「梨」の美味しい季節なので、名産地の「千葉」まで行ってみることにしました。目指したのは「千葉県鎌ヶ谷市」です。東京外環の下を走る国道298号線を走れば方向としては合っているはずなので、新京成線の「くぬぎ台」を目的地に指定して出発しました。298号線は松戸近くの国道6号線まで片側2車線の道が続いていて、それ以南の国道と、三郷以南の外環の工事が進んでいました。
国道6号から国道464号に入って鎌ヶ谷までいったのですが、途中の松戸市郊外から市川市大町地区、鎌ヶ谷の初富地区の沿線には多くの梨園がありました。梨園(果樹園)の印は遠くからも良く分かる「宅配便会社の幟」です。この時期はどこの果樹園でも地方発送に大忙のようです。
「梨」を買う前に昼食を食べるために東武野田線鎌ヶ谷駅近くの「ドクトーレ」というイタリアンのレストランに行きました。今日のドライブで最も渋滞したのは鎌ヶ谷市内でした。新京成線の踏み切り渋滞、複雑に交差する幹線道路での渋滞と道路事情が悪いことは明白でした。
「ドクトーレ」さんも鎌ヶ谷駅近くにしては幹線から少し入った複雑な地形のところにありました。これから付近の開発は大変だろうと思われます。ドクトーレさんは「博士レストランビレッジ」という中に「タイ料理店」と並んで広建物を構えていました。庭を見渡せるテラス席もあるのですが、あついので室内の席にしました。ネットで鎌ヶ谷付近の「窯焼きピザ」を検索して探し当てたのですが、ナポリのヴェスビーオさんの石で作ったという立派なガス窯がありました。「博士レストラン」とは少し変わった名前ですが、オーナーのお父さんが医学博士、オーナのご兄弟二人も医学博士で、栄養学を研究し身体に良い健康的な食べ物を扱ってきているのだそうです。自家製のパスタは色々な工夫がなされているようです。
今日注文したのは「マルゲリータ」と「マリナーラ」です。最初にお願いしたマルゲリータはチーズを「塊」ではなく細かくして使ったようでチーズの「白」は明確に区別できるものではありませんでしたが、その味はかなり完成度の高いものでした。まず焼き加減は最高だと思いました。保温性の良い石釜をガスの炎で強烈に熱することとなるため多分かなりの高温が得られるのだと思いますが、ピザ生地の縁・裏のパリパリ感と表面のトマトソース・チーズのトローリ感の絶妙さは他ではなかなか味わえない領域だとおもいました。トマトソースはチーズ・オリーブオイルと交じり合って複雑な味わいに仕上がっていました。
これに対し後で食べた「マリナーラ」はトマトソースの味が前面に出すぎていて、もう少し別な仕上げ方もあるかなという感じでした。トマトソースは全体に甘味が強くてトマト本来の味がしないのです。また「大蒜」の両が少ないので大蒜の味は殆どしませんでした。レストラン全体が高級感があり室内装飾も立派なので料理の味にも気を使っているのかなと思いました。でもマリナーラでは、トマト独特の臭みと大蒜の強烈な味を出さなければ、訴えるものが亡くなってしまいます。全体としてはトスカナ、ヴェネチア方面の料理が得意のように見えました。
昼食後鎌ヶ谷市内の梨園で大玉の「幸水」を買い、松戸の梨園にも寄って追加買いをしながら梨の話を聞いてきました。昔は梨の種類に「二十世紀」「長十郎」の2種類しかなく、収穫期が集中するので収穫できなくて無駄になった梨が多かったけれど、最近は実る時期が異なる梨の種類が追加され順番に実っていくので無駄が無くなったと仰っていました。途中近くを通った「千葉大学園芸学部」の功績だろうと思われます。
| 2013年08月05日(月) |
「湯っ蔵んど」のナポリピザ |
田舎の家の水道管工事、および台所給湯器交換のために日曜日から長野県須坂市に来ています。妻と二人で久しぶりに須坂市の温泉施設「湯っ蔵んど(ユックランド)」に入浴に行くと、なんと薪炊きの「ピザ釜」が設置されているのを発見しました。夕御飯をそこで食べる予定は全く無かったのですがそのレストランで「マルゲリータ」を頂いてみました。
イタリア料理、ナポリピザのブームが依然として続いているという実感がありましたが、こんな田舎にまで「薪ピザ窯」が普及していようとは思いませんでした。しかし、少し考えてみると、都会のビル内のレストランよりは、大きな窯の設置費用とか燃料の薪の費用は安いでしょうし、ピザのトッピングに使われるバジル・野菜類・各種キノコは新鮮ものが手に入るでしょうから、ピザのようなアウトドアスタイルの料理は田舎にあっているのだと納得しました。
