KENの日記
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2006年04月09日(日) 我が家の人数一人増加

昨日の土曜日小田原の弟の家に行って来ました。私がインドに行っている間母は小田原の弟の所にいっていたのですが、私の引越し荷物整理やら、息子の就職が片付いたので、埼玉の私のマンションの引っ越してもらったということです。マンションは決して広くはないのですが、狭くても家族と顔を合わせる事が多いので母には安心だと思います。これから5人暮らしとなるわけです。
小田原への行程は以下の通りでした。
行きは17号バイパスで笹目、環八を南下して用賀東名へ。東名厚木から小田原厚木道路。帰りは東名から首位高速に入って、高速3号線・高速5号線で埼玉に帰りました。環八はまだ井荻付近でトンネル工事中でしたね。随分長く工事をしています。この工事が完成するとだいぶ便利になりますが。
それより東京外環を中央道・東名まで早く伸ばして欲しい。そうすれば、首都高速・環七・環八の渋滞は相当緩和されるでしょう。それと高速料金所はETCを優遇しすぎです。ETC車専用通路が増えて一般車用が減っています。ETCを着けていない車は不便を強いられています。ちょっとやりすぎの感じですね。
小田原に行ったついでに早川の魚市場にいってきました。市場の岸壁で釣りをしている人達が沢山いました。家の近くで釣りができるのは羨ましいです。市場の近くの食堂で海鮮料理を食べましたが、とても美味しかったです。



2006年04月02日(日) メガネ検討中

ここ半年くらいのことですが、近くを見る時に焦点が合わない。つまり、近眼メガネをかけているのですが、近くを見る時にメガネをはずすようになってしまった。まだメガネをはずせば、書類だとか電車内でも本などを読めるのです。しかし、いちいちメガネをはずすのは面倒くさいのです。
昨日行き着けのメガネ屋さん「ワシン」に行ってみました。「ワシン」(浦和)では「全視界メガネ」と銘打って大々的にコーナを設けています。鼻あてを可動式にした上下6mmメガネが上下する機構と遠・近レンズの組み合わせ。説明を聞いていると大変便利そうでした。でも、今はメガネを取ればよいのですが遠視が進行しそうなのでもう少し待つことにしました。すばらく不便が続きます。
メガネと言えば娘が運転免許取得のために「度」の強いメガネが必要になりそうです。妻も今年免許更新なので強い「メガネ」が必要になるかもしれません。我が家は全員「メガネ」なのです。なんとかメガネを安く買う方法がないでしょうかね。



2006年04月01日(土) ワンセグについて

今日から「ワンセグ」放送が始まっています。テレビ放送について少し調べました。これまでのアナログテレビ放送の技術には以下3方式がありました。
NTSC方式(日本、米国など)
PAL方式(イギリス、ドイツ、中国など)
SECAM方式(フランス、ロシア、東欧など)

日本テレビ受像機で見ることの出来るのビデオテープは私が暮らしたスリランカ・インドでは見ることが出来ませんでした。インドのムンバイ日本人会の抱える大きな問題は「NHK海外放送視聴問題」でした。ムンバイ在住者の家庭の何軒かがNHK海外放送を見ることが出来ない状態があったのです。ムンバイのケーブルTV会社は技術的な問題でNHK海外放送(NTSC方式)をPAL方式に変換することができなかったようです。
それでも、テレビを持って海外旅行はしませんし、通常のケーブルTV会社は上手く変換するのでその他の国ではそれほど問題になりませんでした。しかしNHK海外放送を日本の情報発信の手段として戦略的に活用していくのなら、放送方式を考えて外国の多くの人が見ることが出来るようにしないと意味ないと思います。さて、デジタルテレビ放送(地上波)の技術は以下の4通りです。
ISDB−T方式(日本)
ATSC方式(Advanced Television Systems Committee)(北米)
DVB−T方式(Digital Video Broadcasting Terrestrial)(欧州)
中国方式(中国で開発中)

日本のISDB−T方式に準拠した携帯電話は海外方式の放送を見ることが出来ません。携帯電話はTVと違ってどこへでも持って持って行くことができます。携帯電話の「通信」の世界においては「3G」の時代でこうした問題の解決が一応はかられます。つまり、実質的に世界標準の「GSM」方式と日本の「PDA」方式が通話可能となるのです。しかし携帯電話を地上波デジタルの受像機として考えるとき、再び第二世代(2G)まで同じような不便な状況に陥ることが予想されます。放送と通信の問題は非常に重要な問題になってきています。



