スリランカに住んでいるときにも、ガネーシュ神に出会う機会は多かったのです。スリランカの仏教寺院においてもあちこちにガネーシュを見ることが出来ました。有力な寺院では本物の象を飼っているところが多いのですが・・・。
そして恥ずかしいことに片方の牙が欠けていることを、最初は壊れたのか、欠陥の一種かなと思っていました。そうしているうちに、全てのガネーシュ像の片方の牙が欠けているので何か「謂れ」があるのだろうと思いはじめたのです。
この話にも様々なものがあるようですが、本に書いてあった話は以下のものです。
インドの有名な物語の「マハーバーラタ」の作者が、ガネーシュ神に物語の口述筆記を頼んだそうです。物語の作者は頭の中からストーリーが溢れ出る天才である一方、ガネーシュも知識・技能が秀でていて書き取ることは大の得意で、つい「競争」になってしまったのだそうです。作者は息が続かなくなると、難しい言葉を並べた文章を考えて、ガネーシュが苦労して筆記する間に休むことができたのでした。そうしているうちに、ガネーシュの筆記用具が壊れてしまったのです。そこでガネーシュは自分の牙の片方を折って筆記用具に使ったのだというものです。
母親の風呂の「見張り」だとか、この口述筆記競争の話だとか、ガネーシュは真面目で、優秀で、粘り強いというように思われています。そうした印象はそのまま「インドの象」に当てはまります。
そういえばムンバイでもデリーでも象は見かけません。昨年暮れに旅をしたインド南部のタミールナドでは寺院で見ることが出来ましたが・・・。
先週土曜日(18日)から、インドでは「ガネーシュ」のお祭りです。この「ガネーシュ」の祭りはムンバイを州都とする「マハラシュトラ州」が一番盛んなようです。先週行ったデリーでは派手な飾りつけはありませんでした。ムンバイでは町内に一箇所程度の臨時の「ガネーシュ寺院」(ミッタル・マンダル)が作られ、そこに多くの人がお祈りにやってくるようです。
「寺院」といっても「掘っ立て小屋」といた方が正解です。小屋の中には「ガネーシュ」の像が飾られていて、その「像」は祭りの最後の日に海に流されます。ムンバイの有名な「マリンドライヴ」という海岸道路にある唯一の砂浜では、この「ガネーシュ流し」のための設えが出来ています。
のんびりしているのですが「ガネーシュ」を海に流す日が、各町内によってばらばらなのです。今晩海を見渡せる私のホテルの部屋から、海に浮かぶガネーシュに点された光を何個も見ることが出来ました。
「ガネーシュ」神のことを少し説明して置きます。
「ガネーシュ」は頭が「象」・身体が人間で4本の手を持っています。彼の左側の牙は掛けています。彼の乗り物(親しい友達)は「鼠」です。彼の腹は丸々としています。ガネーシュは、親切で、寛大で知恵があり、新しいことを始める時に祈られるのだそうで、私も事務所開設中なので、3箇所のマンダルで一生懸命お祈りしてきました。
ガネーシュは「シバ神」とその妻の「パルバティ神」の長男です。そしてガネーシュの弟は「スカンダ」(カルティケーヤ)です。こちらはインドではそれほど有名ではありません。「万能」な「戦いの神」として考えられています。スリランカ南部のカタラガマに祭られているのが、この「スカンダ神」なのです。
ガネーシュがなぜ象の頭を持っているかということに関しては色々な説があるようですが、一般的な話は以下のとおりです。
母のパルバティが、ガネーシュにドアのところに立って誰も通すことのないようにガードを命じて、入浴したのだそうですが、夫の「シバ」が帰ってきて浴室に入ろうとしたところ、非常にまじめなガネーシュが父を通さなかったのでした。これに怒った父のシバはガネーシュの頭を焼き尽くしてしまったのでした。これを知って嘆き悲しんだ「パルバティ」が頭を元に戻してくれるようにシバに頼んだのでした(シバ神は、妻のパルバティは対して非常に恐妻家であるのです)。シバが生きている生物を探しに外に出て見ると、眠っている象以外に居なくて、ぞの頭を持って帰って長男の身体に着けたというものです。ガネーシュ祭りは来週水曜日まで続きます。
今日から香港の我が社の子会社に勤めている「インド人」社員が、ムンバイ事務所の仕事の手伝いに来てくれました。それほど長くムンバイにいる事ができないのですがそれでも大助かりです。アメリカの大学でMBAを取得して5カ国語を操る優秀な社員ですが、残念ながら日本語はできないのです。
