今日は職場の送別会をして頂きました。突然の人事異動で職場の人達への負担が大きいことが非常に心残りですが、暖かい言葉を贈られて嬉しい送別会でした。私が音楽が好きだということでクラシックのCDを二枚頂きました。 曲目は以下の通りです。ありがとうございました。
ブルッフ、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲 Vn:ブロニスワフ・ギンベル バンベルク交響楽団
シューベルト未完成交響曲、ビゼー、アルルの女組曲 指揮:ルドルフ・ケンペ バンベルク交響楽団
| 2007年05月26日(土) |
大盛況スリランカフェスティバル |

代々木公園で行われているスリランカフェスティバルに行ってきました。今日はとても天気が良かったので土曜日の午後の原宿・代々木公園付近はものすごい人手でした。上の写真は野外音楽堂で行われたスリランカ舞踊のひとコマです。
スリランカフェスティバルは大使館等が呼びかけ、スリランカに縁のある企業が出店を出しています。もう少し小規模かなと思っていたのですが正直言ってブースの多さに非常に驚きました。スリランカの物産が日本にどんどん入ってきているのですね。特に紅茶を販売している会社が多数ありました。スリランカにとって紅茶は重要な輸出品なので、こういう機会を利用して多くの人に接してもらうと人気が出ると思います。私も紅茶を買ってきました。
スリランカ食品の展示・販売も非常に活気がありました。スリランカ特産の香辛料、ココナッツ関連製品、ココナッツから作られる酒(アラック)なども複数の店で売ってました。スリランカ料理の模擬店も大繁盛でした。最近はスリランカ料理レストランが出来ているの、そういうところからコックさんがやってきているようです。
また、この催しは日本に来ている「スリランカ人」が久しぶりに再会する機会でもあるようです。スリランカ向けの格安国際電話カードが多くの店で売られているし、スリランカ人(らしい人)達の話の輪がそこここに出来ていました。今日は妻がパンジャビを着て出かけました。スリランカのフォーマルな服装は「サリー」ですが、サリーが着方が難しいのでパンジャビを選びました。武蔵浦和からパンジャビを着ていくと少し目立ちましたが、代々木公園や原宿近くの竹下通りでは全く違和感がありませんでした。
スリランカ大使館のマニーシャさんとはこれまで何回かあっています。彼女は6月初旬に任期が切れてスリランカに帰ります。今回のフェスティバルが最後になります。良い思い出になることと思います。
実は先週知らされていたのですが本日私に人事異動の通知がありました。現在取り組んでいる仕事が非常に不透明で、個人的には非常に心配なのですが、会社の決定ですので粛々と従うことにしています。周りの一部の人にしか情報が伝わっていなかったので、今後の不安からか私の周囲では少し動揺がありました。
こういう状況は非常に難しいと思います。先週密かに上司から話を聞いたときには正直に自分の懸念をお話しました。現在の私の任務のひとつは非常に機密性が大事で且つハンドルが難しいので、私個人のノウハウで進めてきた部分が大きかったのです。会社としてはできるだけ複数の人間で進めるべきとの考えがありますが、上記の事情に加えて担当社員が少なく、常にオーバーロードの状態であったので他の社員とシェアすることができなかったことは事実です。
そのことをキチンと伝えた上ので会社の判断ですから、重く受け止めなければなりません。私の抜けた穴は担当社員が埋めてくれるはずですし、そもそも私が心配し過ぎていて、実はそれほど問題なく進むのかもしれません。それより私の力を必要としていただいた新しい部署に感謝すべきだと考えています。私は現在の仕事の一週間で区切りを付けて、新しい仕事に100%の力を集中しようと思います。幸い新しい職場には従来から知っている方が多くいて、今日挨拶したところ非常に暖かい言葉を頂きました。緊張しつつも、武者震するような感じです。
今度の職場は丸の内線の後楽園の直ぐ近くだとのことです。これからは埼京線で池袋まで行き、丸の内線で通うことになりそうです。通勤時間が少し短くなりそうです。
