KENの日記
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2009年04月27日(月) スリランカ内戦激化(18)

スリランカ政府とLTTE(開放のトラ:反政府組織)との内戦が最終局面に入っているようです。今年に入ってからの政府軍の進攻によって、LTTEはジリジリを追い詰められてきました。現在LTTEは海に面した12平方Km程度の範囲で抵抗を続けていて、その中にはLTTE兵士と数万人のタミール人市民が残っているようです。

LTTEは一方的に「停戦」を宣言していたのですが、スリランカ政府はそれを認めていませんでした。政府の求めているのは「停戦」ではなく「降伏」なのです。このような政府軍の対応に対してLTTEは敗れるくらいならば、全員服毒自殺を図る旨の宣言を行っていました。

最終的にどのような結末を迎えるのか分かりませんが、アメリカ政府やインド政府の説得に応じて、スリランカ政府は今日重火気による砲撃とか空からの攻撃作戦を中止しました。今後は救出活動を展開するとのことです。そうするとプラバーカランを始めとする残されたLTTE指導者達がどうなるのか。アメリカ政府がLTTEに対して第3国に対して「降伏すべし」という声明を発表しています。果たしてスリランカ政府軍はどのような「救出」をおこなうのでしょうか。残念なことにならなければ良いのですが・・・。

下は政府の決定を知らせるコロンボのニュースページです。

Sri Lanka stops combat operations, only rescue missions continued
Monday, April 27, 2009, 7:41 GMT, ColomboPage News Desk, Sri Lanka.

Apr 27, Colombo: Sri Lankan government today announced that it has concluded all combat operations and would continue the rescue missions.

"Government of Sri Lanka has decided that combat operations have reached their conclusion. Our security forces have been instructed to end the use of heavy caliber guns, combat aircraft and aerial weapons which could cause civilian causalities," the Defence Ministry said in its web site.

"Our security forces will confine their attempts to rescuing civilians who are held hostage and give foremost priority to saving civilians," it further said.

The announcement comes after the Navy foiled another attempt by the Tigers to attack the ground troops from the sea. One Tiger boat was destroyed and four LTTE members were killed in the operation.



2009年04月26日(日) 新型インフルエンザへの対応

メキシコ市の「新型インフルエンザ」が発生した地域の対応模様が明らかになっています。メキシコ市では以下の対策を採って集団感染(パンでミック)を食い止めようとしています。

○外出は控える。外出する時はマスク着用
○学校・大学は当面休校
○コンサート・集会などの行事の中止

日本でも「新型インフルエンザ」が発生した場合の対策は準備されていますがメキシコの発動した措置は非常に参考になります。これらが発動されるとかなり社会に同様が出ると思うからです。例えば、学校・大学以外の会社組織などはどうなっているのか、外出は控えるとして「生活のための飲食物」はどうするのか・・・・・・。差し当たりメキシコの対応は適切なように思えます。日本が同じ状況になった時にこれだけの対応ができるのか疑問です。

「WHO」が緊急会議を開きましたが、警戒段階の区分の引き上げを保留しました。これは適切なのでしょうか。今回の発生地域がメキシコ・アメリカ南部地域で景気悪化に伴う社会不安・社会活動低下を恐れての配慮が働いたとすれば非常に危険だと思うからです。

メキシコとアメリカの「豚インフルエンザ」のウイルスが同一の遺伝子を持つことが確認されましたが、これは何らかの形でインフルエンザウイルスが国境を越えたことを示しています。空港での検疫は厳重でしょうが、陸路による越境の場合には厳重なのでしょうか。テロ対策は非常に厳重だとは聞いていますが、「新型インフルエンザ」対策に落ち度は無かったのか。

保険・医療の先進国デ世界をリードするはずのアメリカにはこれからの対応を十分注視して欲しいものです。「新型インフルエンザ」はアジアのことで太平洋を挟んで最も遠いアメリカには殆ど影響しないと「高を括っていた」とすれば大変なことになります。これこそ「Yes we can」でしっかり封じ込めて欲しいです。



2009年04月24日(金) 新型インフルエンザ発生か

以外なところから「新型インフルエンザ発生か」というニュースが流れています。3月末にアメリカ南部(カルフォルニア・テキサス)で発生した集団インフルエンザが「豚インフルエンザ」が人間に感染して「人から人へ感染」する「新型」に変異した可能性があるようです。アメリカの患者は既に回復していて、インフルエンザの形態はまだ「弱毒性」のようなのです。

