| 2009年01月03日(土) |
スリランカ内戦激化(16) |
Key loss will test Tamil Tigers
The Sri Lankan army's capture of the northern town of Kilinochchi marks a new phase in the fighting between the security forces and the Tamil Tiger rebels.
With its fall the rebels have now lost the biggest township they had under their control for more than a decade. For the security forces, it will enable them to consolidate their domination of the key A9 highway, which links the Jaffna peninsula with the rest of the country.
BBCのニュースですが、新年になってスリランカ政府が反政府組織(LTTE)の事実上の本拠地であったスリランカ北部の「キリノッチ」を陥落させました。政府軍は北のジャフナ、西のマナー、南のヴァウニアの3方からキリノッチに攻め上りついに陥落させました。政府軍はさらにLTTEの軍事基地のある「エレファントパス」と東部の「ムライティヴ」を目指して進攻中とのことです。
スリランカ島を南北にA9ロードが通っています。この路は中南部のキャンディを最北部のジャフナを結ぶ幹線だったのですが、北部がLTTEの支配されていたことから通行が困難になっていました。今回沿線上のキリノッチを政府軍が陥れたことによって、A9ロードが通じていない場所はエレファントパスだけとなりました。
しかし、果たして政府軍の戦果のよってこの内戦が終結するのかどうかは予断を許しません。もともとLTTEはゲリラ線を得意としているので民衆に紛れてしまう可能性があります。そうなるとスリランカ政府は何時までも警戒を続けなければならなくなります。
| 2008年12月31日(水) |
年末にテロ、紛争発生 |
11月にインドのムンバイにおいてイスラム過激派の犯行と考えられる大規模なテロが発生しました。このテロはこれまでのヒンズー教徒の多く集まる「マーケット」を狙った物とは違い、ムンバイのユダヤ教寺院や外国人の利用の多い高級ホテルをターゲットにしたものでした。これまでの「ヒンズー対イスラム」の構図のテロとは明らかに別で国際社会に大きな影響のある行動となりました。
そして12月19日に中東のハマスがイスラエルとの「和平終了宣言」が出たと思ったら、12月28日にはイスラエルの大規模なガザ地区への空爆があり多くの犠牲者が出ました。ハマスとはPLO(主流派自治政府)とは一線を画す原理主義的な組織です。過激な組織との紛争でパレスティナ全体まで紛争まで巻き込まないで欲しいと思います。
世界全体が経済不況に陥り先進国から発展途上国まで経済が悪化する中での大規模なテロ・紛争です。新しい年においては、人々の知恵と知識によって安定した生活ができるように願っています。
| 2008年12月30日(火) |
帰国、お土産の「水井坊」 |
無事北京から帰国しました。成田からの帰りの電車の中で「サイパン」に行ってきたという家族(お婆さん、お母さん、お孫さん)に会いました。子供達は半袖です。北京の寒さに震えながら観光してきた私達とは全く正反対の環境のようでした。寒い時に寒い場所を観光するのは、やはり厳しいことを実感しました。
下はお土産として見つけた白酒「水井坊」です。今年の春の上海出張の折りに紹介してもらった非常に美味しい白酒です。アルコール濃度は高いですが非常に飲み安い白酒です。右は通常の250ccの瓶、左は可愛らしい50ccの瓶です。両方ともアルコール度数は52度。「水井坊」は四川省成都の酒です。50ccの瓶は北京郊外の土産物屋で買ったのですが、果たして本物かどうか分かりません。「水井坊」には偽ブランド商品が出回っているとのニュースもありますので。

