KENの日記
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2009年02月16日(月) トスカニーニの映像

NHKBSクラシックロイヤルシートで「トスカニーニ」の演奏が放送されました。日曜日の深夜の放送なので録画しておいて今日見て観ました。NHKのホームページの紹介は以下の通りでした。

「トスカニーニにとってワーグナーは常に特別な地位を占めており、最後に聴衆の前に姿をみせた1954年に演奏したのもすべてワーグナーだった。彼が如何にワーグナーの音楽を愛したかは、反ファシストだった彼が、ワーグナーが創設したバイロイト音楽祭を任せたいとヒトラーから依頼されたことからもわかる。この申し出を早々と断ったトスカニーニは二度とこの音楽祭に戻らなかった。この番組は、1948年から1951年の間にNBCテレビで収録されたトスカニーニによるワーグナーの演奏を集めたものである。」

歌劇「タンホイザー」序曲(1948年収録)
歌劇「ローエングリン」序奏(1948年収録)
楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死 (1951年収録)
楽劇「ワルキューレ」からワルキューレの騎行(1948年収録)
(以上ワーグナー作曲 )

諸国民の賛歌(1944年収録)
( ヴェルディ作曲 )

テノール : ジャン・ピアース
合唱   : ウェストミンスター大学合唱団
管弦楽  : NBC交響楽団
指 揮  : アルトゥーロ・トスカニーニ

正直これまでトスカニーニをしっかりとは聞いてきませんでした。ステレオ録音が無いので録音状態が良くないだろうという先入観がありました。モノラルでもピアノ・バイオリンなどの独奏・ドュオなどの室内楽だと音の広がりが苦にならないのですが、オケやオペラではどうしても録音の悪さが気になってしまいます。しかし、このトスカニーニの演奏は「トスカニーニの指揮映像」も貴重ですし、演奏自体も素晴らしいのでモノラルの音が気になりませんでした。

最初の「タンホイザー序曲」からフレーズの処理が非常に知的で現代的に聞こえます。トスカニーニが予想外に細かい指示を出しているのには驚きました。楽器間の音のバランス、クレッシェンド・ディミュニエンドのスピードを微妙に調整します。それでいて全体が「すっきり」しているのですね。トリスタンとイゾルデの「愛の死」も予想通りの素晴らしさ。情緒的に流れないギリギリのところでしっかり踏みとどまる憎らしい程の演奏です。かつての「トスカニーニ」の人気を想像することができました。第二次世界大戦前のワルター、フルトヴェングラーとトスカニーニが活躍した時代がどんなに凄い時代であったか。中でもトスカニーニは演奏の完成度・純粋度合いでは最も優れていたのではないかと想像されます。

最後にトスカニーニ編曲による「諸国民の賛歌」が演奏されています。第二次世界大戦時に連合国側の反攻によってイタリアが降伏した際に演奏されたもので、アメリカ亡命中のトスカニーニがソ連の「インターナショナル(万国の労働歌)」のアメリカ国歌を最後に加えています。指揮をするトスカニーニの表情が非常に印象的です。ムッソリーニに支配された祖国イタリアの敗戦、ヨーロッパ・イギリス・アメリカを巻き込んだ悲惨な戦いに対するトスカニーニからの真摯なメッセージを感じます。トスカニーニが如何に戦争の本質を理解していたか分かったような気がしました。

レニングラードフィルを率いたムラヴィンスキーがソ連革命期から第二次世界大戦後まで一貫して「純粋音楽」を追求してきたことをドキュメンタリーで観たことがありますが、その芸術至上主義ともいえる「純粋音楽」の背後に、非常に純粋な「ヒューマニズム」「平和への願い」が込められていることを感じました。トスカニーニの音楽の場合にも全く同じことがいえるのでしょうね。



2009年02月14日(土) 映画「ラ・ボエーム」初日

今日2月14日(バレンタインディ)は、ネトレプコ・ヴィラゾンの映画「ラ・ボエーム」の初日でした。ということで新宿南口の高島屋「テアトルタイムズスクエア」の4時から放映を見てきました。

「ラ・ボエーム」オフィシャルサイトはこちら

通常の大人料金は1800円ですが、「夫婦50割引(夫婦どちらかが50歳以上)2,000円/ご夫婦」を適用して妻と二人で2000円で観てきました。新宿高島屋ビルは娘がバイトをしているところでもあります。チケットを購入してから時間があったので娘の職場を眺めてきました。因みに今日娘は仕事に来ていません。