ところがアメリカと国境を接するメキシコで「呼吸器感染症」が流行していて、既に60人が死亡した疑いがあるそうです。この死亡者数から考えるとメキシコのインフルエンザは「強毒性」のようです。今回のインフルエンザウイルスが従来から研究されていたものであれば、ある程度ワクチンが効くのでしょうが、全く新しい型であると恐ろしいことになります。

アメリカとメキシコのインフルエンザが同一のものか、別々のものか分析中だとのことですが、アジアとアフリカ地域の「鳥インフルエンザ」の人間への感染を恐れていただけに、このインフルエンザ発生は意表を突かれた感じです。しかし「豚」は「空」を飛んで移動しないので「鳥」よりは伝搬力が小さいので封じ込めは容易かもしれません。

何れにしろ、このニュースの続報が気になります。



2009年04月18日(土) 戦艦「みかさ」見学

昨年暮れの北京旅行以来「中国と日本との関係」「日清・日露戦争から満州国の設立・第二次世界大戦への道」というような課題に関して、様々な本を読みながら考えています。これからも実際に中国・韓国などを旅行したいと思っています。今日は「横須賀」で展示されている日露戦争の日本海海戦の主力艦の「みかさ」を見学してきました。




目的地は「京浜急行の横須賀中央駅」。武蔵浦和駅から埼京線で池袋に行き、池袋で便利になった「湘南新宿線」に乗り換えて横浜駅にまで行き、横浜駅で京浜急行に乗り換えて横須賀中央まで行きました。約80Kmの距離ですが「1時間45分」程度で着きました。車で行ったら大変なことになっていたでしょう。

学生時代に逗子に住んでいた友人からシツコク誘われた「みかさ」でした。しかし当時は残念ながら興味がなく横浜に住んでいたのに見学しませんでした。横須賀も夜のコンサートで二回位行ったことがあるだけで昼間の町並みは初めてです。横須賀の町は米軍基地の関係で外国人が非常に多いことに加え、防衛大学、自衛隊(海上、陸上)の制服をきた人が沢山歩いているので、非常に珍しく感じました。

「みかさ」は海に面した「三笠公園」に保存されています。最初は岸壁に繋留していたのでしょうが今では船の回りはコンクリートで固められています。現在は「上甲板」と「中甲板」の2フロアーが見学可能となっています。「上甲板」は前後の30cm主砲の他、艦橋に登ることができます。「中甲板」には広い講堂の他、副砲10門、後ろの方の艦長室、司令長官の部屋などが見学できます。ここでは日清戦争以降の中国を中心とした日露戦争・それ以降の戦争の歴史を展示しています。

この「みかさ」は1902年に完成し、日本海海戦で大活躍した後、佐世保ドックで修理中に爆発を起こして一回沈没します。その後揚収・修理されて現役復帰しますが、1922年のワシントン軍縮会議において戦艦保有宣言が課せられて廃艦が決まりました。しかし記念館として保存すべしとの意見が多く、再び戦列に復帰できないような形で保存することが許されたのでした。そして艦首を皇居の方に向けて海岸に固定されたのでした。

今年はNHKで「坂の上の雲」が放送開始されるようです。そうすると「みかさ」は多分多くの人を集めることと思います。確かに15000トンの戦艦、30cm砲は迫力があります。100年以上前の日本の意気を感ずることができると思います。さて、この100年間に人類にどのような進歩があったのか。北朝鮮は当時の日本と同じような行動を採っていますし、軍事力は当時と比べ物にならない程大きくなっています。



2009年04月12日(日) 大勝軒のラーメン

浦和の仲町通りにある「大勝軒」の「もりそば」にはまりつつあります。浦和の県立図書館に用事があったときに寄ったのですが昔の記憶を呼び覚ますものでした。というのも10年以上前に「池袋」に勤務していた時に、昼食時に東池袋にあった本家「大勝軒」に食べに行ったことがあるのですが、順番を待つ行列のあまりの長さに断念したことがあるのです。それ以来「大勝軒」のラーメンは幻のものとなっていました。浦和の大勝軒は「東池袋」の「暖簾分け」のようです。以下が「大勝軒」ホームページです。

大勝軒のホームページ

ホームページによると東池袋の大勝軒は昭和36年開業だそうです。そしてご主人の「山岸一雄」さんが開発したのが「特性もりそば」の付け麺です。本家は知らないのですがたぶん浦和大勝軒の「もりそば」も本家の物を忠実に再現しているはずです。独特の麺と「スープ」は非常にバランスが良く、分量の多い普通盛りの麺もつい最後まで食べてしまいます。また麺・スープとも非常に丁寧に準備されるので、注文してから少し待たされますが、かえって期待が高まる効果があります。

