KENの日記
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2008年01月22日(火) 人間ドック

今日から人間ドックやってます。場所は伊豆の会社関係の病院です。今朝は6時20分に起きて、東京駅から8時23分の「こだま」号に乗り三島まで行ってそこから病院のある函南まで戻りました。函南の駅周辺は少し雪が残っていました。勿論三島駅の新幹線ホームから見えた富士山は真っ白。寒そうでした。

一日目最初からショックです。午前中のメインイベントは「糖負荷試験」で空腹時に「糖」を飲んで時間ごとに血糖値がどれくらい下がるかというもの。最初の血液検査時の問診で看護婦さんからの「これまで何かありました?」の問いに「尿酸値と血糖値が若干高い位ですか・・・」と返答したら、「じゃ空腹時血糖値を測りましょう」ということで、採取した血液をその場で検査してくました。その結果「だめだこりゃ。」「126もあるじゃない」「検査どころではなく既に糖尿病」。検査しなくてもよくなりました。さて「尿酸値」の値が心配です。

(注)空腹時血糖「126」以上が糖尿病だそうです。しかし如何にも中途半端な数値ですね。昔(1999年以前)は「140」が閾値だったようです。

次の課題は「心電図」。検査するたびに「不整脈あり」ということで再検査に回っているのです。今回も過去のその経緯を事前に話して検査をしてもらいました。技師の人が結果を見ながら「先生」に相談してくるというので待っていたところ、担当の先生が来て説明してくれました。実はこの病院には2000年にも来ていて、その時の脈の状況とも比べてくれました。先生の話では「ひげ」と呼ばれるような高い波の戻り方が異常(低い)とのこと。心電図を見せながら教えてくれました。

今部屋に戻ってインターネットで調べています。昨年の検査では「ST異常」という診断を受けたのでした。以下はウィキパディアからの記事抜粋です。


「S波とT波のあいだには0mVで波形が水平となる区間がみられるが、この水平部分が正常よりも上がっていたり下がっていたりする状態をST変化と呼ぶ。これは虚血性心疾患の代表的な心電図所見である。一般的に狭心症ではSTが低下、心筋梗塞ではSTが上昇すると言われるが、ST上昇を示す異型狭心症、ST低下を示す非貫壁性心筋梗塞などといった病態もあり得る。」


何れにしろ心臓の負荷がかかっているとのこと。強い運動は避けた方が良いとのアドバイスでした。今後精密な検査をするかどうかは明日先生と相談です。

部屋でこの記事を書いている時に携帯がなりました。会社で何か問題が発生したかとあわてて携帯に出たのですが、相手は外人それもインド英語。ムンバイに住んでいる時に友達になった「スバッシュ」でした。彼は当時インドの大企業リライアンスに勤めていて大の日本びいきでした。名前の「スバッシュ」は「スバッシュ・チャンドラ・ボース」から採られたといっていました。彼は3月下旬に日本に出張するから会えないかというもの。早速メールで返事をしました。



2008年01月17日(木) スリランカ内戦激化(4)

昨日の16日、スリランカ政府が1月2日に宣言した「停戦協定離脱」が14日間の猶予期間を経て友好になりました。スリランカ政府とLTTEとの停戦条約(Cease Fire Agreement)は2002年2月に締結され、形の上では5年間継続しました。実際は小競り合いが続く「形」だけのものでした。しかしこの「協定」はお互いを(敵として)「カウンターパート」と認めるものでした。これが破棄されたということは「もはや相手にしない」ということです。スリランカ政府はLTTEの殲滅作戦に取り掛かったと考えるべきです。


スリランカ政府のこの措置に対して、ノルウェーがリードしてきた「停戦監視団」(Sri Lankan Monitoring Mission (SLMM))はその業務を停止しました。この組織はLTTEとのパイプを持ち様々な和平工作を担ってきました。停戦監視団団長は以下のコメントを残しました。

“We are absolutely convinced that this complex conflict cannot be solved by military means.”


