メキシコで行われていたWTOの会議が結局決裂しました。先進国間の衝突、先進国と発展途上国との衝突で意見をまとめることができなかのです。WTOは元々、貿易の自由化を通して交易を拡大しようとする目的ですが、各国の特定の国内産業保護政策と調整できなくなってしまったのです。
スリランカにおいては債権者であるIMFだとか世界銀行が、政府に対して国内産業政策、通商政策に関して注文をつけることが多いです。でもどうもそれが「先進国を教科書にしている」、あるいは「経済理論上は常識だが先進国では導入されなかったような制度を押し付けている」ようにに見えて仕方がありません。
コンピュータのソフトウエアについて言うと、正直コロンボでは海賊版が蔓延っています。これは何れ是正されなければなりません。しかし「コンピュータの利用」環境(ソフト・ハードの価格)が非常に高価であり、発展途上国では非常に贅沢品であり、普及が進まないという社会的な問題があります。このあたりは非常に難しいと思います。
もし学問・科学分野に著作権があったら大変だったと思います。ギリシャ・ローマの学問成果例えば「ピタゴラスの定理」に著作権があったらとんでもないことです。また米生産に特許があったら大変です。こうした普遍的な技術・知識は別に考えなければなりません。
電気通信技術、コンピュータ技術などはそうした一面を色濃く有していると思います。
阪神が優勝しました。 コロンボ在住阪神ファンのメンバーは明日「日本橋レストラン」でお祝いをするみたいです。コロンボに限らず海外に勤務している人はなぜか「西日本出身者」が多いみたいです。
阪神優勝の三年後の1998年から大阪に住んだ時、まだ優勝の記憶が生々しくて阪神ファンの人から阪神の話を聞かされたものでした。「六甲おろし」を飽きるほど聞かされたので何時の間にか覚えてしまいました。カラオケに行くと最後は必ず歌われました。
娘は今年の9月12日で「17歳」ですから、この18年間は随分長い道のりだったと思います。次の18年後は2022年です。世の中はどうなっているのやら。(これは阪神の優勝の可能性とは関係ない話です。念のため)
(追記) コロンボではNHKの放送しか見ることが出来ないので、阪神優勝に関しては比較的冷静な報道でした。南の戎橋の様子なんかは報道しません。しかし、文字放送ニュースを見てびっくりしました。なんと戎橋から川に飛び込んだ人の数は「5300人」だそうですね。
大阪市などが危険だから「飛び込まないように注意」をしたそうですが、いっそのこと阪神ファンにきれいに川を掃除してもらって、川も深くして、更衣室・浮き輪なんかも用意して安全に飛び込めるようにすればいいのにと思います。
またチームの祝勝会でお祝いのビールかけも盛大に行われた様子。ファンの中にもビールかけを楽しんだ人がいるようです。しかし、これはテレビで見ていて辛かったです。飲み物(食べ物)を粗末にしてはいけない思います。祝勝会の模様が海外にも放送されていることを考えるべきです。いっそのこと道頓堀の水をビン詰めにしてかけあったらどうでしょうか。あるいは水鉄砲を用意するなどして。
仮に彼女の名前は「Kさん」とします。Kさんはスリランカ人の友人の一人です。彼女は昨年何年か付き合ってきた彼氏と「るんるん」ムードで結婚しました。私も祝福し我が家に招待したことがありました。実はKさんは彼女の夫の実家にいったことがないのです。でも熱烈な恋愛の末結婚したという次第。仕事の都合で別居生活がずっと続いていましたのですが、週末にはデートを重ねていました。ところが結婚後1年以上経過して何か変なムードになってきました。どうも夫婦の間がしっくりいっていないようなのです。Kさんは気疲れからか胃をこわしたみたいです。先々週病院にいって検査しました。一ヶ月分の給料が吹っ飛んだそうです。
