| 2008年08月29日(金) |
ズボンプレッサー購入 |
これまで殆ど毎週週末は妻のワイシャツアイロン掛けの後に、妻にも協力してもらってズボンの「アイロン掛け」をしてきました。一週間とっかえひっかえ穿くズボンは最低でも5本になります。翌週も気持ち良く仕事に出るためには欠かすことのできない作業でした。
少し前から、電化製品が進歩して便利な「ズボンプレッサー」があるのではないか、もし便利であれば買ってみようと考えていました。海外のホテルにはズボンプレッサーが備えられている所が多いです。でも行き帰りの飛行機はカジュアルなズボンを穿いていくことが多いのでプレスする必要がありませんでした。スーツケースに入れていくと「ズボン」よりは「上着の皺」の方が気になりますので、アイロンは結構使いましたがズボンプレッサーは殆ど使いませんでした。
インターネットで調べて見ると、「コルビー社(Corby)」のズボンプレッサーの人気が高いことが分かりました。日本の家電メーカでないところが大きな期待となりました。コルビー社は1930年創立のイギリスの会社で、最初「上着掛け」を製造していたそうですが、上着掛けにズボンプレス装置を追加した現在のようなスボンプレッサーを考案したようです。1960年にはズボンプレス装置を電気式に変えたようです。それ以来ズボンプレッサーでは非常に有名な会社となっているようです。
コルビー社のホームページ
早速インターネットでクレジットカード払い可能で一番安いサイトを探して購入しました。使って見て大変便利なことに驚いています。仕事から帰ってきて脱いだズボンをプレッサーの掛けておくと、翌朝には皺が綺麗にとれてピシっとしています。サラリーマンの強い見方ですね。
最近指揮者「イシュトヴァン・ケルテス」の録音が発掘されてCD化されています。コロンビアが西ドイツの「オイロディスク社」のテープから貴重な音源を発掘してCD化しているようです。
コロンビアの関連ホームページです。
今年になって発売された以下の二枚のCDを購入しました。
1.モーツァルト:ミサ曲 ハ長調 K.317「戴冠式ミサ」 2. ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」 * イシュトヴァン・ケルテス指揮、ウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団、エディット・ガブリー(ソプラノ)、ヒルデ・レッスル=マイダン(アルト)、ヴァルデマール・クメント(テノール)、オットー・ヴィーナー(バス)、バンベルク交響楽団*
1. モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.314 2. ハイドン:協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I−105 イシュトヴァン・ケルテス指揮、バンベルク交響楽団、スザンネ・ラウテンバッハー(ウ゛ァイオリン)、ウルリヒ・コッホ(ヴィオラ)、ペーター・シュヴァルツ(チェロ)、ヴィンフリート・リーバーマン(オーボエ)、ハンス・ベーア(ファゴット)
両方とも非常に清冽でケルテスらしい素晴らしい演奏です。モーツアルトの得意なケルテスだけに「戴冠式ミサ曲」と「協奏交響曲」は嬉しい限りです。「戴冠式ミサ曲」のソプラノを歌っている「エディット・ガブリー」はケルテスの奥様であるとのこと。録音の時にケルテスは32歳ですから、奥様も多分その位な年齢で若いカップルの演奏だったのだと思います。
1973年4月16日、ケルテスはイスラエルの海岸で高波にさらわれて亡くなりました。その時の事情を少し詳しく知ることができます。実は日本人バス歌手の岡村喬夫さんがケルテスの遭難の現場に居合わせていました。そのことが岡村さんのホームページに抜粋されています。
岡村喬夫さんの関連ホームページ
ケルテスが亡くなって35年になりますが、このように新しい音源の発掘があり、限り有るとはいえ素晴らしい演奏が紹介されることは非常に有難いことです。今後も発掘を期待したいものです。
| 2008年08月18日(月) |
Subhash Chandra Bose 64回忌 |

今日8月18日は、スバーシュ・チャンドラ・ボースの64回忌です。戦後ずっとボースの遺骨を安置してきた杉並区の「蓮光寺」において法要がありました。昼から休暇をとって妻といっしょに参加してきました。今年は盆明けの月曜日という関係もあってか、一般参列者特に外国人の参加が少なかったようです。今回3回目の参列なので大分要領が分かってきました。更に今回受け付けで頂いた「ネタジと日本人」という出版物でこれまでの歴史が大分分かってきました。