事務所で、当面の仕事の段取りを着けました。彼の紹介してくれる「インド人」社員を面接して、給料の交渉をし、採用に漕ぎ着けることができれば、事務所の仕事は大分楽になります。
ところで、時間が勿体ないので、今日の昼飯は事務所で「出前」で済まして、夜は近くのレストランに行きました。応援者のS氏は、バリバリのヒンズー教で「ヴェジタリアン」です。昼飯からヴェジのセット。夜も彼のことを考えて、前にホテル近くのヴェジレストランに行きました。
S氏は、久しぶりに食べる「ヴェジ」料理を美味しそうに食べていました。香港の中華料理レストランには「ヴェジ」メニューが無いので苦労しているのだそうです。ムンバイに来ると「天国」に着たように感ずるのだそうです。メニューを見て色々なヴェジ料理を勧めてくれました、多分自分が食べたいのです。残念ながら私はあまり興味がないのです。
私はというと、中華料理の本場で、肉・魚を食べないなんて考えられないのですが、かれにとってはギラギラしたノンヴェジの中華料理は本当は見るのもいやみたい。
インドの人にとっては、東アジアの中国・韓国・日本は本当に住み難いのだそうです。日本人がインドに住む事が大変なように、インド人もできたら日本には住みたくないようです。この食文化の差は非常に深刻です。
色々な国に「カーニバル」という習慣がありますが、インドの方にはこういう知恵を出して欲しいとように思います。そして、一方、徹底的な「ノンヴェジ」の日本では、少しは「カーニバル」の意味を考えてみることも大切なことではないかと思います。
今の日本では、魚も肉も上手に加工されて、スーパーマーケットでは単に「食材」としか見えないように並べられています。街中で牛が歩いているムンバイで「彼等」を食材と考えろというのは無理な話です。
| 2004年09月19日(日) |
JRD−TATA生誕100年記念音楽会 |
実は今年2004年は、インドのTATA財閥の総帥であった有名な「JRD−TATA」の生誕100年にあたります。TATA財閥の系譜では「ジャムシェドジーTATA」のように、鉄鋼産業を興して「ジャムシェドプール」として都市の名前になっている人もいますが、この「JRD」も非常に有名です。「JRD」はインドの自動車産業、航空産業、ホテル産業を作り上げました。
ムンバイ市内にプリンスウェールズ博物館というのがありますが、そこには「JRD−TATA」が残した膨大なコレクションが展示されています。それこそ世界のあらゆるものを集めた感じです。「JRD−TATA」は名経営者である一方、非常にインドのことを考えた人でした。学校建設とか奨学金創設のような比較的直接的な支援の他に、美術・工芸の膨大なコレクションを後世に残しているし、さらに、音楽・演劇などのためのホールを建設しています。
今日の19日は、その「JRD−TATA」の援助で建設された芸術ホールで、JRD生誕100年を祝うコンサートが開かれました。ホールはホテルから非常に近いので聞きに行ってきました。
演奏は、前に聞いた「ムンバイ室内合奏団+エキストラ」です。でもエキストラがやたら上手いようで、今日は非常に聞き応えがありました。パンフレッドの説明では、イギリスと「ゴア州弦楽合奏団」のメンバーが賛助出演したとのこと。イギリスからの応援は「ブリティッシュカウンスル」の副管長がオーボエで参加しているとのこと。結構上手いです。
演奏曲目は以下のとおりでした。 ドボルザーク:スラブ舞曲 第一番 ブルッフ:コール・ニドレイ(チェロ独奏:アリステア・マックリー) ヨハンシュトラウス(Jr):ベニスの夜(序曲) (休憩) ブラームス:交響曲 第三番 3楽章 ウィニャクスキー:バイオリン協奏曲 第二番(独奏:ファハド・ビルモリア) アンコール:クライスラー「愛の夢」
まず、コール・ニドレイのチェロはすばらしく上手でした。この方の演奏は、先週土曜日にディナーコンサートを聞いたのですが、その時の印象と同じで、非常に丹精な音楽なのです。音も何ともいえなく暖かい音で、それでいて力強いのです。熱演タイプではなく、演奏姿勢は終始基本どおり。本当に教科書とおりという感じです。こういう人に教えてもらうといいだろうなと思いました。
