KENの日記
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2015年02月25日(水) サッカーアジアチャンピオンズリーグ

ACL(アジアチャンピオンズリーグ)の一次リーグが始まっています。日本からは4チーム(ガンバ大阪、柏レイソル、浦和レッズ、鹿島アントラーズ)が参加していますが緒戦の状況は散々のようです。

24日の試合
E組:柏レイソル×全北(韓国)→「0−0」△
F組:ガンバ大阪×広州富力(中国)→「0−2」×

25日の試合
G組:浦和レッズ×水原(韓国)→「1−2」×
H組:鹿島アントラーズ×ウェスタンシドニー(オーストラリア)→「1―3」×

1月に行われたAFC選手権で日本サッカーが惨敗しましたが、それが嘘ではなく本当の姿であったことが証明されようとしています。ヨーロッパに目を向けても、本田・長友の試合出場機会は徐々に減っているように思えますし、渡欧した日本人若手選手の出場機会は増えていないようなので若手が急成長している様子は伺えません。唯一気を吐いているのは「内田」ぐらいでしょうか。この状況では誰が代表監督になろうと低落傾向に歯止めはかけられそうにありません。



2015年02月24日(火) スリランカの(無駄な)投資

スリランカでは1月の大統領において勝利が確実視されていた現職大統領が敗れて新しい政権が誕生しました。前大統領は「長年のスリランカ最大の懸案であった民族紛争」に勝利したのですが、その政権運営は傲慢で、重要な閣僚ポストには身内を配して、自分の選挙区に多額の国の予算を注ぎ込んでインフラ整備を行いました。首都コロンボから遠く離れた南部ハンバントタの大統領の出身地に構築された各種インフラがや今スリランカ政府のお荷物となっているようです。

「MRIA」(R:Rajapakusa)と前大統領の名前を冠して整備されたハンバントタの国際空港建設には210百万ドルが投下されました。直近の飛行状況はというとUAEの「安航空会社」が一日一往復ドバイと結んでいるだけです。ナショナルキャリアのスリラン航空が大統領選挙の日まで「MRIA」に就航していたそうですが、大統領交代が決定した途端にその路線を取りやめたのだそうです。空港設備・免税店を含めて近代的な空港を作ったのですが一日2便が出てしまうと全くの閑古鳥が鳴いている状態のようです。

また、中国資金361百万ドルを導入して建設された「ハンバントタ国際港」があります。ここは現在インドの自動車運搬船が立ち寄るだけと言う状況だそうです。この港を活性化させるため前政権は「高速道路」を通し、52百万ドルかけて「立体交差」を建設し、15.5百万ドルかけて「国際会議場」を建設しました。国際会議場では2013年に英連邦会議が開催されてから全く利用されていないとのことです。

更に大統領出身地ではにですが巨大プロジェクトが進んでいました。首都コロンボの観光スポットのゴールフェイスの沖合に大規模な埋め立て地を造成して、新たな都市を作ろうという「ポートシティプロジェクト」が中国のサポート得て進められようとしていました。この計画は新大統領によって見直されることとなっています。

大切な国家予算がこのような緊急性のない開発計画に投下されてきたことは非常に残念なことです。スリランカ内戦は最終段階においては政府軍の徹底的な破壊攻撃に晒されて、北部・東部のインフラ設備・住民の家屋は破壊されて多くの一般庶民が難民生活を送っている状況なのです。逆に言うとこういう状況だからこそ政権交代が実現したのだと思います。

大統領が財務大臣を兼務していたので実務的に国家予算を管理していたのは実務派財務次官の「P.B.ジャヤスンデラ氏」でした。強大な権力を握った大統領の元では「Yes」としか言えなかったのでしょうが、次官職最長不倒記録を保持していたジャヤスンデラ氏は大統領選挙開票前夜にシンガポールに逃れたという情報もありました。ジャヤスンデラ氏が現在どのような状況にあるか知りませんが、ゼン政権下では多分非常に不本意であっただろうと想像されます。



2015年02月23日(月) メナヘム・プレスラーさんのピアノ

昨年12月31日に行われたベルリンフィルのジルヴェスターコンサートがNHKBSで放送されました。ラモーとかコダーイとか珍しい曲が演奏されました。その中で注目されたのが91歳の現役ピアニスト「メナヘム・プレスラー」をソロに迎えてのモーツァルトのピアノ競争曲23番でしょう。興味深いプログラムでしたが一気に聞くには長いのでまず「ピアノ:メナヘム・プレスラー、伴奏:ベルリンフィル、指揮:ラトル」のピアノ協奏曲をまず聞いてみました。

