| 2014年09月23日(火) |
インチョンのアジア大会 |
先週金曜日から韓国のインチョンで「アジア大会」が開催されています。開幕当初は柔道・水泳の日本が得意とする種目が集まっていますが、水泳の「萩野公介選手」の活躍には目を見張るものがあります。自由形個人種目において日本人がメダルを取ったことはこれまであったのかしら。しかも彼は個人メドレーも得意とする万能選手です。日本人男子スポーツ選手が世界レベルに達したことは歴史的快挙だと思います。
少し前に「全米テニス選手権」で「錦織圭選手」が決勝に進み準優勝しましたが、最近の若い日本人選手の活躍はたいしたものだと思います。「萩野選手・錦織選手」とも体格においては欧米あるいは中国の大型選手に及びませんが、そのハンディを乗り越える技術力・精神力を身に付けていると思います。そしてインタビューで見る限り二人とも好青年です。
萩野選手は20歳、錦織選手は24歳です。彼等が義務教育を受けた時代の「ゆとり教育」がこの活躍をもたらしたのであれば「ゆとり教育」を再評価すべきかもしれません。昔のように「精神力」とか「根性」とかに訴えずに科学的に手法に則って努力し、強い精神力と明るい「ノリ」で困難を乗り切る強さは、現代的で非常にスマートです。
こうした傾向は、若者全体の平均値が変化したのではなく、若者の多様性が更に進化したものだと位置づけるべきだろうと思われます。大成功する例もあれば逆に人生を台無しにする若者も出現しているのかもしれません。嘗てのように平均値的な人間が大量生産されるのではなく、様々な個性的な人間が出現する世界に変化してきたのだと思われます。こうした変化がどのような社会変化をもたらすのか。注意してみて行く必要があると思います。

今回の旅行の御土産です。左はナポリの魔除けのお守り「コルノ」、右はイスタンブールの魔除けのお守りの「ナザール・ボンジュ」です。ナポリもイスタンブールも宗教的に古い伝統を持つ都市だけに、巡礼者向けにこの種の「御土産」が重宝がられたことは想像できます。
イスタンブール空港の乗り換えフロアにある「オールド・バザール」はトルコの伝統的な御土産品を扱っている店ですが二年前からは少し様相を変えていました。二年前はオリーブオイル等の伝統特産物を多く扱っていましたが、今ではもう少しハイカラな雰囲気になっています。「ナザール・ボンジュ」の品数も減っている感じでした。周りの「お酒・化粧品・チョコレート」等を売っている世界共通の免税品屋さんに似てきているのかなと思いました。
また「ナポリ」の「コルノ」は空港の免税品店では入手困難ではないかと思われます。「コルノ」は「角」で、横浜中華街に売っている中国のお守りは「唐辛子」ですが、形が似ているので融合してしまっています。どちらも魔除けのお守りです。本物のコルノは粘土で作ったもので、中国製はガラス・プラスティック製のものが殆どのようです。

別所沼の「彼岸花」がほぼ満開となっていました。先週水曜日に帰国したときに既に彼岸花の開花が始まっていることに気づいていましたが、涼しい気候が続いてどんどん開花が進んだようです。昨年は残暑が厳しかったと記憶していますが今年は一気に「秋」がやってきた感じです。
日高市の「巾着田」のホームページによると、巾着田曼珠沙華は22日位から最盛期を迎えるとのことですが、最盛期の到来の日付は、昨年は30日、23年・22年が29日となっていて今年は過去3年間に比べて一週間程早くなっています。もっともその以前21年度は9月19日、20年度は22日ですから、19年度は23日ですから、今年は4年前の水準に戻ったということができるかもしれません。
19日のスコットランド独立の住民投票において「独立が否決」されたために、欧州の株価は上昇しました。米国の景気回復に基づく高金利政策の思惑も絡んでドル高局面は継続しています。
