KENの日記
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2015年03月02日(月) 春節の中国人観光客

2月18日から24日までの春節休暇の間に海外旅行に出かけた中国人の数は518万2千人に達したという報道がありました。前年同期比に比べて10%増加しているとのことです。(中国国家旅游局「2015年春節旅行状況に関する報告」データ)

渡航先別では、団体旅行はタイ(18%)、日本(18%)、韓国(10%)欧州(10%)、台湾(9%)。個人旅行では日本(17%)、タイ(11%)、韓国(9%)、モーリシャス(9%)となっているそうです。日中関係は決して良いとは言えない状況ですが、お金持ちの中国人観光客にとっては日本が人気No.1のようです。特により裕福な層が好むと思われる「個人旅行」では韓国・タイを引き離して一位となっているところが特徴です。円安局面であることに加えて、日本の観光業界・小売業界などの努力が功を奏したのではないかと思われます。

百貨店大手4社(三越伊勢丹、そごう西武、高島屋、Jフロント)の2月の速報売上高が発表されました。4社揃って対前年増加を記録したとのことです。免税品の売上増加が全体の増加に寄与している模様です。百貨店に来る客は「高級品購入」が目的だと思われますが、そういう富裕層が高級品を買い漁る以上に「家電量販店・ディスカウントストア」などではお目当て商品に的を絞った「爆買い」が行われたと想像されます。

また長崎には2月19、23、24日に中国から3隻のクルーズ客船が入港して約1万人の観光客が長崎に上陸したのだそうです。長崎中華街を中心にした旧正月イヴェントを楽しんで、近辺のデパート・ショップで買い物を楽しんだようです。飛行機のような大量の持込荷物に追加料金のかかることのない「客船」での来日なので思いっきり大型の買い物を楽しんだことと思います。

日本から海外旅行するというと「飛行機の旅」が当たり前になりますが、距離的に近い中国・台湾の場合、旅行の目的のひとつに「買い物」があるのであれば「船旅」という選択は非常に有益だと思われます。今年の春節旅行客の人気商品が「洗浄機能付き便座」だったそうですが、持ち帰るにはこれが最大級でしょう。勤務先関係でフィリピンから日本にやって来る「船」の船員は日本で炊飯器をはじめ洗濯機・テレビなどの大物を買って帰ります。船まで配達してもらえば後は自国に戻った時の家までの輸送手段を考えれば良いだけです。そうなればもっともっと買い物の範囲は広がると思われます。



2015年03月01日(日) 娘が無事に帰国

先週の日曜日からドイツに出張していた娘が無事に帰国しました。娘は勤めている会社の取引先との打ち合わせなどでドイツのフランクフルト近郊の街と少し北部のハノヴァーに出張したのでした。一緒に出張する会社の同僚の都合で「関空−フランクフルト」のフライトとなったので、行きは新幹線利用の前泊、帰りはANA便の「関空−羽田」便を追加ということで大分面倒くさいことになったようです。

関空−フランクフルトの行き・帰りの両便とも満席だったとのことです。またフランクフルトで滞在したホテルには日本人客が沢山逗留していたとのこと。円安局面ですが原油安でサーチャージが下がっているので海外旅行客は減っていないようです。南ドイツ方面はロマンチック街道が人気なので観光客が多いのでしょう。

「ISIS」絡みでヨーロッパではテロの危険性が高まっていたので、何事もなく無事に帰ってきてくれるように願っていましたが安心しました。自分達夫婦の旅行より心配の種の多かった娘の出張でした。



2015年02月28日(土) 別所沼の河津桜開花

別所沼に植えられている河津桜が開花しました。昔からある桜の木ではなく数年前に植えられた「桜」ですが、今年も元気に春の訪れを告げています。武蔵浦和から別所沼に通ずる遊歩道沿いや別所沼の広場には多くの「ソメイヨシノ」がありこちらは一斉に開花します。河津桜はそれより随分前に開花します。

別所沼にはソメイヨシノとは別の「ウコン桜」の大木があります。こちらはソメイヨシノの花が散ってしまった頃に黄色かかった白色の花を付けます。ソメイヨシノが散ってしまって少し寂しい感じのする頃に満開となり、花見の賑やかさを思い出させてくれます。少しずつ開花の時期がズレルのも趣があります。