さて「ラ・ボエーム」ですが、涙を流さずにはいられないオペラです。歳のせいか1楽章から涙が出てしまって困りました(対照的に第4幕は冷静に観ていましたが)。ロドルフォのヴィラゾンは本当に素晴らしい声です。更に顔の表情とか目線がアップになっても非常に自然でした。彼が舞台の上でもこのように細やかに演技しているのだとすると大したものです。

ヴィラゾンの演技に対して、ネトレプコは少し映画のアップに戸惑っていたようです。舞台の上での大げさな演技は素晴らしいものがありますが、映画のアップになった場合の目線だとか表情は単調でした。フィガロのスザンナ役の時に「鉄面皮の伯爵夫人を睨んだ眼」のような演技は今回はどこにもありませんでした。病気の「ミミ」の雰囲気を出すためには、目の下の「クマ」だとか、彩度を落としたモノクロ映像が必要だったようです。この映画の撮影時期には恋人とラブラブで妊娠していたかもしれず、幸せ一杯ネトレプコのはずですから、病気の「ミミ」にような役は難しかったのかなとも思いました。

映画「ラ・ボエーム」では解説書で「黒田恭一」さんが指摘しているように第1幕でびっくりする場面がありました。マルチェルロ達がクリスマスイブを楽しむために居酒屋「モミュ」へ先に行って待っているのに、ミミと出会ったロドルフォは有名な自己紹介の唱を歌った後に、下のミミの部屋に降りて行って「ベッドイン」してしまう。時間の経過の辻褄合わせのために、コッリーネが「床屋」に行ってくるという苦しい展開をせざるを得なかった。そこまでやる必要はなかったと思います。こうした展開が第2幕の「モミュ」でのロドルフォとミミのベタベタシーンに繋がってしまうのです。また冬の寒い場面での「薄着の衣装」が気になりました。4幕の瀕死の「ミミ」がマフを欲しがりながら「ノースリーブ姿」というのは理解に苦しみました。

今日の映画は1幕から4幕まで連続の休憩なし。そういう作りもストーリーを理解する上では違和感がありました。第2幕と第3幕、第3幕と第4幕の間には、終わった幕の内容を整理して次の展開に備えるための考える時間が必要だと思いました。また「ミミ」のキャラクターをどのように作るのかも非常に大きな課題だと思いました。不治の病にはあるものの奔放な明るく「活発な」女性と描くのか、あるいは不幸を背負った清楚な女性として演ずるのか。今回のネトレプコは突き詰められなかったという印象が強いです。

やはり、大きな劇場で遠くの歌手の歌を聞き、オーケストラの繊細な表現を味わいながら聴衆が自分の「ラ・ボエーム像」を育んでいくといくというのがオペラの醍醐味なのでしょうね。



2009年02月11日(水) 華流映画「紫禁城華の嵐」

北京旅行以来「紫禁城」関連の本を読んでいますが、面白い「映画」を見つけました。2004年の香港映画の「紫禁城華の嵐」。香港と中国本土で6億人の人が見たというテレビドラマの映画化のようです。全30話の連続ドラマです。昨年2月、期間限定でインターネットで全30話が無料で見ることができたようですが、現在はどのサイトでも「第5話」までが無料で、「第6話」以降はどこでも有料となっています。既に「第5話」見てしまったのでこれからどうしようか考えています。

武蔵浦和駅ビルのレンタルビデオ店に行ってレンタルDVDを探しましたが、その店では扱っていないとのこと。インターネットで調べたところ「ツタヤ」では扱っていますが、近くには「ツタヤ」はないのです。ネットで見ようかと思っていますが、2月15日から「GyaO」で順番に放映するようなので、これを狙ってみようかと思っています。

GyaO・・・「紫禁城華の嵐」

映画のストーリーは「清朝」の「紫禁城」を舞台にした宮廷の様々な権力闘争を描いたもののようですが、「清朝」宮廷の制度、紫禁城の様子などを扱っているので非常に面白そうです。第5話まで見ての感想ですが、色々な「人間関係」を描き分けているのところが非常に巧妙なので、人気が出たのだと思いました。清朝皇帝と皇后・側室の関係、男性同士の友情、女性同士の友情、親子関係(父息子、母息子)、ひいては「宦官とその妻の関係」など、想像できないような関係まで出てきます。また皇帝の側室候補として、多くの綺麗な女性が登場するのですが、現代的な顔をしていますが、皆とても美人なことに驚いてしまいます。その人間関係がインターネットに掲載されているので引用して置きます。