91歳ですからテクニック面とか体力面で「大丈夫なのかな」という不安を持ちながら聞いたのですが、そんな心配は直ぐに吹き飛んでしまい、非常に心休まるメナヘムさんの演奏に引き込まれました。譜面をピアノにおいての演奏でしたが非常に巧みに「譜めくり」されているのでびっくりしました。元気で現役最長老記録をどんどん更新して欲しい思います。メナヘムさんの経歴を調べてみてメナヘムさんのピアノの「優しさの理由」が少し分かりました。

「メナヘム・プレスラーさん」は1923年12月生まれで昨年大晦日の時点で91歳です。メナヘムさんはドイツ北部のザクセン州のマグデブルグの紳士服屋を営む裕福なユダヤ人家庭に生まれました。そして小さい頃から教会のオルガニスト(Kitzekさんというドイツ人)からピアノを習っていたということです。ドイツを初めヨーロッパに住んでいたユダヤ人にはその時代非常に過酷な運命が待ち構えていました。

メナヘムさんの住むドイツでは1930年1月にヒトラーが首相に就任してから次第に「ユダヤ人」に対する弾圧が厳しくなります。ヒトラー政権はユダヤ人の就労制限だとか市民権制限などの弾圧政策を徐々に強化していったのでした。その弾圧に反対する意思表示としてユダヤ人によるドイツ国フランス大使狙撃事件が起こると、ドイツ国内の各地でシナゴークの破壊、ユダヤ人商店の破壊・略奪、ユダヤ人への暴力事件が発生したのでした。これが「水晶夜事件(1938年)」です。

メナヘムさんの商館も略奪されました。家族は家の奥に隠れて難を逃れたのですがこの暴動の目撃者となってのした。この事件以降ユダヤ人に対する弾圧は更にエスカレートして行きホロコーストに繫がっていったのでした。しかしドイツ人のピアノ教師は大変親切で暴動後に禁じられたレッスンも密かに継続され、一家がイタリア経由でイスラエルに脱出した際にメナヘムさんにドビュッシーの「水の反映」の楽譜を送ってくれたのだそうです。

メナヘムさん一家5人(両親の二人の兄妹)はドイツでの生活を諦めイタリア経由でイスラエルへの脱出に成功しました。しかしドイツに残った祖父母・叔父さん・叔母さんら5人の家族以外の親戚はすべてアウシュビッツのホロコーストの犠牲者となったのでした。メナヘムさんは過去を回顧して "In my life, the piece of bread has always fallen butter-side-up," と自ら非常に運に恵まれていたと考えています。

イスラエルに逃れたメナヘムさん(14歳)は心に傷を負い身体も弱まって保養所生活を送ることになったのですが、そこでメナヘムさんを支えてくれたのがピアノレッスンでありベートーヴェンのピアノソナタだったのだそうです。メナヘムさんはドイツ人から迫害に合いながらも、良きドイツ伝統をしっかり理解していたのでした。メナヘムさんは1946年に単身アメリカに渡り「ドビュッシーピアノコンクール」で一等賞を得、アメリカでの演奏活動を開始しました。

メナヘムさんはロスアンジェルスに拠点を構えますが、当時ロスアンジェルスのハリウッドにはドイツから逃れてきた芸術家が多く住んでいて、その人達との交わりはメナヘムさんの大きな影響をあたえたようです。その人達とは、「Thomas Mann, Arnold Schönberg, Sigmund Freud, Igor Stravinsky, Oskar Kokoschka, Artur Schnabel and the film composer Franz Wachsmann」だそうです。また芸術家を愛するマーラーの未亡人「Alma Mahler」とも交流があったのだそうです。

メナヘムさんの音楽と人生の拘わりは以下に言葉に尽きるようです。”While it was a tragic time, it was also one of the most wonderful times of my life, in every respect. I'm sure I wouldn't have become the musician I am now had I not experienced the depth of all that suffering and happiness.”



