先週、今週の土曜日二回、ニューデリーのお客様ビルの回線敷設工事があったのです。日系企業ということもあって、私も先週ニューデリーの現場にお伺いし工事の手配をしたのでした。先週の工事の「大チョンボ」は、あまりにも情けなかったので日記には書きませんでした。今日の工事は大丈夫だろうと考えていたのですが同じような「大チョンボ」。もう、頭にきてしまって、日記に公表する次第です。
まず、先週の工事の記録から・・・。
場所はニューデリーのビジネスの中心コンノートプレイスのビル。お客様のフロアは4階なのですが、ケーブル引き上げのために1階から3階までの既存テナント宅への立ち入りが必要なので、ビル管理会社・ビル施工業者と連絡をとり、土曜日の4時から回線引き上げ工事することにしていたのでした。
しかし工事の当日(先週の土曜日)の6時頃、ビル工事会社から「約束した回線工事のための作業員が全く来ない。どうなっているのか」というすごい剣幕の電話がありました。直ぐに、回線工事会社に連絡すると「お客様のフロアまで回線を伸ばした。お客様フロアの外まで線を張ったので、月曜には室内を張る」というのです。現場を知っている私は「お客様フロアの外」という点に不審を感じましたが、少し安心したのでした。
しかしビル工事会社の話と回線工事会社の話が全く食い違ったまま・・。「月曜日中に工事が済む」という回線工事会社の言葉を信じて、土・日を過ごしたのでした。私の推理では、回線工事会社が「うそ」を言っているか、あるいは別のビルに配線してしまったのではないかというものでした。この「なぞ」が解けたのが月曜日の午前中でした。
私は電話工事会社の監督する人(インド最大の電話会社)にぜひ現場に向かうよう頼んだのでした。電話工事会社は「うそ」は言っていませんでした。しかし同じビルの違う「棟」に配線していたのでした。そのビルには二つの棟があったのです。現場監督の人は場所を知っているのですが、下請けの工事会社に人間が間違えていたのでした。私も最初に工事現場に行ったときに間違えたのでした。4階は両棟とも仕上げ工事中なのです。そして工事をしている人達に聞いても「何の会社」が入居するのか全く知らないのでした。
私は、回線工事会社の偉い人に電話して、とにかく月曜日中に工事を済ませるように頼み込みました。そして月曜日の夜、ようやく回線工事が終了した旨の連絡を受けたのでした。
この恥ずかしい失敗を二度とくりかえさないように、昨日まで業者対応を十分お願いしたのでした。(今回の業者は前回とは別なのです)「工事は、テナントの都合があるので、土曜日の午後4時から・・・。」しかし、今日工事業者が現場に着いたのは、5時30分頃だったとのこと。そしてテナントの入室許可がもらえずに工事ができなかったとのこと。
今日もひょっとして、違うビルで工事していて遅れてしまったのか。情けなくてやけ酒です。(今日も・・・)
ムンバイは本格的モンスーンの真っ只中。今24日土曜日の8時40分過ぎですが外は雨と風でとんでもない荒れ模様です。アラビア海に面しているアパートの窓に雨が強く吹き付けていてうるさいのです。
ドライバー氏が夜、木の下に車を止めたくないといっていましたが理由が分かりました。夜中の雨風で木の枝を折れて車に落下するのです。朝の道は、街路樹の枝が折れている光景を多く見ます。この雨は夜中降り続いて朝方に止むことが多いみたい。
朝6時の散歩の時間には不思議に雨は小降りになっているのです。ムンバイの健康を気にする人は、ムンスーン期間のちょっとした晴れ間に運動をするのです。しかしとにかくすごい雨の量です。洪水になるかどうかの分かれ目は、雨が長期間続くかどうか、さらに降り続く期間が短期間でも海の水位が高いかどうか(高潮かどうか)によります。まだモンスーン入りして1週間ですが、すごい。台所の水漏れが気になります。
大きな写真アップに挑戦しました。アパート(4階)からの眺めです。海(アラビア海)と運動公園(プリアダルシニパーク)が目の前です。写真の真ん中に、棒が一本見えますが、これは何だか分かりますか?私は最初、突然「棒」が現れたので、何か旗でも掲揚するのかと思いました。
