昨年の人間ドッグ(11月)で糖尿病と判定され、「糖代謝検査」の必要なしとされました。次のドックまでには必ず医者に行ってきなさいと言われ、ならば「食事療法で減量して血糖値の値を下げてやる」と決意し、今年に入って減量作戦を続け、現在は標準体重の67Kg(身長は174cm)に落としたのですが、最近の献血においても血糖値(グリコアルブミン比率)が合格ラインに入らなかったので、今日NTT逓信病院に相談に行ってきました。これまでの人間ドックの結果、最近の献血での血液検査通知書を持参し、病院でも血液検査して、先生のお話を聞いてきました。
まずは「糖尿病」の型の説明から。
「1型糖尿病」 膵臓のβ細胞というインスリンを作る細胞が破壊され、からだの中のインスリンの量が絶対的に足りなくなって起こる。
「2型糖尿病」 肝臓や筋肉などの細胞がインスリン作用をあまり感じなくなる(インスリンの働きが悪い)ために、ブドウ糖がうまく取り入れられなくなって起こるものがある。わが国の糖尿病の95%以上はこのタイプ。
「遺伝子によるもの」 遺伝子の異常等が原因となって、糖尿病が引き起こされるもの。薬剤が原因となる場合もある。
「妊娠糖尿病」 妊娠中に発見された糖尿病。新生児に合併症が出ることもある。
先生の評価としては過去の検査結果から徐々には改善してきている。食生活でここまでチャレンジしたのは立派とのこと。普通は「悪化の一途」をたどるらしい。
因みにHbA1c比率のここ最近の推移は、以下の通りで、今日の検査では「はっきり糖尿病の6.5以上」を僅かに下回りました。
2008年 1月 :6.9 2008年11月 :6.7 2009年 5月 :6.4
しかし依然として要注意範囲の「6.0以上」には変わりがありません。先生は今日の診断として2つの可能性を指摘されました。なお、家族・親戚で糖尿病は聞いたこともないし、妊娠もしていないので、私の場合は上記の1型か2型の糖尿病を心配する必要があるとのこと。
1.本来の私の理想的な体重はもう少し小さくて、まだ食事と運動のバランスからいって余分なエネルギーを摂取している。(実際若い頃は随分痩せていました)
2.2の「型」の糖尿病形態ではなく、ひょっとして「インスリン」の量が少ないのかもしれない。原因は色々考えられるが病気でなくとも老化現象ということもありえる。この場合食事療法では良くならないので別な対策が必要。
結論としては、もうしばらく食事療法を継続し、2ヵ月後もう一度血液検査をして、食事療法の成果を検証すると同時に、インスリン量の検査も行い、1型か2型タイプなのか判定しよう。ということになりました。それまでに良くなっていれば、それに越したことがありませんが。
| 2009年05月11日(月) |
遅ればせながら「グスタボ・ドゥダメル」 |
NHKBS2の「クラシックロイヤルシート」で放送されたベルリン・フィルのワルトビューネ・コンサートの模様を録画しておいて今日聞いて見ました。指揮は話題のグスタボ・ドゥダメル。すごい才能がでてきたものです。今回のコンサートのテーマは「ラテンアメリカ音楽」だそうで、ドゥダメルの身体に染み込んだ旋律とリズムだけに、他の追随を許さない演奏でした。
1. 交響曲 第2番 「インディオ交響曲」( チャーベス作曲 ) 2. スペインの七つの民謡 ( ファリャ作曲 ) 3. センセマヤ ( レブエルタス作曲 ) 4. ブラジル風のバッハ 第5番( ヴィラ・ローボス作曲 ) 5. バレエ組曲「エスタンシア」( ヒナステラ作曲 ) 6. ダンソン 第2番 ( マルケス作曲 ) 7. ア・フエゴ・レント ( オラシオ・サルガン作曲 ) 8. ウエスト・サイド・ストーリーから「マンボ」 (バーンスタイン作曲 ) 9. ベルリンの風 ( リンケ作曲 )
ソプラノ:アナ・マリア・マルティネス 管弦楽 :ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指 揮 :グスタボ・ドゥダメル 収録 :2008年6月15日, ワルトビューネ野外音楽堂
ドゥダメルはベネズエラに1981年1月生まれました。従って今年で27歳。若いと思っていたハーディングが1975年生まれなので、ハーディングより6歳若いことになります。シモン・ボリヴァル・ユース・オーケストラ・オブ・ヴェネズエラと録音したチャイコフスキーの交響曲5番をCDショップで立ち聞きして、素晴らしい指揮者であることを知っていましたが、今回ラテン音楽を聞いて「とんでもない指揮者」だということが分かりました。ラトルやアバードが絶賛しているというこも頷けます。