金曜日の日経平均、外国為替市場は、日本株の上昇継続、円安進行局面を維持しました。来週週明けの東京市場の動向が注目されるところです。今年何回か東京証券取引所の株価最高値を試しましたが、その都度「反落」を経験してきました。こんどこそ継続的な株価最高値更新が継続して欲しいところです。同時に円が「110円台」に下落すれば、長らく継続保有せざるを得なかった「ドル払い給与」を円に返還するチャンスが到来します。
| 2014年09月19日(金) |
スコットランドの住民投票 |
スコットランドでイギリスからの独立可否をめぐる住民投票が行われました。日本時間の今日昼頃に大勢が判明し、「反対」が過半数を獲得して「独立」は否決されました。なぜスコットランドがグレートブリテン連合王国から「独立」を求めるのか詳しい理由は知りません。人口も少なく経済的にそれほど恵まれた地域ではないと思いますが、住民の自治・自主性を求める機運が高まっているということなのでしょう。
翻って日本のことを考えてみると、「安倍首相」は「地方創生」を改造内閣の大きな政治課題に据えて、石破元幹事長を地方創生担当大臣に指名しました。私の故郷「信州」もそうですが、若年人口が減少し駅前商店街が殆どシャッターを降ろしている状況は全国共通の見ることができます。このような東京・関西中心の経済優先の社会構造の中で、日本のどこかで「独立」を求める声が上がるとは思えません。どうしてこのような違いが出てくるのでしょうか。
イタリアのフィレンツェを旅行してみて、イタリアの地方都市「フィレンツェ」の元気の良さにビックリしました。世界中から観光客を集め、その観光客がフィレンツェの町に多額の「金」を落としていきます。世界有数の文化遺産を有する「都市」なので当たり前と言えば当たり前ですが、フィレンツェの文化はフィレンツェの住民が過去から営々と築いてきたものだということを確認しておく必要があります。
まずずっと昔の「メディチ一家」を始めとする昔の住民が「文化遺産」(美術館・魅力的な町並み)を残しました。これはその地方の先祖から子孫への贈り物です。そして住民はその土地の伝統・文化を大切に守り続けました。フィレンツェでいうと豊かな農作物・牧畜産業・ワイン産業です。子孫達がこれらの伝統を守り続けたお陰で、美味しいトスカーナ料理を楽しめる「レストラン」が繁盛しているのだと思います。牧畜産業からの副産物の皮製品産業は「鞄・靴・上着」を得意としていて観光客が土産物として買って帰ることになります。
そして重要なことは、レストラン・ホテル・皮製品産業は「大資本」が支配することなく、相変わらず家族単位中心の小規模事業者の運営が中心になっていることだと思います。街中には昔ながらの「八百屋・肉屋・魚屋」が商売を続けています。最近は郊外に「大規模アウトレット」が出来始めているようですが、街中の生活は相変わらず近所の商店での買い物が中心であるように見えます。家族経営の古い建物を利用した小さなホテルが沢山あって観光客を収容します。観光客はフィレンツェの古い町並みのホテルに宿泊して、近所の昔ながらの伝統的なレストランでトスカーナ料理を楽しむことになっています。
石破地域創生担当大臣は難しい課題を解決していかなければなりませんが、中央からの「金のばら撒き」だけでは地方は再生しないことだけは確かだと思います。
| 2014年09月18日(木) |
10日間で「秋」が進行 |
旅行で10日余り日本から離れていた間に「秋」が進行していることを実感しました。武蔵浦和の図書館から自宅に向かう歩道脇の草むらの「彼岸花」がかなり花を広げていることに気づきました。今年は雑草の草刈が遅れていて背の高い草に埋まりながらも、真っ赤な彼岸花が懸命に頭を出して花を開いています。お彼岸まで少し時間がありますから、今年は「秋」の訪れが少し早いようです。