この「水井坊」は最近人気が出ているらしく、成田の免税店にも売っていますし、北京の免税店にも特別専用コーナーで売っていました。免税店で売っている酒は「アルコール度数38度」のものだそうです。アルコール度数の高いものはやはり市内の酒屋で買ってくるしかないようです。
「水井坊」製造メーカのホームページを見つけました。「水井坊」はパッケージと瓶が非常に立派なのでまたどこかで紹介したいと思います。
成都水井坊有限公司
29日は午前中と後午の二回に分けて故宮博物館の見学でした。タップリと故宮博物館を見学できることが今回のツアーを選んだ理由のひとつでした。またガイドの「許」さんは非常に博識な方で様々な分野に飛ぶ私の質問に的確に答えてくれました。明・清の歴史をきちんと勉強していけばもっと面白かったとは思いますが、最初なので断片的な知識を得ただけでも良しとすべしです。
午前中の見学は、天安門広場を見学してから「天安門」、「端門」を抜けて南の「午門」から故宮博物館に入館しました。この三つの門はどれも立派でそれだけでも一見の価値があります。北京には多くの門が聳えていて「門の街」と呼ぶことができます。嘗ては故宮の北にある「鼓楼」が一番高い門であったそうで、そこから北京市内が見渡せたことでしょう。その「鼓楼」の南の延長線上に「故宮」が作られたのでした。「高い門」はドラビダ様式のヒンズー寺院にも共通する建築です。しかし中国の高い門は権威の象徴であり、その「門」は身分の差を明確に表す一つの「境目」をも表しています。
午前中はまず故宮南側の「朝」を見学してから北側「廷」の東側の宮殿を見学しました。まず「朝」は立派な「午門」を通って故宮に入りました。「午門」は「コの字」型をした門で皇帝が戦いに出発する「兵士達」へ言葉を送った場所なのだそうです。「皇帝」の声が散ってしまわないようにという配慮なのだそうです。
午門の北側には「内金水橋」という川が流れています。その北側に「太和門」があります。太和門の入り口には一対の「獅子」の胴象が据えられています。この「獅子像」が素晴らしく立派なものでした。東側が「雄」で西側が「雌」の獅子像でどういうわけか「雌」にも立派な鬣があります。雌の獅子は左手ので子獅子をあやしていて、雄獅子は右手で地球をコントロールしています。この「太和門」は皇帝が上奏を聞いたり詔勅を発する場所であったのだそうです。
皇帝が政務を行ったのは「朝」の一番北側の「大和殿」「中和殿」「保和殿」の広大な建物です。大和殿は通常皇帝が政務を行った所、中和殿は皇帝の控えの建物、保和殿は皇帝が科挙の最終試験を行ったところです。この建物郡は「ラストエンペラー」の主要な舞台になっている場所だそうです。もう一度見て見たいと思います。
午前中は「廷」には入らずに東側の建物郡を見学しました。こちらは皇極殿などの建物を見学しました。ここは清の「乾隆帝」が退位して余生を過ごした場所です。生存中に退位したのは「乾隆帝」だけだそうです。丁度今上天皇が健康を害しながら誕生日迎えられました。日本の天皇にも「退位」という制度があれば良いと思います。
午前中最後のポイントは故宮の北東隅にある「珍妃の井戸」です。珍妃は清朝末期の光緒帝の妃で西太后と対立しました。その珍后が殺害されたのがここの「珍妃の井戸」でした。

今日は北京観光2日目で郊外の「万里の長城」見学でした。目的地は北京の北西の「八達峰長城」。北京市内から高速道路を使うと1時間程度で到着します。到着した27日は非常に良い天気だったのですが、この日は曇りで陽射しがなく時折雪の舞う非常に寒い一日になりました。標高の高い(約1000m)「八達峰」は本当に寒かったです。
なお朝一番で近くのスーパでGSMのSIMカードを購入して妻用の携帯電話を使えるようにしました。インドで使っていたGSM携帯ですが再開するのは3年振りです。
