| 2012年05月23日(水) |
カラヤンのベル・レク(スカラ座) |
NHKBSプレミアムで放送されたカラヤン指揮のヴェルディのレクイエムを聞きました。演奏者は以下の通り。
「レクイエム(死者のためのミサ曲)」ヴェルデイ作曲 (ソプラノ)レオンタイン・プライス (メゾ・ソプラノ)フィオレンツァ・コッソット (テノール)ルチアーノ・パヴァロッティ (バス)ニコライ・ギャウロフ (合唱)ミラノ・スカラ座合唱団 (管弦楽)ミラノ・スカラ座管弦楽団 (指揮)ヘルベルト・フォン・カラヤン イタリア ミラノ・スカラ座で収録 (収録:1967年1月)
この演奏のエピソードとして以下の話が伝えられているようです。
「1967年1月16日と17日に特別公演はトスカニーニの没後10年を記念するものだったためスカラ座は映画用の照明の使用を禁止した。そこでカラヤンはホールが使われない1月14日と15日のわずか2日間で撮影を終了させなくてはならず、予定していたベルゴンツィは都合をつけることができなかった。そこでまったく無名のテノールが起用された。彼の名はルチアーノ・パヴァロッティ。それは素晴らしいものだった。」
豪華なソリスト達です。プライス、コッソット、ギャウロフに負けることなくまだ若いパバロッティが美声を聞かせてくれています。プライスのソプラノは確かに低音から高温まで均一で馬力十分な声なのですが、他の3人とは少し異質な感じがしました。「イタリアの声」ではないのです。ギャウロフもイタリア人ではないですが、こちらはどういう組み合わせでもキチンと合わせられる「しなやかさ」を持っている声だと思いました。ギャウロフはフレーニと結婚してフレーニの故郷のモデナに住んだといいますからイタリアが合っていたのかもしれません。
「ヴェルディ」のレクイエムですから、スカラ座でイタリア人ソリストがぴったりくるのだと思いました。合唱団もすごいですが、スカラ座フィルの上手なこと。弦楽器も管楽器・打楽器も統率のとれた(カラヤンに統率されてというより自分達で音楽を作っている感じです)非常に高度な芸術性を感じさせます。
今回1967年のとんでもない名演奏の存在を知ったのですが、これだけの演奏を可能としたのは当時の社会情勢であったのではないかという気がします。それは「東西冷戦の本格化」ということです。1964年にフルシチョフが追放されてブレジネフ時代に入り、1968年には「プラハの春」がブレジネフによって潰されました。60年代はムラビンスキー&レニングラードフィル、リヒテル等が西側に知られるようになり、東側の驚異的な音楽水準が西側の音楽家達の競争心に火をつけたのでした。特にカラヤンは西側の音楽家の伝統を一身に背負って華々しい活動を繰り広げていましたから、とにかく名演奏を歴史に残したいと考えていたと思います。
この演奏が「映像」を残すことを目的であったので、演奏者の表情や演奏姿勢に少し硬いところがあります。それが音楽と妙に符号していて凄まじさを増しています。カラヤンの動きが少し大げさなのは仕方ないですね。
NHKBSプレミアムで深夜放送されたクラシック番組のエクサン・プロバンス音楽祭2011の「椿姫」を見ました。同じ日に1967年収録のカラヤン&スカラ座のレクイエムも放送されましたが、こちらの方の感想は後日へ回します。 歌劇「椿姫」ヴェルディ作曲 ナタリー・デセイ(ヴィオレッタ) リュドヴィク・テジエ(父ジェルモン) チャールズ・カストロノーヴォ(アルフレード)ほか。 (合唱)エストニア・フィルハーモニー室内合唱団 (管弦楽)ロンドン交響楽団 (指揮)ルイ・ラングレ (演出)ジャン・フランソア・シヴァディエ フランス、エクサン・プロバンス 大司教館中庭で収録(2011年7月収録)
デセイが見事でした。前から思っていたのですが、小さい身体の割りに意外と骨太でエネルギーがあることを再確認しました。歌を歌うのではなくヴィオレッタを演じていました。ここまで役を演じられる「歌手」というと今のところ「ダムラウ」と双璧ではないでしょうか。全体として配役に恵まれながら奇抜な演出で失敗したザルツブルグよりずっと魅力的でした。
但し「父ジェルモン」のテジエだけは最後まで「?」でした。若手歌手が多い中でデセイと並んで今回の看板的存在ですが、彼が出てくると他の歌手から浮いてしまう感じがしました。オペラへの取り組み方が違うのかしら。何でこうなるのでしょうか。アルフレード役のカストロノーヴァがコントロールされた美声で非常に好演していただけに残念でした。カーテンコールではテジエが大御所のように喝采を浴びていましたが、本当にそうだったのでしょうか?
