KENの日記
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2015年04月17日(金) 会社の池のカルガモが産卵、しかし・・・

昨日の朝、会社の池の浮島に作られているカルガモ産卵用の巣にカルガモの卵がありました。卵は5つぐらい見えるのですが、卵が見えるということは親が卵を抱いていないからなのです。池には4羽のカルガモが泳いでいるのですが、この4匹には卵を抱く様子が感じられません。そして池の外に2羽のカルガモがいました。この二羽が池に降りて浮島に近づこうとすると、前から居る4羽のカルガモが攻撃して追い払っていました。

私の推測は2羽のカルガモが卵の親達で、こちらのカップルが4羽のカルガモの留守の空きに卵を産んだというものです。しかし卵を温めようと浮島に近づくと4羽のカルガモに追い返されてしまうという構図になっているのです。4羽は団結していて外の二羽の池に降りようものなら泣き声を発して追い掛け回すのです。暖めるべき親の居ない無防備な卵は孵化が難しいでしょうし、カラス・ヘビなどの格好の餌になってしまいます。

昨年は数羽の雛が孵化しましたが結局一羽も育つことが出来ませんでした。多分カラス・へび・猫に襲われたのだと思います。卵を孵化させても多くの敵がいるというのに、孵化する前から同じカルガモが苛めている様子は非常に悲しいものがあります。弱い動物は団結し敵から子供たちを守ることができれば子孫が繁栄すると思うのですが、実際には「縄張り争い」の方が優先してしまいます。今年もカルガモの卵・雛には厳しい現実が待ち構えているようです。



2015年04月16日(木) 音楽配信がCDを凌駕

昨年2014年の世界の音楽ソフト販売ですが、デジタル配信がCD(レコード含む)を初めて抜いたのだそうです。国際レコード産業連盟によると、売上高はデジタル販売売上高が68.5億ドル、CD・レコードが68.2億ドルだったそうです。そのデジタル配信については「Itune」のような「楽曲買い方式」ではなく、定額制の聴き放題のサービス(ストリーミング)が主流になってきているのだそうです。アップルは昨年秋に大容量音楽ソフトの格納が可能な「IPodクラシック」の生産を中止しました。音楽は持ち運ぶものでは無くいつでもネットから配信される時代になっているようです。

しかし私はというとまだ旧式の「IPod」を使っています。家にある嘗て購入したCDコンテンツは殆どMP3やAACで圧縮した形でハードディスクに入っています。持っていないCDについても駅前にできた図書館のCDライブラリーから聞きたい曲を借りてきてハードディスクに入れますし、どうしても聞きたいものはまだCDを買います。クラシカル音楽は古い音源が発掘されますし、CDにするにあたって新たな技術で音質の改良がなされることもあるので昔の名演を新鮮な音で聴くことが可能となってきています。日本ではまだCD販売が主流で音楽ソフト販売の8割を占めているのだそうですが、CDショップのクラシカルコーナーは相変わらず魅力的です。

嘗てクラシカル音楽を聴く時にはCDのジャケット解説を読み、興味にある曲の場合には「スコア」を見ながら聞いたものです。レコード時代からの伝統でCDのジャケットデザインは演奏される曲と演奏家の組み合わせの象徴として重要な意味を持っていました。音楽ジャケットはその時代の特色や演奏家のスタイルを色濃く反映したものとなっていてとても魅力的なものがあったと思います。最近はあまり凝ったものはないように思えます。こうした音楽CDの付加的な「おまけ」が全て無くなって、音楽がネットから流されるだけで消えてしまうという世界は楽しみが限定的で私には馴染めないような気がします。まだまだ私の音源保存用ハードディスクには新しい曲がどんどん増えていきそうです。



2015年04月15日(水) カンツォーネコンサート予約

殆ど毎年のように来日し全国各地で公演を行っていた団体に「ウィーンの森バーデン市オペラハウス」と「イタリアナポリターナ楽団」があります。「ウィーンの森バーデン市オペラハウス」は来日すると東京での公演は行わずに物凄い強行スケジュールで日本各地を回っていました。このオペラハウス招聘は「小林さん・小杉さん」という二人の日本人が地方でも上質のオペラ公演を実現することを目的に尽力していたようですが、日本でのオペラブームの成熟を背景に招聘者の高齢化もあってか(想像です)2013年を最後に来日していません。