関西空港到着が遅れて、代わりにアサインされた羽田行きの飛行機は6時30分発の全日空3820便でした。この飛行機はスターフライヤーSFJ20便の共同運航便です。機材はスターフライヤーのA320−200の最新式で、座席は3人・3人ですが座席は広く各自にモニター画面が設置してあって機内エンターティメントを楽しむことが出来ます。そしてキャビンアテンダントによる機内サービス(コーヒー・ジュースなど)があります。
大手キャリアが国内線機内サービスを縮小しているので、この差別化は重要だと思いました。私達が始めてのスターフライヤーを利用したと察知した「CA」さんが葉書にお礼のメッセージを書いてプレゼントしてくれました。細やかな心使いは大手既存キャリアとは随分違うと思いました。
イスタンブール・関西空港と2日続けての「深夜にホテルチェックイン・早朝の出発」は厳しいものでしたが、日航ホテルが空港に隣接しているので少し余分に睡眠を取ることが出来ました。イスタンブールのホテルで頂いたランチボックスのパンを食べてシャワーを浴びると比較的良く眠ることが出来ました。久しぶりの日本のホテルだったためだと思われます。
火曜日朝の羽田行きの飛行機は予想外に混んでいました。飛行機はほぼ満員の乗客を乗せ1時間余りで羽田空港に到着しました。朝8時過ぎに、京浜急行とか京浜東北線・埼京線に大きな旅行荷物をもって乗り込むことは気が引けたので、少し前から運行開始している「羽田−武蔵浦和」空港バスを利用することにしました。
このバスは料金は少し高めですが、乗客を羽田からダイレクトに武蔵浦和駅まで運んでくれます。首都高速の混雑で多少スピードは遅いですが、それも運行時間には織り込み済みで約1時間で「武蔵浦和駅」に到着しました。直行バスは荷物を運んで歩く必要がないので疲れないし少し、少し贅沢な気分に浸れます。旅行の「行き行程」はともかく「帰り」には利用価値が大いにあると思いました。利用客が少なくても運行を続けて欲しいと思います。快適なバスのお陰で「トラブルのあった帰路」も楽しい思い出に変わりました。
早朝のトルコ航空便で関西空港に向かいました。飛行機の客室乗務員は異常なほど親切でした。飛行機が6時間以上遅れたので乗客が「頭にきている」ことを事前に申し合わせたようでした。客室乗務員に飛行機の遅れた理由を聞きましたが、はっきりした理由は教えてくれませんでした。「機体の変更があった」とのコメントだけでした。
東に向かう「飛行」は時間がどんどん過ぎていきます。「夜」が猛スピードで飛行機に向かって突き進んでくる感じです。前日夜明け前にイスタンブール空港に入って、飛行機には早朝に搭乗したのですが、関空に到着する頃には深夜になっていました。6時間の時差がこの日の活動時間を短くしてしまます。
関西空港から羽田空港への接続便は既に終了しているので、関西空港で一泊することになりました。仮に羽田空港に移動できてもそこから動けなくなるのです。そして羽田空港への飛行機便として6時30分発のANA3820便が割り振られました。この飛行機に乗るとすれが「ホテル滞在」は5時間程度になります。遅い便への変更が可能かどうかトルコ航空地上職員に聞きましたが、ANA地上職員が既に帰ってしまっているので対応できないとの回答が来ました。関西空港は24時間営業するために海上に作ったのではないのかしら。空港だけ24時間開いていても、その他の交通機関やら空港内施設が休んでいたら「意味がない」ことが分かりました。
私達は関空に隣接する日航ホテルに泊まることになりました。関空が最終到着地である人達も空港から自分の家に帰る交通手段が無くなっている人が多くいました。そういう人達は梅田・難波あたりの交通の便の良いホテルに泊まったようです。トルコ航空はヒルトンとかウェスティンホテルとか高級ホテルを手配したようです。緊急に客室を確保しなければならない事情だと思いますがかなりのコストです。但し「飛行機機体の異常」が運行機材変更の理由だとしたら「懸命な措置」です。乗客の命は「金」では買えませんから。
