KENの日記
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2006年06月21日(水) スリランカ出張

月末にスリランカ出張を予定していています。今日スリランカの友人にメールを打とうとしていた矢先に、自宅に帰ってみるとその友人から絵葉書が届いていました。私はこういう偶然はある方だと思います。メールもまどろっこしいので夜に電話しました。彼等(友人は二人)は暫くヨーロッパに行っていてスリランカに帰ってきたとのこと。私に送りたい「本」があるとのことなので取りに行くから送る必要はないと伝えました。内戦が本格化しつつあるので非常に心配なのです。再会が楽しみです。



2006年06月20日(火) 株主総会

6月も下旬になると株主総会が集中します。これまでは自分の会社の総会の「さくら」みたいなような役目で出席したことがあります。会社で「関係会社の監査役をやって」というから会社名も聞かずに気軽に引き受けたのですが、聞いてみると関係会社でも一部上場会社だったので非常に戸惑ってしまっています。今年は「会社法」が発効し会社のガバナンスの強化が叫ばれている折責任重大です。勉強しながらやっていくことにします。明日の株主総会で正式に就任します(予定)。



2006年06月18日(日) 献血ができない。

昨日久しぶりに新宿にでました。タワーレコードでCDを買うことが主目的ですがついでに紀ノ国屋を少し見て周り献血センターに行きました。インドから帰国してから既に有楽町と池袋で献血をしています。新宿で受付で医師の方は、「ムンバイに住んでいたのなら帰国後3年は献血はできない」というのです。


センターの文書を見せてもらうと確かに「ムンバイ」地区は「B地域」ということで、その地域に1年以上住んでいると帰国後3年間は献血できない「マラリヤ」汚染地域なのです。ところがインドでも帰国後4週間で献血OKの「A地域」はあるのです。文書によると「ヒマチャル・プラデシュとかシッキム」とかなり山間地域です。有楽町と池袋ではOKなのに新宿ではだめなのです。


実際にマラリヤの発生状況を調査しながら決めているのでしょうが、キチンと制度を決めて欲しいものです。せっかく新宿までいったのに少し残念な気持ちになりました。しかし面白そうなCDが買えたので少し満足しました。買ったのはドラティ指揮の「チャイコフスキーの交響曲全集」とアルト・ノラスのチェロ曲集。ドラティの全集は「マーキュリー」盤で音質には定評があります。
「ドラティ」はキチンとした演奏をするので好きな指揮者です。両方とも何回も聞くCDになりそうです。



2006年06月17日(土) スリランカ情勢

木曜日のバス爆破事件に引き続きスリランカ空軍は、反政府組織LTTEの本拠地付近を爆撃しました。報復の空爆はだんだん反政府組織本部に近づいています。近代兵器ですから狙えば本部組織を攻撃することなど簡単なのです。この空爆に反撃するかのように、今日LTTE海軍(シータイガー)が政府軍海軍艦艇に攻撃を仕掛けたようです。双方にかなりの被害が出ている模様です。既に対立は小競り合いから小規模な軍事衝突に発展しているようです。


金曜日に首都コロンボに行っている会社の同僚に電話したのですが南部の首都はいたって平穏なのだそうです。これが不思議なのです。首都コロンボで大きなテロがなければ良いのですが。今月末に会議があるのでスリランカ出張の計画を立てています。懐かしいので楽しみにはしています。



2006年06月15日(木) スリランカでバス爆破事件

6月15日の午前中ですが、スリランカの古都アヌラダプラでバス爆破事件があり、60人の死亡者40名程の怪我人がでたもようです。バスがクレイモア地雷に襲われたようで25mも吹き飛ばされたそうです。タミールタイガー(反政府組織)の仕業と考える政府軍はタイガーの支配地地へ飛行機での攻撃を返しました。タイガーは、自分達の仕業ではないとしており、タイガーから分派した東部の武装集団の仕業であるとの声明を出しています。


政府軍とタイガーの対立だけでも大変だったのに、ここに来てタイガーから分裂した第三勢力の存在が大きな意味を持ってきています。混沌としていた状況がなお悪化してしまったのです。更にこうした内戦で被害を受けている貧しいイスラムの人達も不満が積もっているはず。解決の糸口は全く見えません。私の会社はスリランカ政府と合同で事業をしていますが心配の種は尽きません。



2006年06月14日(水) マニラ出張とサッカー

月曜日の夜からフィリピンのマニラに出張してきました。マニラのホテルには夜中の12時ごろ着きました。飛行機がマニラに近づいて来た頃に日本語の機内放送がありました。日本対オーストラリアの試合の途中経過で1対0で日本が勝っているとのこと。その後着陸体制に入りそれ以降の情報はありませんでした。


マニラ空港で手荷物が遅いやら入国審査に時間がかかるやらで、その間は試合経過はわかりませんでした。ホテルについて日本の家に電話してみるとなんと3対1で負けたとのこと。期待していただけに落胆も大きかったです。


マニラは10年振りくらいですが少し記憶がありました。以前より随分と整備されているという印象です。前もそうだったのですが、飛行場とビジネス街だけしか見ていないので本当のマニラ(生活)は判りません。タクシーの運ちゃんから聞いた話から類推すると貧富の差はまだまだ大きいようです。



