| 2005年07月21日(木) |
ニューデリー引越し計画 |
実はムンバイからニューデリーに引っ越す予定なのです。会社の仕事上、ムンバイより首都のニューデリーの方がずっと便利であるからです。ニューデリーの新オフィスは、9月に改修を終えることができそうなので、そのタイミングで引っ越す予定。問題は新居を探すことと引越し。
住宅事情は、ムンバイより首都ニューデリーの方が上のようですが、単身赴任用の便利なサービスアパートメントがあるかというとそうでもない様子。単身だと、昼間家に居ないので、お手伝いさんをやとっても中途半端。住宅も単身用の狭いアパートを探すのは大変みたいです。今、日本の都会でどこでも見られる「ワンルームマンション」をひとつでいいから持ってきて欲しい。それと、引越しも不安です。
日本から持ってきたチェロは、日本できちん梱包してもらい、マラッカ海峡を経て、ムンバイまで無事到着しましたが、ムンバイからニューデリーまで大丈夫かしら・・・。日本国内での引越しはベテランの域に達していますが、インド国内の引越しは不安です。あすから、オフィス契約などのために、ニューデリーに出張します。
インドの町では、ムンバイに限らず、「犬、猫、鶏、牛、はと、カラス」はどこにでも居ます。しかも、インドの町や人間を何の違和感もなく共存しているのです。歩道に寝ている犬は、人間の交通に邪魔ですが、人間が除けていきます。偶に道で牛の行列に出会うと、車は徐行したり迂回したりして、「牛」が優先されます。
こういう光景を見ていると世の中の主人公は人間だけではなくて、他の動物達も社会の一員だと思えます。野良犬、野良猫の去勢手術は結構進んでいるし、「はと」・「からす」の餌場は沢山あります。
話は飛躍しますが、私には「ベジタリアン」の気持ちがだんだん分かってくるようなきがするのです。人間も含めて、世の中に色々な生命があり、その生命は非常に貴重で尊重されるべきだと考えたらどうでしょう。なぜ、人間だけの生命、生活環境だけが尊重されなければならないのか。他の動物だって、同じ創造主「神」から生命をあたえられた仲間ではないのかと。
命を大切にするジャイナ教では、植物でも「地下で取れる」植物は「命の元」だとして食べません。インドにベジタリアンの多いのは「命」を大切に考えている人が多いからなのです。野良犬、野良猫はどんどん減っていき(捕獲され)人間のためだけのコンクリートの町がどんどん増えていく日本。
動物は人間の疲れを癒す「ペット」ととしてしか存在し得ない環境は、インドからすると異常です。かつて日本も仏教の教えで、動物の命を大切にしていた時代はあったと思います。しかし、今は宗教が生活から遠い存在になってしまったと同時に、人間中心の考えにかわってしまった。日本人が「なぜ、宗教が必要なのか」と問うとすれば、インドでは「なぜ、宗教が必要でないのか」とといます。
約一年のインド滞在で、大分インド人的になってきた感じです。(もともと若干その気配はあったのですが)
この写真はムンバイ市内の歩道で出会った「大胆な猫」です。ムンバイの町の道では、いたるところで「犬」がごろごろしている光景を見かけます。暑さが苦手な「犬」は、全般的に動きが鈍く、怠惰に見えます。しかし、同じような格好の「猫」は始めてみました。
この猫は、歩道の真ん中で、こんな姿でずっと眠っているのです。触ってもびくともしません。猫までこんな無防備な格好で寝ていられるということは、人間からいたずらされてり、蹴飛ばされたりしないからだと思います。(他にはあまり見かけないので、この猫だけが大胆なのかもしれませんが)歩道を歩いていく人は、ちゃんと除けて通っていきます。
日本では、そろそろ夏休み計画の頃ですね。常夏のインドにいると冬の厳しさがないかわりに、夏の楽しさもない感じです。こちらムンバイでは、一年中で一番暑い5月から6月中旬くらいまで、夏の感じです。それからモンスーンが3ヶ月くらい続いて、また、天気の良い乾季を迎えるのです。7月、8月はモンスーンなので、休みをとっても観光もできないので仕方がないのです。
私は1月に引越しのために帰国して以来、すでの半年があっというまに過ぎてしまいました。この間、有給休暇をとったのはたったの二日。今回、BCOのコンサートが終わったら、まとめて休暇をとって、帰国しようと考えています。今年の後半は、また大きなイベントが控えているので、(詳しいことは、そのうちに日記に表れてくるとおもいますが)日本でエネルギーを補給してこようと思います。
BCO(ボンベイ室内オーケストラ)演奏会の曲目が一応全部決まったみたいです。日曜日に最後の新曲の譜面が配られました。曲目は、フランク・ブリッジ作曲の、「弦楽オーケストラのために組曲」。ちょっと難しいそう。終曲が「Allegro Molto」で大変そうです。
