KENの日記
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2008年09月14日(日) スリランカフェスティヴァル、中秋の満月



スリランカフェスティバル2008が代々木公園で行われました。今日は妻と娘を誘って覗いて来ました。娘へのインド土産の「パンジャビ」はまだお披露目したことがありません。今日は妻と娘にパンジャビを来てもらっていってきました。(娘は上着とショールだけでパンツはジーパンでした)

日曜日それも3連休の中日の代々木公園(駅は原宿)はものすごい人出です。さらにものすごいファッションです。目立つ色の妻の娘のパンジャビもあまり目立ちませんでした。ファッションと騒音の溢れる公園を通り過ぎて、会場に行くと昨年同様、スリランカフェスチバルは賑わっていました。年々日本で働くスリランカ人が増えているようで、年に一回のこの催しは「スリランカ人」の同窓会のような感じになって来ました。

昼御飯を会場で食べたのですが、昨年同様食事を取るテントの椅子とテーブルが殆ど満席で座る場所がありません。仕方が無いので私が立って食べることになります。スリランカ料理はインド料理に比べても「美味い」ものではないのですが、今回もその感を強くしました。これではファンを増やすことにはなりません。

私達が注文の順番待ちで並んでいると、スリランカ仏教僧が横から割って入って順番を守らずに料理を購入していきました。文句を言うと日本人仏教僧(らしき人)が「ただ会話しているだけだ」と2回も誤魔化しました。スリランカ仏教僧は5百円払ってサモサみたいな食べ物を買って行きました。スリランカで仏教僧は特別の地位にあることは知っていますが、あまりにも礼儀を弁えない仏教僧の仕草に腹が立ちました。スリランカの仏教を堕落させているのはこのような節操にない仏教僧がいるからだと思います。彼等はいったい何を修行しているのでしょうか。今回スリランカ仏教を紹介するテントが沢山ありましたが、このような仏教僧の存在によって私としてはかなり印象を悪くしました。

今日は中秋の満月です。記念に写真を取りました。




2008年09月13日(土) コシ・ファン・トゥッテ:さいたまシティオペラ 




さいたまシティオペラ18回公演の「コシ・ファン・トゥッテ」を聞いてきました。会場は南浦和の「さいたま文化センター・小ホール」。12日から始まった3日間公演の第2日目です。左手の舞台の袖に伴奏ピアノ。指揮者が最前列の列の中央に陣取っていました。

キャスト

フィオルディリージ:稲見裕美
ドラベッラ:見崎千夏
デスピーナ:谷川深雪
フェランド:谷川浩之
グリエルモ:原田圭
アルフォンソ:杢子淳

結論から言うと、非常に丁寧な作り・心のこもった演奏で、良いオペラ(劇)を聞いたという感慨で非常に嬉しくなりました。帰りは電車を使わずに歩いて帰ってしまいました。原語はイタリア語のはずですが今日は「中山悌一」訳の日本語上演。衣装こそ洋風ですが、訳詩が良かったせいもあるのでしょうが、日本人が日本語を歌うのは非常に自然で違和感がありませんでした。むしろ日本語の方が感情移入がはっきりするし、洒落や台詞が音楽と演技にぴったりはまっていたと思います。

オペラを見てくると「誰が良かった、誰の声が出ていなかった」などという感想を持つのですが、今日は別でオペラ全体が面白かったと思います。日本語上演なので「訳」を見る必要もなく、内容がしっかり把握できたと言う理由もありますが、今日のオペラの作りが素晴らしかったことが最大の理由だと思います。「チームワークの良さ」と演技、衣装、舞台装置が非常に丁寧なものになっていたことが公演を素晴らしいものにしていたのだと思いました。

チームワークと言うと、フィオルディリージ役の稲見さんとフェランドの稲見さんが御夫婦であることもひとつの要因であるかもしれません。二人の姉妹、二人の親友、二人の仕掛け人(アルフォンソ・デスピーナ)のコンビが非常に息が合っていたことも特筆されます。またそれぞれの登場人物の性格の描き分けがしっかりできていたと思います。二重唱の場面は非常にバランスが良かったと思います。