ユックランドのホームページはこちら
温泉施設のピザコーナーは2013年6月にオープンしたとのこと。ピザ職人さんにどこで修行したのか聞いてみたところ、2ヶ月前までは日本料理をやっていてピザの作り方を自分で研究したという応えが帰ってきました。
でも注文した「マルゲリータ」は私達の期待を大幅に上回って美味しく仕上がっていました。生地・トマトソース・オリーブオイルが素材の良さをそのまま生かしていて、オリーブオイルの使い方も上手でおいしいピザの必要条件を満たしていました。チーズの量が少なめだったことは残念でした。
最初のピザ生地を広げるところから焼き上がりまでとても丁寧な調理でした。さすが日本料理で鍛えられた丁寧さが出ていると思いました。窯内の温度とか、焼き時間、オリーブオイルの料理等を研究されるともっと美味しいピザが出来ると思います。それには「美味しいピザ」を食べることが一番なのですが、田舎では美味しいナポリピザを見つけることが大変難しいことであることは確かです。「マルゲリータ」一枚1000円は決して安い価格設定ではないので、頑張って「名物」に育て上げて欲しいと思いました。
| 2013年08月03日(土) |
横須賀基地フレンドシップデイ・シナボン |
今日は米軍横須賀基地のフレンドシップディ。基地が開放されるので見学に行ってきました。品川から京浜急行の快特に乗ると横須賀中央までそれほど時間が掛かりませんでした。線路幅の広い京浜急行は早いです。
米軍横須賀基地の施設公開では空母・軍艦を見ることができるかな・・・という予想があったのですが、この日は全ての艦船が横須賀を離れていて見ることができませんでした。とはいうものの普段は入れない横須賀基地で色々考えさせられました。
まず興味をもって見たのは横須賀基地内の娯楽施設です。というのも「従軍慰安婦問題」であれだけはっきりと「慰安婦」的な慰安施設を否定した米軍がどのような施設を有しているのか。これは確かに見事に整備されていました。とくに身体を動かすスポーツ施設の整備状況はすごいです。日本からの「思いやり予算」で建造されたのでしょうが、野球、アメフト、テニス、ボーリング場など兵士が楽しめる施設を十分に整備していました。これに加えてアメリカ式のレストランが整備され、兵士の住居もかなり立派であり兵士の赴任生活はかなり恵まれていると思いました。第二次世界大戦時の日本兵の場合、通常の場合に「国のために生命を捧げる」ことが基本であり、戦いは兵士の消耗戦であったと思われ、戦地での兵士の待遇に関する限り、現在21世紀の論理とは全く掛け離れていると思われます。現在も過去からの軍の伝統を引き継いでいるアメリカ軍と、20世紀前半の兵士消耗戦思想の日本軍とを較べるのは始めから無理があると思いました。
横須賀米軍施設内は多くの出店で賑わっていました。特にステーキ・スペアリブといった「肉」関係のブースは人気がありました。私達もアブラギンギンのスペアリブとべらぼうに安いステークを食べました。色々な食べ物の中で眼を引いたのが「シナボン」でした。基地内のレストランの一角に「シナボン」の売り場がありました。

屋外の屋台で売っていた美味しそうな「CIBABON」を買って帰りました。「アメリカの味」そのものの濃厚な美味しさです。下の写真は「胡桃の実」をまぶしたシナボンです。日本国内では六本木に一号店が開店しているのだそうです。

| 2013年07月27日(土) |
カンツォーネコンサート |
志木市市民会館パルシティホールで行われたイタリア・ナポリターナ楽団によるカンツォーネのコンサートに行ってきました。日本ではあまり行われないカンツォーネですが、自宅から比較的近い志木市で行われることを知ってチケットを買い求めておいたものです。A席4500円と東京都内より安く押さえられていることも魅力的でした。
