KENの日記
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2003年09月08日(月) 視力がおちた?

最近、非常に不甲斐ないのですが、近くを見るときに「メガネ」ははずすようになってしまったのです。年配の方が書類なんかを見るときに、メガネをはずしているのを見てとても奇異に感じていたのですが、今まさにそうしないとはっきり見えないのです。

遠近両用メガネは大変便利な発明なんだとつくづく感じます。

水泳をしたりジムで走ったりしているので、体力的には、昔より劣ったというよりは、むしろ向上しているしているのではないかと思っているのですが、視力は鍛えようがありません。

視力に関して、すこし面白い話を聞きました。昨年コロンボに「アポロ病院」というインド資本の大規模な病院がオープンしました。そこに世界的な「視力矯正手術」の名医がいるのだそうです。日本で手術を受けるより大分安上がりみたいで日本人が何人か手術を受けたそうです。私の同僚も検討しているみたいです。とにかく日本人のメガネ率は非常に高い。我が家の4人家族全員メガネだし、スリランカ派遣社員4人もメガネです。

しかし、実を言うとスリランカの人は近視の人は少ないのです。名医は「白内障」などの名医ではないかと思われます。同じような技術なのかしら。



2003年09月06日(土) 奇遇

ひょんなことから今晩夕食に招待されてしまいました。これを説明するにはコロンボ在住の「IMAI」さんを紹介する必要があります。

彼女は現在「アルテックランカ」というコロンボのソフトウエア会社のCEOをしています。彼女のスリランカとの関係はJICAの青年協力隊から始まります。その後NTTに就職してNTTスリランカプロジェクトに参加し、再びスリランカで暮らしました。シンハラ語と英語が堪能なのでプロジェクトでは大変重宝されたのは勿論です。その後彼女は日本勤務となり、日本の私所属の事業部に配属になりました。ところが彼女はソフトウエア会社をスリランカに設立するということでスカウトされ、NTTを退職して再びコロンボに来たのです。その後私がスリランカ勤務となったことでこちらでお世話になっている次第。スリランカには「IMAI」さんみたいにスリランカに惚れ込んだ人が沢山いらっしゃいます。

で、本題ですが、金曜日に新規電話架設の件でお客様と対応したのです。実はその方の住居は新規に譲り受けた住居なのですが、前の持ち主が電話料金を滞納していたためブラックリストに登録されており、電話を新規架設することができなかったのです。私のところに相談が持ち込まれたので、日本流の「善意の第三者の権利」的な説明でなんとか社内を説得したという次第。その方が住居の権利書等をもって私のオフィスまで来てくれました。ところが見知らぬ東洋人風な女性を連れています。

権利書等を私の秘書の方にチェックしてもらっていたところ、この東洋人風の女性(実はタイの方でした)が、「IMAI」という日本人を知らないかというのです。「ジュネーブでいっしょだった」とか、「日本に行った時に連絡が取れなかった」とかいうのです。SLTの日本人に料金苦情を持ち込むので、ひょっとして「IMAI」女史の消息がわからないかと思って着いてきたようです。

「IMAI」さんなら私の友人でコロンボに居る旨を話、私の携帯で「IMAI」女史を呼び出してあげると、何年か振りの再会のようで、急遽「IMAI」さんと急遽有御飯を食べる話になったようです。そしてついでに私もご一緒することになりました。

後でわかったことですが、「IMAI」女史との最初の出会いは「SLT時代」に料金誤請求の対応だったとか。今回の私の場合と全く同じです。そして彼女がジュネーブに出張したときにジュネーブで一緒だったとか。実はこの東洋人の女性の父親という人がジュネーブに家があり、「IMAI」さんはそこに泊めてもらったのだとか。話はどんどん広がりました。

ということで、二晩続いて有御飯外食。「IMAI」女史を拾ってタイ人の彼女のマンションに行きました。実は彼女の父親(義理の)は国際赤十字の仕事をしていてジュネーブとコロンボを往復している由(かなりの幹部みたいです)。スリランカのタミール人の法律の世界では有名な人みたいです。「法律」繋がりで電話架設苦情の元検察庁副長官氏(途中退席)、そして友人のジャフナの女性弁護士も夕食を共にしました。