イタリアナポリターナ楽団のカンツオーネ公演は歌手二人と小編成オケをリーダの「サンドロ・クトゥレーロ」さんが率いる音楽集団(一座)で大型観光バスの演奏者全員が乗って日本を駆け回ります。こちらは2015年公演が7月に決まりました。今回は埼玉県内の公演がないので休日の「横浜公演(横浜みなとみらいホール)」のチケットを確保しました。

日本のオペラブームはかなり成熟してきたと思います。新国立劇場の演奏水準は年々上がり、来日オペラハウスはよほどしっかりと準備して公演しないと新国レベルに達せずに、今や名前だけでは高額チケットが売れない時代に来ていると思います。もっとも新国の公演は主役級を外国人歌手に頼ってのことではありますが。有名どころのオペラハウスが引っ越し公演すると舞台装置の移動・演奏家の移動などが大変なので地方公演が行える状況にはありません。そうした状況下においては「ウィーンの森バーデン市オペラハウス」の公演は意味があたっと思いますが、ロシア・東欧のオペラハウスが同じような活動を定着させているので「ウィーンの森バーデン市オペラハウス」の役割は終わったのかもしれません。更に敢えて言うと日本の観客が聞きたい演目はプッチーニ、ヴェルディ作曲のイタリア語オペラが中心です。モーツァルトにしても主なオペラはイタリア語です。そうした活動を継続するのであれば「イタリア」で音楽家を集める方が安上がりのはずであり、ウィーンで器楽奏者を集めるのは分かりますが、オペラ声楽家はイタリアで集める方が余程楽だと思います。

そういう観点からすると「イタリアナポリターナ楽団」が日本で人気を博している状況には、同様な活動を「オペラ」に拡大するという方向性が有望な市場としてあり得ると思います。ローマ、フィレンツェなどの観光都市では毎夜、小さなオペラアリアコンサートがあり、簡易な舞台のオペラ公演も行われています。観光客がオペラを楽しむためには必ずしも有名なオペラハウスに行く必要はないのです。人気のあるオペラを敢えてイタリア人以外で聞く必要はありません。「イタリアナポリターナ楽団」の声楽家は音楽学校でしっかり声楽を習った歌手なので、カンツォーネと同じくらいオペラアリアは得意でしょう。オペラ全曲ではなく、オペラの一場面抜粋のような形で公演は出来るはずです。カンツォーネコンサートでは日本語字幕はありませんが、オペラの抜粋程度なら字幕も必要ないと思います。そのような日常に近い形のオペラ鑑賞はオペラファンの裾野拡大に役立つと思います。



2015年04月14日(火) アンナ・ネトレプコの番組

12日日曜日の深夜NHKBSのプレミアムシアター放送を録画しておいた「アンナ・ザ・グレート」と2014年ザルツブルグ音楽祭の歌劇「イル・トロヴァトーレ」(半分)を見ました。NHKBSプレミアムシアターではオペラを放送するのは久し振りでした。昨年暮れもそれまで恒例だった年末オペラ放送もなかったので、2014年から就任した新しいNHK会長の方針なのかなと訝っていたところでした。この日の放送は前半の「アンナ・ネトレプコ」のドキュメンタリーとネトレプコがレオノーラを歌った「イル・トロヴァトーレ」とネトレプコ尽くしでした。

アンナ・ネトレプコは2011年暮れのスカラ座「ドンジョバンニ」のドンナ・アンナ、2012年ザルツブルグ音楽祭「ラ・ボエーム」のミミあたりを頂点に、それ以降その体形が少しづつ「スリム」になっているように見受けられました。若い頃の素晴らしいプロポーションに戻ることは無理としても、今の雰囲気なら病弱で死んでいく役でもOKです。

一方その声はふくよかな身体が豊かな響きをもたらしているのだと思いますが「深さと幅広さ」が増して、一般的なソプラノとは大分趣の違う分厚い「ソプラノ」です。その声・キャラクターからアルトの役も十分できそうな雰囲気です。ドキュメンタリーではネトレプコが小さい頃から「オペラスター」の素質を開花させていたことを紹介していました。客受けするネトレプコの舞台上でのダンスは昔から得意だったようです。番組ではネトレプコの「ポジティヴさ」「運の強さ」を強調していましたが、「ソプラノ歌手」としてのネトレプコがどのような訓練を受けどのような勉強をしてきたのかもう少し知りたかったです。

このドキュメンタリーは2014年ロシアで制作されたようです。番組の最後の方でネトレプコは2013年に離婚し、今後は長男を育てることと音楽活動に専念すると告白しています。プライベート生活の整理がついたネトレプコがレパートリーを増やし(体重は落して)、世界のオペラ劇場で更に活躍してくれることを期待したいと思います。

