KENの日記
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2005年12月06日(火) 「Bodhi-Tree」の葉っぱ

「こればっかり」と言う感じですが、ブッダガヤの聖菩提寺の「聖Bodhi-Tree」の葉っぱです。同じように考える人が沢山いて、風が吹いて葉が落ちるとダッシュして拾ってしまう人達が居ました。これはお寺の掃除のおじさんに頼んで隠してあった落ち葉をもらったもの。(Rs10のチップで)おじさんが拾って塀の上の隠していたみたいです。この日は天気が穏やかだったので風による落ち葉は非常に少なかったようです。


寺院の外では菩提樹の葉っぱのセットをRs100ルピーで売っていました。漂白済みで長持ちするのだということです。とにかく、仏陀が悟りに達した場所で仏陀を見下ろしていた菩提樹の葉っぱです。ホームページの方にはスリランカの「BodhiTree」の葉っぱの写真があります。


インドは日本の10倍の広さですから当たり前ですが、ブッダガヤはニューデリーから遠いです。デリーから1000Km。「デリー・カルカッタ間1500Km」の2/3行ったところにあるのです。今回の旅は3泊2日。二泊は寝台夜行列車ということで少し強行軍。これくらい覚悟しないと忙しい身ではインドを回れません。飛行機も便利ですが「4大都市+2」間を除けば便数は少なく昼間しか飛んでいないのです。(4大都市は、ニューデリー、ムンバイ、コルカタ、チャンナイ、+はバンガロール・ハイデラバード)


昼間は貴重なのでできるだけ観光に充てたいのです。夜の観光は意味が無いし非常に危険なのです。従って寝台夜行列車の旅に慣れなければ短期間での観光旅行はできません。しかし寝台夜行列車はそれなりに快適です。ウイスキー小瓶一本買い込んでグビと飲んで横になれば翌朝は目的地という感じ。どこを走っているかはわからないけれど降りる駅に近づくと車掌さんが足をつついてくれます。


「地球の歩き方」の解説では盗難の記事が多いし、駅のホームでは荷物を繋ぐ「鎖」を売り歩いていて少し不安もあったけど、今回の2泊は何の問題も無し。衛生面だとか静かさだとかの「良い睡眠環境」を求めるのは無理ですが。


私は「バラナシ」から「ブッダガヤ」まで車で走りました。走行距離約250Km。6時間です。「バラナシ・ガヤ」間は、NH(ナショナルハイウェイ)3号線の幹線道路。(因みに終点はカルカッタ)この道路がまだ所々整備中なのです。整備されているところは片側2車線の素晴らしい道で時速80〜90Kmで走れます。整備されていないところは細くて舗装もはがれたでこぼこ道。時速30Km程度がせいぜいでのろのろ運転です。この道が完全に整備されればバラナシ・ガヤ間の走行時間が短縮され観光に便利になります。


更に、この道路は夜間の通行は避けたほうが良いという「いわくつき」の道路。ガヤのある「ビハール州」は治安が悪く夜の走行は強盗団に狙われる可能性が高いとのこと。ブッダガヤはそんなビハール州内の観光名所のピンポイントなのです。



2005年12月05日(月) 長年の夢を実現・・・ブッダガヤ探訪

金曜日と日曜日の夜行列車を使い、土曜日一泊してインド西部の「ブッダガヤ詣」をしてきました。ブッダガヤはニューデリーから約1000Km。さすがに遠いですが夜行寝台車はウイスキー小瓶で快適な眠りを提供してくれました。


「ブッダガヤ」の「マハボーディ・マハービラ」(聖菩提寺)には本当に感動しました。仏陀が「悟り」を開いたところです。「仏陀」が瞑想したとされる菩提樹下の金剛座が目指す場所でした。世界各国の仏教徒が集まる究極の場所なのです。長年の夢が適いました。今日はとりあえず報告だけ。



2005年12月01日(木) 再びニューデリー

11月28日月曜日からニューデリーに戻っています。ムンバイの快適な気温に比べると朝のニューデリーは寒いです。持参した「寒暖計」では外気温10度。日本の信州に比べれば大した事ないのですが。しかし、外で暮らしている人達には相当厳しいです。朝夕、焚き火にあたっている家族を良く見ます。新オフィスの改修工事が終了しました。工事の埃が発生しないので、オフィスの空気は格段に良いです。12月末をもってインドから日本に帰国する事になりました。日本に着くのは新年です。



