KENの日記
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2005年05月10日(火) オフィス引越しと「マンゴウ」

昨日、新しいオフィスに引っ越しました。荷物もそれどほど多くなかったので、ダンボール箱に書類を詰め込んで、乗用車でピストン輸送しました。新しいオフィスは、少し広くて、少し新しくて、オフィス内に洗面所、トイレ完備。後は、電話とインタネットです。これは少し時間が掛かるため、当面はモバイルと無線アクセス(おそい)で対応します。


日曜日の夜、M銀行のMさんと夕飯を食べたのですが、Mさんから貴重な情報を頂きました。ニューデリーに「日本の米」を売っている店があるとのこと。
これはすごいニュースです。ニューデリーなら出張の際に勝ってくる事が出来ます。新しいオフィスに果物屋さんが出入りしていて、「マンゴウ」の箱(12個入り)を運んでいました。おいしそうだったので一箱買いました。(Rs200)


そしたら今日会社の人から「ゴア土産」として、マンゴウを10個もらってしまいました。冷蔵庫はマンゴウだらけです。でも今まさに季節なので、とても美味しいです。こちらでは果物の王様だと言っています。マンゴウは美味しいのだけれど、食べ方少し面倒なのです。大きな種が真ん中に入っています。美味しい果肉は鳥に種ごと遠くに運んでもらうためのものだと思いますが、こんな大きな種を運べる鳥はそういないです。


それとも、マンゴウの木が狙っているのは「猿」かしら。ひょとして人間?



2005年05月08日(日) 田植えの季節

妻の日記によると、さいたま市の我が家の周りの田んぼに水が入ったとのこと。武蔵浦和から10分程度のマンションの周りに実は田んぼがあるのです。のどかです。


話は飛んで先週行ってきたインド東海岸の「オリッサ州」。タミール・ナド州と並んで稲作が盛んです。水田風景が日本を彷彿とさせます。3月にタミール・ナドのチェンナイに行ったときに教えてもらったのですが、インドは普通「三毛作」なのだそうです。


天気の良い時には、3ヶ月で収穫。これが二回。それと4から5ヶ月で収穫する周期があるのだそうです。東海岸は殆ど一年中天気が良いので、同じ時期に色々な状態の田んぼが見られます。つまり、田植えしたばかり田んぼの横には、刈り取り寸前の稲穂が実っていたりします。あたり一面の田んぼに、一斉に水が張られるといった、日本の春の風景はありません。田んぼがあるというのは、水が豊富な証拠です。インド中央部のデカン高原には田んぼなどありません。インドからすると日本の自然の豊かさは、本当にうらやましい限りです。


話題を変えてインドの旅の宿泊施設の話。
宿泊施設といっても一緒に旅するドライバーの宿泊施設のことです。スリランカ時代、ドライバーの「スニール」とスリランカの色々なところを旅しました。当然遠出の時はホテルに泊まるのです。スリランカの主要なリゾートホテルはドライバー用に宿泊施設が完備されていました。さらにドライバー用に食事まで準備されているのが普通でした。というのも、周囲10Km位には全く家がないようなホテルもありましたから・・・。


「スニール」の話を聞くとドライバー用の施設・食事が良いところと、ひどいところがあるとのこと。私が持参した「防虫スプレー」は通常はスニールが使っていました。


インドの事情ですが、一昨年のタミール・ナド、昨年のアジャンタ・エローラ、今回のオリッサの旅の経験からすると、インドのホテルでは通常はドライバー用の部屋とか食事は用意されないみたいです。ドライバーは宿泊施設、食事を自己解決しなければならないみたいです。車の中で寝るか、どこか適当な場所を探すか・・・。これは少し辛そうです。


今回の旅のドライバーの「セブー」は、3泊4日なのですが荷物は何も持っていません。すごい生活力です。でも、私はこれに驚かない訓練ができているのです。我が屋(アパート)の階段の踊り場では、だれかが寝ていることが多いし(確か彼は管理人のはず)。


更に早朝、夜明けごろ散歩に出かけると、車の狭いボンネットの上で寝ているタクシー運転手を見かけるからです。インドでは、どこで寝る、どんな形で寝るというのは、大して問題ではないみたいです。しかも、公衆トイレ、洗面所がいたるところにあるので、最低の用は足りるみたい。バックパッカーが安い宿に泊まるのは、インドではそれほどひどい話ではないみたいです。



