| 2006年06月14日(水) |
マニラ出張とサッカー |
月曜日の夜からフィリピンのマニラに出張してきました。マニラのホテルには夜中の12時ごろ着きました。飛行機がマニラに近づいて来た頃に日本語の機内放送がありました。日本対オーストラリアの試合の途中経過で1対0で日本が勝っているとのこと。その後着陸体制に入りそれ以降の情報はありませんでした。
マニラ空港で手荷物が遅いやら入国審査に時間がかかるやらで、その間は試合経過はわかりませんでした。ホテルについて日本の家に電話してみるとなんと3対1で負けたとのこと。期待していただけに落胆も大きかったです。
マニラは10年振りくらいですが少し記憶がありました。以前より随分と整備されているという印象です。前もそうだったのですが、飛行場とビジネス街だけしか見ていないので本当のマニラ(生活)は判りません。タクシーの運ちゃんから聞いた話から類推すると貧富の差はまだまだ大きいようです。
| 2006年06月10日(土) |
サッカーワールドカップが始まりました。 |
ワールドカップが始まりました。今イングランドとパラグアイの試合のハーフタイムです。プレミアリーグを見ていたこともあってイングランドファンでもあるのですが、イングランドの強さはブラジルと並ぶと思います。前回の日韓大会でもブラジルと互角に戦ったのはイングランドだけでした。今回のイングランドはチェルシー軍団が主力になっています。そこに、ベッカム・MUのルーニーなどが絡んできます。 守備の中心はテリー(チェルシーのキャプテンで抜群の安定度があります)。MFは「ベッカム」との「チェルシーのジョー・コール」が組み立てます。でも、ここまで見ていての感じですがイングランドより「チェルシー単独」の方が強そうに見えます。イングランドチームはまだ少しちぐはぐなところがありますね。結局1対0でイングランドの勝ちでした。イングランドベンチに怪我をした「ルーニー」が居ました。彼が出くるとまた雰囲気が変わると思います。
ムンバイ室内オケ代表のビリモーリアさんから、日本人ピアニストをイギリスから呼びたいのだけれど、どこから支援金を得られないだろうか・・・という相談を受けていました。彼等もニューデリーの国際交流基金に手紙を書いたところだったようです。 早速、国際交流基金・ニューデリー日本大使館文化部にメールを送り、国際交流基金とムンバイ領事館に電話しました。ムンバイ領事館の「I」さんにはムンバイでお世話になったことに加えて、またしてもお願いをしてしまいました。これらの側面からのお願いの効果もあってか今回は特別な措置だということなのですが、国際交流基金の予備費から支援金が出ることになりました。 ムンバイオケOBとしてとてもうれしく思うと同時に「日本」からの支援で、インドで日・印交流の演奏会が開かれることは誇らしいです。ムンバイのTATAシアターには、演奏者用の宿泊施設が完備されていますので、渡航費はオケで工面(支援獲得)するので、ほんの少しの謝礼に我慢してもらえば、ムンバイで交流演奏ができます。(ムンバイオケの伴奏は完璧ではないけれど) これから日本の演奏家の中で興味のありそうな人を探したいと思います。インドで演奏したい演奏家募集中です。
昨日は高校時代の吹奏楽クラブの同窓会でした。自分達の年代と下二代の都合のついた人達26名が集まりました。妻は同じ吹奏楽班の二代下なので我が家から二人出席です。「言いだしっぺ」の私が連絡やら会場手配をしました。会場は九段の「九段会館」(非常に渋い選択だと言われました) 3時間30分の宴会時間は本当に「あっ」という間に過ぎてしまいました。30年以上振りの再会です。話が進むほど色々思い出すようで話題は際限なく広がっていく感じです。3時間30分の一次会では飽き足らず、二次会・三次会に行った人達も多くいます。 とにかく高校時代は親が呆れるほど「音楽」に没頭したのでした。コンクールだけでは飽き足らず自分達の音楽の発表の場として演奏会を企画したのでした。今日の午前中に昨日もらったその時に演奏会のCDを聴きましたが驚くほど立派な演奏をしています。若い音楽ですがエネルギーが一杯です。今はそういう音楽はできないだろうなと思いますが、一人一人の感性・個性が集まって、そういう音楽が出来たと思います。非常に魅力的な集団だったのだと思います。 その後の30数年の別々な人生では色々あったのだと思います。しかし思い出はエネルギーになるものですね。
Probe report on Subhash Chandra Bose 'death' tabled.
