KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2003年11月09日(日) いろいろな話題

いろいろ話題があるのでそれぞれ少しづつ書いておきます。「浦和レッズ」が強い。


浦和レッズは「ナビスコカップ」で優勝したあと、今Jリーグでもトップを走っています。浦和のサッカー場は実家からは遠いけれど一応地元チーム。政令指定都市になったことを記念して優勝して欲しい。むかしは福田とか小野がいたけれど今は田中選手がいいですね。実は昨日NHKで中継していました。因みに車も三菱のギャランです。私が乗らないのでバッテリーは大丈夫かな?


「総選挙。与党三党安定多数」
こちらのNHK放送も選挙一色。日本語放送は他にチャンネルがないので選挙結果を見るしかありません。随分世代交代が進みました。地元埼玉県は民主党議員が増えましたね。群馬・栃木・茨城とは雲泥の差です。道路が良くない理由はこの辺にあるのでしょうね。群馬・栃木を抜ける国道51号線なんか凄いです。全体に二世・三世議員が多いのも特徴ですね。


社民党、共産党の凋落は目を覆うばかり。とっくの昔にイデオロギーから政策論争になっているのに古い事ばかり言っていると置いていかれるということです。とはいうものの、次はアメリカやドイツのように右翼が出てくるかもしれません。


「民族紛争解決前のスリランカの政争」
LTTE(反政府組織)は、政府がこんな状態で困っていることでしょう。和平交渉が始まる前に枠組みが壊れてしまっては元も子もない。「本当の問題は何なのか」しっかり押さえるべきです。内戦停戦から2年が経とうとしています。コロンボの経済は順調でCSE(コロンボ証券取引所)の株価指数はうなぎのぼり。


でも「平和ボケ」になっていませんか。LTTE支配地域の復興の現状、政府側チェックポイントの厳しさ、鉄条網を張り巡らされた「地雷原」、政府軍に占領されたままのジャフナ市街地。コロンボとの落差が大きすぎます。


「シンフォニーオーケストラ練習開始」
今日からクリスマスコンサートに向けた練習の開始。コンサートは12月12日。今日パート譜が配られ初見での練習となりました。今回は小品集で「ウイリアムテル序曲」がオーケストラとしては少し重いです。この曲チェロが大活躍するのです。ドュッシー師匠と弟子達の腕の見せ所。


練習しながら考えたのですが、メンバーにクリスチャンは何人いるのかしら。スリランカは圧倒的に仏教徒が多いはず。それもそうとう敬虔な仏教徒。いいのかしら。それとクリスマスといっても気温は30度。「雪」と「寒さ」が懐かしいです。



2003年11月08日(土) 首相帰国パレード

昨日のウィクレメシンヘ首相の帰国パレードは大変だったようです。朝8時にカトナヤケの空港に着いた後に、空港で短い演説をし、それからコロンボに出発しました。空港からコロンボ市内までは30Km弱で車で順調に走れば1時間でつく距離なのです。ところが昼になってもコロンボに着かない。夜になってもコロンボに着かないのです。


沿道の所々で支持者が推し掛け車を取り囲んでしまうので、車はノロノロでしか走れなかったようです。結局夜遅くなってコロンボに着いたようです。


でもこの首相歓迎のムードは、完全に首相優位の印象を与えたみたいです。大統領派(PA、JVP、SLMC)の発言はだんだん元気がなくなってきています。


今日は11月の満月(ポヤ)で休日。土曜・日曜の2日間に水面下でどんな調整がなされるのか見物です。大統領の反乱が尻すぼみで終わってしまえば、大統領の発言力大幅低下は間違いありません。週明けに、具体的には「一次閉会された」国会の再開が焦点になります。