時間が経つにつれ、正体が判明しました。実は、これは「やしの木(本当の名前は知らない)」の新しい「枝(葉)」だったのです。最初、ぐんぐん真っ直ぐ上に伸び、そして中からぎざぎざしたヤシの葉が現れます。葉が開いてくるに吊れ、枝ごと段々垂れ下がってきて普通の枝になります。手品みたいな変身ぶりです。4階の部屋から見上げることになるので、結構な高さです。雨の多いモンスーンは植物達にとってはうれしい季節でしょう。
| 2005年06月22日(水) |
頼りになるのは水・食料 |
故障した飲料水浄化装置の修理は何時になるやら。仕方がないのでミネラルウォーター1ダースを常備することにしました。また今日はデリーの大和屋さんから日本米「10Kg」が届きました。水と米がこれほど自分を安心させるものとは思いませんでした。気持ちに余裕がでました。(非常に原始的に単純ですが)
6月の第4週は大変忙しそうです。日本から3組の訪問者が日程が少し重なって来印します。せっかくインドに来るのですから、時間ロスのないように、また間違いの無いよう準備したいと思います。
モンスーンに入ったムンバイは、ぐずついた天気が続いています。外気温の変化が激しいので、温度を一定に設定している室内クーラーの効果が、日によって、また時間によって大分変ります。外気温の低いときには冷えすぎるのです。こういう環境で体調を壊すのでしょう。
日本のように、インバーター調節クーラーは普及していません。寝ていても、夜中に暑苦しくてクーラーを掛けますが、次には寒くて目がさめるのです。十分注意が必要です。
日本の「若乃花・貴乃花」の兄弟仲と同様にインドでも非常に有名な兄弟喧嘩がありました。その喧嘩のけ決着が先週土曜日につきました。
喧嘩をしていたのは、インド有数の財閥「リライアンス社」の創業者のふたりの息子。長男のムケーシュ(1957年生まれ)と次男のアニール(1959年生まれ)。2002年に創業者で父の「ディルバーニ」が亡くなった後、兄弟うまくやっているという噂でしたが、最近になって兄弟同士の不仲が新聞で伝えられていたのでした。
2人はリライアンス社の取締役会等で、和解の途を探したのでいたのでしょうが、遂にリライアンス社を分割して兄と弟がそれぞれ別の会社を継承することで決着したのです。10年間は「競業避止の義務」が課したようですが、兄弟の経営能力の競争が始まりました。
私の関係する「リライアンスインフォコム(総合通信会社)は弟さんの傘下に入りました。弟さんの方がどちらかというと「ソフト産業」、お兄さんが「ハード産業」を継承したことになります。
| 2005年06月19日(日) |
ボンベイチェンバーオケ(ムンバイ室内交響楽団) |
ムンバイはモンスーン入りして、雨が降っている時間が長いですが、アパートが面している「プリヤダルシニパーク」では、朝からサッカーの練習をしています。雨の中を散歩している人達も多く見かけました。晴れているから外出する、雨が降ったら家に居るという単純な発想では過ごせないのだと思います。これから3ヶ月間以上のモンスーンが続くのですから。
今日のムンバイオケ(ボンベイ室内オーケストラの略)は、メンデルスゾーンの「弦楽のための交響曲第7番」の初見大会でした。指揮者からパート譜が送付されてきたのです。パート譜はスコアをコピーして各パート毎に切って張り合わせたもの。全くの手作りです。指揮者が作ったのだそうです。
4楽章形式の古典的な曲という印象です。譜面面はそれ程難しくないので、どのように細かいニュアンスに注意していく余裕があります。ジニ先生が、今回の指揮者は「シャー・ルク・カーン」に似ていると紹介していました。「シャー・ルク・カーン」はインド随一の二枚目映画俳優です。どんな「シャー・ルク・カーン」が現れるか見ものです。
