金曜日からインドのムンバイ(旧ボンベイ)に来ています。これまで二回来ているのですが日記には詳しく書いてきませんでした。今回はちょっとだけ詳しく書きます。ムンバイに来ている理由は会社の事務所を立ち上げるためです。このことは会社が報道発表したので書いてもOKになったのです。
私の勤めている通信会社が、インドの国際・長距離通信会社(VNSL社といいます)と共同でインドでIP−VPNサービスを提供することになったのす。そして、日本とインドの連携をスムーズにするために連絡事務所を開くというわけです。
ただし事務所を開くといってもそう簡単にはいきません。4月中旬にインド政府に事務所開設の申し込みを済ませたのですが、7月20日にようやく許可が降りたのです。次の手順として、このインド政府発行の許可証をもってムンバイ市で登記する必要があるのです。今はこの段階です。
これまで、ムンバイには何の「足掛かり」もなかったものですから、ゼロから事務所を立ち上げることになります。さしあたり当座の事務所は確保出来ていてそこを拠点に登記の進捗チェックだとか、会計ルールの勉強だとか、銀行口座開設の準備をすることになります。この事務所はムンバイ市のオフィス街の「ナリマン・ポイント」というところにあります。
7月下旬のムンバイはモンスーンの最中です。今年のムンバイのモンスーンは雨が少ないのだそうです。インド東部の州では洪水で犠牲者が出ているところもありますが、西部では雨が少ないです。そして気温も高くないのです。日中でも30度そこそこ、夕方は30度を下回るのでとても涼しく感じます。今年の東京の夏は、こちらよりだいぶ厳しいです。
(ムンバイ情報) ムンバイ市内は三輪車の乗り入れ禁止されています。三輪車が町に入ると「交通渋滞」を起こすからです。その代わりに黒と黄色の古いフィアットの小型タクシーが町にあふれていいます。
このタクシーは基本的にはメータで走ります。外国人観光客に対してはメータを倒さずに走って、高い料金を請求するドライバーも多いのは事実ですが。メータ料金は初乗り(メータ:1)が13ルピー(33円くらい)です。今日はホテルから少し離れた本屋さんまで行きました。メータ「3.5」で50ルピーでした。
出かけた本屋さんの名前は「クロスワード」。綺麗な本屋さんで大変混雑していました。ここで、アルファベットで書かれたヒンディー語の辞書を探したのですが、残念ながらそういう本はないのだそうです。ヒンディー語はナーガリー文字で書かれますが、これは「文字」を覚えなければまったく読めないし、意味はわからないのです。一方、市内の道路標識とか、新聞紙上ではアルファベットで表記されたヒンディー語を多く使うのですが、これは「音」は想像がつくものの「意味」は分かりません。
でも、アルファベット表記の方が少しばかり容易に思えます。因みにベトナムのベトナム語は表記だけはアルファベットが基本です。単語の知識と文法を理解すれば読めそうな感じがします。
目当ての本がなかったので、子供向けの「インドの歴史」を買ってきました。前回来たときに気になっていた「劇画マハーバーラタ(全3巻)」ですが、売り切れて品切れだそうです。大変人気があるようです。8月に増刷されるそうなのでそのときに購入しようかと思います。
晩御飯は、ホテルに近いマリンドライブに面した「スーナ・マハール」というイタリア料理店で食べました。ここはピザとパスタ料理だけで、夜10時からジャズのライブがあるのだそうです。「タンドーリチキンの入ったペンネのナポリタン」(210ルピー)。Haywardsビール(1マグ)(65ルピー)でした。インド料理店に比べると少し割高です。
ホテルまでは「マリンドライブ」を歩いて帰りましたが、さすが土曜日の夜でカップルやら家族連れが繰り出していて、ものすごい人出でした。
| 2004年07月23日(金) |
初耳情報、周恩来暗殺未遂 |
シンガポールからムンバイに向かう飛行機で配られていた7月21日付けの「The Indian Express」の記事で面白いものがありました。
1955年4月11日に香港からインドネシアに向かったエアーインディアのチャーター機が上空で爆発事故を起こし飛行士等3人が助かったものの、残りの乗客・乗員16人が死亡した事故に関するものです。