八達峰の長城は「高速道路」が走り、高い所までロープウェイが行っていますので長城を観光するには非常に便利になっています。予定ではロープウェイは片道登りだけで、帰りは歩いて降りることになっていましたが、非常に寒いので往復ともロープウェイを使いました。
世界遺産に登録されている「長城」です。実際に近くでみると「丁寧」な作りに圧倒されます。長城に使われている「石」は麓から運び上げられたものだそうです。物凄い多くの人の労働の結果だということが実感させられます。
帰りの途中に「居庸関」に寄りました。居庸関の説明はガイドブックではあまりないので、現地の観光案内(日本語)看板の解説を掲載しておきます。
居 庸 関 居庸関は、北京の長城沿線上の著名な古関所で、国家指定文化財とされている。関所が所在する峡谷は、大行山脈の軍都山地に属し、険しい地形を呈している。春秋戦国の時代から、早くも燕という国がここを占拠し、当時「居庸塞」と称された。漢の時代なって、居庸関の関城がすでにかなりの規模となった。南北朝になると、関城が長城と繋がるようになった。それから、唐、遼、金、元などいくつもの時代を経過したが、居庸の峡谷には必ず関城が設けられ た。 現存の関城は、明王朝の洪武元年(1368年)に建設し始め、徐達という大将軍と常遇春という副将軍の計画によるものである。明王朝の景泰初年(1450〜1454年)とその後に数回修繕された。関城は東に翠屏山の尾根に、西に金拒山の山順に連なり、一周の長さが4000メートルを超え、南北の月城と城楼、敵楼には必要な軍事施設が完備している。関城の内外には、さらに役所、お寺と儒学校などの各種の施設がある。 清王朝の末期以降、居庸関の関城の建造物が徐々に荒廃したが、雄大な関城と多<の歴史的な遺跡が残り、中国の古代軍事文化を知るための一窓口となっている。1992年、昌平県十三陸特区は文物保護のため、関城の建造物を全面的に修復し、昔の雄姿を再現させた。関城周辺の自然景観が美しく、金王朝の明昌時代(1190〜1195年)に「居庸登翠」の名で「燕京八景」のひとつに数えられた。1982年、居庸関はその歴史的価値と自然景観の美しさが評価され、八達嶺、十三陵風景名勝保護区に編入され、その重要な観光スポットとなった。
「長城」見学の後北京への帰り路の途上にある「明の13陵」を見学しました。明は1368年「朱元璋」(洪武帝)によって創建され16代の皇帝がその帝位につきました。そして「1644年」清の太宗(ホンタイジ)が農民反乱の李自成を滅ぼして清朝を創建するまで続きました。そして明3代皇帝の永楽帝が都を南京から北京に移したのでした。従って「永楽帝」は北京遷都の大恩人と言うべき皇帝です。その永楽帝は自らの陵墓の場所として現在の13陵の場所を指定したことから、永楽帝以降の13人の皇帝の墓が集まっていると言うわけです。永楽帝は北方への備えを固めるために自らも南京から北京に引っ越した非常な英傑だったのです。
今日は世祖永楽帝の墓「長陵」と第14代神宗万暦帝の墓の「定陵」の墓を見学しました。現在13陵の中で「定陵」だけが発掘されて夥しい副葬品が発見されているとのこと。その副葬品は「長陵」の立派な永楽帝の胴象の周りに展示されています。「定陵」では発掘された地下宮殿も見学できます。14代皇帝がこんなに立派であるということは、3代永楽帝の墓はどうなっているのか。非常に興味深いものがあります。
夕御飯は北京宮廷料理の「仿膳飯荘」で頂きました。レストランは景山の西側の北海公園内にあります。ここでは約1時間程度しか時間が無かったのですが宮廷料理の雰囲気を味わうことができました。ただ「ラクダのこぶの肉」料理は少し肉が硬くて敬遠ものでした。
夕食後にオプションで京劇を観劇しました。場所は湖広会館という劇場。ここは非常に伝統のある京劇劇場だそうです。演目は「秋江」と「十八羅漢闘悟空」。中国の伝統を味わいました。
<参考>「秋江」と「十八羅漢闘悟空」のあらすじは「日本京劇振興協会」の以下のページにありました。
日本京劇振興協会「秋江」のページ 日本京劇振興協会の「十八羅漢闘悟空」のページ

