KENの日記
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2008年12月16日(火) 年末の予定

今年の年末、思い切って海外旅行をすることにしました。ずっと行きたかった「イタリア」を研究していたのですが最終的に中国「北京」になりました。随分寒いと思いますがその分空いているのではないかという狙いです。

今回の旅行は「パッケージツアー」を選びました。これまで海外には出ていますが、実は「パッケージツアー」は始めてなのです。これまでの旅行ではホテルを予約したり、観光計画を立てるのが大変でしたが、パッケージされていると非常に気が楽ですね。それが魅力だと思います。

一方で外国で「早起き」しなければならないとか、別の参加者のトラブルのために影響がでることもあるでしょうから、実際の所は行って見ないと分からない。とにかく参加者に迷惑を掛けないように楽しんで来たいと思います。私達が帰国するのは「大晦日」です。



2008年12月12日(金) ムンバイの友人

ムンバイの友人と久し振りに連絡を取りました。彼は会社の事務所を立ち上げた時に最初に入社して事務所立ち上げ業務を助けてくれた人間です。奥様もとても親切な方でインドの生活が始めての私をあれこれ助けてくれました。彼等夫婦はパルシーという人々で「拝火教徒」です。彼等の家には立派な「ゾロアスター」の絵と祭壇が飾られています。

その友人に先月26日のムンバイテロの様子をきいてみました。なんと彼は奥様と二人でその日に「レオポルド・カフェ」に行く予定だったというのです。レオポルド・カフェは地元のビジネスマンにとっても気の置けない雰囲気を好まれています。更にカフェのご主人がやはり「パルシー」なので「パルシー」の方達には大変親しみの有る場所なのです。

彼の話によると奥様が気分が悪くなり、外出する間際になっても容態が回復しなかったので最終的にレストランでの食事をキャンセルしたのだそうです。そしてそれが幸いして、当日後午9時頃発生したレオポルド・カフェを襲ったテロ被害を免れたのだそうです。その日のテロ攻撃では「レオポルド・カフェ」が襲われた後、直ぐ近くの最高級ホテル「タージマハールホテル」が襲われました。レオポルド・カフェでは7人の犠牲者がでたそうです。



2008年11月30日(日) ムンバイで連続テロ発生(2)

ムンバイのテロは「タージ・マハール・ホテル」、「オベロイ・トリデントホテル」での被害が大きかったそうですが、「タージ・マハール・ホテル」襲撃前にコラバの「レオポルド・カフェ」が襲われそこでは7名が亡くなったのだそうです。下の写真はインターネットで入手したものです。(レオポルド・カフェには夜しか行かなかったので写真は殆ど有りませんでした)




「レオポルド・カフェ」はムンバイ南部の「コラバ地区」にあるレストランです。コラバ地区は庶民の町ですが、タージ・マハール・ホテルとか「インド門」が近いので外国人観光客が多く訪れる場所でもありました。観光客で満員になったところに出くわしたことも度々ありましたが、私も何回も利用させていただきました。こういう場所が狙われることはこれまでありませんでした。これまでのインドのテロは「ヒンドゥー対モスリム」の構図そのままに、ローカルマーケットとかローカル通勤客を載せた列車が狙われたのでした。

一方、レオポルド・カフェを利用する客層とタージ・マハール・ホテルの客層は明らかに違うと思います。「レオポルド・カフェ」はどちらかというと庶民・サラリーマンの「酒場」という感じの店で、「チキン・ティッカ・マサラ」と「生ビール」の組み合わせで「仕事帰りの一杯」が似合う店です。タージ・マハール・ホテルの客は超高級レストランに外車で乗り付けるレベルでしょう。テロリスト達の真の狙いが分かりません。外国人なら誰でもよかったのでしょうか。犠牲になった方達のご冥福を祈ります。



2008年11月29日(土) 首都高速「中央環状線」

プリンタの修理のために新宿のキャノンサービスセンターに行く事にしました。年賀状印刷の準備です。プリンタを車に積んで首都高速5号線登り「板橋ジャンクション」から「中央環状線」に入り新宿まで行きました。

「中央環状線」の新宿方面は山手通りの下を通っています。板橋で地下に入ると甲州街道の上を通る首都高速4号線までずっと地下トンネルになっています。まだ中央道までしか繋がっていないのでそれほど渋滞はしません。これが東名高速まで繋がれば便利になるとともに交通量も大分増えるでしょう。