他の管楽器の入る曲も、エキストラの威力で聞き応えがありました。オーボエ・フルートがしっかりしていると「旋律」が安定するので、それだけでしっかり聞こえます。さらに、クラリネット・ファゴット、ホルンが上手い。ブラームスの有名な3番の3楽章は、チェロパートにアリステアさんが参加しているし、ホルンソロも上手いので、予想外に面白かったです。
ウィニャクスキーのソロを演奏された「ファハド」さんは、インド出身で中部 ドイツ室内合奏団のコンサートマスターを務めているそうです。しっかりした旋律線を表現していました。しかし少し硬い感じがしました。
会場の芸術ホールは1000人以上入るホールで「冷房付」です。響きも柔らかくて音楽会には大変よいホールだと思いました。そして、ムンバイ室内合奏団もエキストラを揃えて、非常に聞き応えのある演奏を披露していました。
実は先週のディナー音楽会の時に、ムンバイ室内合奏団の方と少し話して、しばらくして落ち着いたら私も参加させてくれないかと頼んでおいたのでした。いつになるかは未定です。
「TATA」家に戻りますが、この家系は「パルシー」なのです。まったく偶然で大家さんが「パルシー」の方だったので、色々情報をもらっています。今日の音楽界も、先週のディナー音楽界も、実は「パルシー」の方が大勢いらっしゃいました。この関連で、インドの生活がこれからどうなるか一つの楽しみです。
さいたまの我が家では「蚊」が猛威を振るっているようです。最近の妻のホームページは「蚊」の話題でいっぱいです。
実は私がいっしょに住んでいるときは、まず私が「蚊」に刺されるのでした。他の家族は被害が無いか、私より大分被害が少なかったのではないでしょうか。その理由は非常に明確で、私の血が「美味しい」からだと思っています。なぜなら「アルコール分」たっぷりだからです。
さらに、私は「蚊」を発見して退治するのも上手だったと思っています。私の血は大変「美味しい」ので、「蚊」は一気にタップリ吸ってしまいます。蚊」は満腹になり、酔いも回って、逃げる知恵が鈍くなり、動きも鈍くなるので、容易に発見されて、容易に叩き潰されてしまうという訳です。
ところが美味しい血が吸えなくなった「蚊」は、仕方が無いので残った家族の血を吸っているのですが、これがあまり「美味しくない」のでしょう。「蚊」はアルコール分の少ない血を「少し吸っては止め」みたいなに吸うものですから、「蚊」は思考能力も運動能力も落ちません。素早く賢く逃げてしまうのです。そして、刺された人間は何箇所も痒いのです。
彼等の急上昇・急降下には人間の目はついていけない感じです。しかも眠い目をこすりながら、メガネを探して「蚊」を追いかけても見つかるものではありません。(家族全員メガネがないと「蚊」を探せません)
それに加えてアレルギー体質なものですから強烈な防虫剤が使えない。さすがに私がいるときには電気の香取線香を使っていましたが。インドではあまり「蚊」を見かけません。どうやら非常に強烈な防虫剤を使っているみたい。それはそれで心配なのです。
ニューデリーに出張してきました。ムンバイとニューデリーは「東京と大阪」みたいなものなので、国内線の飛行機が頻繁(1時間に1便)に飛んでいます。直線距離だと1000Kmまではいかず、飛行機で2時間弱です。
ムンバイ、デリーの他に、コルカタ(旧カルカッタ)、チェンナイ(旧マドラス)の4大都市。それに最近はバンガロールも加えて5大都市になっていて、これらの間を飛行機が頻繁に結んでいるのです。
こちらのビジネスマンに人気がある航空会社は「ジェットエアウェイズ」です。飛行機は新しいボーイング737−300の適当な大きさですし、運行体制もしっかりして、時間どおり飛ぶのが人気のひとつです。
国営のエアインディアも国内線を飛ばしていますが、圧倒的にジェットエアウェイの方が人気があります。このほかに民間2社(エアデカンとエアサハラ)が飛んでいるので航空4社の競争です。さらに新規参入が予定されているとも聞いています。
ムンバイもデリーも国内線と国際線のビルが滑走路を隔てて別々にあります。滑走路は共用でターミナルだけ別のようです。国内線は出入国審査、税関がない分非常に手軽です。警備も若干緩やかな感じです。