2015年02月22日(日) 練習用椅子の高さ

先週の水曜日にチェロの「フェイギンさん」の演奏を間近に見て試してみたいことがあったので、今日久しぶりに楽器を出して練習してみました。それは練習(演奏)するときの「椅子の高さ」を「少し高くすることです。ロシア出身のフェイギンさんは身長も高く、足も随分ながいので椅子(座高調整可能なピアノ用の椅子)の座高はかなり高くセットされていました。そしてチェロの「足」も少し短めにしているので、チェロの胸当ての部分は胃袋の上辺りに来ていました。このような構え方だと右腕・左腕がかなり垂れ下がり、自然な曲線を描いていていかにも力が抜けている感じだったのです。

私の場合身長は日本人平均位なのですが足は短いので、両足で楽器を包み込むことができるように椅子の座面を低くしていました。そうすると楽器の胸当ては「胸」辺りに来るのですが、右腕・左腕は下に垂らすことができず、少し不自然な感じになっていたのではいかと考えたのです。今日椅子の座高を少し高くし、両腕は自然に垂れるような形にして弾いてみた所、両腕の力を抜く感覚が以前より簡単につかめるように思えました。多分、肩・肘・腕・指の付け根の関節の動く向きが少し変わって、より自由に動くようになったのだと思います。

これまで足の長さとチェロを抱えることを最優先にして椅子の座面を高さを調整していましたが、大切なのは腕が自然な形で動けるような角度になるように楽器と椅子を調整することだったのだと思い至りました。さらに座面を高くすることで、膝下の足は余分に動くスペースが減ったので非常に安定した構えをせざるを得なくなったという効果もあるようです。「フェイギンさん」の演奏会は他にも色々と勉強になることが多かったです。もちろん演奏自体はプロと初心者では全く比べ物になりませんが。



2015年02月21日(土) ホームページの記事追加

2月一杯で「OCN」がホームページサービスを終了するので、私のホームページは「FC2」に移転することにしました。既にコンテンツの移動は終了しています。この日記帳ソフトの「エンピツ」とホームページの「FC2」はインターネット開始初期の時代からサービスを提供し続けています。そしてスマホ全盛の現在でも「可能な限り」サービスを提供し続けるようです。インターネットはこういうネット社会はこうした非常に立派なサポーターによって支えられているのだと思います。

「FC2」は有料のOCNよりずっと大きな容量を無料で提供してくれているので非常にあり難い存在です。その心意気に応えるためにも私もホームページの充実を図っていきたいと考えています。ということでホームページの「各地の名所・名物」に追加記事を掲載しました。新しく追加した記事は「神戸市にある孫文記念館」とナポリのカンツォーネレストランの「カンツンチェッラ」です。ふたつとも昨年2014年に旅をして非常に「印象深かった」場所です。

「孫文」関連は、香港・マカオ・広東州中山に次ぐ4番目の「記念館」です。じつは「孫文の足跡」はこの他にも中国では「上海・南京・広州」「台北」に記念館がありますし、ホノルル・サンフランシスコにも孫文の足跡が残されています。チャンスがあったら少しずつ訪問してその印象を記事にしたいと考えています。

ナポリは観光都市が山ほどあるイタリアで「治安の問題」もあって、日本の観光客からは少し敬遠されている都市です。ローマから中部北部のフィレンツェ・ミラノ・ベネチアを回ると南イタリアに足を伸ばすチャンスはありません。しかし非常に魅力的な街であることは誰もが聞き及んでいると思います。これから観光地として整備されていくと必ず多くの観光客が押し寄せるはずです。今は地下鉄工事が進んでいますし、カトリック教会美術館の整備も進んでいます。知られざる「ナポリの地下遺物」も徐々に観光客に開かれていくでしょう。日本の「ナポリピザブーム」は発祥地巡礼客を増やすだろうと思われます。私も旅行を思い出しながら情報を整理して記事を追加していきたいと思っています。



2015年02月20日(金) ピザ屋さん繁盛?

夕御飯に「ナポリピザ」を食べようと考え、通勤徒中の「蒲田駅」に薪窯を設置したピッツェリアがあるという情報をネットで調べたので行ってみました。ところが店に行ってみると「本日は貸切」とのことで店の中では大勢の客で盛り上がっていました。お腹は「ナポリピザ」を食べる積りになっていたのですが今日は「ナポリピザ」を諦めました。

私が「ナポリピザ」を食べるようになって数年建ちますが、ピザ窯を設置してナポリピザをメニューに入れている「イタリアバル」はどんどん増えているように思えます。ピザ焼き職人「ピッツァイオーロ」は引っ張りだこだろうと思います。一方で従来型式の居酒屋チェーン(例えばワタミ)は客足が遠退いているようです。イタリアンバルが隆盛しているだけかと思ったら、「立ち飲み」のような客同士がワイワイガヤガヤ話し合うような昔ながらの居酒屋も流行っているという話があります。

