今日で夏休み終了です。久しぶりに日本の暑い(蒸し暑い)夏をたっぷり味わった気分です。本当に過ごし難い日々が続きました。暑いだけならマシですが湿気がたまらないですね。暑さならインドやスリランカの方が暑いですが、向こうは湿気はこんなに無いです。
先週の土日に故郷の信州須坂に帰省しました。お盆の前だったのですが恒例の「墓参り」と「近所・親戚詣で」を済ませました。また妻の実家の草取り等もある程度捗りました。妻は懸案のトイレ修理を終了しました。信州の夏は朝・夜が涼しくて本当に過ごしやすいのです。昔はこういう素晴らしいところに住んでいたのだなと改めて実感しました。都会の樹木の少ないコンクリート・アスファルトに囲まれた生活とは全く違います。
故郷に二泊しかできず月曜日にこちらに戻ったのは「スリランカ情勢」が緊迫しているからです。スリランカではこの7月から東部紛争地域内の水路の「水」をめぐって政府軍と反政府軍(LTTE:開放の虎)が激しく対立をしています。全面戦争直前の状態なのです。紛争とは全く関係ないのですが、この8月末にスリランカの首都「コロンボ」で打ち合わせをすることになったのでした。首都コロンボも反政府軍の攻撃対象になりつつあります。明日から再び現地の情勢を細かく把握する予定です。
妻の助けを借りて「ホームページ」を少しずつ直しています。昔の日記や記事を読むと非常に懐かしいです。当時の心境が頭に浮かびますね。インタネットがなかったら日記など書かなかったでしょうから、これだけでもインターネットの恩恵は大きいと思います。私のこの日記は2001年から書いているのでそろそろ5年になります。
夏休みを利用してホームページを改修しています。インドやスリランカの記事が雑多に増えてしまったので整理をしました。少しは読み易くなったでしょうか。
そしてマイクロソフトのブログを止めてこの「エンピツ日記」に復帰しました。中途半端はいやなので、ブログの日記をこちらの「エンピツ」に移しました。過去の日記でも「年月日」を指定して書けるところがこちらの強みですね。一方で1日に何回も書けないという不便さはありますが。エンピツの有料バージョンだと、自分の日記がいつでもダウンロードできるので、乗り換えるときに便利ですね。
| 2006年08月18日(金) |
チャンドラ・ボースの命日 |
今日8月18日は、インド独立の英雄「スバシュ・チャンドラ・ボース」の命日でした。ボースの遺骨を安置している杉並区の蓮光寺では命日の法要が営まれました。一度は参加してみたいと思っていて、ちょうど夏休みが取れたので行って見ました。
法要は午後1時から始まっていました。私が蓮光寺さんに着いたのは1時30分頃で、既に読経は終わっていて住職様のご挨拶が進んでいました。住職様の話によると、これまで世話役をされてきた「林正夫様」が今年3月に亡くなられたとのこと。林さんは戦時中「ボース支援・反英活動」を目的とする光機関に所属されていた関係で、ずっとボースに関する研究活動を続けてこられた方です。
そして住職様の話はインド政府のボース死亡に関する今年発表された見解に及びました。残念ながら、相変わらずインド政府は昭和20年8月18日のボース死亡を認めていないのです。従って蓮光寺の遺骨も本物だとはされていません。
蓮光寺様の本堂右側には「ボース」の遺骨が安置されています。墓に収めずに堂に収めているのは、いつの日か故国インドに迎えられることを待っているからでしょう。その遺骨を納めた小さな祭壇の左右には、ネルーをはじめとするインドの政治家の手紙・色紙が飾られているのですが。
今日は62回目の法要です。「林正夫」様が亡くなられたように当時を知る人達はだんだん亡くなって行きます。そうした時間とともに「ボース」のことが風化してしまうことが心配です。ご住職は息子さんの副住職が今後とも遺骨を守っていくと決意を述べられていました。
これだけの「インドブーム」の時代にしては寂しい法要でした。私がムンバイにいた時ムンバイを訪問された国会議員の方に「ボース」の話をしたことがありました。政治家どうしの話し合いで何とか解決の道を探って欲しいものです。日本側が騒げば少しは違うと思います。
インドは中国・韓国とは違って靖国問題など全く意に介していません。むしろ東条首相はインド独立を支援してくれた恩人の一人なのです。東京裁判の時に唯一無罪判決を主張した「バール判事」もインド人です。チャンドラボースと同じコルカタの人のはずです。インドとの付き合いを上手に進めて欲しいと思います。