このようなオペラでしたが土曜日の午後の公演、それも小ホールなのに空席が目立ちました。本当にもったいないと思いました。内容が内容だけに小中学生に聞かせるオペラではありませんが、もっと多くの人に聞いてもらいたい水準だったと思います。



2008年09月05日(金) パーヴォ・ヤルビ/フランクフルト放送交響楽団演奏会

NHK教育テレビの芸術劇場でフランクフルト放送交響楽団演奏会を聴きました。演奏曲目などは以下のとおり。

ベートーベン作曲ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
ブルックナー作曲交響曲第7番ホ長調ノバーク版
アンコール:ステーンハンマル カンタータ《歌》より間奏曲
ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー
指揮:パーボ・ヤルビ
2008年6月3日、サントリーホールでの録音

全部をキチンと聴いた訳ではないのですが、非常に好感の持てる音楽が聴けて幸せな気分になりました。水曜日に同じサントリーホールで聞いた「ヴィルトゥオーゾ・オーケストラ」の演奏に落胆したばかりだったので、久し振りに「心に染み入る音楽」を聞いた感じです。

最初の「皇帝」は今話題のグリモーのソロ。彼女は演奏よりその容姿で注目されています。少し「硬い」感じで、力が完全に抜けていると言うわけではないですが、音楽をキチンと丁寧に弾いているところは好感が持てました。特に本人がそのことが分かっているようで弱音部では緊張を解すかのように深呼吸をしていることが分かります。これから場数を踏んでいくともっともっと力の抜けた演奏が可能ではないかと思いました。今後が非常に楽しみです。

ブルックナーでは「パーヴォ」の音楽を十分に楽しむことができました。第一楽章から非常にゆったりと始まりました。この交響曲では2楽章が全体の山場になる演奏が多いですが、パーヴォは1楽章も決しておろそかにせずにタップリと聞かせました。特に弦楽器の美しさが目立ちます。その美しさは2楽章においても全く変りませんでした。金管楽器の音のまろやかなこと。決して咆哮して弦楽器の音を消しません。特にトロンボーン・ワーグナーチューバの「押さえた演奏」は白眉だったと思います。こんな2楽章は珍しいです。

テレビカメラがやたらとソロをアップする画面構成が音楽を聞く邪魔をしていたと思います。2楽章のワーグナーチューバ、3楽章のトランペットは決して目立つ演奏ではありません。あくまでも全体の流れ、他の楽器の音とのバランスで聞いて欲しいというのがパーヴォの狙いだと思うのに、そこだけアップされます。確かにそういう演奏もありますが・・・。

パーヴォの作り上げるブルックナーは独特のものだと思います。番組最初のインタビューで彼は「神々しい音楽ではなく人間的な音楽」というようなことを言っていました。ブルックナーの交響曲を「神々しい」あるいは「人間を超えた」と言うように考える向きをありますが、パーヴォはもっと素直に、自然に演奏したのだと思います。それが非常に新鮮に聞こえたのではないでしょうか。同じことを別の人が考えてもこのような演奏になるとは限りません。パーヴォの人間的な魅力がオーケストラに伝わっているのだと思います。

アンコールはスェーデンの作曲家「ステンハンマル」の間奏曲が演奏されました。非常に美しく、パーヴォのステンハンマルに対する思いが現れた感動的な演奏でした。水曜日のヴィルトゥオーゾオーケストラのアンコールがスラブ舞曲・ハンガリー舞曲、それも騒がしい曲を2曲も演奏したことに比べると、そのセンスの良さが際立ちます。「パーヴォ」に目が離せないと言う感を強くしました。

世界の楽壇を担うであろう若手指揮者を概括して見した。自分と同じ世代・自分より若い世代が楽壇を引っ張る時代になりました。それぞれがユニークな個性を持っていて目が離せません。

ワレリー・ゲルギエフ(1952)、キーロフ、ロッテルダム、ロンドン
チョン・ミョンフン(1955)、ローマ(スカラ)、フランス国立放送
サイモン・ラトル(1955)、ベルリンフィル
ケント・ナガノ(1951)、モントリール
フランツ・ウエザー・メスト(1960)、クリーブランド、ウイーンフィル
クリスチャン・ティーレマン(1959)ミュンヘン、ドュッセルドルフ
パーヴォ・ヤルビ(1962)フランクフルト、パリ管