この飛行機には、インドネシアのバンドンで開かれる予定のアジア・アフリカ会議に出席するため、中国と東ヨーロッパの代表団とマスコミ関係者がのっていたのでした。
今回中国政府が公表した機密文書の中で、この爆発事故は中国の「周恩来」を暗殺するためになされたものだということが明らかにされたそうです。
実際、「周恩来」はこの企みを事前に知って、この飛行機には乗らなかったのだそうです。「周恩来」は4月14日にインドのネルー等に会うために別の飛行機でラングーンに向かったのだそうです。
「周恩来」はこの企みを知りながら、チャーター便に乗った他の乗客には何も知らせなかったのだそうです。つまり他の乗客は「おとり」となったのだそうです。このことは、単に「周恩来」が冷たい人間だったとだけ解釈することは早計だと思います。暗殺者側に犠牲を払っても生き延びる「冷徹」な決意を示したといえるでしょう。
当時「周恩来」が毛沢東の専制の中で、またその取り巻きの間で繰り広げられた権力闘争の中で、生き延びることは大変なことだったと思います。
飛行機に関連した「殺害事件」は、一時期毛沢東の後継者と見られていた「林彪」の死亡事故(事件)が有名です。これはロシアに逃れようとして撃墜されたのだと記憶しています。もし「周恩来」も飛行機事故で亡くなっていたら、中国は飛行機暗殺で有名になっていたことでしょう。
先ほど23時頃無事ムンバイに到着しました。空港まで迎えにきてもらったホテルの運転手によると、これまでのところのムンバイのモンスーンは、雨が少ないのだそうです。夜の外気温は30度くらいでしょうか。日本の猛暑で鍛えられたので暑くは感じません。
ホテルに入ってチェックしたこと。 1、インターネットにダイヤルアップで接続したこと。 2、こちらで使う携帯電話(オレンジ)の通話時間残高を確認し、充電したこと。これから3週間こちらで仕事をします。
スリランカのインターネットニュースがちょっと心配な記事を載せていたので紹介します。
今年3月初旬に反政府組織LTTE内で北部勢力(プラバカラン氏)と東部勢力(カルラ氏)の内部抗争が起こり、ブラバカラン氏の掃討作戦にあって、カルラ氏は外国に逃れて姿を消していたのでした(タイ国に逃れていた模様)。
そして、7月7日にはコロンボで自爆テロがありました。これは反政府組織LTTEを離反したカルラ氏を、コロンボのタミール人団体が正式なタミール人の代表と認めようとしたこと対して行われたものでした。
11日のニュースは、そのカルラ氏が一ヶ月以内に政治活動を開始しようとしていると伝えています。カルラ氏はプラバカラン氏をインドでのラジヴ・ガンジー暗殺事件の首謀者として責任を追及するとともに、プラバカラン氏が和平交渉の裏での武器購入を進め、戦争を準備していると非難しているのです。
さらに同じ11日に、インド政府がプラバカラン氏のラジヴ・ガンジー暗殺事件に関与しているとして、スリランカ政府に求めている身柄引き渡し要求は今後とも撤回しないと改めて表明しました。
この一連の動き・報道で北部のプロバカラン氏の立場は非常に悪くなります。プラバカラン氏はタミール人の間では圧倒的な人気があります。彼が政府に対して抵抗運動を始めたのでした。そのプラバカラン氏は自分を裏切ったカルラ氏を絶対許さないでしょう。カルラ氏を狙ったテロを企てるでしょう。さらに、スリランカ政府がカルラ氏を擁護しようものなら、スリランカ政府との和平交渉は無に帰してしまうでしょう。
スリランカ政府内部には、この情勢をチャンスと見て、カルラ氏を支援してLTTE内部分裂を起こし、親政府的なリーダを擁立し一機に和平を実現させようと考える人達もいるはずです。しかし、この行動は非常に危険です。多くの血が流れることになります。
スリランカ政府特に大統領には慎重に行動してもらいたいです。
| 2004年07月08日(木) |
コロンボで自爆テロ発生、LTTE分裂 |
7月7日、スリランカの首都コロンボ市内の警察署で爆弾テロがあり、自爆テロの犯人と4人の警官が死亡、多くのけが人が出た模様です。自爆テロの犯人は、スリランカのタミール人政党の「EPDP」(Eelam People's Democratic Party)の党首の家の近くをうろついてたところを警察に見つかり、警察署で取り調べを受けようとしていたところで持っていた爆弾を爆発させたようです。
