KENの日記
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2004年09月05日(日) 引越し荷物到着

土曜日の午後に日本からの引越し荷物が届きました。引越し荷物といっても、当分はホテル暮らしなので、衣類と食料が中心です。合計で段ボール箱3箱。航空便の限界が40Kgなのでそれほど多くはありません。


引越し業者と話していてとても気にかかることがありました。今回の業者は日本の「日通」系列なのですが、デリーには日本人の駐在がいるものの、ムンバイには日本人がいないので、全くローカル人だけで税関等の手続きしたみたいです。


気になったことは日本人への対応の仕方なのです。電話の応対はとても丁寧だし、税関書類作成やらパスポートを渡すために打ち合わせに事務所まで来てもらったのですが、約束した時間の30分前には来ていました。とても丁寧なのです。丁寧すぎるのです。


話をしている最中にも、「日本人は非常に有能で時間に厳しい。我々インド人も学ばなければならない」等とお世辞を言うのです。でも話しているとつい「本音」が」出てくるのです。曰く「日本人は約束の時間に1分でも遅れると帰れと怒鳴る」とか言い出すのです。東京の日通とか上司から相当注意されてきているみたいでした。


スリランカに居たときにも感じたのですが、日本以外の国では時間がルーズな面があると思います。インドでもそうなのですが、道路事情、混雑の状況は日本とだいぶ違います。雨で道が洪水状態になることはしばしばです。さらに携帯電話もそれほど普及していないので、遅れたからといって直ぐ連絡できません。日本は電車は正確に動くし、遅れそうになっても連絡がとれます。


日本はそういう便利な環境だからこそ「生活費」が高いのです。それが世界の標準だと思ったら大間違いなのです。多分「日通」の引越しで、日本人に余程苦情を言われた経験があるのだと思いました。日本人の第一印象は「時間にうるさい」というもののようです。


私がある程度「本音」で、日本もインドに学ぶべきことは沢山ある。最も興味がある事は、人口の1割の1億人のイスラム教徒を抱えてうまくやっている国なんて実は他にない。これなんかブッシュに教えてやるべきだ。さらに南インドのヒンズー文化の素晴らしさは、他ではちょっと見出すことはできない。と説明すると、彼は涙を流さんばかりに喜んだのでした。


彼は、急いでも月曜日中に荷物を配達することになるいっていたところを、超特急で土曜日の午後に荷物をホテルに届けてくれたのでした。



2004年09月03日(金) ロシアのテロ

「アサシン(暗殺者)」の語源は実はイスラム教の一派の名前からきているのです。しかもそれは11世紀頃の話なので、既に1000年前にイスラム教の一派に「暗殺」(テロの一形態)者集団がいたというのです。


9・11事件とかロシアでの一連のテロ事件、そして今回、非常に多くの犠牲者を出したロシア南部の学校テロ事件など、私はもう少し歴史が新しいのではないかと思っていました。例えば西欧(アングロサクソン)の進歩主義的・啓蒙主義的な行動に対する反発、あるいは少数民族への弾圧等、自分の頭の中では、近代民主主義(基本的人権、多数決主義等)への反抗なのかしらとも考えていたのでした。


ところが、イランの「オマール・ハイヤーム」の4行詩を調べている中に、彼の幼友達の「ハシン」という人間が「ハシン派」という一派を形成してテロ行為を始めたということを知ったのです。実に11世紀ことなのです。この「ハシン」の一派のことが、有名になり且つ恐れられて「アサシン」という単語を英語にもたらしたようです。ちょうど西欧がイランの代数学にびっくりして、「Algebra」という単語を持込んだように。


当時、イラン地方は文化の先進地域で、数学、天文学、物理学などの研究が非常に進んでいました。つい先日オリンピックの終了したギリシアから多くの学者がこの地方に移り住んできた結果なのです。そしてこの地方の領主が、そうした学問・文芸を大変尊重したのだそうです。この文化が西欧ルネサンスの繋がっていくのです。


ところで「オマール・ハイヤーム」の4行詩は驚くほど自由です。もっとはっきり言うと「酔っ払いの言い訳」みたいなところがあります。政治に嫌気がさしたり、頑なな宗教の教えをからかったり、人生を悲観したりと、今のサラリーマン心情と全く変りありません。1000年経っても人生の苦しみは全く同じだし、イスラム社会においても同じなのだということを実感しました。