「紫禁城華の嵐」の人間関係図



2009年02月10日(火) ナームラージャの勇姿




スリランカのコロンボで2月8日・9日に「ナーム・ペラハラ」がありました。「満月の日」は「仏陀」が悟りを開いた日とされ、スリランカ国内の有名な寺院で順番にお祝いが行われ、大きな寺院の場合には数十頭の象の飾られた像を中心とした夜のパレードが行われます。スリランカの夏の風物詩の「キャンディのエサラペラハラ」が最も有名ですが、首都コロンボの中心にある「ガンガラーマヤ寺院」の主宰する「ナーム・ペラハラ」も都会のペラハラとして人気を集めています。

パレードのために全スリランカから多くの「象」がコロンボに集結するわけで、大都会のコロンボに多くの象が一週間位滞在するには広い場所が必要です。ということで、この時期コロンボ市役所に近い「ビクトリヤ公園」は象の休憩場所に早変わりするのです。

ガンガラーマヤの寺象のナーム(ナヴァム)は、ルアンラージャの跡を継いだペラハラの主役です。つまり「仏舎利」を納めた「カスケット」を背中に積んでパレードの中心を行進するのです。冒頭の写真はその勇姿です。このナヴァムは左右の牙が交差していて少し可愛そうなのですが、非常に立派な体格をしているので見栄えがします。コロンボ市内のガンガラーマヤに行くとナームの勇姿を何時でも見ることができます。



2009年02月08日(日) ベッリーニ作曲「ノルマ」

文京区の区民参加オペラのCITTADINO歌劇団第9回公演の「ベッリーニ作曲「ノルマ」を聴いてきました。会場は文京シビックホール。地下鉄後楽園駅直ぐで私の会社オフィスの直ぐそばです。これまで文京シビックホールでの演奏会の日は「天気が悪い日」ばかりでしたが、今日は北風が強いものの陽が出ていたので気持ちが良かったです。服が濡れてしまったり、濡れた傘を足元に置いての演奏会はあまり気持ちの良いものではありません。

「ノルマ」はそのタイトルロールであるガリヤ地方の「ドルイド教徒」の巫女「ノルマ」の話です。敵対していたのローマ人地方総督の「ポリオーネ」の子供を二人もうけてしまったノルマ。しかしポリオーネが若い巫女の「アダルジーザ」の方にに気を移してしまったので話がややこしくなります。ノルマとアダルジーザの友情とか、ノルマ・ポリオーネ・アダルジーザの三角関係とか、ノルマと父親、ノルマと二人の子供の関係とか色々な心理描写が唱で歌われます。最終的にはノルマが自分を犠牲にしてポリオーネと一緒に死ぬという可哀想な話です。

「ノルマ」はソプラノの山畑晴子さん。一幕の「清らかな女神」は無難に乗り切りました。最初から最後まで終始色々な技巧を要求される役を歌い終える事ができたのですから拍手でしょう。でも高音域では音程がはっきりしない響きのために聞き辛い部分がありました。アダルジーザとの二重唱も今一歩。感情を込め過ぎたのかしらとも思いました。兎に角、母として娘として、恋人として色々な感情表現を要求される難しい役ですから。

「ドルイド教」とは自然崇拝で特に「オークの木」を信仰の対象としていた古代ケルトの宗教だそうです。森の木の中でも大きな太い幹の木は神秘的で古代の人々は強い興味を持ったのでしょう。今日のノルマのステージ上の祭壇として大きな木の幹がセットされていました。会場での日本語訳からは時代背景だとか、場面の場所の情報が少なくて詳しい情報は得られませんでした。本当はローマ帝国との関係だとか、裏切った場合の刑の重さだとか色々あるのだろうと思います。そういうものを知る楽しみも今後残っていますし、配役が少ない上にソプラノが大活躍するオペラですので、ソプラノ狙いで聴くには手頃なオペラだと思いました。



