KENの日記
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2005年11月13日(日) シーク教寺院

11月15日(火曜日)はシーク教の教祖「グル・ナーナク」の誕生日です。ムンバイではシーク教徒の方の数は少なく、シーク寺院も少ないのですが北部のニューデリーはシーク寺院が沢山あります。今泊まっているゲストハウスの近くにもこ綺麗なシーク寺院があるので日曜日の午前中に礼拝に行ってきました。


今日からグル・ナーナクの誕生日の準備が続きます。具体的には祭りを盛り上げる花火とか行列の行進があるのです。今日はちょうど行列が出発した後であったため静かに礼拝することができました。広い境内で読経の声を聞きながら黙祷していると清らかな気持ちになります。


午後は別のシーク寺院(下町にある寺院)にいきました。そこでは町内を回る行列が準備していました。そこでは大勢の金管バンド隊が制服を着て出発を待っていました。トランペットとユーホニュームが中心ですがバルブ式のトロンボーン、スーザホンも居ます。楽団の前には駱駝が5匹・象が1匹・馬が4匹。この辺は宗教に関係なく「賑やかし」です。駱駝がその辺にいるのもムンバイとは大違い。人間も動物もグルの誕生日を祝うということでしょうか。



2005年11月12日(土) ニューデリーの新名所

いきなり派手な写真ですがインターネットで入手しました。この寺院は「スワミナラヤン・アクシャルダーム」(Swaminarayan Akshardham)です。先週の日曜曜日(11月6日)に、大統領・首相を招いて賑々しくオープンした寺院です。


写真はオープンセレモニーの模様。広さ100エーカというとてつもない広い敷地を確保しています。私はこの寺が前から気になっていたのでオープン1週間後早速本日土曜日行ってきました。


場所はニューデリーからノイダに通ずる「ヴィカス通り」北側のヤムナ川河川敷。ニューデリー中心部から15分程度の近さです。非常に立派な石作りの寺院で遠くからもその威容を見ることが出来ます。


この寺院はヒンズー寺院と言っていいと思います。寺院の建築様式のヒンズー様式だし、本殿内にはラーマ・クリシュナ・シバ・パルバティ等の神々の像があります。でも本尊はというと「スワミナラヤン」。頭にターバンを巻いた青年の坐像です。


スワミナラヤンは1781年に生まれた天才少年で、10歳にしてギータとかウパニシャッド・ヴェーダなどのヒンズー経典をマスター。天賦の才能の上にさらに苦行を重ね、遂に神の声を聞いたというのです。このスワミナラヤンを祭る寺院がグジャラート州にあったのですが、それのニューデリー版が今回オープンしたというもの。入場料は無料。入り口で厳重な検査があり、カメラ・携帯、バック等は全ていり口でお預け。10月末のニューデリー爆弾事件のために厳戒体制が取られている模様。近くから写真が取れないのが残念。この措置は今後も続くでしょう。


今日非常に関心したのはミュージアムと称する建物の内容です。3つの巨大な建物からなる展示館です。あえて例えるとミニデズニーランドでしょうか。今日は、第1号館と3号館だけ見ました。それでも1時間以上かかったでしょう。第1号館は「スワミナラヤン」の生い立ちとかヒンズー文化を紹介しているもの。ここは自力で歩き回るのですがその内容はというと、

○ミニシアターで数分の映画を見せる。
○等身大の人形(ロボット)の演技により教訓の場面を再現する。
○また、別の映画館のようなところでビデオを見る。
○家族の絆の大切さとか「ヴェジ」の勧めなど、ヒンズー文化を展示している部屋を歩かせる。
(グジャラートは禁酒州ですし、ヴェジタリアンが殆どだと聞いています)


展示館は途中で抜けられないので一旦入ったら最後まで付き合う必要があります。言葉も解説リーフレットも全てヒンズーなので基本的にな全く内容がわからりませんでした。でもロボット人形が非常に精巧にできているので、出し物としてはとても面白いのです。


