| 2004年08月09日(月) |
チキンブリアニを食べて考えたこと。 |
すでに昔書いたかもしれませんが、チキンブリアニを食べてみて、インドやスリランカの人が右手で食指をすることの理由の一つ少しわかりました。チキンブリアニは手軽な料理のようで、チキンが入っていたり魚が入っていたりします。それも骨ごと殆どぶつ切り状態で入っています。大きな骨から、ぶつ切りにしたときに砕けた小骨とか、結構危険な堅い骨が入っていて、これを取り除かないと安心して食べられないのです。
これをフォークとナイフで食べるのは大変です。箸でも大変です。ここではやはり非常に優秀な「手」が必要となるのです。手で料理を混ぜながら、細かい骨も見逃さずに選り分け、同時に色々な味が交じり合うのです。いったん口の中に入れたら後は噛んで飲み込むだけです。口に入った小骨を出すなんて下品なことはしません。
魚の卸し方は「三枚に卸す」などエレガントな技はことらでは見た事がありません。魚は骨ごと「ぶつ切り」にするのが一般的なのです。これは食べ方が調理法に影響を与えているとしか思えません。箸やナイフとフォークで食べる人達には、ちゃんと骨を取ってから調理することになるのでしょう。そのため少し難しい卸し方が発展してきたと思われます。
「手」を使って食べることをせずに、ローカルレストランで「チキンブリアニ」を注文すると結構悲惨です。料理の味は美味しいのですが、骨を取り除きながら食べていると疲れてしまいます。ローカルの食事を頂くには、ローカルの食べ方が一番あっているのだということを再確認しました。
でも「カニ」の場合はどのように形に調理し、どのしたら優雅に食べられるのか全く分かりません。インドでもタイでも日本でも「カニ」の食べ方は難しいです。
| 2004年08月08日(日) |
少し晴れた日曜日、オペラハウス |
今日の日曜日は初めて少し晴れ間がありました。という事で夕方にムンバイの街を少し散策してみました。目指したところは「レミントン通り」。ムンバイ南西部の高級住宅街に通ずる繁華街です。あくまでも「通じている」のであって、そこが洒落ているかとうと、全くそうではありません。ローカル映画館が集中しているところであります。
ところで、そのれミントン通りのが海岸に近づいている一角で「オペラハウス」を発見しました。「オペラハウス」という地区があることは地図でしっていましたが、誰に聞いてもオペラハウスの存在は否定していたのです。でもりっぱな建物が残っていました。(写真はそのうち公開します)
とにかく、朽ち果てた昔の音楽の殿堂です。正面の立派な壁には「ロイヤル・オペラ・ハウス」の文字が残っており、よく見ると文字版にネオンサインの破片がついています。たぶんイギリス植民地時代には、立派な建物だったと思います。そして建物の奥(たぶん舞台のところでしょう)は、非常に大きく、大掛かりな舞台セットを使うことができたのでしょう。
今はというと、誰が住んでいるのか分かりません。とにかく誰か不法に(?)住んでいるようです。建物横の、多分以前は駐車上だったスペースも「ごみ」だらけです。オペラを演奏する雰囲気は全くありません。敷地内に入ってみると、早速「金をめぐんでくれ」と一人のおばさんが寄ってきました。
オペラの上演は総合芸術です。音楽の伴奏、歌手、歌手の衣装、セット製作とかなりの水準の芸術の基礎が必要です。たぶん、それら全てが建物と同様に朽ち果ててしまったのではないでしょうか。植民地時代の絢爛豪華な社交会の場は、まさしく今のインドの一面を象徴する「場」となっていました。
こうした植民地時代の遺物はこれからインドでどうなっていくのか。ビクトリアターミナスの駅舎は、世界遺産に指定され「物」として残っていく事になりました。「物」は残っても、「音楽」のような人間が敬称しなければならないソフトウエアは簡単に消えてしまいます。
今日7日は、サッカーアジアアップの決勝戦。ムンバイのホテルのテレビで放映があるのかどうなのか朝から心配していました。