2003年11月07日(金) 昨日・今日の動き

今朝8時にスリランカのウィクレメシンゲ首相がスリランカに戻ってきました。空港に降り立ち宗教儀式を済ませた後、短い演説を行いました。内容は大きく分けて4つでした。


1.アメリカの大統領・議会はスリランカ政府の和平プロセス推進に完全な支持を表明している。


2.スリランカ国会は国民の付託に基づく唯一の和平プロセス推進の機間であり、速やかに活動を開始しなければならない。


3.国会の付託に基づき自分は今後とも和平推進に邁進する。


4.公民の賃金については今年、そして将来についても十分検討していく。


四番目はその他とはかけ離れた感じですが、大統領周辺が政府職員の賃上げを約束し勢力を伸ばす恐れがあったためです。さて、今日7日の新聞ですが「大統領サイドの言い訳的な記事」が出始めました。曰く、「大統領の今回の措置は、UNP国会議員からの大統領弾劾の動きを阻止しようととしたもので、UNP党の冒険主義的な行動のせいだ」というもの。でもそうした動きとか、取り巻きの助言に動かされてしまう大統領は問題が多いのも確か。UNP議員の寝返りもなさそうです。


首相と大統領とは事を荒立てずに事態を収拾するでしょう。ここで首相が上手く大統領に恩を売っておけば、和平プロセスは順調に進むのではないでしょうか。



2003年11月06日(木) 11月5日の動き

クマラトゥンガ大統領はスリランカ全土の緊急事態宣言を発令しました。日本のニュースでは大きく取り上げられていましたが、こちらコロンボでは普段と変わっていません。大統領府のあるフォート地区西側の警備が厳しくなったり、放送局、新聞社の警備員が増えたくらい。


でも最前線での警備は厳しくなっているのでしょう。ジャフナ地区で漁船のチェックが大変厳しくなったという報道がありました。政府軍はジャフナ地域へのLTTEの武器持ち込みを警戒しています。漁民にとっては迷惑な話です。


昨日の夕方、内務・国防、メディアの大臣とSecretaryの解任に加えて、財務省のSecretaryが解任されました。


私が働いている通信会社(SLT)は政府が49.5%の株式を保有しているでのすが、株主として権限は「財務省」が握っていたのです。そこの実質的なトップが交代されたことで我社にも今回の騒動の影響が及ぶ可能性がでてきました。


ところで今回のクマトゥンガ大統領の突然の行動なのですが、これまでの「和平ぶちこわし」のパターンに全くそっくりです。これまでも時の政府がLTTEと停戦交渉を何度か始めたことがありました。まずどちらかというとリベラルなシンハラ政権がLTTEとこ交渉の糸口を作って、停戦にこぎ着け、本格的な和平交渉に入ろうとするのです。ところがそこに極右的シンハラ勢力が口を挟むのです。そうしたそうしたグループの言いぐさは、「弱腰だ」とか「国に分割に繋がる」「彼等(LTTE)は信用できない」というものです。


その結果途中まで進んでいた和平交渉はつぶされ、内戦状態に戻ってしまうのです。ただ、この「ぶち壊し」も基本的には「国民の追認」が得られてきたのでした。それは貧困の問題とか経済停滞などが、この民族問題と複雑に絡みあってしまうのです。右派グループは内政の失敗と民族問題をごちゃごちゃにして時の政権を攻撃します。政治的なスキャンダルと民族問題を絡めて攻撃するのです。国民はその度に難しい選択を迫られてきました。


しかし、今回はウィクレメシンゲ首相率いる現政府に目立った失敗はありません。大統領が本格的に首相を攻撃するためには他の材料必要なのです。ただ、今回のように和平を邪魔した結果、内戦が再開し、LTTE側がテロでも仕掛けると、右派グループは「自分達の見解が正しかった、LTTEは信用できないテロ集団だ、そういう集団との交渉は我々が主張したように慎重に進めるべきだ」と言い張るのです。


あす7日の朝に、ウィクレメシンゲ首相が訪米から帰国します。新聞報道によると多くの首相を支持する人達が空港まで首相を出迎えにいくのだそうです。首相がどのように事態を収束させるか。明日は非常に重要な1日になりそうです。



