KENの日記
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2008年12月27日(土) 北京旅行

12月27日から12月30日までの年末に北京旅行に行きました。
この日記は帰国後に書いています。

旅行日程など

12月27日
JL781便で出国 NRT(10時50分)⇒PEK(14時)
門前大街散策(路面電車乗車中止)
北京大董こう鴨店で北京ダックの夕食
カンフーショー
今回の宿舎は東公民巷ホテル(27日、28日、29日)

12月28日
万里長城(八達峰城門)観光
明13陵観光
オリンピック鳥の巣観光
ほう膳飯荘で北京宮廷料理
京劇観覧

12月29日
天安門広場
故宮見学(午前中)
故宮見学(後午)
胡同見学
北京家庭料理(フーリン酒閣)
夜の王府井散策

12月30日
天壇観光
刀削麺の昼食(麺酷)
JL782便で出国 PEK(15時30分)⇒PEK(19時20分)


初めて参加する「ツアー旅行」です。観光する場所もホテルも全部決めてあるの後はガイドに着いて行きさえすればOK。参加したツアーは近畿日本ツーリストの「こだわり北京4日間」。故宮見学がタップリ組まれていることが決め手でした。中国は出張で上海と香港には行った事がありますが北京は始めてです。2008年夏のオリンピックの直後なので施設が充実しているだろうし、「祭りの後」の観光客減少対策でいろいろメリットがあるのではないかとも考えました。

午前中の日系航空会社の北京便は2便ありますが、JALが全日空より少し遅い10時50分出発。それでも6時には自宅を出発しました。年末の成田空港は出国客で賑わっていました。それでもスムーズに手続きができたのは不況で普段の年より観光の出国客が減っているせいでしょう。行きは冬の偏西風を正面から受ける形で飛行機が飛びますので対地速度は遅くなります。今日は大体500〜600Kmph位で飛んでいました。(帰りは1100〜1200Kmphで飛んでいたので大違いです)

北京首都国際空港はオリンピックに間に合わせるために作られた巨大空港です。アジアの最大の大きさだそうです。到着出口のガイドの「許」さんが迎えてくれました。今回ツアー参加者は私達夫婦だけなのだそうです。日本語が上手な許さんの案内でまず「前門大街」を散策しました。

「前門大街」は前門の南に広がる商店街ですが、昔(明・清)の時代の商店街のデザインをそのまま現代の材料で復元した町並みです。「旧」の店の商人達は改修の期間営業を中断していたのですが、完成後は家賃(テナント料)紛争が勃発して営業を再開している店はほんの少しです。街が再開されることを見越して復元されようとした「市内電車」もまだ未再開です。許さんの話では来年当たりから再開されそうとのことです。でもこの「前門大街」はレトロ調のすばらしい町並みなので店が再開されれば人気スポットになるでしょう。

夕食は「北京ダック」でした。北京料理といえば「ダック」ですが、正直なにが美味しいのか分かりません。今日はアルコールも控えて「味」を賞味しましたが、やはり何がポイントなのか分かりませんでした。ディナーの後はツアーに組まれた「カンフーショー」。日本人観光客の沢山居るショーでした。それなりに現代の北京観光の現実を体験した一時でした。興味深かったのは北京の劇場が「偶数席」と「奇数席」に別れていることでした。従って隣どうしに並ぶためには「ひとつおきの席」を予約しなければならないのです。許さんの話ではこれが一般的だとのこと。オリンピックではどうしたのでしょうか。

ホテルは天安門広場近くの「東交民巷ホテル」。建物・設備は少し古いですが立地の良いホテルでした。ツアーパンフレットではもっとグレードの高いホテルもあったのすが、朝早く出発し一日観光して夜は外でディナーを食べる日程になっているので料金の安いホテルを選びました。日本人客が多く止まっていました。



2008年12月20日(土) 富士山裾野清掃活動

会社の社会貢献活動で富士山裾野の清掃活動をするというので参加して来ました。暮れの12月20日に富士山裾野に行くというので、かなり寒いだろうと懸念していたのですが、今日は良い天気で絶好の「ゴミ拾い日和」になりました。場所は富士市の市立少年自然の家から北に伸びる林道の2.4Km。

日比谷の本社前に集合してバスで現地に向かったわけですが、東名高速の往復を考えると実質2時間弱の清掃活動でした。それでもトラックの荷台に入りきらないほどのゴミを拾いました。2時間程度なら「楽勝」と考えていたのですがこれが結構きつかったです。というのもゴミは林道から投げ捨てられ坂を転がって林の下の方に遺棄されています。これを拾うためには坂を下りてまた登ってくることになるからです。しかもタイヤなどの大物を抱えて急坂を登るのは大変キツイし危険を伴いました。大物のバスタブ・大型タイヤなどはロープを結んで引き上げることになります。

