10月1日から2004年度下半期に入ります。ということは9月末で半期決算を締め切らなければならないといいことであります。インド事務所は9月から活動開始しているので、一か月分の決算が必要でした。この決算が面倒なこともあって、9月の支出は最低限必要なものに限っていたのでした。
決算処理は今日と来週の月曜日で終わる予定です。本当は今日取引銀行から月末残高通知を受け取る予定であったのですが、無理でした。実はインドも4月から翌3月までの決算なので、各会社ともこの時期は忙しそうです。その影響もあって残高確認は来週持ち越しです。
自分で一人で小切手を書いて払い出しているので間違いが無いかどうか心配なのです。色々な方面にローカル社員の紹介を頼んでいるのですが、まだ決まりません。来週から精力的に面接を行う予定なのです。
(追伸) 今日からブロードバンドのインターネットが開通しました。事務所が入居している大家さんに頼んでいたところ、きっちり1日からOKでした。ブロードバンドといっても100から150Kbpsがいいところです。それでもダイヤルアップ接続よりはずっと早いです。
前から少し知っていたのですが、大家さんのところのインターネット技術者が10年前位に阪大に留学していたとのことで日本語が少し話せるのです。彼は店子として「日本人」が来たということで大喜びです。非常に優秀な技術者です。仕事を始めてから30分でつながりました。
彼はクリスチャンで何でも食べられるので、日本で生活はとても楽しかったようです。ラーメンとか鍋物とかお好み焼きとか、日本食を懐かしがっていました。今度お土産でも持ってきてやろうかと思っています。
さて、ブロードバンドがつながったので、日本から持ってきたウェブカメラの実験をしました。実家のパソコン内蔵カメラでは写りはよくありません。こっちの画像は結構きれいに写るみたいです。スリランカ時代は、もっぱらチャットでしたが、今度は映像付きの音声チャットが出来そうです。
| 2004年09月28日(火) |
ガネーシュ祭り最終日 |
昨日はガネ−シュ祭りの最終日でした。従って、各町内会に臨時に飾れらた「ガネーシュ像」が海に流されたのです。(追記)新聞報道によると、各町内のガネーシュ像が8,093体、各家庭のガネーシュ像が139,000体ほどあって、それらが海・川に流されるのだそうです。
ムンバイ市南部に広がる観光スポット「マリンドライブ」という海岸の一角に、砂浜があって、そこがガネーシュを海に流す一つのポイントになっています。私のオフィスビルでも、ヒンズー教の人達は午後に2時間位早く帰りました。オフィスビルも午後は少し静かでした。
せっかくなので、近くまで行ってみました。でも途中で断念しました。凄い人込みです。道は車で大渋。それでも、各町内会から続々と大小のガネーシュ像が運ばれていきます。町内の金持ちの企業がいたりすると、大きなガネーシュ像を作る事ができるのです。最大のものは高さ18メートルものであったと新聞に書いてありました。
最後の日は、町内会の人達の多くがガネーシュを海まで見送るようです。踊ったり歌ったり、太鼓をたたいて、チャルメラを吹くバンドが続きます。大変にぎやかでいした。見物人の多くは家族連れで、砂浜から少し離れた海岸の防波堤に座って見学します。日が暮れて、火の点された無数のガネーシュ像が海に流されていくのを見守るのです。
日本は台風シーズン真っ盛りで、これから秋を迎えますが、インドのムンバイはガネーシュ祭りが終わる頃に、モンスーンが終了して、これから一年で一番良い季節を迎えるようです。
こういう祭りが、インド各地に残っているのでしょうが、全くインド人ばかりが楽しんでいて、外国人のことなんかちっとも気にしません。その辺が残念ですが、インド人のやり方なのかもしれませn。
| 2004年09月27日(月) |
遺産相続問題(他人のものです) |
スリランカと暫く連絡を取らずに居たのですが「ドクター・シーバ」の関係する遺産相続問題は進展していなくて困っているようです。2004年2月22日の日記関連。もう一度関係者を整理します。