ホテルのテレビはNHK海外放送が入ります。でもNHKは海外への放映権をもっていないのでやるはずがありません。アテネオリンピックを前にして、今から「放映権が無いので海外では見ることができません」と盛んに言い訳しています。海外でみる日本の放送(つまりNHK海外放送)ほどつまらないものはありません。民放の面白い番組のビデオが人気があるのもわかります。
さて、NHKがだめでも他の国の放送局があります。中国です。日本語放送のチャンネル近辺に「韓国語」と「中国語」の放送があります。この「中語国」放送局を調べてみました。しかしどうも台湾のものであるようです。大陸の決勝戦をやるはずがありません。
半ば諦めかけ、午後5時ごろ、アラビア語放送を見てみました。実は数日前に「中国−イラン」戦を中継していたのを少し見たのでした。ひょっとして関係の無い決勝戦もやるのではと思ったのでした。案の定、決勝戦の放送がありました。
「アル・ムスタクバル」というアラビア語の放送局です。同名の新聞がレバノンにあるようなので、レバノンの放送局かもしれません。それにしても、中国対日本の試合を良く放送してくれました。全く意味の分からない「アラビア語」ですが、アナウンサーが日本選手の名前を言うのが難しそうでした。
試合ですが、一応日本が勝って良かったです。でも試合内容はよくありません。選手で目立っていたのは「タマダ」だけ。中村はセットプレーはいいですけど、プレスの強い試合中はいいところ無し。体力で中国選手に負けていてはヨーロッパでは通用しないでしょう。
他の選手でも「Jリーグ慣れ」した安易なパス回しは通用しませんでした。Jリーグはお互いプロなので、厳しくしないで、そこそこ相手に花を持たせている感じがあります。その呼吸は中語には全く通用しませんでした。
それにしても、今日別なチャネルでほぼ同じ時刻に「オーストラリア対ニュージーランド」の代表同士のラグビーの試合を中継していましたが、彼等は紳士でした。試合前も試合後もお互いに「尊敬」し合っていて非常に礼儀正しいのです。中国も日本もだめですね。観衆はともかく、選手と監督・コーチにはもう少し考えてほしいものです。
| 2004年08月06日(金) |
ムンスーンの晴れ間、ボールペン紛失 |
今日の朝は、雨が降っていませんでした。雲も薄くなっています。私がムンバイにきてから初めての「すこしいい天気です」。とにかくここ10日間ほどよく降りました。正直いって「土砂降りです」。
スリランカでも雨季の雨は経験しましたが、こんなに長時間降っているわけではありませんでした。猛烈な土砂降りの後は、青空が広がることがおおく、むしろ植物には気持ちよさそうだし、空気を綺麗になったような「すがすがしい」感じがしたのでした。
こちらは同じような土砂降りの雨が二日・三日降り続きます。そして少し小降りな案が一日。二日続き、再び土砂降りになります。この繰り返しが3ヶ月続くのだそうです。従って9月中旬まで続くというのですからあきれてしまいます。
この間は気温はというと30度を下回る涼しさです。太陽の強い光も、厚い雲が遮っているというわけです。雨が強くなる度に、電車が止まり通勤通学客に不便をもたらします。低い土地の家屋は水浸しになります。今日は朝半月が空にありました。上弦の月です。まだ大潮まで遠いのでいいのですが、潮が高い時期の大雨は非常に危険なのです。四方を海に囲まれたムンバイは大潮の満潮の時に、大雨が降ると、雨水が有無に流れなくなってしまうのです。
さて明日はアジアカップサッカーの決勝です。ホテルのNHKチャンネルがどこかにいってしまいました。元々NHKの海外放送で放映しないでしょう。中国のチェネルを探そうかと思っています。中国・イラン戦はイランの放送局で少しみました。見る限りイランの方が強そうでした。
(追記)今日、大変うれしいことがありました。実は今週火曜日に日本からの日本からの出張者と共に、こちらの電話会社と打ち合わせした帰りに郊外のレストランで遅い昼食を取ったのですが、そこにボールペンを忘れてきてしまったのでした。
