話になって助けられている感じです。正月のおみくじの託宣は感謝の気持ちを忘れるなということだと理解しました。

第19番立江寺から第20番鶴林寺の麓の民宿金子までは10.2Kmの道程です。坂がきついというわけではないですが、あまり変化のない風景が続くので退屈しました。立江寺近辺では付近の飲食店が全て休んでいてお菓子屋さんと酒屋さんしか営業していませんでした。酒屋さんでは昼飯になるようなものは売っていませんでした。仕方がないのでお菓子屋さんで「お赤飯」を買って途中の休憩場所で食べました。赤飯は餅米なのでエネルギーになる感じがしました。

勝浦町の町にはいると遍路道沿いの家で武者人形を飾ってる家が何件かありました。雛人形を表に出して飾ることは良くありますが武者人形は珍しいと思いました。新聞販売店の方が外にいらっしゃったので話しを聞いてみました。昔は雛人形だけを飾っていたようですが、町のボランティアが5月連休には武者人形を飾ろうという取り組みを始めたのだそうです。雛人形ほど華やかではないですが、季節がゴールデンウィークなので観光客は多く町の広告塔に成っているようでした。

民宿金子屋は歩き遍路の間では有名な民宿です。今日は歩き遍路6人、そのほかに自動車で回っているグループが宿泊していました。一人で回っているの歩き遍路の方が慈眼寺(別格3番)に歩いて行ってきたと言っていました。行くだけで結構大変なので「穴禅定」には行かずに別格20カ所の「数珠玉」だけを手に入れてきたとおっしゃっていました。慈眼寺穴禅定に行くのなら複数人集まってタクシーで向かう必要があると聞いていましたが、今日の宿泊客にはその気のある人はいなようなので「別格3番」参拝はあきらめました。今日は午後3寺過ぎ宿に到着し洗濯も済ませました。美味しかった夕食の後この日記を書いています。



2015年05月03日(日) 遍路五日目(第16番観音寺から第17番井戸寺まで

○第13番大日寺から第16番観音寺まで4.9Km
○第16番観音寺から第17番井戸寺まで2.8Km
○第17番井戸寺から宿まで8.4Km

遍路歩行距離:16.1Km 歩数:38,224歩 宿:二軒屋オリエントビジネスホテル
その外に宿から「ピッツェリアスガッチー往復2Km)

第13番大日寺の朝の「お勤め」はファンがいるだけあって非常に面白いものでした。ご住職ともう一人の僧侶の読経の後でご住職の講話がありました。この話の内容はご住職が本にして出版しているようです。ご住職は韓国伝統舞踊の一人者であり、先代大日寺住職に見初めされて前住職と結婚されました。その8年後に先代住職が突然亡くなられたために大日寺住職を引き受けることになりました。以下ご住職のお話を紹介します。

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私は36歳の時に韓国伝統舞踊を紹介するために訪日しました。四国徳島での公演のときに大日寺宿坊に一週間泊めて頂きました。無事公演を終えて韓国に戻ってから先代住職(ご主人となる方)から琴線に触れるお手紙を頂きました。そのとき先代住職は55歳でした。独身の先代住職の猛アタックの末にその一年後には二人は結婚することなっていました。(ここで先代住職の手紙を朗読されました。) 先代住職は「貴方は何もしなくても良い。男でも女でも良いから子供を産んでください。」と言われました。大日寺住職はこれまど何代にも渡って子供に恵まれず外から養子を迎えていたのでした。結婚の三年後に男の赤ちゃんを産んだときには本当に喜んでくれました。長男の誕生日は4月13日です。13番札所の子供として不思議な縁だと思います。

ところが結婚8年後には先代住職が脳梗塞で倒れそのまま亡くなってしまいました。その時には私はまだ日本語を十分に話せない・漢字も読めない状態だったのです。子供と一緒に韓国に戻って韓国で暮らしていこうと考えました。しかし先代住職は銀行からお金を借りておんぼろだった大日寺を立派なお寺に改築していました。先代住職のお葬式の日に銀行の方がやってきて大日寺の借金がまだ1億円以上残っているということを知らされました。この大ピンチに誰が大日寺の舵取りをしていくのか。