2005年05月06日(金) 連休終了

ゴールデンウィーク終了。日本が休みなので、日本からの電話・メールが少なく、少し平和な週でした。連休に重なって、小泉首相がインドを訪問されたのですが、あまり話題になりませんでした。


こちらの新聞でも、ニューデリーの地下鉄に乗る首相の写真がちらっと掲載されただけ。首相来印で、セミナーやら日印の交流の場があれば、私もニューデリーに行こうかとも考えていたのですが、大した物もないようなので行きませんでした。


首相は、郵政民営化・日中関係で頭がいっぱいであったのでしょうか。インドは、中国みたいに過去を責めないし、民主主義国家なので、親しくしておいて損はないのに。やはりインドは日本から遠かった。


今こちらでは、チャンドラ・ボーズの映画が上映されています。(流行っているかどうかは不明)(5月13日封切りだそうでした。ボースはインド独立の英雄です)街中でボーズの彫像を見ることも出来ます。チャンドラ・ボーズは、東京裁判のバール判事と並んで、昔、日本を理解してくれた数少ない外国人。日本とインドの距離が縮まることを期待します。



2005年05月05日(木) 思い出して (ブバネシュワラ・プリ旅行)

今回の旅の思い出をいくつか記録しておきます。30日に飛行機でブバネシュワラに出発しました。


ムンバイ−ブバネシュワラ間は国営のインディアエアラインしか飛んでいないので、選択肢は他にないのですがこの会社は予想外に良いです。インド民間航空会社では「ジェットエアー」が人気が圧倒的にありますが混雑することに加え座席が狭い。


インディアエアラインは比較的空いているし座席も少し余裕があります。会社の人に聞くと「ジェット」の良い点は、マイレージと客室乗務員が若いということらしい。そういえば、インディアンエアラインのフライトアテンダントの平均年齢は高そうでした。


機内食は味は同じようなものです(両方とも美味しくはナイ)。機内誌の占いコーナーを読んでいると、気の利いたことが書いてありました。(私は双子座)曰く「家族の中の一人に非常に多くの幸福が訪れる」とのこと。


日本に居る家族を思い浮かべると、妻は「くじ運」は悪いし、あまり特殊のことをしないでしょうから対象外かな。娘が現役で大学に入学できたこと(試験は3月)を言っているのかしらとも考えられるし、いや長男の就職試験(5月1日)のことかなとも考えました。自分以外の家族の幸福とは何なのでしょう? でも面白い占いです。


今回の旅は「オリッサ建築、美術」に触れることが目的だったのです。その目的に合致するかのように二組の家族に会うことが出来ました。一つの家族は、プリー(Puri)の「チッタラ」絵画の「ベヘラ」さん家族。ホテルで土産物屋を紹介してもらい、その土産物屋のご主人の紹介で、作家の「ベヘラさん」を紹介されました。


ベヘラさんの工房兼ショップにお邪魔して、細密画の製作風景だとか、作品を拝見しました。オリッサの細密画は、非常に細かいことに加えて、どこかに遊び心があって楽しいのです。ベヘラさんの所で「ジャガナート神」のこけし(のようなもの)を購入してきました。


もう一つの家族はブバネシュワラの「サフー」さんです。ホテルの部屋に投げ込まれた5月3日の新聞に彼の工房の記事が載っていたのです。フロントでその工房がどこにあるのか聞いてみると、宿泊していたホテルから目と鼻の先。
早速出向いてみました。サフーさんはオリッサ彫刻の第一人者で、昨年の大統領表彰に輝いた作家だったのです。


工房の入り口付近には大きなジャイナ教の「マハービラ」の石造が置かれていてまだ仕上げられていません。サフーさんによると仏陀像は比較的自由な制作が可能なのだけれど、マハービラ(ジャイナ教)の像は、非常に細かなルールがあるとのこと。


インド国内でも正式なマハービラ像を彫り上げることの出来る作家はたった3人だけだと言っていました。サフーさんとその長男だという方に色々話を伺いました。なんとサフーさんは日本語を上手に話します。


聞いてみると日本山妙法寺の住職さんと親しく、日本に行っていくつかの寺の仏像を彫り上げたとのこと。案内された展示室には日本関係の写真や、日本式の仏壇がおいてありました。日本の仏教彫刻は素晴らしいと言ってらっしゃいました。


サフーさんの工房では10人以上のお弟子さんが、一生懸命彫刻に取り組んでいました。(朝9時過ぎに行ったのですが、インドで9時から働いている風景は稀です)サフーさんの話によると設計図とかデザインを描いた下書きは一切なし。全て師匠から学ぶのであって、作者の頭の中の創造力なのだそうです。コナラクのスーリヤ寺院でもそうですが、壁一面に掘り込まれた彫像には下絵などないのです。全てが作家の頭の中の「絵」が彫る技術によって形となるのです。