父ジェルモンは難しい役ですけれど。最初から人間味溢れていては若い二人を引き剥がすことにはならないし、かといってあまり「つっけんどん」だと「なんでヴィオレッタが説得されるのよ」ということになります。この辺の微妙な雰囲気が欲しいところ。テジエにはその微妙さがありませんでした。アルフレードから父に鞍替えしたというドミンゴがどのように歌うのか早く聞いてみたいです。
オーケストラも合唱もしっかりした音楽を作っていました。指揮者のルイ・ラングレーの優れた統率は素晴らしいと思いました。
| 2012年05月12日(土) |
合唱団発表会&中目黒のピザ店 |
今日東京目黒区の合唱祭があり、妻の所属しているコーラスグループが参加するというので旧都立大学キャンパスの目黒パーシモンホールまで出かけてきました。嘗て目黒区南(最寄り駅は目蒲線洗足でした)の社宅に住んでいる時に妻が参加したコーラスグループですが、若い人の新規加入がないために昔から変わらず妻が最年少なので妻は色々な役割を担うことになります。今日は「講評者の世話担当」ということで妻は朝から出かけました。私は妻のコーラスの出番の少し前に到着し前後3団体程度の合唱を聞きました(全部で27団体が参加)。
歌の楽しみ方は人様々なので色々な舞台があって面白いことは面白かったです。総じて若い人に比率の少ない団体が多いので、声の大きさだとか美しいハーモニーを期待するのは酷である程度で妥協せざるを得ません。それより日頃の練習の成果発表会として、手頃な緊張感、久しぶりに舞台衣装を着てオメカシすること、自分達のような音楽愛好家がかなりいてそれぞれ頑張っていることの刺激を受けるといったシルバー社会のセンスの良い催しものといったところでしょうか。講評の先生はすべての演奏を丹念に聴いたようですがものすごい忍耐力ふだと思います。頭が下がります。
ところで都立大学駅に午後1時に着けばOKだったので、今日の昼食はうわさの中目黒のナポリピザ店で食べてきました。ダ・イーサというピッツェーラでなんでもここはナポリピザコンテストで世界一になった職人さんが開いた店だそうです。
ダ・イーサのホームページ
中目黒から山手通りを北上していくと道の両側には様々な形態のレストランが軒を並べています。かなりの激戦区です。そんな中でも他の店を羨ましがらせるようにダ・イーダには行列ができていました。少し並んで窯の見える席に案内されてメニューも見ずにマルゲリータを注文しました。店内はナポリのピッチェーラの雰囲気に満ちています。奥の壁にはナポリのプレぜービオが飾られています。窯は店の目立つ位置に据えられていてピザ職人は存在感十分に腕を奮っていました。(オリーブオイルの使い方もポイントだと思いました)
さてマルゲリータですが文句の付けようのない「本場」もの。いままで日本で味わったピザの中で文句なく「No.1」です。ナポリそのままの味でした。もっともマルゲリータ一枚の値段が1650円(土曜日)ですから本番の3倍となります。材料、窯などを考えると仕方ないのでしょうか。ナポリまで行かずに食べられるのですから。
やはり本場で修業した職人さんの仕事はたいしたものだと思いました。日本にもナポリピザの店が増えていますが、やはり本場の味を知っている職人さんは貴重だと思います。この店が流行るということは本場の味を知っているナポリピザファンが多いということ。ナポリピザブームはまだまだ拡大していきそうです。
「麦と兵隊」が無性に読みたくなったのですが、新潮文庫本は絶版で手に入りません。ということで須坂の田舎に帰ったついでに実家の本棚を物色して「新潮文庫版」を取ってきました。
実家にあった文庫本は昭和44年の第20刷で、定価は何と「100円」。本文の紙は大分茶色に変色していますが読めないほどではないです。誰が買ったのか今になっては経緯は分かりませんが、読みたい本をその昔に家族が買っていたいう事実は感慨深いものがあります。同じように絶版の文庫本で「平将門(上)」を実家で見つけたときも嬉かしかったです。