この時先代住職のお母さんが「貴方ならできるから住職になりなさい」と励ましてくれたのです。息子も「自分はしっかり住職になる勉強をするからそれまでしばらく母さんが住職となってください」と言ってくれました。また私の父(日本生まれの韓国人)も励ましてくれました。周囲のそうした励ましで日本語・お経を勉強して住職となる決意をしたのです。

住職はそのお寺の全般に責任を持ちます。宿望の宿泊客は季節によって増減します。客の多いシーズンだけ宿坊を手伝ってくれと言うわけには行きません。ですから宿坊に泊まりたいという電話があっても、人手が限られている時には断らざるを得ない場合があります。私のお父さんは大分で生まれた韓国人です。日本で教育を受けましたが戦後韓国に戻って韓国人社会で暮らしていく事は大変でした。日本での教育は認められないので公式の学歴は「尋常小学校卒業」です。しかし勉強熱心な父は韓国で独学で勉強して国家公務員になり、6人の子供立派に育ててくれました。

父はアメリカと韓国の仁川に住まいがあります。一年の半分は大日寺を手伝ってくれています。でも日本国籍がないので一年の一定期間日本から出国しなければなりません。むかしはアメリカの家に帰っていたのですが、年をとって飛行機の長時間旅行が苦痛となっために韓国の仁川にマンションを確保したのです。現在息子は18歳になっています。アメリカで勉強していますが、アメリカの大学を終えた後は高野山の大学に入って僧侶になる勉強をする予定です。四国八十八札所遍路を世界資産にしようという希望がありますが、そうなると英語を話せる住職が必要になります。息子は日本語・韓国語・英語・スペイン語が話せますので、外国人の遍路がきても十分対応できます。息子が日本に一時帰国したときの檀家のお寺で挨拶をした録音がスマートホンに入れています。息子が将来住職を次ぐ気持ちでいること、父親と私の後ろ姿をしっかり見て育ってきたことが分かります。(ここで息子さんのスピーチを再生。)

ここまでは自己紹介ですが朝の話のテーマは「家族への感謝」というものです。先代住職はいつも私に「ありがとう」といってくれました。「嫁にきてくれてありがとう」「ご飯を作ってくれてありがとう」「息子を生んでくれてありがとう」等々です。日本人は心が優しくて思いやりがあると思いますが、家族どうしでは「感謝」を言葉に出すことは少ないのではないでしょうか。家族の間でも「ありがとう」と感謝の言葉を掛け合うことは非常に大切なことだと考えています。(以上、引き続き朝食となりました。)

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韓国の人間国法級の舞踊家だというご住職は大変若々しく非常に勢力的な方だと思いました。日韓関係がギクシャクしていることにも少し触れられて両国民の相互理解に少しでも貢献できればと話されていました。但し、「家族間の感謝の言葉」など関して、韓国の方から見ると「日本人」が「シャイ」に見える事が良く分かりました。日本人の感情を表に出さない態度は韓国の方からすると少し物足りなく思えるのだと思いますし、韓国人の直截的な感情表現は日本人からすると少し不躾に見えるのだと思います。難しいところです。

昨日第14番常楽寺、第15番国分寺を参拝しておいたので今日はの二つの札所は素通りで第16番観音寺、17番の井戸寺の二つを回りました。その後は徳島市内に入り遍路とは別で「ナポリピザ」を食べる予定なのです。

昨日通ったぬきの「たんこ」の家ではお爺さんが家の外に出ていました。お話を聞くと「家族の中でお爺さんにだけ噛みつく」といっていました。しかし「たんこ」は本当はお爺さんを好きなようで「右手のお手」「左手でお代わり」の芸をちゃんとやっていました。「猫の家」では猫達があちこちで日向ぼっこをしていました。今日は6匹の猫がいました。

第16番観音寺、第17番井戸寺には多くの遍路が参拝していたのですが、遍路道の私の前後には歩き遍路の姿は全くありませんでした。昨日まで前に行ったり遅れたりしていた歩き遍路達はすでに通過してしまったのかもしれません。今日の午後は徳島で一端遍路中断です。まず駅前の「そごう」にいってセゾンカードで現金を降ろしました。セゾンの端末は高知にはないので、徳島でお金を降ろしておかなければなりません。