後半の「イル・トロヴァトーレ」は非常に斬新な演出にビックリすると同時に上手い方法だと感心しました。舞台はルネサンス期の絵画が飾られた美術館の一室となっています。絵画はボッチチェッリやラファエロの名画が飾られているのですが、その何枚かがオペラの配役に擬せられています。タイトルロールの「吟遊詩人」の姿はボッチチェッリの自画像だと思います。またレオノーラに擬制した女性肖像画は目立つ場所に掛けられています。

非常におどろおどろしい筋語りは、美術館のガイドがツアー客に説明する「絵」の説明として語られます。そして説明員・美術館の警備員に扮していた歌手が突如、ルーナ伯爵、レオノーラ、アズチェーナに早変わりしてオペラのストーリーが展開していくのです。このオペラの特色を上手く活用した演出です。「イル・トロバトーレ」の舞台は15世紀初頭のスペインだそうですが、舞台上のルネサンス絵画だけで15世紀の雰囲気を醸し出していたと思いました。舞台道具といえば「絵」と美術館鑑賞客用のソファーだけです。

ネトレプコの声の深さとアズチューナ役のマリー=ニコル・ルミューの演技力が圧倒的です。ザルツブルグ音楽祭のネトレプコ出演オペラでは「椿姫」「ラ・ボエーム」と演出が「?」で評判が良くなかったものが続いただけに「イル・トロヴァトーレ」ではセンスの良さが光ります。オペラ後半を見るのが楽しみです。



2015年04月13日(月) 「満州国演義」

冒険小説・ミステリー作家「船戸与一」の小説「満州国演義」が、今年2015年2月に第9巻『残夢の骸)』が刊行されたて完結したのだそうです。週間新潮に連載され、それが単行本となって2007年4月に第1巻が出版されてから約8年越しの完結ということになります。戦後70周年の今年に完結した記念碑的な作品だと思います。図書館から第1巻を借りてきて読み始めました。

9巻もの長編小説なので今年中に読み切ることが出来るの少し心配です。というのも文庫本ではなく単行本なので持ち運びが大変だし、嵩張るため満員電車の中では読めそうもないからです。新潮社は電車通勤サラリーマン読者のために出来るだけ早く文庫化して欲しいと思います。

この小説を知るまではあまり馴染みがなかった「船戸与一」ですが、ネットで調べたら「ゴルゴ13」の原作者だということ分かりました。「ゴルゴ13」ならある程度読んでいます。ゴルゴの思いも寄らない難題解決法だとか、奇抜なストーリー展開にはずっと感心してきました。その「船戸与一」なら「満州国」の創設から消滅までの非常に広範でダイナミックな世界を面白く描いてくれると思います。歴史の評価が確実に定まっていないこともあってか「満州国」を描いた決定版的な「読み物」がなかっただけに期待しています。



2015年04月12日(日) 四国遍路の民宿問題

四国遍路準備のための宿の予約を少しずつしているのですが、幾つかの民宿が廃業しているために予定していた行程を変更せざるを得ない場面にぶつかります。廃業の理由の多くは運営者の高齢化です。札所と札所の距離が長い区間では、野宿を敬遠する場合(年配遍路は野宿は敬遠するでしょう)には民宿に頼るほかありません。

元々遍路宿は非常に経営が不安定です。冬場は遍路客が減って閉鎖する宿がありますし、そもそも遍路客の数が増えているのかどうかわかりません。また、遍路に対して「接待」する文化がありますから、遍路客相手の宿代を「値上げする」ことは難しいものがあります。そうした厳しい環境下でもこれまで遍路宿が維持されてきたのは、宿を運営する方々の善意と遍路文化を守ろうとする気持ちが大きかったのだと思います。しかし山間部の僻地の民宿では後継者を育てることは非常に困難であり、運営者の高齢化の進行は食い止めることが出来ないようです。

四国八十八箇所遍路の場合には、山間部の宿として欠かせない場所にある民宿が少なくありません。そうした民宿が閉鎖されてしまうと、歩きの四国遍路は益々困難となってしまいます。今後も民宿が減っていくとなると、これまでとは違った遍路の形が求められてくるのかもしれません。これまでのような遍路文化を長く守っていくために、民宿運営を上手く世代交代していく解決方法が求められています。