事務所にに帰ったと慌ててレストランに電話すると、1時間ほどしてから「見つけた」との連絡をもらっていたのでした。最初のインド出張の時に「携帯電話」を紛失して以来この国では忘れ物は出てこないだろうと思っていたのですが今回は別でした。
実はそのボールペンは携帯電話よりずっと高価なのでした。今日の金曜日の夕方、雨も降っていなくて、気持ちがいいので、タクシーを使ってレストランまでとりに行ってきました。金曜日の7時頃の郊外に向かう道路はもの凄く混雑していました。なにしろ、ムンバイは列車の便が比較的良いのですが、というからには、列車の線路が市内中心部まで堂々と入り込んでいるということなので、列車線路に邪魔されて、郊外に抜ける道路は非常に限られてしまっているのです。普段30分くらいで行くところを1時間以上は掛かってしまいました。
レストランの受け付けの男性は、私のボールペンのことを直ぐに思い出し、しまって合った机の引出しからすぐ出してくれました。私がチップを渡そうとすると「That is Just Our Duty」といって決して受け取ろうとはしませんでした。彼に丁寧にお礼を言って帰ってきました。
機会があったら是非何度も食べに来ようと思いました。実際のここの料理は美味しくて、値段も手頃で外国人で混雑しています。レストランの名前は「ジュエル・オブ・インディア」。ネルーセンターに隣接しています。ここの昼食はブッフェ形式で、色々美味しいインド料理がそろっています。値段は一人500ルピーもあれば十分です。日本人の方がムンバイにいらしたら是非、利用してほしいものです。
| 2004年07月31日(土) |
ビクトリアターミナス駅 |
今年のユネスコ会議で、熊野三山神社や熊野の参道などが新たに世界遺産に指定され、NHKでは早速、特集番組などを放送していましたが、同じ会議において、ムンバイの「ビクトリアターミナス駅」も世界遺産に指定されたのでした。
ビクトリアターミナス駅の建物はムンバイにあるネオゴチック様式の建物中でも代表的なものです。非常に雄大であり、そして非常に細かい装飾が施されています。今日土曜日の雨の小ぶりな時期を見計らって行って見ました。
ビクトリアターミナス駅はボンベイの中央駅です。長距離列車と近郊列車の両方が発着します。土曜日だからでしょうか大きな荷物も抱えた人達や、通勤客でごったかえしていました。しかし、私は、朝晩の通勤時間帯、休日などの池袋駅を知っているので、人の多さはそれほどびっくりしませんでした。
インドの鉄道駅は切符が無くてもホームまで入れます。長距離のディーゼル機関車と客車と近郊の電車を見ることができました。近郊電車では日本には無い「コンパートメント方式」を目の当たりにして感慨が深かったです。
というのも、スリランカに関する英語の本を読んでいて「ひとつの客車には三人ずつ座れる座席4つからなる客室が幾つかある」という表現に出会い、どんな列車か想像がつかなかったでした。スリランカでもフォート駅まで列車も見に行きましたが、そんな構造の列車は無かったのでした。
ところが、今日まさしくその表現どおりの列車に出会えたのでした。実は、インドの列車は幅がとても広いのです。真中の通路の両側に、3人掛けの椅子が進行方向に向いて直角に二つずつ向かい合わせに並んでいました。そして、それら4つの椅子がひとつのコンパートメントを形成しているのです。
この形式はとてもユニークだと思いました。かつての日本の長距離列車は二人ずつが向かい合う「4人」の世界を形成しました。インドの列車は、まず向かい合う6人が世界を形成し、同じコンパートメントの12人がもうひとつの世界を形成するのです。さらにコンパートメントが4つ連なって一台の客車になるです。家族が多いととても便利だし、多くの友人との旅などではとても面白そうです。因みに最後尾の車両は女性専用車両でした。埼京線より歴史は古そうです。
駅の外観はというとあまりに大きいので少し離れないと全容がつかめないのです。従って駅を出て、駅から続く通りから写真を撮ってきました。壮大な建築を見ていて、音楽のことを思い出しました。