2015年02月27日(金) ドレスデン空爆記念日における独大統領のスピーチ

1945年2月13日・14日にドイツのドレスデンは連合国空軍から激しい空爆を受けました。この二日間のドレスデン市の大多数の建物が破壊され、住民等数万人の犠牲者がでました。大規模な都市殲滅作戦とも言えるドレスデン爆撃は同じ年の3月の東京大空襲、長崎・広島への原爆投下と並んで戦争末期におけるの敗者側が被った悲惨な不幸とし記憶されています。2015年は70周年目の節目の年なので復興したドレスデンの「聖母教会」において記念式典が行われました。その式典の中でドイツのガウク大統領が非常に立派なスピーチをされたということです。ドイツの国際放送DW(ドイッチェ・ヴィッレ)のサイトの主要な言葉を引用します。

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Remembrance can be a source of productive energy for a society. But in many parts of the world we are today once again seeing how a selective and, as it were, biased remembrance serves to further destructive, revanchist or nationalistic goals. Here in our own country, too, we will continually have to talk, and sometimes argue, about what we want to remember, and how.

A country which stood for the monstrosity of genocide, could not expect to emerge unpunished and unscathed from a war which it had itself waged. We know who it was that begun the murderous war, we will never forget the victims of German warfare, when here today we remember the German victims.

過去を思い出すことは社会の生産的なエネルギーの源となり得ます。しかし今日世界多くの場所で再び我々は過去を選択的に見ようとしています。別の表現を取るならば、偏見を持った「過去の振り返り」が更なる破壊、報復主義的なあるいは国家主義的な目的に向かわせるこ可能性を秘めているということです。

途方もない大量殺戮の代名詞になった「国」が、罰せられずに無傷で「自分の始めた戦争」から復興できることは殆ど期待できないことなのです。我々は誰が残忍な戦争をを始めたのか知っています。我々は今日ここでドイツ人の犠牲者に思いを馳せていますが、ドイツによる戦争の犠牲になった人々のことを決して忘れてはいけないのです。
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数万人のドレスデン市民が犠牲になったことは大きな悲劇でした。しかしどんな大きな悲劇を被ろうがドイツ自ら犯した戦争犯罪が軽減されるものでないことをドイツの良識ある国民は分かっています。日本においても家族を亡くした遺族、愛する者を奪われた人々の無念の気持ちは十分想像できますが、だからと言って日本が戦争で犯した罪は軽減されるものではないのです。ドイツにおいてはナチの時代を肯定するような右翼の動きがありますし、戦争末期の大規模爆撃は非人道的な戦争犯罪だとして非難する意見もありますが、ガウク大統領はそうした考えはっきり戒めました。

日本の満州事変以降の戦争によって近隣国に大きな被害を及ぼした責任は、日本人が悲劇的な犠牲を払った沖縄戦や東京大空襲・長崎・広島の原爆によって被った大きな犠牲によって、また戦後の日本の世界への平和的・人道的経済支援等による貢献によって軽減されるものでは決してないことを肝に銘ずるべきだと思います。国民の一部にそのような感情的に考える人達がいたとしても、日本国政府はその声を厳しく抑え、外国に対しては決して口に出すべきではないと思います。



2015年02月26日(木) 終戦70年首相談話

「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」が設置されました。この懇談会は終戦70周年の節目として今年の夏に発表される阿倍首相の談話に材料を提供するための懇談会だということです。終戦節目の談話は50周年の「村山首相」、60周年の「小泉首相」に引き続くものです。村山首相は人柄もあってか非常に率直なお詫びの言葉を盛り込み、最後に「「杖るは信に如くは莫し」と政治信念を引用して結びました。

村山談話においては将来の日本の進むべき方向性として「深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。」という思いを盛り込んでいました。

この部分については当時と現代に相当の状況変化が起きていると思います。「富める国・貧困にあえぐ国」の格差の問題とか、そうしたことを背景とする過激派組織(テロ組織)の問題等これまでに無かった難しい問題が表面化していて、日本が貢献できる分野が変化し範囲も拡大してきているように思えます。こうした状況変化に対する対応策については独善的にならない範囲で言葉を補えばいいのではないかと思えます。

阿倍首相にもしっかりと「お詫び」の言葉を盛り込んで欲しいと思います。そして二度と「道」を踏み誤らないよう、謙虚に歴史を振り返って、日本の誤りの原因は何処に有って、その「原因」は今どのように克服されているのか、それが再び再燃することを防ぐためには日本がどういうことに気を付けなければならないか、ということをしっかり考えて表明することが大切なことだと思います。

