三日間宿舎で文字通り「ゴロゴロ」していたおかげで、喉の風邪がようやくすっきりしてきました。明日から夏休み前の仕事を片付けようと思います。
日本はというと台風10号やら、お盆やら、高校野球やら、阪神連敗やら色々話題に事欠きません。昨年末の義父の葬儀から始まって、今年前半に二件の葬儀があったので盆は初盆が集中します。もっとも私は帰る予定がないのですが・・・。
今日(ポヤ)はキャンディペラハラの最終日です。9時からテレビで生中継をしています。9時から延々と色々な行進を見るのですが見るほうも疲れます。せっかくスリランカに住んでいるので、見てみたらどうかと勧める人はいますが、やはりテレビで十分です。
11日月曜日が8月の満月で休みになるので、土曜・日曜・月曜と三連休になります。この8月のポヤはエサラポヤといってキャンディの仏歯寺でペラハラが行われる重要な日です。キャンディのペラハラは国内最大のイベントで多くの外国人観光客が詰め掛けます。(私はテレビを見ます)
正直言って、高原の盆地にあるキャンディは非常に狭い都市です。さらに街の中心の平地にキャンディ湖を作ったのですからたまりません。観光シーズンでなくとも土日は車の駐車に苦労します。ペラハラが行われるシーズンはとんでもないことになります。
この三連休に何をしようかと考えていたのですが、今週はじめから風邪気味なので、宿舎でのんびり過ごすことにしました。熱はないのですが、喉の痛みと咳が止まらないのです。自分としては無理をしないで休みを取れという身体のサインだと理解することにしました。
これまで少しずつ書き溜めてきた「ホームページ」の記事をまとめたり、日本から持ってきた「CD」をじっくり聞いて過ごす予定です。
日本では台風10号が大きな被害をもたらしています。こちらで見ていると、日本列島が丁度台風の通り道に沿って並んでいるので、台風にやられ放題に見えます。しかし、九州から北海道まで同じ台風に悩まされるので、全国民の興味が台風一点に集中にします。国民全員が同じ問題に取り組むことになるのです。
そして、全国民の行事である「お盆休み」。帰省ラッシュ。日本全体が大きな歯車みたいに思えます。この行動パターンはものすごいパワーだろうなと思う一方、こんなことができるのは日本だけだなと思います。
今日、コロンボトリオ(バイオリン:アーナンダ、チェロ:師匠ドュッシー、ピアノ:ラーマヤ・ペレラ)他のコンサートがありました。コロンボトリオに加えて先日SOSで指揮したアジット・アベセカラ氏のクラリネットが加わってブラームスのクラリネット三重奏曲も演奏されました。
演奏はとても素晴らしかったです。特にバイオリンのアーナンダさんが「チャイコフスキーのメロディ、クライスラーのウイーン奇想曲・Ziganka」を演奏しました。これが非常な名演でした。
ところで1番前の席をとったことが災いしたのか、冷房がガンガン効いて、少し風邪気味だったところを留めをさされました。身体がだるくなってきたので、公演終了早々に宿舎に帰って寝ました。
今日、昼御飯はお弁当ではなく外に出て食べることにしました。通常はシータが作ってくれるお弁当を食べるので簡単です。しかし、朝・昼・晩とほぼ決まった食事では少し味気ないので、たまには外食することにしています。
今日は日本食レストラン「もしもし」に云ってみました。実は「もしもし」のご主人とは商工会で一緒になることが多く、いっぺん食べに来てくださいと誘われていたのです。
コロンボには日本食レストランが結構多くあるのですが、私がこれまで行ったことがあるのは、ヒルトンホテルの「銀座ホウセン」、ゴールフェイス近くの「日本橋」、ドュプリケーションロードにある「カフェジャパン」の三軒でした。カレー料理が好きなので、日本食禁断症状が出てどうしようもなくなるまでは日本食レストランには行きません。
きょう「もしもし」で頂いたのは、Rs300の昼の定食。さばの味噌煮を中心にして日本食。お米も味噌汁も美味しかったです。結構満足しました。
もしコロンボで「旨い」ラーメンが食べられたら、もっと外食の機会が増えるのでしょうが、残念ながら本格的なラーメンはありません。麺のゆで方が難しいようです。時間の経った名古屋の味噌煮込みうどんみたいなのが出て来ることがあるのです。日本では良く昼にラーメンを食べました。(典型的な新橋サラリーマン?)