「ピサ空港に移動」 朝フィレンツェのホテルをチェックアウトしてサンタ・マリア・ノベッラ(SMN)駅のバス停から「テラヴィジョンと言う会社のバスに乗って出国空港のピサに向かいました。フィレンツェにも飛行場がありますが、トルコ航空は就航していないのでトルコ航空が就航している空港でフィレンツェに最も近いピサを帰路の出発空港に選んだのでした。フィレンツェとピザ空港の間は鉄道も利用できますが、乗換えが面倒なのでバス便を選びました。ピサ空港までは約一時間のバス行程です。
バスはフィレンツェ市内を抜けると自動車専用道路を時速90キロのスピードで走りました。景色を眺めるためには最高の最前列の席に座れたので、トスカーナの山や畑の風景を堪能できた一時間でした。イタリアの公共交通機関は競争が激しいので料金は結構安いです。フィレンツェからピザまで座席予約料金で一人6ユーロでした。
ピサ空港はナポリの空港より大きいのではないかと思われる規模でした。それでも免税店の数は少ないのでお土産を買うのは途中の乗り換え空港のイスタンブールにしました。チェックイン窓口では少し戸惑いました。ピサからイスタンブール、イスタンブールから関西空港、関空から羽田への通しのチケットが発券できないことが分かりました。最後の関空初便の出発時刻がその発券時点から24時間を越えるのでコンピュータが受付ないという回答でした。本当かどうか怪しいのですが、イタリア人空港職員と揉めても仕方が無いので「ピサ−イスタンブール」だけの搭乗券を受け取って飛行機に乗ることにしました。イスタンブールで預けた荷物を引き取る必要が生じたのでした。機械の故障とかで私のマイレージ登算はできませんでした。困ったものです。
トルコ航空機への搭乗開始時刻は大分遅れましたが、飛行機の離陸はほぼ予定通りとなりました。早く搭乗口に乗客を集めて一気に飛行機の乗せてしまう作戦のようです。日本なら集まった乗客が文句を言うところですが、外国ではこの程度の「調整」は当然の如くに行われるようです。
「イスタンブール・プチ観光」 乗り換え地のイスタンブールには現地時間の午後3時30分頃定刻に到着しました。関空行きのトルコ航空便は午前0時50分発です。イスタンブールで預けた荷物を受け取る必要が生じたので、自然な形で待ち時間を利用した「イスタンブール・プチ観光」をすることになりました。受け取って荷物は「ネット」で急遽探した手荷物預かり所(二つで36トルコリラ)に預けました。荷物を預けて身軽になって地下鉄・市電を乗り継いぎ、「エジプシャンバザール」とその向かいにある「エミニョニュ広場」と「ブルーモスク」観光に出かけました。
ガラダ橋付近の「エミニョニュ広場」は大変な混雑でした。地元の人観光客が入り混じって物凄い熱気です。旅行案内書にある通り釣竿を垂れる釣り人が沢山いましたが、釣れているところには巡り合いませんでしたが。また解説書で紹介されている通り「サバサンド」を売る船3隻がガラダ橋の北側に接岸してサバサンドを売っていました。旅の思い出にサバサンドとレモンジュースを頂きました。サバサンドは予想を超える美味しさでした。
その後大混雑の「エジプシャンバザール」でトルコ名物のお菓子をお土産用に購入してブルーモスクに向かいました。ブルーモスクは丁度礼拝の時間になっていて拝観が終了したところでした。残念ながらモスク内を拝観することは出来ませんでしたが、乗り継ぎ飛行機待ちの短時間の入国なのできっぱり諦めました。ブルーモスク北側の公園には観光客から餌をもらう猫が沢山いました。トルコの猫(野良猫)は人懐こいです。そして日本の猫の種類(トラ・雉・白黒・三毛)と共通だと思いました。一方同じく公園で休んでいる「カラス」は真っ黒ではなくて胸から肩にかけて「白い羽の部分」を持っていて外観は日本のカラスと違っていました。
空港に戻る帰りの「トラム」は通勤客で大混雑でした。2台位やり過した後、逆に一つ駅を戻って空いている列車に乗って奥の方に居場所を見つけることが出来ました。ナポリのスリ遭遇の思い出がダブりました。しかしイスタンブールの人達はとても親切でした。特に「若い男性」がしっかりしていて女性に席を譲る光景を何度も見ました。非常に「頼もしく」思えました。