サラリーマンの「酒の飲み方」が変わってきているとは単純には思えませんが、男性・女性の結婚年齢が上がって独身時代が長くなり、独身サラリーマン・サラリーウーマンが職場と家庭の他に第3の生活の場を模索しているという仮定も成り立ちますし、比較的余裕のある熟年カップルが「酒」を楽しむ機会が増えたということがあるのかも知れません。「酒場」への需要が変化していることは確かだと思います。そうした需要に対応できる「酒場」が流行っているということでしょう。従来のチェーン店酒場はそうした需要を取り込まない限り、発展は難しくなっていると思います。



2015年02月19日(木) 「ダビク」

17日夜(日本時間では18日未明)イラク北部のクルド人自治区の首都イルビル近くで「ISIS」が多方面からの攻撃による大攻勢を仕掛けたそうです。イルビル付近には連合軍空軍の戦闘機が配置されていましたが、敵味方が接近し過ぎていて有効な空爆を実施できない状況なのだそうです。付近は予防線が貧弱な上にクルド人陸軍の武器弾薬が限られていることもあって苦戦している情報がありました。この後翌日になってクルド人武装勢力が「ISIS」の攻撃を凌いで押し返したとの報道がありました。一応一安心です。

「ISIS」側からみるとイラク北部は、クルド人部隊との戦闘においてクルド人武装勢力と連合軍の空爆の連携攻撃を受けて一時的に撤退を余儀なくされた地域でした。クルド人武装勢力は「ISIS」にとっては攻略できない唯一の対抗勢力でした。残念ながらイラク政府軍・シリア政府軍、イラク・シリアの反政府軍事組織は「ISIS」に対抗できるような精鋭ではないようです。

無人機や戦闘機による空爆で攻撃できても「ISIS」支配地域をひとつひとつ潰していくのは「陸上兵力」です。ここでクルド人部隊が「ISIS」に押し込まれてしまうとアメリカを中心とする「連合軍」は自ら陸軍部隊を投入せざるを得なくなります。

「ISIS」の思想的背景に1300年前のモハメッドの「ダビクの予言」というものがあるのだそうです。それは「シリア北部の町「ダビク」において、80の軍旗を掲げた背教徒の軍勢がイスラムの軍勢と戦いを繰り広げ、イスラム教徒も多数犠牲を出すが最後には勝利して終末の到来を告げる。」というものだそうです。アメリカ、イギリス、フランス、デンマーク等の西側諸国に対するテロを恰も「背教徒」の軍勢を数多く揃える為に威嚇しているようにも見えます。非常におぞましい映像を流す「ISIS」(イスラム国)の対外報道は「ダビク(Dibiq)」を名乗っているのです。



2015年02月18日(水) チェロの演奏会

六本木にある「シンフォニーサロン」で行われた「チェロとピアノ」の演奏会を聴いてきました。生憎の雨でしたが、演奏が非常に充実していたので気持ちの良い感動を得ることが出来ました。演奏は日本の大学で教えているチェリストのドミトリー・フェイギンさんと奥様でピアにストの新見・フェイギン・浩子さんです。場所は満席でも40人程の小さなホールでしたのでフェイギンさんの右手が良く見える席を確保しました。

2月18日 ドミトリーフェイギン (チェロ)、新見・フェイギン・浩子(ピアノ)演奏会

「プログラム前半」
チェロとピアノのソナタ4番(ベートーヴェン)
モーツァルト「魔笛」から「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲(ベートーヴェン)
アダージョとアレグロ(シューマン)

「プログラム後半」
チェロとピアノのソナタ1番(ミフスコスキー)
オペラ「金鶏」より(リムスキー・コルサコフ)
ワルツ「レントより遅く」(ドビュッシー)
「ロメオとジュリエット」からバルコニーシーン(プロコフィエフ)
「道化師の朝の歌」ラベル

「アンコール」
ボカリーズ(ラフマニノフ)
詩人の恋(シューマン)
白鳥(サンサーンス)
紡ぎ歌(ポッパー)

チェロのフェイギンさんはロシア出身でお父さんは「バレンティン・フェイギンValentin Feigin」さんと言って有名なチェリストだそうです。バレンティンさんをネットで調べるとソロ活動の他にモスクワ弦楽四重奏団のチェロメンバーとして活躍したという情報がありました。この楽団はボロディン四重奏団のチェリストのベルリンスキーに指導されたとの事です。有名なベルリンスキーさんの流れを汲むチェリストのようです。

