KENの日記
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2004年03月11日(木) 梯 剛之さんのピアノコンサート

今日3月11日、「梯 剛之さん」のピアノコンサートに行ってきました。場所は南浦和のさいたま市文化センター。大ホールは7分程度の入りでした。

演奏曲目

モーツアルトピアノソナタ

第5番ト長調(K.283)
第10番ハ長調(K.330)
第12番ヘ長調(K.332)
第17番ニ長調(K.576)
アンコール
シューベルト 即興曲 作品90−2、3
リスト   コンソレーション第3番


プログラムはオールモーツアルト。それも愛らしい曲が3曲と、最後にしっかりした17番が置かれました。古い順に並べられました。アンコールはロマンチックな曲が並びました。


最初のト長調のソナタ冒頭から、「ピアノの音」がとても綺麗で優しいのです。いっしょに行った妻が最初から涙を貯めていました。一楽章は最初の部分こそ少し散漫気味でしたが途中からエンジン全開で、素晴らしい演奏でした。


個人的には、二曲目の10番ハ長調が一番凄いと思いました。ニ楽章がとくに好きなのですが、淡々とした中にも温かみがあって、適度な推進力があって、大感激の演奏でした。


12番ヘ長調は、予想外の推進力のある演奏でした。唯一のフラット系の曲なので、曲想の通りゆったり行くのかと思っていたのですが、両端楽章は非常に早く演奏されました。音も芯のあるしっかりしたものでした。


17番ニ長調は、曲想とおりのしっかりした演奏でした。交響曲の終楽章を聴いたような感じでした。こう考えてみると、12番ヘ長調はベートーベン以降の交響曲のスケルツオとして考えられたのかしら。それならイ短調でも良かったかも。


「梯さん」は小さいに視力を失っています。従ってステージに出てくる時、舞台袖に帰る時とも、袖から係りの人が出てきて手を貸します。アンコールで何度も呼び出したのは、少し酷だったような気もします。


一曲終わる毎に、そして、アンコールでステージに出てくる度毎に、深ぶかと正面・左右・正面とお辞儀をされました。こんな素晴らしい演奏を聞かせてもらって、あんなに丁寧なお辞儀をされると、聞いているほうが変な気持ちになります。できたら、こちらからお礼を言いたいと思いました。拍手だけしか表現する手段を持たないことが寂しかったです。


梯さんはまだ20代の若さです。大変な苦しみを経験し、努力されて来たのだと思います。それが伝わってくる音ですし、それが現れたモーツアルトでした。10年後、20年後のモーツアルトを聞いてみたいと思いました。ご本人はロマンチックな曲が弾きたいのか、アンコールはロマン派ばかりでした。それも素敵です。



2004年03月08日(月) 引越し荷物がすっきりしました。

先週、インターネットでベランダの物置と背の高い本棚を注文し、届いた品物を週末に組み立てました。


なにしろ床面積が限られているマンションですから、限られたスペースを最大活用しなければ勿体ないです。ベランダ物置はデッドスペースだったベランダの有効活用。このマンションは無理して全ての部屋に窓を設置しているのです。そして全ての部屋にベランダもあるという非常に凝った設計なのです。その分、住める屋内の面積は減っているのです。従って、このベランダの活用が非常に大切なのです。


またスチールの本棚ですが、これまでは昔から使っている比較的低いスチール本棚二つを廊下に並べていました。廊下は狭くなるのですが、所詮通路ですからかまいません。この古い本棚を背の高い本棚に切り替えたのです。沢山の本
を収容できるし、見栄えが良くなりました。


この二つの家具を活用して、コロンボから持って帰った私の荷物が見事に整理されました。荷物を広げて骨董屋さんみたいになっていた奥の部屋が使えるようになりました。ここが私のチェロ練習部屋だったのです。ようやくチェロの練習が出来るようになりました。


今年大学四年になる長男がすんなり就職してくれて、ひとり立ちして部屋を開けてくれれば、もっとすっきりします。今から楽しみです。



2004年03月07日(日) マハマハムタンクの水浴び

インド・タミールナドゥ州のクンバコナムの祭「マハマハムタンクの水浴び」が6日最高潮を迎えたようです。インドの新聞「The Hindu」で報道されていました。


今回の沐浴の時間は「3月6日の10時30分から11時30分まで」だったそうです。この時間にクンバコナムのシヴァ寺院からシヴァ神像が運ばれてきて、沐浴したのだそうです。シヴァ神と同時に沐浴しようと考えた人達が10万だったそうです。