2008年09月03日(水) ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ演奏会

日本のプロオーケストラの首席演奏者等から構成されているジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラの演奏会に行ってきました。会場はサントリーホール。実は2日の演奏会を希望して当選していたのですが、急用が入ってしまい、主催のNTTデータの広報室にお願いして3日に変えて貰ったのでした。随分昔NTTデータに所属していたことがあったので、広報室の方は知る由もないのですが、気安くお願いしてしまいました。演奏曲目・指揮者・ソリストは以下の通り。

1.歌劇「リュスランとリュドミラ」序曲。
2.ベートーベン交響曲第7番
3.交響組曲「シェラザード」
(アンコール)
1.ドボルジャーク「スラブ舞曲第8番」
2.ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」

指揮:ムーハイ・タイ(上海音楽大学教授)
コンサートマスター:ハーヴィー・スーザ


NTTデータ主催で抽選で当たった「無料」のコンサートだったのですが、正直言って少し「後味が悪い」のものでがっかりして帰ってきました。「ビルトゥオーゾ・オケ」は三枝成彰が提唱して組織されたもので、各プロオケの首席クラスの臨時編成オケ。確か最初の演奏会の曲目は「ローマの松」だったと思います。テレビで放送され、日本人オケとしてしっかりした(馬力の面)演奏だったことを記憶しています。始めから細かいニュアンスだとか、こなれた美しい音色は期待できませんが、指揮者がムードを盛り上げれば「名演」も可能だろうと考えて応募したのでした。

「サイトウ記念オケ」が一応「斎藤秀雄門下生+小沢の音楽に付いていく」というコンセプトがあるとすると、こちらは「とにかく首席クラスを並べる」というコンセプトだけで、どのような音楽を演奏するのかは指揮者次第であるといえます。

その指揮者(ムーハイ・タン師)の音楽は期待の正反対のものでした。これは技術の確かなオケから、ものすごいスピードでも音楽の輪郭が崩れないスリリングな音楽、あるいはここぞと言う時の管楽器・弦楽器の分厚い音を引き出すことを狙ったように思えます。細かくニュアンスだとか、弦楽器の艶のある和音だとか(例えばべト7の2楽章)を聴くことはできませんでした。

集められた演奏者からすると、代表して意見を言うべきコンサートマスターが外国から招聘されていて主催者側に文句が言える立場ではないし、指揮者は主催者側が選んだ人であるのですから、解釈に不満があっても黙って演奏するしかないですね。選ばれたという「名誉」とある程度の出演料をも貰っているのでしょうから。因みにコンサートマスターはインドのボンベイ出身の若手のバイオリニストでした。ひょっとするとボンベイ室内オケで「ジニー先生」の教え子かもしれません。

ムーハイ・タイさんは「決め」を重視する指揮手法に加え、過剰な「キュー出し」が気になり、どういう音楽をやりたいのかまったく見えてきません。とにかく「スピード」と「強弱(キメ)」だけを強調した音楽に聞こえてしまいます。日本とインドと中国が力を合わせても西洋音楽の分野では新参者という域をでない演奏になってしまいました。

三枝さんが日本楽壇の成長の真価を見せるために組織した「ヴィルトゥオーゾ」ですが、正しく現在の状況を表しているようでした。つまり現在のプロのオーケストラが非常に危険な状況を迎えているということ。音楽大学の増加、子供の頃からの訓練環境の大幅な進歩によって、技術的には非常に高いモノがあるけれど、演奏者自身が本当に音楽を楽しんでいるとは決して思えないのです。少なくとも今日のベートーベンの7番などは、演奏者側もつまらなかったと思います。

サッカーの全日本も頼りないし、オリンピック野球チームもしまりのない試合をしましたが、似たような組織の「ヴィルトゥオーゾ」も名演を聞かせることはできませんでした。



2008年08月30日(土) グルジア紛争関連

グルジアからの独立を望むグルジア国内の「南オセチア」を支援する目的でロシア軍がグルジアに進攻しました。諸外国の非難も何のそのでロシアは南オセチアの独立を承認しました。