この事件の背景を少し説明しておきます。今年の3月上旬のことですが、スリランカの反政府タミール人組織のLTTE(もちろん非合法です)内で分裂事件がありました。LTTEの指導者「プラバカラン氏」が配下の有力な軍司令官(カルナ氏といいます)を突然解任したのでした。LTTEの指導部内に対立があったようです。
その後、プラバカラン側は、カルナ側を制圧しようと武力に訴え、カルナ氏は独自の抵抗組織を立ち上げようとしたのですが、プラバカラン氏側の弾圧でカルナ氏結局国外に逃れたようでした。
この間、スリランカでは4月に総選挙が実施され、和平交渉を推進してきたUNP政権が破れ、クマラトゥンガ大統領率いるPA政権が樹立されたのでした。コロンボのスリランカ政府はLTTE内紛に対して中立を表明していたのですが、政府軍がLTTEの反乱分子を陰ながら支援してきたのは事実のようです。
南部のタミール人社会における穏健な人達は、選挙において合法的な代表者を選出し民族問題を解決しようとしています。そのひとつが「EPDP」という組織でした。この政党は今回の選挙で全得票数の0.3%を獲得して国会に「1議席」を確保しました。
実は、この「EPDP」がタミール人の非合法組織のLTTEの内紛を解決しようと、「プラバカラン」「カルナ」氏の仲を取り持とうと画策したのです。これが7月6日のことです。インターネットに配信された記事です。実のところ、そんなに簡単に収まるはずがないと思っていました。
July 06, Colombo: The EPDP, which has openly agreed to give its fullest cooperation to former LTTE eastern commander Karuna to join mainstream politics, has invited LTTE leader V. Prabhakaran to also take the democratic path, giving up military action.
こうした動きがあった翌日の爆弾テロということです。プラバカラン氏サイドが裏切り者を一人前に扱おうとした「EPDP」を攻撃したというのが真相のようです。いずれにしろ和平交渉当事者が誰なのかが不安定な状況(政府側もLTTE側も)では、和平はまだ遠い感じです。残念です。
もう7月です。梅雨が明けていないはずなのにとても暑い日でした。近くの木が茂っているお屋敷の近くを通ったのですが、もう「セミ」が鳴いていました。セミも勘違いするほどの暑さの連続です。
記録1.「焼酎」 今日焼酎が飲みたくて近くの森田商店まで自転車で買いに出かけました。日本酒が豊富なので良く買うのですが、今日は焼酎です。先月、職場の上司の送別会が麻布で行われ私も参加してきました。そこで出された「赤ワイン」(オーストラリア産で銘柄は忘れました)も美味しかったのですが、ワインの横にならんだ出された焼酎「朝日」の水割りがとても美味しかったのです。店の人が丹念の水とかき混ぜて「水割り」を作ってくれたのが印象的でした。
ということで、最近「焼酎」の品揃えも充実している「森田商店」に行ってみたのです。しかし、残念ながら「朝日」は最近入荷しないのだそうです。とても人気が出ているのだそうです。「朝日」の代わりに同じ「黒糖」焼酎の「弥生」を推薦してもらい買ってきました。
「黒糖」(さとうきび)焼酎は、酒税法で奄美群島だけで製造することが認められているのだそうです。奄美群島がアメリカから返還されたとき、奄美の主要農産物である黒糖(サトウキビ)で焼酎を造り飲んでいた実績が評価されてのことだそうです。非常に口当たりが良いので、本当に「飲みすぎ」に注意しなければなりません。しばらくはまりそうです。
記録2.「歌手」 いま、ソプラノ歌手「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ」にはまっています。残念ながらCDがあまり出ていないのです。それでも復刻された昔のCDを捜しだしました。ロシア歌曲の一枚と韓国製のオペラアリア集を買い求めました。