最近、彼女は夫から連絡がないので、遂に意を決して彼の家を訪ねることにしました。彼女の唯一の親友(女性)に一緒に彼氏の家を探し当て乗り込んだのでした。この友達は身体障害者なのですが、明るくて元気のよいとても素晴らしい方です。でもスリランカでは身体障害者の方には仕事がなく非常に生活に困っているというのが現状です。彼の実際の家は以前に彼女に知らされていた住所とは全く違うものでした。以前彼が自分の家だと言っていた大きな家は全く別の家で実際には非常に貧しそうな家だったそうです。
彼女達が彼の家で見たものはKさんの夫の隠されたもう一つの生活でした。奥様と二人の子供達でした。奥様は三人目の子供身ごもっているそうです。彼女達のショックといったらとても文章にすることはできません。彼女から相談を受けた私はとても慰める言葉を持ちませんでした。彼女は彼に裏切られた気持ちで普通に考えることはできない状況でした。スリランカは仏教国であり公式にはこうした夫婦の問題には大変厳しいです。重婚の罪は重いのです。これが警察沙汰になったら彼は罰せられます。
警察沙汰にする前に、今晩私の宿舎へ夫婦二人を呼び出しました。外国人の私一人では意思疎通に困難を来たすので、もうひとりの友人(スリランカ人の男性)も同席してもらいました。でも非常に複雑なのです。Kさんの夫は重婚は認めるものの、Kさんへの愛情は変わらないと切々と訴えるのです。別の奥様と子供達のことは何とか片付けて、Kさんの結婚生活は続けたいと言い出す始末。それを聞くKさんはいつの間にか旦那への愛情を捨て切れないようなことを言い出すのです。
確かにKさんの旦那は純粋な愛情から結婚したのかもしれません。でもそれはあまりにも身勝手というもの。そんな勝手な言い訳が通用するはずがありません。しかも彼はとても貧乏で妻二人子供三人を養えるはずがありません。もしかしたら三人目の奥様いるかもしれないし・・・。
私としては相談を受けたからには、そして私の人生経験からして、またこの国の法律・道徳に照らしても彼の行動を許すわけにはいきません。しかし、彼の最初の奥様と子供三人、そしてKさんの今後のことを考えなくはなりません。理屈だけでは解決しないのが世の中ですね。話し合いは一向に進まないので、適当なところで切り上げ一晩考えてもらうことにしてこの日は解散しました。
9月11日のニューヨ−クの大惨事から丸2年経ちました。さいたま(当時浦和)マンションのテレビでまるで映画のような光景を見ていた思い出があります。私は当時丁度スリランカ転勤が決まりかけていた時期で忙しく、過去の日記を見てみても、当時の記録は何も書いてありません。折角なので、2年前を振り返って出来事をまとめておきたいと思います。
当時取り組んでいた仕事 ○ビックカメラ様と設立した会社の仕事(ビックカメラ有楽町店内に出店) ○優先接続制度導入後の後処理 ○中間決算準備、等等。
その他に細かい仕事が山ほどあって、相変わらず毎日夜遅く帰っていました。そんな折にスリランカ勤務の話が持ち上がり、「コロンボで新社長就任式があるので一緒にいって様子を見てこい」ということで、初めてコロンボに来たのが9月19日でした。帰国は9月25日でした。9月11日の事件があったので実家の母などは大変心配していました。
その後正式にスリランカ勤務が決まり、引越しは後にして、とりあえずコロンボに着任したのが10月13日でした。この間、仕事の引継ぎをしたり、予防注射をしたり、緊急の英会話特訓したり慌しい生活が続きました。コロンボに来てからはオベロイホテルに宿泊していました。コロンボの仕事は日本とは全く違うので戸惑うことが多かったです。
そして、本格的にコロンボに引っ越すために日本に帰国したのが10月25日。日本に帰国して、単身赴任の荷物を整理して楠原運送さんに輸送をお願いしました。日本国内の単身荷物とも違いは「日本食」を沢山詰め込んでいることでした。コロンボでは買えそうもない「パソコン」「デジカメ」も買い込みました。チェロもきちんと梱包していていただいて無事コロンボに到着したのでした。そして11月7日に本格赴任となったのでした。