何しろ12年に1度しかやってこない貴重なチャンスですし、この時にマハマハムタンクで水浴びすると、有名なガンジス川で3回水浴びする価値に匹敵するというのですから、インド全土から人々が押し寄せたみたいです。


この日だけでも110万人が水に入ったとのこと。祭りの期間の10日間を通して260万人が水浴びしたということです。一日110万人というと、昼間12時間の間に平均30分間水に入ると想定すると、常に5万人くらいの人がが水に浸かっていることになります。とてつもない数です。



2004年03月06日(土) スリランカ和平の危機(LTTE分裂?)

3月3日の日記で、スリランカ総選挙に多くの仏教僧侶が立候補していることを書きましたが、実はスリランカ和平の進展の上でもう一つ大変心配な事件がおこりました。


それはスリランカ反政府組織(LTTE)の中で仲間割れが発生しているようなのです。LTTEの支配地域は、スリランカ北東部なのですが、北部・東部に中心部隊が置かれています。北部の中心都市はキリノッチ、東部の中心都市はトリンコマーレです。どうもその部隊の間で揉め事があったようです。


3月6日LTTEのトップは、東部のバチカローラ・アンパラ地区の司令長官を解任しました。この司令長官はLTTEを離脱して、別に政府と和平交渉を始めようとしたのだそうです。


一方の当事者の政府側が「大統領」と「首相側」に分裂して、交渉が中断しているのですが、LTTE側まで分裂してしまっては、交渉の行方は非常に心配です。是非とも早く収拾して欲しいものです。


3月7日の報道によると、東部部隊の司令長官は、LTTE本部に拘束されているようです。この司令長官はLTTE内の処遇面で、東部出身者が冷遇されていることに不満を表明していたようです。この将校に指導されていた東部の軍隊は、この司令長官に従って行動する旨を表明しています。


この将校の身の上に何か起こったら、それこそLTTEの内部の抗争に発展しかねない状況です。



2004年03月04日(木) マハマハムタンクの祭り

インド南部タミールナドゥ州のクンバコナムという町の「マハマハム祭り」が始まっています。この祭りは12年に一度行われるもので、インド全土から数十万人のヒンズー教徒が「聖なる沐浴」をするために、マハマハムタンクにやってくるのです。


この貯水池に関しては以下のページにも書いてあります。昨年暮れにインドに行ったときに、清掃中のマハマハム(マハマガム)タンクを見てきました。
http://www3.ocn.ne.jp/~yes.sato/India5.htm


「聖なる沐浴」は2004年3月6日にクライマックスを迎えます。正確に言うと午前10時30分から12時10分までだそうです。この日の10日前から祭りが始まり、既に多くの信者が沐浴しているのだそうです。一日約15万人が沐浴するのだそうです。


このマハマハムタンクは非常に「洗浄能力」のあるタンクのようです。「ガンジス、ヤムナ、コーヴェリ」などの聖なる9河川に、多くのヒンズー教徒が訪れて沐浴し、「罪」を洗い流すのですが、その罪がそれぞれの川に堆積してしまい「川の神達」がシヴァ神に助けを求めたのだそうです。


シヴァ神は「川の神達」にタミール月「Masi」で、しかも太陽、月等が特別な位置に来る日(この日は12年に1度だそうです)にマハマハムタンクで罪を洗い流すように教えたのだそうです。つまり「聖なる川」を清浄化するというのです。なんでもこの時にマハマハムタンクで沐浴すると、ガンジス川に3回沐浴することと同じ効果があるということです。従って全国から信者が訪れるというわけです。


この大イベント備えて、色々な措置が取られています。昨年暮れから池の大掃除が行われました。また、警察はテロを警戒して警備を強化しています。いまでもインドではイスラム教の人々とヒンズー教の人々はしっくりいっていません。