私と「Iさん」日本人。Iさんはコロンボ在住で私はインド在住。2人ともにスリランカのコロンボに住むタミール人の「ドクター・シーバ」さんの友人。
ドクター・シーバさん。スイスの国際赤十字に長らく勤務していた。現在はコロンボ在住。日本人医師の故「Mさん」と親友。シーバさんの2人の娘さんの一人が「Mさん」の息子の「Kenさん」と結婚。つまり「Kenさん」の義理の父。
日本人医師の故「Mさん」。長らくドイツに住んでいた医師でドイツ人の妻との間に2人の子供あり。2人ともドイツで生まれたため日本語は全く話せない。英語も苦手。長男が「Kenさん」、下のお子様がお嬢さん。商家の生まれで東京の日暮里に相続した「問題の家」を所有。昨年ドイツで亡くなられた。兄弟は川越に「妹さん」が住んでいる。
「Mさんの妹さん」。川越在住。お兄さんのMさんの日本の財産を管理していた模様。美術学校で彫刻を専攻されて今も創作活動を続けている。最近は川越の風景を版画で表現して評判を呼んでいる。私は2月22日に川越の自宅にお邪魔した。
言葉の問題も重要なのでここで整理しておく。(順番は優先順位) 「Ken」さん:ドイツ語、 「ドクター・シーバ」:タミール語、英語、フランス語、ドイツ語 「Mさんの妹さん」:日本語 「Iさん」:日本語、英語、シンハラ語 私:日本語、英語
問題はドイツで「Mさん」が亡くなられ、息子の「Kenさん」が「Mさん」の遺産を相続処理して処分したいと考えことが始まりでした。もっとも大事なことは「Kenさん」と「Mさんの妹さん」の関係です。遺産相続権者と、遺産を管理してきた人です。しかし、この2人はほとんど面識が無く、言葉も全く通じないのです。「Ken」さんは「Mさんの妹さん」に遺産を処分してくれるように頼んだのでした。ところが日本の遺産相続はそう簡単には進みません。
遺産処分が進まないことと、意思が通じないことによって、「Ken」さんは「Mさんの妹さん」が悪意を持っているのではないかという疑念が抱いてしまったようなのです。一方、「Mさんの妹さん」はというと、日本の遺産相続事務所に必要な書類作成(当然日本語)を「Ken」さんに頼んでいるようなのですが、これも全然進まない。
困っているのは「Kenさん」の義理のお父さんであるドクター・シーバ。ここに日本人の友人の私と「Iさん」が登場するわけです。ドクター・シーバと「Mさんの妹さん」は随分昔に東京で会っていて、ドクター・シーバは「妹さん」が悪い人でない事は十分承知しているのです。
ドクター・シーバは先週ドイツに行って「Kenさん」に会って、10月か11月に一緒に日本に行って「Mさんの妹さん」に面会することを計画してれいます。彼等2人が日本に行っても言葉が通じないので、「Iさん」の会社の仕事で日本に帰る予定に合わせるのだそうです。(私が日本に居たら、少しはお手伝いできたでしょうが)
問題は、言葉の壁に加えて専門知識としっかりした手続きを取れる体制を準備することがあります。日本とドイツの相続に関する法律知識、さらに必要な書類を必要とされる言語で準備すること。
これは専門家に任せるのがいいでしょう。私もインドに事務所を立ち上げるために、日本の会社の「定款」を英訳して、公証してもらいましたが、外国語に翻訳して、正規な物を認めてもらうためには、大変面倒な手続きが必要なことを実感しました。これは、手間と稼動と根気が必要です。さて、10月、11月にどのように進展するでしょうか。
| 2004年09月26日(日) |
シッディ・ヴィナーヤク |
妻の日記はパソコンのことばかり、私の日記はヒンズー教のことばかりで、物理的にも、興味の点でも全く接点のない夫婦ですが・・・。