「麦と兵隊」とともに「阿Q正伝」も探したのですが、こちらは見つかりませんでした。たしか赤いカバーのかかった文庫本があったはずなのですが。こちらは絶版ではないので購入しようかとも考えています。
| 2012年05月05日(土) |
久しぶりのクラリネット |
私と妻が所属していた高校の吹奏楽クラブの演奏会が40回を迎えて6月3日に開催されるという案内を頂いていました。今回は40回を記念してOBも交えての合同演奏を披露したいとの現役生の計画があって、クラブOBに案内されました。実はずっと昔、私が高校のクラブ3年生の時に第一回演奏会が開催されたのでした。妻はその時1年生で参加しました。それから40回実に40年の月日が流れました。
5月5日は連休を利用した合同ステージの練習日が設定され、改築で新しくなった(といっても随分前ですが)母校まで出かけて練習に参加してきました。6月3日の本番には出るかどうかは少し考えてから決めようと思っています。なにせ久しぶりのクラリネットだし、私達が卒業してからコンクール全国大会に出場するなど後輩達は相当うまくなっていて、私達の参加で迷惑を掛けてはいけないと考えているからです。
高校の新校舎については外から眺めたことはありましたが、教室に入るのは今日が初めてです。昔のオンボロ校舎とは雲泥の差ですごく奇麗です。ですが床とか壁は木造で昔のデザインも取り入れているので非常に懐かしいムードはあります。後輩達の練習室は大変立派です。防音装置が施されているだろうし、複数のコントラバスとかフルスケールのハープとか昔では考えられない楽器が並んでいます。
ところで、現役高校生に混じって練習してみて、直ぐに「昔の伝統は生きている」と実感しました。コンクールで全国大会に駒を進める時代になっても昔の雰囲気はそのままでした。「なんでこれで全国大会?」という感じなのです。想像するにこれから夏までの間に長足の進歩をするのだろうと思います。現在は楽器の性能も上がり、インターネットで情報は入手できます。伝統を生かしつつ現代風に効率的に成長して欲しいと思いました。
| 2012年04月30日(月) |
武蔵浦和で新たなピザ店「SeaHook」 |
武蔵浦和駅の改札駅の少し南の駅ビルの2階に「SeaHook」というレストランがありました。確か今年始めにオープンした店で欧風料理を小鉢に盛り付けたちょっと正体不明なレストランでした。あまり注目もしていなかったのでこれまで食べたことがなかったのですが、数日前に店の前を通るとなんと「ピザ」と「パスタ」をメインに据えたイタリア料理に変わっていました。激戦のイタリアンに殴りこむあたり無謀とも言えるのですが、物珍しさで今日ランチを食べてきました。珍しかったのは「ピザ窯」です。
ピザ窯の話ですが、料理の形態を変更するときに新しく入れた窯だそうです。埼玉の川越の会社が作っている窯だそうです。店の中央に目立たなく設置されていたのが下の窯です。

「eナポリ500」のホームページ
本場ナポリは基本的に薪窯です。そして薪窯を設置するほど需要のないレストランでは当然コストパフォーマンスの良い「ガス窯」となります。しかし一般的にガス窯では窯の温度が高温に達しないようで、ピザの焼き具合が難しそうに思えていました。今日「SeaHook」さんで見たのは「電気ピザ窯」です。上記ホームページにあるように最高温度「550度」とはすごい威力です。それでいて非常にコンパクトなので、本格的な「ナポリピザ」を手軽にメニューのい入れるレストランが増えそうです。