鉄道省は新たに二年前から取り掛かっている鉄道の広軌化を一部終了し、クンバコナムまで主要都市からの臨時列車を走らせ、参拝客を輸送するそうです。クンバコナムの衛星当局は、マハマハムタンクの水の衛生管理を強化します。一日に15万人以上沐浴するので、水の衛生問題は深刻です。河川なら流れていくのですが、タンクの水は流れませんから人工的に消毒しなければなりません。知らないことが沢山あるものです。



2004年03月03日(水) スリランカの選挙の心配な点

4月2日の投票に向けて、選挙運動が非常に活発なスリランカなのですが、ニュースで非常に心配なことを知りました。スリランカの選挙には暴力が付き物なので、殺人事件があったりするのにはそれほど驚かないのですが。


今回の総選挙に仏教の僧侶の方250人以上立候補しているのだそうです。この僧侶の方たちは、これまでの政治家の政治の進め方に不満で、さらに仏教以外の宗教の広がりにも懸念をもって、立候補したのです。


実は昨年暮れくらいから、過激な仏教僧侶のキリスト教会破壊のような蛮行もちらほら聞こえてきていたのでした。仏教界の別のグループからは政治に進出することは批判されています。しかし一部の僧侶は非常に過激です。


スリランカの「憲法」では仏教に「基づく」政治を行う旨が定められていて、政治と仏教は切り離せないのですが、政治と宗教のケジメをきちんとしないと非常に危険な感じがします。


おりしも、イラクのイスラム教の重要な行事の日に、シーア派とスンニー派の対立も一つの原因と見られるテロがあり、150人以上の死者がでました。オームのことを引き合いに出すと、行き過ぎですが、宗教には一つ間違うととんでもないものになってしまう危険性があると思います。



2004年03月02日(火) 信州へ

今日母と一緒に長野県の実家に行ってきました。母は昨年の12月22日に小田原の弟の家に来て、冬の寒さを凌いでいたのです。二年位前までは信州の一番寒いときは、埼玉の私のマンションに数週間来たことがあったのですが、こんなに長く冬を過ごしたのは初めてです。母は今年80歳なのでだんだん冬が辛くなってのです。


さてJR小田原駅で弟の奥さんに東海道新幹線に乗せてもらい、何号車に乗ったのかは携帯電話で知らせてもらって、私が東京駅の東海道新幹線到着ホームで出迎えました。


東京駅で長野新幹線に乗り換えると、長野まではは1時間30分です。便利になりました。実は東京駅から大宮駅まで30分かかるので、私の埼玉のマンションからだともっと便利なのです。実家は新幹線終点の長野から「長野電鉄」線で須坂までいくのですが。


長野でお世話になっている親戚と、実家の隣の「Wさん」にご挨拶してきました。この方達は高齢で一人暮らしの母を色々心配してくれていたのです。二ヶ月以上実家から離れていた母はさすがに安心て落ち着いたようです。寒いですが、住み慣れた家はやはりいいみたいです。急に活発に動き出すのが不思議です。



2004年02月29日(日) インターネット買物

スリランカから送った荷物がまだ整理がついていません。狭いマンションの一部屋を占領してしまっています。少しずつ入らない物をすてています。勿論スリランカからはるばる到着した荷物でも不要な物はその対象です。


それでも整理がつかないので、以前から考えていたベランダ物置を購入することにしました。昨日の土曜日にベランダ二箇所の寸法を測って、与野にある「Doit」に見に行ってきました。外に見本がおいてあり、幾つか見ましたが、今ひとつ現実感がわかないので、決めませんでした。


今日はインターネットで「物置」販売店のページを見て周り、適当なものがあったので注文しました。


こういう買物はインターネット買物が格段に便利です。色々なメーカのサイトにいって、比べる事ができます。また詳細な仕様を知る事ができます。実際の店舗に見に行くとすると、何件も回らなければなりません。支払いは銀行振り込みにして、日曜ですが手続きを完了しました。後は配送を待つだけ。便利になったものです。



2004年02月22日(日) 幸運な出会い。

今日、川越市に住んでいる「M」さんにお会いするために、川越のMさんの自宅までいってきました。さて「M」さんですが、こういう関係を夏目漱石ならどのように表現するか。私の説明で分かるかどうか。