顔の表情を含めて身体全体で「音楽」「歌」を要求し、それが直接的に、素直に楽員に伝わる稀有な才能を持っています。ラトルの思い入れの故もあるのでしょうが、あのベルリンフィルが必死になって着いていっています。べルリンフィルの楽員は「若い才能の発見」を心から喜んでいることが分かります。日本の某交響楽団に絶対にまねのできない姿勢ですね。
ドゥダメルの指揮姿はときどき「アバード」と似ているところがあります。アバドとの親密さを示すものです。そういえばアバードは最近益々円熟味が増している感じで上手に年輪を重ねていますね。自分でも演奏しながら若い音楽家・後継者を育てることに力を入れています。カラヤンとは違いますね。
同じ日にヨーロッパの期待の星の「メスト」がクリーブランドを振ったブルックナーの交響曲第7番を放送しましたが、「ドゥダメル」の音楽の方が圧倒的に魅力的でした。
若くして亡くなった「ケルテス」のことを前に書きましたが、ケルテスのことを思い出しました。ケルテスは本当に人を楽しませること、いっしょに楽しむことが好きな人間だったようです。それが異常な域に達していたようです。テルアビブでの演奏会の練習が終わった後、どうしても遠くからやって来たソリスト(日本人の岡村喬夫さんら)を楽しませたくて「遊泳禁止」のホテルの裏の海岸に泳ぎに行き、高波に飲まれて亡くなったのでした。ドゥダメルの指揮する表情をみていると、本当に純粋に音楽を楽しんでいることが分かります。そして楽員との一体感は凄い物があります。これがリーダシップなのでしょうね。
| 2009年05月08日(金) |
ムラビンスキーの「未完成」等 |

「ムラビンスキー」の新発見の音源のCDがでました。HMVで試聴したところ録音状態が素晴らしく、当然ながらその音楽の水準はとんでもなく高いので即購入しました。家で聞いて見ましたが予想通り、何年かに一回出会えるかどうかの「CD」だと思います。
演奏曲目 シューベルト:未完成交響曲 チャイコフスキー:交響曲第4番 ムラビンスキー指揮、レニングラードフィルハーモニー管弦楽団 録音:1959年4月24日 収録場所:モスクワ音楽院大ホール
HMVのホームページでは、このCD音源について以下のようなコメントを載せています。
「ムラヴィンスキー未知音源のリリース、それも驚愕のステレオ録音です。1959年4月24日モスクワ音楽院大ホールで行ったレニングラード・フィルのコンサート。同じコンサートのモノラル・ライヴ録音が、かつてRussian Discから出ていましたが、今回の発売元のPraga digitalsによれば、当時駐露フランス大使館の職員が会場で密かに収録した別音源とのこと。日本ムラヴィンスキー協会天羽健三氏著のムラヴィンスキー・ディスコグラフィによると、ムラヴィンスキーは1959年4月下旬から5月にかけてモスクワにいたものの、4月24日にはコンサートを行った形跡がなく、日時が正しいのならばリハーサルの可能性が高いとのこと。また5月に同地で行った同じプログラムのコンサートは、レニングラード・フィルではなくソヴィエト国立交響楽団を指揮しており、当盤と同様の表示をしているRussian Disc盤に疑問を投げかけています。キング・インターナショナルではこの事実をPraga digitals に伝え、事実確認を求めましたが、表示通りで間違いないという返事を受け取りました。」(HMVの記事引用)
このCDには客席の音とか拍手が全く収録されていないことから、通しのリハーサルを収録した可能性が高いと思います。また「レニングラード・フィル」も「ソビエト国立オケ」のひとつですから、「ソビエト国立オケ」の主力メンバーとしてムラビンスキーが手兵メンバーを沢山連れてきていたことも十分考えられるでしょう。とにかく弦楽器(特に1stバイオリン)、管楽器・打楽器の全てのパートが抜群に上手です。そして各パートが指揮者の指示にぴったりと着いて行っています。これだけの演奏はなかなかできるものではありません。
録音も素晴らしいです。「フランス大使館員が会場で密かに録音した」というのは信じられません。左右の音のバランス・広がりは大したもので、フランス大使館員がプロの録音技師を連れてキチンと録音したというのが真実ではないでしょうか。
このCDを魅力的にしている要素としてCDケースに使われている「絵」が素晴らしいと思います。この絵は「Boris Mikhailvich Kustodiev」が1916年に描いた「ステンカ・ラージン」です。ステンカ・ラージンが決然とボルガを航行しているところです。チャイコフスキーの4番の勇壮な交響曲とぴったりの絵だと思います。このレーベルは良く考えてCDケースを作っていて高官が持てます。