2005年11月27日(日) ソニア・ガンジーについて

何の脈絡も無く、ソニア・ガンジー(インド国民会議党のリーダ)について調べたので記録しておきます。


ソニアはイタリアのトリノ郊外の寒村の中流家庭に1946年生まれました。
経験なカトリックの家で平凡に育った彼女は、18歳の時に英語を勉強するためイギリスのケンブリジに遊学しました。そして1965年にケンブリッジの街のレストランで偶然に出会ったインド人と恋に落ちました。


このインド人はケンブリッジ大学には在籍していましたが、あまり勉学に励まず、インドの飛行機会社のパイロットになろうと考えていた青年でした。この青年の名前はラジブ・ガンジー。インドの革命の英雄「ネルー」の孫で、当時のインド首相「インディラ・ガンジー」の長男でした。


インディラは「のんびりした性格」の長男のラジブより、活発で覇気のある次男の「サンジャイ」を後継者と考えていました。従ってラジブはケンブリッジを出た後は「パイロット」になり、平凡な家庭を持つこと考えていたはずです。ソニアもインド随一の名門家に嫁ぐことは覚悟していたものの、結婚してパイロットの奥さんになるのだと考えていたでしょう。


1977年の総選挙において国民会議党党首のインディラを弟の「サンジャイ」が助けて国民会議を牽引しましたが国民会議は敗れました。これは与党政治汚職スキャンダルに対するインディラ・ガンジーの煮え切らない姿勢がマイナスになったのです。国民会議はインディラとサンジャイを中心にして盛り返し、次の1980年の選挙で勝利して政権を取り返しました。


選挙には勝ったものインディラの政権は安定せず彼女の支えは次男のサンジャイだったのです。ところが1980年6月、ソニアの義理の弟「サンジャイ」が飛行機事故で急逝してしまいます。「サンジャイ」の妻の「モネカ」はサンジャイ同様に政治向きな活発な女性であったのでサンジャイの死後、インディラの後継者としての地位を望んだようです。


しかし、インディラが選んだのは、当時、飛行機会社のパイロットであった長男のラジブでした。ラジブは国民会議の政治活動を始めますが、当初はインディラ、サンジャイには遠く及ばない存在でした。ソニアは息子のラウル、娘のプリヤンカの子育てに専念していました。


1980年前半シーク教徒とヒンドゥー教徒の対立が激しくなりインディラは強硬姿勢をとりました。そうした中1984年10月、インディラはシーク教徒の自らの護衛官によって暗殺されます。その直後長男のラジブは、インディラの後を継いでインド首相の地位に着きます。ソニアはいつの間にか、インドのファーストレディになってしまいました。


実際彼女は政治活動が嫌いでこの突然の事態は彼女を当惑させたことでしょう。国民会議与党の政治汚職事件でラジブは野に下り総選挙に復活を期していました。彼は与党時代にスリランカ内戦終結に向け努力し、スリランカに平和維持部隊を送りました。スリランカの反政府勢力はこれを嫌い、総選挙運動中のラジブをチェンナイ郊外で爆殺します。これが1991年5月。


国民会議はラジブの突然の死を受けて、その後継に妻のソニアを選びました。ソニアを頂いた国民会議は2004年の総選挙で勝利しました。ソニアは首相候補に推されましたが「外国人では如何なものか」という批判を受け、さっさと身を引き腹心の「マンモハン・シン」氏を首相に据えました。現在のインドでは、ソニアの存在は非常に大きいです。彼女がこれから内政、国際舞台でどのように活躍するか、期待が高まります。


と同時に不安もあります。彼女の味わった悲劇は再び起こって欲しくないということ。義理の弟の事故死、義理の母の暗殺、夫の暗殺。彼女の苦悩は想像を絶します。これら苦悩を克服してきたソニアが21世紀初頭インドのリーダなのです。



2005年11月25日(金) ムンバイの気候

モンスーンの後のムンバイの気候の素晴らしさを実感しています。ニューデリーの朝は相当冷え込みます。人々には長袖のシャツに加えてセーターが必要です。あさの散歩も正直言って辛いものがあります。路上生活の人にはさぞ厳しい季節なのだろうと思われます。