New Delhi: The findings of the one-member commission that probed the alleged disappearance of Netaji Subhas Chandra Bose was tabled in the Lok Sabha Wednesday, along with the government's action taken report. Minister of State for Home S. Regupathy tabled the report of Manoj Mukherjee, a retired judge of the Supreme Court, who was asked in 1999 to probe the alleged death of Subhas Chandra Bose, following an order of the Calcutta High Court, which wanted a vigorous inquiry to put an end to the controversy. The United Progressive Alliance government has, however, rejected the report. The report says Bose did not die in a plane crash in Taiwan in 1945 as has been believed for over six decades and that the ashes in Renkoji temple near Tokyo did not belong to the founder of the Indian National Army. The report also wants a thorough probe into the so-called Rssian connection in the controversy, which says Bose had survived the Second World War and had, in fact, been detained in a Siberian camp thereafter. This was the third panel constituted to probe the disappearance of Bose. 2006年5月17日のインドの新聞記事の勝手な抜粋です。「スバーシュ・チャンドラ・ボース」の死に関するインド政府の報告書です。これは3回目の正式な調査報告書なのです。これによると、東京杉並区「蓮光寺」に安置されているボースの遺骨は、全くの偽物で、ボースは実際にはシベリアに渡ったという結論になっています。日本とインドを結ぶ「最大のキーパーソン」のチャンドラ・ボースですが、インド政府のこうした報告書によって、日・印の架け橋にはなり得ていないのです。チャンドラ・ボースは終戦直後(1945年8月18日)に台北の飛行場における飛行機事故でなくなったとされています。インドで買ったボースの伝記にもそのような記載があります。
日本ではこれが真実と信じられています。確かに終戦前夜のドサクサの出来事なので証拠品などが失われているのでしょう。しかしそろそろ政治的な結論が出されても良いと思われます。ボースの役割とか、東京裁判の「バール博士」の意見とか、日・印を結ぶインド人のことが日本でもっと知られて良いと思います。
| 2006年05月24日(水) |
マンションの防災訓練 |
21日の日曜日、マンションの防災訓練がありました。小さなマンションですが、こういうことは真面目に取り組み人が多いのです。今回も多くの住民が参加しました。実は妻が初代「防火管理者」となって頑張って伝統を築いたとも言えます。 今回の訓練の目玉は「救急救命」の訓練でした。消防署から、人工呼吸用の人形とかAEDを持ってきてもらって、心臓マッサージの方法等の訓練を受けたのでした。私は、人工呼吸と心臓マッサージを実際に体験練習させてもらいました。せっかく、少し勉強したので、妻と一緒に市役所の講習を受けようと思っています。妻をさそったのは私だけ覚えても私の助けにならないからです。 AEDも非常に有効だということですが、使い方を知っておくと役立つと思います。しかし、マンション近くには「AED」はないようです。