終戦記念日の「小泉首相」の参拝で大騒ぎになっている靖国神社です。実際に行った事もないのに批判できないので、一家揃って参拝に行ってきました。(母、妻、長男、長女と私の5人でいってきました)
神社横の「遊就館」にポイントを絞ります。「遊就館」を一言でいうと「戦争博物館」です。遊就館のパンフレットの冒頭の言葉はこう言っています。
「明治15年わが国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にはその姿を変えながらも一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に見れば皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲・御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。十万点に及ぶ収蔵品の中から、英霊のご遺書、ご遺品、歴史を語り継ぐ貴重な史資料を展示する遊就館からは、英霊のまごころ、そして近代日本の真姿が浮かび上がります。」
確かにものすごい収蔵品の数です。軍事博物館としては第1級のコレクションだと思います。上記の文書の中の「近代史の真実」というところが「キーポイント」だと思います。遊就館の展示を通して明らかにしたい「真実」とは何なのかということです。
「楠正成」まで持ち出して一生懸命に説明しようとしていることは、昭和の満州事変、第二次世界大戦が「アジア民族開放のための戦争」であり「(追い詰められた末の)避け得なかった戦争であった」ということらしい。
これって本当にそうであったのでしょうか。欧米に遅れまいと植民地政策を推進したのではないのでしょうか。資源の乏しい日本が植民地の搾取によって近代化する欧米列強に追いつけと焦ったのではないのでしょうか。英・仏を駆逐して本当にインドシナ半島にローカル中心の民主主義国家を建設しようとしたのでしょうか。こういうことについて自分に甘くなる国民は信用されないと思います。
「英霊」の武勲・御遺徳の顕彰ということも判らないことはありませんが、それは決して「敵前で自殺」や「特攻隊」等の無謀な死ではないと思います。顕彰して欲しいのは、敵国・敵軍に対して決して卑怯な真似はせずに堂々と戦ったということ。あくまでも日本の軍人はフェアで紳士であったということではないでしょうか。そこのところをはっきりさせずに「大和魂」云々でまとめてしまうのは良くないと思います。
沖縄戦等で一般民衆にまで「敵前での自決」したことの背景に一体どんな教育があったのでしょうか。日本の政治・社会を誤らせたのは何であったのかをはっきりさせて欲しいと思います。それは日本近代の「汚点」であって、決して昔から日本人が持っている日本人の特質からは説明されないと思います。
私としては日本の「近代史の真実」を本当に究明して欲しいと思います。そうすることで日本近代における「責任」の所在が明らかになるのだと思います。
東京都美術館に「古代ペルシャ展」を見に行きました。夏休みの上野公園はものすごい人出でした。
田舎に帰らない人がこんなに東京にいたのかという感想もありますが、むしろ東京が故郷の人は相当いるはずなので東京の行楽地が混むのはあたりまえですね。なぜ「古代ペルシャ展」かというと「ゾロアスター教」関連の情報が展示されているのではないかと思ったからです。
イスラム勃興前の中東地域は、宗教的に言うと「ゾロアスター教」の世界であったのです。古代のギリシャ・ローマが向き合っていた中東世界は「ゾロアスター教」社会だった。そこにユダヤ教・キリスト教が交じり合っていたのです。
今回の「古代ペルシャ展」はメソポタミヤ文明から説き起こしているので少し回りくどいというか、焦点がぼやけているというか・・・。私の興味はササン朝・アケメネス朝のペルシャです。その時代のイラン高原の様子がどんなものであったか。これが知りたかった。ペルセポリスの大きな神殿の展示はありましたが散漫な感じがしました。古代ペルシャの「何」を展示したいのかはっきり判りませんでした。もっともその当時のイランについて判らないことが多いのではっきり打ち出せないこともあるでしょう。
何しろ現在のイランはバリバリのイスラム社会ですから、どういうものがイスラム以前から引き継いできたものなのか、発掘もままならないのではないでしょうか。キンキラの金製品を展示してもそれほど面白いとは思えません。ちょっとがっかりしました(妻と娘といっしょに見に行きました)。