しかし課題は「ピザの仕上がり」です。本格的ナポリピザの味にどのように近づくか。一方で日本の風土(気温・湿度等)に併せた「日本版ナポリピザ」をどのように定義するのか。この辺りをピザ職人の方には期待したいですね。下の写真はSeaHookさんのマルゲリータです。本場ナポリのマルゲリータとは大分違いますが、これからどんどん勉強して美味しいピザを開発して欲しいと思います。

「ナポリピザ」でいうと差し当たり下記の課題程度が思い浮かびます。 ○「ピザ」と合わせて頂く飲み物は?(ビール、ワイン、水、その他?) ○「ピザ」は一人一枚か、それとも複数でシェアする前提か。焼く順序は? ○「ピザ」を食べ終わるまでの時間はどれくらい?(皿の温度を確保) ○「ピザ」の料理方法、素材(生地、トマトペースト、チーズ)と「窯の実力」からどれ位の時間焼くのか? またオイルはどの程度使うのか。
「SeaHook」さんはピザを始めて間もないですが、強い見方の「電気ピザ窯」を得ています。多分火力は安定して高温を確保できるので、薪窯のように窯の状態に気を使う手間は省けます。その手間をピザ素材の準備、焼き加減に振り向けて、美味しい電気窯ピザを作り上げて欲しいと思います。
| 2012年04月27日(金) |
日本の「ダ・ミケーレ」 |
今年始め恵比寿に「ダ・ミケーレ」ができていたということを知って早速行ってみました。なんでも「ダ・ミケーレ世界二号店」ということで、ナポリのダ・ミケーレのノウハウを取り入れた店だそうです。金曜日は新橋にいる妻と恵比寿で待ち合わせて、少し道に迷いましたが6時30分過ぎには店に付くことができました。店の前には小雨の中10人以上の行列。今日は止めておこうという妻を説得して30分程度並んで漸く席に着くことができました。
店内はそれほど広くありませんが、ナポリから取り寄せたというおおきな「ピザ窯」が入り口近くに据えられています。窯の色は本店の大きな窯に近い茶褐色。天井が高く床とか壁にタイルを張っているところなんかもナポリの店に似せています。値段はともかくメニューはナポリミケーレに近いもので、ピザの種類は「マルゲリータとマリナーラだけ」。少しですが前菜もあります。日本人の趣向に合わせてワインを沢山置いているのは仕方ないでしょう。
さてピザの味ですが、基本的に素材(ピザ生地、トマトペースト、モッツァレラチーズ)はナポリのミケーレと殆ど同じ程度のものだと感じました。ピザも大きくて一人で食べるには少し大きすぎるくらいです。課題は焼き方だと思いました。最初に食べたマルゲリータの時にも感じましたし、次のマリナーラもそうでした。縁には十分焦げ目が付いているものの、トマトペーストの水分が少し生っぽいのです。モッツアレラは十分とろけているのですが、トマトペーストの焼け方に不満が残りました。感覚でいうと最後の10秒・20秒の仕上げが少し早いのではないかという感じです。これが私達のピザだけなのか、それとも全体にその傾向があるのかは不明です。
これは少しやっかいな調整が必要なのかもしれないとも思います。
現象つぃては、薪を燃料とするピザ窯内の温度管理の問題なのか(薪窯ではピザの裏を焼く「底」の温度、表面を焼くピザ天井の一番高温となる場所の温度、さらに窯内全体の湿度がピザの焼け具合を左右すると思います)、トマトペーストの量・塗り方と窯の温度に合わせた「焼き時間」の問題なのか、両方なのか。ポイントは「ナポリの本店ダ・ミケーレ」のようにピザの焼け具合の見分ける「お目付け役」のような仕切り人間がいないことです。
多分ナポリでも焼けムラはあるでしょうが、そこはベテランが厳しくチェックして修正しているはずです。ナポリでは注文を聞きに来る年配の接客担当の人が店全体を仕切っていました。それが伝統を継承する方法だと思います。日本のミケーレはまだそこまで行っていない感じです。欲を言えばナポリから焼き方の分かる人を長期間呼んで日本の窯にあった「焼き方」を安定させるべきだと思いました。「本番ナポリの味」が違うものにならないように、何とか工夫して欲しいものです。なにせナポリに食べに行くことを考えたら多少高くても便利ですから。因みにマルゲリータ(ダブルチーズ)はナポリ本店が5ユーロ、恵比寿のミケーレでは1800円でした。