2003年11月05日(水) 政治危機

昨晩考えたのですが、「クマラトゥンガ大統領は選挙で勝つ自信がないうちは、無理に政権争いを起こさないだろう」ということです。


今のところ、ウィクレメシンゲ首相率いる「UNP」政権は、和平に向けて大きく前進していて国民の信頼を厚いと思います。これといった失敗はないのです。むしろ大統領派(PA政党)に気を使いすぎで和平が遅れているというというのが現状です。


なのに、なぜ大統領は危険な「賭け」にでたのか。今日の新聞で少し見えてきた気がします。11名のUNP国会議員が大統領派(PA)に寝返る可能性が出てきたというのです。


実は前回の国会解散・総選挙は、大統領派のPA政党から「7名」の国会議員が現首相側(UNP政党)に寝返ったため、国会で多数が維持できなくなって大統領が総選挙に打って出たという因縁があるのです。総選挙ではUNPが勝利し、この「7名」はUNP新政権内で枢要な地位(大臣)を与えられました。


さて、今回はどういうメンバーが寝返るのか。前回UNPに寝返った人が再び寝返るのか、それともUNPの他のメンバーが寝返るのか。私が見る限り、現UNP政権は「寝返った人達」を優遇し過ぎてる感じがします。UNP古参議員に不満があったのではないかと見ています。


しかし何れにしろ、こうした政争が純粋に政策の争いではなく、「金」の問題が絡んでいて、さらに大統領・首相の個人的な名誉を競い合う争いが原因のように思えます。スリランカ援助国の支援金は4000億円と巨額ですし、20年以上の内戦を終結できれば「ノーベル平和賞間違いなし」といえるからです。この国の難しさを痛感しています。



2003年11月04日(火) 不穏な動き

本日午後(スリランカ時間午後2時30分)に以下のニュースが流れました。クマラトゥンガ大統領は、内務大臣(警察を所管)・通信大臣(通信、放送等を所管)・国防大臣の三大臣を解任。


閣僚の任免権限は大統領にあります。これら閣僚は議会で多数を占めるUNP政府によって指名されているので、多数を占めるUNP側の反発が予想されます。この反発が強まると、大統領は最後の手段として「国会の解散権」を行使し兼ねません。スリランカの政治情勢はLTTEとの交渉再開に向け大きな試練を迎えています。


(続報)
コロンボのインターネットの情報は以下のとおり。


大統領はこの三閣僚(内務・通信・国防)とその省の長官を解任し、長官には新たな人物が発令された。閣僚の権限は大統領がそのまま引き継いでいる。国会は11月19日まで休会となった。軍関係者は、不測の事態に備え、スリランカ陸軍が主要な放送局、通信会社、発電所などの警戒を強めた模様。


これらの大統領派の動きに対して、注目すべきはアメリカに居る首相と、LTTEサイドの反応です。この大人気ない大統領の行動に過剰に反応しないで欲しいと思います。昨日の日記にも書きましたが、JVP(マルキスト)、SLMC(イスラム)が大統領といっしょになって事を荒立てているだけだと思います。シンハラ人の多くは首相の雪ある決断に賛成するでしょう。


大統領が事を荒立て、シンハラ人内の反対勢力の力を示して、LTTEとの交渉を有利に進めようと考えているとしたら、非常に愚かなことだと思います。そのような企みの結果、これまでも内戦終結のチャンスを潰してきているのです。



2003年11月03日(月) LTTE提案への反応

LTTEの暫定統治案(Interim Administration)に対する各方面の反応が新聞を賑わしています。


まず、大統領サイド(PA政党)は受け入れ拒否の姿勢を崩していません。10月24日のタミール人の新年のお祝いの日には、大規模な集会開催をぶつけて、タミール人、良心的なシンハラ人達の反感を買いました。大統領は軍の支持系統にも影響力があり、和平に向けた動きを牽制しようとしています。


JVP(マルキスト)は何時もながら理解不能の動きで、LTTEの暫定統治案に絶対反対の姿勢を示しています。かれらは資本家の抑圧に苦しむ人民を解放することをスローガンにしていたのではないのかしら。今彼等は国の分割に繋がるような暫定統治案は許せないと全く「右翼的」発言」を繰り返しています。PA(大統領派)も彼等と共闘しようとしています。