ヴァレンティン・フェイギンさんの演奏写真をネットで見ることが出来ますが、その演奏姿は右手も左手も力が抜けていて、非常にオーソドックスな構えです。その演奏姿勢は息子の「ドミトリーさん」にも受け継がれています。弓を持つ右手は肩・肘・手首がしなやかにカーブして弓は殆ど親指と人差し指だけで握っているような軽さです。しかし出てくる音は非常に力強く低音から高音まで楽器の性能を最大限に引き出している音量です。左手のテクニックもすごいのですが、左手で最も注目すべきはその「ビブラート」の美しさだと思います。低音でも高音でも非常に深い安定したビブラートです。良く見ていると弓が動き始める前から左手がビブラートを始める場面が何回かありました。

曲目ではベートーベンに二曲が非常に堅固でしっかり構築されていた思います。一方ロシアものは全て暗譜で弾かれていましたが、自分の国に音楽として自身に満ちたものでした。アンコールも含めてシューマンが二曲となりましたが、ドイツロマン派の音楽も得意であることをチラっと示していたようです。ピアノ伴奏の奥様とは非常に息が合っていたと思います。特にベートーベンでは的確なダイナミクス変化に関する息がぴったりでした。一方ロシアものではチェロとピアノの曲想が若干異なっていた感じを受けました。ロシアの弦楽器、特にチェロプレイヤーの層の厚さにはビックリですし、その真摯な音楽への取り組み姿勢には改めてロシアの懐の深さを感じました。



2015年02月17日(火) 春節

旧暦では明日18日が大晦日で明後日19日が新年元旦です。中国では春節前後の休暇を利用した里帰りのためにそれこそ日本の数倍の規模に及ぶ人民大移動となる模様です。それと気になるのは、その長期休暇を利用して来日する中国人の観光客のことです。円安(118円前後で安定しています)状況が続いているので、春節以前からアジアからの観光客が目立っていましたが、明日からどっと来日観光客が増えるのではないでしょうか。

そういえば「JR車内広告」で「中国語」でのセブンイレブン店舗での「円引き出し」広告が非常に目立っています。国際的なクレジットカードは勿論ですが、中国の主要クレジットカードでも「円」が引き出せることをアピールしています。春節の中国人観光客目当ての広告のようです。



2015年02月16日(月) ブラームス対決

昨日の夜から深夜にかけてクラシック音楽番組で「ブラームス対決」が実現しました。それは以下の二つの番組です。

NHKEテレ(午後9時から)2014年12月10日の来日演奏会模様
パーボ・ヤルビ指揮のブラームス:ドイツ・カンマーオーケストラ、ピアノ:ラルス・フォークト
ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15 
交響曲第1番 ハ短調 Op.68 

NHKBSプレミアム(午前0時から)2013年1月の演奏会模様
クリスティアン・ティーレマン指揮のドレスデン国立管弦楽団、ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op.83
交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

プログラムの性格も大分違います。ヤルビ・カンマーフィルはピアノ競争曲・交響曲ともに非常に緊張を強いるブラームスの力作を並べました。これに対してティーレマン・ドレスデンは、どちらかというとブラームスの「田園
」的な2曲です。これを並べたのはNHKの作戦なのでしょうが、少し惨いように思えました。

両方とも全て聞いた訳ではないのですが、ヤルビ・カンマーフィルの熱い演奏には引き込まれましたが、ティーレマン・ドレスデンの散漫な演奏は途中で別な作業を優先して聞くのを止めました。カンマーフィルは1980年創立の若いオーケストラ、ドレスデンシュターツカペレは16世紀に創設された世界有数の歴史を誇るオーケストラです。カンマーフィルは「ヤルビ」を得て自分たちの目指す音楽を追求しています。一方ドレスデンは「ティーレマン」を招いて「大雑把で」「人を食ったような」音楽ばかり演奏しているように思えます。

それにしても「ドレスデン」はここのところ「ハイティンク」「ルイージ」「ティーレマン」の3人の指揮者をシェフとしていますが、このままだと本当に心配です。東ドイツ時代には西側対抗の最前線として最高峰の音楽を誇っていたと思いますが、冷戦終了後は優秀な指揮者の元で音楽を育む余裕が無くなってしまったのかしら。ブレーメンという小都市にある「カンマーフィル」の活動を見習って欲しいものです。




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