イタリア旅行前からパソコン(IBMX40)の画面の調子がおかしかったのですが、帰国直後から電源を入れると「画面真っ白」の状態となってしまいました。別のモニターをつないでパソコンに貯めておいた旅行写真をサーバに取り込みました。X40を別モニターで使うのは面倒だし、昔の富士通パソコンはスピードが遅くていらいらするので何か良い方法がないか考えていました。
そこで「安くて便利なパソコンがないかどうか情報を仕入れる、X40の修理部材が売っていないか」ということで妻のガイドに頼って秋葉原に行ってみました。まず秋葉淀橋で新品パソコンをチェックしました。小型のパソコンは確かに各社豊富に出していますが、現在の「X40」に匹敵するような機種となると、パソコン全体の値段は下がっているとは言え高い。10万円以上出さないと一定水準以上のパソコンは手に入らないことが判明しました。こちらの要望の「持ち運びも便利」「自宅の卓上で使ってもある程度性能発揮」「物理的耐久性に加えてある程度の期間は陳腐化しない」という贅沢なものですから。
新品購入は保留にして次に「X40」の修理部材を探すことにしました。目指す物は「液晶モニター用のフレキシブルケーブル」(ケーブル付きの液晶でも可)、キーボードでした。妻御用達の「若松IBM」コーナーにもX40はありません。X60なら結構な数中古製品は売っているのですが。そこで別の中古パソコン街を何件か見て回ることにしました。
フレキシブルケーブルだけならインターネットで購入できましが、「画面真っ白」の原因はケーブルだと断定することができないので色々悩むところです。結局何件目の中古屋で売っていた貴重な「X41」を買って部材を利用することにしました。それはBIOSパスワードがかかっているもので部材を利用する以外に利用価値がなく値段は3500円程度でした。
大急ぎで家に帰って妻に「X41」の分解・部材取替えをやってもらいました。妻はIBMノートの分解方法をネットで調べていて非常に手際よく部材を取り出します。続いて「X40」の分解です。こちらは最近妻が既に2回分解・組み立てをしているので慣れたものでした。私は妻の横で助手役です。「X40」のキーボードと液晶(ケーブル込み)をX41から外した部材に取り替えてみると「X40」は見事に蘇りました。液晶画面は薄汚れていた「X41」の画面を奇麗に掃除してみると前の画面よりもずっと奇麗です。キーパッドの感触が少し変わりましたが、むしろ今度の方がメリハリが利いていて使い易いです。バッテリーも予備として使えそうなのでおお助かり。大変お得な修理となりました。
今回買った「X40」はBIOSパスワードがかかっている為に、中古品としては部品を利活用する方法しかありません。IBMのノートのように頑丈に作られているものはできるだけ再利用したほうが良いのに、それができないのが残念です。秋葉原の中古品店には中古パソコンが山ほど売られています。新品が売れないとメーカが儲からないのは分かりますが、長く使う、使えるものは再利用することにももう少し力を入れるべきだと思いました。
| 2012年03月27日(火) |
サンタンジェロ城・オペラ魔笛鑑賞 |
ローマ三日目は「サンタンジョロ城」見学は決めているものの、その他の時間は予定を組まずにもし疲れがたまってしまったらホテルで休んでいても良いかなと考えていました。というのも今夜はローマオペラ座で「魔笛」を観ることになっているからです。しかし朝起きてみると意外に元気でまだまだ歩き回るエネルギーがあるので結果的には大分歩き回ることになりました。
