| 2013年06月17日(月) |
ハンガリー国立歌劇場「椿姫」 |
昨日16日ハンガリー国立歌劇場の日本公演「椿姫」を川口リリアホールで見てきました。今回のハンガリー国立歌劇場公演は15日の神奈川県民ホールが初日です。川口リリアホールは2日目なので、オーケストラと歌手の息があっているか、オーケストラの伴奏は大丈夫か少し心配でしたが、大変素晴らしい演奏だったと思います。
主役「ヴィオレッタ」は急遽変更となり、代わりに歌うこととなったのが「イリーナ・ドヴロフスカヤ」さん。イリーナさんは1981年生まれの32歳。ロシアのウスチイリムスク出身の若手ソプラノです。東京・大阪の有名劇場での公演は「エバ・メイ」「テオドシュー」といった有名どころがタイトルロールを歌うのですが、地方周りは別な若手が主役を演じます。しかし若くて意欲的なイリーナさんのヴィオレッタは非常に素晴らしかったと思います。
可愛そうな「ヴィオレッタ」の身の上を考えると、つい涙が出てしまうのが普通ですが、この公演でもイリーナさんの表現は素晴らしく涙を禁じ得ませんでした。ヴィオレッタと並んで大変難しいと思われるジェルモンですが、今日歌った「アナトリー・フカノフ」さんの表現は少し元気が良すぎのような感じでした。「ヴィオレッタ」にアルフレードと別れるように説得する場面では、ヴィオレッタが納得せざるを得ないような雰囲気が必要ですが、そこまでの説得力は無かった感じがしました。一方終幕でのヴィオレッタを認める表現は見事だったと思います。
3幕の舞踏会場面におけるバレエ及びその音楽は非常に躍動的で素晴らしかったと思います。終演後川口リリアの楽屋口で待ち構えて、イリーナさんジェルモン父子の「サボルチャ・ブリックナーさん」「アナトリー・フォカロフ」さんお写真を撮ってきました。
| 2013年06月16日(日) |
マンション北側空き地の「コ千鳥」 |

マンション北側には、以前ダイドードリンコ事務所や駐車場・梅畑があり、現在マンション建築のために広い空き地の区画になっています。その広い空き地で少し前から「可愛らしい声」でなく鳥が住み着いていました。昨日の土曜日の朝散の途中で通ってみたら小柄な鳥の親子がいました。昼過ぎにその鳥の鳴き声が嫌に大きく聞こえたため、もういちど見に行ってみると近くに住む野良猫が徘徊して雛を狙っている最中でした。急いで石を投げて猫を追い払いました。そして望遠カメラで親鳥を撮影してきました。
親鳥の姿・形から妻がネットで調べた結果この鳥は「コチドリ」であるらしいことが分かりました。野良猫が近くを徘徊した後に「雛鳥」を見つけることができなかったし、親鳥が雛鳥を探すような泣き声をしていたので、雛鳥はてっきり猫に捕まってしまったのだろうと思っていました。
今朝雨の降る中もういちど空き地を覗いてみると、「コチドリ親子」を発見することができました。それが上の写真です。コチドリの雛はほとんど動かずにじっとしているとのことですが、その通りでコチドリが動き出す前に撮影した写真にも石と間違えそうな雛が写っていました。現在雛を一匹しか確認できません・この雛の兄弟は猫かカラスの犠牲になってしまったかもしれません。
| 2013年06月06日(木) |
従軍慰安婦問題(BSフジプライムニュース) |
BSフジのプライムニュースで専門家をゲストに迎えての議論を放送しました。迎えるゲストによって「議論の盛り上がり」が違うし、生放送なので時には非常に重要なメッセージが発せられたりするので非常に気に入っている番組です。6月5日には以下のゲストを迎えて「従軍慰安婦問題」が議論されました。議論が少し噛み合わない部分もありましたが面白い内容でした。
ゲスト 秦郁彦:現代史家、橋下大阪市長の慰安婦問題認識の情報源となっていると思われる「慰安婦と戦場の性」の著者。 藍谷邦雄:弁護士(日本弁護士連合会日韓戦後処理問題共同行動特別部会長)意見を聞く限り、「従軍慰安婦問題に関しては明らかに政府に責任があり、日本は従軍慰安婦に国として賠償すべき」という論を展開している。 萱野稔人:津田塾大学国際関係学科准教授
議論が噛みあわない部分が大分ありましたが、「慰安婦の募集にあたり強制性はあったのか。またそれに国・軍が関与していたのか」という橋下市長が問題にしている部分については、結局曖昧なままで所謂「河野談話」をどう評価するのかという問題について最期まではっきりさせない議論となりました。