「M」さんのお兄さんは、お医者さんでドイツに長く住んでいたのです。そのお兄さんには二人の子供がいるのですが、お二人ともドイツで生まれ、ドイツで育ったので日本語は全く分からないそうです。このお兄さんは昨年の夏亡くなられたのでした。


スリランカのコロンボでお世話になった「Dr.シーバラトナム」はかつて国際赤十字の勤めていて、実はケルンに勤務していたときに、このドイツ在住の日本人医師と非常に懇意になったのだそうです。これは随分昔の話しだそうで、約40年位前だそうです。同じ東洋人だったことがそうさせたのかもしれません。


その関係で、「Dr.シーバラトナム」は35年ほど前に日本にきて、「M」さんの実家にお世話になったのだそうです。「お兄さん」はドイツいる時で、DR.はひとりやってきたのだそうです。それをお世話したのが、妹の「M」さん。当時は独身で学校の美術の先生をしていたそうです。専門は彫刻だったとか。


一方、DR.には二人の娘さんがいて、一人はドイツで医者をしているのです。このお嬢さんの関係を通じても、Mさんの「お兄さん」とDR.は繋がっています。その関係で、「お兄さん」の長男の「Ken」さんとも、DR.は知り合いなのです。


さて、「M」さんの実家は日暮里にあるのです。そこの土地・建物の財産は「M」さんのお兄さんが相続したのだそうです。ところが、その「おにいさん」が長らくドイツに住んでいて、昨年亡くなった。ここで発生したのが、「日暮里」の財産の相続問題。


相続する人達はドイツに住んでいて、日本語は全く分からない。多分ドイツにも相続すべき財産はあるでしょう。日本の財産相続の手続きをどうするのか。「Ken」さんは、DR.に相談したようです。Dr.は法律のDr.ですから。Dr.は日本に帰ることにになった「私」に相談したというもの。


「M」さんは、今彫刻に加えて、版画もやっています。素晴らしい作品を飾ったお部屋で二時間くらいお話しをしました。全く初対面なのに不思議に色々な話しをしました。これも素晴らしい「Dr.」のおかげです。


「M」さんの問題は難しいです。難しいことが沢山あります。日本の相続手続きをドイツの「Ken」さんに教えなければなりません。またドイツ語で書かれた相続に関する書類(死亡届とか戸籍の書類とか)を、日本語に訳さなければなりません。しかも然るべき公証できる人でなくては意味がありません。これは大変な作業です。私も出来るところ(あまりないですが)はお手伝いしようと思っています。



2004年02月20日(金) 引越し荷物到着

今日、ようやくスリランカから引越し荷物が到着しました。確かコロンボでは1月中旬に船が出ているはずでしたので、一ヶ月以上かかっています。今週の火曜日17日に横浜港に船が着き、税関の検査を済ませて、今日配達されたのです。


さて、一番心配だった「チェロ」ですが、無事でした。スリランカでは、ハードケースをダンボールでカバーして、さらに特性(?)の木の箱に入れてきてくれました。壊れないように大事に扱ってくれと言って置いた甲斐がありました。というのも一年前に知り合いがスリランカからチェロを日本に送った際に、胴体の共鳴板が割れていたそうなのです。


さらに、他の荷物、例えば「ウイスキー」とか「ワイン」のビンも無事でした。もちろん、梱包は開封されていて、中身が調べられていましたが。さて、この引越し荷物の整理が大変です。私がスリランカに行っていた間にも、さいたまのマンションでは荷物が増えているのです。主に妻のパソコン関係ですが。さらに、そこに私の荷物が純増となるのです。


最大の懸案は「本」。私の荷物が来る前でさえ、我が家の本棚は本であふれていたのです。どのように収納するか考えなくてはなりません。いらない本を捨てるのが先決です。さらに、スリランカでもらった「お土産」類もばかになりません。壁掛け類がたくさんあるのですが、マンションにはそんなに壁はないのです。また、私がスリランカで買い求めた「置物」。最大の「仏陀像」は会社に寄付してきたのですが、小振りの「像」は持ち帰りました。これらの梱包を解いてみると、部屋は骨董品屋さんみたいになってしまいました。「狭いマンション!そんなに買ってどこに置く。」今後も注意が必要です。


(P.S.)急遽仕事の打合せが3時から行われることになり、引越し荷物を広げたまま会社に出勤しました。




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