帰りは「山手通り」を通ってそのまま国道17号線に入って帰ってきました。山手通りは至る所で工事中です。地下を通る中央環状線は完成しているのですがその後の養生をしているのです。でも電柱も撤去されているし、車線も増えそうなので非常に便利になると思われます。



2008年11月27日(木) ムンバイで連続テロ発生

今日から人間ドック(伊豆の病院)なので朝早く家を出ました。途中電車の中で妻から電話が入り、インドのムンバイで連続テロが発生したことを知りました。「オベロイホテルが攻撃されて多くの犠牲者が出ている」とのこと。ムンバイの「オベロイ」ってどこだったか直ぐに思い出せませんでした。後の報道を見て分かったのですが、ムンバイ南部のナリマンポイントのオベロイトリデントホテルのことでした。

今回の同時多発テロはムンバイ市内の数箇所が攻撃されましたが、被害が大きかったのは、タージ・マハールホテルとオベロイトリデントホテルでした。この二つのホテルはムンバイでも最高級のホテルです。特にタージ・マハールホテルはインドを代表するホテルです。私は泊まったことは有りませんが何回か出入りしたことがあります。TATA系のホテルで昔風の豪華な作りが有名で日本人の観光客も多いはずです。

インドの大きな建物は共通して非常に複雑に設計されています。タージ・マハールホテルもホテル内は迷路のようになっています。つまりテロリストには打って付けです。日本食レストラン(確か「わさび」といいましたか)に行くには他のレストランの階段を上がって行くといった具合。

トリデントホテルも同様です。もともとは同じ系列だった隣の高層棟ホテルと繋がっているのです。現在その高層棟はヒルトンホテルになっていますが、現在でもプールのある庭が繋がっているし、ショッピングモールも「くねくね」と繋がっているし、ホテルフロントにも連絡通路があります。モンスーン期の長雨の時など非常に便利なのですが、テロに遭ったら大変です。私は暫くタワー棟に泊まっていたこともありこのビルの中は良く歩き回りました。

今回のテロでタージマハールホテルに近いユダヤ教のシナゴークも襲われました。インドの宗教は複雑で、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教、シーク教、ジャイナ教、ゾロアスター教等宗教のデパートのような感があります。私の印象ではイスラム教以外は比較的ヒンズー社会に溶け込んでいるという感じがしていました。今回ヒンズーとイスラムというインドにおける対立の構図だけではなく、イスラム対イスラエルという構図までインドに持ち込まれました。インドの対立が国際的な対立に連動してしまったようです。



2008年11月22日(土) ヒラリー・ハーンのシベリウス

ハーンの演奏したシベリウスのバイオリン協奏曲を漸く購入して聞いて見ました。これまでCDショップでは気になっていたCDなのですが、なぜか不思議に触手が動かなかったのでした。名演誉れ高い「ヌボー」の演奏を超えるような演奏が存在するという可能性を無意識の中に拒否していたのかもしれません。

今回ハーンの演奏を買う気になったのは、音コン優勝の「黒川侑」さんの演奏を聞いたことがきっかけです。演奏会当日のコンディションが悪かったのかもしれませんが日本の若手で「断トツ」の実力者という「黒川さん」の演奏に不満が残り、家に帰ってから「チョン」だとか「ヌボー」を聞いて見たのでした。私の注目して箇所は3楽章の最初のソロバイオリンパート。この難所を指定されたリズム通りにしっかり弾いているかどうかがポイントになります。

チョンもヌボーもそれなりに上手いのですが聞いて見るとやはり少し不満が残りました。ということでそれなら「ハーン」はどのように演奏しているのかということになったのでした。まず「ユーチューブ」で「ハーン」の演奏を調べました。「マゼール指揮」のコンサート模様がアップされていました。随分若い頃の演奏です。でも素晴らしい演奏です。切れ味抜群です。購入したCDのハーン自身の解説に以下のように紹介していました。

「16歳になった時にヨッシャ・ブロスキー先生はそろそろシベリウスを勉強する時期だと言いました。今思い出すレッスンでは、血の様に赤い東洋風の絨毯の上で、直ぐ横には「氷」のようなクロゼットが置かれていました。私の音楽は音楽が形をかえた「ワイアスタンド」に乗ったようなものであり、バイオリンパートは予想外の危うさを露呈する一方、構造的なバランスを感じて楽しかったことを憶えています。そしてヨーロッパ演奏旅行にシベリウスを持って行きました。数年間の間に何度か演奏した後、暫くシベリウスの演奏をやめました。これはいつものやり方ですが。」