第3号館では大きな建物内を自動の「船」に乗って回ります。ここはインド文化を紹介したところ。これは面白いです。ディズニーランドのリトルワールドみたいでした(1周約20分かかりました)。寺院の敷地内には、大きなレストランと大きな土産物屋があります。広大な駐車場があってぞくぞくと観光客がやって来ています。ここは間違いなくニューデリーの観光名所になるでしょう。

因みにこうした大寺院建設を指導したのは「プラムーク・スワミ・マハラージュ」という偉い僧だとのことです。



2005年11月11日(金) ニューデリー生活開始

今週日曜日からニューデリーの生活が始まっています。仮り住所は「デフェンスコローニー C−83」。高級住宅街の1棟を各部屋ごとにゲストハウスとして貸しているところです。各部屋にはシャワーがついています。家のダイニングで朝・昼・晩の食事を食べることができます。もちろんインド料理のみ。オフィスまではタクシーで15分程度なので朝夕タクシーを使っています。このゲストハウスにはインド人とか外国人が入れ替わり入ってきます。とにかくニューデリーはホテル代が高いのでこのような高級ゲストハウスがビジネスに使われています。


ニューデリーの朝は冷え込みます。まだ11月なのでそれほど冷えないだろうと考え長袖を殆ど持ってきませんでした。ムンバイの気候はこの時期、朝夕快適なのです。でもデリーは全く違って朝の冷え込みは10度以下になっているでしょう。朝の散歩も半袖では厳しいです。土日にマーケットに行って衣類を買いたさないといけません。


先週は土曜日にデリー着いてからそのままアグラに行ったのでした。デリー空港に着いたのが午後6時30分。そこからレンタカーに乗ってアグラへ。夜の国道2号線は空いていることもあって夜の10時30分にはアグラのホテルに到着しました。翌日はタージマハルから始めてアグラの観光名所を回りました。タージマハルはさすがにスバラシイ建築です。素直に感動しました。寺院建築とか信仰対象の偶像彫刻の素晴らしさが信仰心の深さに比例するとすると、このタージマハルの素晴らしさは亡き王妃への愛の大きさに比例するのでしょう。


イスラムのムガール王朝はしばしばペルシャ人の女性を王妃に迎えています。
タージマハルも「シャージャハン王」のペルシャ人の妻「ムムターズ・マハル」の墓なのです。この王妃がどのような方であったか判りませんが、はるばるやって来た王妃は、多分大変美しく、賢くて、国民に愛されたのでしょう。(故ダイアナさんみたいに?)王と国民の気持ちがタージマハルの素晴らしさに現われているように思えます。


北インドにおいてははるばるやって来たペルシャ王妃の墓タージマハルに代表されるように、イランのペルシャ文化に憧れ・畏敬の念をもっていたようです。ムンバイにおいてはペルシャの影響は、パルシー社会(ゾロアスター教徒)に脈々と生きています。


大きく見るとアラビア半島に発生した「イスラム」。そして「ペルシャ(イラン)」に栄えていたペルシャ文化。そのペルシャ文化に東から接していた「ヒンドゥ文化」。この3つの文化が昔からそして今もインドの社会に大きな影響を与えているようです。



2005年11月02日(水) デワリの休日

今日11月1日はヒンズーの正月のデワリで休日でした。昨日の夜から今もそうですが、外はすごい花火の音です。昨日が大晦日・今日が元旦です。家の前とか車とかに飾りをつけます。デワリは「光の祭り」でもあるので町のいたるところに大きなランタンが吊るされています。今日町に出てみましたが、カジューナッツとか甘味菓子のショップは贈り物を買う人達で賑わっていました。しかし正直言って1月が正月の日本人にはなじめない正月です。この一週間インド人は正月気分。果たして仕事がはかどるかどうか。


11月3日は1ヶ月に続いたイスラム教徒のラマダンが終了する日です。イスラム教徒も晴れやかな週になります。こんな時に爆発事件を起こすなんて全く卑劣です。


今日コンピュータの電源修理に行ってきました。デワリ(正月元旦)ですが、午後から電気屋さん街(秋葉原みたいな)は賑わっていました。私のPCは電源の調子が悪いのです(構造的に壊れやすいみたい)。前回の修理は2年前の12月。スリランカからチェンナイに旅行に来た時に修理したのでした。今回はムンバイでの修理です。