2006年03月26日(日) 妻が所属する合唱団のコンサート終了

土曜日、妻が所属する合唱団のコンサートがありました。場所は中目黒のGTプラザホール。中目黒駅前でした。事前の予想では40〜50名位の聴衆が来てくれればと話していたのですが、実際には80名位のお客様がいらっしゃってくれました。大盛況でした。5年振りの演奏会だとのこと。前の目黒区福祉会館でのコンサートは既にすっかり忘れています。演奏はなかなか頑張ったのではないかと思います。かなりの平均年齢なので色々苦労してきたことがそれぞれの人の歌に現われているのだと思います。気持ちに加えて発声だとかハーモニーに気をつけていて練習の成果があったのだと思います。歌を歌うということは色々な面でかなり生活に良いのだと改めて実感しました。このコンサートをきっかけに団員が増えれば良いと思います。特に若い方の参加を期待しています。ホームページの「インドの思い出」更新しました。



2006年03月23日(木) 忙しい週末

明日あさってと大イベントが続きます。明日は息子の卒業式(大学)。5年間の大学生活は楽しかったのでしょう。4月からは社会人です。自覚を持ってしっかり生きて欲しいものです。土曜日は妻の合唱団のコンサート。会場は中目黒のGTプラザホール。午後1時30分から。平均年齢が毎年順調に高くなっている合唱団ですが気持ちは若いようです。子供達といっしょに聴きに行く予定です。娘は自動車免許取得のために教習所に通っています。路上教習にはいっていて4月上旬にはドライブができそうです。



2006年03月21日(火) 久しぶりに感動「WBS」

韓国に負け続けた日本が韓国に雪辱したにとどまらず、決勝まで進んで、強敵にキューバにまで勝って優勝しました。松井が出ていないとか大リーグの一線級が出ていないとか、アメリカ主導だとか、色々ありましたがやった者勝ち。勝ったもの勝ちですね。運営がどうだとか、審判が悪いとか批判もありましたが、そこはスポーツ。どういう形であれ必死で戦う集団は感動を呼ぶものです。今回の日本チームは「ロッテ」の選手が多いのです。昨年日本にいなかったのでペナントレース、日本シリーズがどんな様子であったか分かりませんが、巨人選手中心のチームならとても勝てなかったでしょう。ロッテの若い選手のはつらつとしたプレーは清清しいですね。ただ欲を言うと試合終了後に両チームがきちんと握手を健闘をたたえあうべきでしょう。スポーツですから。特に日本・韓国試合は試合の後キチンと挨拶をすべきだったと思いました。政治はともかくスポーツマンが立派なところを見せて欲しかった。



2006年03月19日(日) 池袋で買い物

本当に久しぶりに池袋に買い物に行きました。昔池袋駅の近くに勤めていたことがあります。その頃東長崎の社宅に住んでいました。池袋の西武デパートは以前はもっと混雑していたような気がします。何か少し元気が無いみたい。池袋全体が少し変わったのかなと思ったのですが、東急ハンズに向かう道はすごい混雑。

池袋駅から西武百貨店の下をくぐり、地上に出てからハンズに向かう道に左折する少し前に「宮城県」のショップが出来ていました。入り口付近のショウウィンドーに「こけし」が飾ってあったので中に入ってみました。ショップでは宮城県の産物を沢山売っていますが「こけし」もありました。宮城県の伝統こけしである、鳴子系・やじろう系の2系統の大きいものから小さいものまで、ある程度選べる「こけし」を売っていました。

「こけし」については私のホームページに少し書いています。海外からのお客さんとか海外へのお土産に「こけし」がいいなと思っていたのですが、東京で「東北伝統こけし」を入手するのは困難です。これから池袋の宮城県ショップで買えることが分かりました。

でも今の宮城県ショップの目玉は仙台出身の「荒川静」さんですね。このショップには牛タンレストランが入居しています。強風の影響で埼京線の浮間舟渡−戸田公園間は徐行運転でした。武蔵浦和についてみると武蔵野線は運転を見合わせていました。ほんとうにすごい風でした。



