| 2005年09月01日(木) |
ニューデリーへの移転計画 |
今日から臨時のニューデリーオフィスを確保しました。ムンバイオフィスと、ニューデリーオフィスの二箇所体制に移行しつつあります。といっても日本人は私だけ。暫く両都市を行ったり来たりの生活が続きそう。ニューデリー・ムンバイ(約1100Km)間には、飛行機が1日42便飛んでいるのだそうです。それでも飛行機はいつも満員なのです。 組織の力はそこに属する人間の意欲とか士気に大きく影響されますし、人間はロボットではありませんから、人間関係にとって物理的な距離は非常に大切です。ムンバイオフィスの今の力を維持するためには、出来るだけ多くの機会を設けて顔を合わせることが必要だと考えています。さて、どうなることやら。
明日から二日間ニューデリーに出張します。今ニューデリーへの引越し計画を密かに進めていますが、ニューデリーに引っ越した後に、逆にニューデリーからムンバイへの出張になることを考えると大変憂鬱です。
ニューデリーの空港は市街地に比較的近く交通渋滞があるといっても我慢できる範囲です。ニューデリーからムンバイに出張して、夜の飛行機でデリーに帰ることになれば、飛行場までムンバイ市民の日常生活が垣間見える通りを、延々と渋滞に巻き込まれて進むことになるのです。とても予定通りには空港には着けないのです。
今ムンバイでの空港への行き・かえりは早朝と深夜の比較的道路の空いている時間帯を利用しているので、約40分くらいのドライブで着くことができるのです。航空産業は新規参入があってどんどん便利になりますが、空港へのアクセスは一向に良くなりません。むしろ渋滞はひどくなるばかりです。本当は今のうちに手を打っておくべきなのでしょう。
先週から時々頭痛があります。身体が不調な徴か不調になる前兆かもしれないので早めに寝ています。日本一時帰国で働き過ぎたのかもしれません。その後のニューデリー出張で緊張したのかも。
日曜日は9月11日の演奏会に向けてのムンバイオーケストラの練習がありました。これから演奏会まで基本的に平日は毎朝練習があります。今回の演奏会は、弦楽器だけではなく、管・打楽器も入る大規模編成での演奏です。演奏曲目は「ウィーン」に因んだ選曲ののようです。
そして、管楽器の主要パート(オーボエ、フルート、トランペット)に外国から先生を呼ぶとのこと。足りない金管楽器が軍楽隊の助けを借りるようです。 会場の前回の小ホールではなくTATAシアターの大ホールでやります。 私はというと、会社の仕事が忙しく出張が多いのでどれくらい練習に出られるか心配です。ジニ先生にその旨相談したら「今回の曲は簡単だから大丈夫だよ」といわれました。あまり、無理をせずに行きたいと考えています。
身体の調子が少しおかしかったのか日曜日に大チョンボをしてしまいました。 アパートの鍵を部屋の中に忘れて外出してしまったのです。自分を信じて合鍵は作らなかったのです。合鍵は、掃除・洗濯をお願いしている「Dさん」が持っているだけなのです。「Dさん」は日曜日は休みで、実は連絡方法がなかったのです。日曜の夕方だったのですが、会社の総務の方に出てきてもらって、
大家さんに電話して「Dさん」の住まいを聞いてもらいました。大家さんはアメリカのアトランタに住んでいるので、早朝に叩き起こしたことになりました。大家さんの情報から「Dさん」のアパートを見つけ出してDさんに会うことにしました。1時間ほど待ちましたが「Dさん」に会うことが出来て、無事合鍵入手。最初はどうなるだろうか最悪ホテルに泊まろうかとも考え居ましたが最悪の事態にはなりませんでした。油断大敵さらに、自分の身体・精神状態の把握も大切ですね。
昨日、今日とムンバイは気持ちの良い天気です。朝から青空が広がっています。海の水の色もきれいです。昨日の夕方少し雨が降りましたが、そうしたことも段々少なくなっていくのでしょう。モンスーンを経験すると、このモンスーン明けが非常に素晴らしく感じます。
今日27日土曜日はムンバイでは「クリシュナ祭り」です。幼いクリシュナがお母さんの隠した「ヨーグルト(カード)」を探し出すため、仲間の子供達の助けを借りて、高い棚の上に手を伸ばして手に入れたという話しにちなんで、街のあちこちの道路上空に、ヨーグルトを入れた壺がぶら下げられます。
町内の少年達が団結して人間ピラミッドを作ってそれを取るというもの。高いところに吊るされた壺ほど、中に入っている「賞金」は大きいのです。昨年は、8層の人間ピラミッドが最高だったそうです。今日は同じTシャツを来た多くの少年軍団を載せたトラックが街中を走り回り、チームで賞金目当てに壺取りに挑戦するのです。モンスーン明けを告げる楽しい儀式のようです。
21日の日曜日夜に日本からムンバイに戻ってから1日置いて、ニューデリーに出張しています。「ICTフォーラム」という日印政府主催の会議に参加するためでした。東京から、インフォメーション、コミュニケーション技術に関する会社のトップが多数来印しました。今はICTフォーラムが無事終了して、ニューデリーの空港で帰りの飛行機を待っているところです。