2009年02月06日(金) 玉喜酒店が営業停止

さいたま市の南浦和に本店を構えていた「玉喜酒店」が自己破産で2月2日から営業停止をしたそうです。先週の日曜日(1日)に玉喜酒店で「ワイン2本と安い紹興酒」を買ったばかりでした。その土日はポイント6倍セールということで「大きなサイコロ」を振って「1」を出して10ポイント頂いたのでした。期待はしていませんでしたが貯めたポイントは全て無駄になりました。2階の洋酒売り場では展示棚の整理中で大量の「オールドパー」を箱から出して陳列中でした。洋酒コーナーが充実したら「シングルモルト」を選ぼうかとも考えたところでした。

「玉喜酒店」では安くて美味しいワインを売っていたので、閉店してしまって本当に残念です。特にスペインの「エステラテゴ・レアル」の赤・白は「さいたまの南区」あたりでは玉喜しか売っていないので大変重宝していました。これで頻繁に行く酒店がまたひとつ減ってしまいました。最初に消えた酒店は武蔵浦和駅にあった「T&T」(移転でしょうか)という大きな酒店で、そこは今「ドコモ」が入っています。



2009年02月04日(水) 「献血」再開

2009年1月、インドから帰国して丸3年経ちました。インド滞在者は以下ようにマラリアの寄生が疑われているので帰国後3年間は献血できないのです。

<マラリア>
マラリアは、原虫が「ハマダラカ」に媒介されてヒトの赤血球に寄生します。そのため、マラリア流行地を旅行したことのある方は原則として帰国後1年間、マラリア流行地に居住したことがある方は帰国後3年間、献血をご遠慮いただいています。(日赤献血ホームページから)

めでたく3年間が「ご遠慮期間」が終了したのでこの1月末に献血を開始しました。3年間の間に献血手帳が廃止されて薄い「献血カード」が導入されていました。今回で36回目の献血でした。そしてその「検査成績」が送付されて来ました。これから身体の調子をチェックするためにも、血液の生化学検査の結果をフォローしていきたいと思います。以下今回の生化学検査の結果で()内は昨年人間ドックの際の結果です。

GPT−−−−22(27)
「GPT」はたんぱく質の元となるアミノ酸の代謝にかかわる酵素のこと。GPTは肝臓の細胞に多いため主に肝臓の異常を調べる場合に検査される。GPT検査の特徴はGOTと異なり運動による検査値の影響がないという利点がある。基準値は「3〜35」。基準値より高い場合には急性肝炎、慢性肝炎、肝臓がん、脂肪肝、アルコール性肝炎などの疑われる。今回は22ということでこれまでにない「低い値」となっている。肝臓の機能が正常に戻っている証拠か。

GOT−−−−20(33)
GOTとはたんぱく質の元となるアミノ酸の代謝にかかわる酵素のこと。GOTは肝臓、心筋、骨格筋の細胞に多いため、これら部位の異常を調べる場合に検査されます。基準値は「5〜40」。基準値より高い場合、肝臓が原因の場合、急性肝炎、慢性肝炎、肝臓がん、脂肪肝、アルコール性肝炎などが疑われ、心筋が原因の場合は急性心筋梗塞などが疑われる。今回は前回33から大幅ダウン。肝臓・心筋が健康になった証拠か。

γーGTP−−−−28(34)
γーGTPは肝臓での代謝に関わるグルタチオンを合成する酵素のこと。γ-GTPの値は肝臓疾患や胆道疾患を調べるときに使用され、特に飲酒によって高値になる。基準値は「男性:0〜50」。基準値より高い場合、肝臓が原因の場合はアルコール性肝炎、アルコール性脂肪肝、急性肝炎、慢性肝炎、肝硬変、肝臓がんなどが疑われ、胆道が原因の場合には胆道炎、総胆管結石、胆道がん、膵頭部がんなどが疑われる。今回大分改善したと評価。

TP(血清総蛋白)−−−−−7.1(7.0)
血清総タンパクとは、血清に含まれている100以上のタンパク質の総称をいいます。その中でも特にアルブミンといわれるたんぱく質が多く含まれています。アルブミンは肝臓で合成されるため、主に肝臓の異常がないかを調べるときに血清総タンパクを検査します。基準値は「6.5〜8.0」。基準値より高い場合には慢性感染症、膠原病、多発性骨髄腫、原発性マクログロブリン血症などが疑われ、基準値より低い場合には肝機能障害、栄養不足、ネフローゼ症候群などが疑われる。今回は前回とほぼ同じで異常無しというところ。