それは世に言われる「名曲」のスコアをコンピュータで分析し、名曲の秘密を探ろうとした試みのことです。結局、名曲の秘密は分からなかったのですが、名曲といわれる曲にはひとつの共通点があったのだそうです。
それは「バランスがいい」という事だそうです。長い音符、中庸程度の音符、短い音符、高い音、中音域の音、低い音、和音の数、進行具合、音の強・弱などに適当な多様性があって、それでいてバランスが取れている。
ビクトリアターミナス駅は、正しくその表現にぴったりです。壮大で、きめ細かい。見るものを圧倒します。実はムンバイには、ビクトリアターミナスに匹敵するような建物が沢山残っているのです。
| 2004年07月30日(金) |
ムンバイのクラシック演奏会 |
新聞で30日の夜にクラシックの演奏会があることを知り、事務所の入っているビルの秘書の方にチケットを購入してくれるように頼んでおいたのです。最初は既に売れ切れだと言われていたのですが、キャンセルが出て聞く事が出来ました。演奏会の内容は以下の通りでした。
ボンベイ室内管弦楽団演奏会 2004年7月30日 6時30分開演。場所:実験的劇場(ホテルの近く)
客演指揮およびバイオリン:ヴァヒーダ・カーデム・ミサーカ 曲目 パッヘルベル カノンとジーグ モーツアルト バイオリン協奏曲第5番
アルブノーニ アダージョ グリーク 弦楽のための組曲「ホルベルク」
アンコール シュトラウスのピチカートポルカ バッハ バイオリンソナタからアダージョ
6時30分に始まって8時20分には終わっていました。金曜日の夜には手軽な演奏会だと思いました。会場は小さなホールで300人入ればいっぱいでしょう。講演会をするための部屋みたいでした。他の立派なホールがあるみたいですが。
しかし、正直言って始めて「スリランカシンフォニーオーケストラ(SOS)」を聴いたときより、がっかりしたことは否めません。技術云々をいうつもりはありませんが、演奏している方達がぜんぜん楽しそうではないのです。
「自分達がいい音を出している」と感ずる瞬間がないのではないでしょうか。基本的な技術の問題なのかもしれませんが、演奏者が楽しまなくては聴衆が楽しいはずがありません。
これに比べ、スリランカのSOSは、チャイコフスキーの交響曲とか、ブラームスのピアノ協奏曲とか非常に無謀な選曲をしますが、演奏者は最後には非常に楽しみます。自己満足でもなんでも楽しんだら勝ちみたいなところがありました。
ムンバイ室内管弦楽団の演奏を聞いていて、選曲にはあまり無理はしませんが、やっていて面白くもないと言う感じに聞こえました。管楽器がほとんどいないというのも原因なのかもしれません。管楽器奏者は時に自意識過剰なところがありますから。
パートでは、チェロが一番充実していました。トップの方のソロはなかなかうまかったと思います。チェロは全員で5人。バイオリンは結構人数がいる割に、音量がでていませんでした。
楽団の方は男性が多いのには驚きました。そして平均年齢もかなり高そうです。聴衆はというとこれはもう「老人」がほとんどでした。若い人はほんの少し。演奏する側も聞く側も高齢です。若い人の間でのクラシック音楽人気は非常に低そうです。
仕事でインドに来ていますが、こうした演奏会などで、外国の方と同じ趣味を共有できるという感覚はうれしいです。外国がとても身近に感じられるのです。聴衆の特徴でもうひとつ。外国人がほとんどいませんでした。コロンボ首都なので外交関係者が多かったのでしょう、演奏会には沢山の外国人の方が来ていました。日本人が他にいるかなと探しましたがいませんでした。
インドの人達は英語に対して特別な気持ちを持っているようです。市内を流しているタクシーの運転手はほとんど英語を話しませんが、ホテルで雇い上げるレンタカーの運転手は英語を話ます。先日、バンガロー出張の飛行場までの車の運ちゃんは、何回も自分の英語が「上手かどうか」を聞くのでした。彼は英語が話せるおかげで、外人の固定客を持っているのです。
スリランカでの生活では正直言って「スリランカ英語」に少し慣れることができました。スリランカの人達は独特の発音、イントネーションが特徴です。でも、インドに来て見るといろいろな英語に出会うというのが正直な感想です。