パソコン技術者(ノートを開けられる人)を探して電源部分を直してもらいました。所要時間約1時間。修理代Rs1500(5000円弱)。正月初めての商売なので値切っても仕方がないので言い値で払いました。確かチェンナイでもRs1500だったと記憶しています。外国人価格でしょう。しかしこれで暫くは大丈夫でしょうから満足すべきです。


日本で直そうと思えば電気屋さんに持ち込んで、修理会社に送付して修理する。そして電気屋を通して帰ってくる。気が遠くなります。とても短期間の帰国の間では直らないでしょう。


ニューデリー引越し準備を進めています。といっても完全にムンバイを引き払うのではなくムンバイのアパートにも荷物を置いておきます。実はアパートは来年の1月末まで契約があるのです。ニューデリーのオフィススタッフを早く一人前にするためには現地に居ることがベストです。だからといってムンバイオフィスも放っておけない。中途半端な引越しなので準備が難しいです。


(今回の引越しのポイント)
○多少の不便には我慢する。(ニューデリー、ムンバイ両方とも)
○両都市の移動の際に荷物をいちいち持ち運ぶことはしない。
(片方に置くものを決める)
○どちらでも適度な運動ができるようにに運動用具を揃える。


ここで問題になるのがチェロとI−POD。これはムンバイに置いておこうと思っています。ニューデリーで自由時間があったら当面観光すればいいし、ニューデリーは日本食レストランもあるのです。さてどうなることやら。


話題変わって我が家がロッテと縁があるようです。社宅生活から足を洗って、住み着いた「武蔵浦和」はロッテの町(工場・社宅・寮など)。ロッテの2軍の練習場もあるのですよ。しかも武蔵浦和駅近くの一等地にです。埼京線から見える「ロッテ雪見だいふく」の大きなネオンサインで我が家に帰った気がします。


息子の高校は新久保でした。高校通学路にロッテの工場。息子の通学はロッテからロッテでした。娘の大学は千葉(武蔵野線ではるばる通学)。そして千葉ロッテ優勝。千葉県は盛り上がっているのではないかしら。武蔵浦和で優勝記念のイベントか何かあったのかしら。



2005年10月31日(月) 10月最後

アパートの老番犬「ダボ」の雄姿です。いつも殆ど横になっているのですが、今日久しぶりに歩いているところに遭遇したので写真をとりました。犬は大きくなるのも早いですが老いるのも早くて老化が進んでいます。のんびり長生きして欲しいです。


さていよいよ11月。ニューデリー移転です。といっても当面月の半分・半分をムンバイ・ニューデリーで過ごすという試みです。そのために、ニューデリーに比較的安い「ボーディングハウス」を借りました。この時期ホテルは観光シーズンでとても高くて費用が嵩みすぎるのです。ムンバイのアパートの契約が来年1月まであるので、ムンバイにも月半分帰る予定。しかしどの程度の荷物をニューデリーに持っていくか、これが問題。不便な生活も嫌だし。


と考えている矢先にニューデリーで爆発事件です。デワリ買い物客で賑わうニューデリーの下町が狙われました。全く卑劣です。庶民それもそれ程裕福でない人達が集まるマーケットを狙うなんて。少し前アメリカ人の集まる施設に対するテロ警報がでました。今度の事件はそれとは全く関係ないのかしら。



2005年10月29日(土) 楽しい写真

大分遅れましたが写真掲載。上は、前回日本からの帰り便でいっしょになった「三つ子ちゃん」です。シンガポールからムンバイまで一回も泣き声を聞きませでした。しっかりした3人兄弟です。両親がとても幸せそうでした。


木曜日の午後から金曜日の朝にかけて、お客様の通信回線故障で大変な苦労をしました。大切な通信回線なので、メイン回線故障に備えてバックアップ回線もあるのですが、メイン回線に続いて、バックアップ回線もダウンしてしまったのでした。つまり、お客様はデータ送受信に関して孤立状態。


