KENの日記
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2004年04月05日(月) スリランカ大統領派が勝利?

先週金曜日行われたスリランカ総選挙の結果、大統領派の「Freedom Alliance」が105議席を獲得し、第一党になりました。しかし全議席数が225なので過半数には足りませんでした。

現首相が率いる「United National Party」は82議席にとどまりました。大統領は、これから少数党との連立を成し遂げ、自らの腹心の首班指名を狙っています。従って二年以上続いた「大統領」と「首相」のねじれ現象は解消されることになります。政府の意思決定はスムーズになるはずです。

全国の投票の状況でいうと、コロンボとかキャンディ都市部選挙区では、首相派UNPの得票率が高いのです。首相派は産業界に根強い人気があります。一方、大統領派は地方部で票を伸ばしました。首相の経済運営に不満な貧しい人達の票を集めたようです。

経済運営で言うと、大統領派はやや左派的な政策を標榜しています。つまり自由化・民営中心ではなく、政府の関与を残し、地方経済の復興を目指します。首相は政府の役割重視から民営移行政策を推し進めました。結果として経済のマクロ指標はいいものの、地方と都市部の格差が拡大したとされます。

しかし、政府の産業への関与を大きくすることは、財政赤字の増大、非効率な企業運営に陥りやすく、長期的に経済発展を図るためには、慎重な経済運営が必要です。

反政府組織(LTTE)との和平について言うと、大統領派は安易な妥協はスリランカの主権を侵害するとして、こちらは右翼的な考え方です。大統領は首相の弱腰な交渉を非難していました。首相はというと、とにかくLTTEとの20年以上続いた内戦終結を最優先に取り組んできたのです。

さて、新しいスリランカの政権が、経済をどう運営していくのか、和平交渉をどのように進めていくのか。非常に気になります。



2004年04月04日(日) 吹奏楽演奏会(長女)

今日はとても寒かったのですが、長女が所属する高校の吹奏楽クラブの演奏会にいってきました。会場は学校の体育館。茗荷谷にあります。名前が長いので、お茶高ブラス演奏会と略していました。

とにかく体育館は寒かったです。ステージは小さいので観客席と同じでフロアの一部分をステージにしています。観客は70人くらいかしら。家族が多かったようです。

自分の学校の体育館での演奏会なので、準備が大変だったみたいです。体育館の窓に暗幕を張ったり、床にビニールシートを敷いて、観客用の椅子を運んだり、さらに、楽器を他校から借りてきたり。長女は準備に忙しかったようです。

すべての演奏を聴きましたが、よく頑張ったと思います。娘のクラリネットもだいぶ上達しました。やはり目的を持って練習すると違うと思いました。女子高校のブラスバンドですが、柔らかい音はもちろんきれいですが、強弱・メリハリも利いていて、清清しいものでした。

でも少ない人数(20人くらい)で、2時間の演奏会を開くのは少し無理があると思いました。合唱クラブも参加して「1曲」歌いましたが、もう少し合唱クラブに出番を譲って、ブラスバンドの演奏曲目を絞ったほうがよかったでしょう。

バンド人数が少ない・・・楽器間の人数がアンバランス・・・比較的音の小さい楽器の人達が無理をして大きな音を出すことになる・・・そのパートの音が崩れる。

という悪いパターンに陥りがちなのです。娘も最後の方は「バテ」ていたみたいです。しかしそういう無理も、若さでカバーしてしまうところがあって、私も記憶がありますが、若さの特権です。

だいぶ入れ込んでいたので、少し身体を休めて欲しいものです。



2004年04月02日(金) 予防注射

近々インドを旅行するかもしれないので、安全のために今日予防注射をうってきました。ずっと前からお願いしている池袋サンシャイン60に入っている「林胃腸科クリニック」いきました。


今日お願いしたのは、破傷風、B型肝炎、A型肝炎の3種類。右肩、左肩、右のお尻です。破傷風(Tetanus)はこれまで、1997年5月、2001年10月、そして今日2004年4月です。本当はきちんと二回短期間に打って、一年後に一階追加すると5年くらい有効だそうです。


A型肝炎は1997年4月・5月。2001年10月。2004年4月。ほんとうは免疫ができているのかどうか検査すべきなのでしょうが、時間もないので追加で売ってもらいました。これは2年おきくらいに打つといいのだそうです。


B型肝炎は2001年10月以来の二回目。


そのほかに狂犬病の注射が必要なのだそうですが、今「狂犬病」予防注射は在庫がないのだそうです。入荷するのに一ヶ月位かかるそうです。自衛隊の皆様が打っていったのかもしれません。「狂犬病」は2年に一回打つといいのだそうです。(基礎免疫がある場合)私の場合は、どこでも「猫」に触る可能性があるので、この予防注射は大切です。


この他にアジアでは「マラリア」「デング熱」の感染が心配なのですが、これには有効な予防注射がありません。香取線香をしっかり焚くしかありません。とにかく、日本できることは備えていこうと思っています。



