昨日までで予定の仕事を済ませ今日は日本に帰国です。ラスベガスの朝は非常に気持ちの良いものでした。タクシーの運チャンも明るい人で気さくに声をかけてきました。ガソリンの値段が上がっていることには文句をいっていました。
ラスベガスの空港は早朝でも非常に賑わっていました。UAのカウンターでビジネス席へのアップグレードを予約しました。相変わらず空席待ちの状況でロスアンジェルスまで行ったのですが、幸運にもビジネスへのアップグレードのリクエストがかない、帰国便ではゆっくりすることができました。アップグレードのためにUSエアーマイレージで「15000マイル」でした。
UA 1485 LAS 10:40 ⇒ LAX 11:45 UA 891 LAX 12:59 ⇒ NRT 16:30
ロスアンジェルス便の到着が少し遅れたので、ロスアンジェルス空港では大忙しでした。結構離れたコンコースまで辿り着き、ビジネス席を確保して直ぐ傍の免税店にいったのですが、もう出発するから早く乗れと言われ、そこではお土産を買うことができませんでした。ラスベガスで少し買っておいたのでこれで済ますしかありません。下は飛行中の写真です。

当初の予定が大幅に狂ったのですが、これからモントリオールからアメリカに向かいます。飛行機は以下のとおり。
午前8時55分 UA8315 モントリール発 午前11時12分 ラスベガス着
日中は暖かくても朝夕は肌寒いモントリオールからラスベガスに移動しました。飛行機はエアカナダの小さい飛行機。3人・3人の座席です。幸い通路側のC席は確保できました。私の横のA・B席は体格の良い夫婦でした。境の手摺を上ても二人で席は一杯です。エコノミーの席に体格の良い人は可愛そうです。
エアカナダのエコノミークラスでは飲み物こそ出されるものの食べ物は有料でした。JRの車内販売みたいにサンドイッチなどを売りに着ます。殆どの人は買っていません。原油高等で段々厳しくなっていくのでしょうね
モントリールからラスベガスまで4時間ほどの飛行でした。本来ならば2日前にシカゴ経由でラスベガスに入っていたはずでした。旅行会社のアメリカの「緊急対応デスク」が大活躍してくれてこの直行便が取れました。アメリカへの便はカナダの空港でアメリカへの入国手続きができるようです。空港でのチェックイン手続きが非常に厳しかったです。逆にラスベガスでは入国手続きはなし。チェックは何もなし。表示はずれでした。
ラスベガス到着の一時間前くらいから機内アナウンスでグランドキャニオンが眼下に見えるとの説明がありました。少し離れた窓からは荒涼とした(まったく木の生えていない)風景が続いていました。ラスベガスの外気温は41度。信じられない暑さです。空港から街中へのシャトル便を使って一旦ホテルに入りました。
ホテルは「インペリアルパレスホテル」。便利な立地なのですが少し古いので料金は安いのです。映像関連の展示会の「Inforcomm08」が開かれているコンベンションセンターへはモノレールで一駅です。空港内とか至る所にスロットマシンの置いてあるホテル内は空調が利いていて快適なのですが、外に出るとものすごい暑さです。久し振りの汗腺が全開の状態で汗が流れ出ました。
この日同僚はNW(ノースウェスト)でカナダを出発したのですが、離陸滑走中に期待不具合が発見され、結局フライトはキャンセルされたのでした。彼はニューヨークに連れて行かれ、そこからラスベガスの入りました。結局彼がモントリールに付いたのは午後9時ごろでした。私は半日展示会を見ることができました。
カナダモントリオールでトラブル発生です。同僚がパスポート・財布などの入ったショルダーバックを置き引きされてしまいました。訪問先の会社の人の助けを借りて、クレジットカード休止の手配、警察への被害届出等を緊急にすることとなりました。幸い訪問先の総務部門の方がとても親切で機転の利く方であったので大変助かりました。
問題はパスポートの再発行です。モントリオール日本総領事館にお願いすることになりますが、写真2枚、戸籍謄本あるいは抄本の写し、警察の被害証明書が必要とのこと。早速友人はこれらの手配に走り回りました。これが揃えば通常は無理なところを一日でパスポート再発行していただけるとのこと。大変助かりました。それでも16日中にアメリカに戻るという当初の予定は変更せざるを得なくなりました。パスポート取得のためにカナダにもう二泊することにしました。
予定を緊急に変更したため、飛行機チケットの変更、ホテルのキャンセル手続き、訪問先の会社へのミーティングキャンセル手続きなどを私が担当しました。貴重なアメリカ・カナダ出張で目一杯スケジュールを詰め込んでいたのですが、これをキャンセルするのは非常に申し訳ないことでした。それでもキャンセルした会社がモントリールのオフィスとテレビ会議で会議を設定してくれるという手配をしてくれたので助かりました。
とにかく旅先でのトラブルで現地の方に親切にしてもらうほどありがたいものはありませn。私も日本でなお一層外国人には親切にしようと考えた次第です。置き引きに関する詳しい経緯は別途。