スリランカ英語と同じような英語から、すごく上品な英国式の英語、そして少し巻き舌のアメリカ式、そしてシンガポール英語に代表される東南アジア英語です。そして、ここが大事なのですが、色々な英語を話す人々の間で、当然意思疎通は図られていますが、インドの人達は、より洗練された英語を話せるようになりたいと考えているらしいことです。
人間関係はとても複雑です、特に根深いカースト制度を持つインドでは、特に気を使うみたいです。そればかりでなく、インドの人達はとても他人に気を使います。相手を考えた英語を大切にするのではないかと思われます。
正直いって、スリランカでは、周りの雰囲気もあって、あまり洗練された表現を勉強しませんでした。宿舎に帰れば、タミール語、シンハラ語の達者なメイドとお互いにブロークンな英語で話していたのでした。
ただ意思疎通だけの手段ではない、もう少し次元の違うコミュニケーション手段として考えてみる必要がありそうです。インドに来て見て、自分の英語をもう少しブラシュアップしないとまずいなと思い始めました。
一方、今後のインドのことを考えると、少し分からないことがあります。それは「アメリカ」の存在が大きいということです。アメリカのITの大企業がインドに進出していますし、インド人がアメリカでMBAをとって帰ってくる例は相当多いようです。
インドでまで「アメリカ式英語」を聞きたくない感じがします。イギリス植民地時代の古い建物が沢山残る「ムンバイ」において、綺麗なブリティッシュイングリッシュを話す人の数が増えていく事を期待したいです。
| 2004年07月27日(火) |
バンガロール出張、バンガロールクラブ |
日帰りでインド南部の「バンガロール」に行ってきました。目的はバンガロールに住んでいるITコンサルタントの「T」さんに会うためです。バンガロールはインドのシリコンヴァレーとも呼ばれていて、ITカンパニーが集積しているのです。
Tさんは元々薬品関係の仕事についていて、その後IT関係のコンサルタントを始めた方で、急成長するインドIT産業の中で活躍しているのです。伝統のある財閥の力が強いことに加えて、欧米企業の進出が著しく、またアメリカで勉強してきた若い技術者が「ベンチャー」を立ち上げるというように、インドには様々なプレイヤーがいるのです。インドのビジネスを考えるのは、まず人と合うことが大切だと思っています。
さて、ムンバイ−バンガロール間の飛行機便ですが、「JetAirways」という飛行機会社が頻繁に飛んでいます。今回の日程は以下のとおりでした。
ムンバイ (10時20分)−バンガロール(11時55分) 9W443便 バンガロール(22時30分)−ムンバイ (0時5分) 9W9442便
ムンバイは、デリーとバンガロールという日系企業の集中している都市へのアクセスがよく、日帰出張が可能なことを体験しました。出入国審査がないので飛行場に30分前に着いていれば飛行に乗れるのです。ホテルを8時に出ると、9時過ぎにはムンバイのサンタクルズという国内線の空港に着きました。
ムンバイの空港は市内からかなり離れているので、市内からどれくらい時間がかかるのか把握しておく必要があります。「モンスーン」時期で雨が降っていることに加え、丁度学校への通学時間のため、途中の道は大変混雑していました。
なぜ通学時間帯に混雑するかというと、有名な私立学校には子供を車で送っている親が多いし、それほど裕福でない親達は、グループでバンを雇って子供を学校まで送るのです。有名学校の前は車が集中することになるのです。なぜ、私立の有名学校が良いかというと、低学年からキチンとした「英語」を教育するからだそうです。貧しい人達でも英語が出来れば職に見つけるチャンスが増えるし、流暢な英語が出来ることは自慢のひとつでもあるのです。
バンガロールでは、ニューデリーから日本に帰る途中の「M」さんと合流しました。実は「M」さんの紹介でITコンサルタント氏と面会することになったのです。オベロイホテルでゆっくり昼食を取ったのですが、「M」さんといろいろ話すことができました。
