| 2013年11月10日(日) |
健康増進へ水泳・献血 |
少し間が開きましたが水泳と献血に行ってきました。食べ過ぎ・飲み過ぎで体重が増加傾向にあったところを一挙に解消しようという作戦です。日曜午前中の市民プールと午後1時頃からの献血は、どちらも混雑しているのではないかと心配したのですが、両方とも空いていました。プールはゆっくり自分のペースで泳げたし、献血も殆ど待つことなく成分献血ブースに辿り付く事が出来ました。
土日の散歩と別所沼公園でのストレッチは主に腰から下半身の運動なので、クロールで1時間ほど泳ぐと肩から首の運動になり全身の血の巡りが良くなります。泳いだ後に身体を洗ってプール付属の湯船に暫く浸かると本当に気持ちが良くなるのです。
献血は身体への負担の少ない成分献血(血小献血)を行います。糖分のやや多い血漿が献血によって薄められる(と信じている)ので身体の調子も良くなる気がするのです。献血が「世の中の為になっているかな」というイメージはもはや殆ど無く、「散歩・ストレッチ・水泳・献血」と自分の身体の調子を良好に保つ「生活習慣」のようになってしまいました。
今日担当された看護婦さんから聞いた話によると、60歳過ぎても一定の条件を満たせば69歳まで献血は出来るのだそうです。現に60歳を超えた献血常習者がいるそうで、会社を辞めた後の格好の「健康チェック」になっているとか。実際、無料で血液検査が受けられて医師に健康相談ができることは非常に有り難いことです。
献血ができるということは、病気治療のための薬を服用せず、健康な血液状態を保つことができていることなので、それ自体非常に健康な証拠ですね。私もできるだけ長く献血を続けようと思っています。(今日は110回目の献血でした)
| 2013年11月09日(土) |
Fortified Wine(酒精強化ワイン) マンサニーリャ |

歌劇カルメンでカルメンの歌に出てくる「マンサニーリャ」。スペイン南部の特定の地域で生産されるシェリー酒の一種です。シェリー酒はアルコール濃度を高めたワインでこのワインもアルコール濃度は15%。しかし非常にフルーティで美味しいワインでした。
ワインの醸造過程でアルコール(通常はブランデー)を添加することでアルコール度数を高めたワインがフォーティファイドワインです。アルコール度を高めることでワインの酸化・腐敗を遅らせてワインの保存性が向上するため、長期間の航海時などで船に積んでいく、あるいは遠方への輸出などに適しているために主に港町近辺で作られてきたようです。
「3大フォーティファイドワイン」として、スペインの「シェリー」、ポルトガルの「ポートワイン」、「マデイラワイン」があるのだそうです。これらフォーティファイドワインは原産地呼称統制法によって、シェリー、ポートワイン、マデイラワインの名称は一定の地域の生産品しか用いることが出来ません。同じ葡萄・同じ製法でつくっても別の地域の生産品はこれらの名称を使うことはできません。日本では丁度「産地偽装」の問題がニュースになっていますが、あまり厳しい統制を課すと消費者の利益を損なう可能性もあり難しい問題をはらんでいると思います。
スペインの「シェリー酒」とはスペイン南部アンダルシア地方の「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ」「サンルーカル・デ・バラメーダ」「エル・プエルト・デ・サンタ・マリーア」周辺地域で生産される酒精強化ワインを指します。アルコール濃度タイプによって、大きく「フィノ」(18度以下)、オロロソ(18度以上)に区別されるのだそうです。「フィノ」タイプのシェリーの中で特に「サンルーカル・デ・バラメダ」地域で作られるフィノは「マンサニーリャ」という名称を使用することができます。
ポルトガルの「ポートワイン」もポルトガル北部のドウロ川沿岸に産地が限定されています。原料となるブドウの品種は29種が推奨品種となっていて、発酵途中にブランデーを加えるため甘口となるのだそうです。日本の甘口のワインがかつて「ポートワイン」という名称を使っていましたが、今では使えないこととなっています。