この記事を読むと2007年3月に録音したシベリウスバイオリン協奏曲は10代の時に演奏してから約10年振りの録音だということが分かります。演奏の勢いは若い頃を彷彿させるものですし、技術の錬度は更に高まっています。まさに女性版「ハイフェッツ」といっても言い過ぎではないでしょう。超絶技術があるから表現できる音楽というものもあるものだと感じてしまいます。まだ30才手前のハーンはどこまで行くのでしょう。

フランスのバイオリニストの「Ginette Neveu」は1919年生まれ。1949年に飛行機事故で30歳の若さをこの世を去りました。そして亡くなる3年前の1946年にズスキンド指揮フィルハーモニア管弦楽団の伴奏でシベリウスを録音しました。27歳でしょうか。ハーンの録音時期と殆ど同じような状況です。ハーンの録音を聞いて見るとこれ以上何を加えるのか、歳を取ることでどう良くなるのだろうかと考えてしまいます。不謹慎な推測ですがハーンには是非事故や病気に気を付けて熟成して言って欲しいと思います。



2008年11月20日(木) 白酒 皖國春秋




白酒の皖國春秋の情報を記しておきます。「皖國」というのは今の中国の安徽省のことを指します。この白酒の瓶の首には紐が何重にも巻かれています。瓶の正面には二人の人物が描かれていて、「酒」を蓄えているように見えます。そしてその酒瓶にも「紐のようなものが巻かれている」ように見えます。これは何か「謂れ」があるものなか調べて見ました。

下に翻訳ページで訳した文章をそのまま記載しますが、この「皖國春秋」という酒の謂れは以下の通りのようです。

○周の文王は「皖」(人或いは地名)という「家来」に土地を与え、以来この地域は「皖」と呼ばれるようになった。

○春秋時代には非常に平和に栄え、酒醸造技術が発達した。

○楚がこの地域を統一しようとしようとした時期に大きな戦乱に巻き込まれた。青年男子は戦場に征き、国には女子供老人だけが残された。「錦」という仲の良い夫婦も、夫を戦場に送り出さなければならなかった。

○「錦」婦人は夫のいない間毎日酒作りを続け、酒瓶に麻紐を巻いて年数を数えながら夫の帰りを待ち続けた。

○「皖」軍の形勢が悪く、錦婦人は長く消息のない夫を探して、麻縄が何重にも巻かれた自分作った酒を持って戦場に向かった。

○錦婦人はある戦場で、自分の酒を神にささげて夫の無事を祈った。すると大地が割けて大きな雷鳴がとどろき、ロケットのようなものが現れて敵を滅ぼしてしまった。

○「錦」夫婦は無事に「皖」の地に戻り、以来麻縄を巻いた容器に酒を蓄えることが平和のシンボルとなった。

(以下直訳です)

安徽、“皖”を略称する。元朝の初めの年にいて、中国は最初で彊が省みることを画することを封じて、安慶を省くことを造って、すぐまっすぐに“皖”と呼ぶ。周時、安徽土地の境界は皖の国として、山は皖の山と称して、水為の皖の水、安徽は皖を略称して、即の源于のこれ。

《古今の図書集は成功する.に基づく山河の典は》記載して、周文王は建国していて初期に安徽土地の境界に皖の伯に与えたことを封じて、それ以後の皖の伯の領地はすぐ“皖”商号によって皖の国と称する。皖の伯在の皖国政の績は非常によくて、皖の山(現在の天柱山)南ふもとには皖の伯廟があって、皖の地は皖の伯のためそれで名をあげる天下、後世を伝えることを受ける。我が国が最も早い長編叙事詩《孔雀南東は飛ぶ》の談はすぐ皖国境が含ませることが発生する。

春秋時期、皖の国は個理想の国家です。向こうは雲霧のからみついた皖の山が、青い波が渦巻く皖の水、向こうは丹精した豊かな人々を止めている。彼らは江林を採取して、錦織は耕作して、醸造する笙に合わせた歌。

皖の地は醸造して流行して、それで皖の人の酒造の技はこだわる。一夫の婦が和錦を倒して作った酒を醸造して、色は臭った甘を潤して、ぐっすり濃い悠遠、皖国遠の近いことに有名です、無人は及ぶことができる。彼らは酒造に依って生とする、幸福の生活を過ぎている。

但し、斎楚の制覇の紛はかえってこちらの穏やかな平和を打破したことを戦って、皖国也はどうしても他族の侵略を防御する。そこで少壮の青年は出征して砂原を戦う、ただ婦人と子供老人俗人故郷が身内の立ち返ることを望むことを守ることを残して、錦夫婦が同様にどうしても涙を振るって辞去することを倒す。