長野県の須坂に帰省しました。昨年の車検の折りに「ETC」を取り付けたので高速道路の休日割引を利用できました。帰省する時には「川越インター」で関越にのって須坂長野東インターで降りることにしていて高速料金は片道「4600円です」。それが今回の割引で片道「1400円」でした。「1000円」でない理由は、関越の練馬〜東松山は東京近郊区間にあたって、川越〜東松山、東松山〜須坂長野東間がそれぞれ別料金・別割引が適用されるからのそうです。
須坂の街は至る所に街路樹として「はなみずき」が植えられていて、今が丁度花の満開の時期のようで大変綺麗でした。実家に一泊してははと一緒に埼玉に戻りました。弟が母を連れて先に田舎に帰っていて、今回の連休を機会に母を再び埼玉に迎えることにしたのでした。母にとっては少し大変かもしれませんが、弟夫婦のところも奥さんの高齢の両親がいることもあり、母には暫くは埼玉に住んでもらうことになります。
今日は妻が合唱練習・娘も外出ということで、休日ですが家族がそれぞれな目的で過ごすこととなりました。私はHMVが「連休10ポイントセール」中なのと、献血ができる時期になったので池袋に出て見ることにしました。更に目的は昼に池袋「大勝軒」にいって「本店の味」を賞味してみることにしました。
池袋の大勝軒は再開発事業のため旧店舗は地上げされ、最近になって少し南に新店舗を開いたのだそうです。新店舗は池袋東口のグリーン大通りを下って、高速道路が大きくカーブして頭の上を通過する場所にありました。丁度有楽町線の東池袋駅の上です。高速のガードしたなので、雨の日でも長い行列が可能な場所です。良い所を見つけたものだと思いました。

休日の今日も約5mくらいの行列ができていました。食券売り場にご主人の「山岸」さんが座っていらっしゃいました。山岸さんと一緒に写真をとるファンもいて正しく大勝軒の看板となっています。ホームページで山岸さんが北信州出身と知ったので並びながら少しお話を伺いました。
山岸さんは信州の中野の奥の夜間瀬出身のお父さんが海軍の軍人だったので横須賀で生まれたのだそうです。4歳の時にお父さんが戦死されたので、郷里のの信州に戻られて旧制中学まで出て東京に出てきたのだそうです。それから親戚の人と一緒にラーメン屋さんを開業したのだそうです。非常に優しいお人柄で、大勝軒の人気は「ラーメンの味」と「山岸さんのお人柄」なのだと思いました。下の写真が山岸さんです。

池袋店の「もりそば」は浦和大勝軒のそれと比べると少し「大雑把」な感じがしました。あれだけ行列が並んだ客に、次から次へと大量に作らなければならないのですから仕方がないのかもしれません。「もりそば」は比較的早く出てきますが「ラーメン」は時間がかかっているようでした。食券を自動販売機で売っているのでメニューは増やせるのですが、作るほうが追いついていないようでした。浦和大勝軒の引き締まった「スープ」と腰がありしっかり盛り付けられた「麺」の方がインパクトは強い感じです。
池袋プラザイーストで献血をした後、メトロポリタンプラザのHMVでCDを物色し2枚購入してきました。タリアヴィーニの「イタリア民謡・歌曲集」と最近発掘されたというムラヴィンスキーの「未完成・チャイコの4番」のCDです。さすがポイント10倍セールの日なのでHMVは混雑していました。
| 2009年04月27日(月) |
スリランカ内戦激化(18) |
スリランカ政府とLTTE(開放のトラ:反政府組織)との内戦が最終局面に入っているようです。今年に入ってからの政府軍の進攻によって、LTTEはジリジリを追い詰められてきました。現在LTTEは海に面した12平方Km程度の範囲で抵抗を続けていて、その中にはLTTE兵士と数万人のタミール人市民が残っているようです。
LTTEは一方的に「停戦」を宣言していたのですが、スリランカ政府はそれを認めていませんでした。政府の求めているのは「停戦」ではなく「降伏」なのです。このような政府軍の対応に対してLTTEは敗れるくらいならば、全員服毒自殺を図る旨の宣言を行っていました。
最終的にどのような結末を迎えるのか分かりませんが、アメリカ政府やインド政府の説得に応じて、スリランカ政府は今日重火気による砲撃とか空からの攻撃作戦を中止しました。今後は救出活動を展開するとのことです。そうするとプラバーカランを始めとする残されたLTTE指導者達がどうなるのか。アメリカ政府がLTTEに対して第3国に対して「降伏すべし」という声明を発表しています。果たしてスリランカ政府軍はどのような「救出」をおこなうのでしょうか。残念なことにならなければ良いのですが・・・。
下は政府の決定を知らせるコロンボのニュースページです。
Sri Lanka stops combat operations, only rescue missions continued Monday, April 27, 2009, 7:41 GMT, ColomboPage News Desk, Sri Lanka.