今年1月に行われたアウシュビッツホロコースト追悼セレモニーで「過去あったことは将来起こらない保証はない。ホロコーストの関する歴史をしっかり将来に語り継がなければならない」と当時を知る人が次第に少なくなってきていることに対して警鐘がならされました。皇太子様が誕生日記者会見で述べられたように「歴史を正しく語り継ぐ」ことは非常に重要になってきていると思います。

日本国内では「20世紀に日本はなぜあのような「道」を辿ってしまったのか」ということについて現在でも議論が分かれていることは困ったことです。何時かの時点に後戻りできなくなった分岐点があったのか無かったのか、「20世紀の日本の振る舞い」は「19世紀の明治政府(安倍首相の故郷の人達が国の方向性を決めたのですが)」に原因があったのではないかという視点もあります。ここを曖昧にしている限り「誤りの芽」を事前に摘むことは難しくなると思います。



2015年02月25日(水) サッカーアジアチャンピオンズリーグ

ACL(アジアチャンピオンズリーグ)の一次リーグが始まっています。日本からは4チーム(ガンバ大阪、柏レイソル、浦和レッズ、鹿島アントラーズ)が参加していますが緒戦の状況は散々のようです。

24日の試合
E組:柏レイソル×全北(韓国)→「0−0」△
F組:ガンバ大阪×広州富力(中国)→「0−2」×

25日の試合
G組:浦和レッズ×水原(韓国)→「1−2」×
H組:鹿島アントラーズ×ウェスタンシドニー(オーストラリア)→「1―3」×

1月に行われたAFC選手権で日本サッカーが惨敗しましたが、それが嘘ではなく本当の姿であったことが証明されようとしています。ヨーロッパに目を向けても、本田・長友の試合出場機会は徐々に減っているように思えますし、渡欧した日本人若手選手の出場機会は増えていないようなので若手が急成長している様子は伺えません。唯一気を吐いているのは「内田」ぐらいでしょうか。この状況では誰が代表監督になろうと低落傾向に歯止めはかけられそうにありません。



2015年02月24日(火) スリランカの(無駄な)投資

スリランカでは1月の大統領において勝利が確実視されていた現職大統領が敗れて新しい政権が誕生しました。前大統領は「長年のスリランカ最大の懸案であった民族紛争」に勝利したのですが、その政権運営は傲慢で、重要な閣僚ポストには身内を配して、自分の選挙区に多額の国の予算を注ぎ込んでインフラ整備を行いました。首都コロンボから遠く離れた南部ハンバントタの大統領の出身地に構築された各種インフラがや今スリランカ政府のお荷物となっているようです。

「MRIA」(R:Rajapakusa)と前大統領の名前を冠して整備されたハンバントタの国際空港建設には210百万ドルが投下されました。直近の飛行状況はというとUAEの「安航空会社」が一日一往復ドバイと結んでいるだけです。ナショナルキャリアのスリラン航空が大統領選挙の日まで「MRIA」に就航していたそうですが、大統領交代が決定した途端にその路線を取りやめたのだそうです。空港設備・免税店を含めて近代的な空港を作ったのですが一日2便が出てしまうと全くの閑古鳥が鳴いている状態のようです。

また、中国資金361百万ドルを導入して建設された「ハンバントタ国際港」があります。ここは現在インドの自動車運搬船が立ち寄るだけと言う状況だそうです。この港を活性化させるため前政権は「高速道路」を通し、52百万ドルかけて「立体交差」を建設し、15.5百万ドルかけて「国際会議場」を建設しました。国際会議場では2013年に英連邦会議が開催されてから全く利用されていないとのことです。

更に大統領出身地ではにですが巨大プロジェクトが進んでいました。首都コロンボの観光スポットのゴールフェイスの沖合に大規模な埋め立て地を造成して、新たな都市を作ろうという「ポートシティプロジェクト」が中国のサポート得て進められようとしていました。この計画は新大統領によって見直されることとなっています。

大切な国家予算がこのような緊急性のない開発計画に投下されてきたことは非常に残念なことです。スリランカ内戦は最終段階においては政府軍の徹底的な破壊攻撃に晒されて、北部・東部のインフラ設備・住民の家屋は破壊されて多くの一般庶民が難民生活を送っている状況なのです。逆に言うとこういう状況だからこそ政権交代が実現したのだと思います。

