KENの日記
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2010年04月17日(土) 姪の結婚披露宴

姪の結婚披露宴に呼ばれ家族4人(妻、長男、長女、私)で出席してきました。高齢の母をどうするか少し悩んだのですが、電車の乗換えがシンドイと思われたので母には留守番をしてもらうことにしました。母の昼食・晩飯の準備をしての日帰りの京都旅行ということになりました。

関東は昨夜の雪模様から雨に変わったものの、道に雪が残っていて、おしゃれして出かけるには最悪の天候でした。新幹線で西に向かうに連れて天候が回復し、静岡件に入る頃には青空がのぞいて富士山を見ることができました。京都は勿論良い天気で、観光客も多いし、気持ちの良い日和となりました。

披露宴の場所は東山粟田口の「美濃吉本店」。大変立派な料亭でした。京都駅からタクシーでいきました。20年前大阪勤務時代に京都には何度か来たことがあり、東山の辺りは記憶にあるかなと思いましたが全く覚えがなく新鮮でした。美濃吉は三条通りの東側にあります。もう少し時間があれば近くを散策すると昔の記憶が蘇るのか知れませんが今日はトンボ帰りでした。

我が家の4人は酒が強いし弟夫婦も酒が飲めるので、こちら側親戚席の酒の消費量は大変なものだったようです。私は途中から記憶がありません。美濃吉さんが準備してくれた酒(日本酒、赤白ワイン)は大したものでした。お祝いに出かけて随分満足して帰ってきました。



2010年04月10日(土) 血糖

もっとも一般的な「HbA1C」は、血液中の糖(グルコース)と赤血球のヘモグロビンが結合した糖化タンパク質です。これが全体のヘモグロビンの何%あるかを測定します。赤血球寿命120日から考えて過去1〜2ヶ月の血糖コントロール状態を反映します。標準の値は「4.3%から5.8%」だそうです。ヘモグロビンの寿命が120日と長いので、過去1ヶ月の糖の状態を反映しているといえるようです。実際には過去2ヶ月、過去3ヶ月の要素はまだ残っていますが。

これに対して、「グリコアルブミンGA」血液中に存在するタンパク質の一種のアルブミンと糖(グルコース)が反応(糖化)したものです。糖化タンパク質の量はタンパク質が接触した「糖」の量と時間に比例して増減するので過去の血糖の状態を知る上で指標になるのです。アルブミンの寿命は約一ヶ月と短いので、過去2週間〜1ヶ月の血糖コントロール状態を反映するので、「HbA1C」に比べて早く大きく変動するのだそうです。こちらの標準は「17未満」が望ましく「24」以上で異常な状態となるようです。数値としては「HbA1C」の約「1/3」と考えておけば良いようです。

「献血」時の生化学検査において昨年から「グリコアルブミンGA」が追加されました。これまでの状況は以下の通りでした。

21年11月:18.8
21年12月:19.0
22年 1月:19.1
22年 2月:18.7
22年 3月:17.9

今日今年度1回目の「献血」をして来ました。はてして「グリコアルブミンGA」の比率は改善しているでしょうか。目標は「17%前半」です。



2010年04月09日(金) 湘南新宿線遅れ

通勤で使っている湘南新宿線ですが、埼京線から赤羽・池袋で乗り換えができます。少しでも座席に座る可能性を増やすためは車両の奥に入り込む必要があるのですが、そのためには池袋で乗り込むより、赤羽で乗り換えておいた方が有利なのです。ということで、赤羽駅でダッシュで乗り換えることが多いです。というのも「赤羽−池袋」間は埼京線の方が早く走るので、池袋で乗り換える方が赤羽で乗り換えるより余裕はあるのです。

この行動が今日は裏目に出ました。なんと大塚駅の山手線内回りの人身事故が発生。乗っていた湘南新宿線は山手線巣鴨駅近辺でストップしてしまいました。約40分の停車でした。埼京線に乗っていれば大崎まで行って品川経由で横浜まで行くことができました。横浜まで通勤するのに巣鴨駅でストップはショックでした。

湘南新宿線といえば、新しく「武蔵小杉駅」が開業しました。南武線、東急線と連絡しているので非常に便利な駅となります。新しい武蔵小杉駅には湘南新宿線、横須賀線のほか成田エキスプレスも停まります。久しぶりにJRでも非常に有力な駅が誕生したことになりました。