まず40番バスでサンピエトロに向かいました。朝早いのでサンピエトロ教会の「クーポラ登り」がまだ空いているだろうとの判断です。サンタンジェロ城やローマ市街を高い所から見ておこうという狙いがありました。私達の推測通りでキューポラ登りは空いていて私達夫婦が殆ど一番乗りだったみたいです。
エレベータである程度の高さまで登り、クーポラの上部からサンピエトロ内部を見渡した後、細い階段をかなりの段数を登ってクーポラの頂上近くまで行きました。そこからの眺めは非常に素晴らしく朝日に映えるローマ市内が一望されます。これから向かうサンタンジェロ城も上から見る事ができました。ローマには目立つ近代的な高層建築は全くありません。この光景は500年前も全く同じだったのでしょうしこれからも変らないのでしょうね。混雑する時間帯に見学に来たらさぞ大変だろうと想像しながらまだ人の少ないクーポラを後にしました。朝日をふんだんに取り込むサンピエトロ聖堂内部をもう一度見学してからサンタンジェロ城に向かいました。
サンタンジェロ城は「歌劇トスカ」の第三幕の舞台でありますし、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」でも登場するローマの一風変わった名所です。古代ローマ時代には皇帝の陵墓だったようですがその後「城」に転用されました。城とするからには外からの攻撃を防ぐことを目的に補修したのでしょうが、結果的には中から出ることも難しいことになったために「牢獄」として活用されたようです。
入場すると見学者はまず城の地下に案内され城の地下から城内部の通路を通って屋上まで進みます。途中の広場には18世紀中ごろまで城の頂上に置かれていた大理石の天使(ミカエル)像が置かれています。現在頂上に置かれている天使は剣を持っていてもっと勇ましい姿をしています。一番上の屋上はカラヴァドッシが銃殺されトスカが身を投げる場所です。ここからの眺めは素晴らしく今度はサンピエトロの立派なクーポラと広場を見渡すことができます。帰りは城の部分から城壁に渡し橋で移って城壁を見学して降りてくるのですが、この渡り橋を外しさえすれば城は完全に城壁から分離されるようになっているのです。
サンタンジェロ見学の後は地下鉄でリパブリカまで戻って、宿泊しているホテルにも程近いリパブリカ周辺の教会・美術館を見学しました。狙いは「天使と悪魔」にも出てくる「聖テレーザの法悦」のある聖マリア・デッラ・ビットリア教会でした。しかし教会の午後のオープンまで時間があったので、近くの聖マリア・デッリ・アンジェリ教会と国立博物館を散策しました。
聖マリア・デッリ・アンジェリ教会はミケランジェロの設計したという古代ローマ建築を利用したモダンな教会です。16世紀に設計された建物が非常にモダンに見えるというのも天才の設計だからだと思います。ベートーベンの最後のピアノソナタのように未来を先取りしたかのようです。教会内部には大仕掛けの日時計が置かれています。この教会のホームページは英語版もあって現代的な感じのする教会です。聖マリア・デッラ・ビットリア教会では興味のあった「せいテレーザの法悦」を間近に見ることができました。しかし像が高いところにあってマリアの表情までは良く見えませんでした。
***ローマオペラ座***
ローマに入る前にナポリによってナポリの「サンカルロオペラ劇場」を見学しました。サンカルロ劇場は王宮の直ぐ横にある非常に立派な建物で内装も非常に豪華でした。イタリア統一前の歴史を振り返ってみると、ローマは長い間ローマ教皇の領土でした。そしてその勢力範囲はそれほど広くはありません。その教皇領より南のイタリア半島の半分程度は長くナポリ王国が支配していました。ナポリ王国の領土はイタリア統一前は最も広大なものであったのです。当時イタリア北部はというと「ミラノ公国」とか「サヴォイア公国」とか「ヴェネチア共和国」とか規模の小さい国々が乱立していたのでした。
