| 2004年01月06日(火) |
最後の仕事整理、自宅でお別れ会 |
今日は妻を連れて会社に行って職場の人達にお別れをしました。でも会社に行くとサインをすべき書類が溜まっていたり、相談事が持ち込まれたり。それをこなして、職場の人達一人づつに小さなケーキをプレゼントしました。全部で350個程度。これを離れた職場の人達にももって行ってもらいました。
これと並行して、昨年12月にマドライに行った際に買って来たパンジャビ用の生地を妻用のパンジャビに仕立てるために妻に採寸に行ってもらいました。今回は赤い生地を買ったのですが果たして、妻に喜んでもらえるかどうか。メードのシータにも安い生地を買って来たのでした。夜はご近所を招いてのお別れ会をしました。
呼んだ方々は、S航空のレオンさん夫妻と長男(丁度ロンドンの大学から帰ってきてたところでした)、C航空のラムさん夫妻とお子様(1歳)、E社のマークさん夫妻(モビテル社のGSMでお世話になりました)、それとC社のホーさん(SLTの料金システムでお世話になっています)。この方達は同じ宿舎に住んでいるので良く顔を合わせるのです。
今日のメインは手巻き寿司にしようと、妻に日本から「紫蘇の葉」を大量に持ってきてもらったのでした。「のり」は我が家に大量の蓄えがあったのです。しかし、何軒か回ったのですが「まぐろ」を手に入れることができなかったのです。仕方がないので違う料理にしようかと思っていたのです。メードのシータは得意のタンドーリチキンを大量に焼いて準備していました。
しかし、何と言う奇遇。レオンさんが、S航空のツテで新鮮な「まぐろ」を持ってきてくれたのでした。妻は早速「酢飯」をこしらえ、たっぷりの「わさび」と「のり」と「紫蘇の葉」で頂きました。これはとても美味しかったです。日本の味を喜んでもらえました。
レオンさんはマレーシア、ラムさんは香港、マークさんは台湾→オーストラリア、ホーさんはシンガポールから来ているのですが、奥様達も含めて中国語で話ができるのです。私達夫婦がいると英語で話してくれますが、彼等だけだととてつもなく早い中国語で話始めます。こうした中国系の方の底力は凄いものがあります。
コロンボでの単身赴任は、少し寂しい面もあったのですが、この隣人達とのお付き合いで、潤いを得る事ができたのでした。とても感謝しています。ありがとうございました。
今日の夜のスリランカ航空便で妻がコロンボに到着しました。妻は二回目。前回は2002年の8月の夏休みを利用してスリランカを案内したのでした。長男と長女の二人は結局スリランカに来ませんでした。この二人は生来の出不精なのです。上げ膳・据え膳で旅をセットしてやらないと、重い腰が上がらないのです。従って面倒くさいので呼ばなかったのです。もっとも大学生・高校生の時は私も友人やらクラブで忙しかったのは確かですが。
妻をコロンボに呼んだのは、もっとも丁寧な「お別れ」をするためです。日本ではいざ知らず、コロンボでは家族ぐるみでの付き合いは最上のお付き合いです。妻ともどもお別れをするのは、お世話になったこの国の人への感謝のしるし。明日から殆ど毎日、コロンボを連れ歩いて、お別れの挨拶回りをします。
今回、妻はスリランカ航空のモルジブ経由の便で来ました。冬のシンガポール経由便はSARSが心配だったし、こっちの方が安いのです。モルジブで日本人客を多く降ろして、1時間あまり休んでから、コロンボに来ました。13時間の飛行機の旅で少し疲れています。でも真冬の日本から、暑いコロンボに来たので、身体には楽なようでした。
昨日、引越しを済ませたのですが、部屋のビデオ機器からテープが出てきました。これは日本にもって帰らなければ。テープは「ウゴルスキの展覧会の絵」を収録したもの。私のお気に入りの一本です。
でも、この録音はあまりにも凄いので、コロンボの知り合いのピアニストにプレゼントしようかとも考えていたものでした。偶然引越しパックから漏れてしまったのも何かの縁。あす早速ダビングして、お礼のプレゼントにしようかと考えています。