北京の白酒の「京宮ニ鍋頭酒」です。アルコール度56%、100ml。昼食をとった北京郊外の土産物店レストランのテーブルの上にコンプリメンタリイで置いてありました。寒い北京にはぴったりの強いお酒です。大変気に入りました。価格も非常に安いもので、土産物屋で20元ですから街中ならば数元でかえるものでしょう。
12月27日から12月30日までの年末に北京旅行に行きました。 この日記は帰国後に書いています。
旅行日程など
12月27日 JL781便で出国 NRT(10時50分)⇒PEK(14時) 門前大街散策(路面電車乗車中止) 北京大董こう鴨店で北京ダックの夕食 カンフーショー 今回の宿舎は東公民巷ホテル(27日、28日、29日)
12月28日 万里長城(八達峰城門)観光 明13陵観光 オリンピック鳥の巣観光 ほう膳飯荘で北京宮廷料理 京劇観覧
12月29日 天安門広場 故宮見学(午前中) 故宮見学(後午) 胡同見学 北京家庭料理(フーリン酒閣) 夜の王府井散策
12月30日 天壇観光 刀削麺の昼食(麺酷) JL782便で出国 PEK(15時30分)⇒PEK(19時20分)
初めて参加する「ツアー旅行」です。観光する場所もホテルも全部決めてあるの後はガイドに着いて行きさえすればOK。参加したツアーは近畿日本ツーリストの「こだわり北京4日間」。故宮見学がタップリ組まれていることが決め手でした。中国は出張で上海と香港には行った事がありますが北京は始めてです。2008年夏のオリンピックの直後なので施設が充実しているだろうし、「祭りの後」の観光客減少対策でいろいろメリットがあるのではないかとも考えました。
午前中の日系航空会社の北京便は2便ありますが、JALが全日空より少し遅い10時50分出発。それでも6時には自宅を出発しました。年末の成田空港は出国客で賑わっていました。それでもスムーズに手続きができたのは不況で普段の年より観光の出国客が減っているせいでしょう。行きは冬の偏西風を正面から受ける形で飛行機が飛びますので対地速度は遅くなります。今日は大体500〜600Kmph位で飛んでいました。(帰りは1100〜1200Kmphで飛んでいたので大違いです)
北京首都国際空港はオリンピックに間に合わせるために作られた巨大空港です。アジアの最大の大きさだそうです。到着出口のガイドの「許」さんが迎えてくれました。今回ツアー参加者は私達夫婦だけなのだそうです。日本語が上手な許さんの案内でまず「前門大街」を散策しました。
「前門大街」は前門の南に広がる商店街ですが、昔(明・清)の時代の商店街のデザインをそのまま現代の材料で復元した町並みです。「旧」の店の商人達は改修の期間営業を中断していたのですが、完成後は家賃(テナント料)紛争が勃発して営業を再開している店はほんの少しです。街が再開されることを見越して復元されようとした「市内電車」もまだ未再開です。許さんの話では来年当たりから再開されそうとのことです。でもこの「前門大街」はレトロ調のすばらしい町並みなので店が再開されれば人気スポットになるでしょう。
夕食は「北京ダック」でした。北京料理といえば「ダック」ですが、正直なにが美味しいのか分かりません。今日はアルコールも控えて「味」を賞味しましたが、やはり何がポイントなのか分かりませんでした。ディナーの後はツアーに組まれた「カンフーショー」。日本人観光客の沢山居るショーでした。それなりに現代の北京観光の現実を体験した一時でした。興味深かったのは北京の劇場が「偶数席」と「奇数席」に別れていることでした。従って隣どうしに並ぶためには「ひとつおきの席」を予約しなければならないのです。許さんの話ではこれが一般的だとのこと。オリンピックではどうしたのでしょうか。
ホテルは天安門広場近くの「東交民巷ホテル」。建物・設備は少し古いですが立地の良いホテルでした。ツアーパンフレットではもっとグレードの高いホテルもあったのすが、朝早く出発し一日観光して夜は外でディナーを食べる日程になっているので料金の安いホテルを選びました。日本人客が多く止まっていました。