ムンバイではきのうの深夜、強い雨が降り雷もなっていました。いよいよモンスーンシーズン到来です。午前中は晴れて日が差しましたが、湿気があって蒸し暑いです。午後からは不安定な天気になり、雷がなったり、雨がざーっと降ったり。
モンスーンが来ると外に出ることが億劫になり運動不足になりそうです。これから、路上生活者の人達は大変だろうなと思います。夜のケーブルテレビの歴史チャネルで「自爆テロ」のことを扱っていました。自爆テロは、戦いの理論の中では「効率が良い」作戦と理解されているようです。
番組は現在の自爆テロの原点的なものとして、日本の特別攻撃隊のことを取り上げていました。太平洋戦争の最中に、飛行機搭乗員が自分の機の損害で帰還できないと覚悟した時、最も効率的な方法として自爆を考えたことは容易に想像が付きます。
しかし片道分だけの燃料と爆弾を積んで攻撃に向かう特別攻撃隊の発想は、そこからかなり飛躍したと思います。しかし60数年前の日本ではそれが許されていたのでした。私の叔父は特攻隊の生き残りだったので、実家に色々な写真がありました。日本では既に過去になってしまった「効率的な攻撃」がまだ現在の世界で有効な作戦として機能しています。
中東、ロシア、スリランカ、そして「9.11」。「一人の命で何人殺せるか」この判断基準は辛いです。「ひとりの不幸によって、何人の不幸を道連れにするのか」悲しい現実ですが・・・。
| 2005年06月17日(金) |
ムンバイに帰ります。 |
今のニューデリーの国内線空港からアップしています。
無線アクセスは快調です。
今日は1日、あちこちを走り回り最後に日本食材屋の「大和屋」さんにいって日本米を発送注文し少し日本食を買いました。
「大和屋」さんは予想を超える品揃えです。少し高いですがニューデリーで揃うので感激です。
「そうめん」と「焼肉のたれ」を買ってきました。
空港への時間調整に「田村さん(日本食レストラン)」で晩御飯を食べて空港にチェックインしたところです。
このコースはニューデリー出張の帰り道の定番コースになりそうです。
金曜日の夕方の「田村レストラン」は日本人で混雑していました。
ニューデリーはムンバイと違って日本人人口が多いです。
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ニューデリーに来ています。
いろいろな案件が溜まったので一挙に解決するためにニューデリーに来ています。
最近はジェットエアーは遅れることが多く今日も1時間遅れました。
昼前にニューデリーの空港に到着した時外気温は41度。
後で聞いた話ですが今日16日の最高気温は42度。昨日15日は45度だったとのこと。
日差しは強いし熱風ですね。
でもムンバイほど湿気はないです。
どちらが過ごしやすいか難しいところです。
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今回、初めて無線アクセスインターネットをムンバイ以外に持ち出しました。
今はニューデリーのホテルですが、快適に繋がります。
150Kbpsですが、主要都市の市街地・空港で繋がるので、待ち時間とかホテルの帰ってからとか、メールをチェックするには便利です。
少し高かったのですが、無線アクセスカードを買ったのは正解でした。
明日、帰りに日本食材店によって、日本米を買っていく予定。
ニューデリーには、手頃な日本食レストラン・食材店があります。
さすが首都です。
一昨日から飲料水生成装置(正式名称不明)が故障しています。昨日は水ボトル5本買ってきて、少しずつ使うことにしました。そして大家の兄という人に電話して、今日業者に修理を依頼することと約束したのですが連絡無し。
今晩は面倒くさいので、普通の水道水で「インスタントラーメン」を作って食べてしまいました。以前なら3段階のフィルターで浄化するという浄水装置で浄水した水で作るのに・・・。インドの水道水をそのまま飲むのも時間の問題かも。私の身体は本当は物凄く強いのかもしれない・・・。いやいや注意はします。