イタリアナポリターナ楽団は弦楽五重要に管楽器(フルート・クラリネット・ホルン)、ギター・マンドリン、ドラム等打楽器二人とピアノ・アコーディオンというコンパクトな楽団ですが、非常に腕達者が揃っているようです。この楽団の伴奏にのって、ソプラノのパオラ・サントゥッチさん、テノールのヴィンチェツォ・サリネッリさんがカンツォーネを歌うというパフォーマンスです。指揮はサンドロ・クトゥレーロさん。日本に何回か来ているそうで日本に多くのファンがいるようです。
最初から期待が高まったのは、ファーストヴァオリンにアルベルトさんが座ってしることに気づいたからでした。昨年秋の品川区民音楽祭でのカンツォーネコンサートのゲストとして来日され、非常に上手なヴァオリンと人懐こいキャラクターで舞台を盛り上げた方です。ピアノとのドュオで演奏されたカール・ジェンキンス作曲の「パラディオ」では圧倒的な演奏を聞かせてくれました。指揮のサンドロ・クトォーレさんの的確な指揮とユーモア溢れる解説で最期まで楽しいコンサートとなりました。
ソプラノのパオラさんはナポリ出身だそうです。ナポリ民謡を聞いて育ったのだと思いますがまさしく本場仕込です。最初こそ声が少し出ませんでしたすぐに美しい力強い声を聞かせてくれました。テノールのヴィンチェンソさんは物凄い良い声をしていて最初からエンジン全開でした。非常にキチンと歌われるので多分物凄く誠実な方なのだろうと想像しました。昨年秋に聞いたサルバトーレさんも非常に真面目で控えめな方のようで、そのような歌手の情熱的な環ツォーネも面白いです。我家で良く聞くのは「タリアビーニ」ですが、タリアビーニとは少し雰囲気が違います。「カタリ・カタリ」は素晴らしかったです。
日本の歌も歌われました。「花」「浜辺の歌」「荒城の月」の三曲ですが、非常に心のこもった歌でした。お二人の力強いヴェルカントの歌い方にも大変感動しました。自然な発声方でエネルギーの無駄が無く、フレーズを長く歌えるので、馴染んでいる歌にまた別な魅力があることを知りました。ピアノ伴奏も非常に凝ったアレンジで魅力を増していました。
本当に充実したコンサートでしたが、狭いホールでも空席が多かったのは非常に残念です。あまり広告宣伝しないこともありますが、本当に勿体無いことだと思います。志木市が最初で12回のコンサートを行う予定だとのこと。もう一度聞きたいと思いました。
終演後購入し2011年来日時のDVDを買って指揮者のサンドロさんにサインを頂きました。また市民会館前に楽団移動用の大型バスが駐車していたので、そこで待ち伏せして歌手二人とアルベルトさんにサインを頂きました。楽団の何方かの誕生日だったようで、サンドロさんがシャンペンを数本持ってきてバスの外で誕生日祝いが行われました。「ハッピーバースディ」の合唱は非常に上手で楽しそうでした。近くにいた運転手さんに聞くとバス車内でも結構楽しく過ごすのだそうです。この日は志木から浜松までのい移動だそうで多分楽しいバス旅行」になるのだと思います。傍に見ていても非常に陽気で楽しいイタリアの人達でした。
前から行ってみたかった「行田の古代蓮」を見学してきました。最近開通したという国道17号線バイパスの上尾道路を通ってみようと思っていたのですが、結局道を間違えて在来の国道17号線を北上することになりました。しかし「蓮」の奇麗な開花を見ようと朝早く出発したので全くと言っていいほど渋滞はありませんでした。
行田の「古代蓮の里」はかなり広く綺麗に整備されています。そして何より種類豊富な蓮が開花の時期にあたっているため、かなり大きな蓮の花がとても奇麗に咲いていて大変見事でした。朝早い時間にも拘らずカメラを手にした見物客が多いことにも驚きました。「巾着田の彼岸花」と同じように花の写真を撮るなら朝の早い時間帯が狙い目なのでしょう。
高い展望室も設えた「古代蓮会館」の展示も興味深いものでした。蓮に関する展示、あるいは昆虫・鳥等に関する展示も良く工夫されていて面白かったです。展望室にエレベータで登ると、眼下には「蓮園」に加えて田圃の絵も見ることができます。これも結構苦労して作っているようで興味深いものでした。
古代蓮をみてから近くの古墳群を見学しました。「さきたま古墳公園」として整備されているものです。そこには9つの大きな古墳が残されていて、大きな丸墓山古墳とか稲荷山古墳(前方後円墳)などには登ることができます。大阪市南部に多くある天皇陵は外から見ることしかできないので登れる古墳は面白いです。小さい頃から古い墓に興味がったのでこういう観光地を見るとワクワクしてくるのです。