2010年04月03日(土) ドュダメルのマーラー交響曲第一番

NHK教育テレビでドュダメルのマーラー「巨人」が放送されました。彼のロスアンジェルスフィル主席指揮者就任コンサートの模様です。アマチュアのシモンボリバルユースオケとは違ってプロのオーケストラは「のりのり」ではないけれど、それでもLAフィルの楽員はドュダメルの「天才」に触発され、ものすごい名演を残したと思いました。

マーラーの交響曲が非常に新鮮でそして自然に聞こえました。長い曲ですがこれは一気に聴くことが大切なのだと思いました。というのもドュダメルは全曲通した「見通し」「設計図」に基づいて演奏していると思えるからです。ドュダメルの天才は全曲を俯瞰した上で個々のフレーズを処理しているのだと思います。従って当然ながら最後の音が消えたときに最高潮に達します。それまでの瞬間瞬間は息の長い緻密な助走なのです。

それにしてもLAフィルは上手に主席指揮者を選びました。これでLAフィルの海外公演(特に日本公演)は満員間違い無しです。本番が魅力的なのでどれくらいCD・DVDが売れるのかわかりません。というのもドュダメルの音楽は聴衆に緊張を強いるので、そう何度も聞くことができないのだと思います。

これからドュダメルはどのように成長していくのでしょう。若くして楽壇での地位を確立してしまった場合、順風満帆に歳をとって「老成」したらどうなるのでしょう。残念ながらこれまでにそうした例はないように思えます。かつての大家には「戦争」「体制」という大きな障害がありました。その厳しい境遇が大きな才能を開花させた面があったと思います。

ドュダメルを聞いていて「早逝」してしまうのではないかと心配してしまうのは私だけでしょうか。



2010年03月22日(月) 銀座ヤマハ、アショカのカレー

長らく改築で別店舗で営業していた銀座「ヤマハ」がリニューアルオープンしたというので妻と一緒に出かけてみました。そして銀座「ヤマハ」といえばすぐ近くの北インド料理の「アショカ」で、こちらは銀座インズ1に移転していますが、昼食に久しぶりにカレーを頂きました。

銀座アショカですが、現在は銀座店と新宿店(ヒルトンホテル)の2店舗で営業しているとのこと。インド料理点が増えている中で、大宮店は閉めたとのことで細々と続いています。しかし昔はインド料理の最高峰でした。北インドのタンドーリ料理ではNo.1だったと思います。我が家のインド料理はアショカのレシピーが元になっています。

今日はランチのチキンカレー(ナンとチャイ付)を食べました。日本人の嗜好に合わせて辛さを調節することなく非常に辛いのですが、独特の味わいがあって非常に美味しくやはりアショカのチキンカレーだと思いました。今年は我が家の結婚30周年ですが、アショカ通いもそれくらいになっています。食事の後に出された「チャイ」も非常に美味しく、大変満足した昼食でした。

ヤマハ銀座店は銀座の7・8丁目の昔のビルを建て替えてリニューアルしました。こちらはというと少し興ざめでした。ビルの敷地が以前のママなので狭いイメージはぬぐえません。狭いフロアに楽譜、CD、楽器を詰め込んでいるので非常に窮屈に感じます。陳列の方法だとかエスカレータの配置が山野楽器に似ているという印象です。CDをヤマハで買おうとは思わないので、もう少し店のコンセプトを変えたら良かったのにと思いました。楽譜専門の「アカデミアミュージック」が移転しても従来のイメージを保っていたことと対照的で、今はやりの量販店イメージのようになったしまった感じ。



2010年03月21日(日) すごいヴァイオリニスト

久しぶりにN響アワーをみたら、今年度のプログラムの総括として、ファン投票によるベストコンサートを紹介していました。今週がソリスト部門で、来週がオーケストラ部門だそうです。第10位にはチェリストのペレーニの演奏会が入っていましたが、演奏の放送があったのはベスト5だけでした。

女性演奏家が多く入っていましたが、その中でも注目したのは3位にランクされた「アラベラ・美歩・シュタインバッハー」さん。1981年生まれ。お父さんはドイツ人のピアニスト、お母さんは日本人の歌手なのだそうです。