最後は非常にユニークな「マデイラワイン」。モロッコの西600キロの海上にあるマデイラ島(ポルトガル領)で作られるもので、使用する葡萄品種、製法が厳しく限定されているとのことです。発酵させたブドウ果汁を樽詰めし樽ごと乾燥炉に入れて約50度で加熱処理(エストファ)した上で蒸留酒(通常のワインを蒸留したエタノール)を加えるのだそうです。マデイラ島は奄美大島と同じ位の大きさの島で非常に温暖な気候の山岳島だそうです。マデイラワインは奄美大島特産の「黒糖焼酎」を彷彿とさせますね。
| 2013年11月04日(月) |
マルケ州のワイナリー「Ciu Ciu」 |
昨日(3日)浦和のイタリア料理店ディアボラが主催したワイナリーディナーに行ってきました。ディナー+ワインで5500円(ネット価格)は、美味しい料理だけでも非常にお徳感があるのにワイン付き、結婚○○周年のお祝いを兼ねて出かけました。この日の主役はやはりワイン。マルケ州南部アスコリ・ピッチェーノ県にはる「Ciu Ciu」というワイナリーオーナが日本での品評会に出席するために来日し「さいたま」まで足を延ばしてワインの宣伝に来たというわけです。
スプマンテ、白2本、赤3本のマルケ産のワインに合わせて、マルケ州が山・海の食材に恵まれているということを念頭においてデアボラのシェフ工夫を凝らしたディナーはとても美味しかったです。
マルケ州のワインはこれまではあまり知られていなかったと思います。イタリアと言えば昔からトスカーナのキアンティとか北部ピエモンテのバローロとかが知られていました。いずれもイタリア中部・北部のグルメ地区で有名な地域のワインです。葡萄も「ネッビオーロ」「サンジョヴェーゼ」といった重厚な葡萄を使っていてフランスワインと競うような形で人気があったと思います。
暫く前からは南イタリア料理、南イタリアワインが急激に人気となって市場に出回り始めたのでした。「ナポリピザブーム」と歩調を合わせるようにラッツィオ州・カンパーナ州・シチリア州・プーリア州のワインを楽しめるようになりました。アブルッツオ州は以前からお得な感じのするモンテプルチィアーノワインで有名でしたが、これに加えてプリミティーヴォ、アリアノコと言った南部イタリアの葡萄を使った重厚というよりは軽めで爽やかなワインが豊富に飲めるようになりました。ナポリピザとドライなトレッビアーノ種の白ワインは絶好の組み合わせだと思います。
そしてマルケ州のワイン。スプマンテはマルケ州特産「パッセリーノ種」、白二本目がやはりマルケ州特産の「ペコリーノ種」、もう一本の白はトレッビアーノ(50%)、パッセリーナ(30%)ペコリーノ(20%)。赤ワインはモンテプルティアーノの100%、70%、50%(相手はサンジョヴェーゼ)という興味深い選択でした。
白ワインでは「3種葡萄使用ワイン」が口当たりがよくバランスが良いと思いました。ペコリーノ100%の白は少し尖がった感じでした。一方赤ワインはモンテプルティアーノの微妙な組み合わせが楽しめたのだと思いますが、ソレそれに行き着く前にかなり酔ってしまって味の違いは分かりませんでした(残念)。
今回のようなワイン試飲付きのディナーは初めてなので、飲・食のペースが難しかったです。料理も十分賞味したいし、複数のワインの味も楽しみたいし、イタリアに関する会話も楽しみたいという贅沢な目論見は、残念ながら全てを満足させることは相当難しいということが分かりました。ワインを飲みすぎると全てが台無しになってしまうので、自分のアルコール摂取量をキチンと管理してディナーを頂かないと楽しめないのは確かです。