古墳見物の後は行田市内の「忍城」を見学しました。石田光成の水攻めに耐えたという有名な城です。外堀は水上公園になっっていて旧本丸近辺は市役所などの公共施設が建てられています。関東平野の平な土地にこれだけの立派な城があったということ事態驚きです。
行田市は「古代蓮」、「古墳」、「忍城」と観光資源に恵まれています。JRの駅から離れているために発展が阻害されたようですが、かつては埼玉県でも有数の文化地域だったことが分かりました。行ってみないと分からないものです。
| 2013年06月17日(月) |
ハンガリー国立歌劇場「椿姫」 |
昨日16日ハンガリー国立歌劇場の日本公演「椿姫」を川口リリアホールで見てきました。今回のハンガリー国立歌劇場公演は15日の神奈川県民ホールが初日です。川口リリアホールは2日目なので、オーケストラと歌手の息があっているか、オーケストラの伴奏は大丈夫か少し心配でしたが、大変素晴らしい演奏だったと思います。
主役「ヴィオレッタ」は急遽変更となり、代わりに歌うこととなったのが「イリーナ・ドヴロフスカヤ」さん。イリーナさんは1981年生まれの32歳。ロシアのウスチイリムスク出身の若手ソプラノです。東京・大阪の有名劇場での公演は「エバ・メイ」「テオドシュー」といった有名どころがタイトルロールを歌うのですが、地方周りは別な若手が主役を演じます。しかし若くて意欲的なイリーナさんのヴィオレッタは非常に素晴らしかったと思います。
可愛そうな「ヴィオレッタ」の身の上を考えると、つい涙が出てしまうのが普通ですが、この公演でもイリーナさんの表現は素晴らしく涙を禁じ得ませんでした。ヴィオレッタと並んで大変難しいと思われるジェルモンですが、今日歌った「アナトリー・フカノフ」さんの表現は少し元気が良すぎのような感じでした。「ヴィオレッタ」にアルフレードと別れるように説得する場面では、ヴィオレッタが納得せざるを得ないような雰囲気が必要ですが、そこまでの説得力は無かった感じがしました。一方終幕でのヴィオレッタを認める表現は見事だったと思います。
3幕の舞踏会場面におけるバレエ及びその音楽は非常に躍動的で素晴らしかったと思います。終演後川口リリアの楽屋口で待ち構えて、イリーナさんジェルモン父子の「サボルチャ・ブリックナーさん」「アナトリー・フォカロフ」さんお写真を撮ってきました。
| 2013年06月16日(日) |
マンション北側空き地の「コ千鳥」 |

マンション北側には、以前ダイドードリンコ事務所や駐車場・梅畑があり、現在マンション建築のために広い空き地の区画になっています。その広い空き地で少し前から「可愛らしい声」でなく鳥が住み着いていました。昨日の土曜日の朝散の途中で通ってみたら小柄な鳥の親子がいました。昼過ぎにその鳥の鳴き声が嫌に大きく聞こえたため、もういちど見に行ってみると近くに住む野良猫が徘徊して雛を狙っている最中でした。急いで石を投げて猫を追い払いました。そして望遠カメラで親鳥を撮影してきました。
親鳥の姿・形から妻がネットで調べた結果この鳥は「コチドリ」であるらしいことが分かりました。野良猫が近くを徘徊した後に「雛鳥」を見つけることができなかったし、親鳥が雛鳥を探すような泣き声をしていたので、雛鳥はてっきり猫に捕まってしまったのだろうと思っていました。
今朝雨の降る中もういちど空き地を覗いてみると、「コチドリ親子」を発見することができました。それが上の写真です。コチドリの雛はほとんど動かずにじっとしているとのことですが、その通りでコチドリが動き出す前に撮影した写真にも石と間違えそうな雛が写っていました。現在雛を一匹しか確認できません・この雛の兄弟は猫かカラスの犠牲になってしまったかもしれません。
| 2013年06月06日(木) |
従軍慰安婦問題(BSフジプライムニュース) |
BSフジのプライムニュースで専門家をゲストに迎えての議論を放送しました。迎えるゲストによって「議論の盛り上がり」が違うし、生放送なので時には非常に重要なメッセージが発せられたりするので非常に気に入っている番組です。6月5日には以下のゲストを迎えて「従軍慰安婦問題」が議論されました。議論が少し噛み合わない部分もありましたが面白い内容でした。