しかし、ムンバイの朝は非常に快適。散歩には持って来いです。日中は強い日差しで相当暑くなりますが、空気が乾燥しているので気持ちがいい。モンスーンが物凄くうっとうしいことと全く対照的に、素晴らしい季節が3月頃まで続くのです。こういう土地なら路上生活の人も楽です。一年中半袖・薄着で暮らせるのですから。人々が集まるのが分かります。


ムンバイ市営バスがどんどん新しい車両に代わっているようです。新しい車両は「一階建て」バス。眺めの良さそうな「二階建て」バスはどんどん減っていくようです。新しいバスは車体の色が、これまでのバスと同じで、見た目はあまり変わりません。車両入れ替えの際に、クーラーを着けようとか、モデルを変えようと考えない見たい。


クーラーを着けて贅沢にするようなことはしない。経費が嵩んで値上げしなければならなくなります。進歩とか改善とかいう発想について回る、コストアップ、環境への影響を考慮しているのでしょう。ムンバイのバスの最低運賃は「4ルピー」(10円です)。庶民の足なのです。10億人の人口を抱えるインド人の知恵なのでしょう。


インドの社会は10億人の人間とそれに匹敵する数いやそれをはるかに超える動物・植物達の土地なのです。人間に加えて、街中の牛、犬、猫、鶏、リス等がいっしょに生きていく権利を有する場所なのです。人間との共存が難しい動物たちは、特別保護地域で暮らしています。人間に親しい上記の動物達は人間に混じって暮らしているのです。


道路や公園は人間だけのものではない。動物や植物全てのものなのです。人間にはトイレが用意されているが、動物達は自分勝手に用を足してもOK。それは彼らの権利なのです。大きな木はリスは鳥の住処なのであって、人間の都合だけで切るわけにはいかない。公園で出会った愛犬家は、そんなインドを誇らしく語っていました。

彼は日本は便利で快適だろうけど、それは人間だけの事でしょう。と言っています。確かにそのとおりです。動物達にとっては非常に住みにくい。ある種の特定の動物は人間のペットとしてしか生きられない。人間と混じって生活することが難しい動物はどんどん排除されていく。


近くの公園に住む犬で、一際綺麗なメス犬は、ベンチに腰掛けている私のところの横に座り、片方の前足を上げて仕切りに「お手」のポーズをするのです。
これは何の合図かと愛犬家に聞くと、「身体を撫でてくれ」という合図なのだとのこと。この公園のベンチは、犬と人間の共有の場所なのです。



2005年11月21日(月) チェロとの対面

午前中楽器修理職人のハイクさんのアパートにチェロの受け取りに行ってきました。ハイクさんは素晴らしい職人です。分解修理の概要を説明してくれ、主用工程のデジタル写真をディスクに入れてくれるのです。「最初楽器にのこぎりが入るシーンを見ると、楽器の持ち主は大体目を覆うのよね」ハイクさんのコメント。まさしくそうですね。持ち主のとって少しサディスティックな写真です。


修理が終了した楽器はまさに違う楽器です。音が深いし響きが長続きします。
ハイクさんの説明によると、箱を開けてみて大分改善点があったようです。私の楽器は工場製造の安物ですが、材質は「まあまあ」だそうで、修理の甲斐があったようです。工場製造の量産楽器は細かいところに目が届いていなくて、様々な問題が複合して最終的に鳴らない楽器になっているのだそうです。弦楽器は箱を閉じてしまえば後は殆ど何もできないのです。今回箱を開けて上板を丁寧に修理したのだそうです。有難いことです。こんなこと(高価なこと)日本で出来るかしら。様々な改善を施して修理完了した楽器は響きが違います。


午後からアパートに帰って弾いてみました。楽器の発音にあったボーイングが求められることを再確認しました。これまでは鳴らない分少し無理して弾いていた感じです。ボーイングの矯正が必要です。要は力を抜いて楽器の鳴るに任せる???。


夜ボンベイ室内オケの演奏会に行ってきました。今日の演奏会はオランダ領事館共催でオランダからゲスト演奏家が14人参加していました。アムステルダムコンセルトへボー室内オケのメンバーだとのこと。指揮者はコンセルトへボーのバイオリン奏者でもある「ペータ・シュピーリング」さん。


