KENの日記
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2006年01月29日(日) モーツアルトの誕生日

1昨日の1月27日はモーツアルトの生誕250周年記念の日でした。オーストリアのザルツブルグでは、誕生日を祝って多くの催しが計画されています。
日本でも今年はモーツアルトの作品の演奏会は相当多いでしょう。金曜日の飲み会で遅くなりましたが家に帰ってからモーツアルトの作品を聞きました。

曲は「レクイエム」。我が家にある演奏は以下の4種類。


ショルティ・ウィーンフィル(モーツアルト没後200年記念演奏会)
ケルテス・ウィーンフィル(1965年録音)
ベーム・ウィーンフィル(1971年録音)
アーノンクール・ウィ−ンフィル(最新)


昨日はケルテス盤を全部聞いてから、「ラクリモーサ」だけベーム・アーノンクールを聞き比べました。ケルテス版の「ラクリモーサ」の「アーメン」は最後の音を長く引き伸ばしたとても印象的なものです。ベームの「ラクリモーサ」は非常にテンポが遅く「止まりそう」なのですがオケ・合唱が充実してます。
今日はショルティの録画を聞きました。ウィーンのステファン教会で行われた追悼ミサの演奏で非常に敬虔な雰囲気です。通して聞いていつも思うのはモーツアルトが途中までで完成できなった曲を「ジュスマイヤー」が良く補完してくれたということです。この曲は人類の遺産だと思います。



2006年01月28日(土) 靴修理

旅行用にも使っていた「カジュアルな」靴の片方が壊れました。その靴は自分にあったインナーソールを入れてはき心地をよくしたもので、片方が壊れたので、買い換えようかどうか迷っていたのです。壊れたところは「マジックテープ」。靴紐の代わりにマジックテープが着いているのですが、それが効かなくなったのです。もじゃもじゃした「毛」がある方が、「毛」が伸びきってしまい接着力が弱くなったのです。マジックテープは革に縫い付けられているので、素人では殆ど修理不可能に思えました。

「だめで元々」という考えで、マジックテープを買ってきて「膠」で固定してみようと思いました。マジックテープは浦和の「ユザワヤ」で買いました。さすがにその種の専門店。豊富です。丈夫そうな「マジックテープ」がありました。固定するために「膠」も以前に「ユザワヤ」で購入したもの。水に浸し、暖めて、溶かして、塗ってから乾燥させる・・・と面倒なのですがその接着力はすごいです。感動ものです。靴のマジックテープを切り取り、そこに新品の「もじゃもじゃテープ」を膠で固定しました。それで靴が復活しました。やってみるものですね。



2006年01月27日(金) 今週が山場だったこと

今週が山場だと思っていたことが二つあります。ひとつは、「ライブドア」の「ホリエモン」が逮捕されるかどうか。もう一つは「スリランカの内戦の行方」でした。前者については月曜日の逮捕であっけなく幕を閉じました。正直いって彼の行動力と度胸は立派だとおもいます(自分にはまねできないので残念ですね)


そしてスリランカ政府と反政府軍がスイスのジュネーブで話し合うことに合意しました。ひとまず全面武力衝突の危機は回避されました。しかしこれまで何回も話し合ったのに解決策が見出せなかったのも事実です。仏教徒の「シンハラ人」も「ヒンドー教徒」のタミール人ももともとすごく平和な民族なのに。
今は極右の過激な仏教徒と自爆テロの本家の「タミール人」という印象が強いです。この両者の戦いで、貧しい層のイスラム教徒も被害を受けています。なにか良い知恵はないものでしょうか。



2006年01月26日(木) 「中村屋のボース」

昨年出版された「中村屋のボース」。著者は「中島岳志」さん。中島さんは現在30歳。渋い話題に焦点をあてていて非常に興味深い本です。中島さんは大学でヒンディー語を専攻したので、インドの描写が生き生きしていて良いです。「R.B.ボース」はもう少し語られて良いと思います。


「インド独立」に関する脈絡で「R.B.ボース」はインドでは殆ど語られていません。というのも、彼は若くして祖国インドを離れ、日本からインド独立運動を展開したからです。さらに、インド独立の英雄は、インドではガンジーでありネルーなのです。自由インド軍を指揮して戦った「チャンドラ・ボース」でさえ忘れ去られようとしているのです。