さらにSLMC(イスラム政党)もLTTE暫定統治案に反対しています。彼等はイスラム教徒の利益を代表しているのですが、イスラム教徒にはシンハラ民族とタミール民族がいます。「民族の話」と「宗教の話」がごちゃごちゃしています。インドではヒンドゥーとイスラムは上手くやっているというのに。


政府(UNP政党)は公式な見解を出していませんが、政府案とLTTE案には大きな隔たりがあることを認めています。今、アメリカ訪問中の首相がブッシュ大統領と何を話してくるのか。帰国後の首相の発言が注目されます。



2003年11月02日(日) 貴重な夕食会

今日日曜は、昨日までのコンサート(練習・本番)の疲れが残っていていたので、宿舎でのんびりしました。午前中に少し泳いで、昼ご飯にビール小瓶を飲み、昨日の反省のためにチャイコフスキーの交響曲第5番(ゲルギエフ・ウイーンフィル)をききました。三楽章あたりから少しウトウトしてしまいました。


シンフォニーなどの大編成の曲だと、音楽を実際に演奏するのと、聴衆として聞くのとでは全く状況が異なります。正直言って聴衆として聞くほうが音楽全体を捉えられて感動も大きいみたい。演奏していると自分のパートことで精一杯になってしまって全体の音楽を聞く余裕がないのです。


それではいけないと、自分のテクニックでは着いていけないところは、キチンとあきらめて、無理をせずに音楽を聞こうと試みるのですがつい無理をしてしまったり、自分のパートばかりに集中してしまうのです。


例えば、ニ楽章の冒頭では、ホルンの素晴らしいソロを聞かずに、弦楽器の和音ばかり集中して演奏し・聞いていました。実際のここの弦楽器の和音は素晴らしいのですが、ホルンソロが耳に入らないのも困ったものです。弦楽器にそれだけ魅力的な役割が与えられているのですが。特にチョロはそういう役割が多く自分達のパートに没入しがちです。たとえそれが対旋律・裏方であっても・・・。


さて本題。またDr.セーバラトネさんに誘われ氏の家で夕食を頂きました。夕食が始まる前に、同じマンションに住むマレーシア人のフェルナンデスさんがいらっしゃり、ひとしきり会話の花が咲きました。彼はスリランカ人と間違えられてホテルなどで「嫌な思い」を何度も経験しているそうで、そういう類の話で盛り上がりました。フェルナンデスさんは別の夕食会があって食事が始まる前に出ていかれました。


しばらくして、フェルナンデスとの会話にメインゲストのスリヤクマラン教授夫妻が合流されました。スリヤクマラン教授は「Kilali Crossing」の作者なのです。この本はスリランカの内戦の悲惨さと、北部のジャフナの豊かな自然と素晴らしい人々を紹介したものです。Dr.セーバラトネからこの本を頂き、一気に読んでしまいました。今夜Dr.セーバラトネが作者のスリヤクマラン教授を私達(私とIMAIさん)に紹介してれたのです。


スリヤクマラン教授は、長く国連に勤めたあとロンドン大学で経済学の教授をされていて、ハーバードとか他の大学でも教えたことがあるのです。もうすぐ82歳だそうですが、肺の病気をされて呼吸が苦しそうなところを除けば、非常に若々しい方です。Dr.セーバラトナムが国際赤十字で働いていたり、スリヤクマラン教授が国連・ロンドンで働いていたというのは、非常に優秀であっても「タミール人」というだけでスリランカでは職を見つけることが困難であったり、非常に不当な扱いを受けるのです。


いすれにしろ、二人のタミール人知識人との夕食・会話は非常に楽しく有意義なものでした。私はコンピュータを持参して先月のジャフナ旅行の写真をお見せしました。IMAIさんと私は教授から「Kilali Crossing」を日本語に翻訳することについての許可を頂きました。まともな日本語の本になるかどうかは不安ですが、なんとか訳してみようかと思っています。秘書のス−パさんのタイ料理がとても美味しくて話がはずんだということもありました。ご馳走様でした。