| 2003年08月03日(日) |
モーツァルトの弦楽四重奏曲 |
6月末に帰国した際に買って来たモーツァルトの弦楽四重奏曲を聴きました。
カールズスケ四重奏団(ベルリン国立歌劇場のメンバー)の演奏で以下の九曲です。全部しっかりきいたのではないですが、すばらしかったので感想を書いておきます。
第14番〜第19番(ハイドンセット6曲) 第20番(ホムマイスター) 第21番〜23番(プロシア王四重奏曲)
この四重奏曲はモーツアルト26歳から書き始めた晩年の作です。晩年といっても今の私よりずっと若いのですが・・・。とにかく20代後半から30代後半でなんでこのような音楽が書けるのか判りません。40代後半になった私が聞いても10も20も年上の人が書いたとしか思えないのです。それぞれの曲が珠玉のようで、何回も聞きたくなるような印象深い曲です。
先輩の日本人派遣者が残していった「モーツアルト心の軌跡」(井上和雄著)の本を眺めながら聞いているのですが、井上さんの的確な解説の効果もあって、このすばらしい作品群に出会えたことがとても貴重に思えます。
それと、なんといってもズスケ四重奏団の演奏がすばらしいです。ズスケはゲバントハウスに招かれて有名なゲバントハウス四重奏団を組織するのですが、これはそれ以前のベルリン国立歌劇場オケのメンバー達と組んだものです。録音は1973年。そんなことは微塵も感じさせないすばらしい音です。ベルリンの壁崩壊後、東ドイツの思い出は消えていくのみですが、こうした音楽活動の記録は永遠に消えません。これだけでも東ドイツの文化として後世に残すべきだと思いました。
実は今日午後4時からレッスンだったのですがキャンセルになってしまったのです。レッスンが午後に予定されていたので午前中プールで泳ぎました。プールで、仕事で知り合ったMさん(台湾出身、オーストラリアに家族を残して単身赴任)と一緒になったので晩御飯を我が家で食べることにしました。
レッスンが中止になったので、早速隣のマーケットに買出しに出て、ビール・ワインと「イカジャガ」の材料を買って着ました。なぜか急に「イカジャガ」が食べたくなったのです。日本から持ってきた「みりん」が活躍しました。他にキムチチャーハンも作りました。
Mさんは大学で日本語を習ったそうで日本語を読むことはできます。日本にも何回も行っていて、漢字(当然ですが)・カタカナ・ひらがなが読めるので日本では全く苦労しないそうです。現在メルボルンに家族を残しています。オーストラリアのすばらしさをだいぶ聞かされました。
外国人(スリランカ人以外)が集うと、つい「スリランカの悪口」ばかり話すことになってしまいます。台湾でも韓国でもシンガポールでも日本でもそうですが、昔を思い返せば、今のスリランカと大して変わらなかったという思いが強いようです。そこからいかに立ち上がったか、いかに苦労してきたか、そのことを考えると今のスリランカを見ていて歯痒い感じがするのです。
そろそろ「デング熱」の季節です。コロンボはまだですけど、郊外の方では少しずつ患者が出始めているらしい。デング熱は蚊に刺されることによってウイルスが伝染するので、デング熱が流行りだすとスーパーマーケットの蚊取り線香やら防虫剤やらが売り切れになったりします。
コロンボな街中などで「蚊取り線香」の大きな看板を見かけることになります。そのひとつに「NINJA」というブランドがあります。発音はニンジャです。ドライバー氏に聞いたところ、スリランカで「NINJA」は「密にやってきて敵を倒す人」だそうです。多分日本の「忍者」から来ているのでしょう。
デング熱が長期間に亘ってはびこると、使う「蚊取り線香」のブランドを変えることになります。ひとつのブランドを使っていると効かなくなるそうなのです。
チェロ音楽発表会がコロンボのロシアンセンターで開かれました。師匠「ドュッシー」の弟子達の発表会です。9名の大人(といっても多くは学生)と4人の子供達が参加しました。
日本の音楽教室の発表会と同じ感じ。独奏から全体合奏を含めて13人が何回か舞台に上がりました。ロシアンセンターはエアコンが効いている小さなホールなので非常に快適に聞くことができました。(ほんとは最年長の私も参加すべきだったのですが・・・)
小さい子供から大人までの演奏を聞いてびっくりすることは、チェロの音がいいことです。指のテクニックがしっかりしていなくても、ボーイングはみんな上手いのです。「雑音がない。芯のしっかりした音を出す」。これはしっかりした練習室において、師匠ドュッシーの音を身近に聞いてきた結果だと思います。小さな子供でものびのびとしたしっかりした音を出していました。