なんと「山岸さん」は長野県の中野市の出身だそうです。「もりそば」という名前も「信州そば」をヒントにしたとか。そういえば大勝軒の味は少し濃い目です。



2009年04月05日(日) 沼影観音の秘仏御開帳

今日後午買物に行こうと沼影観音の前を通ったのですが、非常に賑やかで単なる「花見」どころではないので境内に入って見ました。いつもは閉ざされている「お堂」は全開です。世話役のような方に聞いてみると、なんと6年か7年に一度の「秘仏の御開帳」なのだそうです。今日から1週間の催しだそうで、カメラを持ってこなかったので、急いで家に戻りカメラと「集印帳」を持参して再び参拝しました。




上は御開帳の様子です。正式な寺院名は「鶴住山廣田寺」で通称「沼影観音」はさいたま市指定有形文化財の「木造聖観音立像」というのだそうです。建物の奥の厨子に納められた観音象をなんとか撮影しようとしたのですが、厨子にかけられた幕が邪魔になって上手く撮影できませんででした。さいたま市のホームページに写真がありましたので下に勝手に引用させてもらいます。少し怖い顔をした観音様です。




本堂の正面の壁にこの象はの言われを説明した絵馬がかけられています。ガラスで覆われているので良く見えないのですが、解説が配られていたので貰ってきました。

この象はその形式から鎌倉時代の作と考えられるのだそうです。絵馬によると、行基の作とのことで元は三井寺にあり、三井寺火災後は鞍馬寺に移り、北条時頼が鎌倉に移したのだそうです。鎌倉幕府滅亡の時に陣太鼓に入ってこの埼玉の「沼影」に落ち延びたとのことです。その後盗難に遭い福島県二本松の「七平」という人が買い取って信心していたのだそうですが、七平の夢に「お告げ」があり、「自分は沼影の観音だ」というので村々を経て「沼影」に戻ってきたのだとということです。



2009年03月19日(木) トスカ(映画)

NHKBSクラシックロイヤルシート放送で録画しておいたプッチーニの歌劇「トスカ」を見ました。これはテレビ用の映画仕立てのオペラで配役・演奏は以下の通りです。

トスカ : キャサリン・マルフィターノ
カヴァラドッシ : プラシド・ドミンゴ
スカルピア男爵 : ルッジェーロ・ライモンディ
アンジェロッティ : ジャコモ・プレスティア
教会の番人 : ジョルジョ・ガッティ
スポレッタ : マウロ・ブッフォリ
シャローネ : シルヴェストロ・サンマリターノ
看守 : フランコ・フェデリーチ
羊飼いの少年 : シモーネ・スカタルツィ

合 唱 : ローマ・イタリア放送合唱団
管弦楽 : ローマ・イタリア放送交響楽団
指 揮 : ズービン・メータ


ライモンディのスカルピアが名演で如何にも悪者という感じが十分に表現されています。ドミンゴのカヴァァラドッシはさすがです。声は素晴らしいです。マルフィターノのトスカは表現意欲は買いますが、少し大げさ過ぎて(とくに目の表現:映画なので大映りになります)多少興ざめしてしまいました。

トスカはローマ市内の名所を舞台にしたオペラなので、製作のローマ放送局は贅沢に指定された場所を使っているので非常に興味深いです。イタリアローマにはまだ行った事がないのですが、こういう映画を見ると是非行って見たくなります。舞台となった場所を少し調べたので以下に記載しておきます。

第一幕の舞台は「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ寺院」。ローマの自由主義活動家の「アンジェロッティ」が捉えられていた牢獄から脱出して、ローマ市内の「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会に逃げ込むところからオペラが始まります。

オペラ「トスカ」の時代設定は、西暦1800年6月にナポレオンが北イタリアに攻め入って勝利を納めた「マレンゴの戦い」が背景となっています。歴史では1797年にフランス国民軍のイタリア遠征司令官に任命されたナポレオンは連戦連勝して北部イタリアを開放しました。(第一次対仏大同盟崩壊)

しかし、1798年、ナポレオンがエジプト遠征に失敗したことを契機にオーストリア軍は第二次対仏大同盟を結成してフランスへ宣戦して1800年までに北イタリアの奪回して旧体制を復古しました。そして1798年、フランスの第一執政に就任したナポレオンは反撃のためにジュネーヴに軍を集結させ、1800年5月に37,000の大群を率いてアルプスを越え北イタリアへ進出し、「マレンゴ」でオーストリアと戦いました。最初はオーストリア軍の急襲に遭って苦戦しますが最後には挽回して勝利しイタリアを再び奪回することとなりました。

