KENの日記
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2004年12月11日(土) セミナー終了

6日ニューデリー(2泊)、9日バンガロール(1泊)の出張に行ってきました。インド事務所開設と我が社の通信サービスの紹介を兼ねたカクテルパーティを開催したのでした。両都市でのホテルとの打ち合わせ、招待客への招待状の発送、電話を使ってのお客様への確認等で事前の準備が大変でした。


その甲斐あって多くの日系企業の方にお越しいただけました。12月は、インドでも夜のパーティは多いようです。一年の中でも気候が良い時期ので、色々な催し物(会議、使節団の訪問等)が集中します。さらに日本の天皇誕生日を祝うパーティが領事館のある都市で開催されます。二つのセミナーの谷間の8日は、ムンバイ総領事館主催の天皇誕生日祝賀パーティでした。

折角のチャンスなのでこれにも参加しました。それでも日本に居る時のように、忘年会が集中するというのはありません。招待状を送った方と電話で色々お話を伺い、その後直接お目にかかることになったので、日本人の知り合いが一挙に増えました。ところで、デリーのセミナーの翌日にデリー郊外のユーザ様を訪問しました。H社は二輪のトップメーカーです。


インド国内での販売が好調なようでとても忙しそうでした。派遣されている日本人も多いです。インターネットの接続状況があまり芳しくなく、これからきめ細かく原因分析をして対応していく必要があります。


そこからの帰り道ホテルの戻る前に昼食を取ろうということになり、ニューデリー南部の街道沿いの「多少綺麗な」レストランに入りました。(インドに3ヶ月住んでいる私の価値観はすでにかなり変っているかも。日本の「綺麗」ではありません)全くこの辺りの土地勘もなく、表に「ドア」があるので冷房は効いているだろうと考えてのことです。


レストランの看板には「Mr.Billiken」とあります。どこかで聞いたような感じがしました。なにかのチェーン店だったかなと思いつつ、中に入り参加者6人で色々インド料理を注文しました。しばらくすると店のオーナだという若い男性がなんと流暢な日本語で話しかけてきました。


彼は長らく名古屋の住んでいて名古屋のテレビ等の直ぐ近くで働いていたというのです。「ビリケン」という名前は大阪通天閣の「ビリケン様」からとったというのです。そういえば、そういう話があったことを思い出しました。

通天閣のホームページ:http://www.tsutenkaku.co.jp/hiroba/hiroba.html


日本人が多く来るとは思えないデリー郊外ですが日本語を話すインド人と出会う奇妙な出会いでした。昼食を食べた6人(日本人4人、インド人2人)は、食べきれないほどの料理全てがとても美味しくて大満足でした。さらにびっくりするのは、料金6人でRs586(日本円で1500円くらい)という金額。セミナーを開催した高級ホテルのレストランを経験してきた日本人はびっくりでした。



2004年12月03日(金) いよいよ12月

いよいよ12月です。月の始めは前月の決算で忙しく、さらに来週のニューデリー、バンガロールのセミナーへの招待者への確認で朝から電話をかけまくりました。電話していて分かったのは「インドの電話はなかなか繋がらない」ということ。


話中の案内音は先方が電話中なのか、そもそもこちらの回線がいっぱいなのか不明です。呼び出し音が何回もなっても中々出てもらえないことが度々あります。さらにタライ回しも結構多い。もっともこれは私の下手な英語に困ってのことも十分考えられる。でも結構勉強になりました。


さて12月のスケジュールですが、今月中にアパートを決めたいと思います。10日から日本から「助っ人」が来るので、彼の助けを借りて一気に片付けたいと思っています。日本は忘年会シーズンイン。多分今晩の新橋はさぞや賑やかなでしょう。鍋物がなつかしい。



2004年11月29日(月) ソフトボール大会

今日はムンバイ日本人会のソフトボール大会がありました。午前中は日本人学校生徒と父兄との運動会で、午後から日本人会のソフトボール大会というスケジュール。場所はネピアンシーロードに沿った海に面したグラウンド。


スリランカ日本人会のソフトボール会場がコロンボ市内の広場みたいなところで行われていたので、そんなものかなと想像していたところ、陸上フィールドはちゃんと舗装してあり、トラックの中は芝生が養生してある立派なグランドでした。ムンバイ日本人会は100人強程度の小所帯なので4チームが精一杯です。


私の所属した「Bチーム」はどういう弾みか優勝してしまいました。もちろん私が貢献したわけではありません。しかしとにかく午後の日差しは強く、非常に暑い中の試合でした。この時期のムンバイは気候が非常に安定しています。雨は殆ど降りません。暑いです。帰りは、エローラ・アジャンタの旅で一緒になった領事館の「Iさん」の車で送ってもらいました。「Iさん」は昨日から自分で運転を開始したそうです。