インドの国内線は飛行機の中で必ず軽食が出るようです。これが結構大変なのです。飛行時間が2時間無いのに、乗客全員に軽食を配り、アイスクリームを配り、ジュースを配り、コーヒー・紅茶を注いで回るのです。飛行機が上昇を終えて、シートベルト着用サインが消えると、軽食の準備が始まり、片付け終わると着陸準備になるのです。ビジネスクラスでは余裕があるのかもしれません。
エコノミークラスの席はそれほど広くないので、身体の大きいインド人の男性には少し窮屈そうです。エコノミークラスは3人がけが2列なので、真ん中に入ってしまうと大変です。狙い目は16番列の窓側みたいです。
15番の席の窓側が非常ドアなので15番だけ2席で、窓側に空間があります。つまり16番の窓側は足が十分のばせるのです。
| 2004年09月13日(月) |
あたりまえの発見。露天レストラン |
会社の事務所は少し古いですが、オフィス街の真中のビルの中にあります。10階建て以上のビルが密集していて、昼間の就労人口は非常に多いはずです。そして私の住んでいるホテル(当座の宿舎)からも遠くなくて、徒歩15分位です。
土砂降りの雨の日や、夜遅くなっ時以外はできるだけ歩いて通っています。流しのタクシーを拾って正規にメータで走ってもらうと、最低料金の13ルピーです。日本円で33円位です。でも近すぎて乗車拒否に度々会います。
さて、ホテルからオフィスまでの道は少し曲がりくねっていますが、車道の両側に歩道がついています。そして、その歩道は、およそ半分の幅位を様々な露天で占拠されているのです。一番多いのが「食べ物屋」です。有名なチャ−イを売る店、「揚げ物」を売る店、ハンバーガー風のパンを売る店。衛生的とはいいがたですが、そこは会社勤めの人々の格好のレストランなのです。
朝、少し木陰になった露天で、新聞を読みながら「チャーイ」と軽い朝食を取っているビジネスマンを良く見かけます。昼ご飯時の時間帯は大混雑です。夜の夕食を食べている人達がいます。インド有数のビジネス街ですから、相当な数のビジネスマン、ビジネスウーマンが居るはずなので、そうした多くの客相手にこれらの露天は成り立っているのです。
少し前、オフィス近く、またホテル近くに「レストラン」が無くて困っているような事を日記に書いたのですが、実はこういう「露天レストラン」は私のレストランの定義からは外れていました。こういう安くて、土地の人にとってはとても「美味しい」レストランがあるのですが、西洋風のエアコンの効いた高価なレストランができるはずが無いのです。(新発見)
今、ホテルの直ぐ近くで「ショッピングセンター」が建設中です。お洒落な店がオープンしそうですが、そこにキレイなレストランができないかと期待しているのは、ほんの少数の外国人みたいです。ローカルの人と話すと、キレイな建物の中にあるレストランはそれだけで料金が高くなる。安くて美味しい露天があるのに、何故あえてそんなところに行く必要があるのかというのです。開発・近代化イコール料金値上げだと喝破しています。
話は変わって「シンガポール」に関することですが、とても羨ましく、どんなシステムになっているのか知りたいと思っていることがあるのです。それは、美味しいフードコート(衛生的だと思います)が至る所にあって、外国人でも美味しい色々な料理が食べられるのに、不思議なことは値段が高くないことです。
アジア通貨危機の直後、シンガポール全体で、シンガポールの国の有り方を検討したことがありました。それは、シンガポールのような国で、物価がどんどん高くなってしまっては、サービス拠点としての「国の将来」がない。経済発展と物価上昇抑制をどのようにバランス取るかという課題でした。
そして、その後7年・8年経ちましたが、シンガポールはすばらしい経済発展を遂げながら、そして生活の質も格段に向上しながら、物価はそれほど上がっていないのです。食事に限らずタクシーや電車も安いです。その代わりゴルフをしたり、自動車を購入するのは非常に高価なようですが。
私の希望は、建物の中の冷房の効いたレストランでなくてもいいから、シンガポールの「露天のフードコート位」を目指してもらえないかということです。水くらいは水道水を使って欲しいと思います。そうすればレストラン不足は一挙に解消するでしょう。