ALB−−−−−−4.8(4.7)
血液にはいろいろな蛋白質が含まれていて、生命維持の大きな役割をはたしている。これらの蛋白質は、アルブミン、グロブリンという主要なたん白を中心として常に一定の平衡状態を保っているが、体内の代謝などに異常が生じると血清蛋白質の数値が変動する。血清総蛋白質の検査では体内のどこかに異常が生じている目安はついても病気の特定はできない。そこでさらに詳しく調べる「たん白分画」検査が必要になる。基準値は「3.9〜5.0」。肝臓そのものに障害があると血液中のアルブミンは著(いちじる)しく減少する。ALBについては以前から正常。

A/G比(アルブミン/グロブリン比)−−−−−−2.1(2.0)
A/G比とはアルブミンと4種類のグロブリンを電気泳動法で分離してその量や比率を検査するもの。病気の種類や経過などによって、たん白分画のパターンは一定の変化を示すので他の検査結果と合わせて病気の診断に役立つ。正常値は「1.2〜2.0」。アルブミンの産生が減ったり流出したり、グロブリンの産生が異常に増えることがあれば必ずA/G比は低下する。今回の「2.1」は正常範囲内としよう。

総コレストロール−−−−−−220(223)
総コレステロールはいろいろなコレステロールの総称のこと。コレステロールは脂質の一部で、体内に欠かせないものですが、コレステロールが多いと動脈硬化などの病気を引き起こす可能性がある。基準値は「220mg/dl未満」。基準値より高い場合、家族性高コレステロール血症、糖尿病、甲状腺機能低下症、閉塞性黄疸、胆汁性肝硬変、ネフローゼ症候群などが疑われ、低い場合にはタンジア病、肝硬変、肝臓がん、甲状腺機能亢進症、アジソン病などが疑われる。今回の220は正常範囲内でしょう。

献血の生化学検査では「血糖」に関する検査は行ってもらえません。そろそろ血糖値を測定する機器を購入しようかと思います。



2009年01月31日(土) 「IPod」の電池交換

妻に頼んでインターネットで注文していた「IPod」の交換用の電池が届いたので早速電池交換しました。

私の使っている「IPod」は第3世代の「ドックコネクタ式」です。ハードディスクの容量は40G。USB接続でWindowsパソコンの「itunes」から音楽をロードできることが便利なのでインドに赴任する前に購入したのでした。その前のスリランカ生活では日本から大量の「CD」を持っていったのですが、インドでは小さい「IPod」で十分音楽を楽しめました。インドで購入した「Bose」のドッグも非常に気に入っています。




しかし最近充電しても電池が長持ちしなくなってしまいました。既に5年以上使っているので無理もないでしょう。しっかり充電しておいても30分と持たないのです。ということで電池を交換することにしました。銀座にアップルのショップができていることは前から知っていました。そこに持ち込んで電池交換すると「6000円」程度かかるようです。インターネットで他社製の電池は「1140円」で売っています。そしてインターネットには「IPod」の電池交換に関する情報は沢山掲載されています。思い切って自分で交換して見る事にしました。

ホームページの情報によると、「IPod」の「裏ふた」を開けることがもっとも「難しく」「注意すべき」ポイントのようでした。まさしくその通りで「金属」の裏ふたは容易には空きませんでした。交換用の電池には「裏ふた開け用」に2本のプラスティックドライバーみたいなのが附属していましたが、これより薄い「テレカ」のようなカードの方が明けやすかったです。妻にも手伝ってもらって漸く開ける事ができました。




小さな「ハードディスク」が入っていましたが、これにCD約1000枚分の音楽ファイルが入っているかと思うと本当に感心します。「裏ふた」さえ開いてしまえば後の電池交換・組み立ては容易です。無事元通りに組み終えて今充電中です。これでまたたっぷり音楽を聞くことができます。



2009年01月29日(木) 北京の「東交民巷」

昨年12月の末北京旅行では、北京の東交民巷ホテルに3泊して北京市内・近郊の観光をしました。実は旅行会社のプラン設定ではもう少し高級なホテル(ペニンシュラ・ニューオータニとか)のオプションもあったのですが、ホテルで過ごす時間は少ないだろうと考えて名前も聞いた事のない「東交民巷ホテル」を選んだのでした。