11月19日まで原宿にあるトルコ大使館で行われている「エルトゥールル号展」を見てきました。日本とトルコの関係は2020年オリンピック開催地競争で最後まで争ったり、原発売り込み・ボスポラス海峡海底トンネル開通式のために安倍首相が異例の同一年2回目の訪問をしたりして話題が豊富です。そうしたトルコブームの流れだと思うのですが、1890年に日本訪問の帰りに和歌山県串本沖で遭難して船員500名以上が犠牲者となったエルトールル号の遺品などの展覧会が開かれたのでした。
エルトゥールル号は明治天皇名代小松宮夫妻のオスマン帝国訪問の返礼使として日本派遣が決定され、1889年7月イスタンブールを出向し1890年6月に横浜に到着しました。日本で明治天皇謁見等の目的を果たして9月15日に横浜を出港したところ台風に遭遇して9月16日に和歌山県串本沖で遭難したのでした。しかしエルトクールル号の日本への航海は最初からかなり問題をはらんでいたようです。
記録によるとスエズ運河を通過するのに2ヶ月要していますが、これはその間に2回座礁し船の修理が必要となったことが原因でした。シンガポールでは4ヶ月以上滞在することとなりましたが、これは近隣に住むイスラム教徒の大歓迎があったのがひとつの要因でしたが、悪天候で待機せざるを得なかったり、石炭の調達手続きに手間取ってしまったこともあるようです。
当時オスマン帝国はイスラム国家の盟主的な存在だったようです。メッカ・メジナから遠く離れた地に住むイスラム教徒にとってオスマン帝国の「エルトゥールル」はイスラム教国家の力の象徴でもあったようです。エルトゥールル号日本派遣はイスラム圏の事情も含んでいたようです。
シンガポール出向後も東シナ海での航海では風向きに関係で石炭を大量に消費してしまいサイゴンで石炭を積み込む必要が生じてしまったのでした。更に日本では寄港翌月の7月に日本で発生したコレラが船員にも感染し思わぬ期間の足止めを食ってしまったようです。そして台風シーズンの真っ只中での出港となってしまったのでした。
遭難事件を知った和歌山の串本の人達はエルトゥールル号船員の救助に全力であたって69名の船員の命を救いました。更に遺品・遺体の引揚げはその後も続けられたようです。救助された生存者たちは翌年日本の軍艦によって故国に帰ることができました。トルコの国民はエルトゥールル号遭難に際して日本国民が手を差し伸べてくれたことを心に刻み、いまでも親日感情豊かなようです。
昔の日本人のこのような行いは子孫達への貴重なプレゼントであると思います。東日本大震災で世界各地から寄せられた励ましは決して忘れずに度あるごとに感謝していかなくてはならないと思いますし、現代の人々はチャンスがあったら世界中の誰かに救援の手をさしのべるべきだと思いました。
| 2013年11月01日(金) |
インドのワイン「スーラ」 |

最近急激に人気が出ているという話題のインドワイン「スラ」を飲んでみました。これはオーソドックスな「シラー種」です。シラーの他にも多くの種類の葡萄からワインを作っているのだそうです。値段は格安という訳ではないですが2000円未満で、地元で大量消費するための「ガブ飲みワイン」を作るのではなく主に海外消費者向けにワインを製造しているのですからこれくらいになるのかと思われます。
「シラー酒」に関する限りでいうと、非常にフルーティで香りが豊かでバランスの取れたワインだと思いました。そして素直に作っている感じがします。このワイナリーのワインが熟成するとどのようなワインに育って行くのかまだわかりませんが、こういうワインは高級志向ではない素人ワイン愛好家には喜ばれると思います。ぜひ大衆向けワインを生産し続けて欲しいものです。
「スーラ」を生産するヴィニャードは、インド西部のムンバイから180キロ北東に離れた「ナシーク」にあるのだそうです。私はムンバイに住んでいた時に「サイババの街シルディ」まで行ったことがありますが、その途中で「ナシーク」の街を通過したことがあります。ナシークは「ムンバイ−アグラ」間の主要国道3号線沿いにあります(3号線はアグラでコルカタとデリーを結ぶ国道2号線に合流します)。この国道3号線は内陸を通るもので、デカン高原の険しい山脈を通過するのではなく低い丘陵地帯のゆったりした大地を延々と進むものでした。