日本からインドに来る人は、非常に神経質になります。我社の関係者も歯を磨く時も「ミネラルウォータ」を使うとか、昼間から電気蚊取りを腰からぶら下げているとか。食事はホテルのレストランしか利用しないとか。
インドに住んでいる私にとってはちょっと「やりすぎ」と映ります。これも、観光会社とか「地球の歩き方」とかでひどい情報を流すからでしょうが。実際にはそれほど警戒する必要はありません。しかし、私が大丈夫といっても基本的には信じてもらえない。「お前の身体が特別丈夫なのだろう」と言われておしまいなのです。
また街中で「ベッガー」に取り囲まれた時の対応も非常に画一的に逃げています。旅行本や他人からの情報だけでなく、自分で判断して、どう対応するか決めて欲しいです。その理解がなくては、インドとは付き合っていけないと思います。まだまだ、日本とインドは遠いと感じます。 ところで今回の出張(ムンバイーニュイーデリー)では新しい航空会社を使っています。8月から営業を開始した「キングフィッシャー」です。この会社はビール会社ですが航空事業に参入しました。真新しい機体は気持ち良いです。サービスも良く機内食も美味しくて、しかも安い。インドの航空業界も非常に厳しい競争をしています。
21日のフライトでムンバイに戻りました。午前11時30分のシンガポール航空(SQ)の12便でまずシンガポールに向かいます。この飛行機はスリランカに住んでいるときにもいつも使っていた便です。機材が747(ジャンボ)なので非常にゆったりして行くことが出来ます。エコノミークラスでもそれなりに快適です。
いつもそうですが買い物荷物沢山買って帰るので、まずチェックインで緊張します。金曜日に送付しておいた「買出し荷物」を「黒猫」の窓口に取りに行って、それも含めてチェックイン。カウンターの方は、33Kgで3kgオーバーですが今回は追加料金なしでOKですとのこと。
これまで2回くらいこういう台詞を聞いています。記録は残っていないのかしら。順調にチェックインのはずが少しトラブル。日本に帰るときにムンバイ飛行場では「マイレージチャージ」OKだったのですが、成田では今回のチケットは「マイレージ対象外」なので、チャージは出来ないとのこと。ムンバイの旅行代理店では「正規のチケット」を買っているははずなのに。ムンバイで確かめるしかありません。(追記)ムンバイの旅行代理店ではマイレージの付かない最も安いチケット買っていました。
エコノミークラスでは発泡ワインのサービスはないので、白ワインを飲みながら「AMナイル自伝」を半分ほど読み進めました。インド独立にからんで日本に関係のあるインド人の活躍は、大筋で知っていますが当事者の話は非常に細かい情報を含んでいて面白いです。東銀座の「ナイル」は休日に行列のできる人気レストランですが、こうした背景を少しでも多くの人に知って欲しいです。 シンガポール到着は予定の30分前でした。5時30分には空港内の到着ロビーに居ました。少し時間が出来たのでシンガポールの楽器・楽譜店に行ってみました。空港からタクシーで10分くらいなのですが「タンジョン・カトン」の「クラマシー・ミュージック」です。
月曜日が休みですがその他の日は夜8時まで営業しているので、飛行機の時間待ちにでかけるには便利です。楽譜は日本で買うよりは少し「安い」感じがします。チェロのミュートを買ってきました。
ムンバイ行きのSQ424便はシンガポールを8時30分に出ます。ちょっと余裕があったので、空港二階におレストランで「チキンライス」+カールスバーグ缶ビールで晩御飯。これで、飛行機の中ではぐっすり眠ることができます。シンガポールからムンバイ行きの飛行機には日本食があるわけがありません。この便はいつも満員です。 ムンバイには11時(ムンバイ時間)につきました。シンガポール時間では1時30分。荷物がでてくるまで大分時間が掛かりました。税関のところでは相変わらず長い列です。荷物を検査して課税対象であれば支払いが必要になります。今回は混んでいたので、X線検査を通さずに口頭検査だけで済みました。 箱の中身は全て「日本食」です。と言い張った結果すんなり「OK」となりました。事実そうですから。ドライバーとも直ぐに連絡がつき1時前にはアパートに到着できました。一週間の夏休み終了です。
| 2005年08月20日(土) |
チャンドラ・ボース慰霊 |
8月18日は、インド独立の(忘れられた?)英雄のスバーシュ・チャンドラ・ボースの亡くなった日でした。スバーシュは、日本終戦の後、ロシアに支援を求めるために、シンガポールからロシアに向かう途中に、飛行機事故で台北飛行場で亡くなったのでした。彼の遺骨は日本に運ばれ、現在は杉並区の蓮光寺の安置されています。