停戦協定破棄と前後して、政府とLTTEの双方からの攻撃が非常に激しくなりました。16日(水曜日)スリランカ中部のモネラガラ(Moneragala)という場所で工場労働者の通勤バスがLTTE攻撃され26人が亡くなりました。17日(木)スリランカ空軍がLTTE幹部殲滅を狙ってLTTE基地を爆撃し40人以上のLTTE兵士を殺害した模様です。また厳重な警戒を掻い潜ってシュとコロンボ中心部でのLTTEのテロも再発してきました。


そんな状況下において日本政府(明石大使)はスリランカを訪問して、スリランカ政府への援助継続を約束した模様です。



2008年01月12日(土) 「魔笛」プラハ国立劇場オペラ



(左は終了後の舞台挨拶の模様、右は川口駅で列車を待つ劇場関係者)


「魔笛」を見てきました。演奏はプラハ国立劇場オペラ。場所は川口駅前のリリアホール。土曜日の夜6時からの開演でした。プラハ国立歌劇場オペラは今回の来日公演で「フィガロの結婚」と「魔笛」を持ってきました。魔笛は1月3日の大阪フェスティバルホールをかわきりに、1月21日の盛岡公演まで10回、「フィガロ」は4日の琵琶湖ホールから20日の文化会館まで5階演奏されます。

プラハ国立劇場オペラは非常に伝統のある劇場だそうです。モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」の初演も行われているのです。創立は1783年。フランスにおいては1789年の革命前夜の時代です。ヨーロッパはフランス革命以降共和制が成立し、何回かの旧主派の巻き返しを経て、民族自治の時代に進んでいきますが、チェコスロバキアが民族自立し共和国となったのは1920年でした。フランス革命以降1920年まではドイツ(オーストリア)支配下にあったのでした。従って創立当初はドイツ文化の影響が強く、当然ですがモーツアルトのオペラの上演も盛んだったようです。その後はロマン派の民族主義作曲家の影響が強くなります。チェコというとドボルザーク、スメタナ、ヤナーチェック等のそうそうたる作曲家を生みましたが、それは19世紀から20世紀前半の話。20世紀後半は共産主義の時代でした。従って、プラハ国立劇場はフランス革命前の絶対王政化の文化を継承しているといっていいと思います。

今回の公演の感想は二つに分けて記録しておきたいと思います。ひとつは演奏自体について、もうひとつは演出・雰囲気・伝統といったものです。

まず、後の「演出・雰囲気・伝統」に関する感想。最初は奇異に感じたのですが、最期の方になって明確に感じたのはオペラ全体の「モーツアルト」へのこだわりです。

舞台は大きなセットが殆どなく、天井から吊るした大きな幕が時には山になったり、場面転換の際の幕代わりになったり、劇場の幕は最期まで出番がありませんでした。出演者の服装は正直言って時代考証など一切無用のもの。パパゲーノ・パパゲーナは東洋風の「どてら」を来て不思議なメイクをしているし、「ザラストラ」サイドの人間はスーツで決めている。夜の女王軍団はおもいっきりおどろおどろしい。タミーノは最初は疲れたサラリーマン風のコートを着ているし脈絡は一切なし。しかしその中に、宮廷官吏みたいなキチンとして制服を着て「白いかつら」を被った人物が印象的に出て来るのでした。彼には「役」は与えられていません。しかし彼はタミーノに代わって「魔笛」を舞台の上で演奏しました。それも非常な名演です。音の統一感・安定した技術はただものではありません。彼は「魔笛」を舞台に登場させ、最期にタミーノから「魔笛」を返してもらい舞台から消えました。

つまり、登場人物・セット・小道具など脈絡の全くない中で、「魔笛」の演奏者だけが宮廷服に身を包んだ芸術家だったのです。そうです。彼が「モーツアルト」その人なのです。モーツアルトが「魔笛」を通じて舞台を回し、時代・様式はいかに変化しようが、音楽は「普遍」と言うメッセージを伝えているのでしょう。プラハ国立劇場がかつて「モーツアルト」と非常に近かったことを自負するかのような演出です。