砂礫に覆われたなだらかな大地で海抜600メートル程の高地であるため、ナシーク周辺はブドウ栽培に適した土壌が広がっているようです。自分の出身地ナシークのこうした利点に気が付いた創業者の「ラジーヴ・サマント」さんが有名なワイン醸造家をコンサルタントに迎えて1997年からワイン作りを始めたのだそうです。
インドのワインというとこれまでは「グローバー(GROVER)ワイン」が有名でした。今でも日本のインドレストランでは良く見かけます。こちらのワイナリーはハイテク製品のフランスからの輸入で財を成した「グローバーさん」がフランスワインに惚れ込んで引退後に始めたのだそうです。一方「スラ」はというと、スタンフォード大学を出てシリコンバレーで働いていた「ラジーヴ・サマント」が若くして脱サラし始めたのでした。彼が親しんでいたのはナパのカルフォルニアワインであったのでしょう。このようなワイナリーの生い立ちの差が今の「スラ」の味にも現れているようです。
| 2013年10月31日(木) |
レアルのベイルが初先発・初ゴール |
史上最高額の移籍金でイングランドプレミアリーグのトッテナムからスペイン・リーグのレアルマドリードに移籍したガレス・ベイルが30日のセビリア戦で初先発、フル出場し2得点2アシストの活躍を見せました。移籍後怪我による欠場が続いていたのですが、漸く本格的にスペインデビューを果たしたことになります。
ヴェイルはウェールズ代表に選ばれている24歳のミッドフィルダー。ウェルーズなのでワールドカップに出場するチャンスは殆どありませんが、オリンピックならイギリス代表で出場することが出来ます。次ぎのオリンピックまではスペインリーグ、クラブチャンピン戦等で存分に活躍して欲しいと思います。
レアルマドリッドにはスーパースターの「クリスティアーノ・ロナウド」がいますが、走って局面を打開し得点まで持っていけるベイルが加入したことによって左右どちらからでも得点可能となりました。30日の試合ではベイルが2点、ワントップのベンゼマが2点、ロナウドが3点を叩き出し、強力な得点力を見せ付けました。強力なミッドフィルダーの存在は、バイエルンミュンヘンのロッペン、リベリーのコンビに匹敵すると思います。
スペインリーグのもう一方の雄のバロセロナはパスサッカーで一時代を築いたスーパースター揃いです。戦い方の違うレアル・バルセロナとの頂上決戦は益々面白くなりそうです。
| 2013年10月29日(火) |
スリランカコロンボの高速道路 |
10月27日コロンボの北部カトナヤケ(Katunayake)にあるバンダラナイケ国際空港と首都コロンボを結ぶ高速道路(Colombo-Katunayake Expressway)が開通しました。コロンボ市内北西部のキャンディロードのケラニヤ橋付近を基点にして、従来のコロンボ・ネゴンボ道路に沿うような形で長さ25.8Km、片側2車線の高規格の高速道路です。最高時速100Km/hで走ると20分で空港に到着するのだそうです。一般の乗用車の料金はコロンボ−空港間で300スリランカルピーだそうです。
これまでコロンボから空港に向かう時には渋滞の激しい「A3国道」(コロンボ・ネゴンボ道路)を通らなければなりませんでした。この道は周辺住民の生活の場と化している一方で、コロンボに通う通勤客を乗せたバス・マイカーが集中する道路でもありました。幸い日本人が良く使うシンガポール航空便は深夜の出発なので道路が空いた頃に出発すれば良かったのですが、それより早い便に乗る場合には相当早めにコロンボを出ないと、渋滞に巻き込まれた車の中で「ヤキモキ」することとなるのでした。
この高速道路完成のお陰で空港へのアクセスは格段に良くなるでしょう。この高速道路を利用した空港−コロンボ市内を結ぶリムジンバスが運行されるようですから、空港に到着したスリランカ観光客にとってはコロンボまでの交通手段が非常に便利になります。