ジャフナの図書館が燃えてしまったこととか、ここしばらくはジャフナで裁判が開かれないとか、いろいろお話をお伺いしました。もちろんSLTに対する辛口のコメントも頂きました。実を言うと、タミール人の方との話はとても面白いのです。コロンボでは他に味わえないような「誠実さ」とか「裏表のない率直さ」を感ずるのです。正直言って、私と同じく彼らが和平交渉の行く末に楽観的でないので、少し心配になりました。



2003年09月05日(金) 浜辺でのパーティ

D銀行の幹部の方が来錫されて、地元の取引先と懇親パーティを開かれたので行ってみました。外資系の銀行のスリランカ支店は、ほとんどがアジア大洋州などの地域会社の参加に入っていて、香港やシンガポールに本社があるのです。一年に一回位視察にくるという訳です。

地元の取引先の社長さんなどが招待されるのですが、我社の場合は取引先として大きいので私とか料金・財務の幹部が招待されました。

場所はマウントラビーニアホテルの砂浜のレストラン。ここはコロンボから10Kmくらい南下した浜辺にあるホテルで、昔イギリスの植民地総督の別荘だったところをホテルに改造したものです。その景色もさる事ながら、シーフードをはじめ、レストランも素晴らしいのです。

と言うわけで、金曜日の夜、昨日我社の取締役会が終わったので、ノンビリするためにもいいなあと思って出かけました。パーティは非常に凝ったもの(金がかかっている)ものでびっくりしました。まずホテルのプライベートビーチの一角でウエルカムドリンク。そしてころあいを見て、キャンディダンスのダンサーに導かれて浜辺を歩き、パーティ会場の浜辺に移動します。そこには音楽・ダンス用のステージ、シーフードを中心にした料理が準備されていました。

ほとんどのお客様は、奥様とカップルでいらっしゃっていました。こういうときに単身だと少し手持ち無沙汰です。何人かの人と仲良くなりました。日本人は私だけだった見たい。中国の方の参加が多かったみたいです。料理が美味しかったので大変満足させてもらいました。

感想をちょっと。7時30分からということなので、私は7時35分ごろ着いたのですが(5分遅刻)、会場はガラガラでした。さすがに主催者は出迎えてくれました。本格的に始まったのは1時間後です。さる会社のCEOと意気投合したのですが、

「とにかくコロンボのパーティは時間とおり始まらない。むしろ遅れてくる来ることで自分の「存在感」を示すようなところがある。大統領・政治家から先頭きってそうしている。これはよくない習慣だ」というもの。前の大統領プレマダーサが全国に時計台を作って国民に「時間の大切さ」を呼びかけたのに、今はほとんどの時計が壊れているのです。困ったものです。

椰子の木の間から、大きな「火星」を見ることができました。「火星はまだ見えるのか、もう行ってしまったのではないのか」という人がいたのはご愛嬌。



2003年09月03日(水) デング熱

先週末から「高熱」が出て入院していた「同僚派遣者」の奥様ですが、「デング熱」にかかっていたことがわかりました。一応原因が判明したので、一安心なのですが、デング熱も恐ろしい伝染病なので、熱が下がってきて今日退院したようですが、しばらく注意をしなければなりません。

普通のデング熱ならそれほど心配ないのですが(それでも40度以上の高熱を出すことがあります)、デング出血熱にかかっていると大変なのです。

このデング熱では、サルチル酸系の鎮痛剤を服用すると、重症のデング出血熱に移行する可能性があるということです。その代表的な薬は「バファリン」で、私もよく利用している薬です。注意しなくてはなりません。

今、コロンボ市内で「デング熱」が流行っているという話はありません。しかもこの奥様の場合は頻繁に出歩く方ではないのです。我社の派遣者は同じ宿舎に住んでいるのですから、ごく身近にデングウイルスを保有する「蚊」がいるのかもしれません。

普段から睡眠を十分とって、無理をせずに自分の体の抵抗力を維持することが必要だとおもいました。



2003年09月02日(火) イラク問題など。

イラクの戦争が終わって大分経ちましたが、相変わらずテロは収まらず、民主的な政権樹立の道のりも遠いようです。インドネシアでは「イスラム国家建設」の名目のもと大規模なテロがありました。北朝鮮に民主的な政治体制を導入するなんて出来るのかしら。

欧米的な民主主義社会を樹立するには長い道のりが必要なのだなとつくづく実感しています。アメリカだって独立戦争、南北戦争といった大きな戦争を経て民主主義が確立されたのです。日本には敗戦・原爆といった途方もない犠牲が必要だったのです。さらに、日本の場合には、急進的な連動国の占領政策と国民が敬愛する「天皇制の存続」といった美味い組み合わせもあったと思います。