それと、今日は「翻訳」の日本語草稿の読み返しをしました。スリランカ生活の最後の仕上げとして、個人的にある小説の「翻訳」に取り組んでいます。一人では心もとないので、海外生活の長い「IMAI」さんを引っ張り込んで、今翻訳中。海外に住んでいると、日本語の語彙が貧弱になるような気がします。もっとも元々それほど日本が得意かどうか、程度が知れていますが。帰国が決まったのですが、日本に帰ってからも、じっくり取り組もうと思っています。
日本への帰国のために今日三日、引越しの荷造りをしました。
予定では、今日9割方荷造りを終えて、8日にパスポートを業者に渡すと同時に追加の一箱(あればの話ですが)を出す。というのも、これから思いがけないプレゼントがもらうと困ってしまうからです。国内の引越しだと、最後の荷物忘れていて箪笥の隅から出てきたものなどは、車に積んでいけば良いのですが、飛行機で帰る場合にはそうはいきません。積み忘れた荷物で大きいものは、持って帰ることを諦めなければ成りません。
正月の引越しは20年ぶりです。それは、静岡県の清水市から名古屋市に引っ越した物でした。丁度その前年に長男が生まれて、妻の体調が戻らないまま正月を暖かい清水で過ごして、寒い名古屋に行ったのでした。もっとも妻は学生時代の4年間名古屋で過ごしいたので、名古屋に行く事にはそれほど違和感はなかったはず。
さて、今回は5日から最後の仕事の整理をして、銀行関係のお世話になった人などにも「お別れ」をして、11日夜の飛行機で日本に帰ります。日本では早速新しい仕事が待っているのでしょうが、まず2年間に及ぶスリランカ生活と日本の会社生活のギャップを埋めなくてはなりません。それと、日本は真冬ですから体調を崩さないようにしないとなりません。
今日会社のSLTの電話帳事業部の懇親パーティがあり、ついでの私の送別会もしてくれるというので、会社のバンガロー(コロンボの宿泊施設)に行って来ました。電話帳事業部も会社のバンガローも私がスリランカ着任早々から関わってきたので、とても感慨深いものがありました。
特に電話帳事業については、日本で私が電話帳事業に携わっていたこともあって、財務業務の傍ら日本の印刷会社と連絡を取り合い、SLT自前の発行にこぎ付けたのでした。印刷専門用語の飛び交う業界ですが、この仲を取り持つこと、つまり日本語の英語への翻訳、英語の日本語への翻訳業務は、今から考えると結構大変だったと思います。でも、そのお陰で日本に二回出張することができました。非常に忙しく気疲れする出張でしたが。今から思うと楽しい出来事でした。
日本の電話帳事業もそうなのですが、この商売は非常に興味深いものです。つまり、販売、販売促進、生産、配達といった一通りの商売の機能が揃っていることばかりでなく、メディア産業(電話番号という貴重な情報を出版することにより価値の創出)なのです。
これらの機能を適切に管理するノウハウは大変難しく、世界でも一握りの会社に独占されているのが現状なのです。かつて、そんな商売に首を突っ込んでいたので、そんなことは意にも介さないスリランカの人達の仕事の進め方には、非常に戸惑いを覚えました。戸惑っていても仕方がないので私としては最善を尽くしたつもりです。
あけましておめでとうございます。
年賀については、日本帰国してから、帰国報告も兼ねてご挨拶させてもらいます。新年早々引越し準備で忙しい一週間が始まりました。
さて、昨日一応任期が切れたのだけど、その事が社内に知らされていないので、いろいろな部署から正月セレモニーへの招待状を頂いてしまいました。お世話になった部署に行って、正月の食べ物を食べさせてもらって、新春の挨拶をし、お別れの挨拶をしてきました。
昨年の正月も書いたけど、外でも会社トップの挨拶はとても「暑い」のです。屋内はクーラーが聞いているので「涼しい」のだけれど、この時期の午前中は太陽がギラギラ照り付けて、とても厚い。話は短い方が歓迎されます。
さて、3日に荷物を出して、5日に妻を向かえて、11日に日本に帰るとなると結構忙しいです。会社の荷物を先ず整理して、引越し準備荷物に含める必要があります。というのも前任者から引き継いだ膨大な料の紙がそのままになっていたからです。いらないものはきちんと捨てていこうと思っています。