実際に泊まって見ると、設備は少し古く、賑やかな通りからは離れているのですが、天安門広場に近いので歩いて観光散歩するには便利な場所であることが分かりました。びっくりしたのは2日目の朝に少し散歩してみると、直ぐ横の(西側)建物に「旧日本公使館跡」という案内板が掲げられていました。また別の夜に東側の建物をじっくり見て見ると、そこは「正金銀行の跡」だということが分かりました。

北京の「故宮」の印象があまりにも強かったので、旅から帰ってから妻と二人で中国(特に清朝末期)に関する以下の本を1ヵ月でまとめて読みました。

「蒼穹の昴」(新田次郎)
「珍妃の井戸」(新田次郎)
「紫禁城の黄昏」(R.F.ジョンストン、中山理訳)

これらの本によって、19世紀の清朝末期から中華民国成立に至る間の「故宮(紫禁城)の様子がかなり分かってきました。とくに最後に掲げた「紫禁城の黄昏」は清の最後の皇帝溥儀のイギリス人家庭教師が書いた作品であり、当時の中国サイドからみた歴史であることから非常に興味深い本でした。

これらの本に中には随所に「東交民巷」の名前が出てくるのです。実はこの「東交民巷」は清の時代には外国公使館地域で、列強が実質的に治外法権を獲得して駐留していた場所なのです。そして現在の「東交民巷ホテル」のある場所は当時「日本公使館」があった場所であることが分かりました。

東西に走る「東交民巷通り」と南北に走る「正義路」が外国公使館地区の主要な道路でした。「正義路」は今では中央が公園のような緑地帯になっていますが当時は中央に水路が走っていたようです。その二つの道路の交差点の北東に日本公使館がありました。更に正義路に沿って北側、東長安街に面している場所がイタリア公使館、イタリア公使館・日本公使館と正義路を挟んで西側にあったのがイギリス公使館。東交民巷通りに沿って日本公使館の東側にはフランス公使館がありました。

この東交民巷地区は清朝義和団事件の時に義和団の拳闘士から攻撃を受けたのでした。この攻撃には清朝も加担していたことから、日本軍を中心とした8ヶ国連合軍がこれを打ち破り、清朝から賠償金やら特権やらを獲得し、列強の権利拡大に大きな役割を果たすことになったのでした。また形式的な共和制が始まっても形式的に残存していた清朝の「溥儀」が「紫禁城」を脱出した当座の宿舎は東交民巷の日本公使館でした。こうした事は日本に帰ってきてから知りました。是非もう一度泊まって見たいと思います。

現在は路に面した「門」やら建物が当時の面影を残しています。中の建物がどうなっているのか分かりませんが、高層建物がないところを見ると、昔の建物をそのまま使っている可能性が高いです。正義路に面した嘗ての日本公使館の正門には「北京市人民政府」の看板が掲げられていました。正義路を挟んだ東側は中国の最高裁判所となっています。嘗ても公使館は中国政府の重要な組織だとか政府高官の屋敷になっているようです。



2009年01月27日(火) スリランカ内戦激化(16)

スリランカ政府軍のLTTE支配区域への進攻が最終段階に入っています。昨日までに、ジャフナ半島最南端の「エレファントパス」に加えて東北部海岸沿いのLTTEの軍事拠点の「ムライティヴ(Mullaitivu)」が政府軍の手に落ちました。内陸部のキリノッチはLTTEの行政の中心でしたが、インド洋に面するムライティヴはLTTE海軍の中心でした。LTTEはムライティヴを捨てた後、近郊のジャングルに紛れ込むことになります。


一時期スリランカから逃れたと報道されたLTTE指導者の「プラバーカラン」は自ら「スリランカに残っている」との声明を出しています。プラバーカランに率いられたスリランカ軍と彼等に従う住民達は、住んでいた町を捨ててジャングルを歩き回っているのでしょう。そうした住民は数万人程度いるようです。その中には年寄りや子供達も含めれているはずです。そうした人達の健康状態は非常に心配です。


そんな中、スリランカは来月2月4日に61回目の独立記念日を向かえようとしています。




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