もっとも、そんなことを言うより、体内の大腸菌を鍛えて、何でも食べられるようにする方が、ずっと早いし安いといわれるのでしょう。インドの多様性の中で生きていくには、完璧に割り切って、全て「金」に物を言わせて安全に暮らすか、頑強な身体に鍛え、喧嘩にも強くなって逞しく生きるかどちらかで、中途半端な過ごし方は怪我をしそうです。一人では寝込む訳にもいかないので、つい慎重になってしまいます。
インド出発の前日になって、旧式の「iPod」を買ってきて、家族があきれていたのですが、本当に買ってきて良かったです。自分の聞きたいCDの「40分の一」程度しかダウンロードする余裕がなったのですが、それでもこれがないと辛い生活になるだろうなと思われます。
「iPod」の宣伝は別の機会に書くとして今日は音楽の話です。私のCDコレクションにはカラヤンの演奏は殆どありません。長野の実家に大昔のカラヤン演奏のレコードが何枚かありますが、これは中学生時代にかってものですから30年以上前のものです。最近は殆ど買いませんでした。
ムンバイのCD屋ショップで、廉価版(二枚組み)のカラヤンの小品集があったので、折角だから買って「iPod」に入れて聞いてみたのです。収録されている曲は「アイネクライネ」「こうもり序曲」グノーの「ファウスト」とか有名な曲ばかりなので、ひとつくらい気に入る演奏があるだろうとおもったのでした。
因みに日本で「iPod」に入れてきたのは、時間がないので厳選した結果、チェロの曲(イッサーリス、デュプレ)とかケルテスの「新世界」ケーゲルの「巨人」ワルターの「ジュピター」等、何度聞いても飽きが来ないと思われるものばかりでした。
さて、先週の休日、ケルテス、ケーゲルを聞いた後にカラヤンを聞いたのですが、全く呆れたことに、ほんの数小節聞いて止めてしまいました。正直言ってイヤホンでしっかり聞く気にならないのです。ステレオの前で周囲の雑音に邪魔される時と違って、久しぶりにイヤホンで真剣に聞いて、また同じ失敗をしてしまったと後悔しきりです。
昔はなぜこのような音楽が流行ったのか本当に不思議になりました。テンポは急ぐし、合奏もそろわないし、そもそも気持ちが入っていません。ケルテスの振った「新世界」とかモーツアルトの「25番」「29」番など、オーケストラが喜んで演奏していることがわかります(オケは当然ウィーンフィルですが)。これに比べてカラヤンがバトンを振るベルリンフィルは、つまらなそうに演奏しています。我慢している感じなのです。
唯一「ボレロ」は最後まで聞きました。この曲はスネアが全体を引っ張っているので指揮者の指示にはあまり関係ないからでしょう。
ふと浮かんだ推理は、当時70年代から90年位まで、誰かが情報操作をしていたのではないかということです。当時は東西の冷戦が激しくて、ソビエト・東ドイツに負けてはならないと、無理してかっこいい「英雄」を作り上げていたのではないでしょうか。「9.11」以降、アメリカの世論を味方につけ、イラク攻撃に突き進んだブッシュ政権のことが頭から離れないのでそう考えるのかもしれませんが。
それとも、日本の高度成長時代には、日本の国民全体がそういう雰囲気であったのでしょうか。その当時、西側の「スター」「音楽界の帝王」として持て囃されたカラヤンは何だったのでしょうか。本当に不思議な気持ちになります。一方の東側には、東ドイツのケーゲルとかソビエトのムラビンスキーとか、厳しい環境の中で、まさに職人のように純粋にすばらしい音楽を作り上げていたのでした。こんなことを書いても10年後にはどうなっているか判りませんが。
インドに着いて一週間ですが、比較的順調に外国人登録を済ませることが出来ました。このことを記念に記録に留めておきます。まあ二度とこんな事するとは思えませんが・・・。
まず、日本のインド大使館での滞在ビザ取得に関する作業です。観光ビザなら比較的簡単に、といっても様式等の記入とか、大使館での手続きのために時間が掛かりますが、滞在ビザ取得はその比ではありません。
心安くなった在日インド大使館事務官の「ケイボン」氏が便宜を図ってくれたので、それでも早く済んだのかもしれません。
まず在日インド大使館に提出する書類ですが以下の通りでした。これらについて正本一部とコピー数部を用意するはずです。 ○大使館所定の申し込み用紙(記入の上) ○インド政府発行の事務所設立認可証 ○公正役場で認証してもらった我が社の定款の英訳 ○会社からの私の任命証明書(給与情報付き) ○写真二枚(パスポート大)