きょうは大晦日。私のスリランカテレコムとの出向契約は今日で終了し、来年早々帰国することになりました。引越しやら、仕事の整理やらで1月は10日間程度コロンボで過ごす予定です。したがって大晦日・新年を連続3回コロンボで過ごすことになります。
さて、引越しとなると結構やらなければならないことが多い。私の頭の整理のために下記に記しておきます。
1.引越業者手配(済み) 3日9時30分(土曜日)梱包開始。貴重品(チェロの梱包注意)。1月7日か8日に税関申請(パスポート)を提出。パスポートは3日位預ける予定。引越し荷物の一覧表を作成。保険付与のため。引越し荷物積み出し後に一週間くらい生活するので、その間必要な物を適量区別して分けておく。
2.残りの荷物の処分 日本に持ってかえっても使い得ない電化製品、こっちでそろえた食器、余った食材などを処分する。(最終日)
3.預金口座の処理 こちらのルピー口座の残高の引き出し、処理。ドル預金残高の日本への送金。今「円」が高いのでドルのまま送っておくのが得のようです。日本のドル口座の確認。送金処理。
4.帰りの飛行機手配 5日に妻を呼んでいるので、いっしょに帰国予定。一応1月11日のUL460を押さえようと思っています。
5.メード(シータさん)再就職先の確保 日本人会の掲示板に求職情報は掲示ずみ。今のところ二人の日本人から照会が来ている。これは新年になって最終的に決定。
6.各種支払いの処理 電話料金(固定、モバイル)、電気料金、クリーニング代、など一連の支払い処理を済ませる。
7.お別れ会 銀行関係、SLT関係、宿舎隣組関連、オーケストラ関連。
8.土産の購入。
この引越し作業とは別に会社のオフィスの整理もしなければなりません。
(追記) 今、こちらの時間の大晦日の11時20分。これから朝まで騒々しい時間が続きます。というのも私の宿舎はホテル兼用になっていて、3階のプールサイドでは「朝まで新年パーティ」。上の階ではホテルの一室を借り切ってのパーティが始まるでしょう。去年も書いたかもしれないけれど、除夜の鐘を聞きながら、静かな新年を迎えるなんて全く無理。日本は既に新年です。あけましておめでとうございます。
昨日、スリランカに帰国して、久しぶりにNHK日本語放送を見ていると、やたらに来年の大河ドラマ「新撰組」の宣伝をしていました。香取真吾が主役だそうです。宣伝文句によると、青春賛歌、立志伝のように賛美していると思えるのですが、私には新撰組はどうしても「血なまぐさい殺し屋集団」としか思えません。
確かに「勝てば官軍」の言葉どおり、明治維新は官軍側の論理で書かれた物語が多く、幕府側の論理もあっていいです。徳川慶喜、勝海舟などはきちんと評価されています。そういうことを差し引いても、どうすれば新撰組が「英雄」足りえるのか分かりません。彼らがやったことはまさしく「テロ」です。
勝海舟、佐久間象山(実は故郷信州の松代が輩出した傑物・奇人)と新撰組をいっしょにして欲しくないですね。将来の希望を失った、暴力好きな凶暴な若者達が見事に、更正するのではなく、暴力によって生きて行く活路を見出し殺戮を続けていく。時には仲間うちで殺し合う(鴨の例)。例えていうと浅間山荘の連合赤軍のような存在であった彼等。
しかも、坂本竜馬などの有意の人物を抹殺し、後の長州・薩摩独裁の明治政府樹立に間接的に貢献してしまった彼等。色々な時代の見方があるのはいいですが、暴力を肯定するような話では困ります。まあ気鋭の脚本家がどのようなドラマに仕立てるのか、興味はあります。
(もうひとつ) 今日の夜、NHK海外放送を見ていたら、8時から「年末のN響の第9」を放送し始めました。12月23日の録画です。随分昔(30年以上前の中学生・高校生時代)にはよく聴いたものでした。当時は31日の夜、紅白の裏でFM放送で流していました。退屈な3楽章を我慢して終楽章を聞き終わると本当に1年が終わったという感じになったものでした。
今回は、本当に久しぶりにN響をじっくり聞くチャンスだと思い、一楽章から気合を入れて聞き始めました。ところが3楽章が始まると、テレビの調子が悪くなり(全てのチャンネルがダメなので宿舎の装置の故障です)中断。結局そこまでしか見れませんでした。ついていません。