びっくりしたことに、「M」さんは私と同郷で長野県出身だったのです。私が長野の上田に勤務していた当時、「M」さん諏訪にいたそうです。そのころどこかであってりるかも知れません。「M」さんはその後ロンドンに勤務されました。「M」さんが大の音楽好きということも知りました。非常にうらやましいことに、「M」さんロンドンを基点にして、ヨーロッパの有名な音楽祭やコンサートに出かけたのだそうです。そういうことは、スリランカでは経験できません。インドでも無理でしょう。
さて、ITコンサルタント「T」さんのオフィスにお邪魔してお話を伺った後、すぐ近くの「バンガロールクラブ」というところに立ち寄り、Tさんの自宅で夕食をご馳走になりました。
「バンガロールクラブ」はイギリス統治時代の1864年創立といいますから、140年前の建物です。非常に立派です。インドの人達はイギリス人の良いところはキチンと真似して大事にしています。丁度この日、クリケットアジアカップのインド対パキスタンが行われていて、どこのテレビも人だかりでした。
このクラブにはプールやテニスコートや子供の遊び場があって、夕方でも家族連れで賑わっていました。もちろレストラン、バーやちょっとした集会室がたくさんあるようです。
このクラブの「名物」は若き日のチャーチルが騎兵隊員としてバンガロールに居て、彼の未払いの請求書(1901年)が残っているということです。その請求書は最近償却されたのだそうです。
「T」さんの家は街の中のマンションでした。とても美味しいインド料理をいただきました。ムンバイ行きの最終飛行機は結構混んでいました。出発直前の機長の挨拶で、クリケットのインド−パキスタン戦でインドが勝利した旨アナウンスされ、機内は一時歓呼で多騒ぎになりました。その後離陸するとすぐに眠ってしまいました。
先週の木曜日に日本から発送した荷物が今日の午前中にムンバイの事務所に着きました。DHLにお願いしたのですが思いのほか順調でした。 因みに「DHL」は創業者3人の名前から取ったとのことです。「Adrian Dalsey, Larry Hillblom and Robert Lynn (D, H, and L)」
さて、荷物ですが開封された形跡はまったくありません。申告書だけですんなり届いたようです。スリランカでの経験上、外国からの箱に詰めた荷物は、必ず開封されて、何か無くなっていたり、あるいは増えていたりするのが普通だと思っていました。さすがに大国インドではそんなことをいちいちやってはいられないのでしょう。
ただし使ったダンボールの箱は大分傷んでいました。前回インドに来たときに、手荷物として同じ飛行機で運んだ「ダンボール箱」がぼろぼろになってしまったので、今回十分しっかりガムテープで梱包したのがよかったです。多分、飛行機の乗り換えがあって其の時に大分荒っぽく扱われるのだと思います。
とにかく日本から比較的手軽にしかも早く荷物が届くことが確認できて少しほっとしました。貴重品は運ぶのは難しいと思いますが。先週日本でお会いしたムンバイの会計士の「プラカシュ」さんにお会いしました。7月15日の知り合いの会計士二人とともに、日本の会社との打ち合わせのために二日間の滞在予定で来日されたのですが、打ち合わせ予定の日が一日延期されてしまい自由時間が出来たので、私はお友達ともども東京を案内したのでした。
東銀座のインド料理レストラン「ナイル」で昼食を取り、浅草の浅草寺を案内したのでした。その時の写真をファイルで持ってきたのでファイルで差し上げました。
「プラカシュ」さんはそのお礼にと「夕食でもいっしょに食べよう」「我が家に来ないか」と親切に誘ってくれました。しかし、そのお誘いに応えるはもう少し後ににしようと思います。
日本でのインド料理店での昼食で知ったのですが、彼等3人は「卵」も遠慮する完全は「ヴェジタリアン」なのです。もちろん「アルコール」は一切飲みません。「タバコ」も吸いません。