会社の社会貢献活動で富士山裾野の清掃活動をするというので参加して来ました。暮れの12月20日に富士山裾野に行くというので、かなり寒いだろうと懸念していたのですが、今日は良い天気で絶好の「ゴミ拾い日和」になりました。場所は富士市の市立少年自然の家から北に伸びる林道の2.4Km。
日比谷の本社前に集合してバスで現地に向かったわけですが、東名高速の往復を考えると実質2時間弱の清掃活動でした。それでもトラックの荷台に入りきらないほどのゴミを拾いました。2時間程度なら「楽勝」と考えていたのですがこれが結構きつかったです。というのもゴミは林道から投げ捨てられ坂を転がって林の下の方に遺棄されています。これを拾うためには坂を下りてまた登ってくることになるからです。しかもタイヤなどの大物を抱えて急坂を登るのは大変キツイし危険を伴いました。大物のバスタブ・大型タイヤなどはロープを結んで引き上げることになります。
NPOの「富士山クラブ」の方達の指導の下での活動ですが、私達の集めて道端に積み上げたゴミを「クラブ」の方がトラックに積んでくれましたし、トラックに積まれた各種のゴミは「クラブ」の方が最終処分することになります。実は我々の活動は実はほんの一部分でしかないのです。それでも企業の社会貢献活動として、やらないよりは「ずっとマシ」と考えるべきですね。
林道から分かれた急坂に「自動車」が遺棄されていました。さすがにこれは回収できません。開けてあるドアのライトが点灯していたので、それほど古いものではないと思われます。ひどい状況でした。
妻、長男、長女の都合を付けて今年の忘年会をしました。年末に旅行を予定しているのでこの日にしました。ホテルマイレージを活用して新宿ヒルトンホテルのレストラン「ペルゴレーズ」を予約しました。妻は家から、娘は新宿南口のバイト先から、長男は秋葉原の職場から私は会社からの集合です。場所が少し分かり難かったので集まりは悪かったのですが、長男は仕事が長引き集合時間から約1時間遅れになりました。待っている時間にシャンパンを1本飲んでしまいました。
料理が以下の通りでした。
1.シェフの特別前菜 2.本日の前菜(生アンチョビ) 3.メイン(沖縄豚またはマトウ鯛) 4.デザート 5.コーヒー、紅茶、小菓子
料理は非常に繊細な味と盛り付けでした。前菜辺りだときめ細かく賞味できましたが、メインではアルコールも回ってしまい細かいところまで分かりませんでした。もっともアルコールが進んだこともありますが、料理の素材が「豚肉とマトウ鯛」と少し地味であったこともあるでしょう。
ワインは少量ずつのテイスティングココース。
Exclusive Sommelier Recommendation
White
Set of 3 Wines(0.l) or 1 Glass (0.2) ¥4,000/¥2900 2004 Macon Village Vire Clesse Domaine Bongran Caves Auge 2003 Domaine Larue Chassagne-Montrachet 2003 Domaine Laroche Chablis 1er Cru Les Vaillons
Red Set of 3 Wines(O.l) or 1 Glass (0.2) ¥4,900/¥3,300 2005 Joseph Drouhin Chorey - Les Beaune, Bourgogne France 2004 Domaine Drouhin Oregon Pinot Noir, USA 2006 Felton Road Pinot Noir New Zealand
「白ワイン」はフランスのブルゴーニュ近辺の3品(南部、中部、北部)だそうです。モンラッシュが美味しかったです。「赤ワイン」は全てピノノワールでブルゴーニュ、アメリカオレゴン、ニュージーランド。
作業をしているところが見える厨房からフランス語が聞こえてくるし、ソムリエからアドヴァイスを聞いたりして物凄く贅沢な時間を過ごしました。1年を締めくくることができました。

演奏会の後にサインする「小林研一郎」先生。