しかし「オマールハイヤーム」の詩は、当時の支配的なイスラム指導者から睨まれて、発禁処分みたいになって、知られるようになるのが随分遅れたのでした。


さて「テロ」行為ですが、この「ハシン」以前にはそのような行為は無かったのかは不明です。イスラム教はハシン以前にも長い歴史を持っています。この「テロ」行為が始まったのはなぜなのか。イスラム教の人達も、そうでない人達も少し調べてみる必要がありそうです。


ルネッサンス時代の西欧の人々も訳のわからないテロ行為に恐れをなし、理由もわからずに「アサシン」という言葉を取り入れたのではないかと想像できます。しかし、イスラム社会の中には、その当初からそうした行動に走る思想があったのかもしれません。


さらに、この11世紀には、重要な西欧とイスラムの戦いがあったのでした。キリスト教聖地奪回の「十字軍」の戦いです。こうしたことが「ハシン」の行動、また「ハシン派」の行動に影響を与えていたのかどうなのか。これも分かりません。


11月2日に大統領選挙を向かえるアメリカでは、「テロとの戦い」が争点になろうとしていますが、もう少し別な・冷静な研究があってもいいと思います。アメリカには悪の枢軸国をやっつける「新十字軍」だけで終わって欲しくはありません。



2004年09月02日(木) ヴェジタリアンレストラン

ムンバイで克服しなければならないものに気づきました。これから他にも沢山遭遇するのでしょうが、まず気づいたのが身近な「ヴェジタリアンレストラン」です。ムンバイの街の中でお洒落なレストランを見つけ近づいてみると「ヴェジタリアン専用」だったという経験は結構多いのです。滞在しているホテル近辺はオフィス街でレストタンがなく、唯一近くにある1件のレストランが「ヴェジ」なのです。


昨年スリランカからインドに旅行に来た時、インドの地方都市のホテルに泊まって、朝食は「ヴェジ」しかないというような場面に遭遇したことがあります。そうすると仕方が無いので「ヴェジ」朝食を頂きます。当時洋食でさえ、少々辟易していて、納豆と味噌汁が食べたいと思っている日本人には、決して美味しいとは思えませんでした。


これまでのムンバイでの観察では、こちらのヴェジタリアンレストランには「卵可能のもの」と「卵も使わないもの」の2種類があるようです。更にこれに加えて、地上に生えた植物しか食べない徹底した「ヴェジタリアン」がいるので大変です。この徹底した「ヴェジ」の方は、大根、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ニンニク、しょうが等のインド料理の基本とも言うべき食材を食べないのです。


さらに、ヴェジタリアンの方達は「冷やした水」を飲もうとしないのです。ヴェジタリアンのインドの方と日本で食事をした際に、彼等は私には「冷えた水」を勧めましたが、自分達は生暖かいそのままの水道水を飲んでいました。もちろんアルコールは飲みません。「冷えた生ビール」など想像もつかないのでしょう。


さて、ヴェジタリアンに関する情報が少し蓄積されてきたので、思い切ってホテル近くの「ヴェジタリアンレストラン」に行ってみました。メニューは驚くほど豊富です。良く分からないので適当に二種類の「豆料理」を注文しました。動物の肉を食べないので「豆」が大変重要な蛋白源になるのでしょう。ほうれん草と大豆の料理と、黒豆の料理です。料理の味はというと「そこそこ」でした。私の今日の結論は、料理は「素材」の問題ではなく「調理方法」が重要なのだということです。


日本の代表的な豆の食材というと、醤油、納豆と豆腐でしょう。「豆腐と刻みねぎと醤油」「納豆と醤油」の組み合わせであれば、実際立派なベジタリアンフードなんだと気づきました。こういう料理なら大歓迎です。しかし、インドの料理方法は全く別で、肉料理と全くといっていいこちら風の味付けなのです。


「納豆と醤油」の組み合わせに「鰹節」があればなんと幸せなことかと直ぐに頭が働いてしまいます。さらに「山芋を掛けたマグロ」とか日本人の考えた組み合わせはなんと素晴らしいのでしょうか。ついつい食べ物のことになると想像力が膨らんでしまいます。