イタリア自由主義活動家のアンジェロッティは一族の「アッタヴァンティ家」のプライベートな礼拝所がある事とされる「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会に逃げ込みます。そこでは友人の画家カヴァラドッシが壁画を製作中。カヴァラドッシも反体制活動家です。

その礼拝所で祈りを捧げるアンジェロッティの妹を盗み見た「カヴァラドッシ」は描いている教会壁画の中にアンジェロッティの妹を登場させてしまいます。アンジェロッティの妹と恋人「トスカ」を思ってい歌われるのが「妙なる調和」。一幕始めのアリアとしては「清きアイーダ」みたいに声の調子を整えることが難しいアリアでしょう。その後はカヴァラドッシ・アンジェロッティの脱出計画、トスカの嫉妬、マレンゴの戦いでナポレオン軍が敗れたという誤報の知らせなど、ニ幕のストーリー展開への布石が沢山盛り込まれています。ここを二つに分割して4幕仕立てにしてもいいと思います。

第ニ幕の場面は「ファルネーゼ宮殿」が舞台です。「聖アンドレア・デルラ・ヴァルレ教会」の南西直ぐの所にある建物で現在はフランス大使館となっています。ここには行政府が入っていると言う設定のようで、3階にはスカルピアの執務室があり、そこでトスカとスカルピアのやり取りが繰り広げられます。

別室では捕まえたカヴァラドッシを拷問にかけていて、その声をトスカに聞かせながらスカルピアがトスカに言い寄ります。ここでは恋人のカヴァラドッシを助けようとするトスカ、自分に決して心を許さない「トスカ」を何とかして手に入れようとするスカルピアの心理劇が見物です。「YOUチューブ」ではマリア・カラスのトスカの第二幕の映像だけを見る事ができます。白黒・モノクロですがカラスの名演技は素晴らしいです。

第二幕の途中で「ナポレオン軍の勝利」が伝えられ、拷問にかけられていたカヴァラドッシが勝利の唱を歌います。スカルピアとしてはナポレオンに攻め込まれては立場が逆転してしまいます。そこでトスカを自分の物とするために悪巧みを考え付くのです。

第三幕はカヴァラドッシの処刑の場面が中心です。場所はセント・アンジェロ城。この建物は西暦135年にハドリアヌス帝が墓として作った建物だそうです。この建物は実際牢獄として使われていたこともあるそうですが、死刑まで時間を過ごすカヴァラドッシは牢番に指輪を与えてトスカへの手紙を書きます。そしてカヴァラドッシは屋上に引き出されて死刑の場面を迎えます。城の屋上の高い屋根の上には「大天使ミカエル」があり、この処刑場面を見下ろしています。芝居の銃殺刑のはずが、本当に実弾による死刑となってしまったためにトスカは絶望のためアンジェロ城から身を投げます。



2009年03月18日(水) Beans武蔵浦和新装開店

一ヶ月間ほど改装工事をしていたJR武蔵浦和駅ビルの「Beans」がオープンしました。JR改札口の正面に位置している一等地だったので、改装してから凄く混んでいます。「武蔵浦和」ってこんなに利用客が多かったのかしらと驚くほどです。新しいショップも含めて案内は以下のページにあります。

エキパラ「Beans武蔵浦和」のページ

今回の入れ替えになったショップの特徴として、惣菜・持ち帰りの寿司・惣菜の店が増えた事が上げられます。マンションの数が増加し、単身赴任・学生・共働きの若い夫婦が増えていると考えられているからだと思います。「とんかつ和幸」は既にレストランがあるのに、お持ち帰り前門の2件目のショップを出しました。

今回のショップ改装で驚いたのは、惣菜だとかパンだとか作るところをガラス張りにして見せているところです。近くに製造工場がなければそこで作るしかないのですが、駅ビルの一等地に製造現場を構えるのは結構贅沢です。「とんかつ和幸」など、直ぐ近くに二つの「トンカツ調理場」を作った事になります。買う方からすると新鮮な感じがするのですが少し贅沢です。

また「ケーキ屋」さんの数もちょっと多過ぎで大丈夫(?)と言う感じです。従来一等地にあった「銀座コージーコーナー」に加えて、「フロプレステージ」、「菓子工房ガトーマスダ」が出店しました。Beansの南側の「マーレ」には「梅林堂」と「東京風月堂」がありますので、ケーキ屋さんの競争は相当激しくなりますね。



2009年03月14日(土) 新国「カルメン」

今週日曜日の深夜にNHKで放送された新国立劇場のオペラ「カルメン」を録画しておいたので今日見終えました。2007年12月に演奏されたものです。配役等は以下の通り。