でも一・二楽章だけ聞いても、やはりN響から感動は得られないことを確認できました。いつでも一定水準の演奏ができることはプロとしては最低の条件です。その上で何を伝えてくれるのかが問題。N響はすばらしい職人集団ではありますが・・・。来年来日する予定の、ウィーンフィル、ゲルギエフは日本で聞きたいと思います。
| 2003年12月28日(日) |
コロンボに帰ってきました。 |
一週間インドのタミール・ナド州を旅行してきました。旅行の全体像については改めて写真なども交えながら書くとして、新鮮な感想を書いておきます。
多分、インド・パキスタンも同じでしょうが、インド・スリランカは本当に近くて遠い国なのです。インド亜大陸でも特にスリランカの対岸のタミールナド州はタミール人にとっては故郷、従ってシンハラ人にとってはあまり近づきたくない場所なのです。
タミールナド州は殆どの住民がタミール人で人口6000万人。中心都市チェンナイは人口600万の大都会です。このタミールナド州はイスラム教の影響がない純粋なタミール文化(ヒンズー文化)が残っているのです。その対岸に浮かんでいるのがスリランカ。人口2000万人。人口の6割強はシンハラ人で自らを北インド民族の末裔だと考えています。この辺にヒンズーとイスラムとの対立とは別なもうひとつの南アジアの問題があるのです。
(おかしな例1) インドのティルチ飛行場からコロンボのバンダラナイケ空港まで実質45分の飛行です。ところが、ティルチ飛行場の警戒が厳しい。二回徹底的にカバンを開けさせられました。ボストンはパソコンを取り出した後、もう一回X線の検査にかけられました。これはインド側。ところが飛行機のタラップが渋滞している。何をやっているのか思ったら、飛行機内の入り口でスリランカ航空の警備員(4人くらいコロンボから乗ってきているらしい)がカバンを開けさせて再度検査している。これってインド政府を信用していない証拠。
もっともインドのティルチは反政府組織LTTEのリーダのプラバカランの故郷。スリランカ側の厳重警戒も分からぬではないがそこまでするかって感じ。
(おかしな例2) バンダラナイケ空港でインドルピーの両替ができない。ドル、円、ユーロのほか中東の通貨などの両替はしているのに、隣国インドの通貨は両替しないのだそうです。インドの2000ルピーをどうしたら両替できるの困ってしまいました。
(おかしな例3) 考えたら、コロンボの町にインドの乗用車は殆ど走っていないのです。インドではTATAの800CC「インディカ」が流行だし、1500CCディーゼルのアンバサダーが普通に走っている。コロンボは日本車が殆ど。日本車はそれほど安くて性能が良いのか。なおコロンボの古いバスは殆どインド製です。
(おかしな例4) コロンボでインドの銀行を見かけた事がない。インドハイコミッショナーにはビザを申請する人が毎日長蛇の列だというのに。
子会社モビテル社の借入金契約書のサイニングが始まりました。今日は一応当事者のモビテル社、保証を与えるSLT社、全てをアレンジしてくれているスタンダードチャータード社のサインを済ませました。明日19日にシンジケート団の銀行7社がサインする事になります。
最後の最後で、ローン総額の数字が変わったので、モビテル社、SLT社で取締役会の了承を取り付けなくてはなりません。それは今日取り掛かります。これはローカルの担当の方に任せようと思っています。
そして日曜日からインドに行ってきます。最後までいろいろスケジュールを変えたのですが、最終的には、南インドに的を絞りました。チェンナイから入って、ティルチからコロンボに戻ります。チャンナイまでは90分くらい、ティルチから一時間かかりません。スリランカ国内旅行より便がいいかもしれません。
さて、今日の夜、サイニングの合間をぬって、引越し第一弾の作業を行いました。木彫りの彫刻やら、金属製の仏像の類は国から持ち出すときに、文化庁の許可がいるのだそうです。今日は申請書を書いて、写真を取って、梱包しました。これらを事前に申告しておくと作業が早いのだそうです。忙しい年末・年始が始まりました。(自分で忙しくしているのですが)
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