2015年04月11日(土) サンジョベーゼのワイン



サンジョベーゼの美味しいワインがありましたので記録しておきます。二本とも千円以内で買うことができるので非常にお得です。

右のボトルはトスカーナ州の「カラピア−ノ」というブランドです。ホームページによるとこのワイナリーの建物は1500年代のフィレンツェのメジチ家の建築家によって作られたもの非常に貴重なものであるようです。ワインの製法も昔風の作り方を守っているのだそうです。この「サンジョベーゼ」を飲んでまず気付くのは「渋み」です。果実味と渋みが上手くミックスしていると思いました。洗練されたスマートなワインではなく非常に素朴なワインです。ワイナリーはフィレンツェの西の丘陵地帯「ランポレッキオ」にあるとのことです。

左のワインはエミーリア・ロマーニャ州の「サンジョベーゼ」から作られたワインです。ネット情報によると2011年2月に国際ワイン品評会「ベルリン・ワイン・トロフィー」で「金賞」を獲得したワインだそうです。金賞受賞だけあって非常に洗練されていると思いました。「カピアーノ」と対比しながら飲むと非常に面白そうです。味わいは「サンジョベーゼ」種らしく非常にフルーティで飲み安いです。エミーリア・ロマーニャ州はトスカーナ州の北に隣接する州でトスカーナと並んで美味しい食材が豊富な州です。そういう地域の葡萄ですから間違いはないと思います。

暫く南部イタリアの「モンテプルティアーノ」「ネッロ・ダボッラ」「プリミティーヴォ」等のワインを飲むことが多かったのですが、サンジョベーゼでこれだけ美味しくて安いワインが手に入るのであれば選択の幅が更に広がります。中部イタリアのワインは南部ワインの「明るく陽気な感じ」に比べて、若干ですが「真面目さ・堅さ」が入るような気がします。日本の気候・風土にはそのほうが合っているかもしれません。



2015年04月10日(金) 天皇・皇后パラオ訪問

天皇、皇后両陛下がパラオを訪問され、第二次世界大戦の激戦地「ペリリュー島」で戦没者の慰霊をされました。一泊二日の強行日程だったようです。日本からパラオまでの飛行機は民間のチャーター機が使われたそうですが、パラオでの宿泊は海上保安庁の巡視船「あきつしま」が使われたそうです。ペリリュー島への移動はヘリコプターで行かれたのでヘリポートのある巡視船が便利であったということです。

巡視船に宿泊してまで「ぺリリュー島訪問に拘った天皇・皇后両陛下の平和に向けた行動には「執念」のようなものを感じます。皇后陛下はいつものように常に天皇の直ぐ後ろで天皇をそっと支えていらっしゃいます。お二人が相当固い決意をされていると見受けられます。昭和34年に結婚されたお二人ですが昭和天皇から「先の大戦での戦没者慰霊」のことをしっかり教えられたに違いありません。

今年は戦後70周年ですが天皇陛下のお気持ちには80周年・90周年を恃むお気持ちはないでしょう。若い皇室のメンバーにそして日本国民に対して昭和天皇から引き継いだ「教え」を暗黙で示されているように思えます。これからも第二次世界大戦の激戦地をできるだけ多く慰霊し、「過去」としっかり向き合う姿を示していくことでしょう。

その観点からすると天皇陛下には「時間が足りない」との思いがあるかもしれません。「靖国神社」に自ら参拝するような環境にはありません。第二次世界大戦で最大の被害を被った中国、そして日本に併合されて日本軍の一部として戦争に参加した韓国、この二つ隣国に対して天皇陛下が訪問できない状況も天皇には残念なことだと思います。そうした状況を打開できないでいる「政治」は、嘗て「戦争を始めた頃」に比べて進歩しているのかどうか考えさせられます。



2015年04月09日(木) 株価2万円直前

今日の東京証券所取引所の日経平均株価は「19937.72円」で終わり、「2万円」の直前まで買い進められました。日銀金融政策による継続的な通貨供給で「円」は120円近辺で推移していて、輸出分の利益が自動的に膨れ上がり日本の代表的輸出企業の業績は黙っていても好調に見えます。更に政府の指導なのでしょうが、年金基金を始めとする「公的ファンド」の運用が「日本株比率」を増やし株価を下支えするので、外国人投資家には非常に魅力的に映っています。これまで何度か「2万円」に近づいては反落してきました。果たして明日はどうなるのか。