カナダのモントリオールはこの時期気候が良好です。空気が澄んでいることもあって非常に爽やかです。緯度が高いので夜は9時頃まで明るく、朝も明るくなるのがとても早いのです。訪問先の会社の人は一番良い季節だと言っていました。
夕方のUA便でシカゴまで着て、シカゴでカナダ航空に乗り換えてモントリールに来ています。
UA882 NRT16:40 ⇒ ORD14:19
日曜午後のUAシカゴ便は完全に満席の状態。予想してはいましたが外国人が多かったです。そして予想していた通り身体の大きい人が多かったです。UAシカゴ便のエコノミークラスは、2・5・2という変則的な座席配置でした。5人の真ん中(E席)に嵌ってしまったらなかなかトイレに出られません。
私は幸いD席だったのですが横E席のフィリピンパスポートを有する青年はかなりきつかった感じ。結局フライト中一回も席を離れませんでした。フィリピン青年の向こう側のF席には身体の大きな女性が座っていたため、このフィリピン人青年は実際非常に狭い思いをしていました。それでも明るく振舞っていたのはさすがです。映画を3本見て少し寝て過ごしました。UAのエコノミープラスという少し広い席ですが、非常にきつい飛行機旅でした。出発は遅れましたがフライト自体は順調で現地時間の午後2時頃に着きました。
シカゴのオヘア国際空港は一旦アメリカに入国し、国内線扱いのエアカナダに乗り換えてモントリオールにきました。しかし私が予約していた4時30分のエアカナダ便はキャンセル。その次のモントリール便は午後7時30分でした。そしてそれも遅れてシカゴを飛び立ったのは午後8時30分頃でした。
AC 8698 ORD 15:45 ⇒ YUL 18:35 キャンセル AC 526 ORD 19:49 ⇒ YUL 22:45
シカゴのエアカナダ地上職員は日本からの長旅の私に気を使ってかビジネスクラスにアップグレードしてくれました。シカゴとモントリオールの時差は1時間ですが、結局モントリオール空港に着いたのは午後11時を軽く回っていました。
エアカナダ便は気流が不安定で危険だとかいって水しか出してくれませんでした。実際のところそれほど揺れたわけではありません。UA便の成田−シカゴの方がずっと酷い揺れでした。本当は前の便がキャンセルになってしまって食事やお酒の準備が間に合わなかったのではないでしょうか。
寂しい空港で入国手続きを済ませてモントリールのホテルに入りました。モントリールも日曜日の深夜は空いているレストランは殆どありませんでした。閉めようとしているイタリア料理レストランに入ってテイクアウトでいいからと食事を作ってもらいました。
明日から活動開始です。
因みにこの書き込みホテル「モントリオールノボテル」のロビーの無料インターネットからアップしています。成田もシカゴのオエア空港もインターネットに関しては料金高すぎですね。
明日から北米に出張してきます。前回の北米は1996年でした。12年振りの北米です。当時はインターネットはまだ普及していませんでした。勿論デジタルカメラもなし。現地の情報を今のように簡単に入手する訳にはいきませんでした。現地からの連絡方法はホテルの電話か公衆電話でした。本当に隔世の感があります。今ではグーグルアースを使って、住所だけから訪問先のビル・宿泊するホテルを上空写真でチェックすることができます。携帯電話も日本の「2G」(PDC)は不便ですが、最近は海外で使える携帯電話も増えてきました。
今日は現地に持っていくお土産を武蔵浦和駅で買い求めました。武蔵浦和駅ビル(高架下)のマーレには、「招き猫」とか「けんだま」といった海外で喜ばれそうな小物を売っている店が入っています。ここは前から随分重宝しています。今日は小さな「招き猫」と他の店で「扇子」を購入しました。これで一応準備は終了です。家にかえってバックに詰めました。
インドの友人が昨日から会議にために来日しています。彼にとっては4年振りの日本で前の来日の時と同じ愛宕山東急インに泊まっています。今日はホテルまでいって彼に合ってきました。彼の名前は「ズビン・シッドゥア」。インドのムンバイ生まれのパルシーです。
私がインドで事務所を開設したときに最初ムンバイで3人、ニューデリーで5人のインド人従業員を採用したのですが、ズビンはムンバイの二人目の社員でした。非常に優秀で人格円満な青年で、自宅に何回か招待され、奥様の「クッシー」とも親しくさせていただきました。彼のアパートはムンバイの下町の古いアパートを改装した小奇麗な住宅で、人見知りの激しい猫を飼っていました。
私の去った後にインドではバンガロール・チェンナイにもオフィスを開設し今では従業員20名を超えているようです。相変わらインドの景気は好調のようで日系企業の進出のテンポも落ちていないようです。一方でインドの物価上昇は非常に酷い状態で、給料の上昇が物価の上昇に追い付かない状態のようです。
今回彼とムンバイ事務所の「ペレーラさん」(最初に一緒に働いたインド人)のためにお土産を準備していきました。池袋の「宮城県物産館」に行って「鳴子こけし」を買いました。日本からの土産は様々あるのですが、木材を使った伝統工芸品の「こけし」は喜ばれると思っています。宮城県物産館ができたので東京で本場物が買えるの便利になりました。