NPOの「富士山クラブ」の方達の指導の下での活動ですが、私達の集めて道端に積み上げたゴミを「クラブ」の方がトラックに積んでくれましたし、トラックに積まれた各種のゴミは「クラブ」の方が最終処分することになります。実は我々の活動は実はほんの一部分でしかないのです。それでも企業の社会貢献活動として、やらないよりは「ずっとマシ」と考えるべきですね。

林道から分かれた急坂に「自動車」が遺棄されていました。さすがにこれは回収できません。開けてあるドアのライトが点灯していたので、それほど古いものではないと思われます。ひどい状況でした。



2008年12月19日(金) 家族忘年会

妻、長男、長女の都合を付けて今年の忘年会をしました。年末に旅行を予定しているのでこの日にしました。ホテルマイレージを活用して新宿ヒルトンホテルのレストラン「ペルゴレーズ」を予約しました。妻は家から、娘は新宿南口のバイト先から、長男は秋葉原の職場から私は会社からの集合です。場所が少し分かり難かったので集まりは悪かったのですが、長男は仕事が長引き集合時間から約1時間遅れになりました。待っている時間にシャンパンを1本飲んでしまいました。

料理が以下の通りでした。

1.シェフの特別前菜
2.本日の前菜(生アンチョビ)
3.メイン(沖縄豚またはマトウ鯛)
4.デザート
5.コーヒー、紅茶、小菓子

料理は非常に繊細な味と盛り付けでした。前菜辺りだときめ細かく賞味できましたが、メインではアルコールも回ってしまい細かいところまで分かりませんでした。もっともアルコールが進んだこともありますが、料理の素材が「豚肉とマトウ鯛」と少し地味であったこともあるでしょう。

ワインは少量ずつのテイスティングココース。

Exclusive Sommelier Recommendation

White

Set of 3 Wines(0.l) or 1 Glass (0.2) ¥4,000/¥2900
2004 Macon Village Vire Clesse Domaine Bongran Caves Auge
2003 Domaine Larue Chassagne-Montrachet
2003 Domaine Laroche Chablis 1er Cru Les Vaillons

Red
Set of 3 Wines(O.l) or 1 Glass (0.2) ¥4,900/¥3,300
2005 Joseph Drouhin Chorey - Les Beaune, Bourgogne France
2004 Domaine Drouhin Oregon Pinot Noir, USA
2006 Felton Road Pinot Noir New Zealand

「白ワイン」はフランスのブルゴーニュ近辺の3品(南部、中部、北部)だそうです。モンラッシュが美味しかったです。「赤ワイン」は全てピノノワールでブルゴーニュ、アメリカオレゴン、ニュージーランド。

作業をしているところが見える厨房からフランス語が聞こえてくるし、ソムリエからアドヴァイスを聞いたりして物凄く贅沢な時間を過ごしました。1年を締めくくることができました。



2008年12月18日(木) コバケン先生の第九



演奏会の後にサインする「小林研一郎」先生。

今日は今年の聞き納めで「コバケン先生の第9演奏会」に行ってきました。会場は池袋の東京芸術劇場。「日フィル第9」の初日です。会場は満員。コバケン人気は凄いです。私達にとってはソプラノの「菅英三子」さんも注目。先月のトリトンでのリサイタルに続いての連続になりました。

前半は「勝山雅世」さんのパイプオルガン。正直第9の前の「前菜」としては物足りないというか、趣味が違うというか。バーバーとか最近の作曲家の作品ですが面白みに欠けました。聴衆は第9を期待しているだけに少し拍子抜けでした。

さて「コバケン先生」ですが将に現代日本最高の「指揮者」だと思います。会場に集まった聴衆は皆「感動」を期待していることが分かります。今日も色々な場面で感ずるところが有りました。
○うなり声が聞こえるような気がしました(3階最前列ですが)
○楽章の合間には指揮台から降りて、楽員をリラックスさせます。
○第9の三楽章に入る前ですが、ファゴットと息が合わなかったのか、構えてをやり直し、更に一旦指揮台から降りて仕切り直しをしました。
○演奏の後には恒例の舞台挨拶。

音楽には直接関係無いようにも思えますが、聴衆も演奏する側も「コバケン線先生」の術数にはまってしまいます。音楽はというと「第9」が非常に短く感じました。1楽章、2楽章でキチンと繰り返してもらってもっと聞いていたいと気持ちでした。3楽章の美しさも特筆もので、今年秋に聞いたマーラーの5番を彷彿とさせてくれました。