今日は久しぶりに晴れました。というより非常に暑かったです。午前中にしっかり泳いだので昼ご飯は外食することにしました。運動不足の母の散歩と子供達を「うなぎ」で釣り出したということ。家から少し離れた「別所沼公園」内にある「うなぎや」さん。 散歩した後、軽くビールの飲んで、昼食にうなぎを食べる・・・これはかなり満足度が高い。美味しく昼食を頂きました。その後、しっかり買っておいた食パンを鳩とアヒルの昼食として提供。少し風が強かったけれど、別所沼は気持ちが良いです。ゆっくり歩いて帰ってくると3時過ぎでした。 それから少しお昼寝。家族全員でウトウトしていると息子が「雨だ」と騒ぎ出しました。物凄い風と雨。直ぐに洗濯物を取り入れました。とんでもない天気でした。しかし、非常に暑い日だったので寒がり妻から「ストーブをしまう」許可がでました。
内戦の拡大が懸念されるスリランカ。そのスリランカの外務大臣等が17日から来日中なのです。ちょうど、国連のアナン事務総長も来日していて会談を持った模様。 ちょっと予想はしていたのですがスリランカ政府の方が、我が社の幹部と会いたいと言い出したのが17日。大慌てで資料を準備などして18日午前中の面会をアレンジされ無事終了しました。幸い「帝国ホテル」は会社からも近かったので助かりました。さらに今日の19日の夕方にももう一回の会談。 スリランカ大使館の「M」さんにはスケジュール調整で大変お世話になりました。ありがとうございました。外務大臣やスリランカ政府関係者の皆様はとても気さくな方達でした。我が社との関係もありますが、とにかく個人的には内戦が収まることを期待しています。せっかく日本に来たのに、雨の日が続くので少しかわいそうでした。
今日愛用のボールペンを見ていて思い出しました。実は愛用のボールペン(モンブラン)はインドのムンバイのレストランで落とし(忘れ)諦めていたのに出て来たのです。郊外のレストランで昼食した後にオフィスに帰り夕方頃ボールペンがないことに気がついたのでした。色々考えてレストランに電話したのですが、最初はそういう落し物はないとのことでした。 「だめかな」と思っていたところその後レストランから電話があって床に落ちていたとの連絡。後日取りに行ったのでした。店の人には大感謝でした。店の係りの人に礼を言うと「It's our duty」という「かっこいい言葉」が帰ってきたのでした。 その他の例でも、私は「落し物が出てくるタイプ」のようです。高校生の頃信州のスキー場のゲレンデで時計を落としたのです。下まで降りてきて時計のないことに気づいたのでした。同じリフトでもう一度上まで上り先ほど滑ったコースを探したのです。そしたらゲレンデの中程で私の時計を発見したのでした。これは奇跡に近いと思っています。この時計まだ現役です。 スリランカではもうひとつ。「地球の歩き方」の本を「ダンブッラ近郊のレストラン」に忘れました。ダンブッラはコロンボから100Kmほど離れた石窟寺院で有名な町です。コロンボに帰ってきてから気づいて思い当たったそのレストランに電話したところ、それらしい本があるとのことでした。それから3ヶ月程して再度近くを通ったので寄って回収してきました。 「とんま」でも少し気が利いている「とんま」なのでしょうが、忘れないに越したことはないです。
先週辺りから挑戦していることがあります。それは朝の通勤列車の赤羽駅で階段近くに止る混雑する車両に乗ること。ホームで並ぶ時後ろの方では乗れません(乗り切れない)。乗る「コツ」は列の真ん中くらいにな位置を確保して、後から乗る人に推してもらって車両に入ること。すごい圧力なので簡単に乗れます。 その車両に乗ると降りる時に非常に便利なのです。ダッシュで階段を上れるので混雑に巻き込まれず通勤時間が5分くらい短い気がします。上野駅での乗り換えは時間がかかるのですよ(東北・高崎線から京浜東北・山手乗り換え)。 しかし同じように考える人が多く想像を絶する混雑なのです。今のところ混雑に耐えています。(赤羽から上野の10分ちょっとですが)我慢強い人達がいるものです。混雑でもみくちゃにされた後上野駅の階段を駆け上る人もいます。私は多分暑くなったらやめると思います。なぜ続いているか。超満員の圧力の中にいると通勤時間が短く感ずるからです。
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