今回のSOSコンサートではホルスト作曲組曲惑星から「火星」を演奏します。今年は火星大接近の年なのでそれに因んだのでしょう。大接近の日は過ぎても「火星」の明るさは大変なものです。「火星」は戦いのシンボルなので勇ましい曲です。
高校時代にブラスバンドで泣かされた曲でもあります。金管楽器の人にはカッコいい曲なのでしょうが、木管楽器担当者には「苦痛」の曲なのです。しょうもない五拍子の伴奏を延々とやったかと思うと、とんでもなく難しい16分音符のパッセージが来るのです。実は妻の高校時代にこの曲で「コンクール」に挑んだのでした。すごく苦しんだと想像できます。
今回はチェロで挑戦です。最初の五拍子の伴奏は「コンレーニョ」で弓の木の部分で弦を叩きます。クラリネットで吹くより疲れませんが、三拍子を上手く刻めません。ここは練習が必要。そしてやはり同じ16分音符のパッセージ。こんなのできるわけがないと殆どあきらめムードです。
大接近に因んだとは言え、金管楽器が大活躍する曲で、金管楽器の方の殆ど(ホルンを除いて)エキストラなので、なんでこういう選曲になるのか少し疑問です。
私が参加させてもらっているSOS(シンフォニーオーケストラスリランカ)はスリランカ唯一の常設オーケストラです。大学にも高校にもブラスバンドはありますがオーケストラはありません。
SOSでも弦楽器・木管(オーボエを除く)はSOSのメンバーですが、金管楽器・オーボエなどは陸軍軍楽隊から応援で成り立っているのです。ですからこのエキストラ代を支払って演奏会をするのは結構大変なのだそうです。
弦楽器パートについていうとほとんど師弟関係者で占められています。小さい頃からレッスンに通えること。ある程度の楽器を買える事は、実は相当裕福な人達で構成されていることが想像できます。西洋音楽を実際に楽しむ環境はそう簡単には広がりません。私の宿舎の近くにヤマハ音楽教室があってピアノを教えていますが。
今回のSOSの演奏会はチャイコフスキー五番の交響曲がメインです。有名な曲で覚えやすいメロディで聞き栄えがするので、外の地域、例えばキャンディとかゴールでも演奏会を開けばいいのにと思いました。しかし「お金が無くてとてもそんなことできない」といわれました。エキストラ代と旅費が工面できないのです。
少し滞在したことのあるベトナムのハノイ市には、立派なオーケストラがありました。CDも録音しています。ハノイ市にはオペラハウスがあり、音楽学校があって、西洋音楽とベトナム民族音楽両方のプロ奏者を養成しています。
ベトナムのハノイ交響楽団の来日演奏会を聞いたことがあります。曲目は同じ「チャイコフスキー交響曲第五番」でした。ニ楽章のホルンソロが大変上手だったことを覚えています。SOSが体制を整えてスリランカの多くの人に音楽聞いてもらえるような時代が早く来るよう願っています。
先週ジャフナに旅行したのですが、あまりにも多くの事を考えたので整理するのに時間がかかります。忘れない中に少し記録しておくことにします。
今回はタミールの方にジャフナ半島を案内していただいてきました。改めて感じたことは、「ジャフナはスリランカのタミール文化の中心地である」ということです。ジャフナの街には、ヒンズー教寺院・キリスト教教会がそれこそ日本で見かける「コンビニ」ぐらいあります。非常に敬虔な風土を感じました。 ヒンズー教寺院は威厳があって色彩豊かで非常に興味深いものでした。
それと、住んでいる人達(ほとんどがタミール人です)がジャフナを愛していて、大事にしていて、誇りを持っているということ。そのことが人々を支えています。コロンボから400Km離れてても、国際空港がなくても「ジャフナはジャフナ」なのです。ここはほとんどタミールの人達の「首都」なのです。 広々とした平原とパルメイラ椰子の取り合わせは本当に美しいのです。
この状態にスリランカ政府の多くの人達は我慢ができないのでしょう。スリランカの中心はコロンボであり、シンハラ世界であり、コロンボは求心力が必要なのです。