インドにおいては「ヴェジタリアン」に関する知識と、それなりの配慮が大変重要なのだろうと思われます。さらにこれに加えて、イスラムに方達の食生活にも配慮しなくてはならないのでしょう。こうした知識と配慮が多宗教国家においてうまくやっていく上で不可欠なのだと思いました。



2004年09月01日(水) ムンバイで活動開始

ムンバイでの活動を開始しました。といっても全く白紙の状態からのスタートです。


どこの世界でもそうなのでしょうが「金」がなければ話が進みません。これまで個人の立替払いで全てを済ませてきたのですが、インドに法人格を持つとなると、何はともあれ「金」が必要になります。その資金は9月3日にこちらの銀行口座に振り込まれます。日本との時差が3時間30分あるので、こちらの3日の午後に資金が引き出せるのでないかと考えています。借りている事務所の家賃を払わなければならないのです。


今日は会計事務所の方と会計コンサルティング契約の最終打ち合わせをしました。オフィスの会計事務については、インドの会計規則に則った整理(インド会計)と、日本の会社に合算される日本の会計規則に則った整理の二つが必要になります。当然ですが、インド会計は勘定科目なども全て英語で、日本の会計規則は日本語です。最近になって漸く我が社の勘定科目の英訳ができたようなので少し安心しています。


というのも会計事務は全てインド人の従業員にやってもらうことにしているからです。日本語の分かるインド人を探すのは難しいので、できるだけ英語で済ませる方法を考えています。従って、会社の内規とか、決議書の類も全て英語で整理しようかと考えています。


スリランカで経験があるので多少は安心しています。というのも細かい実務(数字の表記方法とか)は別ですが、会計ルールは言葉を超えて共通な思想があって、直ぐに理解し合えました。それと、どこまでも保守的に安全サイドにものを考える「癖」は会計担当者の共通な美徳です。


言葉の壁を越えるという点においては、音楽の世界も同じで、音楽の楽譜とそれによって出てくる音楽は言葉と超えて共通でした。これを実際に体験すると感動物ものです。


実際にはものすごく大変な問題が発生するのでしょうが、今から恐れていても仕方がありません。「天は自ら助ける者を助ける」で、精一杯力まずに進めるしかありません。これって、超「楽観的」というのかしら。



2004年08月31日(火) インド着、コンピュータに課税

これまでと同じコースのシンガポール経由でムンバイに来たのですが、今回は片道切符なのです。日本からシンガポールまでの便は非常に空いていました。いつもはもう少し混雑しているのですが、日航か全日空を使う人が増えたのかしら。それに比べて、シンガポールからムンバイに向かう便は満席でした。


シンガポールームンバイ間は5時間です。東京ーシンガポール間が7時間なので、シンガポールからはずっと近い感じがします。逆に日本は凄く遠く感じます。インドシナ半島の国に住む人達の感覚は、日本とは大分違うと思います。


さて、インド入国ですが、税関で少しチョンボをしてしまいました。インドの空港では入国に際して厳しい荷物検査があるのです。今回は赴任ということで特に手荷物を50Kgまで増やしてもらって大荷物を持って来たのでした。荷物検査の列に並んでいると、にこやかに税関職員が近づいてきて、大きな荷物の中身は何かと聞いてきました。私は一番「無難」だと思われた「コンピュータ」を梱包して持ってきたと応えました。何台かと聞くので「2台」と応えてしまったのです。


これが原因で「コンピュータを見せろ」ということになってしまい、会社のパソコンと少し古い個人用のパソコンを見せました。税関職員氏の話ではコンピュータの持込みは一人一台が限度で、二台目からは課税されるとのこと。個人用は古いので殆ど価値がないと言い張っても、すでに時遅しでした。後は税金算定の勝負と覚悟をしました。


実際、個人用パソコンはXP仕様ですが、見掛けは凄く汚れていたのが幸いでした。ぼろぼろのキーカバーをわざと見せました。中古で売っても10000円位だと言い張って、時価Rs5000として40%のRs2000の税金を払ってきました。多分これは正当な評価ではないでしょうか。