2006年06月10日(土) サッカーワールドカップが始まりました。

ワールドカップが始まりました。今イングランドとパラグアイの試合のハーフタイムです。プレミアリーグを見ていたこともあってイングランドファンでもあるのですが、イングランドの強さはブラジルと並ぶと思います。前回の日韓大会でもブラジルと互角に戦ったのはイングランドだけでした。今回のイングランドはチェルシー軍団が主力になっています。そこに、ベッカム・MUのルーニーなどが絡んできます。
守備の中心はテリー(チェルシーのキャプテンで抜群の安定度があります)。MFは「ベッカム」との「チェルシーのジョー・コール」が組み立てます。でも、ここまで見ていての感じですがイングランドより「チェルシー単独」の方が強そうに見えます。イングランドチームはまだ少しちぐはぐなところがありますね。結局1対0でイングランドの勝ちでした。イングランドベンチに怪我をした「ルーニー」が居ました。彼が出くるとまた雰囲気が変わると思います。



2006年06月06日(火) 感謝・感謝です。

ムンバイ室内オケ代表のビリモーリアさんから、日本人ピアニストをイギリスから呼びたいのだけれど、どこから支援金を得られないだろうか・・・という相談を受けていました。彼等もニューデリーの国際交流基金に手紙を書いたところだったようです。
早速、国際交流基金・ニューデリー日本大使館文化部にメールを送り、国際交流基金とムンバイ領事館に電話しました。ムンバイ領事館の「I」さんにはムンバイでお世話になったことに加えて、またしてもお願いをしてしまいました。これらの側面からのお願いの効果もあってか今回は特別な措置だということなのですが、国際交流基金の予備費から支援金が出ることになりました。

ムンバイオケOBとしてとてもうれしく思うと同時に「日本」からの支援で、インドで日・印交流の演奏会が開かれることは誇らしいです。ムンバイのTATAシアターには、演奏者用の宿泊施設が完備されていますので、渡航費はオケで工面(支援獲得)するので、ほんの少しの謝礼に我慢してもらえば、ムンバイで交流演奏ができます。(ムンバイオケの伴奏は完璧ではないけれど)
これから日本の演奏家の中で興味のありそうな人を探したいと思います。インドで演奏したい演奏家募集中です。



2006年06月04日(日) 楽しかった同窓会

昨日は高校時代の吹奏楽クラブの同窓会でした。自分達の年代と下二代の都合のついた人達26名が集まりました。妻は同じ吹奏楽班の二代下なので我が家から二人出席です。「言いだしっぺ」の私が連絡やら会場手配をしました。会場は九段の「九段会館」(非常に渋い選択だと言われました)
3時間30分の宴会時間は本当に「あっ」という間に過ぎてしまいました。30年以上振りの再会です。話が進むほど色々思い出すようで話題は際限なく広がっていく感じです。3時間30分の一次会では飽き足らず、二次会・三次会に行った人達も多くいます。
とにかく高校時代は親が呆れるほど「音楽」に没頭したのでした。コンクールだけでは飽き足らず自分達の音楽の発表の場として演奏会を企画したのでした。今日の午前中に昨日もらったその時に演奏会のCDを聴きましたが驚くほど立派な演奏をしています。若い音楽ですがエネルギーが一杯です。今はそういう音楽はできないだろうなと思いますが、一人一人の感性・個性が集まって、そういう音楽が出来たと思います。非常に魅力的な集団だったのだと思います。
その後の30数年の別々な人生では色々あったのだと思います。しかし思い出はエネルギーになるものですね。



2006年05月31日(水) チャンドラ・ボース

Probe report on Subhash Chandra Bose 'death' tabled.

New Delhi: The findings of the one-member commission that probed the alleged disappearance of Netaji Subhas Chandra Bose was tabled in the Lok Sabha Wednesday, along with the government's action taken report.
Minister of State for Home S. Regupathy tabled the report of Manoj Mukherjee, a retired judge of the Supreme Court, who was asked in 1999 to probe the alleged death of Subhas Chandra Bose, following an order of the Calcutta High Court, which wanted a vigorous inquiry to put an end to the controversy.
The United Progressive Alliance government has, however, rejected the report.
The report says Bose did not die in a plane crash in Taiwan in 1945 as has been believed for over six decades and that the ashes in Renkoji temple near Tokyo did not belong to the founder of the Indian National Army.
The report also wants a thorough probe into the so-called Rssian connection in the controversy, which says Bose had survived the Second World War and had, in fact, been detained in a Siberian camp thereafter.
This was the third panel constituted to probe the disappearance of Bose.
2006年5月17日のインドの新聞記事の勝手な抜粋です。「スバーシュ・チャンドラ・ボース」の死に関するインド政府の報告書です。これは3回目の正式な調査報告書なのです。これによると、東京杉並区「蓮光寺」に安置されているボースの遺骨は、全くの偽物で、ボースは実際にはシベリアに渡ったという結論になっています。日本とインドを結ぶ「最大のキーパーソン」のチャンドラ・ボースですが、インド政府のこうした報告書によって、日・印の架け橋にはなり得ていないのです。チャンドラ・ボースは終戦直後(1945年8月18日)に台北の飛行場における飛行機事故でなくなったとされています。インドで買ったボースの伝記にもそのような記載があります。

日本ではこれが真実と信じられています。確かに終戦前夜のドサクサの出来事なので証拠品などが失われているのでしょう。しかしそろそろ政治的な結論が出されても良いと思われます。ボースの役割とか、東京裁判の「バール博士」の意見とか、日・印を結ぶインド人のことが日本でもっと知られて良いと思います。




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