4楽章も非常に短く感じました。非常に細やかにテンポを動かすので、色々な表情を聞き取ることができて新鮮に聞こえたからでしょう。4人のソロは非常にバランスを考えた歌唱でした。3階席なのでそう聞こえたのかもしれませんが演奏者の皆さんが「コバケン」の音楽に感動している証拠だと思います。とにかく、何時も感動を与えてくれる「コバケン先生」です。来年もできるだけ多く聞きたいです。



2008年12月17日(水) スリランカ内戦激化(15)

Pitch battles rage in Sri Lanka, 145 combatants killed

Tuesday, December 16, 2008, 14:01 GMT, ColomboPage News Desk, Sri Lanka.

Dec 16, Colombo: Sri Lankan troops and Tamil Tiger rebels fought pitch battles along the Kilinochchi battle front in Northern Sri Lanka today leaving 145 combatants dead, the military said.

スリランカ政府軍の進攻はLTTEの本拠地の「キリノッチ」に近づきつつあります。16日には「Pitch Battle」となって双方に大きな死傷者が出た模様です。この「ピッチ・バトル」という言葉は軍事用語のようですが、敵味方が正面からぶつかる正面戦争を表しています。つまり一方的な空爆やゲリラ戦闘ではないということを示しています。

映画の時代劇などに出てきますが、21世紀の現代アジアで行われている、本当の戦闘であることに恐怖と悲しさを感じます。戦闘による死亡者数が毎日のように報道されていますがそれは単なる数字ではなく、愛する家族、友人を悲しみの「どん底」に落としてしまう悲劇であるのです。

現時点で当事者どうしには解決の道は残されていません。LTTEリーダのプラバーカランが降伏するとは思えません。ましてやスリランカ政府が戦闘を止めることは考えられません。望みは言うと「インド政府の圧力」です。経済的に大きな影響力のあるインド政府が動いてくれると有難いのですが、残念ながら「ムンバイテロ事件」に代表される「ヒンズー・イスラム」問題で手一杯の感があります。

宗教を紛争の原因にするつもりは有りませんが、スリランカ政府とLTTEの戦いが「仏教・ヒンズー」間の戦いの構図でることを考えると、非常に不幸な構図と言わざるを得ません。



2008年12月16日(火) 年末の予定

今年の年末、思い切って海外旅行をすることにしました。ずっと行きたかった「イタリア」を研究していたのですが最終的に中国「北京」になりました。随分寒いと思いますがその分空いているのではないかという狙いです。

今回の旅行は「パッケージツアー」を選びました。これまで海外には出ていますが、実は「パッケージツアー」は始めてなのです。これまでの旅行ではホテルを予約したり、観光計画を立てるのが大変でしたが、パッケージされていると非常に気が楽ですね。それが魅力だと思います。

一方で外国で「早起き」しなければならないとか、別の参加者のトラブルのために影響がでることもあるでしょうから、実際の所は行って見ないと分からない。とにかく参加者に迷惑を掛けないように楽しんで来たいと思います。私達が帰国するのは「大晦日」です。



2008年12月12日(金) ムンバイの友人

ムンバイの友人と久し振りに連絡を取りました。彼は会社の事務所を立ち上げた時に最初に入社して事務所立ち上げ業務を助けてくれた人間です。奥様もとても親切な方でインドの生活が始めての私をあれこれ助けてくれました。彼等夫婦はパルシーという人々で「拝火教徒」です。彼等の家には立派な「ゾロアスター」の絵と祭壇が飾られています。

その友人に先月26日のムンバイテロの様子をきいてみました。なんと彼は奥様と二人でその日に「レオポルド・カフェ」に行く予定だったというのです。レオポルド・カフェは地元のビジネスマンにとっても気の置けない雰囲気を好まれています。更にカフェのご主人がやはり「パルシー」なので「パルシー」の方達には大変親しみの有る場所なのです。

彼の話によると奥様が気分が悪くなり、外出する間際になっても容態が回復しなかったので最終的にレストランでの食事をキャンセルしたのだそうです。そしてそれが幸いして、当日後午9時頃発生したレオポルド・カフェを襲ったテロ被害を免れたのだそうです。その日のテロ攻撃では「レオポルド・カフェ」が襲われた後、直ぐ近くの最高級ホテル「タージマハールホテル」が襲われました。レオポルド・カフェでは7人の犠牲者がでたそうです。



2008年11月30日(日) ムンバイで連続テロ発生(2)

