KENの日記
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2003年08月24日(日) タイでの夏休み(最終日)

8月20日水曜日からタイで夏休みを過ごしました。私はスリランカから妻は日本からやってきて合流しました。タイは5年ぶりです。凄く変わっていてびっくりしました。

今日は最終日でホテルで荷造りを済ませて少しのんびりしています。今午後四時です。私の飛行機は午後9時45分コロンボ行き、妻の飛行機は11時10分の成田行きです。これからタクシーで空港に向かいます。

詳しい旅行記は別に書こうと思っています。

(P.S.)
From the Don Muang Air port Lounge.
I am going to Colombo by TG 307. My wife is going to Tokyo by other flight. All the best.

コロンボ時間の夜中24時過ぎ(月曜日)に無事、スリランカに戻りました。実質3時間のフライトです。面倒なのと、身体に良くないので、シャンパンだけ頂いて食事は取らずに眠りました。

バンダラナイケ国際空港は、日本人観光客で混雑していました。スリランカ航空の成田からの直行便で来たようです。妻の飛行機は日本時間の七時に成田に到着します。



2003年08月19日(火) 日本出張アレンジ

私の職務と直接は関係ないのですけど、知り合いのスリランカ人を日本に出張に出すアレンジをしています。

日本のビザを取得するため、日本企業の招聘状をアレンジしたり、コロンボの日本大使館に電話してビザ発給のお願いをしたりこの辺はスリランカ側のアレンジ。

大変なのは、出張先が大阪の守口市なので、関西新空港からのアクセスの説明から、日本のホテルの予約、相手会社と連絡をとって、待ち合わせの手配をするなど事細かく計画を建てました。

おかげで、お昼御飯を食べるのをすっかり忘れていました。帰りに「弁当バック」を持ち上げたら、結構重いので、どうしたのかなと不思議に思ったのです。昼飯を食べることを忘れるなんて、年を取ってしまったみたいでショックでした。

しかし、日本語の話せない外国人にとっては、日本にひとりで行くことは、ものすごく心配なのです。英語がほとんど通じないと考えているし、すべて自分でやらなければならないことになれていません。日本のホテルや交通機関はもう少し国際化する必要があります。

さらに、私が心配するのは「考え方の違い」です。日本には多くの暗黙のルールがあったり、しきたりがあったりします。大抵の外国人は「郷にいっても郷には従いません」。日本人は日本にいるからには、日本流が当たり前だと考えるはずです。このことはビジネスで大きな危険要素なのです。

これまでに二回スリランカ人と一緒に日本へ出張しましたが、はっきり言って非常に疲れました。今回は自分は行かずに出張の手配です。なんだか一緒に言ったほうが気持ちは楽です。

ところで、そんなことを言いつつ、あすから夏休みをとります。今年は妻とバンコクで合流する予定です。ゆっくりするつもりですが、携帯とEメイルで手配の仕上げをすることになりそうです。



2003年08月17日(日) インドの音楽

それほど強くはないけど、漠然とインド音楽に興味があったので、インド音楽専門のCDショップを教えてもらい何枚かCDを買いました。

場所はゴールロードの海側・バンバラピチヤの先です。インドから直輸入していると見えて、インドルピーで値段を表示したCDもあり紛らわしいです。でも色々なCDがあって見ていて飽きません。

今日は「サンタールの音楽(演奏:シビクマール・シャルマ)」、「シタール音楽(カルテリック・クマール他)」、現在流行しているボンベイバイキングのセカンドアルバムを買ってきました。

昨年「若い演奏家」を集めた演奏会で、本物のシタールの音楽を耳しましたがどうもよくわかりませんでした。やはり音楽の構造や背景を少し勉強しないとだめですね。ということで少しかじった音楽知識。インドの古典音楽(シタールの演奏会もそうですが)には、RAGAとTALAという形式があるそうです。ほかにも沢山あるのでしょうけど・・・。

まず音楽はゆっくりした「Raga」から始まります。これはインドの独特の音階を使った旋律的な音楽です。音の組み合わせとか、音の選び方に独特なものがあるようです。最初に主題の提示があって即興で進んでいくようです。どこまでが主題なのかわかりませんが。

ゆっくりした「RAGA」から次第にリズミックな「TALA」に変わっていきます。「TALA」はリズムの組み合わせが中心です。クライマックスでは演奏者の技巧を駆使して、シタールでも驚くほど早く16分音符を演奏します。これも演奏者の即興です。

楽器はというと、シタール、打楽器のターブラ、竹笛です。少しわかってくると面白いのではまりそうです。なお、ムンバイ映画音楽の大ヒット「ボチャリ」も大変素晴らしい曲です。