ついでに言うと、3人の中の一人の方は「ジャイナ教」の方で、「ヴェジタリアン」でも「地下で取れる野菜は食べないヴェジタリアン」なのです。つまり、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ニンニクなどは食べないのです。日本では、キャベツとピーマンの炒め物を作ってもらっていました。
その時に、私にはチキンカレーを勧めてくれたのですが、彼等3人の前では少し「遠慮がち」に食べざるを得ませんでした。彼等3人はとても気さくで、気の置けない人達なのです。しかし、こういう雰囲気にうまく馴染んで、上手に対処していくには、もう少し時間が必要だと思いました。
| 2004年07月25日(日) |
雨の日曜日、サイレントチェロ |
きょうの日曜日は一日中雨が降っていました。ホテルの部屋の温度は25度くらいでとても涼しいのです。日本は夏休み最初の日曜日で相変わらずの暑さであったようですね。
モンスーンの時期は観光客が減るので、航空運賃とかホテルの宿泊代が安くなるのです。でも雨では観光の楽しみは台無しになってしまうので、実際は観光の閑散期のようです。しかし、ホテルの前のマリンドライブは地元の人達で賑わっています。
観光客ではないですが雨に日曜日にホテルで何をするのか。今回はそうした対策に万全を期してきたのでした。それは「サイレントチェロ」です。実はヤマハが比較的安いタイプの「サイレントチェロ」を一年前くらい前に出したことを知って早速購入し、今回機内持込でムンバイまで持ってきたのです。
ヤマハの最新のサイレントチェロの「SVC50」は、これまでのタイプより小さく収納できるのです。チェロを演奏するための弦・指版はありますが、共鳴箱はありません。その代わりに、ハイポジションの演奏で左手で本物の感触を得るため、共鳴箱の一部が取り付けられています。さらに、共鳴箱の胸に当たる部分と、両足で支える部分が取り外しできる形で取り付けられるのです。
持ち運ぶ時には部品を全てはずしゴルフバックくらいの大きさになるのです。成田のカウンターではシンガポール航空の日本人の受け付けの方が、大分心配してくれました。まず、成田−シンガポールは何とかなっても、シンガポール−ムンバイ間は持ち込み禁止になるのでないか・・・等。
まず、シンガポールまではジャンボなのでOK。ファーストクラスの大きな収納戸棚に入れてくれました。さて、シンガポール−ムンバイのジャンボより少し小さい飛行機(747)ですが、これもOK。なにせ、普通のインド人乗客の荷物は大変な量なのです。普段からそういう客に慣れている空港職員は、すんなりOKしてくれました。
このサイレンとチェロの音は、電気的に増幅された音をヘッドホンで聞くことになっています。さすがに共鳴箱に共鳴する振動の快感はありませんが、それでも自分の発生させる音を増幅しているので、音の良し悪しは奏者次第と言うことになっています。
共鳴箱がなくとも、演奏するとそれなりの音がしますが、本物のチェロに弱音器をつけた音よりは小さい感じです。従って、夜の練習とか出先のホテルで練習するには持って来いです。
SVC50には「弓」は付属していません。従来の弓で済まそうかともおもったのですが、弓のないチェロ本体を置いておいても仕方がないので、奮発して「弓」も購入しました。アメリカ製のカーボンファイバー製です。カーボンファイバーは品質が安定しているし上部なのだそうです。随分進歩しているものです。
これによって雨の日曜日も完璧です。前の旅行の時にはシンガポールで「ヨーヨー」を買って来て、気分を紛らせていたのですが、今回は格段に気分がいいのです。これで美味しい日本食があったら文句が出ないのですが。
(追伸)ホテルの部屋でNHKの海外放送を見ることが出来ます。日曜の夕方「新撰組」をやるのかと楽しみしていると「経済最前線」をやっていて「新撰組」はなし。NHKは海外放送(無料版)の番組をもう少し改善すべきです。
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