会社への行き帰りに聞いている「iPOD」ですが、曲の順番が変わってしまうので困っていました。普通4楽章の交響曲で気お持ち良く聞いていると、3楽章を飛ばして4楽章に行ってしまうのでした。英雄とブルックナーの8番で同じ現象が生じたのです。スケルッツオを期待しているといきなり終楽章が始まってしまう。どっちの曲でも非常に困ったものでした。私のデータ入力の間違いがあったのか、パソコンでiPODの中身を見てファイル名をチェックしたのですが間違いはありませんでした。
漸く気づいて調べてみたのが「シャッフル機能」です。何かの拍子でシャッフル機能がオンになっていたのです。それも「歌の中」でシャッフルされるようになっていたのでこんな現象が生じたのでした。もし全曲シャッフルであれば直ぐに分かったはずです。何しろ私のiPODには3000以上の音楽が入っているのです。聞き始めるとめちゃくちゃな順番に再生されるはずです。
日曜日に「故ロストロポービッチ」の記録で「ドン・キホーテ」をやっていたので、iPODに入っている「イッサーリス」版を聞いてみました。非常に面白い曲だということを再認識しました。
| 2007年05月13日(日) |
グリーク没後100年 |
On the 30th of March the Symphony Orchestra of Sri Lanka will perform three major works by Edvard Grieg the great Norwegian composer as part of this year’s international recognition of his work and life,1843-1907. The Grieg Centenary Concert will feature his ever popular Piano Concerto in A minor with Soundarie David as soloist, his lovely Peer Gynt Suite No.1 and the delightful Holberg Suite for strings. The concert, which brings together Norwegian music and Sri Lankan musicians, is supported financially by the Royal Norwegian Embassy. The Conductor will be Ajit Abeysekera.
For more information about Edvard Grieg and the Grieg 07-year, please see: http://www.Grieg07.no
グリーグ没後100年記念ホームページ
今年はグリーク没後100年に当たる年だそうです。グリークはノルウェィの作曲家で1843年に生まれ1907年に亡くなっています。上の記事はコロンボにあるノルウェィ大使館のホームページの記事です。グリーク没後100年を記念して今年の3月30日にコロンボでスリランカ交響楽団が演奏会を開催したという記事です。曲目は以下とのこと。
ペールギュント組曲第一番 ホルベルク組曲(弦楽) ピアノ協奏曲第一番 (ピアノはサンダリーデイビッドさん) 指揮はアジット・アベセカラさん
ホームページに掲載されていた写真を以下に転載させて頂きます。左はサンダリーさん、右は指揮者のアベセカラさんです。ピアノが前に使っていた茶色のグランドから黒のグランドに代わっています。

| 2007年05月12日(土) |
暑い日が続きました。 |
今週は本当に暑い日が続きました。日中の都心ではぐんぐん気温が上がりました。決算期で会議が多いので月・火・木と有楽町から秋葉原に移動しましたが電車の中も外を大変でした。こんなに暑くなったので、「寒さに弱い」妻を説得して自宅のストーブをしまいました。
今年は4月に入ってから寒い日が少し続いたので18L入りの石油プリタンクにたっぷり石油が入っていました。4つの石油ストーブのタンクにもたっぷりせきゆが残っていました。石油ストーブ内タンクの石油を戻すポリタンクがないので季節はずれですが石油ポリタンクを買いに出かけました。最初に行ったスーパーには20Lタンクしか残っていなかったのでホームセンターによって18Lタンクを買いました。そして漸くストーブ内の石油を空にしてしまうことができました。