(追記)
韓国の国際放送「アリランTV」恒例の日曜コンサートでクラシック音楽を聞きました。曲目は、Korngoldのバイオリン協奏曲、ベートーベンの英雄。演奏はバイオリンはリー・キュン・スン、クオック・スン指揮のソウルフィルハーモニックオーケストラです。管楽器が積極的に演奏するので、日本のオケより面白いかったです。英雄は快適なテンポを維持して引き締まった演奏でした。



2003年08月14日(木) ウイルス対策

日本を含めて欧米で「ブラスタ」というコンピュータウィルスが猛威を振るっているようです。私の周辺ではまだ被害は出ていませんが、無防備であることには変わりがないので、宿舎の個人用パソコンのOS(WindowsXP)をアップデートしました。

昨年の春、ビールスに悩まされて、最終的にOSの再インストールまでいってしまったので、今回は事前に防備を固めて、被害を防ごうと思っています。

コロンボのインタネット(ダイヤルアップ)は夜9時から10時ごろ(日本時間0時から2時)非常に混み合って繋がりにくなります。さらに、Windowsの頁も混み合っているみたいでした。結局こちらの11時(日本時間2時)から「更新ソフト」(10本、15M)をダウンロードし始め、12時30分にはダウンロード終了。1時30分頃にはインストールを終了しました。

これで一安心。次は会社のコンピュータです。

(追記)

今年の日本の夏はとても涼しいようですね。梅雨明けが遅くて、さらに台風10号が日本縦断していつの間にか「お盆」になってしまいました。実はコロンボも昨年に比べると涼しいと思います。夜中に風邪と雨が激しく、安定した天候は続きません。先週ロンドンからお客様を迎えたのですが、ロンドンの方がずっと暑いといっていました。日本でもスリランカでも農作物の生産に影響がなければいいのですが・・・。



2003年08月12日(火) 危険と背中合わせ

三連休の後の出勤日、身近なところで事故に遭った人が二人いました。幸い怪我は大したことないのですが、連休で車の出が多かったし、観光地は日本みたいに渋滞するだろうし、結構危険と背中合わせだということことを再認識しました。

日本でも高速道路などは危険がいっぱいなのだけど、こちらはそうした道路の状況に加えて、救急体制・病院設備は日本とは比べ物にならないのです。少し思い怪我をすると危ない状況になります。

一番危険を感ずるのは、運転マナーと車の整備状況。都市間を結ぶ高速バスは凄いスピードで走っています。また反対側斜線にはみ出して追い越しを掛けてくる車が多いので「防衛」運転が必要です。またタイヤは文字通り「擦り切れるまで」使いますので、何時パンクするかわかりません。道でタイヤ交換している姿は当たり前の風景です。

連休三日間だいじを取って宿舎にいたのですが、これは少しやりすぎでしたが、やはり慎重になること、危険を避けることは大切だと思いました。休暇をどう過ごすかは自由なのですが、高い契約金でスリランカに来ているからには、安全確保の義務もこちらにあると考えなければなりません。



2003年08月11日(月) ようやく回復

三日間宿舎で文字通り「ゴロゴロ」していたおかげで、喉の風邪がようやくすっきりしてきました。明日から夏休み前の仕事を片付けようと思います。

日本はというと台風10号やら、お盆やら、高校野球やら、阪神連敗やら色々話題に事欠きません。昨年末の義父の葬儀から始まって、今年前半に二件の葬儀があったので盆は初盆が集中します。もっとも私は帰る予定がないのですが・・・。

今日(ポヤ)はキャンディペラハラの最終日です。9時からテレビで生中継をしています。9時から延々と色々な行進を見るのですが見るほうも疲れます。せっかくスリランカに住んでいるので、見てみたらどうかと勧める人はいますが、やはりテレビで十分です。



2003年08月09日(土) 三連休

11日月曜日が8月の満月で休みになるので、土曜・日曜・月曜と三連休になります。この8月のポヤはエサラポヤといってキャンディの仏歯寺でペラハラが行われる重要な日です。キャンディのペラハラは国内最大のイベントで多くの外国人観光客が詰め掛けます。(私はテレビを見ます)

正直言って、高原の盆地にあるキャンディは非常に狭い都市です。さらに街の中心の平地にキャンディ湖を作ったのですからたまりません。観光シーズンでなくとも土日は車の駐車に苦労します。ペラハラが行われるシーズンはとんでもないことになります。

この三連休に何をしようかと考えていたのですが、今週はじめから風邪気味なので、宿舎でのんびり過ごすことにしました。熱はないのですが、喉の痛みと咳が止まらないのです。自分としては無理をしないで休みを取れという身体のサインだと理解することにしました。