さらに「インド」や旧イギリス植民地国には、矛盾しているように思えるけれどイギリスに対する「親近感」があって、大東亜戦争で「英・米」と戦った日本に庇護を求めた両ボースを「祖国の英雄」に列するには少し躊躇するところがあるみたい。従ってインドで「R.B.ボース」の本が書かれることはないのです。この本が英訳され、インドで出版されることを期待します。


この本の中で繰り返し語られている「アジアの心」は大切だと思います。西欧特にアングロサクソン文化が世界の中心的な思想であるとする風潮は今も非常に危ないです。インドブームの真っ只中でタイムリーな出版だと思います。「R.B.ボース」の考え方・行動を丹念に追って居て面白いですが、私には著者の「アジア主義」あるいは「宗教」に対する洞察に興味があります。今後そうした面での研究活動を進められることを期待します。また「スバシュ・チャンドラ・ボース」も書いて欲しいと思いました。



2006年01月25日(水) 人間ドック

10年振りに「人間ドック」を受検。場所は豊洲の昭和大額付属病院。メインは胃カメラ。初めてではないものの、受検前は少し緊張しました。


でも今日は麻酔をしてもらったので知らないうちに終わってしまいました。検査の間「ボー」としていたので、検査の先生がどんなことを言っていたのか全くわまりません。こんな「楽」な胃カメラは初めてでした。


検査結果が送られていくまで一ヶ月くらいかかるそうですが検査後の対応は普通だったので、別に異常はなかったのでしょう。超音波検査では「脂肪肝」だとはっきりいわれました。これも血液検査の結果とあわせて後で診断されるのだそうです。毎年の健康診断の心電図で引っかかる「ST−T異常」。これは何なのかわからないので、しっかり検査してくれるよう頼みました。インドから帰ってきてから、日本食があまりにも美味しいのでほぼ毎日食べ過ぎの状態が続いています。そろそろ、食べる量をすこしづつ減らしていこうとおもいます。



2006年01月22日(日) 関東地方の積雪

寒い週末でした。金曜日深夜から降り出した雪は、さいたまでは10cmくらい積もりました。元気の良い近所の小さい子供達は、さっそく「雪だるま」を作って遊んでいました。それにしても寒いです。灯油の消費量がぐんぐん増えていきます。寒かったので、家の中にいる時間の長い週末でした。週末の時間を使って、インドの思い出を少しまとめてホームページの方に、「バラナシ・ブッダガヤ旅行記」をアップロードしました。写真も何枚か載せていますのでよかったらご覧ください。「ブッダガヤ」は仏陀が「悟り」を開いた場所です。


先週の金曜日に柳澤桂子さんの「いのちの日記」という本を買ってきて週末に読みました。厚い本ではないので私の次に妻も読み終えました。柳澤さんは、昨年「般若心経」をご自分で約された「生きて死ぬ知恵」という本を出されました。こちらの本は本屋の立ち読みで大筋を掴みました。(購入するかもしれませんが)「いのちの日記」は、般若心経を訳すまでの、著者の生い立ち・闘病生活を等を紹介しています。柳澤桂子さんは科学者で長い闘病生活の中で何冊もの本を出版しているのです。妻は「理系」で「子育て経験あり」というところが共通なので共感するところがあったみたいです。


柳澤さんの本を読んだり、「ブッダガヤ」のページをまとめる上で少し「仏陀の」ことを調べたりして仏陀の「悟り」ということを考える週末になりました。インドで買った仏教・ヒンズー教関連の本はインドから送り出した荷物の中なのでまだ日本に到着するまでには時間がかかります。それらが到着したら、ホームページをもう少し加筆しようと思います。



2006年01月21日(土) インドの結婚式

いきなりですが、インドから結婚式の写真が到着したので公表します。2005年1月16日、インドのウッタルプラデシュ州の州都のラクナウでの結婚式(ヒンズー教式)。私が10月にニューデリーで採用した社員の結婚式です。
招待状を頂いたのですが日本に帰国してしまったので出席は出来ませんでした。彼から教えてもらったりインドから今回知らされた情報を基に、インドの結婚式情報を書きます。