ゴールデンウィークを利用して故郷の長野県須坂市に帰省しました。さいたまの実家からは国道17号・16号を使用して関越川越インターに行き、そこかや約2時間半走ると長野道の長野東・須坂インターチェンジに尽きます。途中にわか雨に合いましたが全般的に順調なドライブでした。
須坂市に早く着いたので母の年金番号を知るために須坂市役所に行ってきました。須坂市役所に行くのは何年振りか分かりません。訪れている市民が少ない割りに多くの役所の職員が居るのでびっくりしましたが、その話題に触れません。須坂市役所の市関連書物展示コーナーで興味深い本があったので、早速購入してきました。本は「須坂町公園設計案」(本田静六)(須坂市常盤中学校発行)という小冊子です。
須坂市には有名な臥竜公園があります。そこは桜の名所であり、最近は併設されている動物園のカンガルーでも有名です。そこは昭和の初めに本田静六博士の設計に基づき公園として整備されました。ボート漕ぎのできる「池」の整備やら、池の周りの約800本の桜の木、臥竜山の散歩道などは博士の提案に基づいています。
須坂市は明治の時代から製紙産業で栄えました。その名残で町に多くの大きな蔵が残っていて今や「蔵の町」として観光の目玉になっています。しかしその製紙産業は昭和始めの世界恐慌で大きな打撃を受け町には多くの失業者がが発生したのでした。その失業者対策として考案されたのが、公園に「池」を掘るという公共事業でした。私はその失業対策事業のことは前から知っていたのですが、その池の設計を「本田静六博士」が行ったことを今回知った訳です。
本田博士は明治の日本の林業・造園学の先駆けです。日比谷公園なども博士の設計です。本田博士の著作が最近復刻されつつあり、私はその一冊を立ち読みして非常に感銘を受けたのでした。「さいたま県出身」の博士は学術だけではなく、事業家としても大成した人物でその人生訓は非常に味わい深いものがあります。母校常盤中学の後輩は面白いところに目をつけたものです。本田博士・郷土の先輩のことを調べて是非もっと教えて欲しいものです。
本に掲載されている博士の人生訓12か条を引用しておきます。
1.常に心を快活に保つ 2.一度決めた職業を天職と信ずる 3.自分の功は人に譲り、責は自分で負う 4.長所と交われば悪友なし 5.左手で本業を押さえ、右手でチャンスを掴む 6.常に収入の1/4は貯蓄する 7.人事を尽くして時を待つ 8.言動を慎み反感を買うな 9.学び続ける努力 10.希望と自信を失うな 11.施した恩は直ぐに忘れ、受けた恩は長く忘れるな 12.名利は死後に期す
| 2007年04月30日(月) |
「魔笛」のゾロアスター |
妻が録画しておいてくれた「魔笛」を見ました。ロイヤルコベントガーデンオペラで指揮はコリン・デービス。聞いた名前は無いけれど殆どの配役が一定水準以上の実力者なので非常に安心して楽しめました。日本に来日するチャンスは少ないですがイギリスオペラの水準の高さを実感した公演でした。
さて「魔笛」というと色々楽しみがありますが、私は「ザラシュトラ」の扱いに注目しています。最初は悪の権化みたいに扱われますが、実は「智」を代表しています。タミーノに与える「試練」は非常に観念的で暗喩に富んでいます。ザラシュトラの台詞は非常に難しいものがあります。モーツアルトの時代においてもヨーロッパの人々(知識人)の「ゾロアスター」に対する印象がこのようなものであったのかと思うと非常に興味があります。
音楽でいうとリヒャルト・シュトラウスの「ツァラツシュトラは書く語りき」の冒頭の部分はあまりにも有名で印象的です。そしてモーツアルトは「魔笛」において意味深長な「謎かけ」を用意しました。西欧において随分昔からゾロアスターは気になる存在であったようです。ルネサンスをもたらしたのはイスラムでしたがイスラムの文化的な背景にはペルシャ文化で、ペルシャの宗教はゾロアスター教(拝火教)だったのです。
ゾロアスター教は「拝火教」と言われるとおり「火」を尊びます。この場合「火」は色々な意味があります。まず「太陽」があります。太陽の光の「恵み」は何時の時代においても「ありがたいもの」「かけがいのないもの」です。闇とか夜に対して光輝く朝日は「神の恵み」です。さらに「火」は「酸化」の象徴でもあるのです。「火」は燃焼そのものですが「物質の酸化」そのものも表しているようです。古代の人々がどのように考えたのかわかりませんが、「燃える」という物質の変化を随分深く考えたようです。