これは今の政府のスタンスと同じもので、米国を含む国際世論がこれだけアゲンストな状況下において、真実を訴えても理解を得ることは難しく、すでに確立された「河野談話」以上でもなく以下でもないという立場を採って暴風雨が収まるまで待つというものです。政府の対応方針も基本的にはこのようなスタンスに転向したみたいです。
問題は韓国がこの安倍首相(政府)のスタンスで矛を収めるのか、それとも更に輪を掛けて無理な要求をしてくるのではないかという懸念です。番組でもこの懸念は司会の反町さんから指摘されました。慰安婦問題における国の責任を明確に認めてしまえば次は賠償の問題が待っているでしょうし、従軍慰安婦問題に加えて他の戦争中の日本(軍)の行為を糾弾する動きを加速させるかもしれません。ここは政府がどのように韓国政府と折り合うのかがポイントとなります。
萱野さんが「スピード違反で捕まった日本が、他の国だって違反を侵していたのになぜ日本だけ責められるのかと世間に訴えても、世間は主張に耳を貸してくれない。」と発言したがそれはその通りだと思います。ただし他国が「自分もスピード違反をやっていたので、日本だけが責められるのもどうかと思う」と応援してくれるとすれば話は違います。
今日6月6日は「D−DAY」として連合軍がフランスのノルマンディーに上陸した記念日ですが、ちょうどその時期に合わせたようにアメリカで注目すべき本が出版されようとしています。それはアメリカの研究者の著作で「What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France」という本です。これはフランス解放というヒーロー話の裏でアメリカ軍兵士はフランスで如何に酷いことをしたのかを抉り出した本なのだそうです。アメリカはこの本の出版を契機にしてもう少し現実の状況に直視した発言をして欲しいと思います。
中国を訪問中の野中広務元官房長官が、1972年9月の日中国交回復協議の際、当時の田中首相、周恩来首相の間で、尖閣列島の領有権について「双方が棚上げし、そのまま静かにやっていこう」という話をしたことを田中首相から聞かされていたことを明らかにしました。日本で言わずに中国主脳との会談の中でわざわざ発言するのも如何なものかと思いますが、故田中首相に身近に接した政治家ならではのエピソードなので物議をかもしそうです。
官房長官と外務大臣は「日本政府には棚上げに合意したという記録は残っていない」として直ぐに否定しました。確かに外務省には記録が残っていないようです。外務省が開示している1972年9月27日の公式記録には次にように書かれています。
(田中総理)尖閣諸島についてどう思うか?私のところにいろいろ言ってくる人がいる。 (周総理)尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ台湾も米国も問題にしない。 (田中総理)コメントなし。
この議事録から「日本側は合意していない」という解釈なのでしょうが、田中首相はわざわざ周首相の意向を聞いているのも事実で、領有権が日本にはっきり属していると確信しているのであれば、そもそもこのような問い掛けること自体がおかしいことになります。
この議事録から推定できるのは、中国側は領有権問題を棚上げしようと提案した。日本側はそれを黙認した。その結果として最大の懸案だった日中国交正常化がなされたということだと思います。田中首相がもし当時周恩来の提案を否定していたら(現在の政府が主張のように)、日中国交正常化にはもう少し時間が掛かっていたと思われます。
周・田中の当時の両国主脳が「棚上げ提案、黙認」という知恵で難しい交渉を乗り越えました。さすがに歴史に残る政治家の解決方法だと思われます。その時から40年以上経過した現在、新しく選出された両国のトップはどのような知恵が出すのでしょうか。
| 2013年05月30日(木) |
従軍慰安婦強制連行問題(河野談話)について |
ようやく全体の構図のような物が見えてきたので、私の意見を合わせてポイントを記録しておきたいと思います。
今回の騒動は戦後の日韓関係の長い積み重ねでもあるのですが、具体的には日韓関係の「棘」にような従軍慰安婦問題を精算しようと試みた1997年8月4日の「河野談話」の捕らえ方が発端でした。
「河野談話」における従軍慰安婦強制連行に関する実際の記載は、「慰安婦の募集にあたり本人の意に反した募集が行われた例があり、官憲等がこれに加担したこともあった」という表現をしていて、慰安婦「募集」段階において「強制連行」があり、それに関しての国(官憲等)の関与もあったと認めているものです。