この法要は「蓮光寺」様が主催されていますが、ボースに縁のある方々で組織された「スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー(アカデミー)」というが協力して執り行われています。このアカデミーは第二次世界大戦中に「ボース」を支援した日本軍の方々及び、ボースによって派遣されたインド軍人留学生を日本でお世話した方が組織されたものです。しかし当時を知る関係者が亡くなったり病気になったりして、活動は次第に縮小してきているようです。実際嘗て運営されていたホームページも更新が無くなり、記事だけが検索に引っかかる程度になっています。
今回はインド大使館から次席大使が参列されました。インド政府の公式な見解はともかく、日本に派遣されたインド政府の代表として暖かい挨拶をされました。また日印協会の方が多数参加されたようです。これは発展するインド経済が日本にとって非常に重要になってきていることの証だと思います。蓮光寺のある杉並区長も参加され、自治体としてインドとの繋がりを深めているようです。
法要の後は恒例になっている茶話会にも参加してきました。これは色々な方の挨拶があったり、偶然に近くに座った方々と話ができる非常に貴重な機会です。今日もボースに直接関係のあった91歳になられる方の挨拶もありました。ボースと縁のある方々が非常に高齢になられていることが非常に心配の種です。近くに座り話ができた方はお二人。「インド独立の志士と日本人」と言う本を書かれている「原」さん。そして、画家のお父様が絵の売上金をボースに寄付したことでボースと縁があったというデザイナーの「松本」さん。原ささんは前から本を読んでいて共感するところが多く面白い話を聞くことが出来ました。
こういう集まりでは「サラリーマンの名刺」は全くと言っていい程価値がありません。私の立場は「会社の都合」でたまたまインドに住む機会があり、そこでインドの人達と知り合い、インドの歴史を日本と関係から考える機会があったということだけです。インド仏教と日本仏教、ヒンズー教の日本への影響、拝火教社会のこと、そしてインドの独立の歴史(植民地支配)と日本の歴史などを素人として考えてきたということでしょうか。興味をもって少しづつ調べていくと、偶然ですが様々な人と「関わり」が出てきます。その関わりがどのように発展していくか。これも興味深いものです。
さいたま県立図書館で取り寄せをお願いしておいた「本」が届いたとのメールがあったので、昼から行って閲覧してきました。翻訳している「キラーリ・クロッシング」には「シェリー」を始めとして多くの詩が引用されています。作者のスリヤクマランさんはイギリスに留学していた頃にイギリス詩特にシェリーを勉強したようです。「キラーリ・クロッシング」の翻訳の仕上げとして、小説に登場する「詩」の訳文を推敲しようと「詩集」を借りたのでした。
さいたま県立図書館は、浦和・熊谷・久喜の3つの図書館によって構成されています。そして各図書館の収蔵図書は原則として以下のようになっているのです。
浦和図書館 :社会科学、産業 熊谷図書館 :総記、哲学、歴史 久喜図書館 :自然科学、技術、芸術、言語、文学
従って「詩集」は殆ど全てが久喜図書館に収蔵されているので、インターネットで注文して「浦和」に持ってきてもらって閲覧することとなります。シェリー詩集の中で、私が持っている新潮文庫以外の5冊と、ダンテの新曲(煉獄)の6冊を閲覧しました。
キラーリ・クロッシングの作者のスリヤクマランさんはシェリーの詩から以下の詩の一部分を引用しています。
「ひばりに寄せて」 「おじぎ草」 「月」 「ヘラス」から最終のコーラス
そのほかの詩人では次の作品からの引用があります。
「早春」 ワーズワース 「江雪」 柳宗元 「神曲」 ダンテ・・・煉獄編冒頭 「ルバイヤート」ウマルハイヤーム
有名な詩もあれば全く日本語訳のない詩もあります。今回ダンテの「神曲」を始めて手に取る機会がありました。14世紀初頭に書かれた詩集ですがとんでもない作品であることを知りました。ルネサンスの先駆者として聖書とかギリシャ・ローマ文学をふんだんに引用していますから、内容を把握するのは相当な文学的な素養を必要としますね。
「ルバイヤート」も今回の小説翻訳をきっかけに知りました。作者のウマル・ハイヤームは11世紀のペルシャの詩人です。数学でも知られた人物です。彼が活躍した時代はイスラム教が伝わってから月日が経っていなくて、まだ色々な宗教が現実に活躍していたようです。「ルバイヤート」にはゾロアスター教のことも沢山出てきます。文芸が盛んで医学・数学が発達していた11世紀頃のペルシャを想像すると大変面白いです。ギリシャ・ローマの文化を吸収した中東の人々(イスラム出現前は基本的にゾロアスター教)が、イスラム教の影響下で世界的な文化を花開かせたと言えるからです。