Apr 27, Colombo: Sri Lankan government today announced that it has concluded all combat operations and would continue the rescue missions.
"Government of Sri Lanka has decided that combat operations have reached their conclusion. Our security forces have been instructed to end the use of heavy caliber guns, combat aircraft and aerial weapons which could cause civilian causalities," the Defence Ministry said in its web site.
"Our security forces will confine their attempts to rescuing civilians who are held hostage and give foremost priority to saving civilians," it further said.
The announcement comes after the Navy foiled another attempt by the Tigers to attack the ground troops from the sea. One Tiger boat was destroyed and four LTTE members were killed in the operation.
| 2009年04月26日(日) |
新型インフルエンザへの対応 |
メキシコ市の「新型インフルエンザ」が発生した地域の対応模様が明らかになっています。メキシコ市では以下の対策を採って集団感染(パンでミック)を食い止めようとしています。
○外出は控える。外出する時はマスク着用 ○学校・大学は当面休校 ○コンサート・集会などの行事の中止
日本でも「新型インフルエンザ」が発生した場合の対策は準備されていますがメキシコの発動した措置は非常に参考になります。これらが発動されるとかなり社会に同様が出ると思うからです。例えば、学校・大学以外の会社組織などはどうなっているのか、外出は控えるとして「生活のための飲食物」はどうするのか・・・・・・。差し当たりメキシコの対応は適切なように思えます。日本が同じ状況になった時にこれだけの対応ができるのか疑問です。
「WHO」が緊急会議を開きましたが、警戒段階の区分の引き上げを保留しました。これは適切なのでしょうか。今回の発生地域がメキシコ・アメリカ南部地域で景気悪化に伴う社会不安・社会活動低下を恐れての配慮が働いたとすれば非常に危険だと思うからです。
メキシコとアメリカの「豚インフルエンザ」のウイルスが同一の遺伝子を持つことが確認されましたが、これは何らかの形でインフルエンザウイルスが国境を越えたことを示しています。空港での検疫は厳重でしょうが、陸路による越境の場合には厳重なのでしょうか。テロ対策は非常に厳重だとは聞いていますが、「新型インフルエンザ」対策に落ち度は無かったのか。
保険・医療の先進国デ世界をリードするはずのアメリカにはこれからの対応を十分注視して欲しいものです。「新型インフルエンザ」はアジアのことで太平洋を挟んで最も遠いアメリカには殆ど影響しないと「高を括っていた」とすれば大変なことになります。これこそ「Yes we can」でしっかり封じ込めて欲しいです。
| 2009年04月24日(金) |
新型インフルエンザ発生か |
以外なところから「新型インフルエンザ発生か」というニュースが流れています。3月末にアメリカ南部(カルフォルニア・テキサス)で発生した集団インフルエンザが「豚インフルエンザ」が人間に感染して「人から人へ感染」する「新型」に変異した可能性があるようです。アメリカの患者は既に回復していて、インフルエンザの形態はまだ「弱毒性」のようなのです。
ところがアメリカと国境を接するメキシコで「呼吸器感染症」が流行していて、既に60人が死亡した疑いがあるそうです。この死亡者数から考えるとメキシコのインフルエンザは「強毒性」のようです。今回のインフルエンザウイルスが従来から研究されていたものであれば、ある程度ワクチンが効くのでしょうが、全く新しい型であると恐ろしいことになります。