一応日本の妻にCDを探してもらうこととしているのですが、今のところ見つかっていません。しかも、演奏会の最初に演奏するという、メンデルゾーンの弦楽のための交響曲も仕上がっていない。ジニ先生の悩みの日々が続きそうです。ビオラ・チェロの練習参加人数はごく少数。ビオラ一人、チェロ二人(私を含め)。これも心配です。
先々週のチョンボ話の続編が発生しました。私の勉強した事柄を中心に記録します。私はこう考えました。(私が日本人的なのか、それとも私は日本人としても変っているかはこの際議論はしない)
Aさん(インド人インテリです)は自分達がミスしたことを最後には認め、そのミスをリカバリーするためにAさん大変な努力をし、1日遅れ(日曜を除)ですが工事は終了させた。
Aさんは今回のことで十分私達(日本企業)の要望が真摯なものであるか分かったはずだ。今後はこのようなミスがないように配慮してくれるに違いない。 しかし、実際Aさんは以下のように考えたのでした(推測ですが)。
日本の会社の要求はインドの常識を外れている。今回できないかもしれないけれど、いつものインド流で「Yes」といってしまったが、それを日本人からやってきたインド知らずの「Mr.K」は本気にして実行を迫ってきた。
仕方がないので今回は特別に各方面手配してほんの「1日送れ」で要求は満たしてやった。こんなことインドでは例外中の例外だ。
「Mr.K」は私達の努力に敬意を払うべきだ。今回私達は特別な努力を払ったのであるから「Mr.K」は私達に感謝すべきだ。従って、当然今後の約束ごとにおいて「Mr.K」は我々の譲歩するのはあたりまえである。 そうして再びアクシデント発生。彼女は最初のチョンボの時にどれだけの人間が「すっぽかし」を食ったかは知らないのですが、でもその人数を彼女に知らせたところで彼女が実感するとも思えません。1日の遅れで、天地がひっくり返るのではないけれど・・・。
故障していた電気浄水機が直りました。「48時間以内に来る」といって電話を切った「浄水機メーカ」の修理部門から、連絡してから2週間経って、修理の人が来ました。
最初に来た人は、「トランスが壊れているので、修理代はRs1000くらいかかる」と言い張って帰りました。彼に、トランスの1次側と2次側のコイルが切れていないことを、通電装置で確認させたのですが、それでも彼は「トランスが壊れている」という主張は変えませんでした。
翌日別の修理人が来て、同じようなことを言うので、今度は、コンセントを入れて、トランスの2次側の電圧を計らせました。彼は納得して、二次側のコイルの先端の処理をやり直しました。それで修理完了。彼の修理代要求はRs100。
多分トランスを変えていれば、トランスのコイルの接点もやり直すので、浄水機は動き出していたはずです。本当の原因は闇の中ですが。トランスを変えた人は自分の判断が正しかったことを確認していたはずです。こういうことって良くあるのだろうと思います。
| 2005年07月06日(水) |
メンデルスゾーンの「弦楽のための交響曲」 |
BCO(ボンベイ・チェンバー・オーケストラ)次回演奏会のメインのメンデルスゾーンの弦楽のたの交響曲第七番。日本で妻にCDを買って貰って出張者に届けてもらいました。素晴らしい曲です。
CDの解説から少し紹介します。
メンデルゾーンは、1809年に生まれて、1847年に38歳の若さで亡くなりました。弦楽のための交響曲全12曲は、1821年と1823年に作曲されました。実に12歳、14歳の時です。13番目の曲は、管楽器パートが追加されて、交響曲第一番(作品11)になったのだそうです。
弦楽のための交響曲は、バッハ、モーツアルト等を題材にした音楽の勉強の結果を良く反英しているということです。今回演奏する7番(ニ短調)も十分、モーツアルト的ではありますが、非常に洗練されていて、颯爽としていて、メンデルゾーンが天才であったことをはっきり示しています。
CDはナクソスのもので、演奏はニコラス・バルド指揮のノーザンチャンバーオーケストラ。引き締まった素晴らしい演奏です。こういう演奏にどこまで迫れるか。私としては、早いパッセージを出来るだけ「弓」を長く使って演奏すること。これって、とても難しいです。
| 2005年07月05日(火) |
週末分をまとめてアップ |
二日の記事は、土曜日に会社に出勤した時にアップしたもの。
今日(月曜日)にわかったことなのですが、先週から月曜日の夕刻まで、契約している「カード」のインターネットプロバイダは故障していたとのこと。ニューデリーでインタネットの繋げなかったはこれが原因のようです。何回も故障するので頭にきています。実名を公表します。