ゲスト 秦郁彦:現代史家、橋下大阪市長の慰安婦問題認識の情報源となっていると思われる「慰安婦と戦場の性」の著者。 藍谷邦雄:弁護士(日本弁護士連合会日韓戦後処理問題共同行動特別部会長)意見を聞く限り、「従軍慰安婦問題に関しては明らかに政府に責任があり、日本は従軍慰安婦に国として賠償すべき」という論を展開している。 萱野稔人:津田塾大学国際関係学科准教授
議論が噛みあわない部分が大分ありましたが、「慰安婦の募集にあたり強制性はあったのか。またそれに国・軍が関与していたのか」という橋下市長が問題にしている部分については、結局曖昧なままで所謂「河野談話」をどう評価するのかという問題について最期まではっきりさせない議論となりました。
これは今の政府のスタンスと同じもので、米国を含む国際世論がこれだけアゲンストな状況下において、真実を訴えても理解を得ることは難しく、すでに確立された「河野談話」以上でもなく以下でもないという立場を採って暴風雨が収まるまで待つというものです。政府の対応方針も基本的にはこのようなスタンスに転向したみたいです。
問題は韓国がこの安倍首相(政府)のスタンスで矛を収めるのか、それとも更に輪を掛けて無理な要求をしてくるのではないかという懸念です。番組でもこの懸念は司会の反町さんから指摘されました。慰安婦問題における国の責任を明確に認めてしまえば次は賠償の問題が待っているでしょうし、従軍慰安婦問題に加えて他の戦争中の日本(軍)の行為を糾弾する動きを加速させるかもしれません。ここは政府がどのように韓国政府と折り合うのかがポイントとなります。
萱野さんが「スピード違反で捕まった日本が、他の国だって違反を侵していたのになぜ日本だけ責められるのかと世間に訴えても、世間は主張に耳を貸してくれない。」と発言したがそれはその通りだと思います。ただし他国が「自分もスピード違反をやっていたので、日本だけが責められるのもどうかと思う」と応援してくれるとすれば話は違います。
今日6月6日は「D−DAY」として連合軍がフランスのノルマンディーに上陸した記念日ですが、ちょうどその時期に合わせたようにアメリカで注目すべき本が出版されようとしています。それはアメリカの研究者の著作で「What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France」という本です。これはフランス解放というヒーロー話の裏でアメリカ軍兵士はフランスで如何に酷いことをしたのかを抉り出した本なのだそうです。アメリカはこの本の出版を契機にしてもう少し現実の状況に直視した発言をして欲しいと思います。
中国を訪問中の野中広務元官房長官が、1972年9月の日中国交回復協議の際、当時の田中首相、周恩来首相の間で、尖閣列島の領有権について「双方が棚上げし、そのまま静かにやっていこう」という話をしたことを田中首相から聞かされていたことを明らかにしました。日本で言わずに中国主脳との会談の中でわざわざ発言するのも如何なものかと思いますが、故田中首相に身近に接した政治家ならではのエピソードなので物議をかもしそうです。
官房長官と外務大臣は「日本政府には棚上げに合意したという記録は残っていない」として直ぐに否定しました。確かに外務省には記録が残っていないようです。外務省が開示している1972年9月27日の公式記録には次にように書かれています。
(田中総理)尖閣諸島についてどう思うか?私のところにいろいろ言ってくる人がいる。 (周総理)尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ台湾も米国も問題にしない。 (田中総理)コメントなし。
この議事録から「日本側は合意していない」という解釈なのでしょうが、田中首相はわざわざ周首相の意向を聞いているのも事実で、領有権が日本にはっきり属していると確信しているのであれば、そもそもこのような問い掛けること自体がおかしいことになります。
この議事録から推定できるのは、中国側は領有権問題を棚上げしようと提案した。日本側はそれを黙認した。その結果として最大の懸案だった日中国交正常化がなされたということだと思います。田中首相がもし当時周恩来の提案を否定していたら(現在の政府が主張のように)、日中国交正常化にはもう少し時間が掛かっていたと思われます。