とにかくボーイングがすばらしいのです。弓が弦に吸い付いているという感じで、弓を一杯に使うのはもちろん、弓と弦との角度はほとんどぶれません。弓の元でも先でも弦との角度がぶれないために音質が安定しています。実際には知りませんが、ハイフェッツの演奏スタイルがこのようでなかったかと想像されました。

放送された曲はチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトでしたが、テクニックのすばらしさに加えて、豊かな音楽性を感じさせるように、フレーズが非常に長いということにも関心じました。これからが本当に楽しみな演奏家の登場です。日本人の女性バイオリストが活躍している昨今ですが、私としては、ハーンと今回のシュタインアッハーが双璧のような感じを持っています。

アラベラ・シュタインバッハーさんのホームページ



2010年03月10日(水) 由井の酒「正雪」




静岡県由井の神沢川酒造所の酒「正雪」の「無量寿」です。100%山田錦で、酒母米、麹米は35%、掛米は50%の精米比率。杜氏は山影純悦氏。

ちょうど山本周五郎の「正雪記」を読み返したところであり、会社に静岡の由井出身の方がいらっしゃり、昔静岡の清水の住んでいた頃の昔話をしたりしていたところで、森田酒店のお勧めもあってすぐ購入しました。静岡の酒では以前に「喜久酔」に大変感動した記憶がありますが、この「正雪」も非常にデリケートに仕上がっています。

どちらか言うと東北、新潟の辛口のすっきり系ですが、それだけにとどまらない細やかの彩りを感ずる味です。勿論山田100%で丁寧に仕上げているので「まろやか」であることは前提になっています。こういう酒は美味しいので一升瓶がすぐ終わってしまうのが難点です。



2010年02月20日(土) 人間ドックの結果通知

今日人間ドックの結果が郵送されてきました。自分自身認識を新たにするために判定で異常があった項目を記載しておきます。

1.循環器  動脈硬化症(経過観察)、心電図軽度異常(経過観察)
2.上部消化官 胃炎(経過観察)、十二指腸潰瘍痕(経過観察)
3.下部消化官 大腸ポリープ
4.脂質    総コレストロール高値(軽度の異常)
5.糖尿病   糖尿病(要治療)
6.内分泌   甲状腺腺腫(軽度の異常)

心電図軽度異常はずいぶん前から「ST-T異常」と診断されています。通常「ST上昇ならば緊急的に対処し、ST低下であったら患者の状態を確認する」こととなるようで、私の場合はT波の立ち上がりが鈍く、立ち上がる前に少しS波が下がる場合もあるようです。これは軽度な「右心室肥大」から来るようです。父が心筋梗塞で亡くなっているので、遺伝的な何かで心臓に軽度な異常があるのかもしれません。

胃炎は正月の食べ過ぎ・飲み過ぎの悪影響が残っている感じです。自覚症状がありますから。新年年明けの「人間ドック」は日程的にまずいなと実感しました。

大腸ポリープは昔から養っているもので直径は5mm程度のものです。大きさが変わらないので良性のものらしい。人間ドックと同時に取ってくれれば良いものですが「別の機会に取ってもらったらどうか」とのサジェスチョンです。しかし、食事を取らずに下剤を飲んで胃腸を空っぽにする機会を別に設定するのはものすごくエネルギーが必要です。従っていつまでも同居することになってしまいます。

コレストロールは胃炎と同じ原因で食べ過ぎ・飲み過ぎです。横浜に通勤するようになってから、中華料理での飲み会が増え、つい口当たりの良い紹興酒を大量に飲む機会が増えました。紹興酒は酒の中でもカロリーが高いようです。気をつけなければなりません。

今回、もっとも重篤なものが「糖尿病」。前は「予備軍」だと自認していましたが、どうやら一人前に「糖尿病」と判定されたらしい。今回は特に客観的な数字で「閾値」を越していたので言い訳はできないです。これを食糧両方・運動で回復させることができるか。大きな課題です。