曲目は以下の通り。

「ウインザーの陽気な女房達」の序曲

サンサーンス バイオリン協奏曲

ベートーベン 交響曲第一番

スパルタクス アダージョ。


オランダからの助っ人のお陰で大分充実した演奏でした。木管がしっかりしているので安心して聞くことができます。サンサーンスのソロはオランダの18歳の俊英「Wel」君。丁寧なボーイングに好感が持てました。最後にオランダ領事の挨拶がありました。


GNP世界第2位の日本はどうなのでしょう。こういう文化助成の予算はないみたい。ハノイ交響楽団ではスイス大使館支援でCDを作っていました。前回のムンバイ室内オケではオーストリア大使館がかかわっていました。まあアメリカ領事館が協力しているという話も聞きませんので「仕方ない」ということにしましょう。



2005年11月20日(日) ムンバイ着(ニューデリーから)

ムンバイに帰るため午前中は荷造りをしました。大きなスーツケースにニューデリーで再び使うもの(ムンバイアパートにあるもの)を詰めてゲストハウスに預けました。1週間後にまた来るのでアパートで預かってもらうのです。


「引越し」と「出張」を何回も経験しているので荷物のパックは得意です。忘れ物しそうなものも分かっています。生活道具一式置いてきたのです。従ってムンバイへの帰り荷物はナップサック一つとコンピュータだけ。そして同じようなゲストハウスを偵察するため、タクシーで少し走り回りました。高級住宅街の中の家を改装してゲストハウスにしている場所が結構あります。外国人が長期滞在しているケースが多いです。(ホテルに比べると割安)


昼に事務所によって激励。土日のオフィス改装工事(2週連続)で社員が立会いで出てきているのです。この次来る時にはニューデリーのオフィスは綺麗になっているはずです。午後3時55分の飛行機に間に合うように、空港への途中の「田村」さんで日本食の昼飯を取りました。暫く本格的な日本食はお預けなのです。


豚肉の生姜焼き定食。味噌汁、ご飯に加えてポテトサラダと切干大根と生野菜のサラダ付き。この味には身体全体が感動している感じでした。(ビール小瓶をプラス)。納豆定食があればもっといいのですが・・・。それは無理。


今頃のムンバイの気候は素晴らしいです。今、風呂上りで殆ど裸でパソコン入力中。クーラーを点けようかどうか迷う室温です。ちょっと暑いですが、外気で体を冷やしているのです。久しぶりの波の音も素敵です。ニューデリーでは朝相当冷え込みました。寒いのです。(半袖シャツしかもっていかなかったので)ムンバイの秋・冬は最高ですね。


飛行機の中で新聞をつらつら眺めていたところ、今日11月19日は、インディラ・ガンジーの命日なのだそうです。1984年。過激なシーク教徒の手によって命を奪われたのでした。ニューデリーで過ごしていて知ったのですが、19日は11月15日の宗祖「グル・ナーナク」の誕生日の直ぐ後だったのですね。インド北部のニューデリーでは「ターバン」を巻いたシーク教徒が多いです。



2005年11月19日(土) ムンバイへ

今週末ムンバイに帰ります。1週間ほどムンバイにいて、事務所の会計業務を処理したり、残務整理したりします。11月の暮れに再びニューデリーに戻るつもりです。


今週ムンバイの弦楽器修理職人の「Heike」さんからチェロ修理完了のメールがありました。9月中旬に修理に出したので約2ヶ月かかりました。ということては2ヶ月まともに弾いていないということ。(この間色々ありましたので)この日曜日、ムンバイに戻った折に受け取ってきます。メールでは、非常によく鳴るようになったとのこと。楽しみです。練習に熱が入り、壁を乗り越えられればいいなと思っています。でも、心配なのは、日本に持って帰るときに大丈夫かということ。インドの運送者さんを信じましょう。



2005年11月17日(木) オフィスの外に猿、ドライバーのムーサさん

今日帰りのタクシーを待ちながらオフィスの外の道端でぼんやりしていると、
近くの木の上から、何か大きなものが降りてくるのです。暗くてよく見えないのですがリスや猫の大きさではありません。眼を凝らしてみると、猿だと言う事が判りました。こんな街の真中に猿がいるなんて驚きです。


猿はゆうゆうと道を横断し道の向こう側の木に登っていきました。猿、牛、犬、猫、鳩、カラス、ネズミが自由に歩き回る大都会ニューデリーです。因みみに私のオフィスはニューデリーの街の中心部にあります。日本で言うと新橋くらいかな。