木曜日午後2時頃からいろいろな業者を呼んで修理にあたりました。というのも、メイン回線は我が社提供でバックアップ回線は日本のK社提供。ルータの保守はムンバイのD社(インド企業)が修理可能なのですが、日本から指示がない限り動かないというもの。


我が社の東京の監視センターは最初から故障は知っていましたが、東京のお客様指示で、木曜日の業務終了までは、現地にコンタクト禁止の要請を受け、私には連絡せず。お客様東京本社はバックアップ回線が生きているとでも思ったのでしょうか。現地お客様情報で故障を知り私がお客様オフィスに向かったの午後4時頃でしょうか。


実は私のオフィスとお客様オフィスは約200m程度の近距離。それから復旧作業に参加しました。私は技術者ではないけれでも日本語が話せる。技術者でない分全体の状況を把握できるし業者間の調整が主な役割を考えました。案の定、各事業者は、自分の責任範囲内をチェックし始めます(それはそれでいいのですが)。原因が特定できないので何回も試験することになります。


東京のオペレーションセンタ(我が社、K社、お客様)を巻き込んでの試験作業の繰り返しです。お客様東京本社の要請でルータ保守業者が現地に到着したのは夜10時過ぎだったと思います。自宅に帰っていた技術社を私の車を向かえに送り急遽駆けつけさせたというもの。


この技術者も参加しましたが彼によるとルータにも異常がないという。そうこうしている中に深夜12時です。明日の営業開始まで後9時間です。私はこのままメイン回線復旧に没頭していては、もう一日影響が出かねないと判断し、メイン回線復旧を一旦あきらめ、バックアップ回線(K社)の復旧作業に集中することにしました。


お客様側の技術者(インド人)は非常に優秀なのですが東京のK社監視センターと衝突していたのです。バックアップ回線の故障は東京のK社設備の不具合によるものだったのですが、言葉の問題とK社センタの監視員のインドと状況に対する理解不足があり修理できない状況でした。私が代わってK社監視センタと直接日本語で対応することとしました。


ちょうどインドに出張に来られていたお客様東京本社の「Nさん」もK社との対応に参加してくれました。K社の多摩にある装置の交換が実現したのでが深夜2時回っていたらかしら。そしてバックアップのISDN回線が復旧しました。このISDN回線を使って金曜日の営業を運転することにしし、メイン回線の復旧は持ち越して、一旦撤収することにしました。お客様宅をでたのは深夜3時過ぎです。


朝お客様システムの運転(バックアップによる)を確認し続きのメイン回線復旧作業にはいりました。冷静になって考えて、整然とチェックていくと、故障箇所の特定もできるものです。結局、回線のモデムのルータの接続箇所に問題があることが判明し、モデム交換の手配をしました。モデムはムンバイの電話会社提供のものです。


この交換によりメイン回線復旧の目処が立ちました(これが午後2時頃)。私はこれまでの故障の状況と関係者の対応状況、現在でもメイン回線復旧が可能であることを説明しました。最終的には東京も巻き込んで当日金曜日の処理は全てISDNバックアップで行い、(危険回避)当日終了後にメイン回線への切り替えを行うこととなりました。


その日の午後6時半、金曜日の業務をすべて終了してISDN回線からメイン回線に切り替え作業着手しました。念のため、昨日のルータ保守業者(朝4時頃帰宅)にも、立会いをお願いして最悪の事態に備えました。切り替えは無事終了し、午後7時には、メイン回線が運転再開しました。昨日は目が血走っていた技術者達も、この瞬間はなんともいえない素晴らしい笑顔でした。ルータ保守会社の技術者も、自分の保守領域云々は超えてお客様システム全体の復旧のために参加してくれました。疲れましたが、大変貴重な経験でした。



2005年10月23日(日) ムンバイの床屋

今日の土曜日は行きそびれていた床屋にいってきました。アパートの前からバスにのって(Rs4)、ケンプスコーナーの行きつけの床屋にいきました。ケンプスコーナーは、ムンバイでもお洒落な交差点です。東京でいうと六本木交差点かしら。