スリランカでは2011年にコロンボ郊外南部からゴールに至る「南部高速道路」(Southern Expressway)が開通し、その高速が今年度中に更にマータラまで伸びて総延長126Kmとなるようです。将来はコロンボ環状高速道路ができて、この南北の二つの高速道路を結ぶことになるのだそうです。スリランカもいよいよ高速道路時代に入りました。
| 2013年10月21日(月) |
スカラ座の「アイーダ」 |
ミラノ・スカラ座の日本公演の「アイーダ(演奏会形式)」をNHKの放送録画で聞きました。指揮はグスタフドゥダメル。歌手陣は以下でした。
エジプト王:ロベルト・タリアヴィーニ(バス) アムネリス:ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ) アイーダ:ホイ・ヘー(ソプラノ) ラダメス:ホルヘ・デ・レオン(テノール) ランフィス:マルコ・スポッティ(バス) アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ(バリトン) 使者:ジェヒ・クォン(テノール) 巫女:サエ・キュン・リム(ソプラノ) 合唱:ミラノ・スカラ座合唱団 管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団 指揮:グスターボ・ドゥダメル
舞台で演じている歌手がそのまま演奏会形式になると「舞台版より冷静に音楽に神経を集中できるだろう」という見方と「やはり演技があるから歌も良くなるので演奏会形式は舞台版より劣るのでは?」という見方があります。その見方は両方正しくて場面によっては舞台が欲しいという場所もありまいした(最後などはその例)。総じて演奏は非常に引き締まっていて歌手陣の充実もあって非常な名演だったと思います。(それにしてもマエストリの存在感は凄い)
世界屈指の伝統を誇るスカラ座が「ドュダメル」という若い音楽家にその指揮を任せたというところに感動を覚えました。そうした姿勢こそが「伝統」なのだと思いました。過去にどれくらい演じたのか分からないほどのレパートーの「アイーダ」ですが、スカラ座ました。ならではの歌手・オケ・合唱の総合力にドュダメルの清新な才能が加わりました。スカラ座も暫く「全盛時代」が続くだろうと思わせる充実振りでした。
「再現」芸術である音楽において演奏家には書かれた音符から「感動」を表現することが求められます。その感動は自らは音を出すことが出来ない「指揮者」の感動が「音を出すことのできる演奏者」に伝わり、「演奏者」が再現する音楽に「感動」が織り込まれることによって始めて聴衆に伝わるのです。演奏者が過去の栄光に縋ってばかりいて、新しい才能に対して謙虚な態度を取れなければ「感動」が生まれることにはなりません。伝統の怖さ(成功体験の怖さ)はそこにあります。
音楽でもサッカーでも同じだと思います。ヨーロッパの伝統国の強さは「新しい能力」を発掘し、その能力に存分な活動の場を与えることによって自らを革新していくという自己変革力に秘密があるのだと思いました。

島忠ホームセンターが武蔵浦和に出店するという広告が掲示されていました。駅前に既にオリンピックとビバホームがありますが更に大型のホームセンターがやって来ます。消費者にとっては選択の幅が広がるので大歓迎です。この道順表示はあまり正確に書いていないので、最初見たときには「駅前のケーズ電器撤退後の空き家」に出店するのかと思いました。他の場所の看板を見て良く分かりましたが、その場所は武蔵浦和駅の南側の少し離れた場所でした。「ケーズ電器」の跡はどうなるのかいまだに不明です。
| 2013年10月14日(月) |
エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカスのこと |

遥々千葉市にある千葉県文化会館まで「エル・システマ・ユース・オーケストラ・カラカス(以下:エルシステマ)の演奏を聞きに行って来ました。今日の演奏会は千葉県少年少女オーケストラとの交流コンサートということで、入場料1000円。エルシステマの演奏が1000円で聴けるのですから安いものです。