本日5月30日の産経新聞報道によると、「当時の宮沢喜一内閣は、韓国側を満足させるため「強制」を認めたかった」という当時の関係者の証言を記載しています。
これに対して2007年の第一次安倍内閣は、議会への答弁書において(2007年3月16日)「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。」という見解を正式に公表しました。その一方で「河野談話」そのものについては継承するとしていました。昨年(2012年)暮れに首相に就任した安倍首相(第二次安倍内閣)は、第一次内閣の時の課題を改めて取り上げるかのように「河野談話」を見直す方向であるという姿勢を示したのでした。
ここで中国との「尖閣列島領有問題」を思い起こしてみたいと思います。日中国交正常化交渉において「尖閣問題を棚上げして後世に託す」という妥協を図って国交回復に漕ぎ着けたのでした。しかしこの「棚上げ」に関して日本政府(外務省)の認識がしっかりしていなかったことから、石原東京都知事(日本維新の会共同代表)の「尖閣買い上げ提案」に引きずられ、終に尖閣列島を国有化してしまいました。この措置に対する中国の反応は非常に激しいものであって、日中関係はこれまでにないほど冷え切ってしまったのでした。
実は第二次安倍政権の発足当初の様子では「日韓関係」も大変危なかったと思われます。「従軍慰安婦強制連行問題」について就任早々の安倍首相は「河野談話見直し」の考えをちらつかせて過去の歴史問題を清算しようと考えていたと思われます。日本維新の会共同代表の橋下大阪市長が、尖閣問題の時の石原さんの「尖閣東京都購入」みたいに、「従軍慰安婦強制連行問題」において安倍首相を援護射撃したのでした。
この時点で政府が「橋下さん良く言ってくれた」と「尖閣国有化」のように橋下市長の意見に同調していれば、日韓関係は今の日中関係のようになっていたことしょう。機を見て敏な安倍首相は韓国・米国の凄まじい拒否反応を見るや直ぐに矛を収めて、「橋下市長」を見殺しにして「河野談話堅持」の姿勢に転換したのだと思われます。
しかし石原都知事に乗せられた「尖閣問題」で日中関係は冷え込み、「橋下市長」を犠牲にした従軍慰安婦問題においても、結局韓国から「白黒」を迫られてしまった日本政府は「ムニャムニャ」で逃げるしか手段がないため、韓国から言われ放題の状態になってしまっていました。
私は個人的には、辛亥革命を成し遂げた孫文を始めとする革命家を多くの日本人が支援したこと、朝鮮近代化を目指した「金玉均」等を福沢諭吉・須永元等が支援したという「歴史」を関係国で理解しあうことは有益であると思っています。特に孫文・金玉均の二人の英雄に対して、日本の民間の一部の人が熱烈に支援した一方で、明治政府は非常に冷淡に扱い、日本国全体としては結局「中国侵略・韓国併合」に突き進んでしまったことです。
この辺りの歴史をキチンと理解することによって、何が良くて何が悪かったのか、「日本人の忘れてしまった大切もの」を再発見できるのではないかと考えています。
| 2013年05月26日(日) |
懐かしいウィーンフィルの画像 |
音楽を中心に録画している「ブルーレイレコーダ」のハードディスクがあと少しで満杯になってしまうため幾つかのコンテンツをブルーレイに移しました。昨年のサッカーイングランドプレミアリーグ山場のマンチェスターダービー、昨年のサッカーヨーロッパ選手権の準決勝決勝の模様からCM等を切り取ってファイル容量を減らして7試合分を一枚に落としました結果ハードディスクに大分余裕が出来ました。
NHKBSプレミアムの音楽放送を録音した中身を確認している最中に非常に懐かしい画像がでてきました。それは他のコンサート模様と抱き合わせで録画されていた「ムーティ・ウィーンフィル」の演奏によるモーツァルトの交響曲等でした。詳しく言うと、1991年7月28日にザルツブルク祝祭大劇場にて行われたザルツブルク音楽祭のオープニングコンサートの模様です。1991年はモーツァルト没後200年を記念する音楽祭だったので、一際立派な演奏だと思っています。曲目は以下の3曲でモールァルトを代表する名曲が選ばれました。
ディヴェルティメント ニ長調 K.136 交響曲 第40番 ト短調 K.550 交響曲 第41番 ハ長調 K.551≪ジュピター≫