今日も引き続き同じ話題です。土曜日も出勤してゆっくり出来なかったので、今日はのんびりしようと決めていたのですが、午後に延ばしてもらった部屋の掃除で係りの人がせかすものですから、ムンバイのガネーシュ祭りの中心地の「シッディ・ビナーヤク寺院」に行くことにしました。実は先週の日曜日も行ったのですが、参拝人が多すぎて近くまで行くのを断念したのでした。今朝知り合いの日本人から、Rs50出せば列に並ばずに横から入ることができるという情報をもらっていたのでした。
ホテルからタクシーを飛ばしてRs120程度。すこし遠いのです。この寺はガネーシュを祭るヒンズー寺院なのですが、寺といっても街角のビルなのです。現代様式のヒンズー寺院と呼ぶに相応しいです。南インドのドラビダ様式とか、ヒンズー寺院にも地域・時代によって形式がありますが、経済の中心のムンバイに新しく建てられた「寺院」としては、まさしく現代様式を採ったということでしょう。
さて、今日はRs50払って、堂々と近くまで入ってガネーシュ神を参拝してきました。今日も一般参拝客の列はかなり長く続いていました。折角なので「シッディー・ビナーヤク」タイプのガネーシュ像を購入してきました。「シッディ・ビナーヤク」像の鼻は、普通のガネーシュ象とは反対方向に曲がっているのです。
時間があったので、帰り道の途中にあるイスラム寺院の「ハジ・アリ」によって見ました。ヒンズー寺院には既に何の違和感もなく入れるのですが、イスラム寺院はそれほど経験がないので少々心構えが必要なのです。というのも偶像崇拝禁止ですから、寺院の中は基本的には何もないはずなのです。で何を見に行くのか・・・。
でも強烈な印象でした。「ハジ・アリ」は海の中の島みたいになっていて、そこまで細いコーズウェイを通っていきます。遠くから見ると多くの人が歩いていてきれいなのですが、実際通ってみると結構辛い思いをします。この狭いコーズウェイの参道には、ぎっしりと身体障害者とか、そうでない単に貧しい人とかが腰を降ろしていて声をかけて来るのです。
最近、インドの人口調査の宗教人口の件が新聞で問題になりました。問題というのは「イスラム教徒」人口の伸びが著しく統計が正確なのかどうかということと、「イスラム教徒」人口の増加を認めるとしても、その原因として「イスラム教が人工中絶を認めていないからだ」とか、イスラム教徒の貧困が問題なのだとかいうものでした。
ヒンズー教の身分制度の呪縛から逃れようと「イスラム教」に改宗する人々がいたし、現在もいるようですが、それらの人は基本的に貧しい人なのです。貧しくとも神が救ってくれる方が幸せなのでしょう。仏陀が新しい教えを考えたのも、実はヒンズー教の最下層の人達を救うためだったという説があります。仏陀が歩いた昔のインドと今私が見ているインドに大きな差はないように思えます。貧しい人達はずっと貧しいままのようです。
ヒンズー寺院「シッディ・ビナーヤク」では、インドの人達の意欲を強烈に感ずることができました。そして、ヒンズー寺院「ハジ・アリ」では頑張っても上手くいかない人達、元々ハンディを背負った人達の呻きが聞こえ慰めあう姿をみるような気がしました。重いです。(もっと良く知ると多分考え方は変わるでしょうが。)
| 2004年09月25日(土) |
インドのマクドナルド |
土曜日の昼食は外に出て食べることが多いです。普通の日は事務所の入っているビルの食堂にサンドイッチを注文することが多いのです。とにかく、外に出ると時間がかかるし、暑いので汗びっしょりになってしまいます。
土曜日はカジュアルで出勤することが多いのです。(こちらは土曜日も普通に仕事をしています。オフィス就業ルールがまだないので、普通は土曜日も出てきて一週間の整理をしています)
で、昼飯は迷うのですが、ついつい気楽で「早い」マクドナルドに行ってしまいます。「早い」のがとりえです。インドのレストランに行くと食事するだけで1時間くらいかかってしまうのです。
マクドナルドにも「ベジ」「ノンベジ」があります。「ベジ」マークは緑の日の丸印で、「ノンベジ」は赤い日の丸印です。ポテトフライは「ベジ」です。 今日食べた物の記録です。