大統領が財務大臣を兼務していたので実務的に国家予算を管理していたのは実務派財務次官の「P.B.ジャヤスンデラ氏」でした。強大な権力を握った大統領の元では「Yes」としか言えなかったのでしょうが、次官職最長不倒記録を保持していたジャヤスンデラ氏は大統領選挙開票前夜にシンガポールに逃れたという情報もありました。ジャヤスンデラ氏が現在どのような状況にあるか知りませんが、ゼン政権下では多分非常に不本意であっただろうと想像されます。



2015年02月23日(月) メナヘム・プレスラーさんのピアノ

昨年12月31日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートがNHKBSで放送されました。ラモーとかコダーイとか珍しい曲が演奏されました。その中で注目されたのが91歳の現役ピアニスト「メナヘム・プレスラー」をソロに迎えてのモーツァルトのピアノ競争曲23番でしょう。興味深いプログラムでしたが一気に聞くには長いのでまず「ピアノ:メナヘム・プレスラー、伴奏:ベルリンフィル、指揮:ラトル」のピアノ協奏曲をまず聞いてみました。

91歳ですからテクニック面とか体力面で「大丈夫なのかな」という不安を持ちながら聞いたのですが、そんな心配は直ぐに吹き飛んでしまい、非常に心休まるメナヘムさんの演奏に引き込まれました。譜面をピアノにおいての演奏でしたが非常に巧みに「譜めくり」されているのでびっくりしました。元気で現役最長老記録をどんどん更新して欲しい思います。メナヘムさんの経歴を調べてみてメナヘムさんのピアノの「優しさの理由」が少し分かりました。

「メナヘム・プレスラーさん」は1923年12月生まれで昨年大晦日の時点で91歳です。メナヘムさんはドイツ北部のザクセン州のマグデブルグの紳士服屋を営む裕福なユダヤ人家庭に生まれました。そして小さい頃から教会のオルガニスト(Kitzekさんというドイツ人)からピアノを習っていたということです。ドイツを初めヨーロッパに住んでいたユダヤ人にはその時代非常に過酷な運命が待ち構えていました。

メナヘムさんの住むドイツでは1930年1月にヒトラーが首相に就任してから次第に「ユダヤ人」に対する弾圧が厳しくなります。ヒトラー政権はユダヤ人の就労制限だとか市民権制限などの弾圧政策を徐々に強化していったのでした。その弾圧に反対する意思表示としてユダヤ人によるドイツ国フランス大使狙撃事件が起こると、ドイツ国内の各地でシナゴークの破壊、ユダヤ人商店の破壊・略奪、ユダヤ人への暴力事件が発生したのでした。これが「水晶夜事件(1938年)」です。

メナヘムさんの商館も略奪されました。家族は家の奥に隠れて難を逃れたのですがこの暴動の目撃者となってのした。この事件以降ユダヤ人に対する弾圧は更にエスカレートして行きホロコーストに繫がっていったのでした。しかしドイツ人のピアノ教師は大変親切で暴動後に禁じられたレッスンも密かに継続され、一家がイタリア経由でイスラエルに脱出した際にメナヘムさんにドビュッシーの「水の反映」の楽譜を送ってくれたのだそうです。

メナヘムさん一家5人(両親の二人の兄妹)はドイツでの生活を諦めイタリア経由でイスラエルへの脱出に成功しました。しかしドイツに残った祖父母・叔父さん・叔母さんら5人の家族以外の親戚はすべてアウシュビッツのホロコーストの犠牲者となったのでした。メナヘムさんは過去を回顧して "In my life, the piece of bread has always fallen butter-side-up," と自ら非常に運に恵まれていたと考えています。

イスラエルに逃れたメナヘムさん(14歳)は心に傷を負い身体も弱まって保養所生活を送ることになったのですが、そこでメナヘムさんを支えてくれたのがピアノレッスンでありベートーヴェンのピアノソナタだったのだそうです。メナヘムさんはドイツ人から迫害に合いながらも、良きドイツ伝統をしっかり理解していたのでした。メナヘムさんは1946年に単身アメリカに渡り「ドビュッシーピアノコンクール」で一等賞を得、アメリカでの演奏活動を開始しました。

メナヘムさんはロスアンジェルスに拠点を構えますが、当時ロスアンジェルスのハリウッドにはドイツから逃れてきた芸術家が多く住んでいて、その人達との交わりはメナヘムさんの大きな影響をあたえたようです。その人達とは、「Thomas Mann, Arnold Schönberg, Sigmund Freud, Igor Stravinsky, Oskar Kokoschka, Artur Schnabel and the film composer Franz Wachsmann」だそうです。また芸術家を愛するマーラーの未亡人「Alma Mahler」とも交流があったのだそうです。

メナヘムさんの音楽と人生の拘わりは以下に言葉に尽きるようです。”While it was a tragic time, it was also one of the most wonderful times of my life, in every respect. I'm sure I wouldn't have become the musician I am now had I not experienced the depth of all that suffering and happiness.”