スリランカの内戦の始まりはジャフナからでした。教育における差別・就職における差別、つまりタミール人がシンハラ人より不利な扱いを受けたことが発端でした。それもジャフナ大学の入学者の構成比率の問題だったとのです。
ささいな「諍い」が次第に「不信」「憎しみ」「敵対」に変わるにはそれほど時間がかかりませんでした。政府の差別政策、そして大きな警察・軍事力に対してに対して、タミールの人達はゲリラ戦法で対抗したのでした。ジャフナの街では行政に対するゲリラ活動が活発になってしまったのです。
まさに、これはアメリカ支配下のイラクを見るようです。彼等に残された道はテロしかなかったのです。最初消し忘れた炎はとてつもない大火になってしまったのです。タミール人のテロ活動はシンハラの人達にとって、「卑怯」「愚劣」な物と映り、「タミール人は信用できない」という評価になってしまうのです。
そうした抗争を通して「ジャフナ」は一旦LTTEの支配下に入ります。その後政府軍は膨大な軍事力を投入し奪回したのでした。その戦いの中で政府軍はジャフナ市街をほとんど焼き尽くしたのでした。イスラエル・ロシアに頼んで空爆も行われたのです。ジャフナのいたるところで破壊されてそのままになっている家屋を見ることが出来ます。
この抗争の最中に多くのタミール人はこの国を逃れて海外に逃げ出しました。紛争前のジャフナ半島には100万人住んでいたそうですが、今は60万人位しか住んでいないそうです。破壊されたままの空家が沢山あるのです。
私は一部を世界遺産に登録して保存すればいいのにと思います。「広島」みたいに。
スリランカ政府はジャフナの中心地に「仏教寺院」を建てました。2万人以上駐留していると言われる政府軍兵士のためでもあります。それ以前ジャフナ市内には仏教寺院はひとつもなかったのです。
ジャフナは政府がLTTE軍から開放したのか、政府軍が占領しているのか、答えは明らかなのです。
| 2003年10月14日(火) |
武蔵浦和ラーメンアカデミー |
私のオフィスに大分遅れて回覧される日本の新聞(日経・サンケイ)で、我が家の最寄り駅「武蔵浦和」に「ラーメンアカデミー」ができることを知りました。
なんでも6軒のラーメン屋さんが一つ屋根の下に開店して、一年間の売り上げ競争の結果、下位の二店は入れ替えされるとのこと。新横浜のラーメン博物館(いったことはないけど)に似ているのかな。帰ったときの楽しみが増えました。でも6軒全部食べるのは時間がかかりそう。
武蔵浦和には駅ビル二階に「ふくちゃん」という博多ラーメンの店があって、安くて美味いのでよく食べました。関西風に「かえ玉」サービスがあるのです。メンマ・わかめなどの薬味が取り放題なのも魅力でした。過当競争にならなければいいのですが。ついでに宣伝。私の故郷の長野県須坂市の「セッコウ亭」のラーメンは本当においしいです。
武蔵浦和の乗り換え客を取り込めればいいのですが。武蔵浦和は付近が田舎の割には駅は凄く混むのです。埼京線の快速・普通乗り換え客、武蔵野線から埼京線への乗り換え客が多いからです。頑張って武蔵浦和名物にしてほしいです。
恋しいものは「ラーメン」「牛丼」「回転ずし」「長崎ちゃんぽん」。手軽なものばかりですが。
| 2003年10月11日(土) |
妻の誕生日(兼)結婚記念日 |
10月11日は妻の誕生日(兼)結婚記念日なのです。妻の誕生日ポイント「1」、結婚記念日ポイントが「1」とすると、妻は「1.5」、私は「0.5」相当でお祝いされるのです。この計算に従って、妻は私の3倍お祝いされなければなりません。「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」。
妻は4X歳。本人の許可なしでの情報開示は控えます。昔は体育の日が10月10日で固定されていたので11日と連休になることが多かったのです。1980年もそうだったのです。別に意図して妻の誕生日と合わせたのではなく、仕事の関係と当時の妻の状況から、この日しかなかったというのが真相です。
妻は、ダブルのお祝いでは、自分の「誕生日」のお祝いの価値が軽くなってしまうので最近すこし不満みたいです。実際、妻は私の3倍は酒を飲めません。日本に居れば美味しい食事でもできるのですが、スリランカしかもジャフナにいてはどうすることもできません。おいしいワインでもほどほどに飲んでください。