このグルジアとオセチアの紛争に関係して、ワレリー・ゲルギエフが8月21日、南オセチアの州都の「ツヒンバリ(Tskhinval)」の州議会ビル前でオセチア支援のコンサート開きました。色々な情報を集めてみると以下のようなコンサートであったようです。

指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演奏:マリインスキー歌劇場オーケストラ(全員黒い喪服着用)
演奏曲目
:チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
:ショスタコービチの交響曲第7番「レニングラード」

このショスターコーヴィッチの交響曲第七番は1942年ドイツのソ連進攻を跳ね返した勝利の記念としてムラヴィンスキーによって初演されました。また同じ年にゲルギエフの師であるイリヤ・ムーシンもタシケントで演奏したという記録があります。

ゲルギエフはオセチア人の両親のもとにモスクワに生まれ、北オセチアの州都ウラジカフカス(Vladikavkaz)で教育を受けました。彼の通ったウラジカフカス音楽学校はゲルギエフの名前をとって改称(the Valery Gergiev Music Academy)したとのことです。因みにゲルギエフの若い奥様もこのウラジカフカスの学生の時に知り合ったようです。

これほどゲルギエフはオセチアに関係が深いのですが、今回の演奏会は少し気になります。ゲルギエフがあまりにも「プーチン」寄りの政治姿勢を明確に表し過ぎていると思えるからです。現在の大国ロシアといえば、資源・軍事力に加えて「マリインスキー歌劇場」を筆頭に大活躍している音楽家が大きな武器になっていると思います。指揮者のゲルギエフ、歌手ではネトレプコ、ホロストフスキーなど世界中で引っ張りだこになっています。このような芸術家はできれば政治色を前に出さないで欲しいと思います。

かつてのムラビンスキー・レニングラードはソ連の体制化において独自の立場を築き世界に例を見ない崇高な音楽を作り出していました。もともと貴族出身のムラビンスキーが共産主義体制化で生き残れたのは、政治との付き合いを上手くこなしていたからです。体制にべったりだと音楽が堕落してしまったでしょうし、体制に真正面から反抗したら「命」がなかったでしょう。そうした緊張が深い洞察を生んでいたのではないでしょうか。



2008年08月29日(金) ズボンプレッサー購入

これまで殆ど毎週週末は妻のワイシャツアイロン掛けの後に、妻にも協力してもらってズボンの「アイロン掛け」をしてきました。一週間とっかえひっかえ穿くズボンは最低でも5本になります。翌週も気持ち良く仕事に出るためには欠かすことのできない作業でした。

少し前から、電化製品が進歩して便利な「ズボンプレッサー」があるのではないか、もし便利であれば買ってみようと考えていました。海外のホテルにはズボンプレッサーが備えられている所が多いです。でも行き帰りの飛行機はカジュアルなズボンを穿いていくことが多いのでプレスする必要がありませんでした。スーツケースに入れていくと「ズボン」よりは「上着の皺」の方が気になりますので、アイロンは結構使いましたがズボンプレッサーは殆ど使いませんでした。

インターネットで調べて見ると、「コルビー社(Corby)」のズボンプレッサーの人気が高いことが分かりました。日本の家電メーカでないところが大きな期待となりました。コルビー社は1930年創立のイギリスの会社で、最初「上着掛け」を製造していたそうですが、上着掛けにズボンプレス装置を追加した現在のようなスボンプレッサーを考案したようです。1960年にはズボンプレス装置を電気式に変えたようです。それ以来ズボンプレッサーでは非常に有名な会社となっているようです。

コルビー社のホームページ

早速インターネットでクレジットカード払い可能で一番安いサイトを探して購入しました。使って見て大変便利なことに驚いています。仕事から帰ってきて脱いだズボンをプレッサーの掛けておくと、翌朝には皺が綺麗にとれてピシっとしています。サラリーマンの強い見方ですね。