面白いタクシー運転手に出会いました。白い「アンバサダー」の「髭もじゃ」の老人。(実はそれほど高齢ではなかったのですが)会社の近くで流しのタクシーを捜していたときに「スー」と寄ってきたのです。ビックリしたのはその言い値なのです。普通のタクシーの半分の値段なのです。半信半疑で乗ったのですが安い値段でアパートまで送ってくれました。携帯を持っていたので番号を聞いてチャンスがあったら呼んで使ってみることにしていました。


で今日彼に電話して4時間コースを頼みました。Rs400(冷房着き)。こんなものでしょう。この運転手自称「以前は大統領府の運転手だった」「国会議員とか大臣とかの家は熟知している」とのこと。好感が持てるのは「サンキュー」というと必ずゆっくりと「ウエルカムサー」と応えるところ。心がこもった「ウエルカムサー」なのです。「サンキュウー」の後の「ウエルカム」とか「マイプレジャ」という言葉が自然に出ずに苦労しているところなので、彼の丁寧な「ウエルカム」が、大変紳士的で且つ英語的に聞こえたのです。


本人曰く「年取って見えるけどまだ59歳だよ」。「妻は美人で働き者なんだ」と自慢話。挙句の果てに「来月の、27歳になる息子の結婚式なので是非来てくれ」。これは丁重に断りました。頑丈な車「アンバサダー」の安全運転だし、乗っていて悪い気がしないのでこれから使っていこうと思います。
彼の名前は「モハメッド・ムーサ」。



2005年11月16日(水) ニューデリーでの生活のこと

ニューデリーでの生活のことを紹介したいと思います。

「昼飯のこと」
新しいオフィスは、コンノート・プレイス(放射線道路の中心)近くのオフィス街。そしてマクドナルドがオフィスから100m位のところにあるので通常の昼はマクドナルドの「マハラジャセット」(2段重ねのチキンマック+ポテト+コーラ)です。毎日通っているので店の人も私の顔を覚えたみたい。インドまで来て昼飯がマックでは「味気ない」と思い、近くのインド料理・中華料理を試すのですが、その度にマックにしておけばよかったと反省することになります。


まずインド料理・中華料理とも料理が出てくるのが遅いのです。人気のないレストランで一人で料理の出てくるのを待つのは大変侘しいのです。さらに複数人だと別なものを注文してシェアできますが一人では無理。今日も中華料理にトライしましたが1人前ではまともな料理はないのです。「飲茶で沢山の種類をすこしづつ盛り合わせて1人前作れないか」と頼みましたが「No」。「1週間通って順番に頼んでいけば色々食べられます」というすごいアドバイスを受けました。
更に中華もインド料理も料が量が多いのです。貧乏性なので出されたものは食べ尽くす癖でつい食べ過ぎる。マクドナルドはこれらの問題点を全て解決してくれます。味はともかく。

「通勤手段」
現在のアパートからオフィスまで毎日タクシーで通っています。4輪車です。(日本の軽自動車のバンタイプで、冷房なし)通勤として以下の手段が考えられます。

レンタカーを雇う・タクシー(4輪)・オートリキシャ(3輪)・バス通勤


ムンバイでは月極契約のレンタカーでした。ニューデリーでは日々レンタルするレンタカーは割高(冷房車がいつでも使えるので便利ですが)。バスは路線がわからないし、ローカル満員バスにスーツを着て乗るのは非常に場違いな感じ。いつでもどこでも捕まる「オートリキシャ」は便利ではあるのですが問題も多い。とにかくニューデリーは空気が悪いので外気吸い放題のオートリキシャでは喉や眼がもたないのです。更に英語を話す「運ちゃん」は殆どいない。
料金交渉も面倒くさい。外人とみると今日はメータが壊れていると言い出すし。結局4輪タクシーを探すことになるのです。4輪タクシー運転手は英語が分かる人が多いみたい。暑くても窓を閉めれば外気の流入を抑えることができるのです。しかし、ニューデリーでは4輪タクシーはそんなに走っていないのが問題です。


多分ローカルバスだと往復でRs15からRs20程度でしょう。良心的なオートリキシャーだと往復でRs150くらい。4輪タクシーで往復Rs200。レンタカー(小型車)1日借りるとRs1200位です。




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