こんな背景もあって、ローマオペラ座はナポリのサンカルロ劇場に比べると規模にしてその煌びやかさにおいても劣ると感じるのは仕方のないことだと思います。つまり王様のお膝元で長い伝統を持つ劇場(サンカルロ)と19世紀の共和国統一後に作られた新しいオペラハウスの違いは伝統の違いとして感じられたということです。更にローマカトリック、古代ローマ遺跡の街ローマは音楽においてミラノとかフィレンツェとの差を感じざるを得ません。もっとも敷居の高くないオペラ座は世界中の観光客が気軽にオペラを楽しむ環境であるというメリットがあるとも言えます。今回の「魔笛」も指揮者・歌手は他のオペラ劇場からの寄せ集めの公演です。そんなオペラ座もありかなと思います。ところで昨年暮れから「ムーティ」がローマオペラ座にきました。これから「ムーティ色」がでてくるのでしょうか。円熟したムーティとのコンビで大きく飛躍するのかどうか楽しみではあります。
今回の「魔笛」はコヴェントガーデンの人気演出の焼き直し版です。そうするとどうしてもコヴェントガーデン版との比較にならざるを得ません。どうしようもないことですが「ダムラウ」のような「夜の女王」は滅多にいるものではないのです。オペラでの出番は少ないものの「夜の女王のアリア」は魔笛で主要な見せ場の一つです。今回は残念ながら「ハイF」の音は殆ど外れていました。他の歌手が結構頑張っていたのに「夜の女王」でマイナスが大きくオペラ全体の評判を落としてしまった感じです。私はパミーナを歌った若い「ミューラー」さんの歌唱・演技が素晴らしいと思いました。この人はこれから大いに活躍するのだろうと思われました。タミーノ、パパゲーノ、ザラシュトラは非常に安定した演技だったと思います。予定外で平土間で聞くことができたのはラッキーでした。日本の大きなホールでは絶対聞けないような声の振動を感ずることができました。
今回オペラ座近くにホテルを確保しました。それは夜8時30分に始まるオペラが終了するのは夜12時過ぎになると思われましたし、終演が遅くなっても歌手の写真を撮ったりサインをもらったりすしたかったからです。予定通り、パミーナのミューラーさんからサインをいただき一緒に写真まで取らせてもらいました。イタリアでも夜12時過ぎの終演では楽屋口で歌手を待ち受ける人の数は少なかったです。頑張った歌手の皆さんには少し申し訳にような気がしました。この魔笛経験は今回のイタリア旅行の最後のイヴェントでしたが色々な面で非常に印象深いものでした。
26日(月曜日)は10時30分からヴァチカン美術館・システィナ礼拝堂の見学ツアーを予約しておきました。ヴァチカン美術館ホームページから入場券だけでも予約できますが、右も左も分からないため場所で戸惑ってしまうことが予想されたため、入場券+館内案内(英語)のコースを選んでおいたのでした。
ローマの美術館・博物館は月曜休館のところが多いことから、月曜日に開いているヴァチカンに観光客が集中するだろうということはある程度予想していましたが、朝から大変な混雑です。10時過ぎにヴァチカン美術館付近に着くと美術館入口の入場券売り場を先頭にして非常に長い行列ができていました。私達は入場券があるのですんなり入場することができました。貴重な時間事前予約は非常に役立ちました。
10時頃までにヴァチカンに着いていればOKということなので、その前に朝早くから開いている二つの教会を見学しました。サンピエトロと並んで4大聖堂に数えられる「聖マリア・マッジョーレ教会」と「聖ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会」です。聖マリア・マッジョレ教会はホテルの近くにあり、昨日夕方に立ち寄ったのですが館内は既に暗くて十分に内部を見ることができなかったのです。また聖ジョバンニ・ラテラーノ教会はマッジョレ教会近くの地下鉄「ヴィットリオ・エマニュエル駅」から駅二つ目の場所にありますが、昨日地下鉄が便利で早いことが分かったので思い切って行って見る事にしたのでした。聖ジョバンニ・ラテラーノ教会からヴァチカンまでは地下鉄に乗りさえすればそれほど時間がかからないことは確かめておきました。