2003年11月01日(土) SOSコンサート

SOSのコンサートが盛況の中に終了しました。この日夕方から雲行きがあやしくなり土砂降りになりました。幸いコンサートが始まる頃には小降りになったで良かったです。ほぼ満員のお客様に来ていただきました。


プログラムは最初に「スリランカ国歌」「チャイコフスキー交響曲第五番」そして休憩の後に、「サンサーンスのピアノ協奏曲第二番」そして「ホルスト惑星から火星」というプログラム。いきなりメインの曲でしたが、結果的にはこの順番は大成功みたいでした。火星の後に「メイン」を持ってくると金管軍は疲れているし、弦楽器は集中力を欠くおそれがありました。


スリランカ国歌は前回の演奏会では初見で演奏したのでした。今回はしっかりサラっていったので間違えずに弾けました。この編曲は非常にシャレているのです。ともすると非常に単調で退屈になってしまいがちですが、ハーモニーに味付けがなされていいて格好よくできているのです。


チャイコフスキーですが、練習時間の8割以上を費やして仕上げました。弦楽器軍はかなりのレベルまで行ったと思います。コンサートマスター(デバレさん)が指揮に回ったので、1stバイオリンはどうなるかと内心心配だったのですが、デバレさんの弟子達が大いに頑張りました。主席の「ラーマヤ」さんは始終冷静な演奏で安定していました。


しかし課題は木管軍。ファゴットは一人しかいなくて、二番はバスクラ対応だったし、フルート・オーボエ・クラリネットは安定度が今一歩。チャイコフスキーでは、旋律の美しさに加え、和音の変化・音色の変化が大切な要素なのすが、旨くつながらないところがあって少し残念な結果でした。


金管軍は日本人エキストラ、トロンボーンの「MUSHIAKE」さんの参加もあって、本番ではしっかり音が出ていました。ガンガンなっていました。チャイコフスキーはよく「fff」を指示していますが、それがよく分かる演奏だったと思います。


一楽章・四楽章は迫力で押せるのですが、ニ楽章・三楽章は少し難しかったです。木管の早いパッセージの受け渡しのところではかなりコケていました。弦楽器がどのように聞こえていたのか興味があります。


さて「サンサーンス」が「冷や汗もの」でした。この曲はピアノソロの部分が多くてオーケストラにとっては楽な曲なのですが、ソリストは気が抜けません。一楽章でソリストがソロパッセージを間違えてしまい、オーケストラの入りまでの間どうなるかと思いました。ソリストが何とか切り抜けオーケストラが入ることができました。ソリストは暗譜で弾いているので、一つの間違いでパニックになりかねないのですが、さすが乗り切りました。その後は以前にまして快調でした。ソリストは「メナーカ・デ・フォンセカ・サハバンドゥ」さん。SOSメンバーでもあります。


最後は迫力満点の「火星」でした。金管軍の追加(ユーホニューム)の他にピアノ・オルガン・ドラなどが加わり大編成になりました。長い曲ではないので金管軍は100%エネルギーを出し切れます。因みの今日の演奏がスリランカにおける「初演」だそうです。


客席はほぼ満員。演奏の後、これまでになく拍手が長く続きました。演奏者の必死な姿が少しは客席に通じたかもしれません。今日始めてSOSを聞いた人も多くいたともいます。音楽ファンが少しでも増えてくれるといいなと思いました。「MUSHIAKE」さんのお友達の日本人の方が多く聞きに来てくれました。



2003年10月31日(金) 10月も終わりです。

先ず今朝の新聞記事での周知記事

本日のラマダン時間
断食の開始時刻:午前4時56分
最初のお祈り時刻:午前5時11分
断食の終了時刻:午後6時23分


このように細かくルールが決められているようです。時間にすごくルーズなスリランカの人がこのようなルールを守っているのは少し驚きです。仏教徒の人も宗教上の時刻の適用(開所式とか、結婚式式とか)時刻を守ります。会社の会議とは大違いなのです。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加