実際モーツアルトはプラハを1987年に二回訪問し、国立劇場でオペラを指揮し、有名な交響曲ニ長調の初演(プラハと呼ばれるようになった)も行っているのです。この時モーツアルトは31歳。プラハのモーツアルトファンはモーツアルトは非常に暖かく向かえ、モーツアルトも非常に幸せであったようです。その結果でしょうが傑作の「ドン・ジョバンニ」がプラハで初演されたのでした。その後の経済的困窮を考えると、このプラハ時代のモーツアルトは本当に最期の幸せな時代ではなかったか。プラハの人達にはそうした思いが受け継がれているような気がしてなりません。


演奏自体も「モーツアルト」への愛着を表現するために格好であったと思います。つまり、突出した「歌手」はいないし、突飛な演出はしない。あくまでも全体つまりオペラ全体を聞かせることに主眼をおいていたのだと思います。その意味でスターは必要ありません。しかし全体の水準は高いです。来週から東京公演になりますので、ベストの布陣ではないのでしょうが、平均した水準は非常に高いものでした。その中でもタミーノ・パミーナは劇が進むに連れて声が出てきたし、パパゲーノは最期まで安定したサービス精神を発揮していました。夜の女王も安定していました。それより夜の女王の3人の家来、ザラストラの二人の騎士の安定感は舞台を引き締めていたと思います。そしてその中でも、「魔笛」の奏者の音楽性・存在感は一際大きかったと思います。これは台本にはない役ですが・・・。

今回のプラハのオペラを聞いて東欧の文化への興味が更に大きくなりました。19世紀から20世紀初頭のロシアへの興味から出発しているのですが、ロシアとフランスのい挟まれた東欧の存在が非常に気になりだしました。



2008年01月04日(金) スリランカ内戦激化(3)

1月2日、スリランカ政府が正式に「LTTEとの停戦合意」を破棄しました。2002年2月にノルウェー政府の斡旋によって「停戦合意」が調印され、暫くの間「停戦」が実現し和平ムードが盛り上がったのでした。私はちょうどその頃スリランカで勤務していたので、停戦の機会にスリランカ最北部のジャフナまで2回の旅行ができました。

しかしその後スリランカ政府の政権交代を期に再び「小競り合いが」始まり、インド洋津波の災害復興が優先するはずなのに、スリランカは再び内戦の泥沼に入ってしまいました。そして昨年は政府軍が大規模な空爆を行うようになり、政府軍が力でLTTEを取り除く自信を持ってしまったようです。

このスリランカ政府の通告は14日の猶予をもって実施されるようですが、ノルウェーの停戦監視団はスリランカ出国に取り掛かったようです。アメリカ政府はこのスリランカ政府の動きへの制裁として、武器類のスリランカへの輸出を一切禁止しました。これに対し日本は「人道的見地」からでしょうか大規模な援助を続けています。

2月にはインドの「シン新首相」がスリランカを訪問する予定です。スリランカ政府はLTTEとは絶交して、別の新たな「タミール人組織」との間で民族問題の解決を図ろうとしているのです。スリランカ政府はインド政府から「お墨付き」を貰おうとしています。インド政府はイスラム過激派のテロには苦労しています。南部タミール・ナド州にシンパを持つスリランカのLTTEですが「テロ組織」ということで、インド政府もスリランカ政府の行為を黙認するかもしれません。

あたかもこれらの動きに関連するかのように、元旦にスリランカ国会議員で穏健なタミール人グループのリーダ格の「T. Maheswaran(マへスワラン)氏」が暗殺されました。(以下親タミール派のニュース配信です)

[TamilNet, Tuesday, 01 January 2008, 04:37 GMT]
Colombo district Tamil parliamentarian of the opposition United National Party, T. Maheswaran, was shot at Ponnambala Va'neasvarar temple at Kochchikkadai in Colombo Tuesday around 10:00 a.m., while he was paying homage at the shrine, and succumbed to his injuries at Colombo hospital. The shooting, which also claimed the live of his bodyguard, comes a few hours after the parliamentarian had said that he would reveal details on how abductions and killings in Jaffna are managed by the Sri Lankan establishment through the EPDP paramilitary, from Colombo. Eleven days ago, the government of Sri Lanka had reduced the Ministerial Security Division guards provided to the MP from Eighteen to two.