今回の「魔笛」の最後の部分では「月」に代わって「大きな太陽」が舞台に登場し闇の世界から開放されます。またザラシュトラの城では多くの学者達が一生懸命難しい研究をしている様子を紹介していました。ザラシュトラを演じたバリトン氏は風貌こそ立派でしたが「声の出入り」が気になりました。でも怪しげで神秘的な様子は良く出ていたと思います。モーツアルトがザラシュトラの問いかけをどのように考えていたのか。また強大なザルツブルク教会の影響下にあったモーツアルトが「イシス」の神を登場させたことにどんな意味があるのか興味が尽きませんね。
| 2007年04月29日(日) |
クリケット決勝&LTTE空爆 |
土曜日から日曜日にかけてのスリランカ関連ニュースです。まず土曜日に行われたクリケットワールドカップでオーストラリアが優勝しました。スリランカチームは決勝まで駒を進めたのですがオーストラリアの壁は厚かったということです。
日本では殆ど人気のない「クリケット」ですが、旧英国宗主国ではものすごい人気なのです。特にインド・スリランカ・パキスタンなどの南アジアでは国を挙げてのスポーツなのです。オフィシアルホームページはこんな感じです。4年に一度のクリケットワールドカップは彼等にとっては「サッカーワールドカップ」よりずっと重要なイベントなのです。
クリケットワールドカップ2007
スリランカチームは準決勝でニュージーランドを破り、土曜日のオーストラリアとの決勝に臨みました。ラジャパクサ大統領も急遽開催地の西インド諸島のバルバドス入りをしたそうです。スリランカにとっては優勝した1996年のワールドカップ以来の決勝進出であり、宿敵オーストラリアを破って再び王座に尽きたかったところでした。スリランカでは多くの国民がテレビの前に釘付けになったことでしょう。
スリランカ国民がワールドカップで大興奮している最中、現地日曜日の早朝ですが、反政府組織のLTTEはコロンボ近郊のガス貯蔵施設への空爆を行いました。数日前にも深夜コロンボ近郊にLTTEの飛行機が飛来し、灯火管制が敷かれたとのニュースが流れたばかりでした。今回の空爆は3回目の攻撃だといわれています。
スリランカ政府軍は東部(バティカローラ)を制圧し、北進してLTTEの本拠地のキリノッチに迫ろうとしています。政府側陸軍の進攻に先立って、空からの攻撃が仕掛けられ、LTTEの幹部が集中している施設へのピンポイントの爆撃が続いていました。
この政府軍の攻撃に対しLTTE側はついに飛行機による首都コロンボへの攻撃に踏み切りました。被害の状況は明らかではありませんが、この攻撃に対して政府軍は数倍の反撃を加えることでしょうから、週明け以降激しい戦闘が繰り広げられることは明らかです。以前として両者は「停戦協定」の存在を認めてはいますが全く空文化しています。お互いに武力による解決は望まないとしながら武力の応酬が続いているのです。以下はBBCの南アジアニュースです。非常に困った状況です。
BBCニュース
| 2007年04月28日(土) |
ロストロポービッチ死去 |
4月27日ロストロポービッチが亡くなりました。80歳でした。今週月曜日に前大統領のボリス・エリティンが亡くなりましたが、週末にはロストロポービッチが亡くなったことになります。この二人は先週土曜に封切られた「ロストロポービッチ人生の祭典」の映画の中のパーティシーンで親しそうに映っていました。
この二人はゴルバチョフと並んでソ連崩壊の時の立役者でした。実際に先頭に立ったのがエリティンであり、海外から支援したのがロストロポービッチでした。ロストロポービッチは2005年4月ムンバイの演奏会で聞きました。メータが自分の故郷に漸く連れてきたと言う感じでした。楽屋の出口待ち構えて姿を見てきました。大分年を取ったという印象をぬぐえませんでした。下の写真はその時新聞で報道された練習風景でした。新聞ではモナコ国籍のロストロポービッチがパリのインド大使館でインド入国ビザ取得で手間取ったこと。時価下1億円以上する彼の「チェロ」の持込についてインド税関が文句をつけたことが報じられていました。

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