2004年04月01日(木) パソコン交換

今日は4月1日。退職した人がいたり、新入社員が入ってきたり、転勤があったりで職場は少しあわただしいです。通勤電車も満員に慣れていない人が多かったみたい。


1月にスリランカから帰ってきて、昔のありあわせのパソコンを使っていたのですが、退職された方が使っていた「少し新しい」パソコンに変えてもらいました。今度のパソコンはXPです。これまで使っていたパソコンは、ソフトの違いは大きな問題ではなかったですが、キーボードに「癖」がついていて、私が入力すると変換がうまくいかない場合が多く困っていたのです。


私が本来標準的な入力方法をとっていないのが問題なのですが、たとえば「ya」の入力「ta」の入力が不便だったのです。私はy:右、a:左、t:右、a:左で入力する癖がついています。これは、すべて左手入力可能です。前使ってい人は左で入力していたみたい。キーボードは長年の入力の結果、その入力に対応して少し歪んでしまっていたみたいなのです。(想像)


この文章は今日配布されたパソコンで入力しています。今度は快適に入力できます。パソコンのキーボードは結構使っている人に対応していまうのですね。もっとも入力時の力の入れ方にもよりますが。



2004年03月30日(火) スリランカ総選挙投票日間近

スリランカの総選挙投票日4月2日(金曜日)が迫ってきました。今回の選挙の始まりは、反政府勢力(LTTE)との和平プロセスの主導権争いから端を発した大統領の議会解散でした。大統領派・首相派のどちらが勝っても、政府側が一丸となる体制を作ることは難しいだろう懸念されます。


大統領派が負けても、依然として大統領は大統領権限を行使して、任期中一杯政府の方針に容喙するだろうし、JVPというマルクス主義の右翼集団と組んだ大統領派が勝ったら、右翼的な政府が成立して和平交渉そのものが進まない可能性があります。


更に選挙期間中に交渉相手のLTTEの分裂騒ぎが勃発し、選挙の結果に拘わらずに和平交渉そのものが分裂しかねない状況です。


ところでコロンボの友人によると、今回の選挙運動はそれ自体前回に比べると平穏と進んでいるようです。前回は敵対する政党どうしの小競り合いが頻発し、コロンボ市内でも投票日の直前になると外出禁止令がでました。今回の選挙運動期間中の抗争による死亡者は前回に比べて格段に少ないのだそうです。
それでも、今日30日バチカローラのタミール人候補者が殺害されたというニュースが流れました。これはLTTE分裂に伴う内部抗争の結果のようです。


選挙が平和裏に行われ国民の負託をうけた新政権が、和平交渉をキチンと進めていただきたい思います。



2004年03月28日(日) 気持ちの良い日曜日

久し振りに晴れた日曜日。午前中から暖かいので身体を動かしました。まず午前中は近くのプールで水泳。約45分かけて1000m強泳ぎました。ゆっくりゆっくりなので他人に迷惑がかかるため、プール午前中の部の最後の方に行きます。因みに午前中は9時〜12時までの3時間です。


その後、妻・長男と待ち合わせて昼飯、買物、花見に行きました。長女は知り合いの高校の吹奏楽団の演奏会を聞きに出かけました。武蔵浦和の駅付近には沢山のレストランがありますが、値段に驚くほどの開きがあります。昨年暮れにできた「ラーメンアカデミー」はラーメンでも高級ラーメン路線。駅ビルには以前から390円の美味しい博多ラーメンもあります。


スパゲッティ屋も何件もありますが当然美味しくて安いところに行きました。そこの店はいつも混んでいます。昼食はスパゲッティになりました。


武蔵浦和駅から、武蔵野線「中浦和駅」近くにある別所沼公園まで、小川に蓋をした小道があり、小道の両側に桜が植えられています。「浦和西南桜」とよばれています。そこの桜がほぼ満開で桜祭りをやっていました。家族連れの人達がゆっくり桜並木をあるいていました。


妻と二人で、西南桜を見ながら「別所沼公園」まで行ってきました。別所沼公園の桜の下も、花見客が花見の宴を楽しんでいました。世の中本当に平和で、素晴らしい時節だとおもいました。私にとっては2年ぶりの日本の春、花見です。いっせいに咲いた花がとても懐かしく、素晴らしく思えました。帰り道、マンションの直ぐ近くの木に「鶯」がとまっているのを妻が見つけました。



2004年03月24日(水) 花見シーズン

仕事の用事で九段のインド大使館までいってきました。都営地下鉄の神保町駅でおりて、九段坂を登り日本武道館を過ぎたところにインド大使館はあります。日本武道館には「日本大学卒業式」の看板が掲げられていて、袴を身に付けた女子学生を多く見かけました。武道館の周りの桜はまだチラホラ咲いている程度でした。


インド大使館が面しているのが皇居の堀に沿った道です。この道にそって多くの桜の木が植えられていました。インド大使館からの眺めは最高です。3月28日日曜日には、インド大使館でインド料理の販売が行われるそうです。多分花見客がどっと繰り出すでしょうから、いい商売になるのでしょう。インド料理をつまみつつ花見をするのもいいかもしれません。