カルメン:マリア・ホセ・モンティエル
ドン・ホセ:ゾラン・トドロヴィッチ
エスカミーリョ:アレキサンダー・ヴィノグラードフ
ミカエラ:大村博美
スニーガ:斉木健詞  など

演出:鵜山仁
指揮:ジャック・デコラート
演奏:東京フィルハーモニー管弦楽団

主役二人が一生懸命に歌って演技していたので印象としては好演だったと思いますが、主役二人は日本人では無理だろうなという脇役陣でした。唯一ミカエラ役の大村さんの声が圧倒的に通っているのですが、ミカエラとしては堂々とし過ぎていた感じがありました。

一幕の「タバコ工場」前の場面はあまりにも雑然としていて、合唱団も多くて良く筋が見えなかったと思います。合唱団が歌いながら演技する場面が多いのですが、フランス語のためか「歌」と「演技」の両方に神経を行き渡らせるのは難しかったのかもしれません。これは他の幕でも同様でした。ミカエラの大村さんはフランスを根拠に活動しているので、この役は問題無かったのだと思います。

「カルメン」と「ミカエラ」の対比でいうと、「ミカエラ」はもう少し「少女らしい」方がいいでしょう。そのように演技はしているのですが大村さんはそういう顔付きではありません。一方「カルメン」のモンティエルさんはむしろ「お嬢さん」のような顔付きでホセを惹きつける魔性の魅力のようなものはありません。4幕終盤では頑張っているのですが、カルメンの内面が見えてこないのです。

一方「ドン・ホセ」のトドロヴィッチさんは非常に立派な体格をしていて、声はしっかりした響きがします。このような立派な兵隊がカルメンに誘惑されるとはなかなか考え難い感じです。一緒に見ていた妻も言っていましたが、ドン・ホセはやはり「ホセ・カレーラス」のようにどこか頼りなく、誘惑に弱そうな二枚目男でないと筋が通りません。

最後にエスカミーリョのヴィノグラードフさんですが、非常に丹精な優男という感じでした。このエスカミーリョ役も難しくて、ホロストフスキーのようながっしり男の二枚目が演技すると、ドン・ホセと比較にならなくなってしまうし、あまり頼りないとどうしてカルメンが惹かれるのよと言う感じになってしまいます。ヴィノグラードフさんは若く溌剌とはしていますが、カルメンを惹きつける魅力という点では不足かなという感じでした。



2009年03月11日(水) 銀座アショカでランチ

香港の通信業者が日本出張だというので昼食を一緒に食べました。彼はアメリカの通信会社の香港駐在アジア担当なので日本への出張が多いのです。私の所とも取引があるのですが今回は別件の出張で昼飯だけとなりました。昨年ベトナムの帰りに香港に寄ったときに彼のオフィスには顔を出していました。

彼は中国人ですが「牛肉」は食べないのです。他にも本当は食べないものがあるのではないかと思ってレストラン選択には注意を払いました。結局場所も便利なので数寄屋橋のインド料理店の「アショカ」にしました。日本料理でもなく中華料理でもなく第三国料理を選んだと言うわけです。

昔「アショカ」は銀座7丁目にありました。4丁目交差点からだと丁度「銀座ヤハマ」の手前にあたるので、良く行くという程ではないですが何回か行きました。結婚してから間もなく「カレーレストラン回り」を始めてたので20年以上昔から行っていると思います。そして我が家のインドカレー料理は料理本に載っていた「アショカ流」のインドカレーの作り方を真似して行きました。

「アショカ」のホームページを見つけましたが、大阪店・京都店の案内はあるのですが銀座店の紹介してありません。

レストラン「アショカ」のホームページ

グルナビには東京の「アショカ」(銀座・新宿)が紹介されています。どちらも同じマークを使っていますが、お互いのことには全く触れていませんひょっとして分裂でもしてしまったのでしょうか。

銀座アショカの紹介

「アショカ」は「北インド料理」です。他のインド料理レストランでいうと、新宿中村屋が「ベンガルタイプ」、東銀座の「ナイル」は南インドの「ケララタイプ」。アショカはどちらかというと正当派・宮廷料理に似ているのでしょう。インド勤務時代にそれこそタップリインド料理を食べましたが「アショカ」を真似た我が家のインドカレーの味が本場のものと遜色なかったことに感動を憶えた経験があります。

さて「銀座アショカ」は移転していたのでした。今は「銀座インズ1の2階」のレストラン街にあります。JR有楽町駅から近いので非常に便利になりました。中国人の友人ですが日本でのインド料理に非常に満足していました。




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