「イスタンブールの空港に足止め」 地下鉄で空港に戻り出発便の搭乗窓口を確認しようとしましたが、私達が乗る便より後の飛行機の搭乗口が決まっているのに私達の便の搭乗口は決まっていませんでした。乗り換えコンコースにある電源設備のある喫茶店に入ってこの「日記」を書くと同時にパソコンと携帯に充電しました。妻は何度もWiFiに挑戦していましたが繋がらなかったようです。
その喫茶店を引揚げてそろそろ「大阪行きトルコ航空便」の搭乗口が決まっているだろうと表示板を見てみると、なんと「大阪便は6時間30分の遅れ、出発は明朝の7時30分」になるとのコメントが掲載されていました。前回の旅同様にイスタンブールからの帰国便にトラブルです。しかも今回は更に条件が悪くて、大阪着が深夜になる見込みなので「大阪−羽田」乗り継ぎ便にも影響が出ることが予想されます。(前回は成田直行でした)
羽田便までの心配はやめて「今晩のどのように過ごすか」を考えなければならず、トルコ航空地上スタッフに聞くことにしました。文句を言う客対応は面倒な仕事だとは思いますがトルコ航空地上職員の対応は酷いものがありました。総合案内所職員は「ホテルと夕食は用意する。乗客対応窓口に行け」という対応でした。「乗客対応窓口者」は「一階下の219ゲートの休憩場所」に行けとのこと。
この219ゲートを探すのが大変でした。様々間違えて行き着いたのですが、219ゲートは到着フロアにあり、出発フロアから到着フロアに降りる方法は簡単ではありませんでした。219ゲートでは入国手続きをしてくれました。その担当者は「外にでて右側のホテルへ行け」とのこと。その場所に行ってみると空港近辺のホテルに案内するたために地上職員が何人か対応していました。
結局そこに集合した8人の同乗客と共に車で空港から10分位走った場所にある「ルネサンスホテル」に案内されました。このホテルにチェックインして部屋で眠りに着いたのが午前1時過ぎで、朝7時半の出発便に乗るために午前5時にホテルを出発しなくてはなりません。数時間眠って4時30分に起きて身支度をしました。フロントには昨晩頼んでおいた「ランチボックス」が準備されていました。
| 2014年09月14日(日) |
フィレンツェ最終日:ダビデ、パラティーナ美術館 |
フィレンツェ最終日は日曜日です。予定ではアルノ川南のピッティ宮にある「パラティーナ美術館」を見学してから「サンタ・クローチェ教会」を見て回って、余った時間は町でお土産を買うことにしていましたが、昨日「アカデミア・ギャラリー」を見送ったので、予定の名に今日は朝一番で「アカデミア・ギャラリー」を見学してから予定のルートを回ることにしました。
「アカデミア美術館」 朝のアカデミアギャラリーは開館前から観光客の行列ができていました。アカデミアギャラリーには切符を買うための列と切符を持っている人(引換券を持つ人を含む)の列があって、フィレンツェカードの客は私達が先頭でした。開館まで少し待ちましたが私達は開館と同時に最初に入場を許されました。ここでは何といってもミケランジェロの「ダビデ像」ですが、この日最初に入場した私達は暫くの間「ダビデ像」を独占して鑑賞することができました。
ウフィッツ美術館には「ギリシャ彫刻のローマ時代模彫」が沢山所蔵されていて、その見事さに圧倒されますがルネサンス同時代のミケランジェロの天才もギリシャ彫刻を凌ぐ作品を作り出しました。ルネサンスはまさしく「文芸復興」でした。ダビデを見ると「ルネサンス」以降においてはまだこの水準に達した芸術は生まれていないと思います。