「ヴィシネフスカヤ」は名チェリスト「ロストロポーヴィッチ」の奥様として有名です。夫妻は1975年(たぶん)に、ソビエト当局の弾圧に耐えかねて西側に亡命したのでした。当時ソルジェニチンを支援していて弾圧されていたようです。
旧ソビエトの演奏家というと、ムラビンスキー、リヒテル、オイストラッフ、ロストロポービッチ等が有名です。西側の音楽家を凌駕するようなとてつもない名人ぞろいなのです。今回、さらにヴィシネフスカヤという名歌手を知りました。ヴィシネフスカヤは20台半ば(1960年台初め)でボリショイオペラの主役に抜擢されています。そのころの録音を聞いたのですが「美しく、そして強い」のです。
1960年代は「キューバ危機」の後、フルシチョフが失脚してブレジネフ体制が確立された時代で、1961年にはガガーリンが宇宙飛行に成功した年でもあります。冷戦構造の中でソビエトの国家の威信をかけた芸術活動であったのでしょうが、しかし、芸術家にとっては「演奏」がすべてです。すばらしい演奏です。
| 2004年06月22日(火) |
少しずつ懸案が片付いています。 |
一月にスリランカから帰国して家の関係で少しずつ懸案が片付いてきました。これからしなければならないことも含めて少し整理してきます。
1.実家の母をマンションに呼ぶにあたって、北側の部屋の冬の防寒・結露対策をすること。これは、北側・西側の窓の二重化をすませました。インターネットで二重窓のことを調べ、業者を探して、マンションの理事会に工事実施の依頼をして、ようやく終了したのでした。東側の扉はガラスを替えなければなりません。これはマンションの住民総会の了承が必要なのだそうです。これはお預け。
2.この作業に並行して、5月の連休を利用して母を長野から連れてきました。母は最初は都会の生活と、我が家のルールの馴染めないところがあったようですが、ようやくペースが慣れてきたようです。先週の土曜日に長野実家の様子を見に日帰りで帰ってきました。車だと「さいたま−須坂間」が3時間半です。誰も住んでいない家は、庭の木やら、防犯やら結構心配ごとが多いのです。
3.妻の実家も同じ須坂市にあるのですが、こちらは大仕事になりそうです。亡くなった義父が病院に入院したときから、あまり手が付いていないのです。庭はジャングルといってもいいくらい、草・木が生え放題です。それにしても、面倒見なければならない広い家(さいたまのマンションに比べてですが)が、田舎に二軒もあるのは、贅沢といえば贅沢な話です。
4.娘は高校3年で来年受験です。息子は大学4年で将来の人生の方向を決める時期です。こればかりは、私にはどうしようもありません。
5.私の身の回りのこと。(まだはっきり書けません)
先月末インドから帰国して、なんとなく忙しくて日記を更新しませんでした。少しまとめて記録しておきます。
9日:パスポートサイズの写真が必要なので、家でデジカメで撮影して、ファイルを持って会社近くの写真屋さんにいきました。そこでは、持込ファイルによるパスポートサイズの現像は一枚300円。4枚で1200円です。一方、そこの写真屋さんにデジカメで撮影してもらうと4枚で1050円。写真屋さで撮るほうがファイルを持ち込むより安いのです。手間がかかって安いというのは、なにかおかしいなと思いました。
さらに、家に帰ると妻が冷蔵庫の前で元気がないのです。病気かなと心配したのですが、問題は冷蔵庫でした。冷えなくて、冷凍庫に保存してあるものが皆解けてしまったのです。ボーナス前ですが、金が出て行く案件が続きます。もう一つは、奥の部屋の二重窓工事です。13日の日曜日にようやく工事できることになりました。
7日:私の4?歳の誕生日。会社の帰りに武蔵浦和駅高架下の酒屋さんに誕生日記念に日本酒を買いに行ったのですが、既に閉店(移転?)していました。一ヶ月くらい前、この店に「出羽桜」が大量に入荷していたので、久しぶりに「出羽桜」にしようかと電車の中で考えていたのに。幻の出羽桜になってしまいました。
今日シンガポール経由で帰国しました。朝、シンガポールで日本行きに乗り換えました。午前0時35分のムンバイ出発から通算すると、飛行機での移動時間は11時間くらいでしょうか。ムンバイからシンガポールまでの便はほぼ満席。インド人が多くて子供連れも結構いて賑やかな便です。