ムンバイの私のアパートには殆ど「蚊」がいません。一階には「蝿」はうじゅうじゃいますが不思議と「蚊」には会いません。日本で妻が毎晩「蚊」に悩まされているのは容易に想像できます。(妻の日記による)
私は日本にいるときにはアルコール体質の私が「蚊」の犠牲者になっていました。したがって「蚊」を取る技能においては私が家族の中で「No.1」だったでしょう。しかし、私のいない埼玉の我が家でアルコール濃度の高い血液保有者は「妻」です。多分彼女が「蚊」の集中砲火を浴びているのだと想像できます。しかも彼女は近眼が強いから「蚊」を発見するのも難しく、血圧が低いから寝起きですばやく対応できない。蚊は逃げ放題です。
家に残っている子供達がアトピー体質なので殺虫剤は使わないでしょう。したがって夏場の「蚊」対策は結構大きな問題です。昔、信州の実家で「蚊遣」を吊ったことを思い出します。それは就寝前の儀式のようでした。
布団を全て敷き終わった後、徐に「蚊遣」が登場して、「蚊」が入り込めないように下から上手に吊るすのです。「蚊」は全く「蚊帳」の外。蚊帳の中に入ると、光の状況を変って幻想的で、眠るのがもったいないような感覚だったと思います。蚊帳の雰囲気が懐かしいです。
当時猫を飼っていたはずなので、猫と蚊帳の関係がいまいち思い出せません。 こ子猫が蚊帳を面白がって蚊帳に登ってしまったような記憶があります。スリランカにも「蚊帳」がありました。日本と同じような形式でベッドの上に吊るすのです。しかし一人用です。日本の「蚊遣」のように家族全員がその中に入って眠る環境なんて多分珍しいのでしょう。現代日本には殆どそんな環境はないでしょうから、「蚊遣」がスたるのも分かります。明日、ニューデリーに出張します。
昨日のジニ先生からのレッスン後のお話から。演奏会のその他の曲は、メンデルゾーンの「弦楽のためのシンフォニー第7番」だとのこと。したがって今のところの演奏会の曲目は以下のとおり。
ヴィバルディ、ギター協奏曲 ロドリゴ、アランフェス協奏曲 エルガー、弦楽のためのセレナーデ メンデルスゾーン、弦楽のためのシンフォニー第7番。
メンデルスゾーンの楽譜はイギリスの指揮者の方が郵送してくれるとのこと。 ジニ先生もどんな曲か知らず「難しかったら困るね」と言っています。8番はニ長調でした。7番はニ短調なので少し難しいかなとも思います。ムンバイ室内オケの9月の演奏会にはハイドンのチェロ協奏曲(ハ長調)をやるそうですがソリストが決まっていない。
9月にはオーストリアから指揮者を呼ぶ予定で、オースストリア航空がもうひとつ格安航空券を手配してくれればオーストリアからソリストも呼べるのです。現在ジニ先生が航空会社と交渉中。だめだったら近くのスリランカから「ディッシュー先生」を呼ぶ手もあると話しました。
「水道の水が出ない」 アパートの浄水装置が故障したようで料理用・飲料用の水がでません。普通の水道水はでるのですが、これは煮沸しても不安があるのです。したがって、暫くペットボトルの飲料水を使うことにしました。そして、修理やさんを探すことにします。こういう時は、一般アパートに入ってことを後悔します。
サービスアパートメントなら技術者を呼べば直ぐ直してくれます。東京の厚生担当の人には、この種の困難さはなかなか実感してもらえません。私も困難に直面して、初めて「危うさ」を認識した次第。
妻の日記に「電子レンジを落とした」との記事。電子レンジは「落とせる」ものではありません。信州の実家の電子レンジなんか初期の製品でとてつもなく「重く」落としたら大変です。最近のレンジは軽いのでしょうが。怪我が軽くて良かった。こういう事故(へま?)は連続することがあるので十分気をつけるように電話しました。離れていると正直言って心配です。
身近に生活していると、体調の不調とか気持ちの不安定などには気づくことが出来て、お互いにちょっと話せば大事に至る前に慎重になれるのです。単身赴任で遠く離れていると、それが出来ないのです。
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