安倍首相の狙いはこうした官製株高環境下において「第三の矢」を放って、企業の意欲を本格的なものとして景気回復に持って行きたいところでしょうが果たしてそうなるでしょうか。現在の成長市場分野が「介護」「医療」などの高齢化対策市場であることが気になります。高齢者がお金を持っている時代は成長もするでしょうが、これが長続きしどんどん拡大することは在りえないと思います。高齢者向けの福利厚生は「若者」が拠出しているので若者の負担が大きくなるだけだからです。「夢」のある研究開発ができていないのではないかと思われます。



2015年04月08日(水) 官房長官のコメント

内戦が激化して治安維持が困難になっているイエメン国内に在留していた日本人1人が、中国艦船によって移送されて隣国オマーンに無事非難到着したというニュースがありました。これに対して菅官房長官は次のようにコメントしました。

「中国政府より、現地に滞在する中国人を通じて邦人旅行者に(艦船による退避の)申し出があり、本人が受け入れることを決めた。日本政府として、中国政府に輸送の働きかけや要請は行っていないが、中国政府の申し出・対応で移送が可能になったので謝意を示させていただいた。」

邦人安全確保の役割を担うイエメンの日本大使館は、既に2月15日に一時閉館され、当面カタール大使館内にで一部業務を継続することになっていました。そして退避と同じタイミングで在留邦人に対して「退避を勧告します。渡航は延期してください」との危険情報を発出しました。また、イエメンに滞在されている在留日本人に対しては直ちに同国から退避するよう「強い勧告」が」ありました。今回中国船で退避した日本人が2月15日以降どのような理由でイエメンに滞在していたのか分かりませんが、日本政府がその存在を把握していたのか、どうかはっきりしません。

イエメンではシーア派の反政府武装組織「フーシ」の侵攻によって首都サヌアが制圧されました。これに対し3月26日に隣国のサウジアラビア(10ケ国連合)が首都サヌア等に対する空爆を開始しました。空爆は3日間続き一旦中断しました。3月28日には批難していたイエメン大統領が隣国サウジアラビアに脱出し亡命政府のような形となってしまいました。

サウジアラビアの空爆を受けてイエメン国内の全ての空港の民間航空機の発着は一部のチャーター便を除いて運行が停止されました。この状況下においてイエメン国内に多くの在留中国人を抱えていた中国大使館・政府の対応は以下のようなものでした。空爆の始まる直前に中国ミサイルフリゲート艦の「Weifang」「Linyiの2隻と輸送船「Weishanhu」の合計3隻がイエメン近海に派遣されていました。空爆が中断した3月29日にこの3隻によって中国人避難作戦が開始されということです。

3月29日の最初の退避作戦では122人の中国人と中国企業の二人の外国人をアデンからジプチに「Linyi」によって移送しました。30日の作戦ではアルホダイダから449人の中国人と6人の外国人を「Weifang」で移送しました。「Linyi」は30日に再びアデンに戻り225人の外国人移送作業に就きました。これは10ケ国からの要請の基づく作戦であったようです。

この後3月31日には「Linyi」が24人の中国人・14人の中国大使館職員・45名のスリランカ人をアルホダイダ港からジプチに移送しました。31日には「Weishanhu」船が中国人9人と日本人1人を乗せてアルホダイダからオマーンに到着したのだそうです。この一連の作戦で中国人629人、外国人279人がイエメンから移送されました。

日本政府としてはいち早く大使館を閉鎖し「強い退避勧告」を発出して「日本人」を危険地帯のイエメンから退去させた積りだったと思いますが、政府の退避勧告に従わない「日本人」はいるものです。サウジアラビアの空爆開始でイエメンから出国する飛行機は運航停止されていますから、もし日本政府が「日本人」の存在を知っていたら何らかの措置を講じていたと思います。それは自ら救出に行くかあるいは他国の救出作戦に助けてもらう方法となります。

菅官房長官が「中国政府に輸送の働きかけや要請は行っていない」と発言したことは、日本政府が既に当該日本人の救出作戦を開始していたか、あるいは「日本人」の存在そのものを知らなかったかのどちらかです。もし後者であれば日本政府の情報収集能力が劣っていたことになりますし、前者であれば日本の救出作戦のタイミング・スピードが中国政府の作戦より劣っていたことになるでしょう。何れにしても「中国に要請していない」という発言は日本政府の非常に鈍い危機管理体制を如実に示しているようにしか思えません。日本政府は余分なコメントを付け加えずに素直に感謝しておくべきでした。




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