結果としてこの二つの大聖堂を見たことは大正解だったと思います。早朝の教会は空いていて朝日が差し込んで内部が明るく大変厳かです。存分に写真を取ることができました。聖ジョバンニ・ラテラーナ教会は嘗て法王庁が置かれていた場所でもあるので大変立派な作りです。他の教会では殆ど見ることのできない「5廊式」の聖堂です。カトリック総本山の教会を見学する気分が高まったところでヴァチカンに向かいました。しかしヴァチカンでは人込にまみれることとなり、教会を厳かに見学するというものとは程遠い見学となりました。
ヴァチカンの見学コースでの案内役の方は確かに豊富な知識を持っていて細かいことを説明してくれました。特にラファエロの間の絵画の説明とシスティナ礼拝堂の絵画については細かい説明をしてくれましたが、正直詳しく聞いても英語に着いていけないし興味もわきませんでした。確かにラファエロ、ミケランジェロの絵画はとんでもないものであることは確かですが、描かれている人の数が多すぎるし、見学している人の数も多過ぎてざわついていてじっくり絵画を鑑賞する雰囲気ではありませんでした。
皮肉な見方ですが、高度な芸術作品が生まれる裏にはものすごい権力と富が必要なのだろうなということを再認識した次第です。しかも、それらの超有名な絵画は後代には世界から見学客を呼び寄せて、潤沢な資金獲得の目玉ともなっているのです。とにかくヴァチカンに描かれた絵画、据えられた彫刻作品、集められた世界各地の芸術作品はたいしたものです。これらに有力な貴族(教皇を輩出するような名門家)のプライベートコレクションを加えるとローマに存在する芸術作品は物凄いレベルに達していることになります。しかし見学客が見ることのできる範囲・量は限られています。これが世界に散らばっていたら、もっと多くの人達が見にすることができると思いました。
見学客の混雑はサンピエトロ聖堂でもすごかったです。クーポラへの登り口には長蛇の列でとても並ぶ気にはなりませんでした。それでも入口近くのピエタ像などをしっかり見学しました。見学した教会では基本的にお参りをするのですが、お祈りすることは毎週行く別所沼の弁天様にお願いすることと同じです。スリランカの佛歯寺とかインドの聖菩提寺に行きましたし、インドの大きなヒンズー寺院にも行きました。後はメッカとエルサレムかなと夢のような考えが浮かびました。
ヴァチカン美術館に入るためにリュックサックなどの大きな荷物をヴァチカン美術館入口の荷物預けに預けてきたのですが、見学ルートの最後はサンピエトロなので、荷物を受け取るためにもう一度ヴァチカン美術館入口まで戻らなければなりません。混雑と見学で疲れているのにこのルールは酷いと思いました。ヴァチカン見学は身軽な格好で行くことがポイントです。
バチカン見学の後、バスでナヴォーナ広場に向い、そこからものすごい観光客で賑わう「パンテオン」を見学し、近くの「聖ルイージ・ディ・フランチェージ教会」「聖マリア・ソープラ・ミネルヴァ教会」を見てから「トレビ泉」まで散策しました。パンテオンもトレビの泉も見学するというよりは人込みにまみれて、単に「行って来た」ことを記憶に残す程度の見学になりました。「トレビの泉」からホテルまではそれほど遠くないことが分かったので、ホテルまで歩いて帰ってきました。
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