2015年02月22日(日) 練習用椅子の高さ

先週の水曜日にチェロの「フェイギンさん」の演奏を間近に見て試してみたいことがあったので、今日久しぶりに楽器を出して練習してみました。それは練習(演奏)するときの「椅子の高さ」を「少し高くすることです。ロシア出身のフェイギンさんは身長も高く、足も随分ながいので椅子(座高調整可能なピアノ用の椅子)の座高はかなり高くセットされていました。そしてチェロの「足」も少し短めにしているので、チェロの胸当ての部分は胃袋の上辺りに来ていました。このような構え方だと右腕・左腕がかなり垂れ下がり、自然な曲線を描いていていかにも力が抜けている感じだったのです。

私の場合身長は日本人平均位なのですが足は短いので、両足で楽器を包み込むことができるように椅子の座面を低くしていました。そうすると楽器の胸当ては「胸」辺りに来るのですが、右腕・左腕は下に垂らすことができず、少し不自然な感じになっていたのではいかと考えたのです。今日椅子の座高を少し高くし、両腕は自然に垂れるような形にして弾いてみた所、両腕の力を抜く感覚が以前より簡単につかめるように思えました。多分、肩・肘・腕・指の付け根の関節の動く向きが少し変わって、より自由に動くようになったのだと思います。

これまで足の長さとチェロを抱えることを最優先にして椅子の座面を高さを調整していましたが、大切なのは腕が自然な形で動けるような角度になるように楽器と椅子を調整することだったのだと思い至りました。さらに座面を高くすることで、膝下の足は余分に動くスペースが減ったので非常に安定した構えをせざるを得なくなったという効果もあるようです。「フェイギンさん」の演奏会は他にも色々と勉強になることが多かったです。もちろん演奏自体はプロと初心者では全く比べ物になりませんが。



2015年02月21日(土) ホームページの記事追加

2月一杯で「OCN」がホームページサービスを終了するので、私のホームページは「FC2」に移転することにしました。既にコンテンツの移動は終了しています。この日記帳ソフトの「エンピツ」とホームページの「FC2」はインターネット開始初期の時代からサービスを提供し続けています。そしてスマホ全盛の現在でも「可能な限り」サービスを提供し続けるようです。インターネットはこういうネット社会はこうした非常に立派なサポーターによって支えられているのだと思います。

「FC2」は有料のOCNよりずっと大きな容量を無料で提供してくれているので非常にあり難い存在です。その心意気に応えるためにも私もホームページの充実を図っていきたいと考えています。ということでホームページの「各地の名所・名物」に追加記事を掲載しました。新しく追加した記事は「神戸市にある孫文記念館」とナポリのカンツォーネレストランの「カンツンチェッラ」です。ふたつとも昨年2014年に旅をして非常に「印象深かった」場所です。

「孫文」関連は、香港・マカオ・広東州中山に次ぐ4番目の「記念館」です。じつは「孫文の足跡」はこの他にも中国では「上海・南京・広州」「台北」に記念館がありますし、ホノルル・サンフランシスコにも孫文の足跡が残されています。チャンスがあったら少しずつ訪問してその印象を記事にしたいと考えています。

ナポリは観光都市が山ほどあるイタリアで「治安の問題」もあって、日本の観光客からは少し敬遠されている都市です。ローマから中部北部のフィレンツェ・ミラノ・ベネチアを回ると南イタリアに足を伸ばすチャンスはありません。しかし非常に魅力的な街であることは誰もが聞き及んでいると思います。これから観光地として整備されていくと必ず多くの観光客が押し寄せるはずです。今は地下鉄工事が進んでいますし、カトリック教会美術館の整備も進んでいます。知られざる「ナポリの地下遺物」も徐々に観光客に開かれていくでしょう。日本の「ナポリピザブーム」は発祥地巡礼客を増やすだろうと思われます。私も旅行を思い出しながら情報を整理して記事を追加していきたいと思っています。




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