今日担当してくれた理容師さんはとても丁寧な方でしっかり鏡を見ながらバランスをとってカットしてくれました。インド人も丁寧な人は丁寧なのです。久しぶりに「髭剃り」、「洗髪」「ヘッドマッサージ」までしました。ところで私よりも遅くに「シーク教徒」の方が入ってきて、床屋の椅子に案内されてきました。


「シーク教徒」の方は「ターバン巻き」なのです。私はひょっとしてぐるぐる巻きのターバンを解いてカットを始めるのかと内心すごく期待しました。しかし彼は髭剃りだけのために「床屋」に来たようです。理容師の人はひときわ丁寧に準備をして髭剃り取り掛かりました。彼の髭は「のど」の部分まで生えた立派なもので、結構時間かけていました。


彼等(シークの男性)は人前では決して頭髪を見せません。カットもしないということは中はどうなっているのかしら。ひょっとして「禿げているのか」と疑ってしまいます。どうせターバンをするのなら髪の毛があろうと無かろうとあまり関係ないのではないでしょうか。


ところでニューデリーはムンバイとは比べ物にならないにくらいシーク教徒の方がいます。この前の出張で見かけたのがおもしろい「シーク教徒」のオートバイ運転。今年4月からインド全国でオートバイ運転手のヘルメット着用が義務化されたのでした。そうターバンを巻いているシーク教徒はどうするのか。シーク教徒はターバンを巻いていて安全なのでヘルメット着用義務は免除されるのです。しかしヘルメットは風防の役割もするのです。


ニューデリーで見かけたのはターバンに装着されるゴーグルのようなもの。特別性のようで、カッコ良かったです。でもターバンは転倒したとき安全なのかどうか保障はありません。来週月曜日からまたニューデリーの出張します。



2005年10月18日(火) オールドデリー

先週末まで忙しいニューデリー出張でしたが、土曜日のアパート探しがキャンセルされてしまったので少しニューデリーの街中を見物しました。今回止まったホテルは「メイドゥンホテル」といって大変伝統のある(古い)ホテルで、デリーの北部にあります。


整備されたニューデリーとは全く別で要はオールドデリーにあるといっても良いのでしょう。このホテルからだとレッドフォートとか、デリーの繁華街(混雑ていると言う意味)のチャンドニー通りも近いのです。まず最初にホテルから歩いていける「チベットマーケット」「ラダック寺(仏教)」にいってみました。


そこはチベットの人達の集まっている場所です。マーケットの売り子さんたちは日本人みたいな顔をしている人が多いです。日本語が通じるのではないかと錯覚するほどです。チベット仏教はスリランカなどと同じで、日本とは違う小乗(この言葉は最近使わないのかしら)なのでスリランカ寺院と雰囲気は似ています。懐かしい雰囲気でした。


その後チベットマーケットの外のリングロード(東京の環七みたいなもの)で三輪車を拾ってレッドフォートに行きました。運ちゃんは「30ルピー」だというのですが、「20ルピー」に値切り、結局チップ込みで「30ルピー」払いました。「10ルピー」余計に渡すと運ちゃんは素晴らしい笑顔を返してくれました。レッドフォートの中は、様々なイスラム建築があるのですがもう少し整備すれば良い観光スポットになるのに残念です。

レッドフォート内のはずれに独立記念館があります。様々な写真に加えて「自由インド軍」を裁いた裁判の様子を実物大人形で展示しています。自由インド軍は「チャンドラ・ボース」に率いられ日本のインバール作戦に参加したのでした。結局圧倒的なイギリス軍に敗れて、終戦を迎え(インド独立前)レッドフォートで裁判が行われたのでした。


しかしこの裁判でインド独立のために戦った自由インド軍将校は無罪となり、さらにその勢いでインドは独立を勝ち取ることになったのでした。勿論、チャンドラ・ボースの写真も沢山展示されています。終戦から60年。チャンドラ・ボースの死から60年です。日本にある「ボースの遺骨」をインドに返し、きちんとした「チャンドラ・ボース」記念館が出来たらいいなと思いました。まだ時間がかかるかもしれません。