千葉県少年少女オーケストラの演奏(井上道義の指揮) コントラバス:エディクソン・ルイス ディッタースドルフ曲目:コントラバス協奏曲 変ホ長調 ファリャ作曲:バレエ組曲「三角帽子」より “Scenes and Dances”“Three Dances”
エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス 指揮:ディートリヒ・パレーデス チャイコフスキー作曲:交響曲第5番ホ短調
合同演奏 指揮:ディートリヒ・パレーデス ショスタコーヴィチ作曲:祝典序曲イ長調
曲目は上の通りで、エルシステマは常任指揮者の「パレーデス」の指揮でチャイコフスキー交響曲第5番を演奏しました。兄貴分のシモンボリバルも得意としているだけあってヴェネズエラ気質にあっている曲のようです。ステージ一杯となったエルシステマ全プレーヤーがパレーデスの丁寧でダイナミックな指揮に鋭く反応して大変な熱演・名演でした。
12日(土曜日)の夜に東京芸術劇場で「ショスターコーヴィッチ7番」をメインとするエルシステマの演奏会を聞きました。偶然ですが13日(日曜日)の夜は「グスターボ・ドゥダメル」指揮のミラノスカラ座ガラコンサート番組を途中から聞きました。そして今日のエルシステマのチャイコフスキーの交響曲を聴くこととなり、「ヴェネズエラ」にタップリ浸る連休となりました。どうして「ヴェネズエラ」の音楽家がこのように脚光を浴びることとなったのか少し考えてみました。
「ヴェネズエラ」は他の多くの南米の国々と同様にスペインの植民地支配から独立を果たしました。非常に残虐で悪名高いスペインの「植民地支配」は今になってヴェネズエラの恩恵をもたらすこととなったのではないかと思います。
まず、南米に渡ったスペイン人は「メスティーソ」と呼ばれるスペイン人と現地住民の混血を生み、今やこの「メスティーソ」が国民の大半を占めるほどに拡大したという事実は見逃せないと思います。アメリカに上陸したプリグリム達は基本的に家族で移住し「白人」による独立国建国を果したのに対して、スペイン征服者は基本的に男性戦闘員が住み着いて植民地を経営することとなり現地女性と結婚して「混血」がどんどん進んだのだそうです。
植民地時代から数百年が経過して「メスティーソ」による国の建設・運営が進んでいるのです。「メスティーソには美男・美女が多い」と言われていますがシモンボリバルでもエルシステマでも美男・美女のプレーヤーが沢山いることはそのためです。千葉県文化会館で若い女性客がプレーヤーを「カッコイイ」とコメントしていたのは印象的でした。「メスティーソ」にとってはスペイン・ポルトガル・イタリアなどは自分達の祖先に繋がる血筋なのです。北米はメキシコを除いてイギリス・フランスの植民地であったことから英・仏の文化的影響が強いと思いますが、メキシコ・南米諸国は宗主国スペイン・ポリトガルの文化的影響が色濃く残っているのだとと思います。
その代表例は「言語」でヴェネズエラの公用語スペインです。ヴェネズエラのサッカー選手はスペインリーグに直ぐに溶け込めるでしょうし、スペイン語はイタリア語と近いのでヴェネズエラの音楽家はイタリアオペラに比較的容易に入っていけるのではないかと思います。英語教育を長期間受ける日本人が音楽を学ぼうとすると「イタリア語・ドイツ語」を別に習わなければならなくなることに比べて大分状況が違うのだと思います。
サッカーにおいて南米のサッカーチームが発祥の国々を凌駕するような発展を遂げたと同じように、音楽においてもヴェネズエラの音楽界がその母国に優秀な音楽家を逆輸出するような時代になったのだと思います。一方で優秀な者・優れた者を素直に受け入れる「本家」の方も非常に度量が広いと思います。
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