あれから早2年が経ちました。その後、アフガニスタンの戦争、イラクの戦争、北朝鮮との交渉とテロとの戦いが続いています。しかしアメリカの厳戒態勢はさらに厳しくせざるを得ない状況です。解決への道のりは遠いようです。
我社(日本の親会社)では海外駐在員のため、半期に一回日本食・生活用品の注文・配達サービスを契約しています。9月10日は2003年後期の注文の締め切りでした。23日前から、注文表のエクセル表(非常に大きい)を貰って、注文したい食品や日用品を書きこんできたのですが、いざ送ろうとしても送れない。
最初ホームページからアクセスして送ろうと思ったのですが、エクスプローラがクラッシュしてしまうのでだめ。日本に電話してエクセル表をメールに添付する方法で申し込みを受け付けてくれるようお願いして了承を取りました。
宿舎のインターネットはホテル内線を使ってのダイヤルアップなので、非常に遅いのです。スピードは28K。これだと時間がかかりすぎて時間切れになってしまうのです。しかたないので会社までいって「単独回線」のダイヤルアップにしました。これだと56Kです。なぜ、会社のLANを使わないかというと、会社のLANだとなぜかこのホームページにアクセスできないのです。キャシュカードでの決済なのでなにか特殊な仕掛けがあるみたい。
いろいろ苦労して注文は一応終了しました。今回は「醤油・ソース・マヨネーズ」などに必需品は蓄えがあるので「シバヅケ」だとか「しゃけカン」だとか「フリカケ」だとかのすぐになくなってしまうものを補充しました。前回注文したフリーズドドライの納豆は美味しくないのでやめました。それと「温泉の元(入浴剤)」。心身リフレッシュするには、草津だとか別府だとかの入浴剤を入れた浴槽でゆっくりするのは効果的なのです。
最近、非常に不甲斐ないのですが、近くを見るときに「メガネ」ははずすようになってしまったのです。年配の方が書類なんかを見るときに、メガネをはずしているのを見てとても奇異に感じていたのですが、今まさにそうしないとはっきり見えないのです。
遠近両用メガネは大変便利な発明なんだとつくづく感じます。
水泳をしたりジムで走ったりしているので、体力的には、昔より劣ったというよりは、むしろ向上しているしているのではないかと思っているのですが、視力は鍛えようがありません。
視力に関して、すこし面白い話を聞きました。昨年コロンボに「アポロ病院」というインド資本の大規模な病院がオープンしました。そこに世界的な「視力矯正手術」の名医がいるのだそうです。日本で手術を受けるより大分安上がりみたいで日本人が何人か手術を受けたそうです。私の同僚も検討しているみたいです。とにかく日本人のメガネ率は非常に高い。我が家の4人家族全員メガネだし、スリランカ派遣社員4人もメガネです。
しかし、実を言うとスリランカの人は近視の人は少ないのです。名医は「白内障」などの名医ではないかと思われます。同じような技術なのかしら。
ひょんなことから今晩夕食に招待されてしまいました。これを説明するにはコロンボ在住の「IMAI」さんを紹介する必要があります。
彼女は現在「アルテックランカ」というコロンボのソフトウエア会社のCEOをしています。彼女のスリランカとの関係はJICAの青年協力隊から始まります。その後NTTに就職してNTTスリランカプロジェクトに参加し、再びスリランカで暮らしました。シンハラ語と英語が堪能なのでプロジェクトでは大変重宝されたのは勿論です。その後彼女は日本勤務となり、日本の私所属の事業部に配属になりました。ところが彼女はソフトウエア会社をスリランカに設立するということでスカウトされ、NTTを退職して再びコロンボに来たのです。その後私がスリランカ勤務となったことでこちらでお世話になっている次第。スリランカには「IMAI」さんみたいにスリランカに惚れ込んだ人が沢山いらっしゃいます。