ミディアムサイズのコカコーラ:Rs23.5 マックチキン(ノンベジ):Rs72 チーズ追加(チキンチーズに格上げ):Rs6.5 合計金額 Rs102でした。 (ポテトフライはサービスで付いてきます) 暑いのでたっぷり水を飲むので昼飯は軽く済ませています。
スリランカに住んでいるときにも、ガネーシュ神に出会う機会は多かったのです。スリランカの仏教寺院においてもあちこちにガネーシュを見ることが出来ました。有力な寺院では本物の象を飼っているところが多いのですが・・・。
そして恥ずかしいことに片方の牙が欠けていることを、最初は壊れたのか、欠陥の一種かなと思っていました。そうしているうちに、全てのガネーシュ像の片方の牙が欠けているので何か「謂れ」があるのだろうと思いはじめたのです。
この話にも様々なものがあるようですが、本に書いてあった話は以下のものです。
インドの有名な物語の「マハーバーラタ」の作者が、ガネーシュ神に物語の口述筆記を頼んだそうです。物語の作者は頭の中からストーリーが溢れ出る天才である一方、ガネーシュも知識・技能が秀でていて書き取ることは大の得意で、つい「競争」になってしまったのだそうです。作者は息が続かなくなると、難しい言葉を並べた文章を考えて、ガネーシュが苦労して筆記する間に休むことができたのでした。そうしているうちに、ガネーシュの筆記用具が壊れてしまったのです。そこでガネーシュは自分の牙の片方を折って筆記用具に使ったのだというものです。
母親の風呂の「見張り」だとか、この口述筆記競争の話だとか、ガネーシュは真面目で、優秀で、粘り強いというように思われています。そうした印象はそのまま「インドの象」に当てはまります。
そういえばムンバイでもデリーでも象は見かけません。昨年暮れに旅をしたインド南部のタミールナドでは寺院で見ることが出来ましたが・・・。
先週土曜日(18日)から、インドでは「ガネーシュ」のお祭りです。この「ガネーシュ」の祭りはムンバイを州都とする「マハラシュトラ州」が一番盛んなようです。先週行ったデリーでは派手な飾りつけはありませんでした。ムンバイでは町内に一箇所程度の臨時の「ガネーシュ寺院」(ミッタル・マンダル)が作られ、そこに多くの人がお祈りにやってくるようです。
「寺院」といっても「掘っ立て小屋」といた方が正解です。小屋の中には「ガネーシュ」の像が飾られていて、その「像」は祭りの最後の日に海に流されます。ムンバイの有名な「マリンドライヴ」という海岸道路にある唯一の砂浜では、この「ガネーシュ流し」のための設えが出来ています。
のんびりしているのですが「ガネーシュ」を海に流す日が、各町内によってばらばらなのです。今晩海を見渡せる私のホテルの部屋から、海に浮かぶガネーシュに点された光を何個も見ることが出来ました。
「ガネーシュ」神のことを少し説明して置きます。
「ガネーシュ」は頭が「象」・身体が人間で4本の手を持っています。彼の左側の牙は掛けています。彼の乗り物(親しい友達)は「鼠」です。彼の腹は丸々としています。ガネーシュは、親切で、寛大で知恵があり、新しいことを始める時に祈られるのだそうで、私も事務所開設中なので、3箇所のマンダルで一生懸命お祈りしてきました。
ガネーシュは「シバ神」とその妻の「パルバティ神」の長男です。そしてガネーシュの弟は「スカンダ」(カルティケーヤ)です。こちらはインドではそれほど有名ではありません。「万能」な「戦いの神」として考えられています。スリランカ南部のカタラガマに祭られているのが、この「スカンダ神」なのです。
ガネーシュがなぜ象の頭を持っているかということに関しては色々な説があるようですが、一般的な話は以下のとおりです。
母のパルバティが、ガネーシュにドアのところに立って誰も通すことのないようにガードを命じて、入浴したのだそうですが、夫の「シバ」が帰ってきて浴室に入ろうとしたところ、非常にまじめなガネーシュが父を通さなかったのでした。これに怒った父のシバはガネーシュの頭を焼き尽くしてしまったのでした。これを知って嘆き悲しんだ「パルバティ」が頭を元に戻してくれるようにシバに頼んだのでした(シバ神は、妻のパルバティは対して非常に恐妻家であるのです)。シバが生きている生物を探しに外に出て見ると、眠っている象以外に居なくて、ぞの頭を持って帰って長男の身体に着けたというものです。ガネーシュ祭りは来週水曜日まで続きます。