これまで少しずつ書き溜めてきた「ホームページ」の記事をまとめたり、日本から持ってきた「CD」をじっくり聞いて過ごす予定です。

日本では台風10号が大きな被害をもたらしています。こちらで見ていると、日本列島が丁度台風の通り道に沿って並んでいるので、台風にやられ放題に見えます。しかし、九州から北海道まで同じ台風に悩まされるので、全国民の興味が台風一点に集中にします。国民全員が同じ問題に取り組むことになるのです。

そして、全国民の行事である「お盆休み」。帰省ラッシュ。日本全体が大きな歯車みたいに思えます。この行動パターンはものすごいパワーだろうなと思う一方、こんなことができるのは日本だけだなと思います。



2003年08月05日(火) 少し風気味

今日、コロンボトリオ(バイオリン:アーナンダ、チェロ:師匠ドュッシー、ピアノ:ラーマヤ・ペレラ)他のコンサートがありました。コロンボトリオに加えて先日SOSで指揮したアジット・アベセカラ氏のクラリネットが加わってブラームスのクラリネット三重奏曲も演奏されました。

演奏はとても素晴らしかったです。特にバイオリンのアーナンダさんが「チャイコフスキーのメロディ、クライスラーのウイーン奇想曲・Ziganka」を演奏しました。これが非常な名演でした。

ところで1番前の席をとったことが災いしたのか、冷房がガンガン効いて、少し風邪気味だったところを留めをさされました。身体がだるくなってきたので、公演終了早々に宿舎に帰って寝ました。



2003年08月04日(月) 昼ご飯の日本食

今日、昼御飯はお弁当ではなく外に出て食べることにしました。通常はシータが作ってくれるお弁当を食べるので簡単です。しかし、朝・昼・晩とほぼ決まった食事では少し味気ないので、たまには外食することにしています。

今日は日本食レストラン「もしもし」に云ってみました。実は「もしもし」のご主人とは商工会で一緒になることが多く、いっぺん食べに来てくださいと誘われていたのです。

コロンボには日本食レストランが結構多くあるのですが、私がこれまで行ったことがあるのは、ヒルトンホテルの「銀座ホウセン」、ゴールフェイス近くの「日本橋」、ドュプリケーションロードにある「カフェジャパン」の三軒でした。カレー料理が好きなので、日本食禁断症状が出てどうしようもなくなるまでは日本食レストランには行きません。

きょう「もしもし」で頂いたのは、Rs300の昼の定食。さばの味噌煮を中心にして日本食。お米も味噌汁も美味しかったです。結構満足しました。

もしコロンボで「旨い」ラーメンが食べられたら、もっと外食の機会が増えるのでしょうが、残念ながら本格的なラーメンはありません。麺のゆで方が難しいようです。時間の経った名古屋の味噌煮込みうどんみたいなのが出て来ることがあるのです。日本では良く昼にラーメンを食べました。(典型的な新橋サラリーマン?)



2003年08月03日(日) モーツァルトの弦楽四重奏曲

6月末に帰国した際に買って来たモーツァルトの弦楽四重奏曲を聴きました。

カールズスケ四重奏団(ベルリン国立歌劇場のメンバー)の演奏で以下の九曲です。全部しっかりきいたのではないですが、すばらしかったので感想を書いておきます。

第14番〜第19番(ハイドンセット6曲)
第20番(ホムマイスター)
第21番〜23番(プロシア王四重奏曲)

この四重奏曲はモーツアルト26歳から書き始めた晩年の作です。晩年といっても今の私よりずっと若いのですが・・・。とにかく20代後半から30代後半でなんでこのような音楽が書けるのか判りません。40代後半になった私が聞いても10も20も年上の人が書いたとしか思えないのです。それぞれの曲が珠玉のようで、何回も聞きたくなるような印象深い曲です。

先輩の日本人派遣者が残していった「モーツアルト心の軌跡」(井上和雄著)の本を眺めながら聞いているのですが、井上さんの的確な解説の効果もあって、このすばらしい作品群に出会えたことがとても貴重に思えます。

それと、なんといってもズスケ四重奏団の演奏がすばらしいです。ズスケはゲバントハウスに招かれて有名なゲバントハウス四重奏団を組織するのですが、これはそれ以前のベルリン国立歌劇場オケのメンバー達と組んだものです。録音は1973年。そんなことは微塵も感じさせないすばらしい音です。ベルリンの壁崩壊後、東ドイツの思い出は消えていくのみですが、こうした音楽活動の記録は永遠に消えません。これだけでも東ドイツの文化として後世に残すべきだと思いました。




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