私の契約しているプロバイダは「TATA」です。一流の会社なのですから、しっかりして欲しいです。二日に書いたように、ニューデリーでちょっと「粋な」レストランを発見したので、これからニューデリーに行くときには利用しようと思います。
インド土産ではまず「紅茶」が思い浮かぶのですが、日本からのお客様に紹介されて、ニューデリーの紅茶屋さんに行ってみました。紅茶についてはスリランカで少し勉強したので、試しに「ゴールデンチップ」「シルバーチップ」があるか聞いてみました。店のセールスマンが、「当然あるよ」といって見せてくれたのは、どうみてもスリランカのとは違うもの。葉が開いていて「新芽」とは言いがたい。先方は、これがゴールデンチップだと言い張るのですがどうも「定義」が違うみたい。
スリランカの「某」紅茶屋で買っていた「ゴールデン、シルバー・チップ」は、まさしく新芽の開く前に刈り取ったもので、産毛も生えていて非常に繊細な味がしました。それは太陽の陽にそれほど当たっていないので、葉っぱの味はしないのですが、お茶の木のエキスだけが搾り出される感じで、非常に上品な味でした(妻の談)。
しかし、もし太陽にさらされたお茶の葉が美味しい味がするのであれば、ゴールデン、シルバー・チップは邪道なのでしょう。詳しいことは分からないけれど、繁華街に土産物で紹介された「ゴールデン・シルバーチップ」は、新芽も少し入っている紅茶を総称しているみたいです。
スリランカで購入していた、ゴールデンチップ、シルバーシップは大変貴重だったのだと思います。土曜日に頂いた「USBメモリを」失くしたようです。車の中で一旦箱を開封し、またメモリを箱に入れてオフィスに行き、オフィスで再び箱を開けた後、どこかに措いた気がするのですが、どこにもないのです。自分の記憶をたどって、自分の動いた場所を探してもどこにもない。
従って車からオフィスまでの間で落としてしまったらしい。土曜日と今日の二日間探しましたがどこにもない。もしどこかから出て来たら、それはうれしいけれど、私の記憶力が鈍っている証拠です。最近、記憶力が鈍ってきたと感じています。出てきて欲しいですが、自分の老化が証明されるのも悔しい。複雑な気分です。
3日の日曜日のBCO(ボンベイチャンバーオーケストラ)練習のこと。管楽器も入って、ブラームスのスラブ舞曲第6番(アンコール用?)を練習。実はこの曲小学生時代の音楽会でやった記憶があるのです。懐かしかったです。BCOでは、オーボエに小学生くらいのかわいらしい女の子が座っていて楽しいです。金管楽器は軍楽隊のメンバーのようです。日本から持ってきてもらった「メンデルゾーンの弦楽のための交響曲」の」CDが早速活躍しています。こんなマイナーな曲のCDはインドでは売っていません。
6月最後の週に、会社関連で3組のインド訪問がありました。二組は、ムンバイから入って、デリーから帰る組。一組は逆にデリーに入ってムンバイからもの。この3組がデリーで重なりました。
というのも、私が何回もデリーに行くのが面倒くさいので、一挙に用を済ませようとスケジュールしたのでした。3組と対応するのは大変でしたが余裕を持ってスケジューリングしたので何のとかこなせました。後は、来週月・火とデリーからいらっしゃる最後の組みの対応です。
ムンバイだとレストランなどは色々知っているので、紹介するのは容易なのだけどデリーは殆どしらないので、案内するのは大変です。日本から来る客はインドに住んでいるのだからと、私が色々知っていると思うのでしょうが。そう簡単な話しではないのです。突然そう言う環境になってしまったので急いでデリーを勉強しました。安全に、しかも効率よく、食事を済ませるには一流ホテルのレストランが一番なのですが、「せっかくインドに来たのだから、もう少しローカルな場所はないの?」こういう要望が困るのです。
ホテル内だと英語が通じるのですが外に出ると英語で道を聞くのは大変です。 下町(オールドデリー)などに行くと一層英語は通じません。それに凄い交通渋滞なのです。今回はホテルのフロントで、伝統舞踊(ダンス)のパフォーマンスを教えてもらいました。
これはオールドデリーの入り口あたりで、コンノートプレイスからも近いのです。30日は時間が遅すぎてみる事が出来ませんでしたが、私がムンバイに帰ってから、デリーに残った人達が行ってみたそうでよかったそうです。30日には、オールドデリーのレストラン「モティ・マハール」に行きました。
北インド料理が美味しくて、歌のパフォーマンスもあって、案内するには良いところだと思います。これから少しずつこういう場所を探していきます。
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