指揮者のムーティは1941年7月28日生まれなので、この演奏会はムーティの50歳の誕生日に行われたものとなります。油の乗り切ったムーティが颯爽と指揮棒を振る姿は、イタリア彫刻から出てきたような立派な感じで非常に魅力的です。この録画は1991年当時でも高精細で収録しているため演奏者・指揮者の表情が生き生きと捕らえられているので素晴らしいのです。以前放送された時にビデオテープで録画してありますが、今回高精細な画像を確保できたので良かったです。
この録音画像で私が特に気に入っているのはコンサートマスター席に「在りし日」の「ゲルハルト・ヘッツエル」が座っていることです。そしてその名手のヘッツエルが音楽祭初日の緊張のためなのか、なんと40番の終楽章の主題が繰り返えされた最後の部分で「チョンボ」しているところがはっきり画像に映っていることです。
幾つかのカメラを配して様々な角度からコンサートを録画しているのですが、その部分ではヘッツエルの弓が他の第一バイオリン奏者と全く異なる動きをしている所を証拠として記録しています。ヘッツエルが40番終了後にバツが悪そうに隣の奏者と言葉を交わしているところもはっきり録画されています。
その名コンサートマスターだった「ゲルハルト・ヘッツエル」はその翌年1992年7月29日にザルツブルグ近郊の山をハイキングしている最中に転落事故を起こして命を落としてしまいました。ハンガリー人の血を引く「ヘッツエル」がコンマス席に座っていた時にウィーンフィルの名演奏が多いと思います。特に同じハンガリー系の「イシュトゥヴァン・ケルテス」との相性の良さはヘッツエルの存在抜きには語れないでしょう。そのケルテスも不慮の水難事故で亡くなったのでした。
| 2013年05月25日(土) |
踵骨棘(しょうこつきょく)で足が痛い |
左足の踵(かかと)の後ろのアキレス腱の筋が非常に痛むので近くの整形外科で見てもらってきました。実は同じ場所の痛みは昨年の暮れにも発生しましたし、よく思い出してみると数年前にも発生していました。これまで痛みを我慢しているとそれぞれ数週間で痛みが治まっていたので医者には行かなかったのですが、今回も長続きするのであれば困りますし、何と言っても悪い代物であったら大変なので思い切って医者に行ってみました。
レントゲンで足の踵骨の写真を撮ったところ、先生曰く「踵骨棘」ができていて、その「棘」がアキレス腱の骨との接着面を内側から刺激し「腱」に炎症が出来ている結果だという診断でした。この症状は結構多くの人が経験しているようで、先生は最初に触診したときに「良くある痛みかもしれない」と仰っていました。治療はというと炎症を鎮めることで、炎症が酷いときには注射で治すようですが私の場合は飲み薬と膏薬で治せるとのことでした。薬を飲んだら1日で痛みは治まりました。
踵骨棘(しょうこつきょく)は、機械的ストレスや炎症性刺激によって骨の辺縁部にできる骨性の隆起だそうです。形態的にはプラスチックや金属の型抜きの場合にできる「バリ」のようなものだそうです。踵骨の場合には「底」にできることが多いようですが、私の場合は「踵後ろ」のアキレス腱接合部に棘のようなものが生えてきていました。
「血糖値低減」のために1日15000歩程度歩いていますが、先生曰く少し歩き過ぎなので、このような余分な棘ができるのだろうとのこと。歩く歩数を減らして踵に無理のかからないほかの方法に変えた方が良いとのアドバイスを頂きました。さてまた難しい課題が発生です。それでなくと少し油断すると血糖値は上がってしまいます。
澳門旅行で「孫文記念館」に行きました。この記念館はあまり解説されていないので調べた歴史を記載しておきます。
香港で医学を修めて澳門での医療活動に従事した孫文は、中国革命のための活動を開始して1895年には広州起義を起こしました。その10年後1905年には東京で「同盟会」が結成されて革命組織が強化されその後の数次の武装蜂起を経て1911年秋に辛亥革命が実現しました。そして孫文は大統領に選出されます。しかし選出された「大統領職」は僅か3ヶ月で実力者の袁世凱に譲らざるをえませんでした。孫文の民主主義国家建設のため活動はまだ道半ばでした。
1912年孫文はほぼ20年ぶりに「鏡湖医院」「東西薬局」等の医師として暮らした澳門を訪れました。このとき孫文は革命指導者としての名声を確立していました。澳門の実業家の「盧家」の家に宿泊した孫文は故郷香山県に残ししてきた妻を澳門に呼ぶために「盧家」屋敷(現在のLou Lim Ieoc Garden)近くに、妻(盧慕貞Lu Muzhen)・子が住むための家を建築しました。これが現在の澳門孫文記念館が建っている場所です。