難しいのは、崩れ去ってしまった彫刻や、頭部の失われてしまった彫刻の復元なのだそうです。作られた当時の作風だとか、文書による言い伝えなどから、自分で想像しながら復元していくのだそうです。サフーさんは一時省みられることのなかった「オリッサ芸術」の復興に取り組んでいるとの由。展示館にある彫刻は、多くのお弟子さんの作品も含みますが、素晴らしい作品が沢山ありました。


インドの古い伝統は、確実に現在でも受け継がれていることが分かりました。
最後にドライバーの「セブー」さんのこと。彼は地理は詳しくないけれど安全運転で、とても好感の持てる運転手でした。ただ英語が上手くないのです。私の英語の発音が悪いこともありますが、私が後ろの座席から英語で話しかけると、運転中にもかかわらず顔を後ろに向けてじっと聞き入るのです。これは「あぶない」。運転中に話かけるのは控えたし、最小限の単語にしました。「ストップ」「ゴウ」程度。それ以上話すと非常に危険なのです。



2005年04月29日(金) 耳に就いてしまった旋律

2月までホテル住まいだったので、朝食はホテルのレストランでとっていました。そのレストランではクラシックの音楽をバックに流していたのですが、朝の晴れ晴れした雰囲気とは対照的な曲が掛かっていて、耳についてしまいました。それはバーバーの「弦楽のためのアダージョ」。


朝から物悲しい音楽が流れているので最初は変な感じでしたが、暫くしてから慣れて朝の音楽になってしまいました。アパートに移ってからそのアダージョが無性に聞きたくなって先日CDを買ってきました。演奏は、ジンマン指揮のデトロイトシンフォニーオーケストラ。ムンバイのCD屋で売っていたのはこのCDだけです。他の演奏者はなし。演奏自体はあまり気に入っていません。


耳に就いている旋律というと、古い話ですが中学時代のお昼の放送の音楽:ベートーベンの交響曲8番の冒頭旋律。さっそうとしした音楽が「あまり美味しくない給食」と好対照でした。


それと故郷信州の「信越放送」の夕方にテレビニュースのテーマ音楽:ラフマニノフ交響曲第2番2楽章の冒頭(スケルツオ)なんか暗いニュースを真面目に報道する雰囲気でした。勿論曲名を知ったのは後のことですが、今でもこれらの曲を、当時の雰囲気をおぼろげながら思い出して不思議な気分になります。



2005年04月28日(木) 最近の大学生

娘がこの4月から大学生です。私はインドにいるので詳しいことは分からないけれど、大分忙しそうです。入学早々なのに、宿題のためにほぼ徹夜までして・・・。理系の学部(デザイン)はそんなに大変なのかしら。


約30年前の自分を考えてみると、文系でしかも経済学部というなんとも暇そうな学部なのですが、入学早々そんなに大変だった記憶はない。夜遅くまで酒を飲んでいたことはあるけれど。大学の学部そのものが、第一希望の夢破れて、都落ちみたいな雰囲気があったのは事実だし、大学は殆ど学生の面倒など見なくて、自分の学びたい物を探すのに少し時間をかけるような雰囲気でした。


しかし娘の様子を聞いているといきなり「大学の専門教育まっしぐら」みたい。教養で、哲学だ、文学だ、倫理学だ、歴史だと学んでも、どれくらい役立つかは分からないのは確かだけど、幅広い土台なしに、高い建物は建てることは不可能だと思うし、最低読んでおいたほうが良い本はかなりあるでしょう。最近の大学教育は昔と比べて大分変っているらしい。(妻の情報)


まあ妻も長男も娘も現役で入りたい大学に入ったのだから、私とは少し事情が違かなあ。妻の話では工学部は昔でも最初から結構大変だそうですが、私の入学当時のサークル仲間はそうだったか記憶がないのです。


私に関する限り、サークルで得た友人関係は人生の大きな宝物であるし、当時、学生運動のことにも少し首を突っ込んで、しょうもない議論をしたのは良い思いでなのです。まあ、時代が違うのでしょう。



2005年04月24日(日) 「マクダム・アリ・ダルガ」イスラム寺院

インドにおいてヒンズー教に次いで大きな信者数を抱える宗教がイスラム教です。第二次世界大戦後、西パキスタン、東パキスタン(現バングラディシュ)分離によってインド亜大陸のイスラム人口は流出しましたが、それでも現在のインド国内には1億人以上のイスラム教徒がいます。