今、イラクに民主的な選挙制度とか三権分立とかいってもとても無理な状態です。それならどうするか。難しい問題です。比較的な穏健なイスラム指導者が暗殺されてしまってはアメリカも辛いです。何でも一瞬にぶち壊してしまう「テロ」が普通の行われるほど荒廃しきっているのです。

と、こんな事を考えるのは、我社(スリランカの電話会社)に、世界最新式の料金システムを導入するプロジェクトが今最終段階に入っているからです。欧米では当たり前「ロジック」「ワークフロー」がそのままスリランカの現状に当てはまる訳がありません。ここで混乱が生じます。その混乱を最小限に食い止めなくてはなりません。問題なのはシステムは融通が効かないということです。

明治政府が近代化政策を推進できたひとつの背景には、江戸時代末期の幕府の近代化政策、勝海舟に代表される若手幕府官僚が非常に優秀だったことがあげられます。自らの内部に矛盾がどんどん蓄積されていくと、革命は容易だし、革命後の新時代建設はスムーズに進みます。

他人任せの革命は、新時代建設に多く時間がかかると共に、反動で元に戻ってしまう可能性さえありえます。



2003年09月01日(月) コロンボフォート地区

コロンボの観光の目玉はなんといっても、植民地時代の建物が残っている「フォート」地区です。私の職場もそこにあるので毎日通勤で通過しています。古いですがカラフルで威厳のある建物は、昔の繁栄を忍ばせます。こんな観光資源があるのに、この国は活用していません。

つまり、この地区の奥に「大統領官邸」と「中央銀行」があるため、重点警戒区域になっていて観光客がほとんど近づけないなのです。

○道路通行制限で有名な「時計台」に近づくのも一苦労です。写真撮影禁止です
○大統領官邸、中央銀行近辺は進入禁止です
○銃をもった警備員がそこらじゅうで目を光らせています。
○無愛想な金網バリケードがいたるところにあります。
○観光客が多くないので、まともなレストランがありません。
○昔から中継基地として栄えたコロンボ港には、海軍が居るので近寄れません。

こう書いてみると、本当に観光で客を呼ぼうとしているとは思えません。「中央銀行」はともかく、大統領はどこか遠くに引っ越すべきです。彼女のお陰で観光資源が台無しになっています。大統領邸を博物館か美術館にしたほうが、ずっと国民のためになります。ついでに彼女のための食堂をレストランとして開放したら、もっといいです。なんといっても一等地にあるし、豪華な設備でしょうから。せっかく国会を移転したのですから、大統領もついでに移転すれば良かった。

コロンボは潜在的の多くの観光資源があります。フォート地区、仏教寺院、ヒンズー教寺院、イスラムモスク、キリスト教会、シーク教教会と宗教の幅広さは大したものです。こうした複数の宗教を許容する発展途上国は珍しいと思います。その他に宝石、紅茶関係。こうしたものを総合的に売り出せば、キャンディなどの世界遺産に加えて観光の目玉になり得ます。

スリランカ政府はここらで観光資源開発に本腰を入れて取り組むべきです。



2003年08月31日(日) 腕時計が好調

今年の春以来、故障続きの腕時計。特に飛行機に乗って気候の違うところに行くと、途端に水分がガラスの内側に付着し、そのうち動かなくなってしまうのでした。古い時計なので密閉が悪く、周囲の湿った空気が入り込んでしまうのでしょう。

特に暑い国では、外の気温が30度を越すのに、室内はクーラをギンギンに利かせて20度から23度くらいにしている場合が多いのです。湿気の多い外から帰ってきて急に冷やされるので、機密の悪い時計はたまりません。

しかし今回タイから帰っても、そんな症状がなく元気に動いています。当たり前なのですが、故障がないと非常にありがたいです。で、何か特別なことをしたかというと、タイで何回か水分がガラスの内側に液化して曇ったのですが、そのときに妻の考案で以下のような対策を取りました。