で、本題ですが、金曜日に新規電話架設の件でお客様と対応したのです。実はその方の住居は新規に譲り受けた住居なのですが、前の持ち主が電話料金を滞納していたためブラックリストに登録されており、電話を新規架設することができなかったのです。私のところに相談が持ち込まれたので、日本流の「善意の第三者の権利」的な説明でなんとか社内を説得したという次第。その方が住居の権利書等をもって私のオフィスまで来てくれました。ところが見知らぬ東洋人風な女性を連れています。
権利書等を私の秘書の方にチェックしてもらっていたところ、この東洋人風の女性(実はタイの方でした)が、「IMAI」という日本人を知らないかというのです。「ジュネーブでいっしょだった」とか、「日本に行った時に連絡が取れなかった」とかいうのです。SLTの日本人に料金苦情を持ち込むので、ひょっとして「IMAI」女史の消息がわからないかと思って着いてきたようです。
「IMAI」さんなら私の友人でコロンボに居る旨を話、私の携帯で「IMAI」女史を呼び出してあげると、何年か振りの再会のようで、急遽「IMAI」さんと急遽有御飯を食べる話になったようです。そしてついでに私もご一緒することになりました。
後でわかったことですが、「IMAI」女史との最初の出会いは「SLT時代」に料金誤請求の対応だったとか。今回の私の場合と全く同じです。そして彼女がジュネーブに出張したときにジュネーブで一緒だったとか。実はこの東洋人の女性の父親という人がジュネーブに家があり、「IMAI」さんはそこに泊めてもらったのだとか。話はどんどん広がりました。
ということで、二晩続いて有御飯外食。「IMAI」女史を拾ってタイ人の彼女のマンションに行きました。実は彼女の父親(義理の)は国際赤十字の仕事をしていてジュネーブとコロンボを往復している由(かなりの幹部みたいです)。スリランカのタミール人の法律の世界では有名な人みたいです。「法律」繋がりで電話架設苦情の元検察庁副長官氏(途中退席)、そして友人のジャフナの女性弁護士も夕食を共にしました。
ジャフナの図書館が燃えてしまったこととか、ここしばらくはジャフナで裁判が開かれないとか、いろいろお話をお伺いしました。もちろんSLTに対する辛口のコメントも頂きました。実を言うと、タミール人の方との話はとても面白いのです。コロンボでは他に味わえないような「誠実さ」とか「裏表のない率直さ」を感ずるのです。正直言って、私と同じく彼らが和平交渉の行く末に楽観的でないので、少し心配になりました。
D銀行の幹部の方が来錫されて、地元の取引先と懇親パーティを開かれたので行ってみました。外資系の銀行のスリランカ支店は、ほとんどがアジア大洋州などの地域会社の参加に入っていて、香港やシンガポールに本社があるのです。一年に一回位視察にくるという訳です。
地元の取引先の社長さんなどが招待されるのですが、我社の場合は取引先として大きいので私とか料金・財務の幹部が招待されました。
場所はマウントラビーニアホテルの砂浜のレストラン。ここはコロンボから10Kmくらい南下した浜辺にあるホテルで、昔イギリスの植民地総督の別荘だったところをホテルに改造したものです。その景色もさる事ながら、シーフードをはじめ、レストランも素晴らしいのです。
と言うわけで、金曜日の夜、昨日我社の取締役会が終わったので、ノンビリするためにもいいなあと思って出かけました。パーティは非常に凝ったもの(金がかかっている)ものでびっくりしました。まずホテルのプライベートビーチの一角でウエルカムドリンク。そしてころあいを見て、キャンディダンスのダンサーに導かれて浜辺を歩き、パーティ会場の浜辺に移動します。そこには音楽・ダンス用のステージ、シーフードを中心にした料理が準備されていました。
ほとんどのお客様は、奥様とカップルでいらっしゃっていました。こういうときに単身だと少し手持ち無沙汰です。何人かの人と仲良くなりました。日本人は私だけだった見たい。中国の方の参加が多かったみたいです。料理が美味しかったので大変満足させてもらいました。