インドのイスラム王朝は北インドのムガール王朝が超有名です。5代皇帝(17世紀前半)シャー・ジャハンが奥さんの墓として作った「タージマハール」はイスラム建築の代表的な文化遺産です。インドのイスラム王朝はヒンズー教の社会構成の構図を残しつつ支配しました。よく言われる「コーランか死か」というようなヒンズー至上主義(言葉の定義は曖昧です)ではありません。


この辺りのことは岩波新書「ヒンズー教とイスラム教」(荒松雄著)が詳しいです。さてムンバイにも多くのイスラム教徒が住んでいます。特に貧しい人が多いと聞きます。ムンバイのヒンズー寺院としては「ハジ・アリ」(海の中に突き出た寺院:観光地)が有名ですが、今回は、もう少しマニアックなマヒムにある「マクダム・アリ・ダルガ」に行ってみました。


実はインドのイスラム教の歴史は大分古く、北インドイスラム王朝支配の随分前から浸透していたのです。しかも、少し変った形で・・・。

「ハジ・アリ」もそうですが、「マクダム・アリ・ダルガ」も実は「イスラム聖人」の墓なのです。通常、イスラム教では偶像崇拝を厳しく禁止していますが、これらのイスラム寺院(正確には墓所)では、「聖人」の墓に信仰対象になっています。多くの人が墓に手を差し伸べ、首をたれている様子を見ることが出来ます。


「マクダム・アリ」には、「マクダム・アリ・マヒム(1372−1431)」の墓があるのです。イスラム教スフィ派が9世紀から10世紀に中央アジアイラン方面からインドにやってきたとのこと。イスラム教が発生してから200年か300年か後の事です。


このスフィ派は「苦行して奇跡を行って人々を教え・救済する」人達であったそうです。この「マクダム」はコーランを懸命に学び、インド人で最初にアラビア語のコーラン注釈を書いたのだそうです。多くの人々が崇拝しているところ見ると社会活動にも熱心で貧しい人達を助けたのだと思います。


この「マクダム・アリ」で面白いのは、明らかにヒンズー教と思われる人達も自由に一生懸命お祈りしていることです。普通、イスラム教社会では女性は肌を隠さなければなりませんが、ここではサリーを着た女性が男性と同等に礼拝しています。イスラム教にしては、非常に「開かれた感じ」です。私にも非常に親切でした。その墓所の横には、大きなモスクがあり人々が西に向かってお祈りをする光景が見られます。


インドにおけるスフィ派イスラム教は、このようにヒンズー教徒にとっても違和感のないものだったようです。インド社会では「聖人」崇拝が盛んです。一種の新興宗教みたいですが人々は非常に尊敬しています。ムンバイでよく見る聖人の像は「サイ・ババ」で、宗教を超えて多くの人々から尊敬されています。「サイ・ババ」といっても現在の南インドのアフロヘアーの「サティヤ・サイ・ババ」ではありません。19世紀後半にマハラシュトラのシルディに現れた聖人です。彼はイスラム教とヒンズー教両方の深い知識があったそうです。


少し怖そうな顔をした「シルディ・サイ・ババ」は、人々の病気を治す奇跡の「灰」を取り出したとのこと。今、南インドのアフロヘアーの「サティア・サイ・ババ」は、彼の生まれ変わりだと主張しているのです。インドには、こうした聖人を崇拝する素地は随分昔からあったのたため、イスラムの聖人を、そしてイスラム教を自然と受け入れたのだと思います。一生懸命にお祈りする人達を見ると、人々の信仰心の深さに驚かされます。


ただ、イスラム寺院には、貧しい人が集まっていて、物乞いの人が直ぐに寄ってきます。「ハジ・アリ」も、寺院までの海岸の道には、非常に多くの物乞いの人が座っています。ヒンズー寺院とは別な「覚悟」をしていかなければなりません。



2005年04月23日(土) ワイヤレスエアカード

TATAインディコムの電話機経由のインタネットアクセスが非常に不便ななので、同じTATAの無線カードを試しています。これは高価(Rs14999)なので性能を試してから買うかどうか決めるつもりです。電話機経由では「115kbps」、カードなら「150kbps」だそうで、それほど違いはないのですが、電話機経由のアクセスでは、勝手に切断されてしまうのです。