「腕時計の表のガラスと裏側の金属を摩擦して暖めて、液体をもう一度気体に戻して、螺子まきの穴から口で湿った空気を吸い出す」という原始的なもの。

でもその成果でスリランカに帰っても、水分がガラスに付着する問い現象は表れません。しばらく使えそうです。



2003年08月30日(土) 健康管理

SLT(スリランカの電話会社)に派遣されている日本人の同僚の奥さんが、原因不明の高熱を出しています。41度の高熱なのでこちらの病院に入院しています。前にこちらに赴任されていた方の情報では、ご家族で赴任された奥様が不調を訴えることは良くあることのようです。

気候、風土の違いは予想以上に身体に影響があるようです。その影響で身体が弱っているところに、デングやらマラリヤやら強烈な伝染病ウイルスにやられたらひとたまりもないのです。さらに正体不明の病気があるかもしれません。彼女の場合は原因はまだわかりません。

派遣者は毎日オフィスで日本と同じような仕事をするのですが、奥さんは日本とは全く違う環境で生活しなければならないので、さらに厳しいかもしれません。掃除・洗濯・食事をメイドに任せて、思いっきり海外生活を楽しむ等ということは日本人には到底できませんから。

ひとたび病気にかかると、また、大怪我をするとこれは大変なのです。まず医療施設が日本とは大きな差があります。輸血が必要な場合は本当に注意しなければなりません。緊急の場合は、シンガポールあるいは日本に緊急帰国して治療をうけなければなりません。私がここまで約2年間の間、重い病気にかかることなく、また事故もなく過ごせてこれたのは、ひとつには非常に「臆病」「心配症」であることが理由としてあげられます。

私としては始めての海外生活なので気を使っています。周りに迷惑をかけることのないようにすることも重要です。そのためにはひとつには「自分のペース」を出来るだけ崩さないようにすることが大切です。日本でなら家族の支えもありますし、病院設備も充実しているので、多少無理しても無理が通るのですが、こちらでは取り返しのつかないことになり兼ねません。

音楽と運動は「自分のペース」の重要な要素となっています。毎晩の「晩酌」もそのひとつだと思っています。



2003年08月29日(金) 反省しきり

先週の水曜日から一週間「夏休み」を取りました。私が休みに入る前に、こまごまと仕事の指図をしておいたのです。決算発表が8月末なのでその準備とか、子会社の増資の準備作業とか色々あったのです。

しかし、私の居ない間、ほとんど仕事が進んでいませんでした。今週水曜日から非常に頭にきているのです。色々言い訳はするのです。やらなくてもいいと思っていたとか、貴方が帰ってくるまで待っていたとか、忙しかったとか・・・。

でも納得しました。自分が居たとしても、段取りをつけて、根回しをして、筋道を立てて仕事を進めないかぎり、仕事は進まないのです。こんなことはわかっていたはずなのです。過度な期待をするほうが間違っているのです。

でも非常に暗い気持ちになりました。



2003年08月27日(水) 無事日本着(私ではありません)

先週から色々手配してきた「日本へのスリランカ人派遣」の件ですが、一応無事到着したようです。

日本で活動が便利なように、訪問先に近く且つ関西新空港からアクセスが楽な京阪守口駅前のホテルを電話で予約はしておきました。問題は関西新空港から空港リムジンを使って京阪守口まで行けるかどうかです。

インターネットのホームページをコピーして、京阪守口行のバスのNo.、乗降口、料金、切符の買い方、関西新空港の見取り図などを詳しく教えておきました。京阪守口行のバスは6時45分と7時45分に関西新空港を出発することになっています。入国審査に大幅な時間を取られない限り、なんとかホテルまで辿りつ着けると思っていました。 

一方で、バンコクでの休暇の際にコロンボから持ってきたGSM携帯電話が料金未納のための通話停止になっているし、バンコクのホテルのLANはビールスの仕業でダウンしていてインターネットがしばらく使えなかったりしたので、その後旅行日程等に変更が生じた場合に対処できないでいたのが不安だったのです。

予定では、彼は昨夜(26日深夜)バンコクを発って、今朝5時45分に関西新空港に到着したはずです。

今日コロンボ時間6時30分に(日本時間9時30分)日本のホテルの電話して、彼が到着しているかどうか確認しました。このときにはまだチェックインされていませんでした。入国審査に時間がかかってバスに乗れなかったら困ったことだと思っていました。

午前7時(日本時間10時)に電話したところ、無事チェックインを済ませたとのこと。安心しました。これで第1の関門は通過です。大事なのはこれから始まるビズネスの方なのですが、こればかりは私は容喙するわけには行きません。




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