彼等は見合い結婚です(Arranged Marriage)。11月のある週末に彼は有給休暇をとってニューデリーから故郷のラクナウに帰りました。
帰るにあたって「両親が見合いの準備をしているので、あまり気が進まないけれど行ってきます」という程度のコメントをしていました。ところが月曜日に出社した彼はいやに「うれしそう」なのです。聞いてみると「決めました」とのこと。


親がアレンジした何回かのお見合いの中で、会ってすぐに意気投合してしまったのが写真の女性です。何人くらいの女性と会ったのかは聞きませんでした。彼の言によると会ってから「45分」で決めたそうです。彼としては、彼女のこと・彼女の家族のことは両親が十分了解しているので、後は自分が好きになるかどうかの問題であったようです。多分、彼の両親は何人かの候補を揃えて満を持してお見合いを設定したのでしょう。


彼はその後直ぐに婚約し1月16日の結婚式も設定し短期間で準備を済ませたのでした。インドの北部は12月16日から1月15日まで結婚式を控える風習(断食みたいなもの)なので、1月16日が選ばれたのです。(この風習はムンバイなどでは薄れています) 毎年12月の16日までは駆け込み結婚式でニューデリーなどはホテルが一杯になるのです。写真の結婚式は、ラクナウの特別に設営された場所で3日間行われたそうです。新郎・新婦の両家は、それぞれ別々のホテルに陣取り、結婚式まえに身内のお祝いをします。新郎は、結婚式前に新婦側のホテルに行くことがあるようですが、新婦は結婚式当日まで新郎側には秘密のようです。新郎・新婦とも一回しか着ないウエディングの服装を誂えます。


新婦は、結婚式用の特別なサリー。キンキラの刺繍やらですごく豪華です。これに加えて結婚式用のネックレスを始めに全身いたるところに装飾が施されます。新郎は、正式な礼装。帽子にショール。


昨年12月せっかく衣装を準備するなら婚約者をニューデリーに呼んで一緒に選んだらと聞くと、「向こうのお父さんが許さないだろうし、許したとしてもお父さんが一緒についてくる」と言っていました。結婚式まで新郎・新婦は二人けでは「会えない」のです。「新郎」側はホテルから結婚式場へ賑々しく向かいます。この行列は、親戚一同、友人、楽団がゆっくりゆっくり、そして騒々しく向かいます。楽団の音楽(民族音楽)にあわせて、親戚・友人達は踊り・歌いながら行進するのです。新郎は、馬車か馬にのって最後にやってきます。写真の彼は「馬」に乗ってやってきたそうです。彼の家族は厳格な「ベジ」なので結婚式の料理がどんなものであったか。興味がありますが今のところ情報無し。


新郎・新婦は今タイに新婚旅行中。新婚旅行の準備は新郎側がするそうです。そうして直前まで新婦には行き先を知らせない。新婦はパスポートをもって旅の準備をしているだけだそうです。彼等は来週後半インドに帰国します。新郎は既にニューデリー郊外の「ノイダ」に新しいアパートを確保ずみ。新しいカップルの幸せを祈っています。



2006年01月17日(火) パンジャビについて

ホームページの写真アルバムにアップした「インド旅行」の写真の中で妻が着ている服が「パンジャビ」です。この服はスリランカ勤務時代のインド旅行の時にタミール・ナド州の「カンチープラム」で生地を買い、スリランカに戻ってから妻のスリランカ旅行に合わせて、採寸すてもらい仕立ててもらった物です。

「サリー」は身体にぴったりにつくるので身体の寸法を何箇所も計らなければならないのですが「パンジャビ」はゆったり着るので、それほどの採寸は必要ないみたいです。(詳しくは知りませんが) それでもコロンボの仕立て屋さんで色々採寸して作ったのでした。パンジャビも日本では着る機会がないので今回のインド旅行では日本から持参したのでした。


インドでは周りの女性は殆ど「サリー」か「パンジャビ」なので全く違和感が無いし、そもそもインドの気候に合った服装なのです。ところで「サリー」と「パンジャビ」はどういうときに着るのか。日本ではいろいろな理由付けがなされているようです。実際インドでは厳密な仕切りはないようです。一般的に言えることは、「サリー」はインド亜大陸全体(スリランカも含め)で成人女性の正装であること。「パンジャビ」は文字通りパンジャブ地方固有の伝統服であったこと。でも「パンジャビ」が非常に機能的でありしかも「オシャレ」なので、次第にインド全体の若い人達に広まっているようです。機能的というのはブラウスが緩やかに作られているので夏涼しいということです。更にショールは日除けになったり、寒さしのぎになったりします。