実はスリランカから帰ってきて、一段落した後今インド案件に取り組んでいます。インド大使館でお会いしたインド人の方は随分厚着していて寒そうでした。



2004年03月21日(日) 桜開花

桜の開花が宣言されました。昨日・今日と冷え込んでいるので、開花のテンポは遅れる事になりそうです。今日、昼食のパンを買いに出たついでに、近くの浦和西南桜の桜をチェックに行ってきました。水路を蓋をした歩道の両側に桜が植えられていますが、開花した花をつけているのは、ほんの一部の木でした。もう少し暖かい日が必要です。でも開花を待ちかねている人達が、散歩していました。もう一週間かかりそうです。私にとっては2年ぶりの桜の開花なのでなにか「そわそわ」してしまいます。



2004年03月18日(木) 作戦進行中

今、さいたま市の我が家マンションの整備進行中です。今日は改装業者に来てもらって、北側の部屋の二重窓設置の実地調査をお願いしました。我が家の北側の部屋は、冷たい冬北風の吹きつけによって、部屋の窓・壁がひどく結露するのです。


このマンションに移って今年の5月で6年になりますが、これまでは毎冬の恒例行事で、窓にビニールのシート(プチプチシート)を取り付けて結露を軽減してきました。しかしそろそろ本格的に対策を取ることとしたのです。


というのも信州にひとりで住んでいる母が今年80歳になることから、そろそろ同居を考えた方がいいかなと考えているからです。信州の寒さは半端ではないし、今後の母の身体のことを考えて準備は早いほうがいいだろうと決めました。


幸い、母は「目が悪い」「血圧が安定しない」等の不便さと、健康の心配の種はあるものの暖かい時期は基本的には元気に暮らしているのです。マンションの狭さから、一部屋母に確保するためには、かなりの物量を整理しなければなりません。これまで、引越し引越しで手をつけなかったもの、着ない衣類などを整理してスペースを確保する必要があります。今日は少し衣類を整理したのですが、私の物、妻の物、子供達の物の古い衣類が大量にでてきました。来年結婚25周年なのですが、昔の衣類が出てくると懐かしいです。でも結構捨てています。


窓の二重化工事は基本的には、マンションの理事長の許可をえなければなりません。月末開かれる理事会に申請しようと思います。



2004年03月17日(水) 壮絶な仕事(上村勝彦さんの本)

今年1月に出版された「始まりはインドから」(上村勝彦)を読んでから、同じ著者の作品を少しずつ呼んでいます。というのも、「始まりはインドから」という本が、いわば著者「上村勝彦」さんの追悼出版の形をとっていて、奥様が「あとがき」を書いていて、上村さんは平成15年の1月に亡くなられたのでした。


上村さん最後の著書は「インド神話」でした。この本は「ちくま学芸文庫」から平成15年1月に出版されています。この本の「あとがき」は、平成14年10月に書かれています。そこから少し抜書きします。


「平成14年の1月から、拙訳「マハーバーラタ」(原典訳)が刊行され、11月にその第6巻が出る。この叙事詩の中には実に多くのヒンドゥー教の神々が登場するが、あまりにも膨大な書であるので、一々どのような神であるか解説する事ができなかった。そこで今、この「インド神話」を学芸文庫として出版することは、「マハーバーラタ」の原典訳を補うために大きな意義があると考える。・・・」「私は今、闘病生活を送っている。手術自体は無事すんだのだが、カテーテルを取る時に色々なトラブルが生じ、結局一度抜いた管を苦労して再び挿入し、三週間ほど待つ事になった。その間病院にずっといるのも気がめいるので、一時退院し、管を抜く日を自宅でひたすら待っている。その間に本書の初稿を呼んだ。・・・この書が出版される頃には、私の体調も良くなる事を期待している。」


さらに「あとがき追記」に、「その後カテーテルは無事に取れ、目下リハビリに励んでいる。マハーバーラタ第六巻も出版された。」と書かれています。この後、完成した本が1月8日に出版されました。著者上村さんは1月24日に亡くなったのでした。58歳だっとという事です。


上村さんの専門は「サンスクリット詩学」だそうですが、「始まりはインドから」を読んでみると、留学されたマドラスも、他のインドの土地も上村さんにはそれほど魅力的ではなかったみたいなのです。ただひたすら「サンスクリット文学」に没頭していたことが読み取れます。


「始まりはインドから」の本のカバーには、研究室の本棚をバックにした上村さんのカラー写真が載っています。ほんとうに人柄がそのまま現われている良い写真だと思います。マハーバーラタの最終巻の第7巻が出版されたのかどうか確認していません。このシリーズは「原典訳」なのです。とてつもなく大きな仕事を淡々と続けられた著者の「生き様」、家族の支えなど、色々考えさせてくれる本との出会いです。


なお、上村さんは「中村元さん」のお弟子さんといってもいいような方だということを知りました。「中村元」さん関連で、また素敵な人と出会うことができた感じがします。10年以上前、世田谷留学生会館に住んで、東大に通っていたタイ仏教僧の方と少し懇意になったのですが、出会いのきっかけ彼がサンスクリット単語を歩きながら勉強しているところに声をかけてからでした。彼の先生の先生が「中村元さん」だったのです。




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