交通渋滞の激しいムンバイでも、土曜・日曜なら運転できそうです。私も考えようかと思います。いよいよ12月。さて年末に日本に帰れるかどうか。



2004年11月28日(日) ムンバイ下町探検

今日土曜日の午後ムンバイの下町を探検してきました。目指した場所は「マトンストリート」。骨董品とか、中古家具屋さんが集中している通りです。ムンバイの台所「クロフォード市場」の北側には、雑然とした商店街が広がっていて、材木、建築用品、自動車部品、オートバイの部品、金物、家具、骨董品などを扱っている店が通りごとに雑然と集中しています。道は作業場と商品展示場所になっています。


文章が下手なのでその様子を伝えることができませんが物凄い通りと町です。今日見かけた動物は、羊、犬、猫、ウサギ、鶏、カラス、すずめ。多くの人間と交じってたくましく生きている感じです。自動車部品街では道の端で古い「自動車」を解体しているところに何箇所もありました。多分車は100万Km以上走っている車でしょう。さらに使える部品はどこまでも使うという執念が感じられます。


家具・骨董を売っている「マトンストリート」は非常に面白そうです。一軒一軒除くと何がでてくるか判りません。この辺り一体はイスラム教信者が多く住んでいるようです。貧しい人が多いようですが、土曜日の午後のせいか、通りの人達は幾分「楽しそう」でした。


そこをどんどん南下していくとクロフォードマーケットに突き当たります。そこで少し食料品を買いました。果物市場のこの時期の定番は、「りんご」「みかん」そして「ざくろ」です。美味しそうなので小さい「ざくろ」を買って帰りました。「ざくろ」を食べるのは何十年ぶりでしょう。甘くて美味しかったですが、ほんとうに「たべづらい」果物です。


(追記)朝ホテルのエレベータで日本人の観光客の方と一緒になりました。彼等は今日帰国するとのことであまった「カップうどん」と「おせんべ」を少しいただきました。ちょうど日本食が切れたところだったので、とてもうれしかったです。無事で帰国されますように。



2004年11月26日(金) 物忘れ

最近という訳でもないですが、物忘れをして、無駄に時間を使うことが多いです。朝、顔を洗った後「めがね」をどこに置いたか忘れて、探すの回ることは随分前からやっています。今朝も探しました。呼んだら、応える「めがね」が欲しいです。


そんな状況ですからインドで単身赴任していると気を使う事が多いです。出張先や、観光で遠くに出かけると、其処のホテルで忘れ物でもしようものなら大変なことになると思い、結構緊張しています。パスポートや、滞在ビザを無くさないようにしなくてはなりません。忘れ物被害は、それほど増えていないですが、その分、心配して確認する時間が増えています。年を取っていくと仕方ない事だと思います。



2004年11月25日(木) テロ情報

昨日、当地ムンバイにおいて、アメリカ人に対するテロ行為が発生するとの情報がありアメリカ領事館の領事事務が当面中止となりました。私のところには、日本領事館および日本の安全担当から注意する旨のメールが入りました。でも今のところ何の変った事もありません。


昨日スリランカからお客さんが来てせっかくムンバイに来たのだから観光客の良く行く、安いレストランに案内しました(コラバのレオポルドカフェ)。外国人が沢山いました。東洋人は見かけませんでしたが。ムンバイでアパートを探しているのですが案内された物件の中に、アメリカ領事館の正面の建物がありました。窓から領事館が見下ろせました。間取りとか、値段が手頃だったのですが、やはりそこは避けようと思いました。


アメリカ本国からテロ情報が伝えられたとのことですが、なぜ「ムンバイ」なのかわかりません。アメリカの情報収集能力は高いのでしょうが、イラクに大量破壊兵器があると主張したのも、その諜報機関ですから。



2004年11月22日(月) ムンバイのファッションショー

実は先週の金曜日の夜「チャリティファッションショー」を見てきました。知人が「ムンバイ動物園の環境改善」のために、チャリティファッションショーをするというので寄付をすると共に見に行ってきたのです。


この知人はムンバイのパルシーでお医者さんです。その知人に言わせると、ムンバイ動物園の動物の生活環境は非常に劣悪だということ。私は、まだ動物園に行ったことが無いのでどれほどの環境なのかわかりません。そういえば、先週動物を運ぶ救急車「アニマルアンビュランス」を街の中で見かけました。一部の動物は大変、気を使ってもらえるようです。


ファッションショーですが開催された場所はマハラシュトラ州のガバナー公邸の庭。ムンバイの最南端にあります。3方向が海に囲まれている絶好の場所です。そこは植民地時代のイギリスのガバナーの住いだったそうでとんでもなく広い敷地です。