今回新たに「甲状腺腺腫」との診断。これは初めてです。これは女性に多い症状のようです。なお「間違えやすい病気に甲状腺がんがあります。両者とも、同じような頸部のこぶとして生じるので、早期のがんでは、熟練した医師でも腺腫と区別することはできないようです。」のような記事がありましたが、それなら初期の甲状腺腺腫がなぜ大丈夫だと言い切れるのでしょうか。



2010年02月04日(木) 人間ドック

3日・4日と今年度の人間ドックでした。場所は静岡県函南にある伊豆逓信病院。横浜に転勤になったので埼玉から横浜まで毎日通っているので、函南まではそれ程遠く感じませんでした。いつもの湘南新宿ラインで戸塚で東海道線に乗り換えて熱海まで行き、熱海かたJR東海の東海道線でひと駅です。

昨年度の人間ドックで血糖値の検査を受けられなかったですが、結局今年も検査は受けられませんでした。糖尿病の検査なのですが「検査するまでもない」という判定。検査代を払っているのだからと抵抗しようと思いましたが、今年は「検査を実施することによって体調悪化の可能性がある」などと脅かされたので、素直に受験を控えました。ドック後の面談時においても、血糖値の数値は確か高いことを指摘されました。

そもそも2月初旬に人間ドックを設定したのが間違いでした。昨年度の人間ドック以来、病院で糖尿病の事を相談したり、昼食を野菜だけにしたリ、運動をしたりして、体調を整えてきました。定期的な献血によって血糖値の状態も一定水準の範囲内に抑えてきました。しかし年末・正月の間に過度のカロリーを取り過ぎた事に加えて、年末から市民プールが改装に入って使えず、運動不足のまま人間ドックを向かえてしまったのでした。そのために1年間の苦労が水の泡になってしまったのです。(これは言い訳)

正式なドックの結果通知は受け取っていませんが、気合を入れなおして体調管理をする必要がありそうです。泊まった病室から富士山がとても綺麗に見えました。また病院の庭では「川津ざくら」が咲き始めていました。伊豆は暖かいのですね。




2010年01月26日(火) フィリピン出張

3回目のフィリピン出張でした。過去2回はフィリピンの電話会社PLDTと対応するものでした。PLDT社本社が首都マニラの近代的なオフィス街のMakati地区にあったので、自然ホテルもその近辺に宿泊しました。従って古いマニラは一切知らず、空港とマカティの往復だけだったのです。今回の出張の目的のひとつとして、旧市内にある船舶管理会社との打ち合わせがあったので、思い切って旧市内近くのホテルにも宿泊しました。ホテル名は「Bay View Park Hotel」。アメリカ大使館の東側で、アメリカ大使館越しにマニラ湾に沈む夕日を眺めることができました。

ホテルの北側直ぐの所に広大な「リサール公園」があり、更にその北側には古い町並みの観光地として有名な「イントラムロス」があります。「リサールパーク」はフィリピン独立の英雄「ホセ・リサール」の名前を冠した公園で、マニラ市民の憩いの場であり、「ホセ・リサール」が処刑された場所に因んで作られています。リサールは若くして革命に命を捧げた英雄で、日本で例えるならば「坂本竜馬」でしょうか。

東京の日比谷公園に「ホセ・リサール」の胴像があります。リサールが日本に滞在した時に宿泊した場所だと銘に刻まれていますが、また日本に滞在している間に「お勢さん」こと嘗ての旗本の娘「臼井勢似子」さんと恋に落ちました。今回マニラのリサール記念館にいって知りましたが、「お勢さん」はリサールの9番目の奥さんであったのだそうです。記念館には立派な「お勢さん」の肖像が飾られています。

昨年はずっと中国の革命家「孫文」のことが頭にこびり付いていました。そして孫文が日本に亡命中に横浜で「大月薫」という女性と結婚し、そのご子息がまだ健在である事を知りました。孫文の奥様といえば「宋慶齢」が有名ですが、日本での暮らしを支えたのが「大月さん」だったようです。孫文の日本滞在の少し前に、フィリピンの革命家の「ホセ・リサール」が日本に滞在し、同じように日本人女性と結婚していたことに興味を抱きました。そう言えば「坂本竜馬」も「お良」さんに助けられ事がありました。日本人の奥さんが革命家を支えて重要な役割を果たしたことが想像できます。




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