(後日書いています)
10月9日(満月で休日)から12日までジャフナに来ています。金曜日は休暇をもらいました。感想は別途記事にする(つもりな)ので、簡単に事実関係のみ記載しておきます。
今回の旅の同行者:ジャフナ出身の法律家のDrシーバラートナムさん(60歳後半)。ドクターの秘書のバンコク出身のスーパさん。ご両人の友達の日本人IMAIさん。それと私。
Drシーバラトナムは国際赤十字(本部ジュネーブ)で働いていた際に、スリランカ・ジャフナ赤十字の活動に大きな貢献をされたので、ジャフナ赤十字のゲストハウスを利用できるのです。実はそのゲストハウス設立にも相当大きな私財を投入したみたいです。
赤十字ゲストハウスにも十分な数の部屋はあるのですが、メンテナンスが良くないので、私とIMAIさんはジャフナ赤十字の隣の別なゲストハウスに厄介になりました。設備は全く同じ感じです。
9日は朝4時30分コロンボを出発。
車はDrが手配してれくました。当初は私のセダンで私とIMAIさんで順番に運転して行こうということでしたが、タミール語を解する運転手をお願いして、大きな「バン」で行くほうが快適ということなので急遽変更。(ほんとうにそうでした)
旅程:コロンボから中部の交通の要衝クルネガラへ。クルネガラからA10道路を通ってアヌラダプラへ(ダンブッラを抜けるA9道路より早いです)。
ヴァウニヤで検問用の車検証のコピーなどを準備。ここで給油。
オマンタイの政府検問所・LTTEの検問所を通過してLTTE支配地域を北上。エレファントパス(スリランカ本土とジャフナ半島を結ぶ細い街道)を通ってジャフナ半島のポーレイのLTTE検問所・政府検問所を通過して、政府管轄のジャフナ地域入り。A9ロード(ジャフナではキャンディロードと言っています)に沿ったジャフナ赤十字に到着は午後4時過ぎ。12時間の行程でした。
政府の検問所の検問作業は相変わらず厳しいです。「厳しい」という言葉に代えて「国民に対するハラスメント」にすればさらに適切です。人は車から降ろされ、手荷物の検査を受けます。車はエンジンの製造番号を調べられます。貨物自動車は積荷をすべて降ろすことが義務付けられ、検査終了後にまた積み込み作業が必要になります。「LTTE」に武器持込をチェックしているのです。
LTTE支配地域への立ち入りに際しての書類(外国人用)は、パスポート・ビザ(写しで可)、申請書を準備しなくてはなりません。これに対して「LTTE」検問所は簡単な手続きで済みました。雰囲気はとても友好的です。
政府側はLTTE地域へおの旅行者を「武器持ち込み者」ではないかという猜疑心でチェックします。これに対して「LTTE側」はそんな心配は一切していません。
途中、ヴァウニヤで朝食。LTTE地域のキリノッチで昼食を取りました。前回2002年9月にキリノッチを通った時には、何もなかったのに、きれいなレストランが二軒もできていました。A9道路も「LTTE」支配地域に関する限り大幅な進歩がありました。
途中の交通安全祈願所(ヒンズー教)で、看護婦さんとしてキリノッチで働いているというKITAGAWAさんという方にお会いしました。看護所に電話がないと困っているようでした。
前回ジャフナに行ったとき(社用)は、コロンボで色々「LTTE」の悪口を聞かされていったのでした。コロンボに本拠を置く会社として「政府側の立場」で行ったといっても過言ではありません。
今回の旅は純粋にプライベートで、同行者のDrシーバラトナムさんは「タミール人」であり、彼の故郷を訪問するという名目なので、政府とは一線を画す立場で旅といえます。
両方の立場から「LTTE」支配地域の状況を観察できて、ジャフナに住む人たちと交流できて非常に感慨深い「旅」となりました。
SOS(シンフォニーオーケストラスリランカ)は日曜日午前中の他に、水曜日の6時半から9時まで練習があります。今日はその練習日でした。