2008年08月24日(日) ケルテスの録音

最近指揮者「イシュトヴァン・ケルテス」の録音が発掘されてCD化されています。コロンビアが西ドイツの「オイロディスク社」のテープから貴重な音源を発掘してCD化しているようです。

コロンビアの関連ホームページです。

今年になって発売された以下の二枚のCDを購入しました。

1.モーツァルト:ミサ曲 ハ長調 K.317「戴冠式ミサ」
2. ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」 *
イシュトヴァン・ケルテス指揮、ウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団、エディット・ガブリー(ソプラノ)、ヒルデ・レッスル=マイダン(アルト)、ヴァルデマール・クメント(テノール)、オットー・ヴィーナー(バス)、バンベルク交響楽団*

1. モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.314
2. ハイドン:協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I−105
イシュトヴァン・ケルテス指揮、バンベルク交響楽団、スザンネ・ラウテンバッハー(ウ゛ァイオリン)、ウルリヒ・コッホ(ヴィオラ)、ペーター・シュヴァルツ(チェロ)、ヴィンフリート・リーバーマン(オーボエ)、ハンス・ベーア(ファゴット)

両方とも非常に清冽でケルテスらしい素晴らしい演奏です。モーツアルトの得意なケルテスだけに「戴冠式ミサ曲」と「協奏交響曲」は嬉しい限りです。「戴冠式ミサ曲」のソプラノを歌っている「エディット・ガブリー」はケルテスの奥様であるとのこと。録音の時にケルテスは32歳ですから、奥様も多分その位な年齢で若いカップルの演奏だったのだと思います。

1973年4月16日、ケルテスはイスラエルの海岸で高波にさらわれて亡くなりました。その時の事情を少し詳しく知ることができます。実は日本人バス歌手の岡村喬夫さんがケルテスの遭難の現場に居合わせていました。そのことが岡村さんのホームページに抜粋されています。

岡村喬夫さんの関連ホームページ

ケルテスが亡くなって35年になりますが、このように新しい音源の発掘があり、限り有るとはいえ素晴らしい演奏が紹介されることは非常に有難いことです。今後も発掘を期待したいものです。



2008年08月18日(月) Subhash Chandra Bose 64回忌




今日8月18日は、スバーシュ・チャンドラ・ボースの64回忌です。戦後ずっとボースの遺骨を安置してきた杉並区の「蓮光寺」において法要がありました。昼から休暇をとって妻といっしょに参加してきました。今年は盆明けの月曜日という関係もあってか、一般参列者特に外国人の参加が少なかったようです。今回3回目の参列なので大分要領が分かってきました。更に今回受け付けで頂いた「ネタジと日本人」という出版物でこれまでの歴史が大分分かってきました。




この法要は「蓮光寺」様が主催されていますが、ボースに縁のある方々で組織された「スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー(アカデミー)」というが協力して執り行われています。このアカデミーは第二次世界大戦中に「ボース」を支援した日本軍の方々及び、ボースによって派遣されたインド軍人留学生を日本でお世話した方が組織されたものです。しかし当時を知る関係者が亡くなったり病気になったりして、活動は次第に縮小してきているようです。実際嘗て運営されていたホームページも更新が無くなり、記事だけが検索に引っかかる程度になっています。

今回はインド大使館から次席大使が参列されました。インド政府の公式な見解はともかく、日本に派遣されたインド政府の代表として暖かい挨拶をされました。また日印協会の方が多数参加されたようです。これは発展するインド経済が日本にとって非常に重要になってきていることの証だと思います。蓮光寺のある杉並区長も参加され、自治体としてインドとの繋がりを深めているようです。

法要の後は恒例になっている茶話会にも参加してきました。これは色々な方の挨拶があったり、偶然に近くに座った方々と話ができる非常に貴重な機会です。今日もボースに直接関係のあった91歳になられる方の挨拶もありました。ボースと縁のある方々が非常に高齢になられていることが非常に心配の種です。近くに座り話ができた方はお二人。「インド独立の志士と日本人」と言う本を書かれている「原」さん。そして、画家のお父様が絵の売上金をボースに寄付したことでボースと縁があったというデザイナーの「松本」さん。原ささんは前から本を読んでいて共感するところが多く面白い話を聞くことが出来ました。