周・田中の当時の両国主脳が「棚上げ提案、黙認」という知恵で難しい交渉を乗り越えました。さすがに歴史に残る政治家の解決方法だと思われます。その時から40年以上経過した現在、新しく選出された両国のトップはどのような知恵が出すのでしょうか。
| 2013年05月30日(木) |
従軍慰安婦強制連行問題(河野談話)について |
ようやく全体の構図のような物が見えてきたので、私の意見を合わせてポイントを記録しておきたいと思います。
今回の騒動は戦後の日韓関係の長い積み重ねでもあるのですが、具体的には日韓関係の「棘」にような従軍慰安婦問題を精算しようと試みた1997年8月4日の「河野談話」の捕らえ方が発端でした。
「河野談話」における従軍慰安婦強制連行に関する実際の記載は、「慰安婦の募集にあたり本人の意に反した募集が行われた例があり、官憲等がこれに加担したこともあった」という表現をしていて、慰安婦「募集」段階において「強制連行」があり、それに関しての国(官憲等)の関与もあったと認めているものです。
本日5月30日の産経新聞報道によると、「当時の宮沢喜一内閣は、韓国側を満足させるため「強制」を認めたかった」という当時の関係者の証言を記載しています。
これに対して2007年の第一次安倍内閣は、議会への答弁書において(2007年3月16日)「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。」という見解を正式に公表しました。その一方で「河野談話」そのものについては継承するとしていました。昨年(2012年)暮れに首相に就任した安倍首相(第二次安倍内閣)は、第一次内閣の時の課題を改めて取り上げるかのように「河野談話」を見直す方向であるという姿勢を示したのでした。
ここで中国との「尖閣列島領有問題」を思い起こしてみたいと思います。日中国交正常化交渉において「尖閣問題を棚上げして後世に託す」という妥協を図って国交回復に漕ぎ着けたのでした。しかしこの「棚上げ」に関して日本政府(外務省)の認識がしっかりしていなかったことから、石原東京都知事(日本維新の会共同代表)の「尖閣買い上げ提案」に引きずられ、終に尖閣列島を国有化してしまいました。この措置に対する中国の反応は非常に激しいものであって、日中関係はこれまでにないほど冷え切ってしまったのでした。
実は第二次安倍政権の発足当初の様子では「日韓関係」も大変危なかったと思われます。「従軍慰安婦強制連行問題」について就任早々の安倍首相は「河野談話見直し」の考えをちらつかせて過去の歴史問題を清算しようと考えていたと思われます。日本維新の会共同代表の橋下大阪市長が、尖閣問題の時の石原さんの「尖閣東京都購入」みたいに、「従軍慰安婦強制連行問題」において安倍首相を援護射撃したのでした。
この時点で政府が「橋下さん良く言ってくれた」と「尖閣国有化」のように橋下市長の意見に同調していれば、日韓関係は今の日中関係のようになっていたことしょう。機を見て敏な安倍首相は韓国・米国の凄まじい拒否反応を見るや直ぐに矛を収めて、「橋下市長」を見殺しにして「河野談話堅持」の姿勢に転換したのだと思われます。
しかし石原都知事に乗せられた「尖閣問題」で日中関係は冷え込み、「橋下市長」を犠牲にした従軍慰安婦問題においても、結局韓国から「白黒」を迫られてしまった日本政府は「ムニャムニャ」で逃げるしか手段がないため、韓国から言われ放題の状態になってしまっていました。
私は個人的には、辛亥革命を成し遂げた孫文を始めとする革命家を多くの日本人が支援したこと、朝鮮近代化を目指した「金玉均」等を福沢諭吉・須永元等が支援したという「歴史」を関係国で理解しあうことは有益であると思っています。特に孫文・金玉均の二人の英雄に対して、日本の民間の一部の人が熱烈に支援した一方で、明治政府は非常に冷淡に扱い、日本国全体としては結局「中国侵略・韓国併合」に突き進んでしまったことです。
この辺りの歴史をキチンと理解することによって、何が良くて何が悪かったのか、「日本人の忘れてしまった大切もの」を再発見できるのではないかと考えています。
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