感想をちょっと。7時30分からということなので、私は7時35分ごろ着いたのですが(5分遅刻)、会場はガラガラでした。さすがに主催者は出迎えてくれました。本格的に始まったのは1時間後です。さる会社のCEOと意気投合したのですが、
「とにかくコロンボのパーティは時間とおり始まらない。むしろ遅れてくる来ることで自分の「存在感」を示すようなところがある。大統領・政治家から先頭きってそうしている。これはよくない習慣だ」というもの。前の大統領プレマダーサが全国に時計台を作って国民に「時間の大切さ」を呼びかけたのに、今はほとんどの時計が壊れているのです。困ったものです。
椰子の木の間から、大きな「火星」を見ることができました。「火星はまだ見えるのか、もう行ってしまったのではないのか」という人がいたのはご愛嬌。
先週末から「高熱」が出て入院していた「同僚派遣者」の奥様ですが、「デング熱」にかかっていたことがわかりました。一応原因が判明したので、一安心なのですが、デング熱も恐ろしい伝染病なので、熱が下がってきて今日退院したようですが、しばらく注意をしなければなりません。
普通のデング熱ならそれほど心配ないのですが(それでも40度以上の高熱を出すことがあります)、デング出血熱にかかっていると大変なのです。
このデング熱では、サルチル酸系の鎮痛剤を服用すると、重症のデング出血熱に移行する可能性があるということです。その代表的な薬は「バファリン」で、私もよく利用している薬です。注意しなくてはなりません。
今、コロンボ市内で「デング熱」が流行っているという話はありません。しかもこの奥様の場合は頻繁に出歩く方ではないのです。我社の派遣者は同じ宿舎に住んでいるのですから、ごく身近にデングウイルスを保有する「蚊」がいるのかもしれません。
普段から睡眠を十分とって、無理をせずに自分の体の抵抗力を維持することが必要だとおもいました。
イラクの戦争が終わって大分経ちましたが、相変わらずテロは収まらず、民主的な政権樹立の道のりも遠いようです。インドネシアでは「イスラム国家建設」の名目のもと大規模なテロがありました。北朝鮮に民主的な政治体制を導入するなんて出来るのかしら。
欧米的な民主主義社会を樹立するには長い道のりが必要なのだなとつくづく実感しています。アメリカだって独立戦争、南北戦争といった大きな戦争を経て民主主義が確立されたのです。日本には敗戦・原爆といった途方もない犠牲が必要だったのです。さらに、日本の場合には、急進的な連動国の占領政策と国民が敬愛する「天皇制の存続」といった美味い組み合わせもあったと思います。
今、イラクに民主的な選挙制度とか三権分立とかいってもとても無理な状態です。それならどうするか。難しい問題です。比較的な穏健なイスラム指導者が暗殺されてしまってはアメリカも辛いです。何でも一瞬にぶち壊してしまう「テロ」が普通の行われるほど荒廃しきっているのです。
と、こんな事を考えるのは、我社(スリランカの電話会社)に、世界最新式の料金システムを導入するプロジェクトが今最終段階に入っているからです。欧米では当たり前「ロジック」「ワークフロー」がそのままスリランカの現状に当てはまる訳がありません。ここで混乱が生じます。その混乱を最小限に食い止めなくてはなりません。問題なのはシステムは融通が効かないということです。
明治政府が近代化政策を推進できたひとつの背景には、江戸時代末期の幕府の近代化政策、勝海舟に代表される若手幕府官僚が非常に優秀だったことがあげられます。自らの内部に矛盾がどんどん蓄積されていくと、革命は容易だし、革命後の新時代建設はスムーズに進みます。
他人任せの革命は、新時代建設に多く時間がかかると共に、反動で元に戻ってしまう可能性さえありえます。
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