私はこのマへスワラン氏とは何回か会っています。務めていたスリランカテレコムが和平ムードの中でジャフナ電話局復興工事に取り掛かったのですが、その出発式で「マへスワラン氏」が政府・タミール人を代表して挨拶をしたのでした。そしてジャフナでのセレモニーにも「マへスワラン氏」は参列し、我々をジャフナの自宅でもてなしてくれたのでした。彼は野党議員でしたが、首都コロンボの政治とジャフナのタミール人社会を結ぶ太いパイプであったのです。

昨年11月にLTTEのNo.2のタミールセルバン氏が政府の空爆で死亡しました。そしてタミール人国会議員の暗殺。そしてスリランカ政府はLTTEリーダのプラバカラン氏を狙った空爆を続けるのでしょう。そして、新たなタミール人組織を相手に和平交渉をするのでしょう。果たしてこの作戦は成功するのでしょうか。



2008年01月03日(木) 神田明神で新年祈願

今日「神田明神」に新年の祈願に行ってきました。昨年移動した会社は昔神保町の居を構えていて、その時代から新春3日に神田明神で「商売繁盛、安全祈願」をしてきました。私は正月は帰省する人も居るだろうし、そもそも正月の三日間はノンビリしたいし、今年からその慣例は取り止めようと提案したのでした。しかし前から居る人達が「継続しないとまずくない?」というので、それではということで去年12月28日に急遽新年に参拝することに決めたのでした。

私個人としては、昨年大手町三井物産ビル横の「将門首塚」を参拝し、神田明神が将門由来の神社であることは知っていましたので、神田明神には愛着を持っていたのです。

「平の将門」は天慶2年(939年)に時の朝廷に対して公然と反旗を翻し関東に別の政権を樹立したことで有名です。結局朝廷の討伐にあって乱は平定されましが、朝廷の権威に真正面から抵抗した事件として非常に貴重なものです。というのも平安時代の摂関政治から鎌倉幕府をはじめとする幕府政治も結局は時の朝廷(天皇)の権威は形式的にも尊重する立場にあったからです。

このような背景から「平将門」は時の権力者との関係は微妙でした。徳川家康は江戸城を築くにあたり「平将門」の首塚を大変大事に扱いました。神田明神に祀って「江戸鎮守府」としました。ところが明治政府では扱いが一変してしまったようです。京都から明治天皇が東京に入ると、明治7年の明治天皇の参拝を期に、朝敵の「平将門」は神田明神から外されてしまったのでした。しかしそれ以降「平将門の首塚」を巡って不思議な災難が続いたのだようです。そして公式に将門が神田明神に戻ったのは1984年のことだそうです。

さて現在「平将門」はどんな立場にあるのでしょうか。将門の自主独立の精神については見習って行きたいと思います。

元旦に浦和「調神社」3日に「神田明神」で「おみくじ」を引きました。そして両方とも「大吉」。最近「運」が上向いているのでしょうか。



2008年01月01日(火) New Year Concert

夜ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴きました。今年の指揮はフランスの「ジョルジュ・プレートル」。かつてフランスのパリ管弦楽団を率いて来日していた指揮者です。これまではあまり特徴のない、どちらかというと手堅い指揮者というイメージで聞いてきました。フランス人指揮者では何年か前にマゼールが登場しましたがプレートルはマゼールのように派手さはなく器用でもないのであまり期待せずに聞き始めました。

良く調べたらマゼールはフランス人ではないようです。フランス生まれなのですが小さい頃にアメリカに移住してしまったのだそうです。従って純粋にフランスで音楽教育を受けた指揮者ではプレートルが最初にあたるようです。

コンサートを聞き始めると直ぐに音楽に引き込まれました。音楽が非常に伸びやかでウイーンフィルメンバーがとても楽しそうに演奏しています。音楽が凄く自然で力強いのです。こんなニューイヤーコンサートは久し振りだと思いました。ウィーンフィルはどんな指揮者でもそれなりの音楽を聞かせますが、プレートルの指揮の下では本当に楽しそうに演奏をしていました。そして何よりもプレートル自身が楽しんでいる様子がはっきり分かりました。