ここで、一台は会社用で、もう一台は個人用だ等と抗弁しても仕方が無いので、できるだけ被害を少なくする一方、税関職員の面子も考えて咄嗟に妥協したのでした。


税金を払ってしまうと「行っていい」というのでX線検査を通らずに出てくることができました。実は、大きなボストンバックには「ガラス瓶」が二つ入っていて税関のX線検査ではそれが見えてしまうだろうなと心配していたところではありました。インド入国にはキチンとルールを守る事が大切でした。



2004年08月30日(月) 住民票を抜く

今日、さいたま市南区役所に行って「住民票」を抜いてきました。今年の1月にスリランカから帰国して、さいたま市民に戻ったのですが再びお別れです。


面倒くさいのは、実印登録も一緒に消えてしまうこと。せっかく作った実印カードも返却してきました。


その足で池袋まで行ってCDを買ってきました。ムンバイへのお土産用です。ムンバイというと「ズビン・メータ」です。彼はムンバイの「パルシー」社会の出身で、ムンバイの「パルシー」社会ではとても有名なようです。


といっても、少し地味なので、家のCDコレクションにありませんでした。ビデオなら、3大テナーの伴奏とか、ウイーンフィルとのブルックナーの8番交響曲があるのですが、今日は、最初に目に付いた「ザルツブルグ音楽祭ライブ」のシューベルトのグレートと春祭を買ってきました。すこし古い録音です。


さてその後電気屋さんにいって「IPOD」を探しました。インドでの生活を予想しつつ、引越し準備をすすめてきたのですが、これまで迷っていたのでした。


というのも、ムンバイでは当面ホテル住まいなので、どのように「気分転換」をするのかがとても大切なのです。残念ながら、テレビではツマラナイNHK海外放送しか見る事が出来ないのです。ずっとマシなスリランカでの生活を思い出しても、好きな音楽が聴けないことは、少し苦痛であろうと思われます。


色々悩んだ末、近くの家電店に最後の一台として残っていた旧式の「IPOD」を買うことにしました。短期間でどれだけ音楽を詰め込めるか分かりませんが、好きな順に1ギガほど入れました。とにかく場所を取らずに大量の音楽が聴けるので楽しみです。



2004年08月26日(木) 引越し第一弾

今日運送会社(N社)に自宅に来てもらって、引越し荷物をまとめてもらいました。当面ムンバイにおいてはホテル住まいなので最小限にしました。


向こうに住むに当たっての最大の課題は「食べ物」なのです。日本食レストランは無いし、日本食材も売っていない。しかもホテルなので厨房もない。


そこで考えたのが、ホテルのコンセント(240ボルト)で使える電熱器を購入して自炊できるようにすることでした。東急ハンズで便利な便利な電熱器を売っていました。これがあればインスタントラーメンを作ることができます。


その他に調理済みの「ご飯」を大量に買って荷物に入れました。もちろんインスタントラーメンもたっぷりです。そう言う「目」でスーパーで買い物すると、以外なほどインスタントな食料品が豊富なことに気がつきました。調理済みの「ご飯」はひとつのコ−ナーになっています。多分一人世帯が増えているのでしょう。元々ラーメンは品数豊富です。そのほかに、一食分のインスタント味噌汁。食事の心配をしなくてもいいようになれば、インドはすばらしいのですが。



2004年08月25日(水) 正式決定

インド赴任が正式に決定しました。随分まえから実質的には決まっていたのですが、会社が正式に決めないと進まない案件が少なからずあったのです。


まず、インドでの預金口座の開設。インド政府の認可に加えて、社内の手続きが済まないと、口座が開けないし、口座が開けないと「資金」が遅れません。インドでは「金」が無いとことが進みません。


実はこれまでの活動は、個人の立替払いでやって来ていたのです。つまり、観光客でもホテルに泊まることができたり、レンタカーを借りることができるように、個人でできる範囲で活動していたのでした。インドで「会社」が活動するためには、インド政府の許可と社内の手続きが必要だったのです。


今後の予定としては、9月から現地で活動を開始できるように、個人荷物を現地に送ったり、会社の書類を運びます。これは26日の予定です。


これまで関係した職場に挨拶にいったのですが、「スリランカから帰ってきて、こんどはインドとは大変ですね」という言葉がほとんどでした。確かにそうなのですが、個人的には多少違う感覚を持っているのです。