今日は今年の聞き納めで「コバケン先生の第9演奏会」に行ってきました。会場は池袋の東京芸術劇場。「日フィル第9」の初日です。会場は満員。コバケン人気は凄いです。私達にとってはソプラノの「菅英三子」さんも注目。先月のトリトンでのリサイタルに続いての連続になりました。
前半は「勝山雅世」さんのパイプオルガン。正直第9の前の「前菜」としては物足りないというか、趣味が違うというか。バーバーとか最近の作曲家の作品ですが面白みに欠けました。聴衆は第9を期待しているだけに少し拍子抜けでした。
さて「コバケン先生」ですが将に現代日本最高の「指揮者」だと思います。会場に集まった聴衆は皆「感動」を期待していることが分かります。今日も色々な場面で感ずるところが有りました。 ○うなり声が聞こえるような気がしました(3階最前列ですが) ○楽章の合間には指揮台から降りて、楽員をリラックスさせます。 ○第9の三楽章に入る前ですが、ファゴットと息が合わなかったのか、構えてをやり直し、更に一旦指揮台から降りて仕切り直しをしました。 ○演奏の後には恒例の舞台挨拶。
音楽には直接関係無いようにも思えますが、聴衆も演奏する側も「コバケン線先生」の術数にはまってしまいます。音楽はというと「第9」が非常に短く感じました。1楽章、2楽章でキチンと繰り返してもらってもっと聞いていたいと気持ちでした。3楽章の美しさも特筆もので、今年秋に聞いたマーラーの5番を彷彿とさせてくれました。
4楽章も非常に短く感じました。非常に細やかにテンポを動かすので、色々な表情を聞き取ることができて新鮮に聞こえたからでしょう。4人のソロは非常にバランスを考えた歌唱でした。3階席なのでそう聞こえたのかもしれませんが演奏者の皆さんが「コバケン」の音楽に感動している証拠だと思います。とにかく、何時も感動を与えてくれる「コバケン先生」です。来年もできるだけ多く聞きたいです。
| 2008年12月17日(水) |
スリランカ内戦激化(15) |
Pitch battles rage in Sri Lanka, 145 combatants killed
Tuesday, December 16, 2008, 14:01 GMT, ColomboPage News Desk, Sri Lanka.
Dec 16, Colombo: Sri Lankan troops and Tamil Tiger rebels fought pitch battles along the Kilinochchi battle front in Northern Sri Lanka today leaving 145 combatants dead, the military said.
スリランカ政府軍の進攻はLTTEの本拠地の「キリノッチ」に近づきつつあります。16日には「Pitch Battle」となって双方に大きな死傷者が出た模様です。この「ピッチ・バトル」という言葉は軍事用語のようですが、敵味方が正面からぶつかる正面戦争を表しています。つまり一方的な空爆やゲリラ戦闘ではないということを示しています。
映画の時代劇などに出てきますが、21世紀の現代アジアで行われている、本当の戦闘であることに恐怖と悲しさを感じます。戦闘による死亡者数が毎日のように報道されていますがそれは単なる数字ではなく、愛する家族、友人を悲しみの「どん底」に落としてしまう悲劇であるのです。
現時点で当事者どうしには解決の道は残されていません。LTTEリーダのプラバーカランが降伏するとは思えません。ましてやスリランカ政府が戦闘を止めることは考えられません。望みは言うと「インド政府の圧力」です。経済的に大きな影響力のあるインド政府が動いてくれると有難いのですが、残念ながら「ムンバイテロ事件」に代表される「ヒンズー・イスラム」問題で手一杯の感があります。
宗教を紛争の原因にするつもりは有りませんが、スリランカ政府とLTTEの戦いが「仏教・ヒンズー」間の戦いの構図でることを考えると、非常に不幸な構図と言わざるを得ません。
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