音楽の都「ウィーン」とは言いますが、芸術の都「パリ」はいつもウィーンからも憧れの的であったのだと思います。音楽に限らず、文学・絵画・音楽・思想も含めて、芸術一般で言うとパリが当時の世界の中心であったことでしょう。今回の指揮者プレートルはそうした文化の伝統を継承する正統的なフランス指揮者といえるのではないでしょうか。



2007年12月30日(日) スリランカ内戦激化(2)

30日のスリランカのニュースページに以下の記事が掲載されました。

Prabhakaran may be dead: Lankan official

Dec 30 (HT) Sri Lankan Defence Secretary Gotabhaya Rajapaksa has hinted that Tamil Tigers chief Velupillai Prabhakaran might have been killed in the air raid on his bunker November 26. "Our intelligence sources believe that he (Prabhakaran) was seriously injured or killed. It is obvious that the LTTE will not divulge this for a long period," Rajapaksa told the government-run Sunday Observer.

国防次官の「ゴタバヤ・ラジャパクサ(大統領の弟)」の発言として、反政府組織LTTEのリーダの「プラバーカラン」は11月26日の爆撃で重傷をおったか死んだかもしれないという声明を出しました。先月の報道では「軽症」との報道ななされていたところです。

11月・12月の政府軍からの猛攻撃に対して、LTTEは防戦一方でじりじりと退却を余儀なくされています。LTTEからの大きな反撃無しに政府軍はどんどん進攻していることからLTTEの内部に何か変化があったのではないかとの観測のようです。

Dec 30 (CP) Colombo- Sri Lankan Army troops have occupied the LTTE's Forward Defence Lines and surrounded the Wanni LTTE bases from all directions, Army Commander Lt. Gen. Sarath Fonseka said today.

In an interview with the 'Sunday Observer・newspaper the Army Chief said that the LTTE could not prevent losing their remaining 3000 cadres and there is no assurance that the LTTE leader would survive for the next six months as the Sri Lankan Air Force plans to attack all the LTTE bases.

陸軍トップは今後6ヶ月の間にスリランカ空軍がLTTEの全ての基地を爆撃し、LTTEの3000人兵士と幹部全員を殲滅することになるとの宣言しました。来年はスリランカにとって酷い年になりそうです。



2007年12月28日(金) スリランカ内戦激化(1)

年末になってスリランカ内戦が非常に激しくなっています。現地のニュースのページでは毎日のように戦闘の模様(戦果)が報じられています。

先月11月26日政府軍は反政府組織LTTEの本拠地キリノッチを爆撃し、LTTEのリーダのプラバーカランを負傷させました。これに先立つ11月3日にの空爆でLTTEのNo.2で政府との交渉窓口であった「タミールセルバン」が死亡したのでした。スリランカ政府は敵の反政府組織のトップを取り除くことにより内戦を終結させようとしているようです。

年末になって、政府軍は戦線を広げ、いたるところで物量によってLTTEを圧倒しようとしています。デルフト沖ではLTTEの海軍に大きな打撃を与えました(27日)。そしてLTTEの拠点キリノッチへの空爆は激しさを増しています。指導者「プラバカラン」を狙った空爆が続いています。

スリランカ軍は「和平協定の破棄」も検討しているようです。というのも現在もスリランカ政府とLTTEの和平協定が建て前では維持されていて、お互いに和平交渉開始を呼びかけてはいるのです。つまり双方ともある程度の戦果(喪失)を上げた後で「交渉」を有利に進めることを狙っているのです。しかしスリランカ政府が「和平協定破棄」を「口」に出し始めたということは、武力によって完全にLTTEを壊滅させる道筋を選んだということに他なりません。

最新式兵器の量・兵士の数では圧倒的に勝る政府軍は、毎回の戦闘によって徐々にLTTEの戦力を奪っていっています。しかしLTTEはそういう戦況の中でも「テロ」という方法でスリランカ政府に一矢を報いようとします。今後益々テロの可能性は高くなっていくでしょう。



2007年12月22日(土) 懐かしいパリ管弦楽団

パリ管弦楽団の来日公演「NHK音楽祭」の模様をTVで見ました。今回の「パリ管」のアジア公演は以下の通りでした。10月25日から11月12日までに12回の公演を中国、台湾、日本、韓国で行いました。