「オシャレ」というのは「パンツ・ブラウス・ショール」が別々なので色々な組み合わせが可能だからです。インドの街を歩いていると驚くような奇抜な色・柄のパンジャビを着ている人を見かけます。新しい組み合わせを考えて街に繰り出すのが「カッコイイ」のです。逆に「サリー」は着方が難しく着崩れもしやすいので行動的ではありません。エアインディアとかエアサハラのフライトアテンダントはサリーを着ていますが全く機能的ではないです。もしもの時があったらショールが邪魔になってしまいます。「パンジャビ」は機能的でカジュアルなため日本でも流行ったらいいなと思います。



2006年01月16日(月) 心配なスリランカ情勢

スリランカの情勢が心配です。スリランカでは一昨年の「津波大災害」の後、昨年暮れ大統領選挙がありました。津波復興のために用意された世界各国からの援助プロジェクトは進んでいるのかしら。確か援助物資の分配、金の使い方で、政府側・反政府側がもめ始めたのでした。そして、大統領選挙では、強硬派の候補が当選したのでした。


スリランカ発のニュースでは、北部のタミール人のインドへの非難が始まっているという報道があります。というのも以下のシナリオが想定されるからです。


1.小競り合いが少しずつ発展し、反政府組織が首都、コロンボでのテロを再開する。(現に少しずつ、小競り合いの規模が拡大しているのです)

2.政府軍は、反撃のため、北部・東部のタミールゲリラの掃討作戦に入る。

3.タミール人ゲリラは、北部東部で民間社会に潜り込み、ゲリラ戦に入る。

4.政府軍はゲリラ・民間の区別がつかないので、大規模な都市破壊を行う。

5.その結果、多くの民間人に被害が出て、都市が破壊される。


私がスリランカに住んでいた頃(2002年・2003年)は、和平ムードが盛り上がっていて我が通信会社の警備もだいぶ緩くなってきたし、北部のタミール人の故郷「ジャフナ」への国道も通行が許可されたのでした。私は、その国道9号線を通って2回も「ジャフナ」に行くことが出来ました。私の前任者の時代は、コロンボからすると「ジャフナ」は殆ど外国でとても近寄れる場所ではなかったのです。しかし、今はその時に逆戻りしているようです。今コロンボからジャフナへはいけないのだそうです。そして、内戦を恐れるタミールの人達の脱出が始まっている。


今ならまだ間に合います。北朝鮮・中国も大変ですが、日本政府は積極的に介入して欲しいです。一旦内戦が始まってしまうと、再び和平活動を開始するのに非常に多くの時間と努力を要します。明石大使で解決できないなら、エスカレーションすべきです。外務大臣・総理大臣が乗り出すべきだと思います。この心配が杞憂に終わることを願っています。



2006年01月15日(日) 水泳開始

今日の日曜日の午前中、久しぶりに水泳に行きました。プールはさいたま市の「沼影市民プール」。ここは屋外プールが冬場スケート場となりますが、室内プールは冬でも営業中なのです。午前9時から12時までの3時間。


午前9時開場早々は、市民水泳クラブ(らしい)の男性陣がバシバシ泳いでいます。狭い水路での往復泳ぎなのでゆっくり泳ぎたい私は邪魔者になります。
一番端の水路は、初心者用なのですが、ここは平泳ぎでゆっくり泳ぐおじさんが居て、直ぐにつかえます。(この方はゆっくりですが休まずにずっとパースを守って泳いでいます。すごいです)


水泳クラブは10時には引き上げるので10時からは急に静かになります。ここからが私の狙い目で、ゆっくり自分のペースで泳げるのです。この状況は数年前と全く変わっていません。インドでもホテルからアパートに移ってからは殆ど泳いでいなかったので、泳ぐのは1年ぶりくらい。1000mを2本が一応の目標なのですが500mくらいでバテてしまいました。後はぐっとペースダウン。これから定期的に通って昔のペースの速く戻りたいと思います。
1月25日に人間ドックにいけることになりました。10年ぶりです。




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