今日から香港の我が社の子会社に勤めている「インド人」社員が、ムンバイ事務所の仕事の手伝いに来てくれました。それほど長くムンバイにいる事ができないのですがそれでも大助かりです。アメリカの大学でMBAを取得して5カ国語を操る優秀な社員ですが、残念ながら日本語はできないのです。
事務所で、当面の仕事の段取りを着けました。彼の紹介してくれる「インド人」社員を面接して、給料の交渉をし、採用に漕ぎ着けることができれば、事務所の仕事は大分楽になります。
ところで、時間が勿体ないので、今日の昼飯は事務所で「出前」で済まして、夜は近くのレストランに行きました。応援者のS氏は、バリバリのヒンズー教で「ヴェジタリアン」です。昼飯からヴェジのセット。夜も彼のことを考えて、前にホテル近くのヴェジレストランに行きました。
S氏は、久しぶりに食べる「ヴェジ」料理を美味しそうに食べていました。香港の中華料理レストランには「ヴェジ」メニューが無いので苦労しているのだそうです。ムンバイに来ると「天国」に着たように感ずるのだそうです。メニューを見て色々なヴェジ料理を勧めてくれました、多分自分が食べたいのです。残念ながら私はあまり興味がないのです。
私はというと、中華料理の本場で、肉・魚を食べないなんて考えられないのですが、かれにとってはギラギラしたノンヴェジの中華料理は本当は見るのもいやみたい。
インドの人にとっては、東アジアの中国・韓国・日本は本当に住み難いのだそうです。日本人がインドに住む事が大変なように、インド人もできたら日本には住みたくないようです。この食文化の差は非常に深刻です。
色々な国に「カーニバル」という習慣がありますが、インドの方にはこういう知恵を出して欲しいとように思います。そして、一方、徹底的な「ノンヴェジ」の日本では、少しは「カーニバル」の意味を考えてみることも大切なことではないかと思います。
今の日本では、魚も肉も上手に加工されて、スーパーマーケットでは単に「食材」としか見えないように並べられています。街中で牛が歩いているムンバイで「彼等」を食材と考えろというのは無理な話です。
| 2004年09月19日(日) |
JRD−TATA生誕100年記念音楽会 |
実は今年2004年は、インドのTATA財閥の総帥であった有名な「JRD−TATA」の生誕100年にあたります。TATA財閥の系譜では「ジャムシェドジーTATA」のように、鉄鋼産業を興して「ジャムシェドプール」として都市の名前になっている人もいますが、この「JRD」も非常に有名です。「JRD」はインドの自動車産業、航空産業、ホテル産業を作り上げました。
ムンバイ市内にプリンスウェールズ博物館というのがありますが、そこには「JRD−TATA」が残した膨大なコレクションが展示されています。それこそ世界のあらゆるものを集めた感じです。「JRD−TATA」は名経営者である一方、非常にインドのことを考えた人でした。学校建設とか奨学金創設のような比較的直接的な支援の他に、美術・工芸の膨大なコレクションを後世に残しているし、さらに、音楽・演劇などのためのホールを建設しています。
今日の19日は、その「JRD−TATA」の援助で建設された芸術ホールで、JRD生誕100年を祝うコンサートが開かれました。ホールはホテルから非常に近いので聞きに行ってきました。
演奏は、前に聞いた「ムンバイ室内合奏団+エキストラ」です。でもエキストラがやたら上手いようで、今日は非常に聞き応えがありました。パンフレッドの説明では、イギリスと「ゴア州弦楽合奏団」のメンバーが賛助出演したとのこと。イギリスからの応援は「ブリティッシュカウンスル」の副管長がオーボエで参加しているとのこと。結構上手いです。