アメリカとメキシコのインフルエンザが同一のものか、別々のものか分析中だとのことですが、アジアとアフリカ地域の「鳥インフルエンザ」の人間への感染を恐れていただけに、このインフルエンザ発生は意表を突かれた感じです。しかし「豚」は「空」を飛んで移動しないので「鳥」よりは伝搬力が小さいので封じ込めは容易かもしれません。
何れにしろ、このニュースの続報が気になります。
昨年暮れの北京旅行以来「中国と日本との関係」「日清・日露戦争から満州国の設立・第二次世界大戦への道」というような課題に関して、様々な本を読みながら考えています。これからも実際に中国・韓国などを旅行したいと思っています。今日は「横須賀」で展示されている日露戦争の日本海海戦の主力艦の「みかさ」を見学してきました。

目的地は「京浜急行の横須賀中央駅」。武蔵浦和駅から埼京線で池袋に行き、池袋で便利になった「湘南新宿線」に乗り換えて横浜駅にまで行き、横浜駅で京浜急行に乗り換えて横須賀中央まで行きました。約80Kmの距離ですが「1時間45分」程度で着きました。車で行ったら大変なことになっていたでしょう。
学生時代に逗子に住んでいた友人からシツコク誘われた「みかさ」でした。しかし当時は残念ながら興味がなく横浜に住んでいたのに見学しませんでした。横須賀も夜のコンサートで二回位行ったことがあるだけで昼間の町並みは初めてです。横須賀の町は米軍基地の関係で外国人が非常に多いことに加え、防衛大学、自衛隊(海上、陸上)の制服をきた人が沢山歩いているので、非常に珍しく感じました。
「みかさ」は海に面した「三笠公園」に保存されています。最初は岸壁に繋留していたのでしょうが今では船の回りはコンクリートで固められています。現在は「上甲板」と「中甲板」の2フロアーが見学可能となっています。「上甲板」は前後の30cm主砲の他、艦橋に登ることができます。「中甲板」には広い講堂の他、副砲10門、後ろの方の艦長室、司令長官の部屋などが見学できます。ここでは日清戦争以降の中国を中心とした日露戦争・それ以降の戦争の歴史を展示しています。
この「みかさ」は1902年に完成し、日本海海戦で大活躍した後、佐世保ドックで修理中に爆発を起こして一回沈没します。その後揚収・修理されて現役復帰しますが、1922年のワシントン軍縮会議において戦艦保有宣言が課せられて廃艦が決まりました。しかし記念館として保存すべしとの意見が多く、再び戦列に復帰できないような形で保存することが許されたのでした。そして艦首を皇居の方に向けて海岸に固定されたのでした。
今年はNHKで「坂の上の雲」が放送開始されるようです。そうすると「みかさ」は多分多くの人を集めることと思います。確かに15000トンの戦艦、30cm砲は迫力があります。100年以上前の日本の意気を感ずることができると思います。さて、この100年間に人類にどのような進歩があったのか。北朝鮮は当時の日本と同じような行動を採っていますし、軍事力は当時と比べ物にならない程大きくなっています。
浦和の仲町通りにある「大勝軒」の「もりそば」にはまりつつあります。浦和の県立図書館に用事があったときに寄ったのですが昔の記憶を呼び覚ますものでした。というのも10年以上前に「池袋」に勤務していた時に、昼食時に東池袋にあった本家「大勝軒」に食べに行ったことがあるのですが、順番を待つ行列のあまりの長さに断念したことがあるのです。それ以来「大勝軒」のラーメンは幻のものとなっていました。浦和の大勝軒は「東池袋」の「暖簾分け」のようです。以下が「大勝軒」ホームページです。
大勝軒のホームページ
ホームページによると東池袋の大勝軒は昭和36年開業だそうです。そしてご主人の「山岸一雄」さんが開発したのが「特性もりそば」の付け麺です。本家は知らないのですがたぶん浦和大勝軒の「もりそば」も本家の物を忠実に再現しているはずです。独特の麺と「スープ」は非常にバランスが良く、分量の多い普通盛りの麺もつい最後まで食べてしまいます。また麺・スープとも非常に丁寧に準備されるので、注文してから少し待たされますが、かえって期待が高まる効果があります。
なんと「山岸さん」は長野県の中野市の出身だそうです。「もりそば」という名前も「信州そば」をヒントにしたとか。そういえば大勝軒の味は少し濃い目です。
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