カードはそれがないということ。高い分優遇されているのでしょう。今、日本の速度計測サイトで、スピードを図ると「50kbps」。切れない分だけ使いやすいですが驚くほど遅いです。今週水曜日にあったTATAのセールスマンは、「常時50kbpsなので非常に便利」といっていましたが、インドでは、インターネット事情からすると仕方がないですね。


ブログのメンテナンスはなんとか出来ます。今メッセンジャーで日本と交信しようとしていますが、音声も画像(動画)もとても無理でしょう。


ついでに昨日の記録。


22日金曜日に事務所の社員3人とその奥さん、旦那さん3人を呼んでアパート引越しパーティをしました。社員の中ひとりは10年前くらいに大阪大学に留学して日本食ファンだし、折角今たっぷり日本食があるので、奮発して日本食を振舞いました。


献立は、

スターター:ピザハットのピザ(ハワイ風&サラミ)・・・出前
スープ:野菜スープ(ジャガイモ、ニンジン、ズッキーニ、トマト、ソーセージのコンソメ味)
メイン:冷奴(オカカ&梅味)、ポテトサラダ(ジャガイモ、卵、ポークハム、トマト)
ホイコウロウ(牛肉、キャベツ、ピーマン、ベビーコーン、クックドウのレトルト)
五目飯(マルミヤ五目飯の元)、釜飯(マルミヤ釜飯の元)
デザート:メロンとマンゴウ。


今日のお客様は全員ノンベジなので安心して作ったのですが、中に今日牛肉を始めてたべたという奥さんがいました。インドでは食べるチャンスがないのでしょうね。お世辞かもしれませんが美味しいといってもらえました。五目飯と釜飯は、3合までしか炊けない炊飯器で二回炊くなら別な物をと思い工夫しました。私の腕というよりは、日本のインスタント食品の味が物を言った出ディナーでした。奮発してしまったので、これから日本食を少し節約していこうと思います。



2005年04月22日(金) インドは夏休み

日本では4月終わりから6月始めにかけて「ゴールデンウィーク」ですが、インドではこの時期学校は夏休みになります。子供が休みなので親も仕事を休んで遠出するという仕組み。私も日本の本社がゴールデンウィークに入るので少しまとめて休もうかと思っています。


今回の私の目論見は「ブッダガヤ」に行こうというもの。スリランカに住んでいた時に果たせなかった計画なのです。スリランカは仏教国なので「コロンボ」と「ガヤ(ブッダガヤ最寄)」間に直行便がありました。因みにバンコクとガヤの間も直行便があります。しかしムンバイからは直行便は飛んでいません。


ヒンズー教徒が大多数を占めるインドではブッダガヤへの巡礼者は多くはないのです。職場のスタッフが「止めてたほうが良い」とアドバイスしてくれます。この時期のインド中部はものすごく暑くてとても観光など出来ないのだそうです。でも、この時期を逃せばいついけるか分からないし。とにかく準備にはいろうと思っています。



2005年04月21日(木) ニューデリー出張、オフィス探し

先週金曜・土曜日の二日日間ニューデリーのオフィス探しにいってきました。現在の我が社の事務所はムンバイにありますが、お客様のロケーションを考えるとニューデリーの方が便利であるのです。そこで、タイミングをみてオフィスを移す予定。


デリーは北側のオールドデリーと南側のニューデリーに分かれます。北側のオールドデリーは昔ながらの雑然とした町並み。(ムンバイよりはましか?)ニューデリーの方は、真っ直ぐな幅広い道が整然と伸びていて広々としています。そして昔からのニューデリーのビジネスの中心はコンノートプレイスといって放射線に伸びる幹線道路のちょうど中心にあたります。


現在地下鉄工事中で市内随一のメインストリートの「バラカンバ通り」は車線が大幅に規制されています。今回は交通渋滞を避けるとともに、ユーザの多い南部のグルガオン、東部のノイダに行くのに便利な環状線が走る(環7、環8みたいなもの)ニューデリー南部を中心に探したのですが、めぼしい物件はありませんでした。


やはりオフィス物件は街の中心街に多いのが分かりました。今回市内中心部にほぼOKの第一候補が見つかったので一安心。これから不動産仲介業者・持ち主との条件折衝に入ります。ニューデリー出張の最後に国内線空港近くの日本食レストラン「田村」で遅い昼飯を食べました。


今回は「とんかつ」を食べました。日本で食べるとんかつと遜色がなく、とても美味しかったです。ニューデリーに移るとこういう食事ができるのです。オフィスの次には、アパートを探さなければなりません。




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