こういう集まりでは「サラリーマンの名刺」は全くと言っていい程価値がありません。私の立場は「会社の都合」でたまたまインドに住む機会があり、そこでインドの人達と知り合い、インドの歴史を日本と関係から考える機会があったということだけです。インド仏教と日本仏教、ヒンズー教の日本への影響、拝火教社会のこと、そしてインドの独立の歴史(植民地支配)と日本の歴史などを素人として考えてきたということでしょうか。興味をもって少しづつ調べていくと、偶然ですが様々な人と「関わり」が出てきます。その関わりがどのように発展していくか。これも興味深いものです。



2008年08月15日(金) 図書館へ

さいたま県立図書館で取り寄せをお願いしておいた「本」が届いたとのメールがあったので、昼から行って閲覧してきました。翻訳している「キラーリ・クロッシング」には「シェリー」を始めとして多くの詩が引用されています。作者のスリヤクマランさんはイギリスに留学していた頃にイギリス詩特にシェリーを勉強したようです。「キラーリ・クロッシング」の翻訳の仕上げとして、小説に登場する「詩」の訳文を推敲しようと「詩集」を借りたのでした。

さいたま県立図書館は、浦和・熊谷・久喜の3つの図書館によって構成されています。そして各図書館の収蔵図書は原則として以下のようになっているのです。

   浦和図書館 :社会科学、産業
   熊谷図書館 :総記、哲学、歴史
   久喜図書館 :自然科学、技術、芸術、言語、文学

従って「詩集」は殆ど全てが久喜図書館に収蔵されているので、インターネットで注文して「浦和」に持ってきてもらって閲覧することとなります。シェリー詩集の中で、私が持っている新潮文庫以外の5冊と、ダンテの新曲(煉獄)の6冊を閲覧しました。

キラーリ・クロッシングの作者のスリヤクマランさんはシェリーの詩から以下の詩の一部分を引用しています。

   「ひばりに寄せて」
   「おじぎ草」
   「月」
   「ヘラス」から最終のコーラス

そのほかの詩人では次の作品からの引用があります。

   「早春」    ワーズワース
   「江雪」    柳宗元
   「神曲」    ダンテ・・・煉獄編冒頭
   「ルバイヤート」ウマルハイヤーム

有名な詩もあれば全く日本語訳のない詩もあります。今回ダンテの「神曲」を始めて手に取る機会がありました。14世紀初頭に書かれた詩集ですがとんでもない作品であることを知りました。ルネサンスの先駆者として聖書とかギリシャ・ローマ文学をふんだんに引用していますから、内容を把握するのは相当な文学的な素養を必要としますね。

「ルバイヤート」も今回の小説翻訳をきっかけに知りました。作者のウマル・ハイヤームは11世紀のペルシャの詩人です。数学でも知られた人物です。彼が活躍した時代はイスラム教が伝わってから月日が経っていなくて、まだ色々な宗教が現実に活躍していたようです。「ルバイヤート」にはゾロアスター教のことも沢山出てきます。文芸が盛んで医学・数学が発達していた11世紀頃のペルシャを想像すると大変面白いです。ギリシャ・ローマの文化を吸収した中東の人々(イスラム出現前は基本的にゾロアスター教)が、イスラム教の影響下で世界的な文化を花開かせたと言えるからです。



2008年07月26日(土) 麦焼酎「潤の醇」




醸造元:宮崎県日南市飫肥8-1-8 小玉醸造合名会社
焼酎名:「潤の醇」
原材料:麦「イチバンボシ」、米白麹

南浦和の稲荷屋酒店のご主人に紹介された若手醸造家「金丸潤平」氏の麦焼酎です。以前に味わいのある「紅芋焼酎」を紹介されたので、次に「麦」を試してみました。非常に繊細な味わいを持つ焼酎です。大量生産ではこのような酒は造れないでしょう。麦焼酎本来の味わいはこういうものかと再認識しました。これまで「赤芋」や「黒糖」に拘ってきましたが、「麦」もいいですね。




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