徳島駅前「そごう」周辺の道には派手な格好(コスプレ)をした若者がうじゃうじゃいました。5月3日から5日まで全国のアニメファン・コスプレファンが徳島に集まっているのだそうです。市内各所では様々なイベントが行われています。集まっているのは、アニメの声優さん、子供向け番組主人公を演じる俳優さん。テレビマンガのキャラクターのコスプレを趣味とする人、そうした人達の写真をカメラで撮ろうという写真マニア。奇抜な格好をしているコスプレファンには大きなスーツケースをひっぱている人も多かったです。「歩き遍路」の白衣と菅傘などはそうしたコスプレの中にあって全く目立ちませんでした。

無事にお金を降ろしてから、「真のナポリピザ協会認定店」としては徳島唯一の「ピッツェリア・スガッチー」へランチが食べられるかどうか電話しました。ランチは予約で一杯だというので夕方5時30分からの夕食を予約しました。ピザの代わりに「徳島名物の徳島ラーメン」を食べる事にしました。駅前の地元人らしい人に情報をを聞くと「駅付近なら大王だね」と「大王ラーメン」を紹介してくれました。しかし場所を聞いて大王ラーメンの近くに行ってみると、そこには長い順番待ちの列ができていました。そこまで有名店に執着する気持ちもなかったのでそこは止めて今日の宿にチェックインすることにし、そこにいく途中で「両国」という徳島ラーメン屋さんで徳島ラーメンを頂きました。非情に濃厚なスープで美味しかったです。生卵無料で濃い目のスープに生卵を入れるとまろやかになりました。

今日の宿は徳島から高知方面に走るJRの駅に二つ目「二軒屋」というところにあります。二つ目といっても駅間が短いので歩いても大した距離ではありません。街道沿いの「鯛焼き屋」で120円の鯛焼きを買って歩きながら食べましたが私の趣味には合いませんでした。「薄皮鯛焼き」だとのことで「皮」はぱりぱり、中のあんこはどろどろというものですが、作っている所をみていると焼いている間はまったく手間をかけずにできがったところで「はさみ」でバリを切り落としていました。焼いている途中ではみ出したバリを上手に鯛の体に整形することはしなくなったようです。外側はもっちりであんこは少し固めのほうが食べやすいと思いました。

この日の宿は二軒屋駅まにあるオリエントビジネスホテル。かなり古く宿泊料金は非常に安いホテルです。一泊朝食付きで4600円。晩ご飯はピザを食べに行くのでちょうどよいシステムです。徳島市内の主なホテルは連休のイベントで一杯なのに、空いているということは「相当な」ホテルだとは予想していましたが、駅前で近くのスーパー・薬局のある便利なホテルでした。薬局で「アミノバイタル」を補給しました。

アミノバイタルについてはネットで筋肉疲労に効果があるとのネットの記載があったので、ちょうど味の素のキャンペーンに当たってで6袋無料(アンケートに回答する義務あり)で持ってきていたのです。最初の日に使って大変効果があることを確認したので、それ以降筋肉が痛くなりそうな場合には飲むことにしています。筋肉の痛みを消すのではなく、アミノ酸を補給して筋肉を補修することができるようです。

必要な品物の補充を終えてからピザ屋さんい向かいました。一度JRで徳島駅に出てそこで「徳島土産」を買って埼玉に送りました。今回の遍路は高知まで行くので徳島土産を持ってあるくことはできません。ピザ屋さんは駅前ロータリーからフェリー乗り場行きのバスに乗って行きます。バス停から少し歩くのですが短距離の歩きなら苦になりません。

「スガッチィ」は夕方5時30分からディナータイムが始まるのですが、5時30分過ぎに到着してみると店の外の駐車場は車でごった返していました。地元では相当な人気店のようです。私は予約していたのですんなりテーブルに付くことができました。注文したのは勿論「マルゲリータピザ」。マルゲリータピザは税込み1200円です。結構大きめです。ここのピザの特徴は「トマトソースの美味しさ」だとおもいました。チーズは料金の高い「水牛バージョン」にしない限りは満足は望めないでしょう。ピザ生地は少し塩加減が足りないかなという感じでした。焼き加減はバッチリですが、ピザ生地の中央付近が少し「厚い」感じがしました。でもトマトソースの美味しさが全てを「カバー」していると思いましが、マルゲリータの美味しさは「白・緑・赤の具とピザ生地」ですが、残念ながら「赤」が突出していてマルゲリータの総合的な美味しさを味わうことはできなかった感じでした。帰りは徳島駅まで歩きJRで徳島駅から二軒屋まで移動しました。




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