ファッションショーを見に来た人数は500人以上とのことですが、それらの多くの人も簡単に収容できる庭があります。(夜だから良く分からないので想像しています。)


ムンバイは「ボリウッド」(ハリウッドをもじった映画産業集積地)を抱える映画産業の街でもあります。世界のビューティコンテストで多くの優勝者を出しているインドでも美人が集まる街なので期待していきました。さすがにモデルさん達は美人揃いです。スタイルがいいだけではなく全体に気品がありました。


ご愛嬌でプロのモデルに混じって主催のロータリークラブの方達もモデルとして参加しました。地元のサリーデザナーの新作と「DAKS」の新作を着て結構かっこよく歩いていました。なんと「DAKS」はインド資本になったそうです。土曜日の新聞にその模様が写真付きで報道されました。図らずも、私の後姿も写ってしまいました。



2004年11月21日(日) インド国内線飛行機内のこと

インドの国内線の飛行機に乗ると少し日本とは違う光景に出会います。


(その1)新聞・雑誌は基本的にみんなのもの。新聞雑誌は読み回しがあたりまえ。他人のシートのポケットの新聞でも横から手が伸ばして取っていってしまう。これは非常に経済的なルールだと思います。何人かに読みまわされた新聞はぼろぼろになってしまいますが、非常に有効に使われています。新聞も満足でしょう。少し汚れていても読めればかまわないのです。


(その2)割り振られた席には必ず座る。大都市間の飛行機のエコノミークラスは通路を挟んで3席・3席となっています。A・B・CとD・E・Fなのですが、AとFが窓際席、CとDが通路側、そしてBとEが間に挟まれる「辛い」席です。日本と同じで窓際・通路側の席が好まれているようです。今回、バンガローからニューデリーに移動する際に私は窓際の席が取れました。そして私の横(辛い席)にインド人の男性が座りました。そして、出発間際になっても通路側の席は空いているのです。私は離陸後、彼が通路側の席に移るだろうと思っていました。私とインド人の彼はひとつの「肘掛」を共同使用使用する状態になっていたのです。しかし彼は最後まで狭い席に座り続けました。別に私と会話をすることもなくただ狭いAとBの席に並んですわり、Cの席が空いている状態で1時間45分を過ごしたのです。私としては「横にずれたらいかがですか」とも言い出しにくいので、其のままの「変な圧迫感でいやな気持ち」のまま過ごしました。私は「インドの人達は、ひょっとして人と接しているほうが好きなのではないか」と想像しました。日本人ならゆったり座る方が快適に感ずるのでしょうが、どうもインドの人はそうではないのではないかと思われるのです。「人と人との間に中途半端な空間を作るより、くっついていた方が安心」そんな感じに思えました。(全然見当はずれかもしれません)



2004年11月19日(金) インド国内出張(バンガロール、ニューデリー)

12月のニューデリーとバンガロールでセミナー開催を予定しているので、その打ち合わせのため一泊二日で両都市を回ってきました。17日朝にムンバイを発ち、お昼頃にバンガロールに着きました。バンガロールは急発展していて車の増加が著しい都市です。しかし、その割りに道路整備が遅れているので、街中のいろいろな場所で大渋滞があります。空港からホテルまで随分遠く感じました。


バンガロールのホテルとの打ち合わせを夕方に終えて一箇所知り合いのビルに寄った後にバンガロール空港に戻り、飛行機でニューデリーに移動しました。ニューデリー到着は夜10時。ホテルには11時頃に着きました。ニューデリーのホテルは今、観光シーズンで非常に混雑しています。18日朝からニューデリーのホテルとの打ち合わせを行いました。ニューデリーのセミナー会場がつい最近まで決まらず随分探し回った結果なので、実際に見てみて一安心でした。昼からニューデリーの日本企業商工会に出席してから再びホテルに戻り、最後の打ち合わせを行ったという次第です。そしていつもの「7時40分」デリー発の飛行機でムンバイに帰ってきました。


今日の飛行機は1時間くらい遅れたのでムンバイのホテルに帰り着いたのは11時過ぎでした。乗った飛行機は殆ど満員。少々疲れました。



2004年11月17日(水) 新発見 イン ムンバイ

ムンバイ市内にゾロアスター教関係出版物専門会社を見つけました。パルシアーナというパルシー社会内の機関紙を出版しているところであもあるようです。場所はフォート地区。高等学校が密集する地域です。そこで今日購入したものは以下のとおり。

「From the Iranian Plateau to the Shores of Gujarat」
(ゾロアスター教徒の歴史で、特にイランとインドの関係に焦点をあてたもの)(Rs390)


VCD「ASHA」
(ユネスコ監修のゾロアスター教関連文化保存活動の記録)(Rs170)


他にも面白そうな本が10数冊売っていました。一般の本屋さんでは手に入らない貴重なものです。




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