2006年03月18日(土) インドからのお客さん

インドから客さん来日しました。(14日のこと)ムンバイで会計の相談にのってもらっていた「メータ」さんです。OECD関連の仕事だそうで前回2年前と同じく「オストヴァル」さんと一緒です。昨年インドから帰国するに際、12月30日にムンバイの「サムラート」というベジレストランで送別の宴を設けてもらいました。メータ夫妻と私と妻で純粋なベジの夕食をいただいたのです。「オストヴァル」さんと「メータ」さんはジャイナ教信者です。「ジャイナ教」は宗教の教えを実践することをもとめる宗教で自己制御が出発点になります。菜食主義(命あるものを大切する)ことは実践の基本的な行動なのです。前回来日時には東銀座の「ナイル」に招待し特別なベジ料理を作ってもらいました。今回は泊まっているホテルから程近い赤坂の「モティ」を紹介することにしました。(前日の火曜日にも同じレストランで夕食を取ったとのこと。考えることは同じですね)「モティ」には「ベジ・タリー」があることをホームページで調べておきました。
電話で「ジャガイモ・ニンニク・しょうが」等の地中作物も入っていないと言っていたのに、実際に行って見ると「ベジタリー」にはニンニクが入っているとのこと。電話でキチンと確認したのに「ジャイナ教徒」用にはなっていないのです。それでも「メータさん」はベジ・タリーを食べてくれました。「オストヴァル」さんは南インド料理の「ドーサ」とジェイン用の野菜カレーを食べました。私と妻はメータさんと同じ「ベジターリ」。たいへん美味しくいただきました。
赤坂にはインド料理レストランが増えていて驚きました。メータさんとオストヴァルさんは2007年9月に再度来日する予定があるそうです。遠いですが楽しみに待っていることにします。メータさんのお嬢さん(メギナさん)は今年12月にムンバイで結婚式を挙げます。そのために広いグランドも確保したのだそうです。12月まで父親のメータさんは大変です。メータさんから結婚式にぜひ来てくれといわれているのですが・・・。



2006年03月12日(日) 献血

久しぶりの献血をしました。手帳の記録によると平成13年9月29日以来です。今日の献血で34回目です。場所は有楽町献血ルーム。交通会館の6階にあります。ここは会社に近いので一番多く利用しています。4年半振りで行って見ると献血ルームはリニューアルしていました。以前より広くなって採血ブースも多くなったようです。有楽町は人出が多いので非常に混んでいて、今日も2時間かかりました。私は身体への影響が少ない「成分献血」をするようにしています。少し時間がかかるのですが「400」CC採血するより負担が軽いです。成分献血は、一定量の血液を機械に通し「血小板」を取り出した後、また身体に返すというもので、血液の抜いたり戻したりを5回繰り返すので、1時間くらいかかってしまいます。急いでいる時には出来ません。時間のない人は200ccあるいは400ccの献血となります。若い人達が大勢献血しています。頼もしいと思いました。



2006年03月11日(土) 武蔵野線最終電車

昨日の金曜日は仕事が思いのほか長引いてしまい、ひやひやする思いで帰宅しました。今後のために記録しておきます(たびたびあると困るけど)。仕事を切り上げることにしたのは、夜の11時45分。(後数時間残って仕上げるか、明日出直して続けるか相談の結果、出直しになったのです)その時点で、埼京線の最終電車(12時8分赤羽)には間に合いません。
オフィスは内幸町。通常の通用門は新橋ガード下に面していてオフィスから有楽町駅まで10分くらいなのですが深夜10時以降は通用門が閉鎖され、日比谷通りの帝国ホテルを抜けるルートとなり、オフィス・有楽町間は10分以上かかります。
私の目論見は京浜東北線で「南浦和」までたどりつくこと。「南浦和」まで行けば、最悪タクシーでも1000円程度だし、運が良ければ、武蔵野線最終で「武蔵浦和」にいけます。会社を出たのは12時10分前。駆け足で頑張った結果、有楽町で12時1分の山手線内回りに乗ることができました。京浜東北線の列車は12時6分なので、山手線で先行する京浜東北に追いつけると思ったのです。というのも特に金曜日深夜の京浜東北線の混雑はすごいのです。およそ半分以上の客は酔っていて乗り降りに時間がかかり、トラブルの可能性が高い。並行して走る山手線は反対にガラガラですいすい進むのです。従って、有楽町から田端までの区間で先行の京浜東北線に追いつく可能性は高いのです。
予想通り山手線は先行の京浜東北線に次第に接近しはじめました。そしてとうとう田端駅で乗り換え出来るほどに追いついたのでした。田端から「南浦和」までの京浜東北線は依然として混雑していました。「南浦和」着は12時40分。南浦和で12時44分の武蔵野線最終に接続できました。有楽町で次の京浜東北線に乗っていては、南浦和で最終電車には乗れなかったでしょう。
それにしても、深夜の京浜東北線(北行)、武蔵野線最終電車は混んでいます。そして多くの客が武蔵浦和駅で降りました。近所に同じように考える人達が結構住んでいるのですね。うれしくなります。金曜日の夜の最終電車。一週間お疲れ様でした。(今日出勤ですが)




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