孫文が妻の「盧慕貞」と子供達のために澳門に家を建ててから程なく、日本に戻った孫文は秘書の宋慶齡と恋に落ちてしまいます。妻の「盧慕貞」は宋慶齡を「妾」にすることを願ったようですが、キリスト教徒の宋慶齡と孫文は正式な結婚を望み孫文は「盧慕貞」とは正式に離婚しました。
孫文と結婚し(1915年10月)妻となった宋慶齡はその後の孫文の建国活動を支援することとなり、国民党と中国共産党の争いにおいては中国共産党を選びました。宋慶齡は中国共産党から「名誉主席」の称号を与えられ建国の父孫文の妻として厚く処遇されました。
一方の盧慕貞とその子供達は国民党の側に身を置くこととなりました。その結果でしょうか澳門の「孫分記念館」は台湾政府の出資するファンドの所有となっています。台湾関係の資料が豊富で入口右側の孫文の胸像の左右には「青天白日旗」がずらりと並んでいました。
孫文の前妻の「盧慕貞」は澳門のその場所で彼女の息子(孫科Sun Ke)と二人の娘(Sun Yan (孫延), Sun Wan (孫琬)on Sun Ke)と孫文の長兄のSun Mei (孫眉)が暮らすこととなりました。その後付近の爆発事故で家屋が損傷を受けると、台湾政府、ハワイに住む孫文の兄等から支援を受け今の広大な3階建ての非常に立派な家屋を建築しました。これが現在の記念館の建物で、完全に西洋式で、木の床に木製の家具・ワードローブを備え、広い浴室には水洗トイレが完備されて大きなバスタブが作りつけられている。
「盧慕貞」は1952年になくなりましたが、その死後にこの建物は1958年に「孫文記念館」と命名されて保存されることとなりました。建物の北側の庭には梅屋庄吉が孫文の死後に中国に寄贈した4体の孫文像のひとつが建っています。因みに他の三つは上海、南京、広東(黄埔)にあるということです。
中国南部の広東・広西地方は「食は広州にあり」と言われるようにその郷土料理は中華料理の中でも有名です。この連休の「香港・澳門・中山旅行」では広東料理でも比較的親しみのある「飲茶」を楽しんできました。
「中山・珠海」を案内してくれた珠海在住のガイドの「温」さんはから非常に参考となる情報を話していただきました。「温」さん自身は中国北部の黒龍江省出身だそうですが南部の珠海に移り住んで長くなるのだそうです。中国北部出身という広州を客観的に見ることができる人の話なので南部の広州の特徴が浮かび上がります。
まず、「広州人は酒が弱い」のだそうです。温さんが育った中国北部は寒さが厳しくそこに住む人々はとても酒が強いのだ。高粱から作る強い蒸留酒が有名です。その北部の人々に較べて南部の広州の人は酒に弱いそうです。これは遺伝的な体質のようで、酒に弱いからこそ「お茶」文化が高度に発達したといえます。広州の人は酒で歓談する代わりに「茶」を賞味するのです。
また、広州は亜熱帯に属し雨量も多いため、植物・動物の種類が多く豊富です。これが食材の多様性に繋がります。食品市場で目立つものでは果物です。マンゴー・バナナを始め南国の果物が採れるために食後のデザートにも美味しい果物を使ったデザートを食べることができます。また果物の甘さを生かした甘味食品も豊富です。「動物関連」では普通の食材に加えて、犬、猫、ヘビ、蛙等色々食べます。海が近いのでこれに様々な「海産物」が加わります。海産物は乾季の強烈な日光で乾燥させて「うま味」を濃縮させることができます。保存目的もあるでしょうが、香草等と長時間煮込むことによって、消化の良い非常に甘味の凝縮した料理が可能になるのだと思いました。
これらの集大成が「飲茶」だと思います。ウーロン、プーアールどちらも食事にマッチします。粥、腸粉、蒸餃子などの熱い料理に熱いお茶は非常に健康的だと思いました。冷たいビールを注文する必要は全くありません。食前酒の必要がないほど料理は胃に優しく、更に薬味成分を含む「お茶」はそれを助けてくれます。中国北部の50度を越す白酒は北京では美味しかったですが広州では全く必要ありません。
健康のために日本ではかなり野菜を食べていますが旅行中も苦労して野菜を注文しました。市場や町中の八百屋さんではこの時期「菜の花」が旬のようでした。これを高温の湯で「湯がい」て美味しい醤油をかけて食べるのですがこれが素晴らしく美味しいのです。「粥と菜の花と茶」の組み合わせは朝食にぴったりだと思いました。