今日は終戦記念日。朝早くから「小泉総理」が公約通りに公式参拝したので、テレビはその報道で持ちきりでした。小泉総理は来月で任期切れなので、最後の仕掛けをしているのでないかと思われます。それは日本人(政治家も含めて)があやふやにしてきた戦争問題をもう一度「まな板の上」にのせるということ。
戦後のこれまではアメリカ一辺倒の日本だったけれど、そろそろ「アジアの中の日本」にならなければならない。そのとき戦争責任問題は避けて通れない。従って、次の総理大臣にはこの問題にはっきり決着をつけることを要求するというもの。「小泉総理」のこの作戦は大成功だったと思います。
「靖国問題」は総裁選挙の最大の争点になるでしょう。そして多くの国民が自分のことのように考えます。戦後61年でようやくチャンスが回ってきたといえます。盛大に議論すべきでしょう。個人的にいえば、やはり国が「全ての戦没者」を追悼する施設を別に作るべきだと思います。その時に「靖国神社」も大人の対応をして欲しいと思います。
本日から1週間夏休みを頂きました。ちょうどお盆の真っ盛りですが、土日で信州の須坂に帰省します。娘は高校の同窓会と重なるので埼玉に居残りで、妻と母と3人で帰ります。
弟夫婦が小田原から時期を合わせて帰省するので、田舎で合流という事になります。田舎での主な目的は、墓参りと妻の実家の水洗トイレ工事と草刈です。 来週早々にスリランカと連絡を取らないとならないので埼玉には月曜に帰ります。
毎週水曜日は、HMVのポイント2倍のサービス曜日。従って買いたいCDがある場合HMVの場合だと水曜日がベターなのです。私の職場は新橋と有楽町の中間で、利用駅は「有楽町」。有楽町には、東芝ビル4Fと交通会館近くに2件のHMVがあります。でも最近東芝ビル店からクラシックコーナーが消えてしまいました。従って今はもっぱら交通会館近くの高速の下の店にいきます。
今日久しぶりに購入したCDはアンドレ・クリュイタンス指揮のベートーベン交響曲全集。5枚組のボックスで2000円ちょっと。実は前から狙っていたのですが出会えなかったのでした。今日ワゴンに並んでいるので早速購入。この曲集は録音が1959年から1960年でオケはベルリンフィル。フランス人のクリュイタンスがベルリンフィルの戦後初のベートーベン交響曲全集を録音したのだそうです。フルトヴェングラーが亡くなったのは1955年。そしてその後をカラヤンがベルリンフィルの常任になったのです。私の狙いは、カラヤンの影響の薄い時期でフルトヴェングラーの影響が十分残っているベルリンフィルの演奏です。というのもフランス人のクリュイタンスのスタイルが「丹精だけれど強烈ではない」という話を聞いているので、時代・指揮者・演奏曲目からして大変面白そうだからです。
早速「英雄」を聞いてみました。全曲テンポを揺らさない演奏ですが随所にベルリンフィルの名人芸を聞くことができます。特に3楽章・4楽章が名演です。曲が進むほどに根性が入ってきます。ベルリンフィルの楽員は、クリュイタンス指揮でありながらフルトヴェングラーを思い出しているようです。そこがクリュイタンスのすごい所なのかもしれません。指揮者が振っているという感覚がなく楽員たちが自発的に気持ちよさそうに演奏している感じなのです。他の曲が楽しみです。
夏真っ盛りですね。近所の市民プールか朝から大勢の家族連れで大混雑です。室内温水プールも、小さい子供に水泳を教えるお父さんお母さんで混雑。秋・冬・春の静かな雰囲気とは正反対で大騒ぎです。それでも、なんとかコースを確保し、子供たちもぶつかりながら泳ぎました。人が多いので、水のれが早いです。さらに消毒薬も多く使っているみたい。さらに温水シャワーの数が限られているのでシャンプーで頭を洗えない。ホームプールとしている私にとっては夏は厄介なことが多いのです。この時期屋外の50mプールもあるのですが1000mもゆっくり泳いでいると背中だけ日に焼けてしまって後で大変なことになってしまいます。
| 2006年08月02日(水) |
何時の間にかデザイン変更? |
マイクロソフトのブログが何時の間にか変わっていますね。「メッセンジャー」がいちいち立ち上がらないのは「大きな進歩」です。まだ、詳しく触っていないのでわからないのですが、何か便利なツールができたのでしょうか。
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