再来週アメリカ出張を予定しています。ラスベガスで開催される世界最大の映像通信に関する展示会を見てこようと考えていて、そのついでに仕事で関係する二箇所の会社に行って打ち合わせをしてこようと考えています。
ひとつはカナダモントリオールにある通信会社のオペレーションセンター。ここは我が社のテレビ会議サービスの北米のパートナーです。日本から毎日のようにそこのオペレータとやり取りしているのですが、これまで一回も訪問したことがないのです。仕事の課題の整理や我が社の紹介をしてこようと考えています。次の訪問地は同じ会社のデンバーのコールセンタ。デンバーといっても少し北の「ウエストミンスター」というところらしい。そこにはその会社の本社もあります。
デンバーからラスベガスは直ぐ近くのようです。ラスベガスには大きなコンヴェンションセンターがあり、カジノ客向けのホテルも豊富なので世界中から集まるのに便利なのでしょう。その展示会には世界の主要なメーカが結集するので、一箇所で多くの人と会うことができます。映像関係機器・ソフトの会社は少し変わっていて、我が社と取引のある会社は、イスラエル、イギリス、ノルウエー、イタリヤ、アメリカです。これらの会社の主だった方々が集まるのですから便利ですね。
明日の日曜日職場の同僚の結婚式なので用事を片付けることができないため、小雨の降る中を自転車で走り回り懸案事項を何件か処理しました。
ひとつは県立図書館から借りていた「将門の本」を返しに行くこと。本当はもう少し味わいたかったのですが大急ぎで読了してしまいました。やはり自分の本のようにゆっくり・じっくり読むわけには行きません。
県立図書館は浦和駅から遠くない場所にあるのですが、図書館に自転車を置いて直ぐ近くにある「Wめがね」に注文した「めがね」を取りに行きました。実は先々週の日曜日に「遠近両用のめがね」を作ったのです。
電車の中で本を読む時には本と目が近いので、「めがね」をしているとぼやけて見えないのです。これが老眼ですね。勿論机の上のパソコン作業する時にも「めがね」を外すようになっていました。電車の中で「めがね」を外して胸にポケット入れていたら、埼京線の混雑の影響からか「めがね」のツルが壊れてしまったのでした。不便を解消すべくいよいよ決心したというわけです。遠近両用はレンズの上半分が近視で下が遠視です。まだ慣れませんが慣れてくると「めがね」を外さずに電車の中で本が読めるはずです。
「めがね」を注文してしまってからですが、今週同じ「めがね屋」さんから誕生日割引の葉書が届きました。その葉書を持っていくと「3%」割引してくれるというもの。葉書到着前に既に注文してしまったので割引を適用してくれるかどうか不安はありましたが、親切にも割引してくて3%分の現金を返してくれました。予想外の幸運でそれを原資にして酒屋さん「南浦和の稲荷屋さん)で焼酎を買ってしまいました。
最後に駅によって定期券の更新をしてきました。私が現在の後楽園の職場にかわって丁度一年経ちます。明日から2年目に入ります。

今年もアマリリスの大きな花が咲きました。凄い成長力でぐんぐん茎を伸ばしひとつの茎に大きな花を4つもつけます。さぞ重いことでしょうが頑張って支えています。大したものです。
| 2008年05月29日(木) |
平将門(新潮文庫確保)読了 |
浦和県立図書館からお借りした「平将門(新潮文庫)中・下」を読み終わりました。色々な方のホームページで名作だといわれているだけあって、素晴らしいものでした。このような名著の文庫版が絶版になっていて、手軽に読めないことにびっくりしましたし、出版社は何をしているのだろうと思います。図書館に関しても、埼玉県立図書館の「中・下巻」はかなり古くて汚れが酷いもので、これから何回も貸し出せる状態ではないし、南浦和のさいたま市立図書館には文庫本の蔵書さえない状態です。本当に寂しい限りです。
「海音寺潮五郎」は鹿児島県出身なので幕末・明治にかけての「薩摩人」を描いた小説が多いのです。特に「西郷隆盛」に対する思い入れが深いようです。何となくですが「平将門」は「西郷隆盛」に通ずるところがあるように思えます。「時代の流れ、周囲の人々との関連等」からどうしても逃れることのできない運命に翻弄されていく姿は悲壮なものです。稀に出現する傑出した人物が一方で「不器用さ」「頑固さ」を併せ持っていることで運命が変わっていく現実が非常に悲劇的に描かれてますし、歴史的に見れば、そのような英雄は結局「早く生まれ過ぎた」だけという風にも考えられます。
海音寺潮五郎の小説には「将門記」から何箇所か引用されています。この「将門記」は将門の時代に書かれたもので、現在では写本でしか残っていないようです。この「将門記」が大したもののようで、歴史書として非常に価値の高いもののようです。時の朝廷に反逆したのですから当時は「極悪人」として扱われたはずですが、将門記の作者は冷静に歴史を綴っているようです。(本当のところは知りませんが)
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