タイミング良く、良く日曜日にムンバイ領事館で来印されたある国会議員の方に会うチャンスがあったので、さっそくこのチャンドラ・ボースの話をしておきました。政治的な解決をして欲しいです。


最後にチャンドニ通りの「マクドナルド」で昼飯をとりました。最近の定番は「マハラジャセット」。二段ハンバーガー、コーク、ポテトで99ルピー(ノンベジ)ここなら生のレタスも大丈夫だろうと信じて食べています。インドでは絶対無理なのが吉野家の牛丼。誰か美味しい「ベジドン」を開発してくないでしょうか。



2005年10月15日(土) ニューデリーから

ニューデリーから更新しています。今回の出張はニューデリーで新しい住いを探すことだったのですが良い成果は得られませんでした。家族同伴の赴任ならば、ニューデリー市内にアパートを借りてローカルの人を雇えば、炊事・洗濯・掃除・買い物などこなす事が出来ますが、単身だと、アパートを借りても不便なことが多いのです。従ってサービスアパートメントを探すことになるのですが、外国人用の中・長期滞在用のサービスアパートメントはニューデリーにはまだ殆どないのです。暫くホテルに滞在するのが良いかも知れません。しかし、この時期のホテル代はバカ高いので、まだ悩んでいます。


ほんとうは、今日はムンバイに帰っている予定だったのですが金曜日の夜もニューデリーに泊まり今日(土曜日)に帰る事にしています。というのも、偶然にも「スリランカテレコム」の人達がニューデリーに来ていて、昨日の夜彼等のディナーに参加させてもらったからです。スリランカテレコムはインドの電話会社(BSNL社)と共同で、インド・スリランカ海底ケーブル敷設プロジェクトを推進中なのです。インドとスリランカの間は、一番狭い海峡で「300Km」だそうです。


今インドは「ダセラ・デワリ」のお祭りシーズンですが、ダセラの「悪魔退治」祭りでは、ランカの悪魔の王様「ラーバナ」が出てきます。ラーマ王が、さらわれた妻のシータを救いに、ランカに攻めていくのですが、その時に渡った海峡が「ラムスエラン・マナー(スリランカ側)」です。インドとスリランカはそこが一番近いのです。その海峡に今度は海底通信ケーブルが引かれます。無事の工事が終わる事を祈っています。



2005年10月11日(火) 結婚記念日

今日は、妻の誕生日であり、また私達の結婚記念日でもあります。誕生日おめでとうございます。随分長くお世話になっています。これからもよろしくお願いします(妻に)


ホームページを開設したのが2000年。ADSL導入と同じタイミングだったと思います(違うかも)。従って25年間の中で、5〜6年は一応ブロードンド世界だけれど、20年間は単体パソコン、ダイヤルアップのパソコン通信程度のネット環境でした。ホームページ開設以降、掲示板機能とか、日記が流行り、今はブログです。


ついに音楽配信ができるようになりました。もっともクラシック音源はまだ少ないですが。デジカメを買ったのも、5年前くらいでしょうか(これも曖昧)。子供達の小さい頃の写真はすべてフィルムカメラです。実は、子供達のアルバムは小さい頃の写真でいっぱいなのです。というのも、清水、名古屋、東京、大阪、東京と引越しが多かったし、趣味の「お寺巡り」に家族を付き合せたからです。


当時デジカメがあってホームページがあったら非常に多くの記事が書けていたのです。残念ながら、今となっては当時の写真をみて懐かしむだけです。こうして日記をつけたり記事を書いたりしていると、写真だけでは味わえない「心持」を記録することができます。そして、コメントなどいただけたら、その時のネット人間関係の記録にもなります。そういう点で、個人の記録としてのインターネット環境は、非常に便利でありがたいものだと思います。


25年間に比べれば最近の5〜6年なんて非常に短いものですが、ネット環境の変化は大変なものでした。「PC−8001」の時代を考えると夢のような時代になっています。不安といえば、これからの変化に着いて行けるかどうかという事です。もっとも自分の中では肝心なのは「コンテンツ」だという気持ちはあるのですが。




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