Chine
25 octobre : Polytheatre, Pékin
26 octobre : Polytheatre, Pékin
28 octobre : Grand Theatre, Shanghai
Taïwan
31 octobre : National Concert Hall, Taipei
1er novembre : National Concert Hall, Taipei
Japon
4 novembre : Kyoto Concert Hall, Kyoto
5 novembre : NHK Hall, Tokyo
7 novembre : Suntory Hall, Tokyo
8 novembre : Suntory Hall, Tokyo
9 novembre : Kyushu Kosei Nenkin Hall, Kitakyushu
Corée du sud
11 novembre : Aram Concert Hall, Séoul
12 novembre : Seoul Arts Center, Séoul

パリ管弦楽団のホームページ

パリ管弦楽団といえば「ミュンシュ指揮」の幻想交響曲です。1967年創立のパリ管弦楽団ですが、創立の年の初録音がこの「幻想」でした。私は嘗てLPレコードを持っていましたが、今は同じジャケットのCDを持っています。そして同じ組み合わせの「ブラームスの交響曲第一番」は同曲のNo.1の演奏として上げる人が多いです。ミュンシュは1968年に亡くなってしまうので、この組み合わせの録音は多くありません。

シャルル・ミュンシュは「ゲバントハウス管弦楽団」のコンマスとして「フルトヴェングラー」の指揮に身近に接したのでした。したがって設立当初のパリ管はフランスのオケの色彩感覚とともに、非常にドイツ的な演奏スタイルをも併せ持っていたといえるでしょう。パリ管の前身の「パリ音楽院管弦楽団」は長らくクリュイタンスが振っていました。ミュンシュはクリュイタンスが急死してしまったのでピンチヒッターに呼ばれたのでした。このクリィタンスもフルトヴェングラー亡き後のベルリンフィルを振ってドイツ的な「ベートーベン交響曲全集」を残しています。ミュンシュもクリュイタンスもドイツの音楽を良く理解していたのだと思います。

今回の創立40年目の来日コンサートも非常に興味深く聴きました。指揮はクリストフ・エッシェンバッハ。ドイツ人指揮者です。スキンヘッドの怖そうな顔をしています。私の「エッシェンバッハ」の思い出というと、カラヤンと競演した「ベートーベンピアノ協奏曲第一番」。約40年前の録音で、信州の実家にはLPがあるはずです。その後指揮もするようになりました。このエッシャンバッハには若い頃の思い出があります。

そしてクラリネット主席の「パスカル・モラゲス」。昔から注目していたクラリネット奏者です。1963年生まれなのでまだ44歳。彼の演奏はNHKFMで放送されたリサイタルの模様の録音(10年以上前)を今でも所有しています。これがものすごい名演なのです。

曲目は
サンサーンス クラリネットソナタ Op.167
ルトスラフスキー ダンス&プレリュード
ドビュッシー ラプソディ第一番
プーランク クラリネットソナタ (ピアノ岡崎悦子)

今回のパリ管の演奏では、「ボレロ」のクラリネットソロが素晴らしかった。とにかく音楽性が他の奏者と違って聞こえます。嘗てのウィーン・フィルの「ウラッハ」がこんな感じではなかったかしらと想像します。パリ管を中心にミュンシュ、エッシャンバッハ、モラゲスと昔のことを懐かしく思い出しました。今回のパリ管の演奏は奏者・指揮者共に充実していて非常な快演であったと思います。



2007年12月11日(火) 梅錦 湧き水の酒




四国の四国中央市にある「梅錦・山川酒造」の「湧き水の酒」です。稲荷屋さんで「スッキリとした酒」をと言うことで紹介して頂きました。ほんとうにスッキリしていて「水」のような感じです。一升瓶が直ぐに空になってしまいました。少し残念なのは「味わい」が少し単調なこと。これは贅沢ですね。蔵元のホームページが下です。

梅錦山川酒造のホームページ

ビールを造ったりしていて非常に意欲的な倉のようです。社長自らの書いた記事も豊富です。安くて美味しい酒を作り続けて欲しいものです。




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