東京のインド大使館には私自身が出向く必要がなく、旅行会社の方に頼んで全てが終了しました。事前の話では、ひょっとして本人が大使館までいかなければならなくなるかも知れないと聞いていたのですが。そしてめでたく滞在ビザを取得。このビザにはインド到着から14日以内に現地の外国人登録事務所に行って「外国人登録」をせよと記載されていたのでした。
決められた規則を守るのは最低限の義務なので、今日必要な書類をそろえて早速この届けを出した訳です。
外国人登録事務所に提出すべき書類 ○外国人登録事務所所定の申し込み書類 ○写真4枚(パスポート大) ○誓約書(Undertakkings) ○登録依頼レター(会社のレターヘッドに印刷) ○私のアポイントメントレター(会社のレターヘッドに印刷) ○在インドのインド国民からの保証書 ○上記インド国民のパスポートコピー
これら全てを取り揃え4部コピーを作成して、本日に外国人登録事務所に行ってきたのでした。登録事務所では何人かの外国人が待っていました。一人の金髪女性が職員と口論をしていました。様式が不備であったようです。正直言って上記の書類をこちらの人の手助けなしに作成することは困難です。私はこの作業を「会計事務所」の方に頼んだのでした。
先週中に会計事務所の方が書類作成のために私の事務所まで来てくれたのですが、非常に細かいことまで記入することになっていました。例えば、「父親の名前」「身長」「体重」。そして身体の特徴を記載する欄があって、「どこかに身体に目印となる刺青でもないか」と聞くのですが、残念ながらそういう特長はありません。仕方がないので「鼻に横に大きな黒子がある」と書いてもらいました。もし何か遭ったらこれが確認の手段になるのでしょう。
登録事務所の事務官の所では、これらの書類を見せつつ、何点かの質問に受け答えして無事に登録が済みました。「少なくとも1時間以上はかかるよ」といわれていたのに、30分で済みました。そしてこちらで言うところの「ブルーブック」と言われる外国人登録手帳を頂いてきました。
スリランカではスリランカ国の住民表を持っているとホテル等に安く泊まれたのですが、インドではそういうことは無いのかしら。
きょうはクリシュナの誕生日だそうで、インド全国で変ったセレモニーが行われました。
まずクリシュナですが、ヒンズー教の神様の中でも人気があるひとりです。マハーバーラタの中で、悩むアルジュナに教えを説く部分があるのですが、ここが有名な「バガバット・ギーター」なのです。ヒンズー哲学の一つの象徴的な物語です。
さて、そんな非常に賢いクリシュナですが、赤ん坊の時は非常に「やんちゃ」であったのです。クリシュナはミルクから作ったチーズのような「カード」という食べ物が大好物で、家の中のカードを捜して回っては食べてしまったのでした。
そこで、母親がカードの入った壺を家の中の高いところに隠してしまったのでした。身体が小さいくて高い所に届かないクリシュナは、友達を呼んできて人間ピラミッドを作ってもらって、その上に上ってカードの入った壺を手に入れたのでした。
という話から、今日はインド中の街中で高いところに「カード」の入った壺が吊り下げられ、それを手に入れるために、勇敢な少年達によって、何層も人垣による高い人間ピラミッドを作られたのでした。
私の事務所の入っているビルの外の道では、道の両側の高い電柱からロープを渡して、道の真中の上空(約8m位の高さかしら)に壺が取り付けられていました。この壺は、成功するたびに取り替えられ新しいカードが詰められるようです。この位の高さの壺だと、獲得賞金5000円位だそうです。ここでは四層の人間ピラミッドが作られていました。
新聞に載るような大規模なものは、7層ピラミッド(成功賞金20万円程度)、8層ピラミッド(成功賞金50万円程度)というようなものになります。ムンバイには狭い通りを挟んで、8階から10階立てくらいの古いビルが密集している地域があり、そういう場所では高いところに壺を吊り下げるのが容易なのです。
今日は、大勢のおそろいのユニフォームを着た少年達がトラックに乗って、賞金稼ぎのために街じゅうを走り回るところを見る事が出来ました。
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