ムンバイのテロは「タージ・マハール・ホテル」、「オベロイ・トリデントホテル」での被害が大きかったそうですが、「タージ・マハール・ホテル」襲撃前にコラバの「レオポルド・カフェ」が襲われそこでは7名が亡くなったのだそうです。下の写真はインターネットで入手したものです。(レオポルド・カフェには夜しか行かなかったので写真は殆ど有りませんでした)




「レオポルド・カフェ」はムンバイ南部の「コラバ地区」にあるレストランです。コラバ地区は庶民の町ですが、タージ・マハール・ホテルとか「インド門」が近いので外国人観光客が多く訪れる場所でもありました。観光客で満員になったところに出くわしたことも度々ありましたが、私も何回も利用させていただきました。こういう場所が狙われることはこれまでありませんでした。これまでのインドのテロは「ヒンドゥー対モスリム」の構図そのままに、ローカルマーケットとかローカル通勤客を載せた列車が狙われたのでした。

一方、レオポルド・カフェを利用する客層とタージ・マハール・ホテルの客層は明らかに違うと思います。「レオポルド・カフェ」はどちらかというと庶民・サラリーマンの「酒場」という感じの店で、「チキン・ティッカ・マサラ」と「生ビール」の組み合わせで「仕事帰りの一杯」が似合う店です。タージ・マハール・ホテルの客は超高級レストランに外車で乗り付けるレベルでしょう。テロリスト達の真の狙いが分かりません。外国人なら誰でもよかったのでしょうか。犠牲になった方達のご冥福を祈ります。



2008年11月29日(土) 首都高速「中央環状線」

プリンタの修理のために新宿のキャノンサービスセンターに行く事にしました。年賀状印刷の準備です。プリンタを車に積んで首都高速5号線登り「板橋ジャンクション」から「中央環状線」に入り新宿まで行きました。

「中央環状線」の新宿方面は山手通りの下を通っています。板橋で地下に入ると甲州街道の上を通る首都高速4号線までずっと地下トンネルになっています。まだ中央道までしか繋がっていないのでそれほど渋滞はしません。これが東名高速まで繋がれば便利になるとともに交通量も大分増えるでしょう。

帰りは「山手通り」を通ってそのまま国道17号線に入って帰ってきました。山手通りは至る所で工事中です。地下を通る中央環状線は完成しているのですがその後の養生をしているのです。でも電柱も撤去されているし、車線も増えそうなので非常に便利になると思われます。



2008年11月27日(木) ムンバイで連続テロ発生

今日から人間ドック(伊豆の病院)なので朝早く家を出ました。途中電車の中で妻から電話が入り、インドのムンバイで連続テロが発生したことを知りました。「オベロイホテルが攻撃されて多くの犠牲者が出ている」とのこと。ムンバイの「オベロイ」ってどこだったか直ぐに思い出せませんでした。後の報道を見て分かったのですが、ムンバイ南部のナリマンポイントのオベロイトリデントホテルのことでした。

今回の同時多発テロはムンバイ市内の数箇所が攻撃されましたが、被害が大きかったのは、タージ・マハールホテルとオベロイトリデントホテルでした。この二つのホテルはムンバイでも最高級のホテルです。特にタージ・マハールホテルはインドを代表するホテルです。私は泊まったことは有りませんが何回か出入りしたことがあります。TATA系のホテルで昔風の豪華な作りが有名で日本人の観光客も多いはずです。

インドの大きな建物は共通して非常に複雑に設計されています。タージ・マハールホテルもホテル内は迷路のようになっています。つまりテロリストには打って付けです。日本食レストラン(確か「わさび」といいましたか)に行くには他のレストランの階段を上がって行くといった具合。

トリデントホテルも同様です。もともとは同じ系列だった隣の高層棟ホテルと繋がっているのです。現在その高層棟はヒルトンホテルになっていますが、現在でもプールのある庭が繋がっているし、ショッピングモールも「くねくね」と繋がっているし、ホテルフロントにも連絡通路があります。モンスーン期の長雨の時など非常に便利なのですが、テロに遭ったら大変です。私は暫くタワー棟に泊まっていたこともありこのビルの中は良く歩き回りました。

今回のテロでタージマハールホテルに近いユダヤ教のシナゴークも襲われました。インドの宗教は複雑で、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教、シーク教、ジャイナ教、ゾロアスター教等宗教のデパートのような感があります。私の印象ではイスラム教以外は比較的ヒンズー社会に溶け込んでいるという感じがしていました。今回ヒンズーとイスラムというインドにおける対立の構図だけではなく、イスラム対イスラエルという構図までインドに持ち込まれました。インドの対立が国際的な対立に連動してしまったようです。




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