醸造元:宮崎県日南市飫肥8-1-8 小玉醸造合名会社 焼酎名:「潤の醇」 原材料:麦「イチバンボシ」、米白麹
南浦和の稲荷屋酒店のご主人に紹介された若手醸造家「金丸潤平」氏の麦焼酎です。以前に味わいのある「紅芋焼酎」を紹介されたので、次に「麦」を試してみました。非常に繊細な味わいを持つ焼酎です。大量生産ではこのような酒は造れないでしょう。麦焼酎本来の味わいはこういうものかと再認識しました。これまで「赤芋」や「黒糖」に拘ってきましたが、「麦」もいいですね。
| 2008年07月25日(金) |
スリランカ内戦激化(11)「25年目」 |
1983年7月24日、スリランカの首都コロンボでタミール人市民に対する暴動が各地で発生しました。これが現在まで続くスリランカの民族紛争の直接の始まりでした。今年ついに25年を迎えてしまいました。スリランカ北部を拠点とするタミール人・海外の住むスリランカタミール人はWeb上で様々な声明を発表しています。スリランカの政府側(シンハラ人側)の新聞報道には殆どこれに関連する記事は載っていません。それどころから丁度同じ時期にコロンボで開催されている南アジア地域協力連合(SAARC)のためにLTTEが休戦提案をしたのですが、攻勢を続け各地の戦線で有利になっている政府側はこれを拒否しました。
25年前のスリランカ南部のタミール人に対する暴行で2000人から3000人のタミール市民が犠牲になりました。そして家を焼かれ財産を失い命からがら北部に逃れたタミール人は100,000人を超えたのでした。その当時撮影された写真がホームページに掲載されていました。
タミールネットの掲載されている記事と写真
この写真のようにスリランカの首都コロンボで少数であったタミール人が狙われ、苛められ、殺されました。弱いもの、少数者が犠牲になりました。ガソリンをかけられて焼かれた、強姦された、略奪されたという報道が多いのです。同じ人間をまるで「虫けら」のように扱う集団心理が人間には備わっているようです。政府も軍も警察も数日間暴動を止めませんでした。むしろ政府サイドには多数派シンハラ人の生活への不満・政府への不満をそらすために意図的に煽った形跡があります。軍も警察もシンハラ人は同じような「集団の狂気」に参加した人達が多かったのだと思います。この犯罪に対して今だに誰も責任をとっていないのです。
やはり人間はキチンと教育され、法律・刑罰というものの枠に嵌らないと凶暴になり、取り返しのつかないことをする動物なのだと思います。1983年のコロンボでは法律・警察制度・刑罰がありませんでした。しかし仏教があったはずです。シンハラ人は敬虔な仏教徒として有名なのですが、その仏教徒がこのような重大な犯罪を犯したのでした。宗教さえ人間の狂気を抑えることはできなかったのです。
実はスリランカ政府は今でも殆ど同じことを毎日繰り返しています。戦闘における死者の数が毎日発表されますが、敵側LTTEの死者数は「戦果」なのです。「戦果」が大きいと民衆(選挙民)が喜ぶ構図がまだ続いているのでしょうか。スリランカの仏教界はどうなっているのでしょうか。
| 2008年07月22日(火) |
チャンドラ・ボースの64回忌法要 |
非常に有難いことで、もったいないことでさえあるのですが、今年も杉並区の蓮光寺様から、チャンドラ・ボースの法要のご案内を頂きました。今年の法要の日程は以下の通りです。
ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース64回忌法要 日時:8月18日 午後1時より 場所:蓮光寺本堂
昨年に引き続きご案内状を頂きました。私は勿論知りませんが、当時を知る人が段々少なくなって故人を偲ぶ法要も段々寂しくなっていくようです。昨年の法要ではインド系の方らしい人達の参拝が増えたように感じました。帰り道で話を聞くとIT関連でインドから日本に来ている方が参拝されたようです。私の友人(ベンガル出身)が今年の春来日した際に、貴重な日程を割いて蓮光寺に参拝しました。これからインドの方の参拝が増えていくでしょうね。
一方で日本国内において「故人」に関すること、日本とインドに関する歴史が風化してしまわないように、キチンと伝承すべきだと思います。
私としては8月18日を「カレーの日」として、祝日にしないまでも「記念日」に決議したらどうかと思います。そしてこの日に限って全国のカレーライスを半額にしたらどうでしょうか。日比谷の松本楼の10円カレーも少し早めてもらって・・・。