彼らは曲を習うのではなくて音楽を習っているのですから当然といえば当然です。
改めて感じたことですが音楽は「金」のかかるものです。コンサート会場、楽器、そしてきちんとした練習環境。現在のスリランカの経済状況からすると後回しになっても仕方がありません。そんな中でSOSのメンバー達が必死に音楽を続けていることは非常に貴重な活動です。
今晩とってもお世話になっている銀行のトップの送別会がありました。ホテルのカクテルパーティです。こうしたアルコールの入るパーティの感想を書きます。私はアルコールは嫌いではないので、カクテルパーティに呼ばれるとワインを中心にアルコールを飲んでしまいます。ここで問題なのが、酔いが進むにつれて英語ヒアリング能力(多分会話能力も)が極端に落ちることです。
これには二つの要因があるのです。まずこちらの理解力が落ちること。酔いが回るにつれて理性的処理能力(意識的になされる部分)が落ちるのでしょう。日本語ならわかるのですが英語を日本語に翻訳して理解していることが困難になるようです。
更に話している相手が酔いに任せて普通のスピードで英語を話を始めるのです。相手も「しらふ」の時はこちらの英語能力に合わせて、ゆっくり英語を話してくれるのですが、アルコールが入るととんでもなく早いスピードで話始めます。多分使う表現なんかも「砕けたもの」に変わるのかもしれません。
この二つが重なって、私にはほとんど理解不能な状況に陥ってしまいます。まあ適当に相槌を打っていますがコミュニケーションは成り立っていません。これでいいのかなと反省しきりです。英語能力の不足を嘆くことになるのです。 しかし、少し冷静に考えてみると、日本で酔っ払った時に冷静に日本語で会話をしていたかどうか、これも非常に怪しいのです。実際どんな会話をしたのかしっかり覚えているなんてことはないです。こう考えてみるとアルコールが入っての会話は古今東西、普通とは別なのではないかとも思われます。少し不遜な言い方ですが、お互いその瞬間瞬間が楽しめればいいのではないかと思います。アルコールが入ったときの英語がどうなのか、これは恥ずかしくて表現できません。尤もアルコールなしでも恥じ入るようなレベルですが・・・。
妻が長野県須坂市の実家の整理に手をつけました。義母(妻の母)が亡くなって以来義父が一人で暮らしていたのです。この義父は根っからの学者タイプの人で、身の回りのことには無頓着だったのです。高齢ということもあって手が着かなかったのも事実ですが。その義父が昨年後半闘病生活に入り、暮れに亡くなりました。
義父の新しい墓も出来てようやく実家の整理に取りかかることができるかという矢先の今年の連休に、義妹の腫瘍が発見され、義妹(妻の弟のお嫁さん)は手術の甲斐なく亡くなったのでした。このドサクサで妻の実家は、昨年夏の義父の入院以来手付かずのままになっていました。
はっきり言って、普通の人の想像を絶する状態なのです。家の外は草木が伸び放題でジャングル状態。家の中も結構すごいです。私が日本に居ればニ馬力で片付けられるのですが、そうはいきません。妻には無理をしないで少しずつ進めてほしいものです。家族の思いでが詰まった家なので、安易に金で解決するわけにいきません。
去年も書いたような気がしますが、スリランカには夏休みがありません。一年中夏なので特に7月・8月に休む理由がないからです。日本から持ってきた寒暖計で計ると、最近の私の部屋の気温は摂氏27度から28度で安定しています。私の部屋は30階のフロアーにあり、風通しがいいので地表とは2〜3度ちがうかもしれません。でもこの季節は過ごしやすいです。
日本の感覚からすると、ゴールデンウイーク、夏休み、年末・年始に休みを取って身体を休めようと考えてしまうのですが、スリランカでは実際にはそのときに休みが取れないことが多いのです。それらの休暇を意識して仕事・行事の予定が組まれることがないせいです。
従ってスリランカの休日に休むのが「無理のない休み」なのです。それは四月中旬の「新年」と五月中旬の「ベサックホリデー」です。一方日本に暮らす家族は、全く日本の生活習慣そのままで暮らしているので、単身赴任の私と他の家族は休暇のペースが合いません。
昨年の夏休みは妻をスリランカに招待しました。でも実際は妻は退屈したみたいです。私はコロンボにいるとつい仕事のことが気なってしまうことも原因でしょう。この反省の上に立って、今年の夏休みはタイのバンコクで合流することを考えています。
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