アカデミアギャラリーを存分に楽しんでからアルノ川南のピッティ美術館に行くことにしました。サンマルコ広場付近のバス停からピッティ宮までは歩くには少し遠くまた便利な直通バスも走っていません。一旦「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(SMN駅)までバスで戻り、SMN駅で「ピッティ宮」行きのバスに乗り換えることにしました。SMN駅では全く待つことなく都合よく「Dラインバス」に乗ることが出来ました。このようにバス路線を乗り継ぐ術を覚えると移動はかなり楽になります。バスの中では十分に休憩を取ることが出来ました。このバスはアルノ川南の「サン・スピリット」広場を通過しますが「第二日曜日」のこの日は「市」が出ていました。
「パラティーナ美術館」 アルノの南にある巨大なピッティ宮殿には幾つかの美術館が入っています。その中でも「パラティーナ美術館」は「ラファエロの絵画」を収蔵することで有名です。三日目の狙いの一つがその「ラファエロ」です。ピッティ美術館は非常に贅沢な展示がなされています。各部屋の壁は下から上まで多くの絵画で埋め尽くされています。そうした中に何気なく「ラファエロ・サンティ」の作品があるのですからその贅沢さに驚いてしまいます。
「ラファエロ・サンティ」の絵はバチカンのラファエロの部屋の力強い巨大な絵を見ました。パラティーナ美術館ではラファエロの可憐で優しい絵を見ることができました。「ミケランジェロ」「ダ・ビンチ」と並ぶこの天才は他の二人に比べて非常に「誠実」で「優しさ」が滲み出る絵を描いています。ラファエロはその色彩感覚と善良で明るい画面が人気を集めているのだと思います。以前から好きだった「ヴェールを被る婦人の肖像」を間近に見ることが出来て感動しました。帰りに「サン・スピリット広場の「日曜市」を除いてバスにのってサンタ・クローチェ教会付近まで行きました。
「サンタ。クローチェ教会付近」 サンタ・クローチェ教会付近の横丁には「革製品屋」さんが軒を連ねています。ここで旅行中に誕生日を迎ええいた娘へのお土産として小さなバッグを買いました。私も旅行記念に「10年は持つ」という宣伝文句の「ベルト」を購入しました。サンタ・クローチェ教会の直ぐ近くのレストランで昼食を食べて午後から開いた教会内部を見学しました。
サンタクローチェ教会には至る所に「墓」があります。左右の壁には「ロッシーニ、ガリレオ等」の立派な墓がありますが、床には無数の墓の「標石」があります。ナポリで見た「カタコンベ」そのものです。サンタ・クローチェ広場も観光客が一杯でした。サンタ・クローチェ教会の美術館にはウフィッツ美術館以来気になっていた「ブロンジーノ」の「キリストのLimboへの降下」がありました。大変力強い絵で益々この画家に興味が沸いてきました。
「帰路準備・最後の夕食」 サンタ・クローチェを最後に今回のフィレンツェ旅は終了です。SMN駅によって明日の「ピサ行き」のバスを予約しました。混んでいることは無いと思いましたが念のために座席を予約しました。この日の夕食は「肉屋さんレストラン」が休みなので、これまた気になっていたパスタ専門店の「ラ・カパニーナ」に行くことにしました。ここもホテルから目と鼻の先にあるレストランです。地元の人が食べているので間違いないと思いました。
「ラ・カパニーナ」ではグリルチキンとご主人お勧めのパスタ「ソーセージとズッキーニのスパゲッティ」「カプレーゼ」を地ワインとともに頂きました。「炒めたなす」の添えられたカプレーゼは本当に美味しかったです。スパゲッティも大変美味しくて夕食が3回しか食べられない短期間の旅が恨めしく感じました。今回のイタリアの旅ではレストランの選択はほぼ大当たりだったと思います。
フィレンツェの多くのレストランで「トリップ・アドヴァイサー」の「評価表」(フクロウの目玉マーク付き)が掲げられていました。「インターネットでの評価」がレストラン選択上の重要な要素になっている証拠だと思います。「トリップ・アドヴァイサー」も商売上手で「投稿者の評価」を数値化して「証明書」を発行しているのです。投稿意見が必ずしも信頼が置けるというわけでもないですが参考にはなります。便利になったものだと思います。
|