演奏曲目は以下のとおりでした。 ドボルザーク:スラブ舞曲 第一番 ブルッフ:コール・ニドレイ(チェロ独奏:アリステア・マックリー) ヨハンシュトラウス(Jr):ベニスの夜(序曲) (休憩) ブラームス:交響曲 第三番 3楽章 ウィニャクスキー:バイオリン協奏曲 第二番(独奏:ファハド・ビルモリア) アンコール:クライスラー「愛の夢」
まず、コール・ニドレイのチェロはすばらしく上手でした。この方の演奏は、先週土曜日にディナーコンサートを聞いたのですが、その時の印象と同じで、非常に丹精な音楽なのです。音も何ともいえなく暖かい音で、それでいて力強いのです。熱演タイプではなく、演奏姿勢は終始基本どおり。本当に教科書とおりという感じです。こういう人に教えてもらうといいだろうなと思いました。
他の管楽器の入る曲も、エキストラの威力で聞き応えがありました。オーボエ・フルートがしっかりしていると「旋律」が安定するので、それだけでしっかり聞こえます。さらに、クラリネット・ファゴット、ホルンが上手い。ブラームスの有名な3番の3楽章は、チェロパートにアリステアさんが参加しているし、ホルンソロも上手いので、予想外に面白かったです。
ウィニャクスキーのソロを演奏された「ファハド」さんは、インド出身で中部 ドイツ室内合奏団のコンサートマスターを務めているそうです。しっかりした旋律線を表現していました。しかし少し硬い感じがしました。
会場の芸術ホールは1000人以上入るホールで「冷房付」です。響きも柔らかくて音楽会には大変よいホールだと思いました。そして、ムンバイ室内合奏団もエキストラを揃えて、非常に聞き応えのある演奏を披露していました。
実は先週のディナー音楽会の時に、ムンバイ室内合奏団の方と少し話して、しばらくして落ち着いたら私も参加させてくれないかと頼んでおいたのでした。いつになるかは未定です。
「TATA」家に戻りますが、この家系は「パルシー」なのです。まったく偶然で大家さんが「パルシー」の方だったので、色々情報をもらっています。今日の音楽界も、先週のディナー音楽界も、実は「パルシー」の方が大勢いらっしゃいました。この関連で、インドの生活がこれからどうなるか一つの楽しみです。
さいたまの我が家では「蚊」が猛威を振るっているようです。最近の妻のホームページは「蚊」の話題でいっぱいです。
実は私がいっしょに住んでいるときは、まず私が「蚊」に刺されるのでした。他の家族は被害が無いか、私より大分被害が少なかったのではないでしょうか。その理由は非常に明確で、私の血が「美味しい」からだと思っています。なぜなら「アルコール分」たっぷりだからです。
さらに、私は「蚊」を発見して退治するのも上手だったと思っています。私の血は大変「美味しい」ので、「蚊」は一気にタップリ吸ってしまいます。蚊」は満腹になり、酔いも回って、逃げる知恵が鈍くなり、動きも鈍くなるので、容易に発見されて、容易に叩き潰されてしまうという訳です。
ところが美味しい血が吸えなくなった「蚊」は、仕方が無いので残った家族の血を吸っているのですが、これがあまり「美味しくない」のでしょう。「蚊」はアルコール分の少ない血を「少し吸っては止め」みたいなに吸うものですから、「蚊」は思考能力も運動能力も落ちません。素早く賢く逃げてしまうのです。そして、刺された人間は何箇所も痒いのです。
彼等の急上昇・急降下には人間の目はついていけない感じです。しかも眠い目をこすりながら、メガネを探して「蚊」を追いかけても見つかるものではありません。(家族全員メガネがないと「蚊」を探せません)
それに加えてアレルギー体質なものですから強烈な防虫剤が使えない。さすがに私がいるときには電気の香取線香を使っていましたが。インドではあまり「蚊」を見かけません。どうやら非常に強烈な防虫剤を使っているみたい。それはそれで心配なのです。
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