これに比べてシンガポールから成田までの便は空席が目立ちました。この路線は日航、全日空も都合の良い時間帯で飛んでいるので、そっちがメインになってしまうのかしら。ところで今日驚いたのは、成田着陸時のシンガポール航空便の減速の仕方です。着陸は午後5時2分。着陸後すぐに急ブレーキがかかったのは、短い滑走路を使ったからではないでしょうか。ものすごい衝撃でした。長い滑走路は使えない時間帯なのかしら。そしてその後、飛行機は延々と自走したのです。飛行機が止まったのは5時25分ごろでした。それも建物から遠い滑走路の隅っこに止まったと思うと、タラップ自動車が近づいてきました。そして、タラップの下にはバスが迎えにきました。重い荷物をもってタラップを降りるのは大変です。これから雨が降ったらどうするのかしら。成田空港では海外の航空会社の扱いは良くないのかしら。
ところで、飛行機が誘導路を延々と自走している間、窓からは「滑走近くの畑」やら、それを厳しく囲うフェンスやら見えました。これが空港建設反対派の人たちの畑なのだとわかりました。そこが誘導路に使えればもっと便利なるようなところに畑がありました。成田空港が都心から遠くアクセスが悪いことが仕方ないにしろ、成田空港の滑走路で延々20分以上、飛行機が自走するのはあきれてしまいました。シンガポール航空の女性アテンダントはす済まなそうにしていましたが、これは日本の方が悪いのだと思いました。
テレビの天気予報を見ていると「モンスーン」が近づいているようです。インド南部ケララ地方からタミールナドのチェンナイ付近まで、幅広いモンスーンの帯に覆われています。モンスーンは台風のような個別の低気圧ではなくて、湿気を多く含んだ帯状の気団のようです。インド南部にモンスーンが上陸してから、ムンバイに達するまで焼く10日なのだそうです。今日の新聞では6月6日ごろモンスーンが到着すると予想しています。新聞・テレビで一生懸命報道するところをみると、余程厄介者のようです。
別の報道ですが「エヴェレストを早く登る記録」が破られたのだそうです。ネパールの26歳のシェルパ「ペンバ・ドルージ」さんと言う方が、これまでの記録を2時間あまり短縮して「8時間10分」で頂上にたどり着きました。最近の記録は、すでに使われたロープや道筋を利用するので、どんどん短縮されているのだそうです。普通の登山隊は2週間から3週間かけて登るのだそうです。
午後泊まっているホテルから少し離れた本屋さんに行って見ました。ケンペスコーナにある「クロスワード」という書店です。非常にお洒落で洋書を沢山売っています。英語が普通に通じる国なので英語の本があって当たり前ですが。インドで印刷されたペーパバックの小説が山ほど売っています。捜しに行ったのは「インドの法律・税制度」の本だったのですが、そういう本は置いていないのです。アメリカのビジネス書は豊富なのに。
折角なので、興味のあるインドの本、特に「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」を捜してみました。日本ではインドの古典文学として非常に硬苦しく翻訳されいる場合が多いのですが、インドでは誰でも知っている物語なので、子供向けの本があるのではないかと思ったからです。案の定、非常に小さい子供用から、少し成長した子供用など、様々な種類の絵本となったものがありました。絵の綺麗な「ラーマーヤナ」の絵本(英語版です)をRs300で買ってきました。
面白ろそうなのは「劇画マハーバーラタ」の全3巻です。マハーバーラタは戦争の物語なので「劇画」にあっていると思われますが、さすがにこれは買いませんでした。
本屋さんのあった「ケンペスコーナー」ですが、この四つ角の近くに「タワーオブサイレンス」に通ずる通路がありました。町の繁華外の一角で非常に不釣合いですが、これもインドなのでしょう。
町に出たついでに安い運動靴を入手しました。これでホテルのフィットネスセンタで運動ができます。
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