カナダに出張して「何か記念になるもの」ということで本屋さんに行って「グールド写真集」を買ってきました。グールドはトロント出身です。出張先はモントリールでしたがカナダには変わりありません。カナダの音楽家というとまず「グレン・グールド」が思い浮かびます。そして孤高な感じがカナダの原野にダブります。この写真集には小さい頃からのグールドの写真がタップリ収められています。

グールドの演奏で何回も聞くのはやはりバッハのゴールドベルク変奏曲ですね。それと他の演奏家とは全く異質な「モーツアルトのピアノソナタ」。こちらは聞いていて疲れてしまうので何曲も続けて聞くことはできません。ところで超絶技巧で知られるアムラン(マーク・アンドレ・アムラン)もカナダ出身でした。彼はモントリオール近郊の生まれだそうです。かわったキャラのピアニストを生む国です。
モントリオールには、モントリオール交響楽団で有名な「Palace Des Arts」があります。実は2008年5月末から6月初めにかけて、ここのオペラハウスで「蝶々婦人」が演じられました。タイトルロールは「大村博美」さん。ポスターでも残っていないかと劇場に行ってみました。残念ながら「大村さん」の痕跡は劇場のパンフレットにしかありませんでした。それがこれ。

モントリオール交響楽団のシェフは「ケント・ナガノ」だったのですね。彼の写真が色々な場所に貼ってありました。大村さんといいナガノといい日系の音楽家と結構関係が深いのですね。
外務省渡航情報
外務省海外渡航情報においてスリランカに関する情報が6月27日から変更されたようです。
●北部州、東部州(国道A4号線以北)、北西部州(ウィルパットゥ国立公園) :「渡航の延期をお勧めします。」(継続)
●東部州(国道A4号線以南)、ウーワ州(モネラガラ県)、ヤーラ国立公園 :「渡航の是非を検討してください。」(継続)
●西部州(コロンボ市、デヒワラ・マウントラビニア市) :「渡航の是非を検討してください。」(引き上げ)
●北西部州(ウィルパットゥ国立公園以外の地域)、北中央州、中央州、 西部州(上記以外の地域)、サバラガムワ州、ウーワ州(バドゥッラ 県)、南部州(ヤーラ国立公園以外の地域) :「十分注意してください。」(継続)
西部州の首都コロンボを含み、爆弾テロのあったデヒワラ、優雅なホテルのある郊外のマウントラビニアにも警戒情報が出されました。スリランカ北部における政府軍の攻勢が続いています。LTTE側には毎日のように戦闘で数十人の死者がでているのですから、消耗戦になってきいます。反政府組織のLTTEにはスリランカ南部におけるテロ活動で政府を揺さぶる作戦しか残っていないのです。
因みに外務省発表の情報は以下の区分になっています。 (外務省ホームページから」)
「十分注意してください。」 その国・地域への渡航、滞在に当たって特別な注意が必要であることを示し、危険を避けていただくよう、おすすめするものです。 「渡航の是非を検討してください。」 その国・地域への渡航に関し、渡航の是非を含めた検討を真剣に行っていただき、渡航される場合には、十分な安全措置を講じることをおすすめするものです。
「渡航の延期をお勧めします。」 その国・地域への渡航は、どのような目的であれ延期されるようおすすめするものです。また、場合によっては、現地に滞在している日本人の方々に対して退避の可能性の検討や準備を促すメッセージを含むことがあります。
「退避を勧告します。渡航は延期してください。」 その国・地域に滞在している全ての日本人の方々に対して、滞在地から、安全な国・地域への退避(日本への帰国も含む)を勧告するものです。この状況では、当然のことながら新たな渡航は延期することが望まれます。
| 2008年07月13日(日) |
チリワイン「Morande」 |

会社の同僚の結婚式の引き出物として頂いたチリワインの「Morande」です。グラン・レゼルヴということで期待して飲んだのですが、期待通りの美味しさでした。葡萄は「カベルネソービニオン」。判ってないで言うのもなんですが、ボルドーの「サンジュリアン」的な女性的な味がしました。といっても私が知っているいると言えばタルボとかラスカーズ程度ですが。
ワイナリーのホームページ
このワイナリーはチリ中部山岳部に複数の畑を持っているようです。1996年に作られた若いワイナリーのようです。葡萄の種類も豊富です。やはり少し高級なワインでは「カベルネソーヴィニオン」種が美味しさを引き立てる感じがします。逆に廉価なワインだと、シラー、メルローなどの個性の強い葡萄が美味しいようです。ワインラベルに「Maipo Velly」の表示がありますが、ここの葡萄畑は小石を含む土壌で水はけがよく「カベルネソーヴィニオン」の産地として有名なようです。
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