これから夏を迎える日本では夕食時につい「冷えたビール」を飲んでしまいそうですが、今年はその回数を減らして「お茶」を飲もうと思います。そのために数年前に上海出張の折に買ってきた「餅茶(プーアール)」をさっそく苦労して細かく崩して飲めるように準備しました。
橋下大阪市長の「従軍慰安婦」に関するコメントが様々な注目を集めていますが、個人的には橋下氏が指摘したことは当たり前のことで、日本人なら同じように考えるだろうと思われます。全体のトーンは安倍首相の発言をサポートする内容で、自民党高市政調会長の個人的な発言よりずっと安倍首相を助ける役割を果たしていると思います。
しかし、現在の「在日米軍」と「風俗法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)事業」を関連させてしまったことが問題を違う方向に進めてしまった感が否めません。それは「在日米軍」と「風営法」には「本音と建前」があって、どちらも平場で議論できないような「困った裏側」を持っていて、そこをあからさまに指摘されると、例えそれが正しかろうが反論せざるを得ないという「やっかい」なものだからだと思われます。
キリスト教信者が殆どを占める「在日米軍」(本土の政府およびその指令層)は従軍慰安婦のような公娼制度を採用していないことを「誇り」としています。それを裏付けるかのように海外派遣部隊において美味しいレストランや娯楽施設が完備していたり、一時帰省休暇を儲けて建前上は兵士達の「性欲」は「健全」に処理されていることになっています。
この「建前」は現実に順守されてきたかどうかは別にして昔からの米国軍の統一した考え方のようです。つまりキリスト教精神と潤沢な資金に支えられた米国軍隊は、嘗ての貧乏日本軍と同じような従軍慰安婦の存在を認めないし、居住環境を整える代償として兵士に対しては厳しい規律を要求しているのです。米国軍隊はこの「建前」を崩すわけにはいかないのです。
「風営法事業(風俗営業)」にも非常に微妙な裏があります。風営法第二条で「風俗事業、性風俗関連特殊営業」を定義していますが、これは非常にアバウトでどのように考えてもこの定義どおりの営業で終わっているとは思えません。例えば「店舗型性風俗特殊営業」の定義として「浴場業の施設として個室を設け、当該個室において異性の客に接触する役務を提供する営業」としています。しかし当然ながら自由恋愛の末のSEXは規制の対象ではありえずそこからは風営法の枠から外れます。これは柔軟な社会の知恵であり、どこの国でも多かれ少なかれあるはずで、それによってより酷い犯罪行為・社会の乱れを防いでいるのだと思います。しかしそのことは声高に言うべきものではないと思います。
そうしたある種の「社会の知恵」を建前に固執する米国軍隊にぶつけて見ても受け入れられるはずがありません。キリスト教の「汝姦淫することなかれ」は彼等が護らなければならない大切な規律です。橋下市長が「米国はずるい」といってもそういうしかないのだと思います。
嘗て第二次世界大戦の戦時下において日本を離れて戦った兵士達は最初から「生きて帰国」することはあきらめていたと思います。「国のために死ぬ」ことが頭に叩き込まれていたのでしょうが、本音で愛国心を持っていたかどうかは大変疑問です。武器・弾薬の不足・食料支援物資の欠乏は日本軍が兵士達を消耗品程度と考えざるをえなかった証拠です。そういう場面において「従軍慰安婦」は確かに橋下市長が言うような「必要」なものであったのだと思われます。
しかし当時の米国軍が日本軍と同じ考え方であっととはとうてい思えず、むしろ現代の米国軍と同じで兵士達を大切にし最大限兵士達の危険を減らす努力をするとともに、正義感・愛国心をキチンと植え付けて正義・国のために命をおとすことを厭わない精鋭の兵士として扱っていたと思われるのです。そために戦争で亡くなった兵士達を最大限に讃え感謝するのだと思います。どこかの国の靖国神社みたいな中途半端なことになしていないのだと思います。
やはり本質的な問題は「従軍慰安婦」そのものではなく、そのような仕組みで兵士を慰め、尊い命を粗末にしていた「旧日本軍」の存在そのものだと思います。それに対する冷静な評価・反省が無い限り、歴史は繰り返すかも知れません。
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