今回の指揮者のアーナンダさんは、指揮者であり、コンサートマスターでもあるので、バイオリンを持ち出して指導していました。ボーイングの指示や、表現の細かいところは実際にバイオリンを弾いてくれます。これが素晴らしい音で、簡単そうに弾くので、つい自分達でもできるかなと錯覚してしまいます。実際に音のイメージやボーイングのイメージをつかむと少しは進歩するのですが、技術の差は簡単に埋められるわけがありません。
でもこの調子で指導してもらえて、各人も頑張って練習すれば、いい線を行くと思います。本格的なチャイコフスキーを聞くことができると思います。
残念なのはホールが「おんぼろ」で小さいこと。折角頑張るのだから、いいホールで大勢の人に聞いてもらいたいです。演奏会場はいつものレディスカレッジの講堂。空調無し、背もたれが垂直の「木の座席」です。
先月日本に注文していた「日本食」がようやく到着しました。すごく丁寧に梱包してあって恐縮してしまいます。もう少し雑でも大丈夫なのに。キチンと登録がなされているのか、開けられた形跡は全くありません。引越の荷物は全部キチンと開けられていました。
ところで今回は「柴漬け・きゅうりの九チャン・はならっきょ」だとかという、そのまま食べられる食材を多く買いました。もちろんレトルトカレー(ボンカレー)とか「フリカケ」などもいっしょに。本格手な日本食を「作る」というのではなく手軽に日本の味を味わえるものに特化した感じです。
食生活がすこし「マンネリ化」しているなと反省しいます。
今日からSOS(シンフォニーオーケストラスリランカ)の練習が始まりました。11月1日のコンサートに向けた練習です。メインはチャイコフスキーの交響曲第五番。サブとしてサンサーンスのピアノ協奏曲、ホルスト「惑星」から「火星」だそうです。「火星大接近」を記念したようです。
さて、今回はコンサートマスターの「アーナンダさん」が指揮します。師匠のペレーラ女史によるとアーナンダさんは指揮も一流とのこと。しかしアーナンダさんが抜けた1stバイオリンは少し心配です。ピアノ奏者で有名な「ラーマヤ」さんがコンサートミストレスを勤めるみたいです。トップサイドはアーナンダさんお弟子の「ツシャンニさん」みたいです。
前々回のブラームスのピアノ協奏曲のときの指揮は主席クラリネット奏者のアジットさんで、管楽器に対して細かい注文を出していました。「アーナンダ」さんは初日からボーイングの指示を細かく出していました。場面・場面の細かいニュアンスを表現するために、それぞれ違った弾き方を要求しています。
今日は弦と管で別々に練習したのですが、ざっと見て外国人が目立ちました。ビオラに白人の女性が入っていて、ガンガン弾いていました。今日は五番の終楽章の練習でした。2ndバイオリンに東洋人(日本人ではないみたい)。チラッと見たトロンボーンに東洋人(日本人かも)。前々回、下手な私が出演して結構話題になったので、コロンボ在住の外国人が自信もってどんどん参加したのかしら。
それより、自分の役割を最低果たすことが先決。前回の演奏会は聞いて楽しんだのですが、今回は弾いて楽しみたいと考えています。チャイコフスキー五番は「#」系で響きが良いし、管楽器ばかりでなく弦楽器も活躍する曲です。頑張って練習しなくては。
同僚のMさん夫妻から日本から送られた豆腐を頂いていたのです。これをどのようにしていただくか、悩んだ挙句「マーボー豆腐」にしました。
とにかくコロンボでは「豆腐」は手に入ります。地元のスーパーでも韓国食材店でも豆腐は売っています。でも美味しくない。硬いし、パサパサしているし、少し酸っぱい味がするのです。とても「やっこ」では食べることができません。マーボー豆腐にしても旨くないのです。
マーボー豆腐といってもインスタントです。昔から使っている「まるみやマーボ豆腐の素(中辛)」。しかし豆腐次第で大違い。今回日本直送の「絹ごし」豆腐ですが、こちらの豆腐で作るものとは全く別な料理になりました。久しぶりに日本の味(中国の味)に堪能しました。
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