錦は依然として毎日醸造して、夫の立ち返ることを待る。毎回夫を思って、錦はすぐ酒の瓮によじれてちょっと麻縄を囲んで、生活はちょっと毎日過ぎ去って、密密麻縄の無数の酒の瓮が錦を公示して夫の倒れた無盡に懐かしむことをまとった。錦は夫が早く平安に飲んだ出来るだけ預けていることの限りのない情意の酒に立ち返ると期待していて、彼女は毎日の懐は覚めると期待することを着てかえって失望が眠って行くことを枕にしている。

数カ月は過ぎ去って、前線は継続的に敗戦凶報を伝えて来て、苛立って控える錦は倒れる音消息が全然なくて、懐は気がもめた心を着て、帯上にいっぱいの麻縄の酒の瓮をまとって、遠い距離の形容の尋夫。

辛さを経験し尽くして、錦は辺境の要衝兵舎を設営する場所に差し掛かって、幾は尋ねることを経っておよそ夫を知ることができてどこにあることを計算して、ただまだ間に合わなくて見上一面にかえって夫を知ることができてすでに戦場へ急行するニュース、それでこれは勝率を持って甚だ小さい。焦心の錦はそこで酒の壇を祭り上げていて、広々とした野原に差し掛かって、寂しい天地大風の蕭蕭、彼女は酒の壇に頭頂がひざまずいて地にいることを引き上げたことがあって、天長の嘆を仰ぐ

“もし天地有霊、すぐ賜の福の皖の国を頼む!もし蒼天は私の心の誠を知れば、私は自分の生命交換することによって手に入れた倒れることと他の将士で平安に立ち返りたくて、願いの皖の国圧勝!”

酒の壇に石打を撃って砕けさせることを話していて、淡い青色を潤す酒の液は土にしみ込む、厚みのある酒はぐっすり拡散する空の果て、長い間絶。急に、大風で土砂の降るどんよりした天気の天空はいっしょに巨大な雷光が開を割られる、雷鳴は轟いて、こちらの一切を震撼している。瞬間の時のにわか雨は傾く瀉、降雨量は無の生きる機会の広々とした野原を流し込むことができて、同時に同様に戦場上敵軍猛烈のロケットを滅ぼしたことを浴びせて、すぐれてよい武器を喪失して、敵軍は間に合わなく戦術を転換して継続的に敗退して、それで勇猛の皖の軍はかえって烈風のにわか雨中越の戦越勇に勝ちに乗じて追撃して、敵軍は完敗する。

雨が過ぎて空がからりと晴れて、虹は見えて、皖の軍将士は勝っていてそれで帰する。いっぱいの生花の山野を開いて、馬は前の2人の私的な影相依を背負って、すぐ錦と夫は故内を還す。

これ、皖人々はすでに麻縄で瓮が酒を蓄えることをまとって、酒が祭ることを奉じることをまいて、平安であるために。現在、皖中国固有の文化の地の安徽の人は古代に醸造したものがよく練れていてむだがないことを受けてそのとおりにして、融合する現代の工業技術、1種の佳が醸造することを製造し出して、この酒は凝結した麻瓮の酒香気の風格と趣、それぞれの飲んだこれは人の1種に与える時空を通り越す思い浮かべ。その源自古の皖の国の酒造風格と趣のため、またしばしば経験した世代が改良と語り継ぐこと、したがって名声を得る:皖の国春秋。



2008年11月16日(日) ノセダ・N響の「スコットランド」

NHK教育テレビで「ジャナンドレア・ノセダ」指揮、NHK交響楽団演奏のメンデルスゾーンの「スコットランド」を聞きました。昨年10月収録です。「篤姫」を見てから風呂に入り、急いでテレビを付けて1楽章の途中から聞いたのですが、普段のN響にない非常に積極的な演奏なので、妻を誘って最後まで聞いてしまいました。

ノセダの名前はマリーンスキー劇場のオペラかバレーの公演で知っていましたがまともにオケで聞いたのは始めてです。ゲルギエフの弟子だけあって物凄いダイナミックな演奏をする指揮者です。「チョン・ミョン・フン」にも習っていたという経歴を見ると「熱演系」の指揮者であることは間違いありません。しかし、あのN響(しかもコンマスは掘さん)をこれほどドライブできるのは「ただ者」ではありません。

ジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda)は1964年イタリアのミラノ生まれ、ミラノで指揮とピアノを学び、1997年からワレリー・ゲルギエフに招かれてマリインスキー歌劇場に入りました。さらにロッテルダム交響楽団、BBC交響楽団の指揮者にも指名されています。何れのオーケストラもゲルギエフと関わりを持っています。どうもゲルギエフ関連でゲルギエフのサブで指揮をしていて「ひとり立ち」したという感じです。「オケ」をドライブする能力はゲルギエフが見出したとは言えノセダの生来の才能なのだと思います。パーヴォ・ヤルビとかメストはどちらかと言うと「クール」な演奏をしますがハーディングとかノセダは「熱演」タイプです。若い才能がどんどん出てくるので非常に面白くなってきました。

N響の演奏にも触れておきます。それぞれ特色のある4つの楽章が最後まで緊張感(と感動)を持って演奏されました。弦楽器群の好演は良く有ることですが、メンデルゾーンでは管楽器の燃焼度も凄いものがあったと思います。特にホルンパートはヨーロッパの一流オケを聞くような洗練されていて力強い音がしました。さすがに「N響」という感を強くしました。ノセダを是非もっと沢山招いて欲しいと思いました。



2008年11月15日(土) ヒラリー・ハーンのブラームス

先週聞いたジャパンシンフォニアのブラームスのバイオリン協奏曲ですが、今日はヒラリー・ハーンのCDを聞きました。

演奏:Academy of St. Martin in the Field
指揮:Sir Neville Marriner
バイオリン:Hilary Harn
収録曲:ブラームス、ストラビンスキー「バイオリン協奏曲」
録音2001年2月(ストラビンスキー)6月(ブラームス)於ロンドン

この演奏はバックがマりナーなので非常にオケの音が分厚くて安定感があり、オーケストラパートだけでも素晴らしい演奏だと思います。ハーンの独奏も充実しています。2003年のアカデミー賞を受賞したというのも頷けます。ブラームスの前に出した「ベートーベンのバイオリン協奏曲」では、「ジンマン」指揮のボルティモア交響楽団の伴奏が興ざめだったのです。ハーンの故郷がボルティモアなので競演の機会が多いはずなのですが、この録音はお勧めできません。ハーンの独奏もどことなく居心地が悪いのです。

ブラームスは素晴らしい録音です。ハーンの演奏はテクニックが物凄いレベルなので音の粒立ちが素晴らしいです。そして非常に理知的な演奏であるというのもハーンの特徴です。ブラームスが考えて考えて色々な効果を散りばめていますが、ブラームスの意図をズバリ、ズバリと期待通りに決めていってくれます。

現代活躍している若手バイオリン奏者の中でハーンが頭ひとつ抜け出していると思います。

ヒラリー・ハーンのホームページ



2008年11月12日(水) 仏陀の生まれ変わりの少年

'Buddha boy' reappears in Nepal

Ram Bomjan's followers are convinced he is the reincarnation of Buddha Thousands of devotees have flocked to see a teenage boy in Nepal who many believe is the reincarnation of Buddha.

The boy re-emerged from the jungle in southern Nepal after retreating there for more than a year, officials say.

Ram Bomjan, 18, appeared on Monday near the town of Nijgadh, about 160km (100 miles) south of the capital, Kathmandu.

His followers claim that he is an incarnation of Lord Buddha, who was born in the Nepalese town of Lumbini more than 2,500 years ago.

Mr Bomjan - sometimes known as "Little Buddha" - made international headlines in 2005 when tens of thousands of people gathered to see him sitting cross-legged under a tree for nearly 10 months, reportedly without food or water.

Since then he has disappeared into the jungle and re-emerged several times.

11日のBBCの記事ですが、ネパール南部に「仏陀の生まれ変わり」と信じられている少年が久し振りに現れたそうです。少年は18歳で名前は「Ram Bomjan」といいます。2005年に現れた時に、10ヶ月近く飲まず食わずで座禅をしているところを人々が崇拝したのだそうです。その後何回か現れたてはジャングルに消えていったということで、今回は1年以上ぶりの出現なのだそうです。彼の年齢が18歳だとどうして分かるのか疑問ですが、平和に活動してくれれば有難いと思います。

「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」に「キリストが出現する話」が出てきます。教義や教団が確立した宗教と「その創始者」の関係はむしろ非常に難しいのだという話の筋ですが、少年が仏陀の生まれ変わりであれば、たぶん現在の仏教、あるいは仏教僧の有り様にだいぶ驚くことでしょう。




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