言わば「スリランカ」は南アジア文化圏の玄関なのです。中国3000年の歴史に匹敵するような、ヒンズー3000年の文化があるのです。スリランカでの生活で少し覗き見ることができた「ヒンズー」文化は、やはり「インド」が本家なのです。個人的にはスリランカまで行って、「インド」を経験しないのは非常にもったいない感覚なのです。



2004年08月14日(土) 懐かしい高校同窓会

昨日の夜、インド出張から帰って来たのでしたが、今日故郷長野で高校の同窓会があり日帰りで出席してきました。なんと高校卒業30周年記念です。10年前にも卒業20周年をやった後、あっという間でした。


午後2時から長野市の国際会館で、と言うことで、11時58分の新幹線の浅間号(臨時特急)で長野に行きました。ちょうどお盆の土曜日で大宮駅は大変混んでいました。11時58分の臨時浅間は全席指定ですが、この列車が空いているようなので、自由席特急券しかなかったのですが、その列車で行きました。長野までは1時間と少しです。


さて、同期会ですが、すっかり昔の気分になって、ひと時の楽しい時間をすごしました。同じクラブに属していた者がたくさん集まりましたし、また3年の時の担任のN先生が出席されていて、昔話に花が咲きました。


前から少し知ってはいたのですが、同級生で「漫画家」になっている者がいました。彼とは同じ電車通学で、高校卒業した後も「新聞配達」アルバイトでお世話になったのでした。その後、お互い大学に入って音信不通だったのです。彼は「弁護士関連漫画」で結構売れているとのこと。昔からそういう夢をもっていたとのことでした。偶然にも同じさいたま市南区に住んでいることもわかりました。長野の実家の母は、今我が家に来ているので、長野に泊まらずに日帰りで帰ってきました。



2004年08月11日(水) モンスーン大好き?

11日水曜日は朝から強い雨が降っています。土曜日から昨日まで、少し晴れ間が除いたり、雨が降っても小降りだったりしたのですが、再びモンスーンの季節に逆戻りしました。先週までと同じように、気温は上がらないし、昼間から薄暗いし、大雨で鉄道は止まりそうだし、本当に困った天候です。


ムンバイの気温はこのモンスーンの時が一番低いのです。モンスーンが明けると暖かく、いや急に暑くなるのだそうです。


こう見てみると、インドのモンスーンを日本の「梅雨」と比較するのは間違っていると思います。モンスーンは日本の「冬」なのです。雪の深い信州で育ち、仙台で少し生活した経験のある私は「冬の厳しさ」が良く分かります。しかし一方で、冬の雪深い山間地の温泉の素晴らしさや、スキー・スケートの楽しさも実感しました。


何千年と同じ気候に向き合ってきた「インド」の人達は、モンスーンの季節の過ごし方は十分分かっているのだと思います。彼等にとっても「楽しいモンスーンの過ごし方」があるのではないでしょうか。「モンスーン大好き人間」がいるかもしれません。


日本では雨は一年中降る可能性があり、雨量のことより「気温の差」の方が重要であるように思えます。気温の差は、雨量の差より生活に大きな影響があるように思えます。夏のクーラー、冬の暖房、季節によって着る服も変ります。さらに、冬に降る大量の水分は「雪」という少しロマンチックに姿を変えるのであまり嫌がられません。東北北部から北海道の「雪」はそんなロマンチックなものではないかもしれませんが。


インド、特に南半分の地域では「気温の差」より「雨量の差」の方が重要です。降り過ぎても困りますが、降らないと、なお大変なことになってしまいます。服装は一年中ほぼ変える必要はありません。その代わり「傘」とか「雨合羽」は重要です。長靴はあまり見かけません。むしろ素足の草履の方が合理的かも知れません。


そういう環境で「ネクタイとスーツと革靴」でビシっと極めるのは結構大変です。ムンバイでもビジネス街でビシっと極めたビジネスマンを見ますし、泊まっているホテルの外国人客は結構極めています。そういう人達は、朝夕の車での送り迎え、冷房が効き、湿気を取り除いたオフィスが必需品です。


昨日の「ブリアニ」の話でもそうでしたが、「郷に入ったら郷に従え」的な発想が一番合理的なのでしょう。




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