8月20日、インドに戻る前日ですが「さいたま」から杉並区まで出かけました。蓮光寺は、環状7号線の高円寺陸橋の直ぐ傍にありました。東京の住宅街のお寺なので、近代的なコンクリートの寺です。境内の上記のスバーシュの胸像が建てられています。お寺の方に寺の建物に入って慰霊できないか聞いてみましたが、18日の当日でないと、一般人は入れないとのこと。仕方ないので建物の外から慰霊してきました。 次に、一念発起し東銀座の「ナイル」まで昼食を食べに行ってきました。ナイルには、レストランの創業者「A.M.ナイル」の自伝が販売されているのです。紀伊国屋書店でも入手できなかったこの伝記ですが、ナイルレストランにはまだ沢山残っていました。チキンカレーの昼食を頂き、美味しい「マサラティー」を飲んで伝記を買って帰りました。気分は「日本」から「インド」に変りつつあります。
今日本の実家さいたまの我が家からアップしています。先週土曜日からかなり非日常的な生活を送ったので更新する気力を失っていました。振り返って記録しておきます。 8月12日はBCOコンサート当日です。演奏会場はムンバイの「TATAシアター」でした。午後2時まで事務所で仕事をして3時から最後のリハーサルに臨みました。演奏会場はTATAの「EXPERIMENTAL」ホール。小さなホールです。実は最後まで演奏上の不安は残っていました。
メンデルスゾーンの弦楽交響曲第7番の「フィナーレ」は各セクションのフーガになっているのですが、誰かが間違えて、早く出てしまったり、出なかったりすると、めちゃくちゃになってしまうのです。リハーサル中にチェンバロを少し動かしたら、足が外れるし。チェンバロの足はジニ先生が急遽修理したのですがやはり中途半端な修理だったみたい。
演奏会本番ではスリランカのことを思い出しました。スリランカシンフォニーオーケストラのチェロパートは非常に強力だったのです。トップのドュッシー先生とトップ横の一番弟子のホリジンガーさんが、パート全体をぐいぐい引っ張ったので、私のような素人は、フォルテの優しいパッセージのみ参加して、後は演奏を「聞く」ことができたのでした。
ところがボンベイオケはそうは行かないのでした。比較的まじめに練習に参加した私に重い責任が生じてしまった。練習参加回数では私がチェロパートで一番なのでした。従って弱奏の場所でも弾かなければならない。正直言って楽しむより、義理を果たすのが先に来て、非常に緊張した・疲れるものとなってしまいました。
まあそれでも一応全曲止まらずに演奏できたことは良しをすべきです。招待した会社の職員、お世話になっているM銀行の日本人スタッフにも楽しんでいただけた(かな?)。それにしても弦楽合奏だけの演奏は難しいです。管楽器・打楽器が欲しい。音色の変化が少ないことに加えて、「ここぞ」というところで、管・打が頑張ってくれると弦は楽です。次のコンサートは9月11日。ウイーン音楽の夕べ。管楽器も入ります。
コンサート終了後に空港へのダッシュしました。コンサートは8時20分には終了したので、急いで着替えて、楽器は練習室に預け、9時前には、飛行場に向かう事が出来ました。リハーサルから緊張していたので、晩御飯は食べずに過ごしていたのですが車に乗ったら急にお腹が空きだしました。
金曜日のムンバイ市内は予想通り込んでいましたが、空港には10時30分頃付く事が出来ました。飛行機に出発は少し遅れましたが13日の1時前には出発しシンガポールで乗り換えて半年振りに日本に帰ってきました。
いよいよ、5日遅れの演奏会当日です。予定としては、既に昨日帰国用の荷物をまとめたので多分OK。今回は、日本への土産は、スーパーで買った紅茶程度。途中のシンガポールで買い足そうかとも。
午前中会社で二つのミーティングを済ませ午後残務を処理します。3時から「ステージリハーサル」。6時30分開演。結局16枚のチケットを購入して関係者にバラ巻きました。まら、インドの西洋クラシック聴衆の裾野が広がれば良しとすべきです。ところで仕上がり状態ですが、これが問題。止まらずに最後まで行くかどうか。
演奏会終了後また感想を書きますが、「仕上がりの曲線」は急カーブではありません。オケ全体の技術レベルに限界があるので、難しいところは最後まで克服できないし、大洪水で交通が遮断されて、練習時間が十分取れなかったし、団員は遠くに住んでいるので、楽器は練習場に置きっぱなしだし。
いろいろ困難な課題があることが分かりました。さて、本番でインド人の底力がでるかどうか。私の貢献は限界があります。
8時30分終演のあとダッシュで着替えて9時30分に飛行場に向かいます。金曜日で連休前(15日はインド独立記念日)なので渋滞の恐れもあります。 12時35分、シンガポール経由で帰国します。無事、日本に帰れますように。
老番犬「ダボ」の紹介。アパートの玄関に住んでいる番犬の「ダボ」爺さんです。相当高齢です。歩くのも難儀そうです。通常は寝ています。お尻の皮が弛んでいて、尻尾が「亀の尻尾」みたいな感じになっています。最近私を漸く「住人」と認めたようで、親しそうな目で見つめてきます。
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